À la prochaine Philippe.
もうネット的には旧聞に属するかもしれませんが、中田浩二選手がマルセイユの練習に参加するようですね。移籍も可能性に入っているようです(スポーツ新聞の記事なので、まともに取り合いすぎるのも危険ですが・笑)。
トルシェは彼を左CBとして重用したわけですが、それは正確な左足でのフィードを買っただけではありません。首を振ってしっかりと周囲の状況を確認できる能力や、1vs1できちんとディレイでき、間合いに入った敵のボールをかっさらって行く能力など、中田浩二選手は体格がそれほど大きくなくても、近代的なCBとしての総合力が優れているという理由がありました。彼がフランスリーグに移籍して活躍できれば、日本のDFも国外で通用するという自信になりますね。
ところで、トルシェネタが一つ出たので、以前にSolvalofootさんからトラックバックいただいた議論にお返事をしたいと思います。お返事が大変遅くなってすみません>Solvalofootさん。もとの議論の方はこちら、いただいたトラックバックはこちらです。
私とSolvalofootさんの最大のすれ違いは「トルシェ戦術は高度か否か」ということであると思います。Solvalofootさんが最初に私に質問されたときに引用された、
98年の就任時点でトルシェが日本代表にもたらそうとしていたコンセプトは、先進的に過ぎるものだと思っていました。
当時の日本代表の実力から離れた高度なコンセプトを実現するには、練習のための合宿がやはり必要でした。
「トルシェに引き上げられた日本代表」
は、こちらからのものですよね(リンク先の文章を書いたのは、02年10月です)。
この文章が書かれた文脈においては私は、「トルシェの目指そうとしたコンセプトは、98年当時の日本から見て高度なものであった」と書いているに過ぎません。トルシェ戦術、トルシェ本人についての最終的な評価を下しているわけではないのです。例えて言うなら
A:受験生に「この参考書は、君には高度すぎるかもしれないよ」と言う場合
B:「この参考書は世界の参考書界でも高度なものである」と言う場合
私はAの文脈で話しているのですが、Bのように捉えられているのがすれ違いの原因なのですね。私は「トルシェの戦術は世界のサッカー界から見て高度なものだ」などとは一度も思ったことはないし、書いたこともありません。彼のコンセプトのほとんどは、世界から見て別に特殊なものではない、と思ってはいますけどね。3バックでラインディフェンスをやるところがちょっと珍しいかな、というぐらいでしょう。
私が上のAの文脈で言っていることは、「98年当時の日本にとって、『ラインを上げてコンパクトに、攻撃的な守備で世界と戦う』ということ自体が、高度であった」ということなのです。98年当時の日本は「アジア第3代表」だったのですから。そして少なくともトルシェがそれを目指したこと、4年間に日本代表に戦術が浸透し、それが実現できた(本番の・笑)試合がいくつもあったことは確かであると、私には思われます。
たまたまトルシェであり、フラット3でしたが、仮にあの時ベルガーさんが来て、フラット4を、それによるアグレッシブなコンパクトフィールドでのプレスサッカーを導入しようとしたとすると、やはり私は「98年の就任時点でベルガーが日本にもたらそうとしていたコンセプトは、先進的に過ぎるものだ」と思ったことでしょう。それはモウリーニョさんでも、デルネリさんでも、いっそサッキさんでも(笑)同じなのです。
そして彼の言うラボに、その戦術にあう選手を招集し続けたし、その戦術に合うように教育していったわけです。(Solvalofootさん)
トルシェの戦術は、最終ラインを3人で構成する点を除けば、世界で見てそれほど特異なものであるとは、私には思われないのですね。
デルネリ・キエーボのアグレッシブなラインディフェンスもよく似ていたし、新潟で見たギー・ステファン監督(フランス人)のセネガルも同様のラインコントロールをしていました。高く保つ3バックにはビエルサ・アルゼンチンがありました(試合をスタンドからホームビデオで取って来たのですが、ラインの高さがよくわかります。いずれ研究してアップしたいと思っているのですけど、時間が・・・苦笑)。欧州でサッカーを見てきた方からは、「3バックのときのオランダも同じようなラインコントロールをしていた」というご報告もありますね。コンパクトフィールドで、高く位置するラインディフェンスで、アグレッシブに戦うチームはその他にも数多くあります。
そして、トルシェ戦術で必要とされる能力は、それらのチームでもほぼ同様に必要とされると、私は思っています。
■DFで言えば、ラインの上下動の原則を理解すること、ラインを維持しながらピッチ全体を見回し、自分で危険を判断する個人DF戦術など。
■MFでは、しっかりとした個人戦術でプレッシングをする能力、ボールの動きを見ながらポジションを移動し、よい体勢でパスを受ける動きを連続する能力、もちろんそこからのトラップ、パス能力、そしてスペースがあれば前線へフリーランニングする能力など。
■FWでいえば、ボールの動きを見た動き出しによってパスを引き出し、速い攻撃につなげる能力、適切なタイミングでポストに入り、キープする能力、前線からのプレッシングに参加する能力などなど。
それらは「ラインを上げてコンパクトに、攻撃的な守備で戦う」コンセプトを目指すチームでは必ず必要とされるし、むしろ現在のサッカーでは必須の能力といってもいいかもしれません。
また、ネット上のソースがなぜか(笑)消えてしまったんですが、中村選手がレッジーナ移籍後の関西のニッカンスポーツにおけるインタビューで、「こっちでは守備もしなくちゃいけないし、戦術も守らなくてはいけない(大意)」と、答えていた記事を読んだことがあります。欧州の試合を見ても、しっかりとしたラインディフェンスで、きちんとプレスをかけて戦うチームは、選手の動きが整備よくされているのが見て取れることがありますね。トルシェがやっていたことは、それらのチームで普通に行うことがほとんどでしょう。最終ラインが3枚であること以外は(笑)。
ところで、これと関連してこちらのエントリーの
ジーコが代表監督に就任して、チーム全体の約束事がないと代表選手といえどバラバラになっていた。トルシェが重んじた戦術が、真にサッカーの基本に即したものならこんな事態にならなかったはずではないか?あんなに繰り返した判断力を高める、コミュニケーション能力を高めるトレーニングがサッカーの真理に即したものなら、その後の監督が誰であれもっとコミュニケーション能力が高くて有機的な代表チームであり続けたはずだ。
この部分ですが、それはちょっと無理というものでは(笑)?例えば、ベンゲル監督の戦術は欧州でも普遍的なものの一つだと思いますが、ベンゲル監督が去った後のグランパスにはそれは残ったでしょうか?サッカーのチーム、戦術はきわめて有機的なもので、しっかりと練習を繰り返していないと、いったん身についた戦術も機能させられなくなってしまうものだと思いますよ。選手の顔ぶれも変わり、形成するべき共通理解の相手も変わっていくのですから。
さて、私は上記のようにトルシェ監督の戦術を「取り立てて高度ではないが、普遍的な要素を多く含む、普通の戦術の一つ」と考えています(98年当時の日本から見ると相対的に高度ではありましたが)。ですから、それを若い選手たちに徹底させたことは、よいことであったと思っているのです。ドイツ戦の後、高原も小笠原も「やっぱりこういう相手には前線からプレスしていかないとダメだよな」と言っていましたね。トルシェ戦術かどうかはともかく、今後日本代表が再びそういうサッカーを志向していってくれると、私としてはうれしいです。
あといくつか、ピンポイントで(笑)。
小野はサイドにおいやられていて、中村はベンチにもいなかった。(Solvalofootさん)
中村選手は怪我でしたよ。W杯明けのJリーグ1試合目も欠場していましたね。
ちなみに4-2-3-1はもう流行遅れですか(笑)。
ああいやいや(笑)、4-3-3が増えてきたとか、ちょっと潮流が変わってきたかな、という程度だと思います。まあ、あまり重要なことではないと思いますが。
しかし、当のトルシェ本人がマルセイユでやればこの後の展開は分かりませんね。
ちなみに、西部さんは著書「スローフット(リンクはアマゾンアフェリエイトです)」のなかで、かつてのマルセイユのアラン・ペラン監督は「フラット3」を用いていた、と書かれていますね。マルセイユはフラット3好きなのかな(笑)。
きっかけになるとは思っていませんが、ジーコへの考え、トルシェへの評価、もっと多様な雰囲気になっていけばより代表をとりまく空気がおもしろくなっていくと考えています。ジーコも神様ではないし、トルシェもただの過去の人ではく、さよならなんてまだ出来ないと思いますので。
そうですね。でも最近は、相当多様な雰囲気になってきているように、私は思うのですけどね。やはりアジアカップという真剣勝負の本番で結果を出したことは大きいですよ。私も「ジーコはなぜ勝てたのか」を考えるのは、非常に重要だと思っています。それが今年の最終予選にもつながってくるわけですしね。
ただ私は、「トルシェではここが不満だった、ジーコではそこが解消されている、だからジーコがいい」という議論では、ジーコもかわいそうだと思いますけどね。これからは、ジーコはジーコとして、そのよい点もよくない点も評価する、そうしたほうがよいのでは、と思っています。
トルシェもマルセイユに就職したことだし、"À la prochaine Philippe"、でいいのではないでしょうか(笑)。
また、大変長くなってしまいました。それではまた。
06:42 PM [トルシェ・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|
November 26, 2004思い出雲(笑)
solbalou footballさんからコメント欄で質問をいただきました。以下のようなものです。
>>98年の就任時点でトルシェが日本代表にもたらそうとしていたコンセプトは、先進的に過ぎるものだと思っていました。
>>当時の日本代表の実力から離れた高度なコンセプトを実現するには、練習のための合宿がやはり必要でした。
>>「トルシェに引き上げられた日本代表」
など、トルシェ前代表監督が行っていたことが高度で、ジーコ現代表監督が行っていることがあまり高度ではない、代表は後退しているのではないか?という主旨のケット・シーさんの文章を目にすることがあります。このことに関して
1.フラット3は高度なのか(数年来流行っている4-2-3-1と相性も良くないとの印象もあります)?
2.高度ならなぜW杯やチャンピオンズリーグやユーロで見ることが未だにないのか?
3.なぜ自己主張していいのにフラット3の申し子的な宮本が高いライン設定を望まないのか?
と僕が疑問に思っていることを質問します。
コメント欄で書くと長くなりすぎると思いますので、こちらでお返事したいと思います。こちらでも長すぎるかも(笑)?
まずはじめに申し上げておきたいのですが、私は、ジーコ監督がやっていることと引き比べて、「トルシェのやっていたことのほうが高度だ」という趣旨のことは書いた覚えがありません(ありましたら申し訳ないですが)。ジーコ監督の、選手の判断力に期待するというやり方も、方向性こそ違え十分に「高度」なものだとは思っていますよ。
さて、それを前提にして、私の書いた「98年の就任時点でトルシェが日本代表にもたらそうとしていたコンセプトは、先進的に過ぎるものだと思っていました。」ですが、これは「最終ラインが3人のフラットディフェンス」だけを指しているのではないのです。私はそれはあくまでも「手段」に過ぎなかったと思っています。全体のコンセプトについては、「トルシエ革命」の中でトルシェ自身が説明しています。長くなりますが引用してみましょう。
私のコンセプトはいわゆるフラット3をベースにした、組織的なサッカーだ。それは同時に、攻撃的なスタイルでもある。というのも前線から組織的にプレスをかけ、積極的にボールを奪いに行くのも、奪ってからの攻撃を前提としているからだ。守備のための守備ではない、あくまでも攻撃のための守備。それがわれわれのディフェンスだ。
そして攻撃では、フィールドをいっぱいに使ったボール回しから、大きな波を作り出す。大きな波を作るのはリズムで、リズムに乗ったパス回しができれば、例えば楔を入れ損なうなど波が途切れそうになっても、いったん後ろに下げて再び波を作りなおすことができる。動きの質が高ければ高いほど、ボールが効率よく回れば回るほど、作りだす波も大きくなる。(49ページ)
前半は、いわゆるプレッシングサッカーの、そして後半は、ややボールポゼッションからの攻撃を指しているように聞こえますね。最終ラインの上下動は、これを実現するための手段に過ぎないと私は思っています。そして、この全体が「98年当時の日本には先進的過ぎる」と私は感じたのです。
しかし、ユース代表から五輪、A代表へと、技術の高い選手を中心にして戦術を浸透させて行くことで、「先進的過ぎて実現できない」ことはなくなっていきましたね。もちろん、このようなコンセプトが全試合で実現できたわけではありませんが、それが浸透し、実現できていた試合も多かったと私は思っています。
では質問に一つひとつお答えしたいと思います。
1.フラット3は高度なのか(数年来流行っている4-2-3-1と相性も良くないとの印象もあります)?
「フラット3をベースにした上記のようなコンセプト全体」は、「98年当時の日本から見ると」高度なものであったと思います。西野監督は当時、「ラインを上げて戦うのは強者の戦術だ。日本はもっと弱者の戦術を磨くべきだ」という趣旨のことを語っていたと私は記憶しています(ソースは失念しました。すみません)。また、例えば秋田も「ワンランク、ツーランク上のサッカーを目指しているのが良くわかるので、凄く刺激になります」(田村修一「戦地へ」63ページ)と当時語っていたようです。
4-2-3-1の流行はそろそろ終わったのではないかという気もしますが、それはおいておいて(笑)、サイドアタックを重視するここ数年の傾向の中では、3バックは全般によりうまく運用することが必要でしょうね。ただそれは「フラット3」だけのことでもないとは思います。
2.高度ならなぜW杯やチャンピオンズリーグやユーロで見ることが未だにないのか?
「フラット3」の部分に関してはそうですね。かなりオリジナルなようです。まあ前回のコメント欄でレバンテさんの書かれたように、「フラット気味の高い位置の3バック」がないわけではないようですが。
しかし、上記したようなコンセプト全体、「高いラインでの攻撃的な守備」に関しては、けして珍しいものではなく、昨年のポルトやデルネリ・キエーボ、木村さんのコラムによれば最近のバルセロナもそうしたサッカーであると言われているようですね。もちろん、このコンセプトも最終ラインのやり方で、ラインコントロール重視か、押し上げながらもカバーを重視するか、などに分かれているとは思います。
3.なぜ自己主張していいのにフラット3の申し子的な宮本が高いライン設定を望まないのか?
まず、ジーコ監督の要求する「一人余るディフェンス」では、主体的なラインコントロールが難しいということがあるでしょうね。それでも宮本は、なるべく高い位置で奪うのが日本のサッカーだと思っているようで、アジアカップ、バーレーン戦前のコメントで
日本としては、高い位置からボールを奪って、本来のサッカーをしたい。プレスがボールに行けていないので、それを意識したい。
と語っています。また、SPORTS Yeah!105号に田中誠選手のインタビューが載っており、1次予選アウェイのオマーン戦についての話題が出ています。
インタビュアー(三好えみ子):ディフェンス陣にとっては失点はある意味、厳禁の戦いでした。合宿ではラインを上げてコンパクトに、と話していましたが、実際試合では深めをキープしていましたね。
田中誠:本当はコンパクトな日本のサッカーを目指していきたかったんですけどね。前半はオマーンが勢いよくきていたので、防戦一方でラインを下げさせられてしまったという部分は確かにあります。ただ、今回の代表はけが人が多くてコンディションに差があったし、実際合宿に入ってから、選手個々が考えていることにズレがあることに気がついて。練習試合では市原ユース相手に2失点してしまった。それでジーコとツネ(宮本)が話し合って、オマーンの攻撃を止めるために多少ラインを下げざるを得ないということになったようです。
とのことです。私は「現在の宮本が高いライン設定を望まない」というほどのことではなく、本当は高くした方がいい場合もあるのだが、アウェイのオマーン戦では諸条件により低く設定した、という程度のことであると思います。
注記:上掲SPORTS Yeah!のインタビューでは、田中誠選手は引用部分後に「連携もスムーズにできるようになった」他、現代表を肯定する意見も多く語っています、念のため(笑)。
僕はジーコのやっていることは多くの選手に共有されていないのは残念ですが自分たちでしっかり判断してサッカーをするというしごくセオリー通りのことを代表に持ち込んでいるので、それはフラット3を身体に身につけてオフサイドの主張をする練習を繰り返すより意味があるのではないかと考えています。(solbalou footballさん)
ちなみに、代表の練習をよく取材する、あるジャーナリストさんと話をしたときには、「トルシェの場合でもラインの上下動の練習は10%程度だったよ」と言っていました。そこばかり強調して報道されているけど、それよりずっとスクエアパスの練習や、プレスのかけ方の練習の方が多かったそうです。日本のジャーナリストには「ただのパス回し(ウォームアップ)じゃん」とか、「ただのおっかけっこじゃん」としか見えないらしいですが(笑)。
それはともかく、ジーコ監督の「自分たちでしっかり判断してサッカーをするということを持ち込んでいる」ことはよいと私も思いますよ。しかし、あるコンセプトをしっかり持った監督が、それを身につけさせる練習をするということも、別に問題ではないと思います。例えばモウリーニョさんが来ても、ビエルサさんが来ても、そういう練習をするでしょうね。それは監督のタイプの違いに過ぎず、別に優劣があることではないでしょう。
ジーコへの不満とトルシェ時代への回顧が多くの場所で一緒くたに語られていることが多い気がするのでまずフラット3についてあらためて質問してみました。失礼します。(solbalou footballさん)
そうですね。その辺が一緒くたに語られることは多いですが、論点をぼやかしてしまう可能性も高いですね。同時にトルシェ時代への不満と、ジーコへの評価を一緒くたに語ることも避けた方が賢明かもしれません。川淵さんなんかには言ってあげたいですね(笑)。
トルシェの就職先が話題になっているところ、ちょっとタイムリーな話でしたね。それではまた。
09:30 AM [トルシェ・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|
April 09, 2004カズへの手紙
これは素晴らしい記事です。J-KETのほうでも、本誌発売時に話題になっていましたが、いやあもう、泣けてくるくらい、いい話。
練習が始まってまもなく、トゥルシエは僕に話しかけてきた。「君がいろんな経験を積んでいるのは一目でわかる。若い選手も多いから、コミュニケーションをとってチームを引っ張ってくれ」とね。
私は、トルシェ監督のモチベーション・コントロールにおいて、トルシェが「競争政策」を利用してチームを戦う集団にしようとしていた、という趣旨のことを書いていますが(正確にはそれを書いている記事を紹介)、トルシェのしていたことはそれだけにとどまりません。
カズのような、若い選手に影響を与えられる選手を呼び、上記のようにオリエンテーションをし、それによってチームのメンタルにプラスの影響をもたらす。カズの最初に呼ばれたこの合宿は、シドニー五輪予選が終わり、非常に期待された五輪代表がフル代表に融合し始めるちょうどその時期です。つまり、ここでは、カズやゴンのような選手を五輪代表の選手に「お手本」として提示することで、チームのメンタル作りをしようとした、とみることができるわけです。
同じような例が、2002W杯時にもありましたね。トルシェのモチベーション・コントロール手法は「競争政策」だけではない。それが確認できる記事でした。
経験から言えば、いい監督はメンタル面を含めた選手の状態を見抜く目を持っている。トゥルシエも優れた観察眼の持ち主だった。練習、試合、移動や食事の間でさえも選手全員に目を配っていた。
これを今の代表監督にも要求したいのですけどねえ。はあ。
あと昨日のコメント欄へのレスです。
>H-ICHIJYOさん
なるほど。それがもっと根付いていくといいですね。ただ私の言いたかったのは、柏餅や大道芸人に「地元密着感」が感じられないということなんです(笑)。他にいいアイデアはないかなあ。
> 湘南蹴鞠屋さん
まず関西ということは大きいのでしょうね。そして他のプロスポーツが多い大都市は逆に難しい、というのもよくわかります。でもFC東京もだいぶ集客力を高めてきているし、なんとか人を集められるようになって欲しいですね。私も一回行ってみたいです。
それではまた。
10:27 AM [トルシェ・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|