October 11, 2005

ラトビア戦ヒデインタビュー

さて、ラトビア戦の試合自体はまだまだ見たいところもあるのだけど、もう一つ話題は中田英寿選手の試合後のインタビューでしょう。サッカーのある幸せでエルゲラさんがまとめてくださっているのでご参照ください(ページの下の方です)。

私も見ていましたが、中田選手の表情、言い方、それを読めないインタビュアーの拙さなどに思わず「あちゃー」と顔を覆ってしまいました(笑)。中田選手の言い方も社会人としてはいかがなものかと私なんかは思うのですが、あのインタビューでは無理もない。そう思っていたら、中田選手に対して「いかがなものか」メールを送った方もたくさんいらっしゃるようです。彼自身が自分のページでそれに触れて、ある意味反論しています。

中田選手の言っていることはもっともだと思います(ただ、もう一度言いますが「態度」においてはもう少し何とかなんないの?と私も思います)。日本のインタビュアーは、特にこういう場所での短時間のインタビューでは、ちょっと困った質問をすることが多いのも事実ですね。エルゲラさんのまとめを引用しながら(エルゲラさんありがとうございます)、どこが問題だったのかを少し読み解いて見ましょう。


■インタビュアーが言いたいことを言うスタイル

インタビュアー:「何か、ワールドカップ本番を思わせるような緊迫した雰囲気になりましたが、結果2対2でした(マイクを向ける)」

ここですでに、中田選手の言う「相手がきちんと考えて質問をしていなかったり、自分が聞きたい答えを導き出すためだけの質問」になっているのではないか。私は「ああ、不機嫌なヒデにこういう聞き方をするとなあ」と思いながら見ていた(笑)。

まず、「何か、ワールドカップ本番を思わせるような緊迫した雰囲気になりました」というのは記者の感想であって、中田の意見ではない。本当に中田選手の考えを聞きたいのなら、それを言う必要はない。邪推(笑)すれば、テレビ朝日の設定した「決意のヨーロッパ遠征」と同様、「この試合は意義があるんだ!!!」とテレビ朝日が強調したいだけにも聞こえる文言だ。

さらには「結果2対2でした」というのは質問になっていない。これこそ「で?」と聞きたくなるような投げかけだ。「そうですね」としか応えてもらえなくても仕方がないようなものだ。にもかかわらず、日本のインタビュアーは良くこれをやる。この部分がヒデメールでも「どう答えれば良いんだろう?」と言われているところだろう。

この一連の質問は、重要なのは前半であって、それが言いたいだけのものだったのではないか。どう答えるか迷うような、どう答えてもいいような質問は、それよりも質問に先立つ「インタビュアーの言いたいこと」を出したいだけの、商売のための考えから出たのではないか。

私はここで中田選手が「で?」というのではないかと冷や冷やした。しかし、中田選手は大人の対応(笑)を取る。どうこたえてもいい質問を、それなりに酌んで答えてあげたのだ。

質問は「2対2の結果でしたが、先制できていただけに残念です。追いつかれたのはなぜだと思いますか」ということですよね?

と脳内補足してあげ、

中田英選手:「いやまあ、やっぱり前半で取れるうちに得点を取らなくって、それがやっぱりこの結果につながったと思います」

という答えだ。私は「ちょっと偉いな」と思ったくらいである(笑)。


■対話になっていないインタビュー

しかし、この流れに潜む「中田選手が『仕方ないな』と思いながら補足して答えた」という部分にインタビュアーは気づかず、すでに今答えたことに対する質問(になっていない質問)を繰り返した。

イ:「前半かなり攻撃的にいい形もできていたと思うのですが」

これも「いい形もできていた」というのは記者の感想であって、それをただ投げかけられても困ってしまう。大体その前に「やっぱり前半で取れるうちに得点を取らなくって」とヒデが言っているのは、「いい形もできていたけど取れなかった」ということであって、この質問はただそれと同じことを言っているだけなのだ。この時の中田選手の「何言ってるのこの人?」という表情は、「今の、直前の答えを聞いていなかったの?」という戸惑いだったのだと思う。

この記者は「勉強していない」記者かどうかは分からない。サッカーに詳しいかどうかはこのインタビューからは不明だ。それよりも、むしろ用意してきたこと(ある意味勉強してきたこと)を愚直に言っただけなのではないだろうか。最初に「重要な試合だった」とヒデに言わせ(ないし自分が言ってしまい)、次に「前半の攻撃は良かった」とヒデに言わせ(ないし自分が言ってしまい)、最後に課題にふれて絞める、という風に、自分の中でストーリーができていたのだろう。

最初の質問でヒデがそれを「言ってしまったこと」がわからなかった。自分の目の前で言われたのにもかかわらずである。極端に言えば彼はヒデと「コミュニケーション」をとろうと思っていない。対話しようと思っていない。ただ自分の考えた流れどおりに何か言ってくれればいい、としか思っていないだろう。だからヒデの言ったことをきちんと理解しようとさえしないのだ。そこが中田選手には非常に不可解に映ったのだろう。

で、ヒデのあれがでてしまう(笑)。

中:「……はい、で、何でしょうか(笑)」

これに対し記者は、前の質問で省略した部分を言い直す。しかしそれも、最初に言ったことに屋上屋を重ねることにしかならなかった。

イ:「イメージ通りの攻撃というのは、随所にできていたと思われますか」

中:「まあ、前半は特に早いパスまわしからいい形ができたところまでは良かったんですけれども、まあそん中で決定力不足って言うのが、まだあいかわらずの課題としてやっぱり残ってるし、その結果が後半相手に勢いを与えたんじゃないかと思います」

やはり「イメージどおりの攻撃が随所にできていた」と言って欲しかったのだろうね。しかし中田選手は(さっきも言ったことだけど)と言いたげな顔をしながら、最初の答えを詳しく言いなおしただけだった。ここまで質問を重ねながら、話がまったく進展していないのもインタビュアー、中田選手ともにある意味すごい(笑)。


■そこまで意地悪せんでも(笑)

インタビューは守備面に移る。

イ:「随所にこうDFラインに下がって何かコミニケーションをとられてましたが、守備の面での課題、修正点というのは何かありましたか」

これも、「随所にこうDFラインに下がって何かコミニケーションをとられてました」ということが言いたかったんだろうね。でもそれを言ったんなら「そこで伝えられていたこと(のなかで一番重要なこと)はなんでしょうか?」と聞けばいいのに。

中:「多々…」

これはちょっと中田選手、意地悪だなと思う(笑)。ヒデメールでも「課題を挙げ始めたらきりがない」と言っているけれども、その中でも自分で重要と考える2、3個を話してあげることは難しいことじゃないだろう。この時点で相当不機嫌になっていたようで、でもそれを出さずにインタビューに答えることもできたんじゃないか。何よりもインタビューを聞いているファンのみんなも(というか私も)、「ヒデの考える課題の重要なポイント」は聞きたいと思っていたよ!

イ:「それは…今後…次のウクライナ戦に、持ち越しということですか」

残念、ここで「中で一番重要なものはどれだと思われますか」と聞けばよかったのにね。というか、次からはそう聞こう!(笑)


■もう局の都合の押し付けはやめよう

こういうTVでのインタビューは、時間内で終わることもインタビュアーに要求されることだろうと思う。そういう意味ではエルゲラさんが書かれているようなまっとうな質問は、選手もしっかり考えて答えなくてはならないし、答えも長くなりそうだ。そんなことを話されるよりも、記者が自分で考えたことを言ってしまい、選手には「そうですね」ぐらいにとどめてもらうほうが、時間が短縮できていいのだろう。

中村選手なんかはどんな質問にもしっかり考えて言葉を選んで話すので、大体放送時間をオーバーする。そうすると私たちは文句を言うのだ(笑)。今回は記者もそれを避けようとしたのかもしれない。しかし、それも放送局の都合である。角沢アナが「決意のヨーロッパ遠征」と繰り返すのと同じだ。

そこにあるのは「本当はどうでもいいサッカーを、俺たちが放送のテクニックで盛り上げて視聴率を取ってやるぜ!」というような姿勢ではないか。スタッフにサッカーを本当に好きな人はいるのだろうか?いるのなら、もうみんながそういう中継には飽き飽きしているのだということを、見つめなおしてもらえないだろうか?無理やりな煽りや盛り上げはいらない、ただピッチの上の真実を伝えてくれ。質問も、選手の考えをきちんと聞きだすことを考えてくれ。それが回りまわって、一番サッカーの魅力を伝え、ファンを増やし、あなたたち向けに言えば視聴率を取れるようにすることにつながるのだから。

最後に、でもヒデ、もう少し酌んで話してやってもバチは当たらないと思うよ(笑)。今度は「一番の課題は?」とか「一番の収穫は?」と聞かれると思うので、そこは答えてほしいな。

それではまた。

09:44 PM [メディア] | 固定リンク | コメント | トラックバック(9)|

August 15, 2005

「応援」と「煽り」は違うのだ!

日刊スポーツの永井孝昌記者がサイトのBLOGコーナーで、「内輪感」の心地悪さと題されたエントリーを書かれている。内容は、先日の東アジア選手権におけるテレビ朝日の実況や解説陣について、「あまりに内輪感が強すぎるのではないか」と批判するものだ。いわく

何の騒ぎですか。

 先の東アジア選手権、男女の試合とも久々にテレビで観戦したが、正直に言って試合に集中するどころではなかった。「代表の試合はテレビで見るもんじゃない」。そう思っていた理由が、何となく分かった気がする。

確かに、東アジア選手権の中継は騒がしかった。松木氏や大竹氏による熱心な応援&解説、進藤潤耶アナ、角沢照治アナによる絶叫系の、懸命に煽ろうとする低レベルの実況。試合自体の鬱憤がたまる展開ともあいまって、夏の夜の不快指数をさらに上げていたことは、我が家的にも間違いないことである。そういう意味では私は永井記者に同意するところも多い・・・かというと、NOである!

私は声を大にして言いたい、「煽りと応援は違うのだ!」と。

そして「解説者の『応援』はオッケーなのだ!」と。

以前にもこの件を、ダバディ氏が書いていたことがあって、私は掲示板上で反論したことがあるのだが、私は「日本代表の真剣勝負は日本中が応援するという前提でかまわない!」と思っている(どうもこういう話題になると、こちらまで絶叫系じゃないが、「!」マークをつけてしまう・笑)。

たとえば、名古屋に行けばけっこう名古屋グランパスの試合のTV中継がある。私が「いいねえ」と思うのは、名古屋向けの放送だから、実況も解説も明らかに名古屋を応援しているところだ。偏向している(笑)。でも、いいではないか。名古屋の人は名古屋人だから名古屋を応援する。名古屋のTVはそういう人たち向けだから、名古屋を応援する。何が悪い?

実地のスタジアムでもそうだ。アウェーチームの選手紹介はぼそぼそとやっておいて、ホームチームの選手の時だけ、DJが盛り上げる。いいねえ。

で、それと同じことを、日本代表の試合で日本の放送局がやってなぜいけないのだ?五輪やW杯予選では、いちいち冷静に、ネガティブめなことを言うBSよりも、多少うるさくても松木さんの解説の方にチャンネルを合わせてしまった。こちらが応援モードに入ってるのに、水をかけないで欲しいのだ。「今のシュートはうち方が全然ダメですね」なんて言う解説より、「よくシュートで終わった、これでいい!」っていう応援の方がいい。

まあ、親善試合で、のべつ幕なしそれでは困る。課題を探り、それを改善して欲しいと指摘するのは正しい。しかし、真剣勝負では「応援」でいいじゃないか。グランパスの場合と同じじゃないか。

昔、たぶん97年ワールドカップ予選、たぶんNHKの山本アナが、努めて冷静に実況していたけど、日本ボールのスローインの時、敵がなかなかボールをこっちに渡さない(自分ボールと勘違いした『振り』をして?)のに対し、「ニッポンボールです…ニッポンボールで・す…二・ッ・ポ・ン・ボ・-・ル・で・すっ!」と切れていて、笑ってしまったことがある。いいねえ。それでいいと思う。

もう一度言うが、「日本代表の真剣勝負は、日本中が応援するという前提でかまわない」と私は思う。だから、松木さんの過度な応援の解説も、大竹さんの、はっきり言って選手の親かお姉さんのような解説も、全然いいと思う。大体大竹さんは選手に身内感を抱く、親身になる理由がたっぷりとあるじゃないか。それがああなるのは、無理もない、かまわないことだと思う。

だから、

 サッカー中継を見ていて味わう心地悪さ。その元凶はきっと「内輪感」にある。興奮するのは当たり前。応援するのがコンセンサス。ちょっと油断すると「テレビの前の皆さんも力を貸してください」と呼びかけられちゃうトンチン感。「応援しなきゃ非国民」的な、乱暴な前提のもとに放送が進んでいくから、静かに試合を見たいと思うと疎外感すら覚える。

この部分に関しては、私は「それは違う」と言いたいのだ。「テレビの前の皆さんも力を貸してください」と呼びかけられたら、私はよろこんで力を貸すぞ、何もできないけど(笑)。それが「内輪感があってイヤだ」という人には申し訳ない。申し訳ないが、日本にいて日本代表の試合を見ているんだから、ある程度は仕方ないと思って欲しい。イングランドのTVでイングランド代表の試合を見たけど、似たようなものだったよ。

ただ、である。

以上はあくまでも「解説者が応援する」ことだけに限る。

「応援」と「煽り」は違うのだ。

私は、テレビ朝日の実況アナの、あの無理やり煽ろうとするスタイルが大嫌いである。事前に用意してきた決まりきったフレーズ、選手に勝手に煽りネームをつけて、毎回それを呼ばずには実況しないスタイル、実際のピッチの上のサッカーをまったく見れずに、いくつかのフレーズの連呼しかできない実況能力の低さ・・・・。今回の東アジア選手権でもまたそれをイヤというほど堪能させてもらった。だから、以下の部分にはかなり同感なのだ。

 注目度が低い大会だと、その色はさらに顕著になる。冒頭でちゃかすように書いたのは申し訳ないが、例えば完全に内輪になりきってしまっている解説だったり「内側」の視聴者を逃がすまいと必要以上に危機感をあおる実況だったり。日本代表戦の中継が時に40%、50%も視聴率を稼ぐ優良コンテンツに育ったことは、同時に20%では満足できないという焦りを生んでいるのかもしれない。それが無意味なテンションの高さにつながっているのなら、この国のサッカー文化のもろさ、根の浅さを痛感せざるを得ない。

先にも書いたように解説の部分は違うと思うが、それ以外は的を射ていると思う。テレ朝の「煽らんかな」の実況は、その向こうの商売が透けて見える。この大会を盛り上げて、視聴率を稼がなきゃ。どうせ視聴者はサッカーのことなんかわかってないから、俺が悲壮感を出して盛り上げてやらなきゃ。サッカーのわからんやつらに盛り上げるには、選手にキャッチフレーズをつけて、連呼しなきゃ。そうだ!今回はこれだ!「現役女子高生永里ッッッッッッッ!!!!!」それはすべて、局の商売のためなのだ。

それにくらべると、「応援」は、ちょっと、いやかなり純粋なものだ。松木さんも始めはテレ朝から「なるべくポジティブに、応援っぽくお願いします」とか言われているかもしれない。しれないが、あの怖いまでの熱狂振り(笑)は、それだけではないと思える。途中からは本当に無私に、こころから日本代表を応援していると思う。大竹さんは無論、完全にそうだ。それは計算抜きの「応援」だろうと思う。そして私はそれには共感するものだ。

テレビ局のアナウンサーが、ある種、視聴者を馬鹿にして「盛り上げよう」「煽ろう」とする実況は、商売のためのものである。しかし、解説者が思わずしてしまう「応援」は、それとは違う、無縁なものだと思う。無私といったら言い過ぎかもしれないが、私たちが普通にスタジアムで、テレビの前で応援するのと、一緒だと思う。言い過ぎついでにいえば「魂」を送っている、と思う。それでいいと思う。

われわれと同じ応援をしているだけなら、ギャラをもらっているプロとしてどうなんだ、という意見もあるかもしれない。でも、松木さんも大竹さんも、解説としてのある程度のレベルは一応クリアして、その上での応援になっている、とも言える。松木さんも、TVには映っていない選手の動き出しについて言及したりしていたし、大竹さんも、「これは練習でよくやっていたんですね」などと、ただの応援者では知りえない情報を提供してくれていたりする。特に、親善試合ではかなり解説的だ。

逆に、実況は「煽らんかな」が気に障るだけではなく、明白に「レベルが低かった」。選手の名前を言い間違える(それだけでも最低だが)だけでなく、完全にフレーズを間違えていることも多々あった。用意したフレーズを組み合わせているだけだからだろう。「日本は勝って帰るわけにはいきません!」などという噴飯ものの言葉が飛び出したりするのだ。「煽る」のはおいておいて、一回「目の前で起こっていることを過不足なく描写する」という、実況の基本中の基本の練習を、一年間くらいしてきたらどうか、といいたくなるくらいである。

さて、この項の結論は最初に書いた。「応援」と「煽り」は違う。真剣勝負での「応援」はいいと思うが、局が商売のために無理やり「煽ろう」としても、もう我われはついていかないよ。アナが煽ろうとして「○○選手は身長が○○センチしかありません!」と繰り返し、大竹さんと掘池さんが半ギレで「身長は関係ないですから!」「体の使い方が上手いですから!」とさえぎった。あのシーンがすべてだ。

サッカーの試合を中継する局、アナウンサーは、さすがにそろそろ、ちょっと考え方を変えてほしい。もう煽らなくていいよ。本業に帰っていいよ。それはあなたたちにとっても、本当は一番望ましい、業界に入ったときの初心に帰れってことなんじゃないかな、と思うのだが。

それではまた。

08:13 PM [メディア] | 固定リンク | コメント | トラックバック(5)|

April 09, 2004

「まっとうさ」

はてなダイアリーへのトラックバックの送り方がわからないのでただのリンクですが、織田さんの考察「ダバディさん岩佐さんのやりとり続き 」

この最後のところにある、

監督になってまだ三ヶ月しか経っていない大分のハン・ベルガー監督に15,981票入るということは、決してそういう人が少数派、1%ではなくなっているということだと思います。

おっしゃるとおりですねー。いやー最近のベルガー大分のサッカーはマイブームなのですけど(なんとか生で見たい)、同じように思っている人がけっこう多いということはうれしいなあと思いますね。

「まっとうさ」とはなにか?それはもちろん簡単ではないことですけど、「サッカーの本当の魅力」について、私たちが議論していくことでその叩き台を作っていけるといいな、それがネットの果たす役割の一つになるだろう、そういう感じですね。

私は個人的に、欧州のサッカー中継を見ていてスイッチング(画面の切り替え)に不満を覚えることがほとんどありません。あれをとりあえずは目指して欲しいのですけどねえ。そういう大まかなところから、意見が集まっていくといいなと思います。

01:38 PM [メディア] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|

April 08, 2004

「深さ」と「まっとうさ」

反響があるとうれしいですね。いかん、BOLGが楽しくなってきた(笑)。

初めてトラックバックというものを送ってみました。アズぶログ:勝手に提案こちらで杏葉さんが、F1を例にとって書かれていることが、まさに私の言いたかったことです。しかも私よりわかりやすい_| ̄|○(笑)

そーたさん、そうですね、岩佐さんは愛情を持って語っておられると思います。だからこそ、反応したくなったのですね。ところで↓のタイトルは、岩佐さんの「ダバディに告ぐ」をもじったのですけれどイマイチでしたか_| ̄|○(笑)・・・トラックバック先やリンク先で「告ぐ」で表示されるとなんかスゴイ(笑)感じだったので、改題しました。いやーBLOGのタイトルって一人歩きするんですね。

さて、コメント欄への「レス」です。

・・・涙さんのおっしゃるとおり、岩佐さんのご意見が「大人」のものであることは論を待たないでしょう(私は学生というほどには若くないのですけれども・笑)。でも、「大人」ばっかりでもつまらないでしょう?(笑)私たちでそれを変えられるといいな、と思うのですけどね。

RYUさんとmasuda さんのおっしゃっていることは、私が「深さ」をもとめているとすると、おっしゃる通りだと思います。ただ私は「深さ」を求めているのではなくて、「まっとうさ」を求めているのですよ。それは見ている側が成熟していけば、何とか勝ち取っていけるのではないか。その成熟のために、CSやネットは少しずつでも貢献していくことができるのではないか、と思うのです。

先日のシンガポール戦、試合の映像は日本側が作ったのでしょうか?シンガポール側が作ったのでしょうか?私は情報を持っていませんが、なんとなくシンガポール側のような気がしません?というのは、「今のはオフサイドだったのかどうか」という微妙な判定のシーンを、何度も映像を巻き戻しながらぐりぐりと(セリエA中継で見慣れたように)見せてくれる中継が、ちょっと日本風味ではないな、と思われたのです。

もしシンガポール側だとすると、サッカー人気が高く、欧州の中継を見慣れたシンガポールのファンの日常的な要求がああいう中継を生んでいるのだということだと思いますし、もし日本側が作ったのだとすると、日本の中継担当者さんたちも、「なかなかじゃん」と私は思います。つまり、どちらであったとしても、受けとる側の「成熟」が、作られるものに影響を与えているということではないか。(続きます)

12:42 PM [メディア] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|

岩佐徹さんに捧ぐ

・・・いや、「捧ぐ」ってほど大上段に構える気もないのだけれど(笑)。

スポーツ実況界の大御所、岩佐徹さんが、過日のダバディさんの意見に対して反論をされています。岩佐さんは私とCAMPERのシューズが好きというところで共通しており、たぶんいい人だと思われます(笑)。

さて、このダバディさんの意見は、主にナショナリズム関連の文脈で大きな波紋をBLOG界に広げたわけですが(その話は今日はしない)、岩佐さんはそれとは違う切り口でダバディさんの意見に切り込んでいます。ダバディさんは、日本のサッカーが進歩するためにはまず環境を変えなくては、と説き、

環境というと、まずいつも訴えるメディアの成熟、メディアが本当にサッカー文化を抱くように、切り口、アプローチを変えないといけない。居酒屋っぽい戦術論や監督論、ナショナリズムや「大衆のあおり」、バラエティっぽいサッカー番組のつくりをやめよう。本当のサッカーを語ろう! 短期間で視聴率が落ちても、「全大衆」を相手にしなくても、長期間で考えろ! 子供のサッカー情熱、文化、その火をつけろ!

と叫んでいます。これに対し、岩佐さんは

気持ちは分かるけど、君が求める、スポーツ新聞や民放テレビの改良、向上、進歩など、100年かかっても実現しないと思いますよ。

と、非常に冷静(?)な、ある意味冷水をぶっ掛ける(笑)ようなことをおっしゃっています。

私は、どちらかと言えばダバディさんの意見のほうに賛同する立場です。今よりもサッカー報道にもっともっと向上して欲しいと思っています。「戦術論やナショナリズム」が「本当のサッカーではない」とするダバディさんの意見の一部には私は疑問を持っているのですが、それ以外の「大衆を煽る」ことや、バラエティっぽい番組のつくりを止めよう、というのはまことに正論であり、まさにそっちの方向に進んで欲しいと思っています。

ところで岩佐さんの文章をよく読んでみると、問題意識はダバディさんや私が思っていることと変わらないことがわかります。

日本のマスメディアは確かに未成熟だと思います。ジャーナリズムとビジネスをハカリにかけるとき、どうしても、ビジネスに傾くし、売るためだったら、「なんでもあり」です。

これはもう、そういう現場に長いこと身を置いてきた人の実感で、ダバディさんや私が問題だと思っていることを指摘しているのだと言えるでしょう。

岩佐さんとダバディさんの最大の違いは、「それを正すことが可能かどうか」という点です。ダバディさんは「日本のサッカー文化のために、革命を。」と、それを変える事が可能であるという立場に立ち、岩佐さんは「100年かかっても実現しない」と言っているわけです。

かつて私は、「サッカー批評」の半田編集長の深いものを求めている読者って、全体の1パーセントもいないわけじゃないですか。という発言に対し、「おーい服屋さーん」というコラムを書いて反論したことがありました。

単純にいえば、現在提供されているようなカタチでの「深いもの」=私やダバディさんの求めるようなもの、を求める人は、全体の1%しかないかもしれないけれども、そうした深いものを「読みやすく、魅力的に」していったものは、この2002W杯後の日本では、10%、20%という受容層があるだろう、ということです。

上記は活字媒体での話ですが、同じことが電波媒体でも言えると私は思っています。ただし、それは簡単には実現しないでしょう。現在のTVの視聴率競争は、現場が血反吐を吐くほど(悲)厳しいと聞きます。そのような中で、ダバディさんが言うように、「短期間で視聴率が落ちても、『全大衆』を相手にしなくても」という番組作りをするのは至難の業です。民放では、ほぼ、無理といってもいい。同じことが毎日の部数で即座に出来、不出来が判断されてしまうスポーツ新聞にもいえます。岩佐さんのおっしゃっているのは、こちらの側面ですね。

しかし、私はこうした状況は変える事ができると思っています。というのは、そうした番組作り、紙面づくりを支えているものは「その方が売れる」という「思い込み」に過ぎないからです。岩佐さんも「彼らは『それこそが大衆の望んでいるもの』と勝手に決め込んでいるのだから。」とおっしゃっていますね。まさにそのとおりなのです。

根拠のない「思い込み」は、実証によって覆されえます。彼らが思い込んでいる手法よりも、もっと他のやり方が、やってみれば、あるいはやり続けていけば、多くの支持を得られる。そういう成功例を多く積み上げていくことが出来れば、民放の現場、スポーツ紙の現場にいる人たち、そのトップの「思い込み」も変えていくことが出来る。

幸いにして、私たちはCSやWebという新時代(もはやそれほど新しくもないですが・笑)のツールを持っています。CSでは世界の放送技術で作られたサッカー中継を見ることができ、好きな人にしっかり伝わればいい、という実況を聞くことが出来ます。Webでは、多種多様な発信元から、さまざまな深さ、切り口のニュース、考察を読むことが出来ます。それらは今はまだそれほど多くない好事家のものであるでしょうけれども、そこで現場のトップに注目させるだけの結果を出すことが出来れば、話は変わってきます。

今はまだ出来ない。出来ていない。現場が現場で変わろうとしてもなかなか簡単なことではない。それならば必要なことは、一つは外の実績、「おい、あれ、いいらしいぞ、俺たちもやろうや」といえるようなものを積み上げていく。もう一つは、外圧、つまり私たちの「声」です。私たちは本当はこういうのが見たいんだよ、こういうのが読みたいんだよ。それをどんどん彼らに届けていく。それが少数ではないことを知らしめていく。

その二つが地道に進んでいけば、いえいえ岩佐さん、100年はかからないですよ。たぶん私の目の黒いうちに(笑)、それは実現すると思いますよ。そのためにも、ダバディさんが声を上げてくれたことはうれしいことです。そして私たちもこれから、声を上げ続けていこうと思います。

100年かかるかどうか、見ていてください。

それではまた。

02:49 AM [メディア] | 固定リンク | コメント | トラックバック(12)|