岡田日本の3年間を振り返る(3)
今回のワールドカップでの、日本のパス成功率は32カ国中最低だったという。また、(攻撃につながらない)クリア数は逆に最多だった。誰もが記憶しているように(相手が勝つしかなく前に出てきてくれたデンマーク戦以外は)、日本は非常に守備的で、ほとんどの時間守っているようなチームだった。セットプレー以外の攻撃の手立てが非常に未整備だったのは、明らかではないだろうか。
また、日本は4試合すべてスターティングメンバーが同じであり、交代される選手もかなり決まっていた。そのため、スターティングメンバーに疲労が蓄積し、決勝ステージパラグアイ戦では、それ以前の試合とくらべても動けていなかったように見える。交代選手は、この布陣、やり方での攻撃に慣れていなく(典型はオランダ戦の中村俊輔選手だろう)、交代策によって攻撃が活性化したことは、あまりないように感じられた。
これらの多くは、岡田監督が「大会直前」に方針変更したことが原因だったと思う。つまり「時間切れ」だったのだ。もっと早く、この方針に立ち帰ることができていたら、守った後の攻撃の整備もある程度はできただろうし、疲労が蓄積した選手を休ませるような選手のプールもできただろうし、交代して攻撃を加速することのできる選手を用意することもできただろう。そもそも23人の人選が、相当程度変化しただろうと思われる。
もちろん、それらができていればパラグアイ戦に勝てたはず、などとは言わない。サッカーのゲームはそれらだけで決まるほど、簡単なものではない。例えば、攻撃が整備されて前に出た方がカウンターで失点する、というケースもままあるのだ。しかし、今大会での岡田日本の持っていた欠点の多くが、あるいはオシム監督の言う「勇気の欠如」に見える現象の原因が、「方針変更後時間がなかった」ことによるものだということは、確かであるように私には思われる。
そしてそれは、岡田監督に就任を要請したにもかかわらず、彼の得意なやり方ではなく、別のものを要求した日本サッカー協会技術委員会の「ごまかし」によるものだった、とわたしは思うのだ。
| * ところで一部には、「韓国戦での敗北など、あれだけ状態が悪くなった上での路線変更だったから選手も受け入れたのだ。だから選手はあれだけ走り、体を張ったのだ。あのタイミングでなければ、ああうまくはいかなかった」という意見があるようだ。これは今W杯における事象としては正しいだろうが、そのまますべてが真実ではないと思う。 今大会と同じくらい、選手が走り、体を張った日本代表は過去にも存在したからだ。もしビデオがあれば、2002日韓W杯のロシア戦や、あるいはオシム監督時代の日本代表の試合を見てみることをお勧めする。しっかりとした監督が、きちんとディシプリンを作りモチベーションコントロールを出来ていれば、そのようであることは特別ではない。「選手を『戦わせる』ためには苦境が、方針転換が必要だ」などということはない。あたりまえだが。 * |
なぜごまかさなくてはならなかったのか
私は、岡田氏を日本代表監督に据えるという人事は、小野技術委員長(当時)の「お友達人事」だったのではないか、と推測している。オファー時の「岡田さんしかいない」という言葉、またどう見ても広く眼を開き、多数の候補から選抜したとは思えない状況から、である。それはもちろん、「前任のオシム監督が不幸にも病魔で倒れたことによる、緊急時の対応としては仕方がない」と小野氏は思ったのだろうが、「緊急時だから助けてくれる監督を」という考えは、結局「お友達人事」になってしまったのだと、今からでは思える。
岡田監督にオファーした理由を小野氏は3つあげているが、それも「岡田氏を念頭に、後付けで列記したもの」に過ぎないものに見える。広く眼を開き、多くの人材を比較検討した結果ではないのは、例えば今回の原博美技術委員長がザッケローニ氏の招聘に成功した過程と比較してみれば、明らかではないだろうか。当時も書いたが、実に視野が狭いのだ。もともとコネクションが少ないうえに、「緊急時だ」という認識により、ある意味「すがれるもの」を掴んでしまった、ということだろう。
しかし、技術委員長としての小野氏は、そのように「言う」ことはできなかった。日本代表のコンセプトは日本サッカーのモデルケースであり、非常に重要だと、彼もそう認識していたのだろう。あくまでも、コンセプトに沿ったオファーであり、就任であるのだと強弁せざるを得なかった。そして、岡田監督に「彼の得意なサッカースタイルではないもの」を要求した。ここに、「ねじれ」があったのだと、私は思う。
本来ならば、あるべき監督就任のスタイルは次のような形であったろう。
| 1: 日本代表のサッカーの、グランドデザインを変えないならば、それに沿った監督を探す。 2: 岡田監督にするならば、グランドデザインそのものを彼の得意なサッカーに転換することについて、広く告知し、それでよいのかどうか徹底して議論をする。 |
小野氏はこのどちらも避けたのである。結果、岡田監督が借り物のズボンで指揮をする時間が長くなり、「時間切れ」を生んだのだ。
監督のタイプとのミスマッチ
ここで、最初の設問に戻る。岡田監督は日本代表監督に就任すべきであったかなかったか。一人の監督としては、岡田さんは「結果を出すべき戦いで結果を出した」のであるから、最高の賛辞を送られてしかるべきだろう。あらためて日本人監督では最高の存在であることを証明した。ここに疑問の余地はない。
しかし私が考えたいのは、協会のマネジメントの方なのだ。協会は、日本代表の目指すべきサッカーのグランドデザインをし、それをピッチ上に実現したうえで、W杯での結果を目指すべきではないのか。日本代表のサッカースタイルを頂点に、各年代代表や、若年層の育成のスタイルが構築されていくべきではないのか。例えば、ドイツはそのようにして成長(1)(2)(3)し、あのようなサッカーを実現してきたのではないか。
私は、協会はそのようにすべきだと考えているので、「ボールも人も動くサッカーの構築に向いていない監督で空費した2年半」がいかにももったいないと思えるのである。この2年半は、私の視点からみると、「あるサッカースタイルを過去に実現したことがない監督に、それを強要しても実現は難しい」ということが、ただ確認された時間だった、としか言えないのだ。そして結局それは、方針転換を余儀なくされた。
誤解してほしくないのは、私が言っているのは監督の「タイプ」の問題であって、「優劣」の問題ではない、ということだ。よくポゼッションサッカーの方がカウンターサッカーよりも上だとし、前者を実現できる監督をレベルの高い監督と見る向きがあるが、私が言っているのはそういうことではない。ただそこに、監督のタイプの違いが存在する、ということだけなのだ。小津安二郎に黒澤明のような映画を撮れといっても無理だ。その逆もしかり。ただそれだけのことだ。
もし仮に、岡田監督がJリーグで結果を出した時のサッカースタイルが、日本代表の取るべき方針だと決断したならば、彼は最高の人材であるだろう。あるいは、オランダのようにピッチを広く使うサッカーを採用すると決めたならば、オランダ人監督が必然となるだろう。モウリーニョには彼のスタイルがあり、クライフにも彼の哲学がある。必要なコンセプトに、ふさわしいタイプの監督を。ただそれだけに過ぎないのだ。
ひとまずの結論
さて、以上のようなことから、私は当時と自分の考えを変える必要は感じない。日本サッカーのグランドデザインをしっかりとし、それに基づいて監督選びはなされるべきだ。しかし岡田監督の就任はそうではなかった。中期岡田日本は、採ろうとするサッカースタイルと、岡田監督の適性のギャップに苦しんだが、最終的に岡田監督の得意とするスタイルで結果を出した。岡田監督はできる範囲で全力を尽くしたが、彼に就任を要請した協会は、長い目で見れば間違っていた。
ただし、この考えは半分は正しいのだが、もう半分は間違っていた、と思う。
「間違っていた」部分については、次回以降に考えたいと思います。
それではまた。
04:04 PM [サッカー日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
October 21, 2010岡田日本の3年間を振り返る(2)
しかし、中期岡田日本のサッカーコンセプトそのものに、私がもろ手を挙げて賛成できたわけではない。
一つには、「クローズ」の持つ特質が、日本人選手の特徴の一部とマッチしないと思えたからだ。あまりにも狭いところでパスを回しすぎる、という点が、である。私は先の「ボールも人も動くサッカー」の例としてメキシコやドイツを上げたが、よくそういうサッカーの例としてあげられるスペインに触れなかったのも、そのせいなのだ。
スペインも、非常に狭いところでパスを回すが、そのメリットとしては「奪われても選手が密集しているために、奪い返しやすい」ということがあるだろう。「クローズ」の狙いもそこにある。そして、その頃の日本代表もまた、高いところから人数をかけてボールを奪おうとしているチームであった。その狙い自体は間違っていないとは思う。
しかし、一つ問題がある。日本人選手の特徴として、アジリティ、持久力、テクニックに加えてもう一つよく言われているのが、「クローズドスキルは高いがオープンスキルに欠ける」ということだ。クローズドスキルは相手のいないときの技術、オープンスキルは相手がいる、試合の中での技術である。オープンスキルに欠ける選手が、密集の中でパスを回そうとするとどうなるか。
スペインのようなやり方でありながら、あまりに何度もボールを失うようだと、いずれ密集して守備をしようとする陣形を突破されてしまう。そうなると、密集の外側には広大なスペースを与えてしまっているわけで、すぐさま日本のピンチに直結する。また、「世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス」の中でも指摘されているように、プレスに行くなら、それ以外のゾーンでのバランスも非常に重要なのだが、このころの日本ではそこも整備されていなかった。当時のサッカーに賛同できなかったもう一つの理由は、その守備面でのチグハグさ、プレスと周りの連動のなさだった。
岡田日本は、そういうチームでアウェーの親善試合オランダ戦に臨んだ。結果3-0で敗北したのだが、その時の教訓が「激しいプレスは90分持たない」ということだったと、各所で言われていた。しかし私は上記のように、当時の「クローズ」の持つそれ以外の問題も大きいと思っていた。そして、そうした問題は、その後の親善試合などを通しても、改善の兆しは見られなかった。
中期岡田日本~借り物のズボンで
当時の岡田日本のサッカーが「ボールも人も動くサッカー」だったか、という問いに答えるのは難しい。確かにボールも人もそれなりに動いていたが、あまりにも狭いゾーンでパスを回しすぎる、プレスの時の他のゾーンのバランスが取れていない、という(私から見て)欠点を抱えていたからだ。そして私には、それらの欠点は「岡田監督が、その頃実践しようとしたようなサッカーを過去に実現したことがない」ことから生じていたものだと思えるのだ。
「世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス」の中でもう一つ触れられているのが、「FWが前線からプレスをかけるのならば、チーム全体が連動してラインを押し上げなければならない」ということだ。これは当然のことだろう。一人二人で奪いに行っても、他が連動していなければ、かわされてしまった時に大きなスペースができてしまう。それをなくすためには、中盤とFWとの距離感、かわされた時のカバー、「セカンドプレス(造語)」、パスコースの遮断、パスの受け手のマーク、そして最終ラインの押し上げなどが必要になる。
それらができていないため、例えば親善試合ガーナ戦ではロングボールから2失点している。これを受けて岡田監督は、闘莉王や中澤にカバーリングを早く、しっかりするように指示したようだが、そういう問題なのだろうかと私は首をひねった。プレス時の中盤でのバランスが崩れていること、またその際のラインの上下動のディシプリンが出来上がっていないことの方がより大きな問題ではないのか。
そしてそれは、岡田監督が「当時実践しようとしていたようなサッカーを、それまで実現したことがない」ことによる、メソッド不足によるものだったのではないのか。この頃代表チームのメンバーが非常に固定されたのも、また起用された新顔がなかなかフィットできなかったのも、それが原因ではないのか。親善試合セルビア戦後の、栗原のコメントがそれを裏付けているように、私には思えるのである。
2010前半~中期岡田日本の終焉
岡田日本は、いくつかの問題をはらみながらも、「日本人が考えた、日本人選手の特徴を生かせるサッカーを、日本人監督で」W杯にぶつける準備を整えていった。前回も書いたとおり、私は、そのこと自体は歓迎していた。心配は岡田監督がそこで目指したサッカーで過去に結果を出したことがないことだが、それはもはや言っても詮方ないこと。日本サッカー協会の行う壮大な(?)実験を、見守る他ないだろうと思っていた。
したがって、2010年初頭からの東アジア杯や、親善試合で思うような結果が出なくても、何もぶれる必要はないと考えていた。だいたい、例年1月や2月の(シーズン明けの)試合でいい内容だったことなどほぼ皆無であって、協会や監督がそうアナウンスすればいいだけである。その時期の(親善試合の結果からくる)解任論は、ナンセンスだと思っていたし、過度に悲観することもないはずだった。
ところがこの頃、岡田監督のしようとしているサッカーでは世界で勝てないとし、「岡田監督のままで守備的に路線変更を」という意見があった。結果的には、まさに岡田監督が大会直前に路線変更して結果が出たことで、そういう指摘が正しかったと言えるのだが、私はそうすべきではない、と思っていた。それでは、監督決定の時と同じ誤りを犯すことになる、と思ったからだ。しかし、私は間違っていた。
方針転換~「借り物」からの脱却
結局、岡田監督は大幅な路線変更を行った。これまで頑なにポストプレーヤーを置かなかったFWに、ある程度体をはってキープできる本田をワントップとして起用、「クローズ」路線のショートパスの連鎖は激減し、ビルドアップはほとんど放棄されたようになり、高い位置からのプレスはなくなり、アンカーに阿部を起用、自陣に9人が帰り、深く守ってクリアを繰り返す、というサッカーになった(パス成功率参加国中最低、クリア数最多)。
これによって結果が出たのだから、このサッカーをよし、とするのかどうか。今回のサッカー批評や、各所での議論は「あれは緊急避難であって、今後の指針とするべきではない」というものが多いように思う。その議論は置いておこう。
ただ、岡田監督である以上、あれが必然だったのだ、と今では思う。岡田監督が横浜Fマリノスを率いJリーグで2連覇した時に指導を受けた、ユ・サンチョルも次のように言う(Number760号)。
岡田監督の最大の長所は、「相手をしっかりと分析し、長所を消しつつ、組織的な守備を構築できること」だった。チーム内の約束事は本当に細かかった。(中略)そして本大会で見事によさを発揮し、結果を出した。
これには私もまったく同感なのである。つまり、南ア杯直前での変更とは、借り物のコンセプトを脱ぎ捨て、岡田監督が岡田監督らしさに立ち返った瞬間だったのだ。「得手、不得手」を再確認し、「らしく」なった岡田監督のチームは見違えるようになり、勝ち進んでいった。借り物コンセプト時代とは雲泥の差だった。
問題は岡田監督が「立ち返った」ことではない。それ以前の2年半、借り物のコンセプトで戦ったことの方なのだ。
「借り物」を生んだもの
私は、オシム監督が倒れた時点で次のように書いた。
岡田氏に就任を要請するならば、「岡田氏のやり方に日本を託すのだ」と考えなくてはなりません。「岡田氏のサッカーの方向性が、これからの日本サッカーの方向性として正しいのだ」というPLANを持って頼むのでなければ、おかしい。その場合は「オシム路線継承」ということではなく、「岡田サッカーを日本は目指す」という明確な目的意識を持たないと、再び日本は迷走していくと思います。
先のNumber誌でのユ・サンチョルの言葉には続きがある。私の書いたのも、これと言っていることは一緒である。
日本協会は当然、これらの長所を理解したうえで就任のオファーを出したのではないですか?
しかし、少なくともオファー当時の小野技術委員長の説明も、岡田監督自身の就任時の言葉も、「相手をしっかりと分析し、長所を消しつつ、組織的な守備を構築できること」という岡田監督の長所を生かしてW杯を勝ち上がる、というものではなかったことは確かだろう。いわばマニュフェスト違反なのだ。しかし、代表監督のミッションはマニュフェストを守ることではなく、結果の必要とされる戦いで結果を出すことであり、岡田監督はそれを成し遂げた。監督としては高く評価されるべきだろう。
しかし問題は、協会技術委員会のマネジメントの方なのだ。岡田監督という「ボールも人も動くサッカー」を実現したことがない監督に就任を要請しながら、それを実施するよう求め、2年余りを空費させてしまったことが問題なのだ。岡田監督にするなら、「これまで岡田監督が結果を出してきたサッカーを日本代表の方針として採用します。あれをやってください」と言い切るべきだったのだ。それをせずに、口先でごまかそうとするから・・・。
そのごまかしは何を生んだのか。
(以下次回)
それではまた。
11:50 AM [サッカー日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
October 17, 2010岡田日本の3年間を振り返る(1)
早いもので南アフリカワールドカップが終了して3カ月がたち、新監督ザッケローニ氏も就任、じっくりした論考で知られる「サッカー批評」でもW杯の総括号が発売になった。後は正式なテクニカルレポート協会から正式に発表になるわけだが、前回2006年W杯のそれの発売は11月に入ってからだった。さすがにそれを待つと時期が遅すぎるし、ここに私なりの総括を始めてみたいと思う。
今回のサッカー批評ISSUE48の中に興味深い記事がある。おそらく日本サッカーにかかわる誰もが気にかかっていたこと、つまり南ア杯前の岡田監督“バッシング”と、大会後の「手のひら返し」に関するものだ。「メディア関係者に問う 日本代表『ベスト16』の評価」と、その後の「討論・メディアの存在意義」の2つのコーナーにおいて、それを取り上げている。
興味深いのは、「討論・メディアの存在意義」の中で広瀬一郎氏が「メディアのアカウンタビリティ(説明責任)」を問題にしている部分だ(というか、他にも興味深いところだらけなのだが、今回はそれらには触れない)。
当記事は、対談をまとめたもののようで口語体で書かれており、そのまま引用するのは控えるが、要約すると「岡田監督を批判していたことに対し、どの部分が正しく、どの部分が誤っていたのか、自分できちんと検証し説明することが『アカウンタビリティ(説明責任)』を果たすことだ。それがなされていない」ということだと思う。
これはもっともなことだが、商業ベースのメディアにそれを要求するのは難しい面もあるだろう。「何年何月号ではこう書きましたが」などとやると冗長になってしまい、記事として成立させるのはなかなかハードルが高い。が、おそらく今、良心的なサッカー専門誌や、心あるサッカーライターの方たちは、何らかの形でそれをしよう、しなければならないと考えているのではないかと思う。これからのそういった仕事に期待したい。
そして、私事ではあるが、私が今般ブログを再開したのも、「それ」をなそうと思ってのことだった。
この3年間の岡田日本を振り返る
私は、岡田氏の日本代表監督就任に反対の立場であった。「岡田武史氏は、日本サッカーの将来を考えるなら、この日本代表監督へのオファーを断るべきである」と書いている。その岡田監督は日本をホーム以外のW杯で初めてのベスト16に導いたのだ。私のこの言説についての「アカウンタビリティ」を私が果たさないわけにはいかないだろう。
さてでは、今からこの時のこのエントリーを見て、私は考えを変えるべきだろうか?私個人としては「否」である。この時のエントリーは間違っていたのだろうか?私は、こう思う。半分は正しく、半分は間違っていた、と。
今回は、その前者を説明したい。そしてそれが、私なりの南ア杯総括にもなるのではないか、と思うのだ。
日本が採るべきスタイルと、監督の選定
私の考えの前提は、「日本は『ボールも人も動くサッカー』を、強化の大方針とするべきだ」というものである。「ボールも人も動くサッカー」はオシム監督就任以来、あるいはそれ以前から、日本人選手の特質を生かすサッカースタイルとして、各所で取り上げられてきたものでもある。
ただし、それは「オシムサッカーを継承するべきだ」ということを意味しない。オシム氏のサッカーは、「ボールも人も動くサッカー」の一形態ではあるものの、それが全てではないからだ。
南ア杯で言えば、メキシコやドイツなどの行っていたサッカーも、「ボールも人も動くサッカー」の範疇に入るものだと思う。選手が動いてスペースを作り、そこでボールを受け、集団でボールを運んで行くサッカー。それは、俊敏性や運動量、テクニックといった日本人選手の特徴を生かしやすいスタイルであり、日本サッカーの方向性としてマッチしていると私は考えるのである。
私は、ドイツ大会後、日本サッカー協会がオシム氏に就任を要請したのも、「ボールも人も動くサッカー」の実現のためだろうと思っていた。オシム氏がJリーグで実現していたそれが、まさにその言葉を具現化したようなサッカーだったからだ。この時点で、日本サッカー協会が強化方針、代表チームの「コンセプト」として採用していたのは、「ボールも人も動くサッカー」だった・・・さて、これは私だけの思い込みだろうか?
そうではないだろう。岡田監督自身、就任会見で次のように語っている。
コンセプトは変わりません。人もボールも動くサッカー。(中略)ボールと人が動いてできるだけコンタクトを避けた状態で、しかしボールに向かっていく。ディフェンスも待っているんじゃなくて、こちらからプレッシャーをかけていく。これは変わりません。
私は、「ボールも人も動くサッカー」が日本代表の方針であるならば、それを過去に具現化したことのある監督が就任するべきだったと思っている。そういう監督でなければ、それを実現するためのメソッドを持ち合わせていないだろうからだ。それでは、あるコンセプトを目指したとしてもうまくいかない可能性が高いだろう。では、岡田監督は、「ボールも人も動くサッカー」を過去に実現したことがある監督だろうか?私は「否」だと思う。
逆に言えば、「岡田氏を監督にする以上、彼が過去に実現していたサッカーを日本代表の方針として採用する」ということでなければ不合理だ。監督には、得手、不得手があり、それが「哲学」となり、監督の「タイプ」となると思うからだ。監督人事は、基本的にはその「タイプ」に則して行われるべきだろう。この時の日本協会の説明、岡田監督の就任時の宣言、どちらもそうではないように私には見えた。
それが、私が岡田氏の就任に反対した意味である。
初期岡田日本~オシム流の継承
しかし、就任した以上、岡田監督の指導や指揮するサッカーの内容、結果については是々非々で見ていこうと考えていた。就任経緯や監督選定の考え方がいかにおかしなものであったとしても、岡田監督自身はその責を負う立場にないからだ。実際、当ブログや掲示板、SoccerCastではそうしてきたつもりである。
そこで、あちこちでばらばらに書いたり言ったりしてきた私の考えを、岡田日本の軌跡と照らし合わせながら、ここから少し時系列で整理しておこうと思う。
岡田監督は就任直後は、基本的にオシム監督のチームや戦術、トレーニングのやり方などを引き継いだようだ。私は、これはいかにもおかしなことだと思っていた。サッカーの監督は、岡田監督自身が最近いみじくも語っているように「決断」こそが最大の仕事だろう。他人が決断して選んだ選手、戦術、トレーニング方法を「協会の要請だから」「時間がないから」として採用していたのでは、うまくいくはずがないと思えた。
実際それは機能せず、アジア3次予選アウェーのバーレーン戦では、非常に低内容の試合を繰り広げ、敗れた。私はこの時点までの岡田監督の「オシム氏の人選、戦術、トレーニング方法を継承して3次予選は勝ち抜けるだろう」という考えが、彼の犯した数少ない間違いであったと思う。ただそれは彼だけの責任ではなく、「オシム監督の残したチームを破壊しないでほしい」というオリエンテーションをした(と考えられる)協会技術委員会、すなわち小野氏の間違いでもあるのだが。
その後、岡田監督は「これからはオレのやり方でやっていく」とした。私は、これは当然であると思ったものである。そして、日本代表チームは人選も、戦い方も、それ以前とは大きく様変わりを見せていく。
中期岡田日本~予選を戦いながら
例えば、マンマークを止めてゾーンの守り方へ。あるいは、「考えて走る」を非常に重要視するやりかたから、ある程度の約束事の増加へ。岡田日本は戦い方を変えていく。しかし、W杯予選を戦いながら「自分色」の代表を組み上げる作業は、非常に難しかったことだろうと思う。このころの日本代表チームは、なかなか「これ」といった形は見せられずに、遠藤と中村俊輔の持つ個人能力でボールを落ち着かせ、周りの選手が動いていくようなサッカーになっていた、と私には見えた。
ただしそれが悪いというわけではない。チームに突出した個がいれば、それを有効に活用するべきなのは当然でもある。問題は怪我や不調、カード累積などで、その選手がいなくなった時に同じことができるか、あるいは他のやり方になっても、それなりに機能するチームを用意できるか、ということだ。
それはさておき、代表チームは次第に熟成を深め、最終予選を戦い抜いていった。内容的には芳しくない試合もあったが、予選は勝ち抜けばそれでオールオッケーである。岡田監督のここまでの仕事ぶりは、それに限れば何ら問題のないものであったと思う。
しかし日本の場合苦しいのは、主導権の取れるアジア相手の予選の戦いと、互角以上の相手しかいないW杯本大会での戦いが、違ってこざるを得ないことだ。岡田日本も、予選を戦いながら世界相手のシフトを模索しなければならなかったのである。
中期岡田日本の完成~「クローズ」へ
そうした中、2009年5月のキリンカップでは、あのビエルサ監督率いるチリに4-0、ベルギーにも4-0と大量点を奪って優勝した。このころのサッカーが、「脱オシム」「オレ流宣言」後の岡田日本のサッカーの一つの典型とも言いえるものだっただろう。私から見た、当時の岡田サッカーの特徴は以下のようなものになる。
| ・ポストプレーの得意なFWをおかない ・ショートパスを多用し、非常に狭いところで人数をかけてパスを回していく ・非常に高い位置からFWやOMFがボールにプレッシャーをかける |
この、非常に特徴的な中期岡田日本のサッカーは、私は個人的に、コーチに入った大木氏の影響が大きいものではないか、とみている。大木氏が甲府を率いた時に実践した「クローズ」と言われる戦術と、特徴を同じくしているからだ。もちろん、監督がコーチの意見を吸い上げて採用することには何ら問題はない。このころのサッカーは次第に熟成し、ある一つのスタイルに収斂して行ったように見えた。
さて、当時のサッカーに対し、私はSoccerCastなどにおいて、基本的には賛成の意を表していた。このころの戦術はおそらく(私のまったく個人的な想像だが)、協会の若手理論派や小野氏あたりと、大木コーチと、岡田監督が、相当にディスカッションを重ねてできたものだろうと思っていたためである。「日本サッカー協会の考える日本人に向いたサッカーを、日本人監督がW杯にぶつける」・・・それは、次善の策ではあるが、「ボールも人も動くサッカーを過去に実現したことのある監督を就任させる」のと同様、日本サッカーの未来につながる部分もあるだろうと思えた。
しかし。
******
このまま書いていくと冗長になり過ぎると思われるので、ここでいったん一区切りしたいと思います。以下、次回へ続けることとします。そう時間をおかずにアップできると思うので、ご容赦いただければ幸いです。
それではまた。
11:01 PM [サッカー日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
April 10, 2008混乱の代償
南アフリカW杯へ向けての、アジア3次予選vsバーレーン戦が終了した。結果は0-1の敗北。3次予選(かつての1次予選)レベルで敗北をしたのは19年ぶりだそうだが、内容もそれにふさわしく酷いもので、代表を応援しているサッカーファンをとんでもなくがっかりさせた。なぜこんなことになってしまったのだろうか?
簡単に内容を振り返ろう。日本は岡田監督になってから初めての3バックを採用、これは相手の強力な2トップに対抗しようとしたものだろう。それにともない布陣は3-5-2となり、中盤からは戦術的理由で遠藤が外された。また、アウェーでもあり序盤は敵が飛ばしてくるだろうとの予想から、日本は前半、ロングボールを多用していく。ここまで、日本の戦略は徹底して「相手に合わせた」ものだった。
この試合はW杯本大会ではない。相手は欧州や南米のチームではない。アジアの、2位までが先に進める3次予選であり、相手はバーレーンである。もちろん、取りこぼしが許されない真剣勝負の予選ではある。慎重になるのは間違いとは言い切れないだろう。が、現実路線とは言え、ここまでする必要があったのか。そして、そのような「相手ありきの戦術選択」、弱気とも取れるそのメンタリティは、選手にどのような影響を与えただろうか
岡田監督の戦略としては、序盤をセーフティーにロングボールでしのいだ後、徐々にポゼッションを回復し、日本のサッカーを取り戻していこうというものだったようだ。しかし、前回までも見たように、岡田監督になってからは、それまでのオシムサッカーの特徴はどんどん減り、雲散霧消している。頻繁なサイドチェンジによる大きな展開もなく、数多いオーバーラップによる数的優位の創出もない。そういう「自分たちのサッカー」があいまいになっていた中で、途中からそれに戻って行こうなどということは、はたして可能だっただろうか。
その答えは、試合内容に如実に現れていた。前線にロングボールを入れ、そのこぼれを拾って突破型の選手が個人勝負を仕掛けていくというのは、東アジア選手権韓国戦の後半と同じようなやり方だ。大久保や山瀬、安田の起用はそれを狙ってのことでもあるだろう。しかし人選をそのようにしてしまえば、途中からやり方を変更しようとしても、なかなかできることではなかった。ただ遠藤が外れたからできなくなった、などという単純なことではない。
バーレーンは、ジーコ監督時代の予選ではホームでオウンゴールの1点によって辛くも勝ったという経験からも、甘い相手ではないだろうし、さらにアフリカ人選手の帰化によって戦力も強化されてもいる。強敵かと思われたが、試合が始まってみれば、前線に目的の定まらないロングボールを入れるという、昔ながらの中東の戦い方をするのみで、それほどレベルアップしているとは言えなかった。しかし、日本もそれにあわせ、ほとんど同じ戦い方になってしまっていた。その内容の貧困さが、日本中のサッカーファンにこれほどの脱力を味あわせているのだろう。
もう一度言う。なぜこんなことになってしまったのだろうか?
日本人のよさを発揮すると言うこと?
結論から言えば、現状の問題点は監督選びの際の混乱、大方針の誤りから生まれているものだと、私は思う。以前から書いているように、オシム前監督が倒れた後の、協会技術委員会とその上層部がなした後任監督の選定は、経緯にも疑問があり、かつ考え方もおかしなものだったと、私は思っている。その疑問点を引きずったまま、ここまで強化がなされてきたわけだが、やはり厳しい予選になると、そこが露呈してきてしまうということだろう。
小野技術委員長があげた岡田監督の選定理由は以下の三つである。
| (1)オシム監督が築いてきた土台の上に新しい色、個性を積み上げられる (2)強烈なリーダーシップ、求心力を持っている (3)(来年)2月6日(の予選まで)与えられた時間が少ない中でコミュニケーション能力がある |
当時からさまざまな疑問が投げかけられてきたこの選考理由だが、現在発売中の「サッカー批評」ISSUE38に、まさにこの点について答えた小野技術委員長のインタビューがある。バーレーン戦までの問題点を整理する助けになると思われるものであり、ここで参照しながら考察してみたい。まずは最も大きな問題点とも言える「土台」についてである。
小野委員長: 土台とは何かと言ったら、トレーニング法でもハウツーでもない。唯一残したかったのは私とオシムさんが一緒にやる中で、オシムさんがいつも言っていたことなんです。それは『小野さん、皆さん気づいていないだけなんですよ。日本人はこんなに素晴らしいって言うことを』と。私はこれだけを土台に残したかった。
(中略) 監督が変われば絶対にサッカーも変わります。トレーニング法も変わる。だから、練習法などを重視していたら、そっち(昇格人事)の可能性のほうが高かったかもしれません。私が土台と言ったのは、日本人の誇りを持って、日本人のよさを発揮するということ。
最後の一行が、一番わかりやすいだろう。私はこれを一読して、かなり驚いたものである。誇り云々は置くとしても、「日本人のよさを発揮するサッカー」というのは、強化方針、監督選定の方針としてはあいまいに過ぎる。言ってしまえばオフトも、加茂も、岡田(第一期)も、トルシェも、ジーコも、そしてオシムも、それぞれがそれぞれの考える「日本人のよさを発揮するサッカー」を追及してきたのではなかったのか。「それはどういうものなのか」ということこそ、技術委員会が研究し、監督選定の条件としなければならないものではないのか。小野氏はまたこう語る。
インタビュアー: では、具体的に、日本の航海の先、目指すところはどのように考えているのでしょうか。
小野委員長: こういうサッカーをしなさいというのは私が言うところではなく、それは託す部分なのですが、岡田監督と私は発想的にはかなり近いものがあります。
また後段では
インタビュアー: 日本人監督のもと、日本人のサッカーをする。図式としてはわかりやすいですが、そもそも日本のサッカーをどのように定義しているのですか。
小野委員長: 私の立場で言えば、誇りを持とうということ。具体的にサッカーに落とし込めるところは、私がいろいろと口出しすることではなく、現場でいろいろと考えて実践してくれるでしょう。
これらを読んでわかるのは、小野氏が「土台」と言うのは、「誇りを持とう」「日本人のよさを発揮するサッカー」という精神的な部分であり、それがどのようなものであるかは、「監督(=現場?)に託すものだ」と考えているということだ。私はこの部分を読んで、驚愕したものである。
私があるべきと考える代表監督選定のプロセスは以下のようなものだ。
| 1: 世界のサッカーの潮流、日本の現在位置、選手の特性などの分析、現状認識。 2: それに基づいて、日本代表の取るべきサッカースタイルの立案 3: そのサッカースタイルを実現した実績のある監督のリストアップ 4: リストの中から最適任者を選定 |
ところが今回はこのようになっているというのだ。
| 1: 日本人のよさを発揮するサッカーをすると言う監督にする 2: それがどのようなものかは、選んだ監督に託す |
はたしてこれが合理的な監督選定と言えるだろうか!
私は小野氏をはじめとした技術委員会の面々は、オシム監督と「どのようなサッカースタイルが日本人のよさを発揮するサッカーなのか」について議論を重ね、何がなしのコンセンサスを積み上げてきたと思ってきた。それがあれば、「オシム流の継承」ではなく、「コンセンサスとなったサッカースタイルを過去に実現した監督」を選定するのが合理的だと考えてきた。しかしこれでは、そういったものはまったくなかったのではないかと疑いたくなってしまう。
しかし、おかしいのはこの部分だけではないのだ。
破壊者はイヤだ?
インタビュアーが、「外国籍監督の中でも、日本を知った上で、コミュニケーション能力の高い人も少なくないのでは?」と質問したのに答えて、小野氏はこう返答した。
小野委員長: それは確かにいるでしょう。ただ、海外の監督さんで、日本のことを見下しているような人にはしたくなかった。それに、残された時間も考慮しました。というのは、新監督というのは多かれ少なかれ『破壊者』の要素を持たざるを得ないんです。破壊した上で自分の色をつけくわえていく。
(中略)先程、悪い時よりもいい時の方が難しいと言いました。今回のケースでは、破壊者の要素が強すぎ土台まで壊してしまうようだと、色をつける前に終わってしまうんですね。どんどんやりすぎて違う方向に行ってしまう。それはリスクが大きすぎる。日本人のよさを引き出してくれる人がベストであろうと思いました。
先程の答えでは、「土台」とは、「日本人のよさを発揮するサッカー」の部分「だけ」であると小野氏は言っているのだが、ここの部分では、「破壊者であってはならない」ということだ。これは、「昨年出来上がっていた(オシムの)チームを破壊しないでくれ」と言っているように私には聞こえる。もし新監督が「日本人のよさを発揮するサッカーはこっちだ」と言って、オシム監督の残したチームとは違うチームを作り始めたならば、それは完全な破壊者ということになるではないか。それではいけないと小野氏は考えたようだ。
小野氏が監督選定の際に「破壊しないこと」を念頭に置いた結果、岡田監督のチームマネジメントが制約を受けたのは、バーレーン戦後の岡田監督の発言でもかいま見られることである。
岡田監督: オレになってすぐ公式戦の予選(2月6日、タイ戦)だったから、いろんなことを変えるのはリスクが大きかった。今までを踏襲してやってきた部分が多い。我慢してきたこともあるけど、これからはオレのやり方でやっていく。戦術を含めてトレーニングの組み立てとか、口で説明すれば2時間はかかるから言わないけどね。
出来上がったチームを破壊せず、オシム監督が組み上げた「チーム」を継承する。のみならず、「戦術を含めトレーニングの組み立てとか」まで、岡田監督は「我慢して」引き継ごうとしてきたようだ。プロの監督が、他人のやり方で戦ってきた?なんとも不合理なことだが、小野技術委員長が「破壊者ではない監督を」と求めた結果、岡田監督が選定されたのだから、その意味では当然ともいえるだろう。戦術面では、例えば
岡田監督: 今まで人に付くディフェンスをやってきたが、自分のやり方ではなかった。
いわゆる「マンマーク」=人につくディフェンスを、前期オシム日本では採用していたが、岡田監督は「自分のやり方ではない」それを持って、ここまで戦ってきたのだということだ。なんということだろうか。
最初の最初に、オシム監督が倒れられた時、私は「オシム流の継承などを求めるな」と書いた。小野氏も、「監督が変われば絶対にサッカーも変わります」と言い、岡田監督自身、「オシムさん以外にオシムさんのサッカーはできない」と語っていた。これは当たり前の上にも当たり前、当然過ぎるほど当然のことなのだ。にもかかわらず、岡田監督は戦術やトレーニング法に関して、自分のやり方ではないものを「我慢して」行ってきたというのである。それは小野剛氏の「破壊するな」というリクエストに答えたものなのか、岡田監督自身が「変えることによるリスクを避けるため」に、そういう判断を下したのか。おそらくはその両方だろう。
上段では、「オシム監督の土台」とは、「トレーニング法でもハウツーでもない」と言いながら、監督選定の条件としては「破壊しないこと」を求める技術委員会。それにそって、「自分のやり方ではない」ものを、我慢して行い続けた岡田監督。しかしそれは強化の本道と言えるだろうか?本来ならば、「ボールも人も動くサッカー」を過去に実践したことがある監督が選ばれるべきだ。もちろんそこには再スタートのリスクがある。しかしそれは、前を向いた、強化の本道を行くためのリスクである。
逆に、「破壊はしないが、これまでのサッカーとスタイルの違う監督」にも、実はリスクがあるのではないか?そういう監督に、スタイルの大きく違う前任者の築いたチームを任せて、しかもそれを引き継ぎ、「あまり変えるな」という方針。そのようなリスクは、後ろ向きのリスクである。現状が維持できれば御の字、という弱気、日本代表の向かうべき大方針と乖離した「後ろ向き」な姿勢。監督をはじめとした首脳陣が、そのような態度を取っていて、選手が「考えて走る」わけがあるだろうか?その結果が、如実にバーレーン戦のピッチの上に現れていたのだ。
「空費」された4ヶ月間
岡田監督は、「これからオレのやり方でやる」という。最終ラインをマンマークからゾーンにし、約束事を増やすという。横浜Fマリノス時代からの仲である、小山氏を代表GMとして招くという(スポーツ紙の記事であり、どこまで信憑性があるかはわからないが)。私はこのどれもが、岡田監督である以上当たり前のことであると思う。むしろ今まで、他人の靴下で戦っていたことのほうが問題であり、うまくいくはずが無いことだったのだ。表面上はオシム監督の練習メニューを継承したとしても、それを駆使する人間が変わってしまえば、効果はまったく違うだろう。オシムサッカーを継承したようでいて、これまで見たようにサイドチェンジも、追い越しも無いサッカーになってしまったのは、その故である。
ただ問題なのは、そのこれからの「俺のやり方」なるものが、日本の大方針と合致するものなのか、否かということだ。本来ならば「あなたがリーグ戦で見せたあのやり方が、これからの日本代表の取るべきコンセプトだと思いました。ぜひあれを代表で実現していただきたい!」と言える監督を招聘するべきだった。最初に書いた「岡田監督にするなら岡田流を代表の大方針として選ぶと言うことだ」というのはそういう意味だ。はたして、今回の人事はそう言いえるものだったのか。それとも単に、「非破壊という小野氏のお願いを聞いてくれる監督=(我々と)コミュニケーションの取れる監督」という条件でなされた人事だったのか。
そしてつくづく残念なのは、そのオリエンテーション・ミスによって12月からバーレーン戦までの4ヶ月間が、「空費」されてしまったことである。岡田監督が「これから」開始する「オレのやり方」への転換は、結局のところ最初に小野氏が忌避しようとした「破壊」に他ならない。であれば、本来ならば4ヶ月前にそれを開始することができたのではないか?そうしながら、優秀な監督が「破壊→再構築」を時間をかけて行っていたら、シーズン前の長期の合宿や東アジア選手権、バーレーン戦前の10日に及ぶ合宿が、はるかに有効に使えたのではないか?
協会技術委員会の選択の不合理、その後のオリエンテーション・ミスと、受諾してしまった岡田監督によって空費されたこの4ヶ月間。そもそも使える時間が少ないうえに、アジア予選も始まっている日本代表にとって、この期間は時間が比較的豊富に取れたとも言える、非常に貴重な強化日程だったはずだ。それが完全に「無駄」になってしまったのだ。日本の予選突破にとって、この遅れが致命的でないことを、今は心より祈りたいと思う。
それではまた。
03:19 PM [サッカー日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
December 03, 2007協会は視野狭窄から脱せよ
11月30日に臨時の技術委員会が開かれ、岡田武史氏をオシム監督の後任として承認したという。私は、前回も書いたように、日本の目指すべきサッカー像を明確にしないままの、このようなPLANなき監督選定には真っ向から反対である。しかし、岡田氏は12月3日の常任理事会で技術委員会から推薦されることになり、このままでは岡田武史新日本代表監督が誕生するのは時間の問題だろう。ただ、現段階(12月2日夜)では岡田氏の側の受諾の意思は、技術委員会からは完全には明確にされておらず、残る望みは岡田氏側からの拒絶の返答しかない。
岡田武史氏は、日本サッカーの将来を考えるなら、この日本代表監督へのオファーを断るべきである。
成立しない三つの選考理由
技術委員会の小野剛委員長は、岡田氏を選んだ理由を三つ述べている。
| (1)オシム監督が築いてきた土台の上に新しい色、個性を積み上げられる (2)強烈なリーダーシップ、求心力を持っている (3)(来年)2月6日(の予選まで)与えられた時間が少ない中でコミュニケーション能力がある |
これは一目瞭然、「そのような条件を持って広く探した結果、岡田氏がベストと判断された」という条件ではなく、単に「岡田氏の持つ現時点でのメリット」を上げたに過ぎない。岡田氏がこれらの条件を本当に満たしているのか、同じ条件をより高い次元で満たす監督が本当にいないのか、岡田氏が本当にベストの選択なのか、小野委員長は説明する義務がある。
(1)について言えば、これまで日本が追求してきたのは「ボールも人も動くサッカー」であった。岡田氏はそうしたサッカーをこれまでの指導暦の中で実現したことがあっただろうか?私の知る限りでは、ない。参考になるのはこちらの後藤健生氏の記事であろう。長くなるが引用する。
さて、岡田監督というと、守備的なサッカーをするという印象が強く、オシム路線からは大きな転換となるように思われるかもしれない。
というのは、最後に監督を務めた横浜F・マリノスで、岡田は守備的なサッカーでJリーグを連覇したという印象を残したからだ。とくに、浦和レッズとの「最後の」チャンピオンシップでは、攻め立てる浦和相手に徹底して守って勝ったという印象が強かった。
だが、岡田監督は、つねに守備的なサッカーを目指していたわけではない。
コンサドーレ札幌の監督に就任した岡田は、初年度は昇格に失敗した。本人の弁によれば、「選手の能力を考えずに『さすが岡田だ』と言われるようなサッカーをさせようとした」のが失敗の原因だったという。そして、2年目は現実路線で昇格にこぎつけた。
横浜の監督に就任したときも、岡田は「常勝軍団」を作ると公言し、ポゼッションから攻め崩すサッカーを目指したが、やはり途中で方向転換して現実主義路線に切り替えている。その後も、何度か理想のサッカーに切り替えようとしながら、横浜時代は結局は現実路線で実績を積み上げたのだ。
この見方は、私の知っている岡田像と一致する。理想は別に持ちながら、それを実現することはできず、結果を残したのは理想とは別の現実的なサッカーだった。代表監督よりもはるかに時間の余裕があるクラブチームでもそうだったのだ。また、当時の横浜Fマリノスは、Jリーグの中ではもともと選手層に恵まれていたチームだった。世界の中の日本とは立ち位置が違う。そういうチームでさえ、現実路線で結果を追求したのが岡田監督だったということなのだ。
岡田氏が「ボールも人も動くサッカー」の継承、発展に適した監督であるという説明を、技術委員会はどのようにできるのか?
理念を捨て去る技術委員会
あるいは、「オシム監督が築いてきた土台」とは、「ボールも人も動くサッカー」のことではなく、単に現状のチームを引き継ぐということを言っているのだろうか?もしそうであるならば、これは噴飯ものである。前回も書いたが、監督が代われば練習メソッドもマネジメントも変わり、チームとしてはまったく別の機能を持つものに変わってしまうのだ。ましてやJリーグ全体から選手を自由に選び、入れ替えられる代表チームにおいておや。ここで新監督に「理念」ではなく、「これまでのチームを継承すること」などを条件とするのなら、それはまったく無用な足枷でしかないだろう。
そしてこの場合は、日本サッカー協会は「ボールも人も動くサッカー」を捨て去るということなのか?オシム監督が文字通り全身全霊をこめて日本にもたらそうとした、この2年間共に追求してきたはずのそれを捨てて、別のスタイルにチェンジするというのか。それはそれほど軽い理念だったのか。その程度のもののために、協会はオシム監督をジェフから引き抜いたのか。その程度のもののために、オシム監督はあれほどのハードワークをしてくれていたのか。
小野剛氏は、自らの良心に恥じることなく、この路線変更を天下に宣言できるのか?
「コミュニケーションの取れる監督」?
(3)の条件は、誰とのコミュニケーションの話をしているのか?という問題になる。選手とのコミュニケーションのことを言っているのなら、これは無意味であろう。よい監督の条件とは、選手をどのようにモティベートし、自分の考えを伝え、動かしていくことができるか、ということである。したがって、ほとんどすべてのよい監督は「選手とのコミュニケーション」に長けた人物だということが言えるからだ。
もう一つの可能性は、「協会とのコミュニケーション」である。かつて、ファルカン監督が「コミュニケーション不足」を理由に解任され、後任には日本人の加茂監督が就いたことがあったが、当時の場合も「協会と監督のコミュニケーション」の問題だった。このように考える時、どうしても浮上するのが「協会会長とのコミュニケーションが最重要視された」のではないか、という懸念なのだが、考えるのもおぞましいことなので、今はいったん置こう。
「協会と監督のコミュニケーション」のなかでもう一つ浮かび上がってくるのが、岡田氏と小野剛氏との関係である。
小野氏は、「少なくても岡田さんは、どんな条件を出そうと動くわけではないこはわかっていたので、大義、気持ちを動かせるかだと(打診は)大きな勝負と考えた」と話し、初面談の際、日本サッカーの非常事態であり、日本サッカーを向上させ、何とかしなくてはならない、と訴えたという。
リンク先の記事では、「10年前のアジア予選時のことが連想される」という意味のことが書かれている。当時は、加茂監督がアウェイで解任されるという緊急事態に、コーチであった岡田氏が監督を引き受けざるを得なかったわけだが、岡田監督と小野コーチの二人三脚で「難局」を乗り切った、という意識が、小野剛氏の側にあるのだろうと想像される。その認識が、岡田氏を説得する際の「日本サッカーの非常事態であり、日本サッカーを向上させ、何とかしなくてはならない」という言葉に出たのだろう。
おそらく小野剛氏は、再び自分と岡田氏との二人三脚で、「この難局を乗り切ろう」と考えたのではないか。そこで「技術委員会とのコミュニケーションが取れる」という選定条件を考えたのではないか。しかし、今回は当時とは状況が違う。最終予選の最中で、アウェイで、次の試合まで間がなく、ビザの関係で他の監督を呼ぶこともできない。そういう状態ではないのだ。むしろ状況としては、「加茂監督で予選に臨むかどうか」を決めるタイミングに近い。ここでベストのチョイスをすることが非常に重要なのだ。しかし、技術委員会は現状を、あの時のような「難局」と捉えてしまっているように見える。
ひとは、自分が今困難な状況に置かれていると感じると、どんどんと視野狭窄に陥っていくものだ。自分の視野が狭くなっているtことにも気づかない、いったん立ち止まって自分が何をしようとしているのかを見る余裕すらもない。そういう状態になってしまう。現在の小野剛氏、技術委員会の陥っているのは、まさに「それ」なのではないだろうか。
アジアの病理
少し話を変えよう。日本にとってのライバルであるアラブ諸国のサッカーは、一時期低迷していたのだが、それは「サッカー協会首脳部が、王族をはじめとする一部の権力者によって恣意的な運営をされ、彼らの好き嫌いで監督がコロコロ代わる」という理由であったと、私は思っている。また、韓国は1998-2001年の間、トルシェ監督の率いる日本の成長と相反して停滞をしていた(一例として、コンフェデ杯2001:日本準優勝/韓国GL落ちがあげられよう)のだが、それは外国人監督などの正当な、しかし耳の痛い批判を聞かず、自国人監督にこだわり続けたことによるものだろう。
これらはまさに、2002-2006の日本において発生し、そして今また再現されようとしていることではないだろうか?サッカー協会の権力が一部の人間に壟断され、彼の好き嫌いによる独断で監督未経験者を起用した2002-2006。そして、サッカー協会内部の人間が視野狭窄に陥り、広く意見を求めず、自分たちのやりやすい人間関係で周囲を固めようという2007年。そうしたことを繰り返していては、日本はかつての中東や、あるいは韓国のような、停滞に陥るばかりだ。
その後、韓国はようやく目を外に見開き、オランダからヒディンク監督を招聘、またアジア諸国は、2000年のアジアカップにおけるトルシェ日本や、2002年のヒディンク韓国の躍進に驚かされ、「海外の優秀な監督にある程度の期間きちんとチームを任せる」という方針を採るようになった。欧州や南米の優秀な監督に率いられたアジア諸国のレベルアップは、2004年や2007年のアジアカップでも再確認できたところだ。ここで日本がかつての韓国のように、自国内で閉じこもっていては、日本はアジアにさえおいていかれることになってしまう。
今はそういう分岐点にいるということを、技術委員会はもう一度認識するべきである。
「技術委員会がラクを出来る代表監督を」!?
「オシムさんが倒れた」「予選まで間がないのだから難局だ」「難局だから、理念は棚上げだ」「難局を我々と乗り切れるのは、我々とコミュニケーションを取れる岡田さんだけだ」・・・ここ数日の技術委員会の思考回路はこのようなものだろう。「第一には岡田さんしかいなかった」と小野剛氏は語ったという。実に視野が狭いのだ。ただでさえ広くはない視野が、「緊急事態だ」という思いにより、さらに狭くなってしまっている。小野剛氏をはじめ、技術委員会の面々にはいったん立ち止まって、深呼吸をすることを勧めたい。そしてもう一度自問するべきなのだ。「日本の目指すべきサッカースタイルはなんなのか」と。
多くのクラブチームが、その時々で目先の結果を追って失敗している。強くなるのは、継続的に結果を残すのは、あるいは大きくなっていけるのは、はっきりした一つのビジョン、理念があるクラブのみだ。Jリーグでも、世界でも、我々はそういう例をあまた見てきたのではないか?ましてや、日本の最高峰、日本サッカーのお手本、見本とならなければならないフル代表が、理念なく、監督によってコロコロとサッカースタイルが変わっていくようなことがあっていいのか。それであれば、何のための技術委員会なのか。何のための小野剛なのか。
時間はもちろんない。しかし、ここはアルマトイではないのだ。そして、先にも述べたように、優秀な監督は「選手との」コミュニケーションには長けているものだ。問題となるのは、「技術委員会との」コミュニケーションであろう。であるならば、ここで言う「コミュニケーションの取れる監督を」という条件は、なんのことはない、「自分たちがラクを出来る代表監督を」と言っているだけなのだ!現行技術委員会はそれさえも気づけないほど、視野が狭くなっているのか。
ここで外国人監督を招くのは、もちろん簡単なことではないだろう。招いた後も、問題は多い。Jリーグが開幕する前では、選手の選定も難しいだろう。これまで日本が戦ってきたスタイルや、やり方を新監督が知らない場合だってありうる。しかし、それこそ技術委員会の存在意義ではないか!全力を挙げて、選手のスカウティングビデオを作って監督と缶詰になればいいではないか。全力を挙げて、これまでのビジョンを、これまでの計画を監督にインプットしていけばいいではないか。そのために徹夜をしたからといって何なのだ。オシム監督が全霊をこめてきた理念を捨て去る方がいいというのか。
技術委員会よ、自分たちの易きに流れて、日本サッカーの行く末を誤っていいのか。
岡田氏は、オファーを断るべきである。
岡田氏は、このオファーを断るべきである。断る理由は、「日本協会が示す今後のビジョンが不明確だ」でよい。実際に恐ろしく不明確ではないか?これまでのビジョンとの継続性はなく、自分たちで危機だと思い込み、それを救って欲しいという泣きつくのみ。小野剛氏は岡田氏にとってもかわいい後輩であろう。彼は今、立場により、そして思い込みによる危機感によって、視野が極端に狭くなっているのだ。そのような不明をただすためには、岡田氏が断るしかない。非情なようだが、それが小野剛氏のためであり、日本サッカーの今後のためなのである。
岡田武史氏の英断を望む。
それではまた。
02:06 AM [サッカー日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(3)|
February 05, 2007Homeward Bound
昨年の10月からはじめたポッドキャスト「SoccerCast」ですが、どうやらポッドキャストランキングで総合90位を突破したようです。登録していただいた方は10000人を越えました。聞いていただいた皆様、登録してくださったみなさま、本当にありがとうございます。
ポッドキャストという新世代の大海の端っこで、こそこそとやろうと思っていたのに、こんなことになるとどうも緊張してしまいますね。普段10000人を前にしゃべったりすることはありえないじゃないですか(笑)。
さて、そのSoccerCastですが、少し前にサッカーキャスト 第6回 後半 「『JFAテクニカルレポート』と『敗因と』をめぐって」がアップされました。昨年末に相次いで出た「JFAテクニカルレポート」と「敗因と」。この両者以来、各所で「もう一度ドイツW杯の日本代表を振り返ろう」という風潮が出ていますね。私のBLOGでもちょっとやってみましたが、今回のSoccerCastもその一連の流れに連なるものになるでしょう。
ただ、三人で喋るものなので、こういうテーマだとどうしても熱くなりがち(笑)です。「思わず言っちゃった」とか、「勢いで」という部分がいささかあるトークになってしまいました。編集をしてくださった発汗さんも
やれやれ… 編集に苦労しました。 ともすればピーが飛びがちな激論でありまして、過激な方が良いという諸兄姉には物足りないかもしれませんが…
(^_^;)
とおっしゃっています。そういう熱い(?)トークに興味がおありでしたら、ダウンロードして聞いていただけるとうれしいです。
今すぐにでも帰りたい?
さて、サッカーマガジン2007/2・13「海外組が待ちきれない!」(しかし、川淵キャプテンが書いたようなタイトルですね・笑)において、中村俊輔選手の興味深いインタビューがあったようです。ネット的にはもう旧聞に属するかもしれませんが、非常に興味深いので、取り上げておきたいと思います。BGMは”Homeward Bound”(SIMON AND GARFUNKEL)で。
タイトルは、独占告白「もう一度、日本で・・・」となっています。海外に挑戦した選手が日本に復帰してプレーするのは珍しくないですから、このように言うこと自体は普通のことといえるでしょう。話題になったのは、中で明言されているその「時機」と「動機」についてです。記事中で中村選手は言っています。
中村: 帰れるものなら、今すぐにでも帰りたいよね。(中略)とにかくトップコンディションでいるうちに、日本に帰りたいんだ。
だれもが「えっ?」と耳を疑うような発言ではないでしょうか?彼はドイツでのあの失望を経て、今年雄雄しく復活し、セルティックでチャンピオンズリーグにも出場し、まさに欧州でのキャリアも順風満帆のはず。いよいよ来シーズンは念願のスペインか?と期待していた人も多いでしょう。それが「今すぐにでも日本に帰りたい」とは?
その動機は何なのでしょうか?
中村: そういう(高いレベルのでいろいろな)経験を、トップレベルでいるうちに日本で出してみたい。ワールドカップでやってみてそう思ったんだ。やっぱり負けたくないじゃない。日本代表をさ、日本のサッカーをもっと強くしたいんだよ。日本らしいサッカーをやって、世界で勝てるようにしたいよね。(中略)そのためには、まだ代表のスタメンでプレーできる力があるうちに帰りたいんだ。(括弧内補足:ケット・シー)
なんと、私はこれには驚きました。中村選手は、日本代表を強くするために日本に帰りたいと言うのです。これはちょっとユニークな、見方によっては素晴らしい考え方だと思います。
多くの選手がこれまでに海外へ挑戦しましたが、日本へ帰るにあたり、「夢破れて」というイメージを与えるケースがほとんどでした。本当はもっと海外でプレーしたいんだけど、プレーさせてくれるところがない。だから日本に帰る。残念なことですが、これまでの帰国の多くの場合はそうだったのではないでしょうか?
中村選手は違います。セルティックでも絶対に必要とされる、セルティック以外からでもおそらくオファーはある(だってCLのGL突破の立役者ですからね)だろうにもかかわらず、日本に帰りたい、という。そしてその理由が「日本代表を強くしたいから」。これは、「より高いレベルのリーグでプレーしたい」という欲求を、「日本代表への思い」が上回ったということですね。ドイツW杯での不完全燃焼感によるものでしょうか。私は、「そこまで代表に思い入れがあるんだ」と少ししみじみとしてしまいました。
現実的に契約は?
さて、このような移籍の時機について、現実的に問題となるのは契約がどうなっているか、ということです。何度かこのBLOGでも、あるいは他のいろいろなところでも話題になったことですが、日本の感覚では掴みきれない部分もあります。文中では、中村選手自身も契約の難しさに触れていますね。
中村: セルティックとの契約はあと1年残っている。今回その契約を更新しないで、次で切れるということになったら、今度はセルティックでどうなるか分からないよね。(中略)きちんと移籍金が発生して、日本に帰るっていうのがベストなんだろうね。
私の理解ではこの場合、移籍金が発生するには、
| 1)このシーズンオフ(契約が一年残った状態)で移籍するか(一年分なので移籍金は安い) 2)このシーズンオフにあらためて複数年契約を結びなおし、それが残った状態で移籍するか |
という必要がありますね。このシーズンオフとは、2006-2007シーズンの終わり、2007年夏ということです。
複数年契約が切れた選手は移籍金ゼロで移籍できますが、それを望んで複数年契約を更新しない選手は、最後の一年間、試合で起用されないなど「飼い殺し」のような目にあうこともあるようです。それでは選手として大きなダメージですし、オシム監督の代表選出基準にも合わなくなる。それもあって中村選手も「きちんと移籍金が発生して、日本に帰るっていうのがベスト」と言っているのでしょう。
ところでこの記事の最後には、中村選手はこう言っています。
中村: とにかく、30歳を迎えるまでには日本に帰るつもりだよ。
中村選手は1978年6月24日生まれであり、今年2007年には29歳になります。そして30歳を迎えるのは来年2008年の6月。と考えると、現行2006-2007シーズンの次、2007-2008シーズンの終わりには、30歳を迎えるわけですね。つまり、遅くとも来シーズンの終わりには、日本に帰るということを発言したわけです。また聞きようによっては先に提示した条件の一つ目、「このシーズンオフ(契約が一年残った状態)で移籍する(一年分なので移籍金は安い)」も視野に入れているとも取れます。
Homeward Bound
これによって、この記事のような騒ぎになったわけですね。
以上に見たサッカーマガジンの彼の発言からすると、「この夏J復帰」はさすがに曲解ですが、記事にあるような「いつかは日本でやりたいと言っただけ。(選手生活の)最後かな…。それが35歳になるかもしれないし」というのも少し食い違っています。まあ、地元サポやメディアの「火消し」のためにもそう言わなければならなかったのかもしれませんね。
もちろん契約のことを考えると、「契約が1年残っていて移籍金の発生するこの夏」という線もないわけではないですが、セルティックの現状を見ると、それはないだろうし、してほしくない。とはいえ、移籍金がからむ契約の問題は非常に微妙です。個人的にはセルティックに残るか、スペインへ挑戦するか、という選択を取って欲しいところですが、契約の問題から電撃的に・・・という可能性もなくはないでしょう。この先の成り行き(まあそれが発生するのは夏でしょうが)に、ちょっと注目する必要がありそうですね。
それにしても、中村選手のこの熱い代表への思いは、意外でもあり、代表サポとしてはうれしくもありました。そして、それだけでもない。オシム監督の「海外組にはクラブでレギュラーをとることに集中してもらうために、当面代表には呼ばない」という方針は、論理的には極めて正しい。しかし同時にそれは、代表への思いが強い選手にとってはうれしくないことでもある。そういうアンビバレント(二律背反)さを私はこの記事から感じたのです。
どうするのが正しいのか。そこに正解はない。オシム監督がいつも言うように、人生すべてがそうなのでしょうね。
それではまた。
03:45 PM [サッカー日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
October 04, 2005眼をもっと広く見開こう!
複数の新聞に、「川淵キャプテンが北京五輪代表監督に柱谷哲二氏を有力候補に考えている」という記事が出ました。すでにネットでも相当話題になっていますが、実際のところはどのようになっているのでしょうか。
関連ソースを読み合わせてわかるのは、
1)まずは川淵氏の「北京五輪は日本人にやらせる。」というこだわりが先にあること。
2)柱谷氏が浮上したのは「代表で功績のあった柱谷のような人物に機会を与えたい」という理由からであること。
3)現状は「引退後のコーチ実績などの調査を命じた」というレベル。
→逆に言えば、コーチとしての高い実績などが先にあって、それによって柱谷氏が候補になったわけでは「ない」ということ。
4)その後理由として、「阪神の岡田監督も2軍監督を経て優勝した」ということが語られた。柱谷氏が現在レッズのサテライトコーチであることが念頭にあるのだろう。
(サテライトリーグなどでの実績はどうなのだろう?)
5)ただこれも、まずは「日本人」→「元代表選手」という順で発想され、「サテライトコーチである」ことは後づけの理由に過ぎないということが、「実績は現在調査中」ということからもわかると思う。
(それが大きな理由なのであれば、他のサテライトコーチたちも同様に候補になるのでは?)
というあたりですね。
■不透明な選考経緯
本来であるならば、世代別であれ国家代表監督というものは、まずその目指すべきサッカースタイル像があり、それを反映して人選がなされるべきものだと思います。ブラジル的なポゼッションサッカーなのか、よりソリッドなプレッシングスタイルを狙うのか。それによって、それぞれを得意とする監督は違うでしょう。
また例えば直近の大会でのミッションとその達成度合い、失敗であるならばその問題点などに対しての洗い出しがあり、それについての修正に向いている指導者を迎えることも考えられてもよいでしょう。戦術指導に問題があったのか、個の力を伸ばす、発揮させるところに問題があったのか、メンタル面なのか。それによって、どういうタイプの指導者が現在望ましいのかが変わって来るはずです。
そして、それらを見極めるためにこそ、代表監督候補には、監督としての豊富な経験があるべきなのです。以前指導していたクラブでの戦術、スタイル、実績、指導法、それらはすでにサンプルとして存在しているものですからね。それらを集め、分析して何人かの候補をあげ絞り込んでいく。それがごく常識的な人事のあり方でしょう。
しかし、この人選にそれはあるでしょうか。そもそも、柱谷氏は札幌でどういうサッカースタイルを取っていて、それは日本五輪代表がとるべきスタイルとどのように相関しているのでしょうか?あるいは、現在浦和サテライトでどのような指導スタイルをとり、それはどのように育成結果に結びついているのでしょうか?それを理解したうえで、このようなリストアップになっているのでしょうか?
「実績は現在調査中」ということは、以上のような選考経緯が「ない」ことを示しているように、私には思えます。まずは「名前」有りき。元代表選手だから、という理由で監督経験がない人物を候補に担ぎ出す、というのはいわば「ブランド主義」でしょう。札幌サポーターの方には大変申し訳ないことを言いますが、札幌の失敗はまさにそれによるものだったのではないでしょうか?
先にあげたような論理的な選考過程を取らず、一人の人物が「元有名選手だから」などの情実的な理由で五輪代表監督を決定するのは、これだけ大きくなった日本サッカー界、それを支えるサポーターのことを考えると、許されることではないと思います。
■新聞辞令?
また、今回の記事はいわゆる「リーク」によるマスコミ辞令により、世論を誘導して「候補」を既成事実化しようとする狙いがあるものではないか、という疑いがあります。よく国会議員さんや、野球のチームのオーナーなどが使う「手」なのですが、川淵氏もそういう手段に通じているのではないかと、過去の経緯などから「私には」思えるからです(イヤな想像ですので断定はしません。間違っていることを望みます)。
WEB埼玉の記事によれば、浦和の森GMは
「新聞を見て初めて知った。まだ本人もクラブも何も聞いてない。ああいう報道はどうなのか」と不快感を示した。
ということだそうで、やはりできればきちんと論理的な選考基準が示され、複数の候補などがリストアップされ、その後、公表されたりすることが望ましいと思います。突然たった一人の名前が、クラブへの打診よりも前に新聞をにぎわせたりするのは、先のような疑いや、森GMの感じるような疑問を引き起こす可能性の高いやり方だと思います。
■日本の行く道を決める人事
アテネ五輪、オランダワールドユースで日本代表は成功したとは言えないと思いますが、それに対する総括、何がいけなかったのか、について、何もまとめれらていないことが、「次はどうするのか」について迷走する大きな理由でしょうね。さらには、それらの(サポーター的には満足のいかない)結果について、日本サッカー協会には「危機意識」が薄いのではないか、と感じられます。問題があったと認識できていれば、このような人事になるわけはないでしょう。
日本サッカーはここ10年で大きく発展しましたが、まだまだ謙虚に世界から学ぶ時期ではないでしょうか。そのためには、世界に向けてもっと眼を広く見開いて行く必要があると思います。もちろん「外国人監督でなくてはならぬ」と決めることはないけれども、外国人指導者も日本の五輪代表監督の有力な候補として広く選考の対象にするべきでしょう。頭から「日本人にやらせる」と決めつける理由はどこにあるのでしょうか。
日本サッカーは2002年にベスト16入りを果たした。2005コンフェデではブラジルといい試合をした。しかしそれで思い上がって、「もう学ぶことはない」と世界から目や耳を閉ざしてしまったら・・・。メキシコ五輪後とは状況が違うと思いますが、当時の凋落を招いた原因に「現状に胡坐をかき、その後の向上への努力、真摯に外から学ぶ姿勢などを失った」ことがあるとするなら、今の状態はかなりそれに近いと言えるかもしれません。
また、日本人監督であっても、少なくともJリーグなどにおいて、実績のある指導者はいくらでもいるはずです。彼らならまだ話は違います。しかし、なぜ柱谷氏なのか。サテライトのコーチであるといっても、そういう方はあまたいるでしょう。彼が選ばれた理由が「元有名代表選手であるから」ということだけであるなら、それは「いつか来た道」「いつか誰かが通った道」としか言えないのではないでしょうか。
■「1回の失敗」からの復活
もちろん、「柱谷は札幌で失敗したが、1回だけじゃ失敗に入らない」というのは真実です。「サッカーの監督は3回解任されて1人前」だそうですから(笑)、1回くらいの失敗がなんだ、と思うくらいでいい。しかし、そこからまたチャンスをつかみ、這い上がるのは自分の力でやるべきです。サテライトのコーチでもいい、大学の監督でもいい。そこで実績をあげてからJFL、J2といったチームに望まれるようになり、そこからさらにJ1へ、国家代表へ、と、自分の力で上っていく。いわば「指導者にとっての目標のコース」ができる。そうなってこそ、真の意味で日本のサッカー指導者の育成ができるのだと思います。
それを、いきなり協会トップ、キャプテンの指名、肝いりで、ヘリコプターで山頂に降り立つようなことをして、どうするのでしょうか。年代別代表は、選手の育成の場ではあっても、監督を育成する場ではありません。あってはなりません。大事な年代別代表の監督を、情実で、ブランドで、親分子分意識で決めてしまう。そのようなことは、日本が世界のトップ10へ向かう道を、自ら閉ざしていることに他になりません。もう止めましょう、そんなことは。
さて、最後に一つ言っておきたいのですが、私は柱谷哲二氏については何も含むところはありませんし、今後さらに経験をつんでJ2やJ1の監督に就任される時が来たら、かつて彼が選手として率いた日本代表を熱く応援したものとして、それなりに歓迎、応援したいと思っています。今回の突然の話は、地道にサテライトで指導をする彼にとってもむしろ迷惑な話だったのではないでしょうか。ここに今回の人事についての問題点を指摘はしましたが、それとは関係なく彼の今後の活躍、発展を祈っていることをここに書いておきたいと思います。
それではまた。
12:40 AM [サッカー日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(4)|
May 02, 2005ちょっと今後のこと
黄金週間のJリーグまっただ中ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
ちょっと個人的備忘用に、今後のサッカースケジュールをまとめてみました。
(あくまでも個人的なものなので、遺漏等ありましてもご容赦願います)
しかし今年は、サッカーの大会ラッシュですね。
もちろんこれにJリーグやACLも加わるわけで、選手や監督、関係者の皆さんには本当にご苦労さまですね。くれぐれも深刻な怪我などないように祈りたいです。
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今後の観戦スケジュールに思いをはせる、ゴールデンウィークの合間の一日でした。それではまた。
07:16 PM [サッカー日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|
October 10, 2004ユース監督人事について
「2002トラウマから脱却しよう」へいただいたトラックバックに、お答えしてみたいと思います。
で、協会に求めたいものがリスクチャレンジなのですよ。現在のようにサッカー監督経験がない人物に代表監督をさせるようなリスクチャレンジではなく、今の日本サッカーに足りないものを冷静に分析してそれを持っている外国から積極的に学ぶ姿勢、外国人監督を招聘するにともなって発生するリスクに積極的にチャレンジしてほしいですね。
まったく同感です。どんな仕事でもそうですが「やりなれたスタッフと仕事をしたい」という気持ちは、ある程度仕事に慣れると必ず出てくるものですね。しかし、そればかりになっては成長がなくなってしまいます。それは避けたいものですね。
ただ、高校で実績を残した布監督、Jリーグチームを率いたことのある大熊監督の就任は、私はやや「プロとして監督を選び、プロとして評価」に近づいたように思い、けっこう歓迎していたんですけどね。あれ、清雲監督もJチームを率いたことはありましたか_| ̄|○
布監督の就任は、非常に分かりやすい根拠があると思いますが、そういえば大熊監督はどうでしょうか?私は「大熊ボイス」が(前回は)好きだったので、「アンチ大熊」ではないですが、大熊監督に就任要請をした根拠ってやや不鮮明な気がします。FC東京で見せたサッカーをユース代表に導入するべきと考えた?それ以前に若年の指導で実績を見せていた?私の情報収集具合が悪いのかもしれませんが、ちょっと不明です。協会もこの辺に関してもう一度アカウンタビリティを見せて欲しいものですが・・・。
意外な人が意外なところで就職活動していたり、意外な低賃金で働いていることだってあるんですから、どんどん良いものは人でも制度でも物でもどんどん入れてほしいです。
そうですね。マチャラ監督なんてどうです(笑)?。ジョダール監督やピーター・ウィズ監督のような人だっているんですしね。探せばそういう監督はもっともっといるはずだと思います。
心理学関係者としては,トラウマとかいう言葉を濫用しているのはいかがなものかと思うが,その他の主張はうなづける.
うああ、すみません。わかりやすくしようと思って使ってしまいました。
昨今の中東を見ていると、すでに各国ともコンパクトにしてプレスをかけるのは常識になりつつある。となれば、対抗策を考えなくてはならないのだが、それが深いライン取りとセットプレイによる得点ではたまらないではないか。
そうなんですよね。フル代表年代を見ていても、中東諸国(特に中堅以下の国)が、だいぶスタイルを変えてきています。日本はその先を行くはずだと思っていたのですが、現状はどうにも・・・ですね。
DFラインが低いのに、FWが高い位置からプレスをかけるとどうなるか?
FWとDFの距離が非常に開いてしまう。FWがせっかくプレスをかけて、相手の
ミスを誘っても、近くに味方がいないから、ボールが拾えない。つまり無意味なことを
延々と繰り返させている、ということだ。
FWが高い位置からプレスをかけるなら、それに連動してMFも適切な距離でポジションを取り、DFも適切な距離に位置することができればそれが押し上げになり、コンパクトが実現できるんですけどね。そのときの連動した動き、ポジション取りなどが、もっと上手く指導できているといいと思うのですが、各年代でなかなかできていないですね。
みなさまトラックバックありがとうございました。大熊ユース代表、シリア戦はようやく吹っ切れて、チームとしてもすることが整理でき、またシリアのプレッシャーの少なさにも助けられ、いいサッカーが展開できましたね。これをいつでも、強い相手でもできるようにするために、協会にはもう一度大きな目で課題を整理、次の監督(それはワールドユース後にはどちらにしても必要になることです)の人選に当たって欲しいですね。
それではまた。
12:19 PM [サッカー日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|
October 07, 20042002トラウマから脱却しよう(2)
2002トラウマその2は、「ラインを高くすることへの恐れ」である。
先日の五輪代表の考察にも書いたのだが、U-23もU-20も、結局実現していたのは「低い位置からのダイレクトプレー」であった。トルシェ代表の戦いを見て、「コンパクトに戦ってダイレクトプレーをするのは日本にあっている」「でもラインを上げすぎると裏を突かれるのが怖い」と考えてしまったのだろうか?ラインを押し上げるリスクを負わない、カバーを重視したディフェンスを、どの年代も採用してしまっている。
それ自体は一概に悪いことではない。どのようなコンセプトにもメリットもあればデメリットもあるのである。ラインを低くするディフェンスには、「ディフェンダーが守りやすい」「裏を突かれない」というメリットもあるが、いうまでもなく、「全体が間延びする」というデメリットがある。それにより試合全体を支配される可能性が高くなり、また、バイタルエリアを利用されての失点の危険も出てくる。
「間延びした中盤でパスをつなぐ」というのは、これもまた一概に悪いことではない。そこに出現するのは、ボールをコントロールする余裕と、敵との頻繁な1vs1である。そこで時間をかけてじっくりとポゼッションし、1vs1を制覇していこうというのは、敵との技量レベルに差がある場合は(例えばレアル・マドリーならば)、うまくいくことであろう。あるいは、各選手の「ボールのないところでの動き」がよくトレーニングされ、ボールを上手く引き出していける組織性があれば、これも問題ないであろう。
U-20代表ではどうだっただろうか。間延びしたフィールドで、ボールはつなげなかった。「ボールのないところでの動き」の組織性を高めるトレーニングはできていないようであり、また1vs1にさらされると、それを制していくだけの技量差は、アジアを相手にしても持っていなかった。結果として、ボランチが「序盤は中盤で持ちたくない」という状況になり、平山の頭めがけて蹴るサッカーになってしまっていた。
さらには、敵が高いディフェンスラインを引き、コンパクトフィールドでのプレスを挑んできたカタール戦では、そこにはボールを持った日本選手を複数の選手が取り囲む、1vs多の状況が出現してしまっていた。日本は中盤でのプレス合戦に持ち込めず、かつての中東諸国がやってきたような「ロングボールを放り込む」という時間が長いサッカーになってしまっていたのである。
さて、これは日本全体がとるべき方向性なのだろうか。議論は分かれるところだろう。なお、「ラインの裏が怖い」という意見は根強い。しかし私は、特に若年層において、コンパクトフィールドを高い位置で実現できる技術、その中でボールコントロールし、パスをつないでいく技術を伸ばすことが、日本の今後のためには必要であると思う。そのためには「裏恐怖症」から脱却する必要がある。
重要なのは「ダイレクトプレーかボールポゼッションか」ではなく、「コンパクトフィールドとプレッシング」であり、その中でもボールを繋げるようにするスキル、そしてそれを可能にする第3の動きなどの個人戦術なのだ。そこのところが取り違いされ、「低い位置でセーフティーに守ってダイレクトプレー」では、昔の「べた引きから放り込み」と変わらなくなってしまうではないか。
もちろん、大熊監督の志がそこにあるというつもりはないし、現チームがそれしかできないチームであるというつもりもない。しかし、「コンパクトフィールド、プレス、コンパクトの中でもつなげる連動性」をさらにさらに強調していくようにしないと、強い相手と戦うときには再び同じ状況になってしまうだろう。それではオフト以来の日本サッカーの時計を逆に進めてしまうことになるのではないだろうか。
世界は先に進んでいる。アジア諸国も追いつこう、追い越そうとしている。日本が停滞している暇はない。もっと世界から学び、もっと世界を目指して強化する必要がある。そろそろ2002トラウマから脱却しようではないか。
それではまた。
11:02 AM [サッカー日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|
2002トラウマから脱却しよう
ワールドユース韓国戦が終了しました。
序盤から試合を支配されながら、次第に盛り返し、ロスタイムに同点、さらに延長後半に再び加点されながら、もう一回ロスタイムに同点弾と、あまりの劇的な展開に心臓が止まるかと思いました。が、PK戦では女神は2度は微笑みませんでしたね。残念です。試合の詳しい展開はよそにお任せして、ちょっと思ったことを。
どうも現在の日本サッカーは、2002トラウマ(笑)にとらわれ、低迷の道を歩んでいるように思えてならない。あの男も罪な存在である/あったことだ。
「2002トラウマ」には2種類の意味がある。ひとつは、前監督の奇矯な振る舞いにより「もう外国人監督はいいや」という感覚を、日本の協会関係者、代表関係者に与えてしまったのではないか、ということだ。まあそれがなくても、もともと若年層の代表の監督は日本人であったから、ここに外国人指導者の登用はそれほど現実的ではなかったかもしれないが。少なくとも、フル代表監督が「人格的に優れた」「日本人のことを知っている」人物に落ち着いたのは、これによるところ大だろう。
「もう外国人監督はいいや」・・・そろそろそれから脱却しないと、このまま日本のサッカーはずるずると後退して行ってしまうのではないか。やはり、まだまだ日本のサッカー指導は諸外国に学ぶべきところが多くあるのであって、いかに勉強熱心な協会がスカウティングし、それを日本人指導者同士でフィードバックしたとしても、その指導メソッドにおいてそれは日本レベルの域を出ない。それがここしばらくの、各年代代表の低迷につながっているのではないか(もちろんそれ「だけ」ではないことは言うまでもないが)。
世界には、若年層の育成に長けた指導者はあまたいるであろう。東欧の指導者はそういう面で実績を残しているし、あるいは(あまりに人格が分からないと不安であるというなら・笑)、Jリーグにおいてかつて指揮を取った経験のある人物でもよい。また、日本サッカーが今後取るべきコンセプトを定めたら、それに近いサッカーをしている国の指導者(あるいはその実現に力のあった他国の指導者)を招いてもいいだろう。フランス型なのか、あるいはポゼッションを重視するオランダ型なのか、ブラジル型かもしれないし、メキシコ型かもしれない。彼らから学ぶべきことは、まだ非常に多くあるはずだ。
U-17布監督、U-20大熊監督、どちらも昔の「監督経験のない監督」や、「若年層の代表を監督の育成に使う」という状況からは、ずいぶんと前進し、それぞれ指導経験も実績もある人物の登用で、私は好感を持って迎えていた。しかしここ最近の日本サッカーの現状を見るに、ここに外国人指導者を置き、その豊富な経験によって指導をしていくことが必要だと思えてならない(もちろん、U-17の敗退という問題、U-19の1、2試合の印象からすべてを語るのは、はしょりすぎである可能性もあるが、さらにその上の五輪代表、フル代表を見ていてもそう思えるのだ)。
あるいは、若年層の代表監督が日本人になっているのは、トラウマ(笑)によるものではなく、別の理由があるのかもしれない。若年層の代表では、世界の大会をスカウティングして作成した指導方針をフィードバックし、それに基づいて指導してくれる監督がいい。それには外国人監督は難しい、ということであるのかもしれない。さらにはもちろん、予算の問題もあろう(ただ、予算に関しては、別に有名監督でなくてもいいのだから、それほど目の玉の飛び出るような額でなくてもだいじょうぶではないか)。しかし、そのようなコミュニケーションは、外国人監督であってもけして不可能ではないはずだと思う。オリエンテーションの仕方、ミッションの与え方さえ間違えなければ、外国人は必ずしも扱いがたいビジネス相手ではない(注:一部の奇矯な人物を除く・笑)。
「ワールドユース前に大熊監督を他の外国人監督に」ということが現実的であるかどうか、は現時点では私には分からない。もちろん、チームをワールドユースへ導いた大熊監督の功績は認めた上で、よりポジティブにそれができるのなら、してもいいだろう。また、そうでなくても、若年層の育成全体を考えた上で、今後はもう一度指導者選びの目を世界へ向ける必要がある、と私は強く思うのである。
(続く)
10:58 AM [サッカー日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(3)|
July 16, 2004ちぐはぐな召集劇
今日発表の五輪代表ですが、どうも高原は無理のようですね。ご存知のように、そうなった場合のOAの別の候補は1次エントリー(予備登録)に含まれていません。また、既に現地入りしているフル代表では、FWが鈴木、玉田、本山の3人だけになってしまいました。
なんともちぐはぐな招集劇という感が否めません。
山本五輪代表監督は、早くから小野、高原、曽ケ端の3人以外のOAを考慮しないと明言し、実際に予備登録にエントリーさせませんでした。「五輪に出たいと言う強い気持ちを持っていないと」などと発言していますが、高原には血栓症、小野にはクラブの事情と、出られない可能性は十分にあったわけで、なぜ3人以外を考慮に入れないのかがよくわからないですね。あれだけテスト、オプションの幅を広げておくことが大好きな監督なのに。
ガゼッタさんも書かれていますが、トルシェもテストテストの印象が濃厚であっても(笑)、中核となる構成はきちんと作り上げた上で、そこから枝を伸ばして行ったわけです。それも、五輪代表を組み込んだフル代表で、ハッサン杯などで好成績をあげたあとの五輪でしたから、OAはそこからフィットする選手を選べばいい、という状態でした。山本さんのチーム作りを見ていると、どうも突然合流するOAを中核にしてしまいそうで一抹の不安を覚えますね。
フル代表のほうは、まず、6月16日にアジアカップの予備登録メンバーが発表されました。この時点でFW登録は鈴木、久保、柳沢、永井、玉田、本山、の6人でした。久保はこれ以前の6月9日のインド戦でも、12日、16日のJリーグでも怪我を抱え、騙しだましの出場だったわけで、欠場することは十分に予測できましたね。
ジーコ監督はインド戦後、6月10日に母国ブラジルでの聖火ランナーのために帰国しています。もちろんブラジルでの仕事も大切でしょうから、そのこと自体には問題はないのですが、久保が欠場する可能性が濃い中で、予備登録メンバーにもう少し幅をもたせておくことができなかったのか、という点が悔やまれるところです。
得点ランクの上位に入っている大黒、播戸といったあたりは、少なくとも候補には入れておいてもよかったのではないか、という気がします。さすがに永井の交通事故、ヤナギのキャンプのため辞退、までは予測できなかったでしょうけれども、これまでの主力の一員だった高原も血栓→回復しても五輪、ということでアジアカップは出場できないことは確定していましたしね。
というわけで、来日直後の会見では、「久保もヤナギも呼ぶ」とジーコ監督も言わざるをえなかったわけですが、横浜FMとの確執とか、ヤナギとの話し合いとか、いろいろあった(笑)結果、FWは3人(本山はもともとはMFだよなあ)ということになってしまいました。まあ、何が起こるかわからない、ということを地で行くフル代表のFW選び、鈴木と玉田はフル回転で行かざるをえなくなりそうです。
こうなると、酷暑の重慶での連戦で、一番心配なのが選手の故障です。ジーコ監督のなかでは西や三都主、中澤もFW候補らしいですが、うまく選手に疲労を溜めないように、マネジメントして行って欲しいですね。
それではまた。
09:31 AM [サッカー日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
April 25, 2004おめでとう、女子代表!&・・・
女子五輪代表、出場決定、おめでとう!
選手みんな本当によくやった!監督、関係者の皆さん、お疲れさまでした!男子五輪代表に続き、「魂」の伝わってくる試合でした。私事ですが、友人と見ていて目がうるうるしてしまいましたよ。3-0!しかも最強の北朝鮮相手に!何より試合運びがなんとも堂々としていて、気力、体力が充実しているところが見て取れました。一番大事な試合で一番いい試合ができる。いや~最高ですね。
J-KETの女子代表ツリー1、同2をあらためて見ていると、本当にもう一度泣きそうになりますね。北澤のコメントにもぶんぶん音がするぐらいうなずいてしまいます。こんなに日本のサッカーファンの気持ちが一つになったのは、久しぶりなんじゃないでしょうか。「やれることはやった」、「だから負ける気がしなかった」・・・そういう言葉が、あらゆる年代の、男女を問わない代表チームで聞けるようになる日が早く来ますように。
しかし、個人能力ではかなり勝る北朝鮮も、モチベーションと組織が劣るとあのようになってしまう・・・。日本は全員が献身的に働き、体を張り、気力と体力を充実させて臨んだ。そして、「モチベーションビデオ」を作って見せたり、3点目は練習どおりのCKだったり、いろいろと参考になる戦いでしたね・・・。
さて、今週は超・代表戦ラッシュで、今日はもうフル代表親善試合vsハンガリー戦ですね。テレ東系で19:54分からです。
前々日合流、「15分しか練習できない」海外組を1次予選でスタメン起用する監督ですから、同じようにACL(アジアチャンピオンズリーグ)を戦って飛行機に飛び乗った磐田組を起用することは予想の範囲内でした。しかし、本当にコンディションに関してはほとんど考慮しない監督であるようですね。うーむ。
ということは、布陣は
----久保--玉田----
------藤田------
三都主-遠藤--福西---西
--茶野--マコ--坪井--
------楢崎------
という感じでしょうか。
ハンガリー側もこのあとvsブラジル戦を控えており、海外組はそちらへ召集、国内選手のみで日本と対戦するようです。ハンガリー国内組vsJリーグ国内組ということですね。ハンガリーリーグはUEFAランキング27位らしいです(ちなみにベルギーリーグが11位、ポーランドリーグが17位というところ)ハンガリー代表チームのFIFAランキングは72位(ちなみにオマーンは64位!)。なかなかハンガリーについての情報はないのですが、そこまで敵が自信を持つほどのレベルではないのではないかと思えます(笑)。
私は個人的には、コンディションが悪いとは言え、Jではなんともいえない強さを持つ磐田の選手たちが「戦いのうまさ」を発揮して、意外といい試合をしてくれる(しまう?)のではないかと期待しています。ある意味、両者オールスターでのようなチームですから、グダグダな展開になりそう、という感じですか(←それはいい試合とは言わない・笑)。アクシデントや、こういう外的条件がない限りサブが充実しないジーコジャパンですが、この試合もそういう機会になるといいですね。
本来なら、「ここでジーコ監督のチームマネジメントが試されますね」とか書くところですが、すでに本番たる1次予選で、チームマネジメントが壊滅的であることが見えてしまっているので、この試合の興味は選手一人一人がいかにがんばってくれるか、というところにしかありません。まあ、ハンガリーにあそこまで、なんというか、「舐められる」(笑)のも腹立たしいので、一泡吹かせて欲しいものです。
それではまた。
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April 09, 2004ちなみに
私は「トルシェをもう一度日本代表監督に」とはかけらも思っていません。
いや、何らかの条件でいよいよどうしようもなくなったら頼んでもいいかと思いますが、今はそういう状態ではないでしょう。
確かに今彼を呼べば、日本代表が抱えている問題の多くが解決はされるでしょうし、彼が日本の選手を把握していることも強みです。しかし、彼はよかれあしかれ「劇薬」ですから、今の日本代表の状態に、トルシェをぶつけることは私には得策とは思えないのです。
次には、心静かに応援できるプロの代表監督がいいなあと思うのですが。
01:18 PM [サッカー日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|