ゲーム評: サッカー好きのための・・・
今回は少し毛色を変えて、TVゲームの話をしてみよう。本ブログの読者の方の中には、ゲームをされる方はどのくらいおられるだろうか?私はあまりしないのだが、世間のサッカーファンの中には、KONAMIのWinning Eleven、いわゆるウイイレというゲームにはまっている方も多いようだ。そういうゲームによって、世界のサッカー選手を覚えたり、フォーメーションに詳しくなったりという効果もありそうだが、私はこれまでどうもそこに入っていけなかった。私のサッカー好きの友人の中には、ウイイレに詳しくて上手いヤツも、もちろんいる。しかし、今から覚えるということは相当に後発になり、最初はまったく「かなわない」ことが目に見えている(笑)のも、始められない理由の一つだったりした。
しかし今回、任天堂のWiiで、リモコンで選手を指差して自由に動かすという、新しい操作感を持ったWinning Eleven PLAYMAKERが出た。私はなんとなくそのゲームのサイトを見に行って、衝撃に打たれた(大げさではなく)。「これはおもしろそうだ!」たまたま、Wii FitのためにすでにWiiは我が家にあった。私はさっそくアマゾンでWiiのウイイレをクリックしてしまったのだった。
いわゆるウイイレを傍で見ていると、事前にフォーメーションや戦術を徹底的に組み上げ、後はその時その時、ボールを持っている一人の選手をいかに上手く操作するか、という点で勝負が決まるように見える。詳しい友人に聞いてみてもそうなのだという。しかし、リンク先のサイトのトレーニングムービーを見ればわかるように、Wiiのウイイレはまったく違う。ボールを持っている選手もある程度は操作するが、それ以外の、ボールを持っていない選手をWiiのコントローラーでポイントし、動かしていくことが非常に需要になってくる。
と書くと、なんだか難しそうに感じると思うのだが、これがまったくそんなことはなく、ほぼ直感的に、やりたいようにプレーできる。なぜこんな風にできるのか、と考えていたら、答えを教えてくれた人がいた。SoccerCastでも話したのだが、先日KONAMIさんに行って、広報の方に少しお話を聞いてきた。そのときに出た言葉が、まさになるほど、と思えることだったのだ。それは、「これまでのウイイレは、実際にサッカーをしている人、あるいはよく見ている人が、必ずしも上手いというゲームではなかった。が、このゲームは、そういう人の方が上手くプレーできるゲームだろう」という言葉だった。「なるほど!」
プレーしてみると、あるいは他人がプレーしているのを見てもよくわかるのだが、まさに本当のサッカーを「スタジアムで」見ている感覚と同じなのだ。スタジアムでは、多くの人が「そこでなんで走らないかな!」とか、「いま右空いてたじゃんか!」とか、「ピッチ上の選手よりも広く見えているがゆえにたまる不満」をぶちまけつつ見ているものだ。このゲームは、まさにそういう時に、自分の思うとおりに選手を動かせたら、という感覚とものすごく近いのだ。
これは、TVで試合を見る感覚とは相当に違う。スタジアムで、チーム全体を俯瞰してみる癖がついている時の見方とかなり近い。そして、そういう経験を積んでいる人ほど、このゲームになじむのは早そうだ。ポイントして動かすこと自体にはちょっとしたコツがいるが、それも大したことではない。自転車に乗るよりも簡単なコツだ。そして慣れてしまえば、試合を見ていて感じるあの不満を、ピッチ上で解消することができるのだ。これはサッカー好きの人こそが、本当に楽しめるゲームだと思う。
少し前だが、サポティスタで、「Wiiイレで変わるサッカーの見方」という記事があり、2ちゃんねるのスレッドの紹介があった(Wiiイレ=Winning Eleven PLAYMAKERのこと)。そこには、「しかしWiiイレやって、サッカー中継の見方が変わったな。無意識にボール以外のところを見てしまうw」というものに代表される意見が書き込まれている。私もこれにはまったく同感なのだ。Wiiイレをしていると、ボールを持った選手から目を離し、前線やサイドの敵選手の配置を見て、そこのスペースを見出すように、自然となってしまう。スタジアムに行っても、その癖が抜けない。
そしてさらには、敵がこういう配置の時にはこうパスをまわすとここが空いてくる、とか、この選手とこの選手がこうフリーランすると空いてくる、とかも、次第にわかるようになってくる。もちろん実際にはゲームのようにうまくは行かないのだろうが、それでもやはり、いかにスペースを作ることが大切か、そのためにはいかにフリーランが大切かが、身にしみてわかってくる。もともとオシム監督のサッカーを信奉し、「ボールのないところでの動き」が好きな私などにとっては、まさに格好のゲームとの出会いということができた。
サッカーは本来的に、本当の意味での「チームゲーム」なのだと思う。野球はやはり、9人でやるとは言え「1対1」の連続なのだろうが、サッカーは違う。1対1が、2対1にも3対1にも、またその逆にもできる。それがサッカーにおいて「連動すること」が本当に大事な理由なのだろう。このゲームは、そういうサッカーを表現するための手法に、大きな大きな一石を投じた、価値のあるゲームだと思う。サッカー好きの人、そしてオシム監督のサッカーが好きな人に、ぜひやってみて欲しいゲームである。
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さて、私も参加しているSoccerCastでは、KONAMIさんの好意をえて、このゲームを3名の方にプレゼントする企画を実施中です。以下のメールアドレスまで、お名前(ハンドルネームで可です)を書いて、お申し込みください。
soccercastwii@gmail.com
締め切りは4月末日までということです。この機会に「サッカーファンのためのサッカーゲーム」Wiiのウイイレを体験してみませんか?
それではまた。
07:20 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
December 18, 2006クラブW杯は「ワールドカップ」なのか?
クラブワールドカップ決勝に行ってきました。会場には多くのバルサファンが詰め掛けていましたが、そこかしこに本国からの遠征組みとおぼしきインテルナシオナルサポが集団でいて、大きな声での応援を繰り広げていました。会場の雰囲気だけで言えば、インテルナシオナルホームのような試合でしたね。
試合はモチベーションも高く、しっかり準備したインテルナシオナルが勝利、多くの「ロナウジーニョの妙技を味わいに来た」ファンには残念な結果となりました。しかし、インテルナシオナルの選手たちの頑張りに、会場のかなりのファンもちょっとほだされたのか、得点のシーンでは相当な歓声が上がっていましたよ。ブラジル王者の、あれだけの技術を持った選手たちがあれだけハードワークする。そうでないと勝てないのですね。日本も見習いたいものだと思います。
クラブW杯の権威を上げる方法
さて、KINDさん、dorogubaさん、缶詰にしんさんが、「クラブW杯の権威を上げる方法」について非常に興味深い議論をされています。きっかけは、KINDさんの同名のエントリーから。KINDさんはこのように書かれています。
さて表題の件ですが、どうしたもんでしょうかね。「Jリーグから世界へ」を考えたとき、この大会のプレステージが上がってくれないと困るわけですよ。現状はどうでもいいわけですが、将来的にどうでもいいままでは困るわけです。
これに対して、缶詰にしんさんは
けれど、なんとか盛り上がって欲しいって気分はあります。 開催国のメンツって言うよりかは、頂点の大会が盛り上がることで その予選も兼ねるACLが盛り上がってほしいってことでもあり ACLが盛り上がって欲しいのは、やっぱりJリーグが、クラブが アジアと世界とつながってる感覚の上に盛り上がって欲しいからです。
このように書かれています。私もこれにはおおぐくりで賛成です。
現状でJクラブがどうしてもACL(アジアチャンピオンズリーグ)に本腰を入れているように見えないのは、それを勝ち抜いた先のCWC(クラブワールドカップ)が、「どうしても参加したい」「そこで戦いたい、勝ちたい」大会とは目されていないからでもあると思います。それを変えることで、Jクラブが「世界で勝つために」という視線を現状よりも強くもつことになれば、それは日本サッカーのレベルをさらに引き上げていくことに資するでしょう。私はそうなって欲しいと思うものです。
さて、dorogubaさんは少し違う意見をお持ちのようです。
dorugubaさんは、現状FIFAがとろうとしている施策を「世界クラブ選手権に戻るだけじゃないか」として、「世界クラブ選手権は、成功しなかった」とお考えのようです。そして、私の読解が正しければ、その理由は主に「欧州チャンピオンの側の意欲不足」であると書かれていると思います。
私はこれにも賛成です。
ボスマン判決以降、欧州CLが実質世界最高峰の大会となり、そこで勝つほうがCWCで勝つよりもはるかに権威が高くなってしまっています。その状況において、欧州側がどこまで本気でこのカップを獲りに来てくれるのか。あるいは、本気で獲りに来る価値のある大会にできるのか。それは非常に難しいところでしょう。今回の大会でも、バルサのライカールト監督は次のように語っています。
今回は欧州チームがタイトルを取るには複雑な状況があったと思う。相手の方が(タイトルへの)飢餓感が強かった。
しかし、先にも書いたようにCWCが「Jリーグと世界をつなぐ」糸であり、門であると考えると、もっと発展していってもらわないと困る、とも思います。ではどうしたらよいのでしょうか?
日本開催と開催国枠
FIFAのCWC組織委員会は、再び開催国枠を設けたい意向を持っているようです。前回も一回は「開催国枠」が、組織委員会によって上申され、FIFAの理事会によって却下されていますので、まだ予断は許しませんが、一応その方向へ向けて前進を見そうです。
しかし、その時も書いたのですが、「開催国枠があるなら、日本継続開催はおかしい」と私は強く主張したいと思います。
現状日本で続けて開催されているのは、一つは旧トヨタカップ以来の慣性(欧州vs南米の旧トヨタカップが何故日本開催になったかはこちらに詳しい・・・開催地のフーリガンの問題が大きいようです)、もう一つは、主としてお金の問題で「どこも引き受ける国がないから」ということが原因でしょう。つまり、もし「開催国枠ありで日本恒久開催」ということになれば、「日本はお金の力でCWC出場の権利を買い取った」ことになります。これほどCWCの権威を引き下げる行為が他にあるでしょうか!
「もし開催国枠が認められるのなら、日本は継続開催を要求しない」これを日本は(川淵さんは)はっきりと宣言するべきです。そうでなければ、開催国が自らの手で(お金のために!)、大会の権威、価値を引きずり落とそうとしているのだ、ということになります。日本は、そろそろ「サッカー的に正しいこと」を世界に向けて発信するようにするべきでしょう。
クラブW杯の権威とは?
話を戻しましょう。私は「クラブW杯の権威を上げる」とは、「日本での視聴率、観客動員」が向上することだけではないと思います。「世界が大会の価値を認め、欧州からの参加国もクラブW杯を獲ろうと本気を出してくるような大会にする」ということが、その本当の意味になるでしょう。それがdorogubaさんとKINDさんのエントリーを止揚した考え方になるのではないでしょうか?
そう考えると、逆に現状「世界(特に欧州)が何故CWCの権威をそれほど認めないか」ということが問題になってきます。その原因はいくつか考えられますね。
1)欧州CLの方がレベル・権威ともに高い。
2)極東の地、日本で続けて開催されている。
3)毎年開催されている。
1)の問題が最も大きいことは確かですが、これは仕方がありません。CWCがレベル・権威を上げていくことで、それに対抗、凌駕していくことを目指すのが正しいでしょう。
2)3)の問題はどちらも、考えてみれば「ワールドカップ」と名がつく大会としては異例のことであると気がつきます。成人年代のフル代表のワールドカップはもちろん、U-20ワールドカップや、あるいはU-23年代の世界大会であるオリンピックも、各国(ないし各都市)持ち回り開催であり、また2年、ないし4年おきに開催されるものです。この形から大きく逸脱しているのが唯一、CWCであるということになるのです。
この逸脱はもちろん、前身たる旧トヨタカップからの受け継ぎでもあり、また開催にあたり運営面の問題をクリアすることが現状の形でしかできない、ということからきているわけです。さらには、欧州CLやリベルタドーレス杯が毎年チャンピオンを生み出す(したがってクラブ世界一も毎年決める必要がある)ということも毎年開催の原因でしょう。これらの諸条件による「逸脱」が、大会の価値、権威を世界が認めないことにつながっていると私は思います。「各年代のワールドカップは少なくともFIFAオフィシャルな大会だが、CWCはそうではない」・・・世界にはそのように見えてしまっているのではないでしょうか?
解決策?~「当たり前」への回帰
私は解決策として、「世界持ち回り開催」と「開催国枠の導入」をあげたいと思います。
CWCの特殊性、「ワールドカップの常識」からの逸脱のうち、大きな一つを解決するのが、「世界持ち回り開催」の導入です。それであれば、ようやく「開催国枠」が意味を持ちます。「日本以外では、金銭面、観客動員の問題で成立が危ぶまれる」という問題は、開催国枠を導入することで、いくぶん改善に向かうのではないでしょうか?もちろん現行のチケット料金が維持できるかはわかりませんが、開催国が出場しない場合よりは「まし」になることでしょう。
持ち回り開催には副次的効果もあると思います。それは、「欧州では、欧州のクラブは恥をかけない」ということ、「南米では、南米のクラブは恥をかけない」ということになるでしょうか。例えば次回開催がイタリアということになれば、開催国枠とあわせて2カ国、欧州の国が入ってくることになるわけです。おそらく世界レベルと言える試合はそれに加えて南米代表くらいになりますか。そうなれば、欧州代表も気が抜けない、大会のレベルがやや上がる、本気度がやや上がる効果があるでしょう。
(もちろん、旧トヨタカップが日本開催になった理由の一つ、フーリガンの問題は解決しなくてはなりませんが、欧州CLやワールドカップで経験が積みあがっていることに期待したいと思います)
缶詰にしんさんのおっしゃる王道=「スタジアムから盛り上げる」に関しては、まずこの「世界持ち回り開催」「開催国枠設置」によって行われるのがよいのではないかと思います。欧州開催なら、開催国に加えて欧州王者のサポーター、南米なら南米王者のサポーターが自然と来場するようになると、スタジアムが熱くなるでしょう。そして、そういう場ならホームチームは自然と本気にならざるを得ない。そのようになっていって欲しいものだと思います。
(お分かりのように、私は次回を欧州、その次を南米で開催して欲しいと思っています。本来なら立候補国から選ぶのがよいのでしょうが、ここしばらくは「権威向上のため」、「開催するべき(とFIFAが判断する)ところで開催する」でいいのではないでしょうか)
これによって、欧州では欧州の、南米では南米のファンにも、CWCを認知していってもらう。1994年に「サッカー未開の地」であるUSAでワールドカップを開催したのと同じ狙いです。身近でやっていれば、一応は興味を持つ。「あれ、こんなことやってるんだ」「まあわが国で開催されるのはこれっきりだろうから、見に行ってみるか」・・・後者が「希少性」による価値の向上です。そうして「知っている人」「見たことがある人」が増えてくれば、価値を認める人も自然と増えていくでしょう。
何かを考えるときに「目の前の諸問題の解決よりも、それを引き起こしている原因を探してしまう」のが、私の癖のようです。そして「改善」よりも「改革」を求めてしまう。「各大陸持ち回り開催」と、「開催国枠の設置」。当たり前の案ですが、この「当たり前」に回帰することが、最終的にはもっとも正しく、かつ効果的であるように私には思えます。それに付随する各種問題は、「当たり前」への回帰を前提に、努力して解決していくべきではないか、と思うのですね。
それではまた。
05:30 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(5)|
April 26, 2006「オフ・ザ・ボール」というメッセージ
前回のエントリーには、いくつか賛同のご意見をいただいてとてもうれしいです。さて、あれを書いた後、なにか書き忘れたことがあったと思っていたのですが、最近また掲示板の議論を見ていて、はたと思い至りました。それがオシム監督のサッカーを描写する時によく使われる「走るサッカー」という部分です。
この場合の「走る」は当然、ボールのないところでもチーム全員が「走る」ということですから、いわゆる「オフ・ザ・ボールの動き」ということになります。前回書いた、「コミュニケーション・ゲーム」としてのサッカーを愛する私は、この「オフ・ザ・ボールの動き」の整備された、あるいは豊富なサッカーも、同じように好きなのです。それはなぜでしょうか。
コミュニケーション・ゲームとしてのサッカーにおける「メッセージ」は、一般には「ボールホルダーからパスの受け手へ」というものだと考えられているでしょう。パスを出す選手のアイデア、技術と言ったものがそこでは中心になる。昔よく言われた「使う側と使われる側」という言葉も、そのメッセージの流れを重視していることによって出てくるものだと思われます。
しかし、いいオフ・ザ・ボールの動きがあると、それも強烈な「メッセージ」だと私には思えるのです。
「ここへ出してくれ!」「ここのスペースを空けるから、そこを使ってくれ!」・・・観戦している私にも、そういうメッセージが届きます。フォローやサポートの動きも、「俺がここにいるから、お前は安心して上がってくれ!」というメッセージのように見えてくる。それはとても語彙の豊富な、発話者の多いコミュニケーション・ゲームを見ていると思えるのです。そしてそこに「全員参加ゲーム」としての美しさ、楽しさを私は見ます。
対して、オフ・ザ・ボールの動きの少ない、パスが足元、足元につながるサッカーでは、回りの選手がボール・ホルダーの次のプレイを「待って」しまうことがあります。これは私にはどうにも「単線」のコミュニケーション、一人一人がスピーチをするのだけど、あまり「対話」のないそれに見えてしまうのです。そこに優れたテクニックがあっても、ボールをもらってから一人一人が「さあ、何をしようか」というようなサッカーだと、私は退屈に感じてしまいます。
もちろん、上記二つの類例は極端に書いたものであって、どちらもそれぞれの要素を含んでいるのは当然です。オフ・ザ・ボールの動きも、ボール・ホルダーのオン・ザ・ボールのテクニックを信頼できないと思いきりのいいそれにならないし、テクニックの優れたミッドフィールダーも、受け手のオフ・ザ・ボールの動きがなければキラーパスを通すことはできません。どちらか一方だけのサッカーというものは存在しないし、そのどちらも重要であることは論を待たないでしょう。
先日レストランで友人と一緒に、Jリーグ第9節、清水エスパルスvs浦和レッズの試合を観戦しました。個人技に優れる浦和に対して、清水エスパルスはコンパクトに組織的に守り、そこからの攻撃も決してタテ一辺倒ではなく、フォローに来た同僚にショートパスをつないで前に出て行こうとします。むしろロングボールの少なさに、一緒に観戦した友人が「そこは大きくクリヤーだろう!」と叫ぶほどでした(笑)。
それは昨シーズンのはじめごろ、長谷川健太監督が就任して早くから見せていたサッカーの発展形であり、今年の元旦の天皇杯決勝で見せていたそれの、より向上した姿でした。ちょっと「いい内容」のサッカーで、私や一緒に観戦した友人の多くの好みのサッカーでもありました。浦和もよい反撃を展開し、ジャッジが荒れたのが残念でしたが、けっこういい試合を見たな、という気分にさせてくれるものでした。
この清水のサッカーも、中盤の選手のオン・ザ・ボールのスキルがなかなかに高いことによって、当初意図していたことがカタチになってきたと言えます。テクニックのある選手が、労をいとわずに走り回るから、周囲の選手と協力していいサッカーを展開していける。こういうサッカーがJでもさらに結果を出せると、バラエティに富んだリーグになって行けそうで楽しみですね。
現時点での課題はもちろん、このような「全員発話のコミュニケーション」は選手の消耗、疲労が激しいこと。ただ、このサッカーの場合は「一人一人が上手く休むこと」とかよりも、全員で試合をこなしていくうちに、味方の時間帯を大事に、長くすること、どうしても来る敵の時間帯に集中を高めることなどを学んでいく方がよいのではないかと、個人的には思います。
この日の試合は清水が勝ち、天皇杯からの成長ぶりを見せましたが、内容的には紙一重と言えるものでした。どちらのサッカー観が上でも下でもない。どちらにも長所もあれば、欠点もある。さまざまなサッカー観があり、いろいろなサッカーファンがいて、いろいろなサッカーがあるからサッカーは面白い。私は最近つくづくそう思います。なにしろ、世界で一番たくさんプレイされているスポーツですもんね。
さあ、今日もサッカーの「幅」を楽しもう。
それではまた。
05:56 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|
April 11, 2006サッカーの見方、考え方
もう時機を逸した感があるので、エクアドル戦についてはちょっとお休みして別の話題です。こんなタイトルだけど、みなさまに「サッカーはこう見ろ」なんてことを押しつけようなどという、おこがましい考えではないですよ、念のため(笑)。
最近、いろいろとサッカー界でも意見が割れていることが多いですね。ここしばらく考えていたのですが、その一つの原因として、それぞれの人の「サッカー観」の相違が横たわっているのではないかな、と思えてきました。ここではそれについて徒然にお話しようかと思います。
いきなり結論から申しますと、私はサッカーとは「コミュニケーション・ゲーム」だと思っています。もちろん、サッカーのみならずスポーツはどれでも、いやいや人生そのものにおいても、コミュニケーションは非常に重要ですね。そしてその中でも、攻守の時間帯が分かれておらず、11人の選手が非常に流動的に動く(動ける、動かざるをえない)サッカーという競技においては、それこそが生命線、競技としての意味を決めるものではないか、とさえ思うのです。
そういう私にとって、サッカーを見ていてもっとも楽しく、気持ちがいいのは、複数の選手の意図がキレイに連動し、それによって意表を突かれるようなプレーを見ることができたときです。そういう時には、あれよあれよと、こちらの見る目が追いつかないほど選手が連動していき、「なぜそこに出す!?」「なぜそこに居る!?」というプレーが見られたりしますね。私はそういうサッカーを見たときに「美しいなあ」と思うのです。
盟友の発汗さんが「額に入れて飾っておきたくなるような試合」と評した昨年のJ1リーグ第29節、シャムスカ監督率いる大分トリニータvsオシム監督率いるジェフ千葉という一戦には、まさに、「コミュニケーション・ゲーム」としてのサッカーの魅力が満載でした。双方ともに11人が一瞬たりとも休まずに、お互いの間に意図を通じ合わせようと考え続け、動き続け、走り続けている、そういう試合でした。本当にいい試合だったなあと、今でも思います。
こういう見方をする人にとっては、「しっかりと意思の連動した守備組織」というのも、見る快楽になりえます。この試合では両チームともに、全員が連動して高い位置でボールを奪おうという意思統一、それも、その時のフィジカル・コンタクトにいく激しさ、その覚悟まで統一されたような、素晴らしいそれを見せていました。さらに、奪えば全員がパスコースをつくりに散り、動き出し、走りこんで行って・・・そしてボールがその動き回る11人の意思をつむぐように動いていく・・・。実に私好みのサッカーがフィールドの上に90分間展開され、私はすっかり魅了されてしまいました。
さて、興味深いことに、こういうサッカーは各国リーグの中位クラスのチームに良く見られるように思います。考えてみれば、上位チームは(一般的には)大金を持ち、個人の能力の高い選手たちを集めることができる。そうすると、11人が連動していなくても勝ててしまうことがあります。よくいう「戦術は○○選手」という状態ですね。中位以下のチームは、選手個々の能力では劣るところを、力を合わせて、知恵と工夫で何とかしていかなくてはならない。そこにコミュニケーション・ゲームとしての魅力が膨らんでいく理由があるのでしょう。
しかし、世の中には別のサッカーの見方もあります。それはおそらくはサッカーを「テクニック・ゲーム」としてとらえる見方です。一人ひとりがどんなテクニックを披露するか、どんなファンタジーを見せてくれるか、という点でサッカーを楽しむものです。これはこれで実に正しい。私も欧州リーグを見るときはこちらの視点になることも多いです。「なんであんなことをできるんだ?」「ここでそういう発想か!」
私の友人は、先述の大分vs千葉の試合を「そんなにおもしろかったか?」という意見を持っていました。彼はまさに、「個人のファンタジー」によってサッカーを見るタイプの観戦者でした。「だって、そんなにすごいプレーはなかったぜ?」というのです。彼に言わせると、Jリーグではエメルソン以降「すごいプレー」をする選手は影を潜めており、ほとんど見る気がしないそうです(笑)。
さて、この差は、どちらが上とも下とも言うことではなく、単に「サッカー観の相違」ということになるのでしょう。さらに言えば、どちらかの見方しかしないファンは少なく、たいていの人がこの両者の見方のミックスをしており、どちらを重視するかという、バランスの違いだけが差を作り出している、ということなのだろうと思います。どっちが正しい、どっちが間違いということではまったくない。
ただ、繰り返しますが私は「コミュニケーション・ゲーム」としてのサッカーを好み、楽しみます。もっと言えば、個人能力の秀でた強豪を、われらが知恵と勇気と連動性で打ち倒した時、そこに非常な喜びを感じます。フェラーリのようなサッカーではなく、ホンダS600のようなサッカーを。一部のセレブリティのためのスーパースポーツカーではなく、日本の技術者たちが汗と努力で作り上げた、世界で「時計のように精密かつ美しい」と言われたライトウェイトスポーツが、私は好きです。そういうサッカーを、日本では見たいと思っています。もちろんそれは私個人の見方であり、そうではない見方も尊重しますけどね。
さて、願わくは日本代表にも、そういう自分たちの特質を生かした、連動性の高いサッカーをして欲しいのですが・・・。
そうそう、掲示板の方に「現日本代表の連動性」についてのご質問がありましたので、私なりの返答を書き込ませていただきました。こちらに対する補足にもなっていると思いますので、よろしければあわせてごらんいただけると分かりやすいかと思います。
それではまた。
02:55 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(3)|
March 20, 2006クラブW杯、開催国枠認められず
開催国枠とは言え、Jのクラブがあの舞台ではどんな戦いを繰り広げるか、ちょっと楽しみだったんですけどね。少し残念といえば残念です。対アジアの試合よりも、いい戦いをしただろうと思うのですけど。
まあもちろん、ガンバかヴェルディがACLを勝ち抜いて出場するはずですから、それは実現するわけですが。
ところで、この問題に関しては、「クラブW杯をどう捕らえるか」が今後のテーマとなっていくだろうと思います。開催国枠は、他のいろいろなワールドカップでも認められていること。観客数を増やし、大会のクオリティを上げる(&収益を確保する)ために行われているのでしょう。
ちなみに、今年からいろいろなFIFA主催の大会をみんな○○ワールドカップと呼ぶことにしたらしいです。世界クラブ選手権はクラブワールドカップ。ワールドユースはユースワールドカップ、になるという感じでしょうか?それで「いろいろなワールドカップ」という言い方になります。
そのなかで、クラブワールドカップだけ開催国枠がないのも変といえば変です。
しかし、もし開催国枠があるとすると、日本で連続して開催するのはおかしい。日本は継続開催を要望しているらしいですが、それは取り下げるべきでしょう。日本のクラブだけずっと出るなんてね(笑)。その辺がインターコンチネンタルカップから、南米王者と欧州王者の戦うトヨタカップとして、変則的に日本でずっと開催していた状態からのアジャスト中というところ、悪くいえばゆがみが出ているところと言えますね。今回のFIFAの決定は、そこのところの疑問から出ているのではないでしょうか。
追記:この問題は6月に再討議されるようです。川淵さんは諦めずに交渉していくということですが、その際にも「日本だけの特例を認めて欲しい」というよりも、「2回目までは日本で開催するが、それ以降も開催国枠があってしかるべき。日本の継続開催希望は取り下げる」という形にした方がよいと思いますね。
私は個人的には、今後はクラブW杯も各国で持ち回り開催にするなど、総合的な中長期計画をきちんと立てて、その上で開催国出場枠は認めるべき、という方針を立てて欲しいと思います。そして、組織委員会はそういうところの見つめなおしをして、もう一度総合的にFIFA理事会に諮って欲しいと思いますね。
私は、「世界で勝てるJチームを作ろう」というテーマが、Jリーグのレベルアップのため、またそれによる「リーグ全般」のアジアレベルでの人気をアップし、ビジネスへつなげるために、今後重要になってくると思っています。そのためには、クラブワールドカップの順調な発展が必要です。組織委員会は、うまく進めて欲しいものだと切に思います。
それではまた。
03:43 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|
January 27, 2005マルセイユへの旅
中田浩二選手のマルセイユ移籍が決まりましたね。彼個人としては、念願の海外移籍が実現するのだから、めでたいことですね。本人もとてもうれしそうです。
うれしい。移籍はここ3年いろいろとやってきましたが、最後のチャンスと思った。
しかし、彼を送り出す鹿島、Jリーグ全体としては、なかなか問題の残る、釈然としない移籍となってしまったことも確かですね。これは、鹿島としてはおそらく手続きの問題に不満が残り、そして日本サッカー全体としては、現行の移籍ルールで良いのか、そこが問われて来ているということでしょうね。
手続きについては、私は経緯に詳しいわけではないので誰かを非難することはしないです。ただ、問題点の一部とされている「マルセイユの提示金額」については、前回のエントリーでも見たように、「中田浩二を低く評価するがゆえのものではない」のではないかと思います。
日本では年齢に応じた移籍係数があり、それによる移籍金というものが存在するのですが、欧州のルールではそういうものはなく、契約を途中で破棄することによる違約金というかたちをとるわけです。従って、残りの契約期間に応じて金額が変動し、契約が切れた選手が移籍する時は、もといたクラブに入るお金はゼロとなるのですね。これは別に「クラブの足元を見た」とか、「相手クラブを舐めている」とか、「ルールの隙間を突いた」というようなものではなく、欧州で日常的に行われていることなわけです。
(この状況では移籍金という概念自体が存在しないために、それは選手の評価とは直結しない。海外クラブが選手を評価するのは、年俸の額と契約年数によるものだと思うべきではないのだろうか。中田(浩)の場合は鹿島と変わらない年俸、2年半という複数年契約である模様だが)
ここでの鹿島とマルセイユ、そして中田浩二選手(とその代理人)の間のずれは、
A)「契約が1月31日で切れる選手との交渉」ととらえるマルセイユ側と
B)「紙切れの上での契約は1月31日で切れるが、あくまでも自クラブの選手である中田浩二についての、クラブ間の交渉」と考える鹿島
というところにあったのではないかと思います。鹿島が、中田(浩)との口頭での契約延長の合意があったために、B)のように考えることにも理はあると思わなくもありません。しかし、正式な契約ではなかったために、マルセイユ側はA)のようにとらえたし、正式な契約を非常に重視する欧州では、それもまっとうなことなのでしょう。
このような問題が「ファミリー」であることを重視する鹿島で起こったことは、象徴的といえるかもしれません。鹿島は鈴木や柳沢の例を見ても、選手の意思を尊重し、温情的な移籍容認もしてきたクラブだと私には感じられます。それはとてもいいことだと思いますが、今回は流れの中で、結果的に不利に働いてしまった。今後このようなことがないようにするためには、契約は契約として、はっきりと形に残るようにしていく必要があるのでしょう。
■Jリーグの未来を見据えて
そしてもうひとつの問題、Jリーグ全体や、日本サッカー全体の中では、このテーマはどう考えるべきでしょうか。鹿島の牛島社長が
鹿島だけの問題じゃない。プロテクトなども考えないと、次々起こる可能性がある。
というように、この問題はさらに広がっていく可能性を秘めています。中澤も海外移籍をにらんでの半年契約にしたらしいですし、これからも海外志向のある選手たちは、自らの移籍しやすさを優先し、複数年契約を拒否することが多くなるかもしれません。そうなると、移籍金ゼロで海外へ移籍する選手が、どんどん出てくることになってしまう。
それは、Jリーグにとって大きなマイナスではないか。日本が、完全な選手輸出国になり、ほかの輸出国、フランスやオランダやブラジルのように、自国リーグに代表級の選手が一人もいないなどということになるのではないか。しかもその際に、移籍金という形でクラブの財政を支えることもできなくなってしまうのではないか。有力選手を獲られ、クラブとして適切な代価を得られないということになると、クラブがどんどん貧窮化し、魅力あるサッカーを見せることができなくなって行ってしまうのではないか。
川淵会長もこれを問題視し、方策を考えていくようです。まずできることは、各クラブの意識改革ですね。複数年契約を今以上に重視し、有力選手にはなるべくそれを結ぶこと。情の面で問題はあるが、選手から得られる利益を最大化するには?という視点を持つこと。そしてさらに、現時点での制度改革の川淵案としては、
海外移籍を希望する選手には、所属クラブが複数年契約を結び、契約が切れる前年までに契約を更新していくなど
というものがあげられています。つまり、契約切れ状態を作らせないということですね。そういうことに規約上の拘束力を持たせることができるのか、選手が拒否したらどうするのか、「海外移籍を希望する選手」というのをどうやって区別するのか。プロテクトしなくては、という点は基本的には同意なのですが、そういった点を解決しないといけませんね。
というのも、結局すべては選手の「欧州でプレーしたい」という気持ちからスタートすることだからです。それがある以上、選手はプレーのレベルが上がるにつれ、海外を意識するようになる。そして「行けるものならなるべく行きたい」という気持ちから、自分に対する海外クラブのハードルを下げたくなる。複数年契約を拒否するようになる。
これを押しとどめるには、日本サッカーが、Jリーグが、そして各クラブがレベルアップし、選手に「海外でやるよりもJ」と思わせるような存在にならなくては、究極の解決にはならないでしょう。そして、そこから生まれる選手が海外で高評価され、「複数年契約の途中でも高い違約金を払っても獲得したい」と思われるようにならないと。
プロ野球でも、選手の大リーグ流出が続いています。私は野球のことにはまったく詳しくないのですが、ある選手に聞いたところ「大リーグには本当の野球がある」と言っていました。向こうでやることが、お金とか関係なく、「夢」なんだ、と(お金のくだりはどこまでホントかわかりませんが・笑)。そのときの選手の顔は、非常に無邪気な、単なる野球少年のそれと化していました。
そういう流れを制度によって押しとどめようというのは、どうもあまりうまくいくような気がしません。夢にタガははめられないものですから。もちろん、Jリーグの没落を招いてしまうのは問題ですから、制度の変更も必要でしょう。しかし、もっともっと根本的なことに、日本サッカー界も全力をあげて取り組んでいかないといけないということも、今回改めて考えさせられたことでした。
それではまた。
10:03 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(7)|
January 25, 2005中田(浩)選手移籍続報
中田浩二選手の移籍に関しては、新たな記事が出てきました。
鹿島側は中田(浩)選手に、「残留か、ゼロ円移籍か」の決断を求めているとのこと。ゼロ円移籍ということは、これはおそらく鹿島としてはほぼ「縁が切れる」くらいのことなのでしょうね。それもあって、中田(浩)選手は、
育ててくれたのも鹿島。ただ行きたいという強い気持ちは変わらない。
と、非常に悩んでいるようです。
先日のエントリーに書いた「国際ルールでは、契約期間が切れると無償で移籍できる」ということですが、これは武藤さんが記事でかかれたように、ボスマン判決という「EU内で通用するもの」が出発点であったと思います。これが全世界的に適用されているかどうかは、先日書いた時には私は知識がありませんでした(その後武藤さんは訂正記事を書かれています。すばやい対応、見習いたいです)。
実際にはどうか、調べて見るとFIFAのこのページに行きつきました。ここでは「無償で移籍できる」とは書いていないのですが、
契約期間が切れている場合は、その選手の所属するサッカー協会は移籍証明書を発行すること(大意)
などとなっていて、契約の切れた選手を拘束できる条項はなく、どうやらやはりFIFAのルールでは、「契約の切れた選手は無償で移籍できる」ものではないかと思われます。私も英語が得意ではないので、間違っているかもしれませんが…(もし誤りであったらご指摘願います)。
さて、もう一つ気になるのが、一部のスポーツ新聞などで
契約の切れている選手は、欧州の移籍期間が終わっても移籍できる
と書かれていることです。ご存知のように中田(浩)選手の契約は1月31日まで、そこを過ぎるとフリーになるのですが、欧州の冬の移籍期間が同じく1月31日までで閉まってしまうので、そう簡単にフリー移籍はできないものだと私は思っていました(いくらなんでも、欧州との時差の、空白の何時間かで移籍はしないでしょう)。例えば6月まで待って、そこで契約とか、ですね。
「契約の切れている選手は、欧州の移籍期間が終わっても移籍できる」…これは本当なのかどうか?先のFIFAの条文を読んでも、どうにも理解ができません。もし本当なら、2月1日以降にマルセイユと中田(浩)選手は焦らずに契約をすればいい、ということになりますね。…本当なのでしょうか?
そう考えると先の、鹿島が中田(浩)に求めている「残留か、ゼロ円移籍か」という条件が意味を持ってくるように思えます。もしかすると、
1)日本もFIFA―ボスマンルールに従わなくてはならない。(仮)
2)2月1日以降も、契約の切れている選手は移籍できる。(仮)
本当かどうか分からないので(仮)としています。
という二つの条件から、「手続き面で中田(浩)選手を引き止めるのは無理」という状況ができあがっていて、問題は中田(浩)選手の気持ち一つ、になっているという事の顕われなのかもしれません。あくまでも、もしかすると、ですが。
いずれにせよ、もうすべては中田浩二選手の「気持ち」にかかっているということでしょうね。私は、海外移籍をかならずしも奨励する物ではありません。日本選手が、出場機会を得られずベンチを暖めることが多い状況は、向こうで評価を得ることの難しさを示しています。海外への挑戦は、もちろん意義はあるが、選手が失ってしまうものも多いと思うからです。
しかし、逆にこれは千載一遇のチャンスであることも確かですね。トルシェ監督はマルセイユにずっといるとは限らないわけですが(笑)、いる間は他の監督よりも現時点で中田(浩)をよく知っており、おそらく試合に出場させる可能性もより高いであろうと考えられます。これからも移籍の話は来ると思いますが、こういう機会はそうそうないでしょう。
しかし、お世話になったクラブに移籍金を残せないということも、中田浩二選手としては心苦しいでしょうね。あとは彼にとって、サッカー人生をどう考えるかという事でしょうか。どちらを選ぶにしても、悔いのないようにして欲しいものですね。
それではまた。
07:13 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(8)|
January 23, 2005日本にもボスマン判決の波が!
うわさの中田浩二選手のマルセイユへの移籍ですが、中田(浩)選手自身は行きたいようですね。しかし、
鹿島に何年もお世話になっているし、勝手にいくわけにはいかない。うまく話し合えればと思う。とも考えているようです。
中田(浩)選手と鹿島の契約は1月31日まで。新たな契約を結んでいないので、そこを過ぎれば中田(浩)選手はフリーとなり、どこのチームへでも無償で移籍(移籍金ゼロで!)できるのです。それが国際的な現在の移籍のルールになっているそうです。これは「選手の権利を守るため」に、ボスマン判決以降、実施されているルールであるようです。
考えてみれば、「労働者の権利」としては当たり前のことかもしれません。例えば「私がA社との契約を終えた後でも30ヶ月、A社から次の会社との契約について拘束される」と思うと、とんでもないことのように感じられます。かつては「保有権」という形でクラブの力が強かったわけですが、それでいいのか、という見直しが、ボスマン判決以降になされたということでしょうね。
翻って日本では、移籍に際し、まず「年齢別係数」というもので、移籍金を算出します。次のように定められているようです。
移籍先クラブ | J1 | J2 | JFL | ||||||
移籍元クラブ | J1 | J2 | JFL | J1 | J2 | JFL | J1 | J2 | JFL |
満16歳以上 満22歳未満 | 10.0 | 2.5 | 9.0 | 2.5 | 9.0 | ||||
満22歳以上 満25歳未満 | 8.0 | 2.0 | 4.0 | 2.0 | 4.0 | ||||
満25歳以上 満28歳未満 | 6.0 | 1.5 | 3.0 | 1.5 | 3.0 | ||||
満28歳以上 満30歳未満 | 3.0 | 0 | 1.5 | 0 | 1.5 | ||||
満30歳以上 満31歳未満 | 1.0 | 0 | 0.5 | 0 | 0.5 | ||||
満31歳以上 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
中田(浩)選手は25歳以上、28歳未満に相当し、係数は6倍。仮に5500万円の年俸だと、3億3000万円になるのですね。さらにこれは、契約期間満了後も30ヶ月間(2年6ヶ月)は請求できることになっています。しかしこれは日本国内だけのルールであり、国際的には通用しないわけです。
以上のことから、国際的なルールでは「あと2週間たてば無償で移籍できる」中田(浩)選手にたいし、マルセイユは8000万とも、2600万ともいう移籍金を提示しました(ダバディさんは、「3000万は誇張」と言っていますが)。一部では「日本を舐めてる!」という意見もあったようですが、以上の欧州ルールから考えると、そういうわけではないようです。マルセイユの強化担当ドュウフ氏も、単に国際慣行で妥当と思われる金額を算出しただけなのでしょう。
欧州では、「移籍金ゼロでの移籍」を避けるために、有力選手には複数年契約を結ぶことが当たり前になりました。そうすれば、残りの契約期間に応じて移籍金を得ることができるためですね。そうでなければ逆に、契約の切れた選手を、彼の意に反して引きとどめる手段はないわけです。このあたりはJ-KETでの、欧州在住者さんとのやりとりで、理解が深まった部分ですね(リンク先はスレッド全部になっています。真ん中より少し下、[23465]の書き込み以下をご覧ください)。
日本では、まだそれほど選手の大型移籍が一般的ではなく、また終身雇用制度の精神的影響や、「チームから受けた恩」などを選手が重視している状況、そして先の国内での移籍金基準、30ヶ月ルールなどにより、クラブがこのことに危機感を感じることが少なく、複数年契約や、契約途中での契約期間延長がそれほど重視されてこなかったという経緯がありますね。鹿島もそうだったのでしょう。
Masatoさんは-「鹿島のフロントの無策」が原因。-と書かれていますが、さすがにそう言い切ってしまうのはかわいそう(泣笑)と私は思います。が、そういう側面も完全には否定できないなとも感じます。これからは各クラブも、いつこういうことが起こっても大丈夫なように、複数年契約などの方策をもっと練っておかないといけませんね。選手の側の気持ちとしては、やはり、海外でやるのが夢である選手は多いでしょうから。
代理人の田邊伸明さんのBLOGのコメント欄では、より突っ込んだ議論がなされており、「選手が、複数年契約を希望しない」という状況も報告されています。それによって、将来の海外移籍をしやすくしようという考えのようです。これについてはクラブ側ががんばって、「選手の海外へ行きたいという気持ちを上回る条件」を、何とかして提示しないといけないのでしょうね。
それが金銭なのか、契約年数なのか、それ以外のもの、例えば海外に負けないほどのサッカーの質、チャレンジングな目標などなのかは、わからないところですが・・・。世界クラブ選手権への挑戦なども、その中に入ってくることでしょう。それらを含めて、Jリーグが、Jのそれぞれのクラブが、「海外移籍よりもすばらしい」ものとして選手に選ばれるようになる、そういう時代が早く来てほしいものだと思います。
ただ今回は、マルセイユ側の説明不足もあり、鹿島も感情的に受け入れることができない状態となっているように思います。そうなると、中田(浩)も「鹿島から受けた恩」などを考えて、今回は見送るのじゃないかなあ。私も円満に決着すれば移籍したほうがいいと思うけど、もめるようなら、見送ったほうがいいと思いますね。日本代表で活躍すれば、まだまだ海外移籍のチャンスはやってきますよ。
それではまた。
06:27 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(5)|
January 13, 2005高校選手権のすばらしさと今後
いやあ、白熱した、気持ちの伝わってくるいいゲームでしたね!両校の選手、関係者の皆様お疲れさまでした。そして鹿児島実業、優勝おめでとう!(ちょっと遅れてしまいましたが)
鹿実岩下君、市船渡辺君の統率するDFラインが組織的によく守り、相手の攻撃の芽を中盤で摘む。ようやくそこを突破しても、数少ないチャンスは最後の瞬間に体を張って守る。両者守備がいいので、なかなかチャンスを作ることができません。
鹿実のほうが大きな展開、裏への意識やダイレクトプレーの意識が高く、押している時間が長かったですね。全体として、攻める鹿実、守る市船という構図だったでしょうか。市船は、準決勝でも感じた展開の小ささ、スピードの遅さ、要所で足元、足元へのパスになるところが、鹿実の速い、体を張ったプレスに引っかかってしまい、持ち味が出せない状態でした。
しかし、それでもしっかりと守り、結局両者ゆずらず0-0で延長へ。
延長でも、このハードスケジュールにもかかわらず、走り続ける、プレスをかけ続ける選手たち。すごいですね。
そして結局延長でも0-0のままタイムアップ、PK戦に突入します。鹿実GK片渕君が市船の3人目のキッカーを読みきって右へ飛んでセーブ、さらに市船の4人目がポストにキックを当ててしまい、鹿実の優勝が決まりました。PK船を何度も経験してきた今年の市船、その分研究されてしまったでしょうか。
なかなかビッグチャンス、シュートチャンスの少ない試合でしたが、これだけ楽しめたのはやはり両者の気持ちがびんびん伝わってくる試合振りからでしょう。
アナウンサーがしきりと「高校サッカーの素晴らしさ」を強調するんですが、そんなものいりませんよ(笑)。言葉で言われるよりも、見ていればわかるから。そういう試合でしたね。
さて、こちらに高校選手権の、川端暁彦さん(エル・ゴラッソ)の総括があります。こちらに書かれているとおり、高校生年代のタレントがJクラブのユースチームにシフトするようになって来たのが、今大会の小粒感につながってきているのでしょうね。
高校選手権は日本テレビが放映してくれて注目度も高かったですね。しかし、最近次第にJユースに押されてきていることが、ここ数年選手権の実況アナが試合中に何度も「仲間と出会えて青春を燃やせる高校サッカー部は素晴らしい」と強調する理由のひとつなのでしょう。
しかしやはり、Jリーグが創設されたことで、サッカー選手の大舞台、大目標が変わって来、「高校選手権が最終目標」ではない選手が増えてくるのは、これは時代の趨勢というものでしょう。優秀な選手であればあるほどそうなるはずで、そういう選手が高校サッカー部ではなくJユースを選ぶことが出てくるのも、「選択肢の広がり」としては素直な姿ではないかと思います。
そうなると、これまでのように有力高校に人材が集中するということはなくなりますから、全体としては注目が拡散する、高校選手権への注目度は相対的に低下していく、ということになりますね。これも自然なことだと思います。これからはそれほど過度な注目を集めることなく、「高校サッカー部にとっての晴れ舞台」として、選手権は存在していくようになるのでしょうね。
優勝した鹿実の松沢総監督がTVのインタビューに答えて、「高校サッカー仲間として、高校サッカーを盛り上げたい」とおっしゃっていました。この日の選手たちの、監督の姿に感動した身からすると大きく頷いてしまうのですが、冷静に考えると、高校選手権自体の注目度がかつてのようになることは、基本的には難しい。そしてそれはそれでもよいのだ、と私は思います。
それとは別に、トッププロを目指す選手はJユースに進路を取ったり、あるいはやはり有力校で切磋琢磨する道を選んだりと、これまでよりも幅の広い選択肢をもつことができる。それもよいことだと思います。そして、高校サッカー部の有力校は、それらのトップレベルを求める選手たちから、自分の実力を最大化できる進路として「選ばれる」存在にならなくてはならないわけですね。
でも、この日の決勝を見ていたら、こういう素晴らしい指導者の皆さんがこれだけの情熱を傾けておられるのだから、これからもそれはきっとできるに違いない、そう思いました。
ところで、ユースの育成の話に関しては第4回フットボールカンファレンスのほうでまたいろいろと講演があったようです。実際に講習を受けられた湘南蹴鞠屋さんがレポートをしてくださっています。エル・ゴラッソでも今後報告があるとのこと。楽しみですね。
それではまた。
02:14 AM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
January 10, 2005大久保、胸を叩く
大久保選手がスペインリーグでなんとも鮮烈なデビューを飾りました。1得点1アシスト、すばらしい、文句のつけようのないデビューだと思います。うれしいですね!
大久保はルイス・ガルシアと2トップのような、1トップ下のような形で先発します。敵は今期13位と低迷しているとはいえ強豪デポルティボ・ラコルーニャ、試合はマジョルカホームでありながら、デポルティボがボールを支配する展開で始まりました。
大久保には最初は今ひとつボールが回ってこず、また本人のプレーも硬かったような印象があります。しかし、30分くらいに大久保がキープしてファウルをもらったプレー、その後、右サイドでヒールで流したトリッキーなドリブルをしようとして敵に引っかかったあたりから、チームメートが「こいつ、やるじゃん」と見る目を変えたような感じがしました。
大久保にボールが回りだし、彼の技術でボールを落ち着け始めると、次第にマジョルカペースの時間も長くなってきます。彼がデビュー戦ながらも自信を持って、自分の技術を臆さずにしっかり発揮しようとしているのが、上手く機能し始めているようでした。
後半8分、デポルティボのルケが中盤から長いドリブル、ディエゴ・トリスタンがポストになってヒールで浮かせてラインの裏へちょこんと出したパス、スピードを落とさずに入ってきたルケが軽くシュートして、デポルティボが先制します。
その後、11分、右サイドから大久保、アーリー気味のクロスを中央へ、ルイス・ガルシアがDFと競り合いながら、技巧的なふわっと浮いたヘディングシュートを決め、マジョルカが追いつきます。大久保、リーガ初アシスト!
もうこのあたりでは完全に大久保はチームの信頼を勝ち得たようで、ボールを奪ったらまず大久保を見る、という気持ちにほかの選手がなっているのじゃないかというぐらい、ボールがよく回ってきます。特にDFラインの裏にボールを出し、大久保を走らせてそこから攻めを構築する、というやり方でマジョルカはペースをつかめるようになっていきます。
しかし、17分にデポルティボ、ムニティスが右サイドから中へ切り込みつつ左足の強烈なシュート、GKがはじいたところをルケがドカンと押し込み、再び追加点を上げます。これで1-2。
その直後、右サイドから早いリスタート、カンパーノのクロス、中央にはアランゴと大久保、大久保はキーパーとDF二人を前にして、下がりながらGKの上を抜けてゴールの上のほうに突き刺さる難しいヘディングシュート!ゴール!大久保、リーガ初得点!
(左は、そのプレーの雰囲気の画です。稚拙ですみませぬ。クリックすると拡大します。それと、こちらに、ゴールシーンがあります。何度見てもすばらしい(笑)
その後も一進一退の攻防が続きますが、もう攻撃はほぼ大久保中心といっても過言ではないくらい。何度もチャンスを迎え、何度もチャンスを演出。しかし、そこはデポルティボのDF陣、集中してなかなか追加点は許しません。
33分には、大久保へスルーパスが出てました。デポルティボのDFにカバーされてしまうのですが、もうサポは大歓声!サポーターの信頼と、大きな期待もこの試合で大久保は勝ち得たようです。
結局試合は2-2で終了。大久保はそのスピードと技術、そしてハートで、マジョルカの大きな戦力となりうることを、この試合でとりあえず証明したといえるでしょう。ゴール後、サポーター席に向かってドンドンと胸を叩く大久保。やっぱりハートだ、このマークだ、ということでしょうか。
試合後のインタビューでは「ゴールが決まった瞬間は夢かと思いましたよ」「試合前は何も考えていなかったです。あれ、Jリーグかなあ、みたいな感じで」と相変わらず(笑)。そこも頼もしいですね。
新年早々、なんともうれしいニュースですね。それではまた。
05:08 AM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(4)|
January 08, 2005高校選手権準決勝
■国見の最大の敵は、風?(笑)
高校選手権準決勝は、国見vs鹿実という九州対決となりました。
試合前の予想としては、国見の強さに鹿実がどう対抗するか、というものだったと思いますが、試合は立ち上がりからそれを覆す展開となります。
前半、国見は逆風で、いつものサイドにロングボールを送り込んで基点を作るプレーが上手く行きません。ロングボールが途中で失速しちゃうんですね。それプラス、鹿実のディフェンスラインを岩下君がうまくラインコントロールして、スペースを作らせない。「最大の敵は風ではなく、巧妙な鹿実DFラインだった」と言うべきですね。前半はそれで国見は苦労していました。
逆に、鹿実は国見のお株を奪うようなロングボールを左右スペースに送り込む。バランスがいいので、そこからのこぼれも拾えていく。国見のマンマークディフェンスは、2列目3列目から連動して攻撃されて混乱していましたね。そうして鹿実は、前半の前半、相当国見を自陣に押し込んでいました。国見は忠実にセーフティーなクリヤーを心がけるのですが、そこから鹿実はロングスローを山のように飛ばす(笑)。
そうこうしているうちに、西岡君がこぼれだまをゴール前に送り込んだクロスが、風に乗ってそのまま国見ゴールへ飛び込んでしまう。キーパーは戻りながら手を伸ばしたんだけど、跳ね返せなかった。鹿実先制!
その後一瞬流れが国見ペースになるんだけど、またすぐに取り戻される。そしてそれまでと同じような展開に。前半終了間際、国見はテクニックのある本吉君を入れる。何とか中盤で基点を作ろうという意図でしょうね。
後半、サイドが変わって、風上に立つ国見。ところが、本吉君を入れたことがここで効果を発揮してしまい、後半になってもいつものロングボールよりも中盤を経由した戦いを選択してしまいます。そうではないんだ、ということでしょうか、「ハーフウェーラインあたりからでもロングクロスを入れろ」と国見選手に指示が出たようです。しかし、なかなかそれもできていかない。時間とともに、確かに攻めの圧力は増していくんだけど、岩下君を中心にあわてずしっかりと守る鹿実。
鹿実は、山下君と栫君、坪井君のコンビから、特に栫君がしばしばチャンスを迎える。後半でGKとの1対1が2、3回ありましたね。どうにも決められなかったですが。しかし、その栫君の決定的チャンスから迎えたCK、そこからのこぼれをボランチ赤尾君が見事なミドルを決めて(DFに当たりましたが)、2点目!
国見は「利き足は頭」という中筋君を入れてロングクロスからの攻撃をさらに強化しようとしますが、これもなかなか機能しない。さらに、GKにキックがいいという菅君をいれ、FKのシーンでは彼が蹴ったりもしたのですが、それも功を奏さず試合終了。
国見は決勝進出ならず、鹿実のバランスのよさが目立ったゲームでした。岩下君のコントロールするDFラインだけではなく、ボランチやアウトサイドのポジション取りもよかったですね。DFラインがボールをクリヤーするたびに、アナウンサーの「また岩下だ」という声が印象に残りました(笑)。
■テクニック・ポゼッション・ミラーゲーム?
第2試合は星稜vs市船、第1試合とはうって変わってグラウンダーのパスを足元でつなぐサッカーの応酬になりました。まるでチャンピオンシップと天皇杯決勝の対比みたい?(笑)どちらのチームもよくコントロールされた4バックで組織的に守備をして、そこからテクニックを生かして攻めていくという点でよく似ていました。
序盤、星稜がロングスローからこぼれだまをシュート、それをエリア内で受けてまたシュート、というプレーで早々に得点をしてしまいます。市船DFの死角から現れた田宮君は見事でした。
そこからペースの奪い合いになりますが、序盤は星稜ペースかな。そこからあせらず落ち着いてペースをつかみにかかる市船。次第に市船の守備が星稜の攻撃を上回るようになって、市船の左サイドに基点ができ、そこから右へ流したボールが小山君に。うまく横へ切り替えしてシュートコースを開いてゴール!
前半は1-1とはいえ、市船優位で終了ですね。
ただ、第1試合と比べると全体に展開がやや小さかったように思いました。それと市船の、自陣でつなぐときのショートパスのスピードがえらく遅いのが気になりましたね。受ける選手のトラップミスを気遣ってなんだろうけど、ちょっとどうでしょうか。むしろ敵に狙われやすく思えます。そういう意味では、同じテクニック派でも、星稜のほうが力強さやスペースへの意識を感じさせてくれました。
後半も市船ペースに思えました。星稜の本田君はゴール近くでは消されていて、下がり目から何度かいい「組み立ての第一歩」のパスを出すのですが、違いを作り出せる選手はゴール前にいたほうがよかったか。なかなか攻撃が展開していかない。
そんななか、足のものすごく速い白山君が市船に投入されます。星稜のDFラインの背後へのスルーパス、遅れてスタートした白山君があれよあれよとDFを追い抜いてGKと1vs1、それを冷静に決めてしまいます。これはちょっとすごいゴールでした。これで2-1と市船が逆転。
そのまま時間が過ぎていく中、星稜は最後の攻めに出ました。橋本君がドリブルで強引に仕掛けていく、本田君がエリアの中でテクニックを発揮する。あわやPK、というシーンもありましたが、なかなかその攻めが点に結びつかない。しかし、この辺の攻めの大きさ、迫力、技術は私には今回の市船よりも魅力的に見えました。まあ判官びいきかもしれませんが(笑)。
しかし、後半ロスタイム、最後のワンプレーとなるだろう星稜のCK、選手全員が市船ペナルティエリア内へ。ファーまでするすると抜けていったボールを大畑君6がトラップ、冷静なシュートがゴールに吸い込まれました。もうホントにホントに最後の瞬間。市船がボールをセットし、キックオフした瞬間にホイッスル、タイムアップ。
そこからPK戦で、4-5で市船の勝利でした。しかし、PK戦の途中、5人目まで終了したところで中継を打ち切るTV局には、日本全国のTVの前で怒りの声が上がったことでしょう。各局とのバランスで致し方ないことかもしれませんが、十分に予想できることなのですから、事前にもっと調整をしておいてほしいものです。
準決勝は両試合とも、「かみ合う」チームとの対戦となって、しかもどちらにも意地や夢があり、熱く、とても見ごたえのあるゲームとなりました。
決勝は鹿実vs市船。ともに伝統校、しかしスタイルはけっこう違いそうで、これも楽しみですね。
それではまた。
04:53 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|
December 27, 2004クリンスマン監督談話
街はとても混んでいましたね。飲食店によると、「今年のクリスマスは長くてよかった」とのことです。23から26までクリスマスディナーが取れたとのこと。まあ景気に貢献してくれたら何よりですが(笑)。
さて、こちらにアジアツアーを終えたクリンスマン監督の談話が出ていますね。若手への切り替え、サッカースタイルの変更、模索、それらが上手く行っているという認識が、誇らしげに語られています。その中でも私が興味を引かれたのは次の一節でした。
大切なのは、選手たちが『すべての約束ごとはチームのためだ』と、私たちの哲学を理解した上で発展していくことだ。積極的、刺激的な攻撃を展開するという、指導陣のアイデアを自ら体得してほしい。
ここで、指導する側が「指導陣」「私たち」と複数形で語られているところが、私には印象深かったですね。ご存知のようにクリンスマン監督は、監督をするのが始めての方です。にもかかわらずチーム変革を成し遂げつつあるわけですが、それはこの「指導陣」「私たち」という言葉にあるように、複数の意思、考えをつむぎ上げた上でなされていることではないか、と思うのです。
ドイツでは、こちらにあるように、サッカー選手の育成から国を挙げて改革しようとしていますね(リンクはアマゾンアフェリエイトです)。この中では、ユース年代から「ボールを中心とした守備」を教えていったりしているわけですが、このような国内の取り組み、知識の集成が、代表チームの「指導陣」に取り入れられ、反映されていっている。そしてそれが、あのドイツ代表の、変革の進んだモダンサッカーに現れている。そういう状態にあるのではないか、と私は思いました。
追記:ここまで、湯浅さんのこのインタビューを読まずに書いたのですが、今日見てみたらその通りのことが書いてありますね。興味深いことです。
思えばこれまでにも、監督経験がなく代表監督になり成功した方々はいくらかはいるのですが、それはこの場合のように、自らが監督する国と同国人であり、 「国内のサッカー界の考え方、取り組みの集成を利用できる、あるいはその先端にいることができる」人々だった場合が多いのではないかと思います。
さて、ジーコ監督はもちろん日本人ではありませんが、Jリーグでプレーし、さらに日本サッカーに長くかかわり、半分以上「日本サッカー人」であると言ってもいいと思います。上に書いたような「日本サッカー界の考え方、取り組みの集成」を利用しているか、あるいはその先端にいることができれば、ジーコ監督もこれからさらに成功することができるかもしれません。
ところで、また悲しい災害のニュースが飛び込んできたわけなんですが、サッカー選手も影響を受けているようですね。イタリア代表のそうそうたる面子の名前が出ています。
選手たちの無事を祈りつつ、被害を受けた皆様には心よりお見舞いを申し上げます。
それではまた。
08:32 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
December 24, 2004SO THIS IS CHRISTMAS・・・
ドイツW杯アジア最終予選初戦、北朝鮮戦直前の強化試合、カザフスタン戦、シリア戦に向けた合宿に参加する日本代表メンバー23人が発表になりました。
目新しいところでは、新潟とのチャリティーマッチにも参加した中盤の阿部選手(市原)が収集されており、そして怪我から回復途中で、所属の浦和レッズでも短時間ながら出場を果たした坪井選手、同じく怪我でしばらく代表から離れていた久保選手といったあたりが、再びメンバーに名を連ねています。
この23人に、欧州組の7人(小野、中村、中田英、稲本、高原、柳沢、大久保)を加えたところで、北朝鮮戦は戦っていくのでしょう。基本的にはアジア杯を制したメンバーが中心になる。対アジアの最終予選を考えた場合には、これはきわめてロジカルな選考だと思います。
この時期に発表したということは、これからオフを迎える(もう迎えた)選手たちに対して、「君たちの始動は、1月17日だよ」「オフの過ごし方を考えておくように」というメッセージということでしょう。そういう意味で久保、坪井といった選手たちも、メンバー入りということになったのだと思います。
ただ、久保は「1月19日にリハビリ再開」という状態らしく、無理はできそうにないですね。それでも「君たちもファミリーなんだよ」と伝えておくことは意味があるともいえそうです。
小野は、やはり手術ということになったようです。北朝鮮戦も大事ですが、サッカー人生はまだまだ長いわけで、じっくりと治して欲しいですね。
そして、稲本はウエストブロミッジから2部カーディフに1ヶ月の期限付き移籍が決定したとのこと。これで出場試合数が増えれば、北朝鮮戦へ向けて試合勘を取り戻すには、よいことのように思います。
さらに、パラグアイのグアラニに行っていた福田健二選手ですが、メキシコリーグのパチューカに期限付きで移籍らしいですね。欧州に比べて情報が少ないですが、こういう海外で活躍する選手が増えていくのはうれしいです。
応援してくれる皆様に少しでも良いニュースが届けられるようにがむしゃらにやります
コメントも福田らしい(笑)。
世界はクリスマス。戦争もお休みになる日です。こんな日は、敵も味方も関係なく、世界中のサッカー選手の活躍と、あらゆるサッカーファンの幸せを願いたいですね。
Happy christmas!
それではまた。
04:40 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
December 01, 2004サッカー三昧
今日は福岡-柏の入れ替え戦、そして新潟-ジーコジャパンドリームチームの中越地震復興チャリティーマッチ、明日はもうチャンピオンシップと、サッカーイベントが盛りだくさんでついていくのがたいへんです(笑)。
まずは入れ替え戦ですが、これはTV中継がなく、ネット中継で観戦しようとしました。ところが、なんとも繋がりが悪く、やっと繋がったと思ったら画面が凍っては時々動く、いわゆる紙芝居状態になってしまって、試合展開がまったくわかりませんでした。アクセス数が予想を大幅に上回ったのでしょうか?入れ替え戦も、やはり多くの人の関心を集めるものですから、TVでの中継をして欲しかったなあと思います。
しかし、音声で聞いただけですが、福岡サポーターの大音量の応援は凄かったですね。胸に迫るものを感じました。私としてはどちらを応援するということもできない、「両方昇格(残留)して欲しい」という複雑な気持ちですが、しかし福岡サポのあの「魂」は、きっと届いているように思えます。次は拍での試合、両チームとも悔いのないよう、力を出し切って欲しいですね。
それから中越地震復興チャリティーマッチ。こちらはNHK総合で中継がありました。カズやゴンを筆頭にする功労選手たちがそろうジーコジャパンドリームチームと、アルビレックス新潟の試合。ジーコ監督は大方の予想通り、功労選手たちをスタートから起用し、徐々に若手へと切り替えていく選手交代を行いました。
駒野、大黒、阿部、村井、といった選手たちが加わって、「ジーコジャパン定着へのアピール」みたいな注目もより集まったわけですが、まあこのような試合でそれをうんぬんし過ぎるのも野暮というものでしょう(笑)。新潟の観客のみなさんが、この試合を楽しんでいただけることが一番です。ジーコをはじめとして選手たちは、被災地への訪問も行っていましたね。これは本当にいいことだと思います。
そして、つくづく思ったのは、「ジーコってこういうことが似合うなあ」ということでした。これはくさしているのではなく(笑)、本当に素直な気持ちですね。交代で下がっていくカズと抱き合って挨拶している時には、ちょっとじんと来ましたよ(カズと城の交代のシ-ンにもうるうる来たのですが・笑)。そういう意味では、ジーコはすでに(日本代表監督就任前から)「日本サッカーの重要な一員」なのですね。
サッカーを文化として扱い、それを社会と有意義にかかわらせていく。こういう活動には、ジーコはまさに適任だなあと感じました。そしておそらく、ジーコの頭の中では、「日本代表」もそれに近い存在なのでしょうね。またすこし、ジーコのことが理解できてきたような気がします。
さて明日はいよいよ「最後の」チャンピオンシップ1戦目ですね。これも見所のある試合となりそうです。楽しみですね。
それではまた。
04:28 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|
November 30, 2004totoとサッカーファンライフ
totoの売り上げが減少し、危機的な状況にあるようです。これについては、以前J-KETのほうで活発な議論が行われていて、さまざまな意見に触れることができ、私の理解も深まりました。低迷の原因としては、当時も言われていたように、やはり「あたりにくさ」が大きな部分を占めると思われ、今回はそれを視野に入れた改革を考えているようですね。
今年9月の中央教育審議会のスポーツ・青少年分科会は、当たりやすいくじの販売などを了承し、文部科学省令で100万通り以上となっている組み合わせ総数も改正される見通し。13試合の結果をあてる現行方式は約160万通りの組み合わせだが、センターは243通りとなる5試合まで対象試合数を減らすなど当選確率が上がる新くじの導入を検討している。
243通りってのは当たり易過ぎるのでは・・・(笑)?それはともかく、その他に当時J-KETで議論されていた問題点としては、
P1)プロサッカーそのものの体力
P2)日程のわかりにくさ←代表戦、2ステージ制、J1とJ2が混在していること、などに起因。
P3)売り場数の少なさ、買い方の手間(スタジアムでは売れないのか?)
P4)予想の難しさ←試合数の多さ、J1とJ2の混在に起因
P5)金曜までに買わなければならないこと
P6)予想屋のレベルの低さ
などといったところがあるようです。一つ一つ見てみましょう。
A1)プロサッカーそのものの体力
これは、アルビレックス新潟その他の盛り上がりや、来期からの通年リーグ制、浦和の優勝(笑)、などなどによって、次第しだいに改善されてきているようにも思います。Jリーグの観客数も毎年増えていますよね。楽観のし過ぎはいけませんが、J参加希望クラブの増加などを見ても、よい方向へ向いてきていると感じます。
A2)日程のわかりにくさ←代表戦、2ステージ制、J1とJ2が混在していること、などに起因。
来年は通年リーグになりますね。それで改善される部分もあるでしょうし、またくじ対象試合数の減少が行われるなら、J1対象ならJ1だけ、J2対象ならJ2だけのスケジュールを気にすればよくなります。
ただ、それですべてが改善されるのではなく、重要なのは「その認知を徹底して図る」ということだと思います。totoの低迷が叫ばれだしてから、totoを「盛り上げよう」という対策、具体的にはTVCFなどはいくらかありました。しかし私は、一番大事なのは元気を出すことではなく、「今回のtotoは明日締め切り!」というような「告知」を、徹底して、購入締め切りの前には必ず行うことだと考えていました。もちろんTVCFでなくてもかまいません(TVは一番お金がかかるのです)。それよりも新聞の突き出し(小スペース広告)、あるいはラジオの時報、ネットのバナー広告、などなどに必ず告知を出すこと、そして「告知を見たら買いに行く」という習慣をつけてもらうことが必要だと思います。
また、もちろんシーズン当初に通年のスケジュールを網羅した小冊子(システム手帳に組み込めるものとか)を配ったり、携帯からのスケジュールへのアクセスを容易にしたり(登録すると締め切り前日にディスプレイに告知が届く、とか)といったことも有効でしょう。
さらには、P5「金曜までに買わなければならないこと」もこれに関係してきます。金曜までは、仕事のある人はなかなか今週のtotoのスケジュールをチェックできません。それも、土曜、Jリーグキックオフの例えば1時間前まで買えるようにしたりすることで(システム上難しいかもしれませんが)、かなり改善されるはずだと思います。
A3)売り場数の少なさ、買い方の手間(スタジアムでは売れないのか?)
コンビニでの販売も、「会員のみ」というとっつきにくさで起爆剤にはなりえませんでした。以前議論されていたスタジアム販売も実現していますが、「来週(よりも先)の予想をする」という点が気が長すぎる(笑)のか、またスタジアムに来たら「totoよりも応援」となるのか(それは当然でもあります)、これも大きな改善にはつながらなかったようです。この点も、できればキックオフ1時間前まで買えるようにしておくと(さらに予想試合数の減少も可能ならば)、「目の前の試合の予想をする」ということにもなり、かなり「身近」なものとできますね。「連れ立ってきたサポ仲間と、わいわいがやがや予想しながら買う」ということがサッカーファンの楽しみになるためには、そういう「距離感の短縮」が重要なのではないかと思います。
ついでながら書いておくと、できればスタジアムでの売り場はもうちょっと「ゆったり」と作れないかなあ。今はまさに単なる「toto売り場」なんですが、できればコーヒーや軽い飲み物を楽しみながら、わいわいやりつつ予想して買う、というカタチにできないものかなあ、と思うのですが。また同じことで、いわゆるサッカーバーはもちろん、ファーストフード店やカフェ、普通のバーなどでも買えるようにして、待ち合わせで手持ち無沙汰なときにはtoto予想とかできると、これも楽しそうですね。スターバックスにtotoマシーンを!(笑)
(そのためには、今のあの大変目立つ黄色に白黒というアイデンティティを、もうちょっとシックなものにしたほうが、バーやカフェの店頭などには置きやすいかもしれませんね)
P4)予想の難しさ←試合数の多さ、J1とJ2の混在に起因
P5)金曜までに買わなければならないこと
P6)予想屋のレベルの低さ
この三つは、一つながりにリンクさせて解消、ないし軽減できるのではないかと思います。対象試合数を減少させることで予想の難しさは軽減できそうです。そうすれば「予想屋」もそれほどレベルが高くなくても(笑)何とかなるかもしれません。また、土曜発売が可能になれば、金曜夕方発行の、そう!エル・ゴラッソがあるじゃないですか(笑)。直前にかなり充実したプレビューが載せられるサッカー専門紙がすでにあるわけで、あれを予想に使えるといいのになあ、と私はずっと思っています。
もちろん、ここで私の書いた一つ一つのテーマは、諸条件により無理である可能性もあるでしょう。ただ、例えば・・・
金曜の夜、友人と待ち合わせしたバーでエル・ゴラッソ片手にtotoを予想。マスターから購入した頃、友人と合流して、友人の予想を聞きながら、さらにサッカーの話で盛り上がって、次の日のスタジアムへ向かう。スタジアムで友人に影響されて(笑)、昨日とちょっと違った予想のくじも買ってしまう
・・・とか、そういう「サッカーファンライフはどんな風であるといいか」という視点もあったほうが、「totoをどう救うか!」とまなじりを決して気合を入れるよりも、より楽しいし、成功へも近いように、私には思えるのです。
それではまた。
03:37 AM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
September 15, 20043バックか、4バックか
西部謙司さんが、「知的な4バック--最終ラインの並び方について」と題したコラムを書かれています。これがまたポンとひざを叩きたくなるようなものでしたので、引用しつつ考察してみたいと思います。
3バックか4バックか。システム論で俎上に上がることの多い話題である。個人的な好みでいえば4バックだ。ヨーロッパや南米でも4バックが多数を占める。ただ、もちろん3バックより4バックのほうが戦術的に優れているということではない。こういう人の置きかたは、手持ちの選手の質と対戦相手の兼ね合いで決まってくるもので、いちがいにどちらがいいというほどのものでもない。
「個人的好み」と「選手の質による」という点をまず抑えてくださっているのがうれしいですね。戦術に「どっちかが絶対に正しい」ということはないです。どれにも一長一短があるし、うまく機能させることができれば、どれでもいい。選手の質との相談(どっちが機能させやすいか)と、最後は個人的好みでしょうね。
ジャケが「より知的」と言った4バックは、いわゆるフラット4のラインディフェンスを指している。4人のフラットラインが「知的」なのは、この守り方が一定の法則性に基づいているからだ。~中略~言ってみれば、頭のいい守り方である。
というわけで、そろそろ日本でもこれにチャレンジしてもいいような気がするんですけどね。
相手の2トップに対抗するために考案されたという3バックは、現在では2ストッパー+リベロという形はほとんど見られずフラット3に近い形になっている。
トルシェ方式かどうかはともかく(笑)、エコパで生で見たアルゼンチンもフラットにしている時間が長いゾーンで守る3バックでした。生で見てきた友人に言わせると、オランダが3バックの時もそうらしいですね。
が、もともと数合わせ的な発想のシステムなので、3バックといっても実体は5バックに近い。よく3バックか4バックかの論議でいわれる、ピッチの横幅を守るには3人では広すぎるという見解には実はあまり説得力がない。横幅60メートルを均等に守ろうと思ったら、4人でも足りないからだ。
「横幅60メートルを均等に守ろうと思ったら、4人でも足りないからだ。」
ああ、先に言われてしまった(笑)。これはいずれ考察しないといけないと狙っていたのですけど、西部さんのおっしゃるとおりだと思います。世界で見ても、たいていのチームで、4人の間隔は狭いです。横幅68メートルを均等に守ってはいない。4人はだいたいペナルティエリアの幅ぐらいを守ろうとする間隔を取りますね。
閑話:先日のエコパでのアルゼンチン戦、私は現地で観戦したのですが、日本が後半から4バックにしたのを受けて、アルゼンチンは3トップの左右がピッチいっぱいに広がったポジションを取りました。日本の4バックも広がらざるを得ず、中央が薄くなって苦労していましたね。4バック破りとしての一つの策なのでしょう。なかなか興味深いと思いました。:閑話休題
むしろ、実質5バックである3バックのほうが横幅をカバーするには有利である。4バックが手頃なのはピッチの横幅をカバーできるからではなく、ペナルティーエリアの幅を守るのにちょうどいいからだ。サイドから攻められれば、4バックは横へスライドして守るので、いつでもペナルティーエリア全般をまかなえるわけではないが、そのへんの事情は3(5)バックでも差はない。
4バックはペナルティエリアぐらいの幅で左右にスライド、全体もボールサイドによってプレスをかける、ということですね。いわゆる「左右にもコンパクト」という状態です。当然逆サイドにはスペースができますが、サイドチェンジをされれば再びスライドして守ります。
ちなみに(これも余談ですが)、トルシェのフラット3では「最後は3人でゴールエリアの幅を守る」という考えがあったのだと思います。特にサイドからのクロスに対して、3人が均等に並んで跳ね返す守り方を繰り返し練習していましたね。
フラット4は状況に応じて動き方が決まっている。マニュアル化されているといってもいい。慣れてないと覚えるのは大変だが、慣れてしまえば、いちいちマークする相手を探したり受け渡しに神経を使ったりしないですむのでかえって楽。イングランド、ポルトガル、フランス、スペインなど、このやり方に慣れているところでは長所も欠点もわかっていて守り方が様式化されており、もう疑問すら持っていないという感じだ。日本の場合は3バックのほうが多い。
この、「フラット4の状況に応じた守り方」を理解し、体にしみこませている選手が少ないのが、現在日本で3バックが多い理由でしょう。そういう「フラット4の状況に応じた守り方」を理解している選手をこれからは増やしたいですね。
ゾーンの4バックという流れがないわけでもないはずなのだが、現在4バックを採用しているチームには、フラット4らしい法則性があまりない。最近では、布啓一郎監督の率いるUー17日本代表が最も4バックらしいと思えたぐらいだ。
(4バックの時の)新潟と大分もそれに近いと思いますが、もっと完成度を上げたチームが、もっと増えて欲しいですよね。ただ、「だからJリーグのチームも4バックにするべきだ」とは私は思いません。Jリーグのチームはそれぞれ、今現在いる選手によって、結果を出すための最善のやり方を監督が選べばいいのであって、それが3バックならばそれで正しいのだと思っています。
A代表のほうは、ジーコ監督がフラットラインを嫌っている。「1対4の数的優位でも1本のパスで失点する」フラット4は、リオ育ちのジーコから見れば"馬鹿"に見えるのかもしれないが、今どきずるずる下がるディフェンスラインも少々"垢抜けない"。
先に書かれているような国では、「1対4の数的優位でも1本のパスで失点する」リスクをどう解決しているのか?日本でこれから研究しなくてはいけないのはその辺でしょうね。もちろん、トルシェの手法やキエーボのビデオなど、研究は次第に進んでいるのでしょうけど。
まあ、何しろ慣れていないのでは致し方ない。特に教わらなくてもフラットで守れるよ、という若い世代が出てくるまでは、"知的"より"頑張り"で守りきってもらうしかないのかも。
あるいは、誰かさん(笑)のようにその「知的」な守り方を徹底トレーニングするかですね。宮本をはじめとして、それに応えられる人材もだいぶ出てきていると思うのですけど。
以上のように、「特に教わらなくてもフラットで守れるよ、という若い世代」を生み出すために、若年層の代表はフラット4を採用するべきでは?と私は思います。もちろん、それをきちんと指導できる指導者に率いられる必要がありますけどね。現状では大人の年代でも、「4バックをできる人材がいないから3バック」ということになってしまい、選択肢が少ない。出来上がった選手で構成しなくてはならないJリーグやフル代表はともかく、育成段階では、今の日本選手に足りないところを伸ばしていく方策を探るべきではないでしょうか。
育成段階の代表に、フラット4を深く理解した欧州の指導者を招き、「組織として」だけじゃなく、「個人戦術」も徹底的に教え込んでもらう。バックミラー(首を振って、敵や味方の状況を一瞬で見て取る技術)や、ラインの中でのマークの仕方、カバーの仕方も含めて。中盤の選手も、DFがフラットであることを前提にした守り方を身につけていかなくてはならない。そういう指導がもっともっと必要でしょうね。指導者は、ベルガーさんに推薦してもらったらどうでしょうか(笑)。
最近考えていたことと符合したよいコラムを読んだので、思わず反応してしまいました(笑)。それではまた。
10:30 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|
July 04, 2004赤い鶏冠のその奥に
みなさまたいへん長いこと更新ができなくてどうもすみません。ちょっといろいろ環境が変化中で・・・。
いよいよEUROが決勝となってしまいましたね。寝不足と至福の時間も今日で終わりですか・・・。素晴らしいものをたくさん見させてくれてありがとう、と今は言いたいですね。
もうどうにもとても興味深いインタビューで、別の意味でいろいろと言いたくなる、なんとも情けないそれに比べるとばかばかしくなってしまいますが、とりあえずまずはその楽しいほうについて取り上げましょう。
一読してまず思うのは、やはり海外での経験によって、戸田のサッカー選手としての「人間力」とでもいうべき部分が、非常に「大きく」なっていると言うことですね。
特にオランダ、デンハーグでは、一時期戸田選手のサッカーが理解されなくて、試合に出られないことがあったわけですが、どうやってそれを切り開いていったか。その部分に素晴らしい人間性を感じました。「サッカーがわかる」すると「チームの状況もわかる」・・・それで「いいすぎないで我慢していれば、チャンスがまた来る」・・・こういったところが大人の選手だなあ、と思わせてくれる点でもあります。
そうやって、最終的には自分を認めてもらって、最後の試合で交代する時の、彼に与えられた賞賛・・・。これは彼自身の言葉で、そしてそれを引き出したインタビュアー・ケンジーニョさんのサイトで読んでいただくのがよいでしょう。読んでいて私も鳥肌が立ちました。
その他には、監督の仕事として「オーガナイズしてマネージメントして方向付けして」と言っているのが印象に残りましたね。オーガナイズとは「組織する」ことですが、「サッカーのチームとしての組織戦術」のことではなく(それは後から言っている「方向付け」のほうだと思います)、ドクターやコーチを含めたチーム全体を「組織として機能するようにしていく」ことではないでしょうか。それは私は「マネジメント」の部分にしていたのですが、彼のほうが言葉を厳密に使っています。脱帽(笑)。
この点以外でも、本当に彼はきちんと経験や考えを言語にしていく能力が高いと思います。広山選手と並んで、将来は解説や指導に当たって欲しい選手のナンバーワンですね。
彼自身、もともとはナイーブなほうだそうで、それは見ていても十分にわかりましたが(笑)、それをあえて鼓舞しようとして真っ赤な髪にしたりしていたのでしょうね。そうしていろいろと考えて、海外ではお互いにわーっと言い合うそうですが、その中でも自分を主張して、「人間力」を一回りもふた周りも大きくしてきた戸田選手。素晴らしいなあ、と思います。
本当はジーコ監督の考える、「選手同士がお互いで言いあって作るサッカー」には、こういう選手がいっぱい必要だと思うんですね。現在のジーコジャパンのサッカーが好転しているのも、藤田選手が(インタビューで言っているように)ずいぶんと話して回っているから、という部分があるようですし。
そういう意味では、「ジーコ監督は戸田選手を呼ぶべきだ」というのは正しいと思うのですが、ただ、選手のこういう部分というのは試合を見ていただけじゃあわからないですからね。プレーを見て、召集して、合宿で一緒にすごしてみて、それではじめてわかるという部分もあるでしょう。
そう考えると、海外でのプレー振りはそのまま「代表に絶対招集されるべきだ」というほどではなかったですから、戸田選手がこれまで招集されなかったのは仕方がないといえばないかもしれません。問題はこれからですよ。このインタビューでもう一つ私が驚いた、うれしかったのは戸田選手が代表への「欲」を表明したことです。さあ、海外でプレー的にもサッカー眼的にも、そして人間としても一回り大きくなった戸田選手、それをJリーグで見せ付けて、代表入りを目指してください。ガンバレガンバレ!
インタビューの最後に、清水に関する思いも聞かれ、戸田選手はしっかりと答えています。これを聞いたインタビュアー氏、しっかりと答えた戸田選手、双方に拍手をしたいです。
それではまた。
07:16 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
April 11, 2004戸田
中田徹さんのオランダからのレポートです。「負けてへらへら、練習わいわいは許さない」
こういう精神が、今の日本代表に欲しいなあ、とつくづく思います。戸田がいればヒデもずいぶんと楽だったんじゃないかな。
戸田だけじゃなく、名波や服部、森岡、そしてもちろんゴン中山と、ジーコが今のやり方(選手が自らチームを作っていく)を選ぶのなら、まず選んだほうがいい選手が他にいるように思うのですけどね。ジーコはそういうところを見ないのかが不思議です。
01:41 PM [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|