February 04, 2005

北朝鮮戦のメンバーと「家族」

glassシリア戦については、友人とわいわい観戦モードでしたので、感想はまた後日に書きます。まあ、シリアはカザフスタンよりも、細かいところが少しずつ上手く、北朝鮮戦に向けて負荷をかけていてコンディションが底である日本は、序盤ちょっと苦労しましたね。しかし、サイドからのクロスというパターンを徹底し、そこから点が取れたのがポジティブです。後はこれを北朝鮮戦に向けて微調整して行ってほしいですね。

さて、それを受けて北朝鮮戦に向けてのメンバー24名が発表になりました。ここからさらに6人が絞られ、実際の1次予選には18人で臨むことになります。いよいよ最終予選の実感がわいてきましたね。

ここでなんといっても興味深い、話題を呼ぶのは、海外在籍選手からは今回は2人しか召集を受けていない、ということでしょう。ジーコ監督は、カザフスタンとの試合後

ただ、昨年と違って、帰国した選手のコンディションや、実際に試合に出て貢献できるのか、活躍できるのかという部分をよりシビアに判断したい。試合勘などの問題も含めて、パフォーマンスに影響がないと思われる選手を選んでいきたい。

シリア戦後には、

海外組から誰を呼ぶかについては、もう少し考えるが、基本的にいえることは、今のこのグループを次の試合にもう少し残したいと考えている。それにプラスして、誰が来るかということだが、できれば今日のスタメン+ベンチを最初の試合(北朝鮮戦)にぶつけてみたいという気持ちはある。

と語っていて、この言葉を有言実行した形になったわけです。よいことだと思います。

「ジーコ監督の強化法は、選手間の話し合いや、試合でできるコンビネーションに負うところ大であり、集まってから機能するまで、ある程度の期間を必要とする」と私は思っています。従って、「合宿で連携を作れる国内在籍選手」に、どうしても直前合流となってしまう海外在籍選手のうち、コンディションのよい選手を「全員ではなく」何人か組み合わせる程度で試合をすべきだ、というのが私の昨年のオマーン戦以来の主張でした。当初は、おそらくジーコ監督も国内組のプレーに不満があったのでしょう。どうしても戻ってきたての海外組を主軸に据えていましたが、チェコ戦あたりからそれが変わり、アジアカップで大きく信頼を増し、そしてここに来て、ついにこのような変化が起こったわけです。

小野は怪我からようやく練習を始めた程度、ヒデはプレーを始めましたが調子は上がっていない状態です。しかし、大久保も(怪我があるとはいえ)、ヤナギも、稲本も試合に出ていて、出れば活躍しています。去年のオマーン戦でも、怪我で長いこと試合から離れていた選手や、ベンチを暖めることの多かった選手がいましたが、全員が招集され、ピッチに立ったのと比べると、かなりの変化を感じます。

ところで、尊敬する宇都宮徹壱さんが、「絶対的な父性」としてのジーコというコラムを書かれています。この中には、北朝鮮戦のスターティングメンバーに稲本を書き入れていたり、ジーコのシリア戦後のコメントを「リップサービス」としたり、「外した」(笑)ところもあるのですが、そんな枝葉末節はともかくとして、全体の趣旨は大いに同感できるものでした。

宇都宮さんはジーコジャパンの特徴を

意外にも今の代表は、日本の伝統的な家制度における「ファミリー」に近い、というのが私の分析である。そして、その「ファミリー」を支えているのが、ジーコの絶対的な父性、なのである。

とします。このような「家族観マネージメント」は、J-NETJ-KETでも何度か話題になっていたことですが、私も当を得ていると思います。ジーコは昨年の終わりになってよく「サブの選手は列の後ろに並ばなくてはならない」という趣旨のことをインタビューで語っていましたが、そのようなヒエラルキーを作ること、それによって選手起用を決めていくことが、ジーコジャパンの大きな特徴でした。そして、その列の順番は当然、「家父長」であるジーコ監督が決めるものであるわけですね。

思えば、2004年とは、私たちサポや、メディア、そして選手たち自身もその「家族観マネージメント」に慣れていく過程だったのではないでしょうか。

ジーコ監督はその独自のヒエラルキーによって、昨年は海外所属の選手たちを直前合流にもかかわらず強硬に起用、それがチーム全体を戦う集団とはいえないものにしているような状態が発生しました(オマーン戦、シンガポール戦)。(いわゆるキャバクラ事件はそれとは関係ないもの、単なる規律違反事件と私は捉えていますが)

またかよ、っていうのは正直なところみんな感じてる。なにをか作ろうと思っても、次にはまたイチからやり直しってこともある。でも与えられた中で最大限やるしかないし、それが代表選手ってもんでしょ、下を向いていても仕方ないから。(サッカーダイジェスト5・25日号「ある選手の弁」)
今の代表チームでは、サブの選手に厳しいことを言うのは良くないと思うんです。ジーコはレギュラー以外のことをほとんど考えていないように見える。控えは完全な紅白戦要員で、チャンスがないんです。で、そこにコンディションの悪い海外組がやってきて、厳しいことを言われるとそれはちょっと違うんじゃないかと感じる。自分も最初はサブ要員だったから良くわかる。(NUMBER2005年1・13日号、中澤談話)

これがオマーン戦、シンガポール戦の苦戦のひとつの原因であったことは、間違いないものと私には思われます。

それが変質した(ように見えた)のが、4-5月の東欧遠征でした。ハンガリー戦で久保と玉田の組み合わせで試合内容が良かったことを受けて、海外組が合流しても彼ら二人の組み合わせが紅白戦のレギュラー組に入る。ジーコ監督のこのようなアクションにより、宿舎では国内組が率先して動き回り、選手間で話し合い、約束事を作っていったといいます(前出サッカーダイジェスト5・25日号)。

しかし、アジアカップでは、再びジーコ監督の「ヒエラルキーによるスタメン固定」がクローズアップして表面化したように見えました。グループリーグ突破が決まったにもかかわらず、イラン戦でも同じメンバーをピッチに送り込む。連戦の疲労を考慮しないそのやり方は、いかにも不合理であるように思われました。

しかし、アジアカップでは2月の試合とは条件が変わっていました。それは

1)サブの選手の心構えの変化
2)ジーコ監督が選手を大事にしていることが浸透してきた
3)中国という超アウェーの環境

という要因によるものだったと思います。選手は口々に「藤田や三浦淳に助けられた」「サブの選手が気配りをしてくれた」と語ります。彼らの行動で、チームは次第に一つとなり、2月のオマーン戦時とは違ったものを見せ始めていました。中田浩二選手は

メンバーを固定して戦うのがジーコのやり方だから、選手はそれに慣れなければならない。(Sportiva 2005年2月号)

と、「家族観マネージメント」「ヒエラルキー主義」を選手が理解し、それに慣れていく必要があると語っています。また、同誌では

選手全員に気を使っているんです。一人一人に声をかける、ということはしないけど、選手を大切にしているな、ということはすごく伝わってくる。だからこそ、選手は結果を出して、ジーコに返さなければいけない。(藤田)

というような、2)のジーコ監督のマネジメントスタイルも選手に理解されてきたことを示す談話も多く紹介されています。この辺は、ブラジル代表テクニカルコーディネーター時代にも発揮された、ジーコ監督のはっきりとした美点でしょうね。

そして、ここからは想像なのですが、このような「家族観マネージメント」が最も力を発揮するのは、実は「家族が危機に瀕したとき」なのではないでしょうか。「家族」は、普段はそれほどでもないですが、その集団が脅かされた時には団結し、自らを守るために非常に強い力を出す。それが現れたのが、あの超アウェーのアジアカップであり、その中で何度も見せた底力、そして現在に至る勝負強さなのではないかと思います。

日本に対する風当たりが強かったから、それを全員で吹き飛ばしてやろうという気持ち、それがチームのまとまりにつながったのかもしれません。(前出Sportiva 楢崎)

さて、今回さらに「次男坊」や「三男坊」に対する信頼も高まってきたことが示されました。家族としてもまとまりも出てきて、もはや昨年のようなことはないでしょう。最終予選はけして楽な道ではないでしょうけれども、「家族」としてのジーコジャパンなら、逆境でこそ真価を発揮してくれることと期待したいと思います。

それではまた。

12:04 AM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|

January 19, 2005

バーレーンはそれほど組織的?

nightちょっと古いのですが、興味深い記事を見つけました。Number618号の、永井洋一氏の記事です。

全体としては「アジア最終予選で、日本は苦戦しても突破するだろう」という趣旨ですから、大いに賛成です。特に去年獲得した「カバーを重視した守備、セットプレー、個人能力、そして落ち着き」という強みを発揮することができれば、アジアにおいての4.5枠ですから、まず問題なく突破できると信じています。

ところで気になったのが、次の一節です。

チーム全体がコンパクトにまとまり、前線から積極的な守備をし、奪ったボールは手数をかけずに早めに前線に送る。選手は「約束事」を忠実に守り、全員がよく動き、チーム全体に勢いがある。格上の相手にも「自分たちのサッカー」を貫き、試合展開はスピーディーである。オマーン、バーレーン、ヨルダンら、アジアで急成長したチームの姿だ。

これについては、「本当かなあ」とちょっと疑問を抱かされます。

オマーンは確かにいくぶんそういうチームでしたが、五輪予選でも、アジアカップでも、私はバーレーンにコンパクトネスを特に感じませんでした。前線からの積極的な守備というよりも、後方で人数をかけて守っているという状態が長く続いていたと思います。また、時間がたつにつれ間延びして、アジアカップでは10人の日本とオープンガードの殴り合いのような試合を演じていましたね。

ヨルダンについては、確かに日本戦では前線からプレスをかけてきました。いいサッカーをしていましたね。しかし、その前のヨルダンvs韓国戦では、ずっと自陣にはりついて、韓国の猛攻をやり過ごす、という戦いをヨルダンはしていました。日本人選手もそれらの試合のビデオを見た後には、

「彼らは人数をかけて守ってくる。注意しないといけない。(宮本)」
「ヨルダン戦は我慢でしょうね。人数をかけて守備をすると思うし、焦らず冷静に攻めの形を作れるかどうか。(三都主)」

などと、「引いた相手をいかに崩すか」が課題だと発言していたくらいです。

しかし、ヨルダンの監督は、試合後に「日本はDF3人に頼りすぎているから、攻撃的に出た」と言っていて、この「べた引きの韓国戦→積極的にプレスをする日本戦」の内容の変化は「日本を研究した上での意図的なもの」だったようです。(元のソース先が消えているので、それを確認したときの過去の掲示板の書き込みをリンクしてあります。)このことを見ても「ヨルダンが普段から、永井さんの言うようなチームかどうか」はけっこう疑問であると思います。

もうひとつ同じようなことで、疑問なのがここですね。

 W杯アジア最終予選では、「約束事」でチームが見事に統一されたバーレーン、北朝鮮と対戦することになった。アンチジーコ派が最も好むチームスタイルを持つ相手だ。

上記のように、バーレーンはそれほどコンパクトではなく、基本的には引いて守って身体能力を生かしたカウンターという、スタンダードなサッカーをするチームのように思います。その割りにディフェンスもそれほど組織的ではなく、穴が多かった印象です。「約束事で見事に統一された」と言うほどかなあ?北朝鮮については、永井さんはどのような試合を見てそういうチームだとおっしゃっているのでしょうか?サッカージャーナリストとして、普通よりも試合を見ることは多いでしょうから、しっかりと情報を集めて書かれているのでしょうね。私たちには情報があまりないので、対戦してみるまではわかりませんが。

それにしても、永井さんも

それでも「型」と「約束事」が大好きなマニュアル愛好者からは散々の非難を浴びている。
(中略)
アンチジーコ派が最も好むチームスタイルを持つ相手だ。

こんなふうに、何かの風潮に関して「仮想敵」を作って、その仮想の意見に反論するのは、あまり意味がないと私は思うのですけどね。「誰の考えのどの部分に反論する」ということを明確にしないと、どこにもない意見に対して議論を吹っかけることになってしまう可能性もあります。さまざまな人がそれぞれに少しずつ違うことを言っているのだし、それをまとめてこのように決めつけて、0か100かのレッテル張りをするようでは、それぞれの意見の相互理解も妨げてしまうでしょうに。

「型」と「約束事」も大切です。そうでなかったら何でドイツがあんなに約束事の多いサッカーをするのでしょう?そしてもちろん、それを越えたところにあるメンタルや、自信、落ち着きもすごく大切。ジーコはそれをもたらそうとしている。そういうものを両方評価して、その両方が日本代表に備えられるように期待、激励、要求することが、建設的というものなんじゃないでしょうか。

いずれにしろ、

日本代表は彼らとの戦いで確実に苦戦するだろう。しかし、勝負のポイントを押さえるのは日本代表だと信じている。

この部分は大いに同感です。個のチカラで勝る日本、多少苦戦したとしたとしても、アジアカップを制したサッカーができれば、確実に4.5枠に入ることはできると思います。ただ心配なのは、ドイツのように「個のチカラで勝る敵が、組織的に戦ってきた時」なんですよね。まあそういう相手と対戦するのは2006年の本大会においてでしょうからとりあえずは置いておいて(笑)、今は迫ってきた北朝鮮戦の勝利をただ祈りたいと思います。

それではまた。

08:25 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|

January 17, 2005

ヒデとプレス

ジーコ監督が、シリア戦に中田ヒデを呼ぶかもしれないことを示唆したそうです。

(中田ヒデの代表復帰は?)「難しい状況だが、トレーニングマッチが2試合ある。シリア戦に来て、1回出てくれればいいが…」

これは、J-KETで弥七郎さんのおっしゃっているとおり、「そこで合流できなければ、北朝鮮戦には間に合わないだろう」という認識を示したものだと思います。やはりしばらく代表から離れていたわけですから、最低一回はすり合わせの機会を作らないといけないというのは、これはきわめて常識的なことと言えますね。

1月17日 宮崎合宿開始
1月29日 カザフスタン戦(横浜国際)
2月2日  シリア戦(埼玉スタジアム)
2月9日  W杯最終予選 北朝鮮戦(埼玉スタジアム)

ヒデは言うまでもなく、非常に能力の高い、日本代表にふさわしいレベルの選手です。コンディションさえ戻れば、再び代表に名を連ねることは、私は当然だと思います(ついでに言えば、私は彼のプレーが大好きです・笑)。しかし、北朝鮮戦に起用すべきかどうか、あるいは、最終予選の戦いに組み込むべきかどうか、というのは、議論の分かれるところでしょう。

彼は、非常に確固とした「彼のサッカー観」を持っていますし、彼が代表に入るならば必ずそれを実現しようとするでしょう。そしてそれは、去年のジーコジャパンの勝ちパターン「カバーを重視した守備、セットプレー、個人能力、そして落ち着き」というものに、多少の修正を強いるものになるのではないかと思えるのです。

ジーコジャパンは、2003年のコンフェデレーションズカップで「プレスが効いたよい試合」を見せたのですが、それはヒデが主導したものだったと、私は思います。ヒデが代表に入るならば、必ずああいうことを実現しようとするでしょう。しかしその後、特にたとえば2004年2月のオマーン戦では、海外組(含むヒデ)との合流が遅れてしまったこともあり、その試合内容は再現されず、低調な試合内容となってしまいました。

それはその後も続く「プレスしようとするMFと下がるラインの間に広がるスペース」という問題が明らかになったものでした。

vital

ぽっかりとあいてしまったバイタルエリア

1: ボランチがプレスに参加している。
2: もう一人のボランチがDFラインの前に帰らない。
3: アウトサイドが絞らない。
4: 攻撃陣は攻め込んだまま戻らない。
(もちろんこれは、ジーコジャパンが常にこうなっている、ということではなくて、時としてこのようになってしまっている典型を図示したものです)

私は2月のオマーン戦も、先日のドイツ戦もスタジアムの上のほうの席から見たのですが、下がっていくディフェンスラインの前にぽっかりと丸い、誰もいないスペースができてしまう現象はまったく一緒でした。オマーンではバシールが、そしてドイツではバラックがそのエリアでフリーになっていたわけです。

ドイツ戦にはもちろんヒデは不在でしたが、試合を見てみると鈴木や小笠原、稲本が高い位置からプレスに行こうとしているのは見て取れますし、選手個々は「今日はプレスしよう」と考えていたことは確かだと思います。しかし、それが組織立っていず、個人で行ってかわされてしまうと、そこには下がっていくDFラインの前にぽっかりと空間が広がってしまっているのですね(これはアルゼンチン戦の記事ですが)。

やはり、「選手間の話し合いでチームを作る」ジーコジャパンの場合、話し合う時間がないと(オマーン戦、ドイツ戦)、プレッシング戦術のための意思疎通は難しいようです。むしろ「高い位置からプレスをかけよう」とすることこそが、「ぽっかりあいたバイタルエリア」を作る原因となってしまっているとも言えます。アウェーオマーン戦前の市原ユース戦での苦戦も、「プレスをかける加減があいまいだった(宮本)」ことによるものでした。

これを避けるためには、アジアカップやアウェーオマーン戦のように、いっそプレスを放棄してしまい、引いて守ることを基本とするほうがいいかもしれません。それならば、「カバーを重視した守備、セットプレー、個人能力、そして落ち着き」という、アジアを制した時の特質が、十分に発揮できるでしょう。

しかし、それはヒデのサッカー観とはフィットしないのではないかと、私は疑問に思います。ヒデは、大住さんの考えとは違い、「まずはよい内容のサッカーを求めていく」「それが、勝つ確率を高める」という考え方をする選手だと思えるからです。彼を入れるかどうか、ということは同時に、昨年のやり方にどこまで変更を加えるか、あるいは、ヒデに昨年のやり方を理解してもらうか、ということでもあるのではないでしょうか。

北朝鮮、バーレーン相手には、

あまりプレスしないで待ち受けて奪って、そこから個人技を生かして攻める、あるいはセットプレーを重視する。

というやり方で大丈夫だと私は思います。問題はイラン相手の時でしょうね。イランにどうしても勝たなくてはいけなくなった時は、本当はきちんとプレスができたほうがいい。それを、どこまで作れるか、そのためには、ヒデを入れたほうがいいのか否か。そこまで考えなくてはいけない状態にはならないことを願いたいですが。

以上の考察とは別に、ヒデが一日でも早く回復し、また万全のプレーを見せてくれることを祈ります。

それではまた。

04:18 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(3)|

December 20, 2004

目を向ける高さ

ドイツ戦において大変残念だったのが、日本が中盤で完全に劣勢に立っていたことです。そして、格上と戦うときの日本の生命線と考えられたプレッシングも、機能していませんでした。なぜこのようなことが起こったのでしょう。

それを考えようとした時、脳裏に一つの言葉が浮かびました。

若い、技術のある選手を、戦う戦士にしたこと

これは、日本サッカー協会の岡野前会長が、当時のトルシェ監督のどこを評価するか、と言われて答えたことです。てっきり戦術とかコンセプトとかモダンサッカーとか、そういう言葉が出てくるものと思っていた自分は少し意外に思い、そしてしばらくしてから深く得心したものでした。

就任当初から、前監督はメンタル面の強さの必要を説いていましたが、同時に「フィジカル・コンタクトを避けるな」ということも言い続けていましたね。練習では監督自らが選手に体当たりし、まるで格闘のようにフィジカル・コンタクトへの耐性、積極的な姿勢を身につけさせていきました。

フィジカル・コンタクトというと、日本人には苦手なものという意識が強く、体格差があってはそれは仕方がないものと受け止められてきました。しかし、中田英寿選手が欧州に渡ってセリエAにいるオランダやスウェーデンの大男(笑)たちと互角に遣り合っているのを見て、少し認識を改める必要が出てきました。それは「フィジカル・コンタクトも技術」なのだということ、そしてそれは意識やトレーニング、慣れなどによって改善できることだ、ということです。

実際、(トルシェ監督自身が敗因をフィジカルに求めてしまった)サンドニの後、その反省もあって、日本はフィジカル・コンタクトを避けない、深く体を入れ、最後の瞬間まで体を張るプレスを身につけました。そして迎えたコンフェデレーションズカップ、日本は以前よりもコンパクトを徹底したDFラインに加え、ハードなフィジカルコンタクトを含むプレスで、あの身体能力の高いカメルーンにも互角に戦い、決勝以外無失点で終わることができましたね。

それはW杯でも続き、体格面では先日のドイツとほぼ同等のベルギー、ロシアにも、フィジカル・コンタクトで負けず、ハードなプレスでボールを奪うことに成功していました。それは体格の問題ではなく、「苦手」という問題でもなく、プレスの連動性を体に染みこませておくことと、そして選手が「戦う」姿勢をどれだけ持っているか、ということによるものだと思います。

先日のドイツ戦、実は試合内容はシンガポール戦よりもよかった、と私は思います。これまでよりも、選手が前方へプレスをかけ、何とか高い位置で奪おうという意識は出ていました。しかし、この1年、高い位置でのプレスをあまり実行してきていない現代表は、それを上手く機能させることができず、プレスをかいくぐられ、ボールを動かされていってしまいましたね。

germanpress3これには二つの原因があると思います。一つは、やはり全体の連動性、そして小笠原が言うように、最終ラインの押上げなどが足りなかったこと。それによってコンパクトにできず、選手間の距離が離れ、プレスの密度が低下して行ってしまったことが、一つ目の原因でしょう。「プレスの連動性」とは、プレスにかかる2、3人だけのことではありません。1stプレスがかわされてしまったらどうするか、次へのパスコースは誰が切るか、次に展開されたら今度は誰がプレスに行くか、そのためにポジショニングはどうあるべきか、それをチーム全体で意識として共有していなくてはなりません。

しかし、それは選手間の話し合いではなかなか形にすることはさすがに難しく、ジーコ監督の指導下ではプレスの効いていた試合はあまり見られませんでしたね。

もう一つの原因は、やはり最初に書いたような「ハードなフィジカル・コンタクトへの意識」そしてその際の「戦う気持ち」という点でしょう。プレスに行くなら、体を張る。深く差し込み、ファウルになってもいいから相手を止める。それによって、少しでも相手を不自由にさせれば、一緒に囲んでいる仲間がボールを奪える。そういう意識、「不退転の決意(デターミネーション)」とでもいうようなもの。それがドイツ戦の、特に後半の日本代表には欠けていたのではないか、と思います。

加茂監督の頃の日本代表も「プレッシングサッカー」を標榜していましたが、確かイングランドでのアンブロカップ(イングランド、ブラジル、スウェーデンと対戦)の後あたりに、「プレスにいったらファウルを取られてもいいから体を張る」、そうすれば、「日本のプレスはブラジル以外には通用した」と選手が語っていたことがあります。かつての日本代表も、そういう教訓から学んでいたし、そしてそれをできていたのです。あの激しいサッカーをいつもやっているイングランド、大男ぞろいのスウェーデン相手にですね。その頃よりも能力の向上した今の代表選手に、できないわけはありません。

サンドニの後の2001年FIFAコンフェデレーションズカップ、日本はフル代表レベルのFIFA主催大会では初めて、準優勝という結果を残しました。その時に、服部選手が、実にいいことを言ってくれています。

(コンフェデ杯での結果のことを)少しでも気持ちのどこかで『良かった』なんて思うなら、本当に痛い目にあうだろうね。

残り一年は、修羅場を自分たちの心の中に、それとチームに、小さなワンプレーごとに刻んでいかないとならないんじゃないかな。チームとして。個人として。ここでボールを止めとけばよかった、思い切り体を張っておけば、シュートしておけば。そういう小さな、見ている人にも、もしかすると他の選手にもわかんないことが目前で起きたとき、どれに対しても、やりきらないといけない。

これを、心に持っていることができるかできないか。「いつもこころにサンドニを」あるいは、「いつもこころに2004・12・16を」持っていられるかどうか。それができれば、ドイツやベルギー、ロシアやカメルーンのフィジカルも恐れることはないはずです。

ドイツ戦では、そうした意識が希薄なように感じ、私はややさびしい思いをしました。そして、試合後の会見でも、

どれだけミスを少なくして、強い相手と戦うか、というのが今日の収穫だった。(三都主)

口々に「ミス」が問題だと口にする選手たち・・・。もちろん、それは大事なことと思いますが、同時に積極的なプレス、相手を恐れずにぶつかって行く「戦う気持ち」も、今よりももっともっと、持って欲しい。それをこそ、ドイツ戦の教訓として欲しい、と私は思うのです。まだまだ日本はチャレンジャー、何かを恐れて戦うよりも、前を向いて上を向いて進んでいって欲しいではありませんか。

それではまた。

03:46 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|

November 16, 2004

どちらが時間がかかるのか

TENさんとの議論の続きです。(TENさんお返事ありがとうございます)

ジーコと、トルシェと、正反対にも見える二人。一般には「戦術優先型」のトルシェの方が時間がかかるに決まってると思われている。でも本当なのかな?などと、いろいろと興味深い方へも話が発展しつつ。

まずはクラブの首脳陣のお話から。

で、クラブ関係がどう思ってるか、という部分はボクも明確に各クラブの反応を見ているわけじゃないですが、反町監督にしても、浦和の中村チームマネージャーにしても、代表というモノの存在意義に対して考え方の違いを批判として出してると思うんですよね。代表の招集とか、現状に不満があるなら、すでにレイソルやマリノスが異議申し立てしている前例もあるので、クラブとして苦情を出すでしょう。今回の批判が「現状の不満の発露」と読むのはどうかな、と思ったわけです。

なんていうのかな、「クラブとして現状(の代表の招集の仕方)に不満がある」ということを言ったわけじゃないのですよ、私は。その場合は、召集の問題に対してきちんと異議申し立てをするでしょう。それはこれまでも行われてきたこと。ただし、それは「うちの選手の扱いはこうしてくれ」というものになるはずなんですね。その点において代表とクラブが意見を言い合うのは普通です。

しかし、今回の批判は、本当は彼らが言うべきでは「ない」ことだと思うんです。選手選考は代表監督の専権事項ですから、それが代表のためになると思えば功労者でも若手でも呼べばいい。それに対して、クラブ関係者が意見を言うのは、「利害関係者として当然言うべき意見」ではなくて、突然彼らが評論家になっちゃった、というのが私の感じた印象なのですよ。で、彼らをそのように振舞わせた原因は何かな、ということを考えたときに私は、「もっと向上すべき」と考えている人たちと、「このままでいい」と考えている人たちのスタンスの差だろうな、と思ったわけです。

もちろんそうでなくて、「代表というものはそういう捉え方をするべきものじゃない」という、「代表の存在意義に対しての考え方の違い」を、彼らが口にする可能性もあるでしょう。で、私はそっちではなくて、現状に対するスタンスの差のほうが背景にあるだろう、と考えた、ということですね。まあ彼らの頭の中を完全に暴く(笑)ことはできませんから(仮にインタビューしてもできないですよね)、これは別の意見が二つある、ということで終わりにしていいのじゃないかなと思いますが。

代表監督が、「代表チームそのもの」を強化するっていう感覚がボクにはあまりないです。いい選手を呼んで、いい組み合わせを試行錯誤して、自分の期待するパフォーマンスが最終的にチームとして反映されていれば、とりあえず問題はないのではないかな、と。

いや、そのうちの「いい組み合わせを試行錯誤して、自分の期待するパフォーマンスを最終的にチームとして反映されるためにするいろいろなこと」を私は「チーム強化」って呼んでいるんですけどね。だから、ここ

世間的な比較を用いるなら、トルシエのように自分に強烈な戦術論があるなら、それは代表向きじゃない、とすら思うわけです。

から後の比較は、あんまり私の言う「代表監督がするべきチーム強化」とは関係ないんです。強固な戦術論がなければ「チーム強化」ができないわけじゃないし、逆に言えばジーコだって彼なりのやり方で「チーム強化」をしようとしている、ある程度はできている、わけです。

で、それを前提にして、興味深いので閑話に参加しちゃいますが、

トルシエが成功できたのは、(少なくともジーコ以上に)クラブに近い感覚で代表と付き合えた部分ってのが大きいと思う。例えば、今ジーコが30人とか40人とか招集する合宿をやりたいって言えば、相当反対が出るでしょう。逆にジーコが「2週間まとまった時間があれば」、と発言したことがありましたが、「2週間」が確保できた時(欧州遠征、アジアカップ)は、内容に差はありますが、結果は出ている。

代表の強化にはそもそも「2週間は(ほぼ)とれない」のだから、この状況で継続性を維持する事も難しいような気がします(継続性を維持するためには、「2週間」が「1週間」になるなら、話は変わってくると思う)。むしろ、継続性がもたらす弊害も出るんじゃないかな、と。ジーコがそこまで考えているかどうかは、ちょっとわからないですし、全てを肯定する気にもならないんですけど、逆にトルシエならうまくいくのか、という比較を持ち出してみると、それはどうかな、と懐疑的になります。

面白いのは、トルシェはむしろ「3、4日ずつ毎月」という強化期間を求めていたことです。(大仁委員長のインタビュー参照)オートマティズムを作る反復練習のためには、そのほうがよい、と。当時の大仁強化委員長は、最初は加茂監督の頃と同じ感覚のまま、リーグ戦が休みでまとまった時間が取れるときに、1ヵ月とかの長期強化日程を取ろうとしていたところ、トルシェに「そうではなく、月ごとに3、4日ずつにして欲しい」と言われ、驚いたようです。で、その後の代表の強化日程は、リーグ戦最中でも3、4日ずつ集まるカタチに変更されたわけです。その強化日程の取り方がトルシェ以後、2002後半、2003と続いたのはご存知の通りですね。

で、ジーコは逆に「2週間欲しい」と言っている。まとまった強化期間があったほうがよい、と。この差は何なのか。

「戦術型の監督や、継続性を求めるやり方は時間がかかる」「だから今の日本代表の状況には向いていない」と言い切ってしまうのは、まだ早いんじゃないかな、とむしろ思うわけです。もちろん私も、「だから戦術型のほうが時間はかからないんだよ」とも言い切りませんけどね。ただ、きちんと組み上げられたメソッドなら、そうやって「選手の体に動き方を染み込ませる」ことを、インターバルを置いても継続的にやっていったほうがいい、というのは、理解できることですけどね。

例えて言えば、年に一回二週間だけ自転車に乗るよりも、月に一度3、4日ずつ自転車に乗り続けていた方が、効果がある、という可能性。それは確かにあると思うのですよ。少なくとも英会話とかだったらそうかも。「触れ続けることが重要」かもしれない。・・・言っておきますけど「可能性」ですからね(笑)。そっちの方が絶対に優れているとか、時間がかからないとか言っているのじゃないので誤解なきよう。

閑話休題~。

まあ、そういう話はおいても、ジーコがシステムよりも選手のやりやすさ、感性を重視してるのは明らかだと思うんです。で、そういうのが効果的かどうか、将来的に見てどうなのか、日本の現状から見てどうなのか、その辺はまだまだ話を進める余地があると思うんですよね。でも、そういうところに戻る余裕が、今の「ジーコ批判」にはないと思うんです(って、全然返事になってないw)

うーん、これは私の持論なのだけど「風潮」に反論するのはあんまり意味はないと思うんだよね。むしろ、そういうところの話を、TENさんが進めればいいのに、と思う。いや嫌味とか苦言じゃなくて(笑)。TENさんの書いているジーコ評価は興味深いんですよ。ただいつも締めが「そういうことを考えに入れて批判しないといけない」になっているんだけど、それより先に行ったらどうなるのかな、と思って読んでいるわけで。まあここは読み流してください。軽口でした。

ケットさんが書かれていますけど、ボクも継続的な方針で強化する監督は好きです。ボクが好きなクラブも大抵はそういうクラブですし。ただ、これもケットさんが書かれていますが、そうではない監督もいる。サッカーの中心地欧州から離れたアジア、その辺境の日本ってのを考えると、ボクは今のような強化方針は欧州以上にやむなしかな、と思うんですね。で、その辺を発端にして、「ジーコどうよ」って話が出るべきじゃないかな、と。まあ、この辺はもっといろいろ話が続いたらいいと思う部分ですけど。

そうですね。で、そういう「選手優先型」の監督の中にも優秀なのとそうでないのがいるし、「戦術優先型」の監督にも優秀なのとそうでないのがいる。ジーコはどれなのか、ということ。もう一つ、「それは日本に向いているのか」ということですよね。ある戦術重視の私の好きな監督は、セリエの一つのクラブでは成功しましたが、他のクラブでは指揮をとる前におん出てしまった(笑)。それは「彼が実は無能だった」からじゃなくて、そのクラブと「あわなかった」「向いてなかった」んですよね。さて、ジーコは日本代表監督に向いているのかどうか。そういう議論もできそうですね。

でも私が考えているのはやっぱりちょっと切り口が違うかな。私はTENさんほどは代表拘束時間に関しての問題意識は大きくないんですよ。協会のやりようで今よりも上手く切り盛りできると思ってるんだな(ただ来年は難しそうですけどね)。私はむしろ、やっぱりジーコが日本代表に与えたメンタリティとかの話のほうが重要かな、と考えて、それを書きたいと思っているのだけど・・・。時間が・・・(笑)。

それではまた。

02:59 AM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|

November 12, 2004

TENさんとのやりとり

TENさんとのトラックバックでのお話し合い。けっこう有意義な気がする。私の筆の至らなさも再発見できましたし(笑)。以下、引用部分はTENさんからのお返事です。

>私はJクラブ首脳の「先につながる選考をして欲しい」という談話だけから、
>前回の書きこみをしたわけではないということです。(ケット・シー)

「だけ」から書き込んだわけじゃないってことがむしろ否定したい部分なんですよね。つまり、WEB上の意見を、各クラブの首脳たち「も」同じように考えただろう、とリンクさせた部分に疑問を感じるんですよね。(TENさん)

なるほど。これは多分私の書いたことのうち、J関係者の談話を私が「箔付け」に使っているように感じられたんでしょうね。「ほーら、J関係者も言ってるじゃんか」みたいな(笑)。しかし私には別にそんな意図はなく、あくまでも大山(大きな騒ぎ)の一角として、私の想像する彼らの考えの背景を含めて取り上げたに過ぎないわけです。例えば、前々回の書き込みのその部分を取っても意味は変わりませんし、それがなくても「あちこちで大きな騒ぎになり、議論が巻き起こった」「反論も多かった」ということは、かなりの方が同意する事実(に近いもの)だと思うんですな。

で、Jクラブのかたがたの意見だけど、反町さんは「新たな選手発掘に利用すべきだ」と明確に言っているようです。浦和の中村チームマネージャーは、「これまでの控え選手や若手を使うチャンスでもある」とのこと。これが現状に不満があって言っているのか、現状には不満がないけど、さらなる改善を求めて言っているのか、そのどちらか、ということでしょうか。そのどちらの可能性もあると思いますが、「私は」前者と推測する、ということですね。これは私の感覚なのですが、現状に満足しているのに、「新たな選手発掘に利用すべきだ」などとは普通(しかも自分がそんなこと言う立場でない人は)言わないものですから。ただ私の感覚に同意できない方には、ここに飛躍が見られるのかもしれませんね。

(アジアカップの)グループ・リーグはかなり苦戦していたと思いますけど、トーナメントに入ってからはどうでしょう。攻撃的なサッカーを展開していたとは思わないけど、試合はかなりの時間帯で支配していたと思いますよ。

私のアジアカップの見方は簡潔にこちらに。この辺の議論は今はあまりする気がないのだけど、ヨルダン戦ではやはり押されていた、引いて守らざるを得ない状況にされていた、と私には見えましたね。バーレーン戦では、遠藤の退場後、オープンガードの殴り合いのイーブンな戦いになりましたが。中国戦の試合内容はよかったと思います。ただ、試合内容は大会全体を通して見るものだと私は思いますので、引いて守ってセットプレーで得点するという試合内容が多かったと私は思いますよ。

私の書き方の、「セットプレーにかける」というのが、もしかしたら気になるのかもしれませんね。ジーコがそれを意図してやっている、それはいかん、と私が非難しているように感じられるのかな?だとしたらそれは私の筆が滑りました。あくまでも試合内容の話なので「結果として」そう見える、というお話です。

で、最後にアプローチの部分ですけど。 まず、代表そのものの強化、というのをケット・シーさんがどう捉えているのか、がよくわかりません。ただ、

>「代表監督は日本全体の長期的育成をするべき」

という点については、ボクはそう書いたつもりはありません。代表そのものの強化を、どこまで代表監督に求めるのか、という点に疑問を感じてるわけですから。

これは興味深いですね。私は「代表チーム」の強化は、もちろん代表監督の役割だと思っていますよ。自分の構想にあう選手を選び、組み合わせ、「チーム」にすること。そのチームに組織、戦術、連携、メンタリティ、ゲームプランなどなどを与えていくこと、つまりチームを強化していくこと、それによって結果を出すことがプロの代表監督の仕事だと思っていますから。そしてこれは、やり方は独特ながら、ジーコだってやろうとしていることであると思いますけど。

ただ、それよりも広い、日本のサッカー全体の展望を見ることも、代表監督に求めたい、という意見も世の中にはあると思います。私も個人的にはそういう監督が好きです。しかし、そのときの代表監督がそういう人でなかったとしても、それを理由に非難はしないですね。

>今ある資源を使い尽くしたとき、

と書かれているので、日本代表は現在のところ収支としてマイナスだ、という認識はあるんだと思うのですけど、収支としてマイナスになった部分はいったいどこなのか、という点と、黒字の部分の計算は本当にあってますか?という部分。それと要求している結果は投資額に見合っていますか、という部分。その上で、ジーコの方針に対してアプローチはないと感じています。

それは現在書き中です(笑)。TENさんの意図に沿ったものになるかどうかはわかりませんが。ただ「収支として」という点で言えば、アジアカップに優勝しているので、プラスなんじゃないでしょうか?ただそれは企業の決算なら「今期の」収支はプラスだけどね、ということでしょう。マネジャーは「今期の」収支をプラスにすることだけがミッションだからそれでいいのだけど。

で、完全にボクの文章が書き足りない部分なのですけど、「ちょっと話を変えて」以降はケットさんに直接のレスしているつもりがなかったんです。

あ、そうなんだ。それについては私の読み違いですね。失礼しました。ただ「トラックバック先もそうだけど」ってちょっと書いているから、トラックバック先=私 はそんなこと言ってないぞ、とは思ったわけです。でも話し合えてよかったですね。

(独り言)早くまとまった時間を作って、アジアカップ以後のジーコ評価のまとめをしないといけないなあ。時間的にはそうとう難しいんですけど。むむむ(笑)。

それではまた。

03:15 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|

November 11, 2004

大山とは?

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国立で行なわれた新潟vs柏の試合に、駆けつけて来ました。いつもの彼らの試合を生でたくさん見ているわけではないので、正確なところはわからないのですが、柏は結構よくなっているように見えました。コンパクトにできていたし、新潟の強力3トップに対する守備陣の集中力は素晴らしかったですね。

******************

さて、前回の書きこみにTENさんからトラックバックでご意見をいただきました。BLOGは議論に最適のツールなのだそうですが、はたしてそうなりますかどうか(笑)。いただいたご意見に考察を加えてみたいと思います。

まずはじめに言っておきたいことは、私はJクラブ首脳の「先につながる選考をして欲しい」という談話だけから、前回の書きこみをしたわけではないということです。あちこちの掲示板で、あるいはメディアで、そしてサッカー関係者の間でも賛否両論、大激論が巻き起こった。その全体が「大山鳴動して」だと私は思っています。そしてその反対派の意見を総じて眺めてみると、「新戦力を起用して、代表チームの底上げをして欲しい」というものであったと私には受け止められました。そういった意見の出てくるベースはなんなのか、そこを考察したのが前回の書き込みです。

Jリーグのクラブの首脳が「代表に功労者を呼ぶ」ことに疑問を感じているのは間違いないでしょうが、ジーコの方針、やり方に不満を持っているから口を出したわけではないでしょう。予選を突破した以上、これまでフルに戦ってきた選手を休ませたい、というのが要望としてまず出るのは当然でしょうが、だとすれば呼べるのは新戦力、あるいは控え選手なわけで(だって、代表選手以外って、このどちらかしかいないでしょ)

「これまでフルに戦ってきた戦力を休ませて欲しい」という談話がクラブ関係者から出ましたでしょうか。出てきたのは、「先につながる試合をして欲しい」ということですよね。「休み」より先に、そういう談話が出たことから私が受けたのが、前回書いたような印象なのです。ただ、もう一度言いますが、彼らの談話「だけ」から考えたことでもないですが。

クラブの首脳も日本のサッカーを愛する仲間だと私は思っていますから、ただ「自クラブの選手を休ませたい」「若手をプロモーションしたい(これはTENさんではなく、コメント欄でキンタローさんが書かれた言葉ですが)」という考えだけで、「先につながる試合をして欲しい」と言ったとは、私には思えないんですね。もちろん、この推測が的外れであり、彼らが完全に利益追求のためだけにそう言った可能性もありますよ。でも私はもう少し彼らを信じたいわけです。

確か、別のコラムで読んだ話だと、ジーコは誰を何人呼ぶのか、は一言も語ってないらしい。正直言って、ここまで批判が大きくなるなら、ジーコがどんな代表選考をするのか見てみたかったけど、まさか全員が「功労者」ってことはないでしょ。こういう批判がジーコの選手選考に自制をかけたのかもしれないけど、自分の意見が正しく広まる前にこういう批判が飛び出たことに、ジーコは不満を持っているかもしれないな。

私もそう思いますよ。まさか全員が功労者ってことはないでしょうから、功労者をこれまでのサブと組み合わせることになるだろうし、それは特に問題とするにはあたらないと思っています(そう書きました)。これまでも書いているように、そこにチーム強化の意図があれば、私は「功労者を呼ぶ」ことを批判するつもりはないのです。

むしろ、Jクラブの首脳を集めて「こういう考えで功労者を呼ぶのだ、それが私の哲学なのだ」としっかりと語って欲しかったぐらい。そこに、「チーム強化」の考えがあれば、つまり「ここで功労者を呼ぶことこそが『先につながる試合』なのだ」と説明できれば、J関係者だって納得したかもしれない。それをせずに、「これまでサブだった選手の声を聞いて」断念してしまったのが、私にはむしろ残念です。

だいたい、アジアカップの戦術を「引いて守ってセットプレーにかける」なんて、正当な評価なのかな。守備から入って、ハーフ(あるいは単なる)カウンターなんて、まさに今チェルシーがやってるサッカーで、得点力不足を批判されるあたりもそっくりなのだけど、それでもしっかり勝ち上がってるところもそっくりなのはどう評価するんだろう?

チェルシーと同じように評価しなければいけないということもないと思うのですが(笑)、アジアカップの場合はカウンター、あるいはダイレクトプレーもそれほど上手く機能できていたとは思えないんですね。得点のかなりの部分がセットプレーでした。それはさておき、あれに「ボールを支配して攻撃的なサッカーができた」という評をする人はおりますまい。しかし、「それで優勝できたのだから、それでいいのだ」「あの暑さでは、あれが最適なのだ」という考え方はあっていいと思いますよ。

「代表の存在価値」自体がずれている以上、今出ているジーコ批判にあまり意味があるとは思えないんだよね。ジーコは現場の人間で、自分の「主義・信条」を貫けばいいけど、批判する側には自分の「主義・信条」とは別に、「ジーコの主義・信条に思いを至らせる」必要があるはずだと思う。だけど、このトラックバック先もそうだけど、今のジーコ批判にはそういうアプローチがない。

あらら、「ない」と言い切られてしまった(笑)。以前からも、特にアジアカップ以後にはそういうアプローチをいくつかしているつもりなんだけどな。これとかも

代表合宿と選手選考で強化する、という発想が「代表にとって当然あるべき目的の一つ」に数えられていること自体が、そもそもちょっとズレている気がするんだよね。アジアカップ、WC予選、WC本大会と、どれも負けられない戦いが続くのに、育成や長期的な視野がそもそも絶対的なの?代表合宿とスポットである予選の試合を通じて、代表チームそのもののレベルってどこまで上がるんだろうか。強化、育成を否定するつもりはないけど、今の日本代表の置かれた環境で、そんなに重要で、A代表に求められる要素なんだろうか。

いや、私は育成や長期的な視野を「当然あるべき目標の一つ」にしてはいないですね。現代表チームの「強化」は当然必要だけど、「日本全体の底上げは代表監督のミッションではない」と私も思いますよ(先のリンク先でも書きましたが)。しかし、批判ではなく個人的な好みとしては、できればそこまで考えてくれる代表監督を望みたいとは思いますけどね。

で、その発想に違いはどこから生まれるのか。オレは、短期的なプロジェクトが3つ4つ続いた結果、4年間がすぎると思っているのだが、どうやらジーコ批判をする人は、まず4年間という育成スパンがあって、その中のターニングポイントとして3つくらいの大会が存在している、言い方を変えれば、トルシエ時代の強化方針が今、この状況でも取れるとと考えているようだ。

で、「代表監督は日本全体の長期的育成をするべき」というミッションを私は掲げていないので、この「ジーコ批判をする人」に対する反論は、私にとっては反論になっていないんだな。

もう一つは、トルシエが若手を継続的に使い続けられたのは、その時の環境による部分も大きいと思うし、「今の日本サッカー界の状況を考えれば、同じ方針は難しい」とオレは思っている。この「今ある環境」からスタートしないで、マスコミが載せた記事やコメント、試合の感想からスタートしている時点で、多分批判としては意味をなしていない。

私もトルシェのときは非常に特殊な状況だったと思っています。あれほどの若手に切り替えるべき時期は、そうそうないでしょう。なにより、今代表の主力の79年組だって、25歳、まだまだ若手ですよね。1998~2002と同じ起用法を取る必要はないし、現五輪代表がフル代表に選ばれないのも、ジーコの「成熟した選手を求める」という方針では仕方がないと思います。しかし同時に、そのやり方によって、現在失っているものがあるよなあ、というのは私の素直な感慨なのですね。

私は、ジーコ監督の「1戦必勝主義」「ヒエラルキー主義」には個人的には賛成しません。それはブラジルならともかく、日本に向いている手法ではないと思っています。しかし、少なくともジーコ監督はそれでアジアカップで結果を出しました。優勝という成果はこの上ないものです。それは非常に高く評価していますよ。ただ、「今後は」なるべく問題点を解消しておいた方がいい、あるいは、もっと上を求めてもいい。そのためには、こういうジーコ監督に対する「現状分析」と「将来への展望」を考えておく意味はある、と思っているのですね。こちらはもっと時間をかけて考えたいことですが。

この話題(召集関連)は、もう一回だけ続けます。

それではまた。

03:47 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|

November 10, 2004

大山鳴動して2

私は前々回の書き込みで、功労者召集を、「単なる感謝のために行うのか、『魂の継承』のために行うのか」そこが重要だ、と書いたのですが、結局、今回の代表発表会見でも、「魂の継承」についての言葉は聞かれませんでしたね。あくまでも「感謝」のために行いたいということのようです。ジーコ監督は「お祭りではなく真剣に勝つために戦う」という趣旨の発言をしていますが、やや違和感がありますね。

「真剣に勝つために戦う」ことと、「日本代表の強化のために戦う」こととは、実はイコールではありません。卑近な例で言えば、オールスターだって「真剣に勝つために戦って」はいるのですから。「日本代表の強化のために戦う」こととは、今の日本代表に何が欠けているのか、あるいはプラスすべきところはどこなのか、そういうことを考えて、それに応じた策を講じていく、ということです。そのために試合を「使う」ということによって、このような消化試合も「強化のための試合」として行くことができるのですね。

いわゆる「功労者」がシンガポール戦へ参加することによって、何かを現日本代表チームにもたらすだろうとジーコ監督が考えて、「強化のために」このプランを発案したのではないか、と私は予想していました。さすがに本当にただの「感謝」のためだけに、代表の試合を、それも予選を、つかうことはあるまいと思ったからです。しかし、どうも私の予想は外れたようです。

以前にもご紹介したように、サカマガ997号の西部さんの意見

(ジーコ監督は)今日がなければ明日はないという1戦必勝主義者だ。前監督がすべては明日のためにと、今日を使ったのとは正反対のアプローチである。

がまさに至言だった、ということでしょうね。「今日がなければ明日はない」、目先の一勝主義の監督が、いわゆる消化試合を与えられた場合に、「明日のために」ではなく、「感謝のために」と思いついても、それはある意味当然のことともいえましょう。しかし、それでいつまで「明日があるさ」と言っていられるのかどうか。

さて、今回招集される人数は、怪我人と海外組をのぞいた18人と言うことになりました。1次予選の試合に実際にエントリーできるのは18人で、これまでは22人を選んで合宿を行い、その中から18人を選んでいたわけです。今回は最初から18人しか選ばなく、そのまま行く、というカタチになるようです(紅白戦はどうするんだ?・笑)。

ここに、アジアカップのチーム以外から新規に召集されたのは、大久保選手一人にとどまりました。大久保選手も、昨年のコンフェデ杯、東アジア選手権などではしばしば起用された準レギュラーでしたから、まったくの新顔はただの一人もいないことになります。「ジーコ監督はブラジルに帰っていて、新戦力を発掘する暇がなかったのだから当然だ」という意見もありますが、私はそれよりも、「ジーコ監督はアジアカップのチームを壊したくないのだろうな」と受け止めました。

オマーン戦でもそうでしたが、アジアカップの時のチーム、やり方で、来年のアジア最終予選も戦っていく、いける、ということなのでしょう。試合内容は「引いて守ってセットプレーにかける」というものでしたが、それでアジアナンバー1になったのだから、4.5枠あるアジア最終予選にそれで臨むことは、論理的には確かに間違っていません。

しかし多くの人が、「あの内容では今後困る」と考えたことが、「功労者ではなく新戦力の起用を!」という意見につながったのだと私は思います。本来なら代表選考に口を出す立場ではない、Jリーグクラブの首脳までが、そのような意見を表明していましたね。なぜこれほど「大山鳴動」したのか。それは、「あのままでよい」と満足している代表監督と、「あのままでは困る」と考えている日本サッカー界の、目線の高さの違いが浮き彫りになったということでしょう。

試合にはいわゆる「チームを支えてきたサブ組」を起用するにしても、合宿にはこれまでどおり22人呼んでもかまわないわけですね。そこに代表経験のない選手を(例えば4人)呼び、代表の雰囲気に慣れさせておく、ということは、今後をにらめば意味があることです。ジーコ監督はそれさえしなかった。これはそうとう強固な「あのままでよい」という意思の表明であるように思えます。

今ある資源を使い尽くしたとき、そこに私たちが直面するのは、どのような明日になるのか。エルゲラさんも考察されているように、そういう問題なのでしょうね。

この話題はもう一回続けます。

それではまた。

09:44 AM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|

October 25, 2004

功労者をめぐる議論百出

しかしまあ、ジーコの功労者招集案は、なんとも賛否両論のようですね。

■私はこの件に関しては基本的に、「騒ぐようなことではない」というスタンスです。

1)まだ召集そのものが発表されたわけではないこと。
2)何と言っても、やはりこれは消化試合の話であること。
3)ジーコ監督が日本におらず、その真意がわかりにくいこと。

というようなことが理由ですね。ジーコ監督は今日本にいないわけで、帰国してからJリーグのビデオを見て、唐突に(笑)大黒と大久保を呼ぶかもしれないじゃないですか。まだ声高な批判には早いのじゃないかと思います。

■この件に関し、中澤が意見を言ったという報道があります。中澤の発言は、

シンガポール戦はこれまで控えだった選手を起用してほしい。アジア杯で勝てたのも彼らが腐らずにチームを支えてくれたから。戦力も底上げできる

ということで、まことにもっともなことと言えます。ただ、これに関しても「功労者」と「これまで控えだった選手」を組み合わせて起用することもできるわけですね。選手発表がない段階で「功労者」か、「サブを起用」か、二者択一で考える必要はないのではないかと思います。

ジーコは「功労者」の候補について、カズ、ゴン、秋田、沢登、小村、というところを考えているようですね。他に山口や名良橋あたりも候補になるでしょうか。仮にジーコの言及した5人が起用されるとすると、

---カズ---ゴン---
--沢登-----藤田--
--小笠原---遠藤---
三都主-秋田-小村-三浦淳
-----曽ケ端-----

というようなことになり、これは「功労者とサブのミックス」ということができるでしょう。これがそれほど問題であるのかどうか?

■確かに、この試合にいわゆる「若手」を呼んで、今後のために日本サッカーの底上げをしておくというのは、一つの合理的な強化法といえます。これは、現状のチームにサブが足りないから、ということでは「なく」ですね。海外のチームとの試合経験を、少しでも多くの選手に経験させておく。それが日本サッカー全体のためになる、ということまで、代表監督は考えてもいい。もちろん、その中から代表にフィットするような人材が現れたら、戦力の底上げにもなるわけですし。

しかし、ジーコ監督は武藤さんが「ジーコ氏は信念を持って『その場主義』を貫いている」とおっしゃるように、あるいはサカマガ997号の西部さんが

(ジーコ監督は)今日がなければ明日はないという1戦必勝主義者だ。前監督がすべては明日のためにと、今日を使ったのとは正反対のアプローチである

と書かれているように、信念を持って「目先の1勝主義」を貫いているのであって、ここでこれまで代表召集経験のない選手を呼んで起用するということは、その範疇には入らないのでしょう。よいか悪いかはともかく、ジーコはそういう監督なのだ、ということです。

■そして、現在の侃々諤々の議論は、やはり「そこ」に起因するものと考えた方がよさそうです。アジア相手にも下がった最終ラインで対応し、セットプレーに頼ってアジアカップで優勝、1次予選も通過しました。が、その内容は、最終予選を見据えて、これでいいのかどうか。「目先の1勝主義」的には、なにも問題がないのでしょう。このままで最終予選も戦える、勝ち抜けると考えている。しかし、現在のチームだけではなく、日本サッカー全体の将来を考え、ドイツでのパフォーマンスも考えた場合、つまり目線を高く持った場合には、やはりよりいっそうの向上を目指して欲しい。そのためにシンガポール戦を使って欲しい、ということになる。その乖離、主義と目線の差が、現在の議論百出を生んでいるのでしょうね。

繰り返しますが、私は、今回の召集案自体は「騒ぐようなことではない」と思っています。しかし同時に、これまでのジーコ監督と、その周辺の議論すべてを集約したような、興味深い事例であることだなあとも思っています。

■さて、この記事に関連するいくつかの議論ですが・・・。

まず、「フェスタ(お祭り)だ」という部分に関しては、それほど過敏に反応することではないのでは?と思います。もしかしたらブラジルでは、消化試合一般のことをそう呼ぶのかもしれないじゃないですか(笑)。言葉が違うのですから、ニュアンスも違うでしょう。

若手選手らを起用すべきとの声には「失礼な言い方だが(格下の)シンガポールではテストの機会にならない」と反論した。

これについても、「ジーコ監督のやり方ならば」そうでしょう、と思います。選手が話し合って連携を作っていくチームで、いきなりぽっと入れられた若手が、しかもこれまでのサブの選手と組み合わされて、テストになるでしょうか?シンガポールが相手だからということではなく、この試合自体の位置づけとして、私もそう思います。

ジーコである以上、代表の世代交代はゆっくりとしたものになるでしょうし、それによって後続の世代は国際経験が少なくなりますね。一つの代表チームのことだけじゃなく、そういうところまで考えて「日本全体の底上げのために」若手を起用することはあってもいいのですが、もちろんそれはジーコ監督のミッションには入っていないことです。ただ我々サポとしては、「ジーコ以後」のことまで考えなくてはならず、そうすると背筋が薄ら寒くなってきますね(笑・・・えないけど)。

■ところで、私がこの記事を読んでちょっと思ったのは、「少なくとも現時点では、『魂の継承』話は出てきていないなあ」ということでした。「功労者」を呼ぶことは、彼らの最終予選の経験や、代表の重さを体得していること、いわゆる「魂」を、現在の代表選手に注入させるためだ、という意見があるのですが、少なくとも現時点まではジーコ監督はそれを口にしてはいないですね。ただ「日本サッカーの歴史に貢献してくれたことに感謝するため」と言っているようです。ジーコ監督の真意がどの辺にあるのか、これからちょっと注目ですね。

■さて、、その「真意」の問題です。呼ばれる選手はどういう気持ちなのか、ということがあります。カズは、

正直言って予想もしていなかった。Jリーグで活躍しないと呼ばれないと思っていたので(今季はPK1得点)。その部分では複雑。
呼ばれれば、日本代表が勝つためにやりたい。

と、前向きなコメントを残していますが、やはり複雑であることも吐露しています。これは(ソースは失念しましたが)選手が「どういう理由で呼ばれるのか、教えて欲しい」という趣旨のことを語っていたのと同じことであると思います。サカマガの千野さん

噂されている召集組、カズや中山たちにも失礼になる。

 カズや中山らは、代表チームに誇りを持っている。現役である彼らは、今でも代表に呼ばれることを目標にプレーをしているはずである。しかし、代表に呼ばれることはあくまで実力でなければ意味がない。

 今回のプランだと彼らを招集することは、功労者への感謝ではなく、温情になってしまう。

と、書かれているように、

「現役の日本代表は、その時のパフォーマンスが日本最高だから選ばれるのだ」
「だから、自分も他の多くの選手も、それに値するプレーをしようと日々頑張っているのだ」
「今の自分のプレーがそれに値するかどうかは、自分でわかっている」
「にもかかわらず『功労者』として呼ばれるということは、『温情』ということではないか」

ということであると思うのです。これが「呼ばれる選手に失礼」かどうかはわかりませんが、個人的には私だったら、そのような形で自らが誇りを持っていた舞台には立ちたくないなあ、と思います。

私が先日「違和感」として、唯一引っかかったのはこの点ですね。呼ばれる選手たちには、気持ちよくプレーできるように、しっかりと理由を説明してあげて欲しいものです。ジーコ監督が自ら面と向かって話せば、きっと選手たちは理解できると思うのですが、そういう意味では先に新聞辞令が出てしまったことが、今回の問題を複雑にしましたね。現在のこの問題をめぐるサポの議論は、ちょっと本人たちにかわいそうなことになっているように思います。ここはまさに功労者たちへのリスペクトをこめて、少し静観するようにできないものでしょうか。

■最後に、仮にこの召集案が実現したとしても、これで「功労者への感謝」を示すことを終わりにしないで欲しいものだと、協会に強く要望したいと思います。千野さんのコラムにあるように、これを契機に代表引退試合などを整備して、しっかりとした「感謝を示す」機会を作って欲しいですね。その方がよほど大事なことだと思うのですが。

それではまた。

12:48 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|

August 07, 2004

前夜

いよいよ決勝ですね。

多くの方が言われているように、コンフェデはアジアの日本にとって、欧州南米と公式戦で戦える数少ない機会、その出場権は非常に重要です。また、ここまで苦しい戦いを勝ち抜いてきた選手たちも、優勝してこそ自信と一体感をつかめるでしょう。アウェーの環境、審判と問題はありますが、それを実力で跳ね返して、是非是非優勝して欲しいと思います。

ところで私は、すでに書きましたように、アジアカップの日本代表については楽観的に考えていました。実際はかなり苦労しながらも、ついに決勝までたどりつきましたね。決勝の相手は中国ということになりましたが、この戦いもやはりある程度は楽観できる状況であろうと思います。

1)チーム作りのための時間が取れたこと。特にメンバー固定により、連携の熟成のための時間がたっぷりと取れている(メンバー固定には私は賛成しないけど、熟成の役に立つと言うポジティブ面は否定しない)。

2)個人の能力において、日本はすでにアジアの強豪であること。この大会でも中村の左足、玉田のスピード、三都主の切り返し、そして中澤のヘッドなどなどアジアの水準を凌駕し、大きな武器となっている。

3)北京が涼しい気候であるようであること。コンディショニングはあと一試合は持つのではないか。中国も、準決勝で120分間戦ったあとでもあることだし。

4)ブーイングや、2試合続けての激しい戦いにより、チームのモチベーションが高まっているようであること。特にヨルダン戦のPK戦以降は、一体感が強まっているように見える。

5)中国は、これまでの試合を見る限り、特に攻撃面での恐さを持っていない。韓国やイランの方が恐かった。

といったところでしょうか。

心配は選手の怪我、疲労だけですね。これは「かわいそう」ということではなくて(笑)、例えばDF陣の疲労が抜け切れていないと、集中力や、1対1の攻防に際しても身体の切れに問題がでて、失点してしまう、という危険性がある、ということです。それさえなければ、アジアカップ連覇も相当近いところまで来ていると思います。

ところで4)モチベーションについて少し補足をしておきたいと思います。

ルイスアントニオ高崎氏(ブラジルスポーツ庁長官時代のジーコのアシスタントだった方)の手になる「ジーコ 終わりなき挑戦」という文献があります。その中には、98年大会直前にブラジル代表のテクニカルコーディネーター(当時の監督はザガロ)に就任したジーコの活動について、詳しく書かれています。

ジーコが日本代表監督になった直後にそれを読んだ私は、「ジーコのモチベーション作りの能力は高いはずだ」と当初、思っていました。というのは、本書中でジーコは自分の役割について、

大きくは、選手とスタッフ、CBF会長などの役員との間にいい関係を作ることだ。
私は誰に対しても同じ姿勢であたることを自分のモットーにしているから、その自分の哲学にのっとってチームをまとめたい。チームをひとつのマインドを持った大きな体にしたいのだ

と語っており、テクニカルコーディネーター(以下TC)のひとつの大きな役割が、まさのその点、モチベーションを盛り上げ、維持していくことにあるように読めたからです。そしてまた、「ジーコは代表チームの潤滑油」という章があり、ジーコが合流後、代表チームで会話が増えた、明るい性格で誰ともふざけあえるジーコが、チーム全体にいい雰囲気を与えた、とも書かれています。

おそらくはジーコは、自分の性格を生かして、チーム全体をファミリーのようにすることで一体感を作り、モチベーションとしていくようなやり方をブラジル代表TC時代にはとっていたのでしょう。それならば、それは日本代表でもできるはずではないか。ジーコ就任当初、戦略や戦術、組織作りの手腕などに疑問を呈しながらも、この点に関してはジーコの能力は高いはずだ、と私は思っていたのです。

しかし、皆さんご存知のとおり、今年のイラク戦からオマーン戦、そしてシンガポール戦と、さまざまなマネジメント上の「悪手」によって、チームは戦う集団とは言えないような状態に陥りました(と私は思っています)。私はその点をずいぶんと糾弾しましたし、今でも、「チームのモチベーションの状態を的確に見て取って、必要な手を打つ」という意味での「モチベーション・コントロール」に関しては、ジーコ監督の能力はけして高くないようだ、と考えています。

このアジアカップ、オマーン戦からヨルダン戦に至る過程では、試合の入り方をうまくできていないような状態が続いていました。西部氏がオマーン戦の苦戦の原因を「予断ではないか」としたように、モチベーションの作り方が、ここでもうまくいっていないように見えました。しかし、この厳しいアウェーでの長い戦い、合宿の期間中、ジーコ監督の「一体感を作る能力」は徐々に徐々に発揮され、見えないところでチームをひとつにして行っていたようですね。それはヨルダン戦の延長開始前、スタッフまで一体になった円陣でついにカタチになって現れたように思います。

それはさらにアウェーの過激なブーイング、不可解なジャッジによる退場、さらにもう一度の延長戦、などなどによって、より強化されたのではないか。それがまさに逆転に次ぐ逆転劇につながって行ったのではないか、とジーコ監督に批判的な私にも思えます(注:そもそもあのような失点を招いた組織作りの手腕や、チームマネジメントについては横におきます)。遠回りはしましたが、ジーコ監督はついにそのよさを一つ日本代表にもたらした。今の代表チームは、そういう状態なのではないでしょうか。

それがあれば今回のアジアカップ決勝、日本は中国よりもずっとずっと優勝に近いでしょう。

優勝まであと一歩ですね。今日だけは監督込みで、日本代表全体を応援します。連覇を目指して、ガンバレガンバレ、日本代表!

それではまた。

01:25 AM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|

August 01, 2004

アジア諸国はトルシェ日本の夢を見るか

PK戦には感動しましたね。久しぶりに鳥肌が立ちました。酷暑の重慶で120分間戦い抜いた選手たち、そしてPK戦での川口の頑張りには、心からお疲れさまといいたいです。

さて、試合内容ですが、「韓国の猛攻をしのいだ」感のある韓国vsヨルダンを見ると、とても昨日のような試合展開は予想できませんでした。ヨルダンは組織的なプレスに、組織的なパスワークで相手を崩していく、いいサッカーを構築していましたね。ヨルダンもオマーンも、いい監督に出会ってレベルアップをしているようです。

思い起こせば、2月のオマーン戦で私は心底落ち込んだのですが、それはそのときに書いたように、20歳そこそこのオマーンに、「組織力で負けていた」からなのです。

その後、欧州遠征で持ち直したかに見えたのですが、それはやはり敵がこちらを研究してこない親善試合だからであり、また、ある程度時間が取れたことで「選手が話し合ってチームを作る」ことができたからでもありました。

さて、このアジアカップではどうでしょう。

初戦のオマーン戦、やはりオマーンに組織で、今度はさらに「完敗」をしていましたね。日本が動けていなかったのは、暑さだけが問題だと言う人もいましたが、私はそうは思えません。オマーンはよい監督に出会い、組織力のレベルアップを果たしています。ソースは忘れてしまったんですが、オマーン戦後に中村選手が

本当は自分たちで動いてボールを取りに行けばよかったんだけど、取りにいけなくて、後手後手になってしまった。自分たちから動くのではなくて、敵のボールをあとから追っかけて動かされてしまった。それでかえって消耗してしまった。

という趣旨のことを語っていました。これはまさにそれを意味していると思います。日本は組織的なプレスのレベルで負け、ボールを動かして相手を走らせる、組織的なボールポゼッションのレベルでも負けていたのです。

ヨルダン戦でも同じことが起こりましたね。アジアカップ予選や、W杯1次予選の結果を見れば、ヨルダンは急成長している弱くない国だと言うことはわかりますが、vs韓国戦では、韓国の猛攻にGKを中心に必死に耐え、そこからのカウンターで勝機を伺うチームに見えました。しかし日本代表は、そのヨルダン代表にもやはり、組織力で負けてしまい、プレスでボールを奪われ、複数の選手の意識の連動したパス回しで中盤を支配されてしまいました。

ボールポゼッションは日本49%vsヨルダン51%だったそうです。しかし、ヨルダンの攻撃はスピーディで、スムースに前にボールを運んでいた印象がありませんでしたか?逆に日本のボール保持は、DFラインやボランチレベルでの、横へ横へのパスが多くなかったでしょうか?数字はこうでも、全体としてはさらに差があり、試合を支配され波状攻撃を受けていたというべきではないかと思います。

それは、ヨルダンの選手が、必要なときに必要なところへ、共通理解のもと、ススッと走ることができていたからです。スペースへ走る選手へパス、その選手がパスを出せる位置へススッと動く。そこへまたパス。その繰り返しによって、ヨルダンは日本ゴールに近づき、そこからはスピードやテクニックを生かして、シュートまで持ち込んでいきました。

日本は逆に、一人がボールを持っても周りが連動して動き出さない、「いつ動き出すかが自由なサッカー」であり、パスは足元へ、足元へ、という単調なものになります。それはヨルダンのプレスの格好の餌食でしたね。囲んで奪うこともできますし、パスコースがわかりやすければインターセプトもできます。そして、ヨルダンはこの環境下でも120分間、プレスサッカーをやり通しました。

(ちなみに、ヨルダンは湿度の低い国らしく、さらに暑い重慶には移動の後入ったばかり。「日本はヨルダンよりも暑さに慣れていないから走れなかったのだ」とはさすがにいうべきではないと思います。)

「サッカー批評」2002isuue16「ワールドカップ最終出口」巻頭対談で、

「組織のサッカーだと個が埋没するというイメージではいけない」
「組織が個を光り輝かせるんです」

と小野剛氏は言っておられますが、オマーンやヨルダンはまさにそれを実現しようとしていますね。あと足りないのは経験だけではないかと思います。いい監督に出会えてよかったですね。

トルシェ日本・2000アジアカップ・インパクト

私は「アジア諸国はトルシェ日本の夢を見るか」と題し、レバノン2000での日本代表の躍進を見て「日本だけがヨーロッパのサッカーをしているようだ」と思った国々が、組織サッカーをしっかりと強化しよう、と考え始めているのではないか、と書いたことがありました。

当時は中国やサウジなどの国を念頭において書いていたのですが、むしろこういった中東の中堅国においてそれが実際のものになっているのをみると、複雑な気分ですね(笑)。逆に、韓国やイランなどのもともとの強豪国は、アジアカップのほかの試合を見ると、やや停滞している感がありました(その筆頭は日本なのですが・泣)。やはり個人で何とかできると思ってしまっているからでしょうか。

日本はもともとアジアでも突出した存在ではない。だからこのぐらいの苦戦は当たり前なのだ、という意見があるようです。前半の意見には私は同意します。日本のクラブは、ACLでも苦戦続き、なかなか優勝することができません。ベースの部分では、日本はけしてアジアで突出した力を持つ国ではないと私も思います。

そして、だからこそ日本の強みの源泉であった組織力を捨て去るべきではない、と強く強く思っていました。組織的なプレッシングで相手を追い込む連動した守備。そこから共通理解の下、ボールも人も連動して動く展開の大きなパスサッカーによる攻撃。それは前回アジア杯を制した、あるいはコンフェデ杯で準優勝した時の、日本の誇るべきところでした。しかし、それは現在では消え去って、すくなくとも、今回のアジアカップにおいてそれをしているのは、あきらかに対戦相手のほうですね。

日本はもともとアジアでも突出した存在ではない。だから「自らの強みを捨て去れば」このぐらいの苦戦は当たり前なのだ。そういうことではないでしょうか。ほかにも大会を勝ち抜くためのチームマネジメントや、選手の疲労は大丈夫なのか、など、いろいろと問題もあると思います。同時に、今の日本代表が「PKで上には上がれるが、内容では圧倒された」という状態にあるのはなぜなのか、その原因もはっきりしてきたのではないかと私は思うのです。

さて、移動込みなか二日でバーレーン戦ですね。難しいでしょうけれども、選手たちにはしっかりと休養をとって欲しいです。

それではまた。

04:56 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(4)|

July 08, 2004

協会の一貫性

さて、ヤナギのケースには追加で考えておかなくてはならないことがある、と思います。

先に書いたように「協会の対応」という部分です。

だが、広島合宿初日の練習後、ジーコ監督は柳沢について「アジア杯が終わった後なら問題ない。アジア杯は参加させる。話し合い? それは協会の方の問題」

これはジーコ監督の談話ですが、これを聞いて私には疑問がわきました。

「協会の方の問題?」
「だって、久保とは直接話したじゃないか」
「以前に辞退した高原とだって、直接話したじゃないか」
「そして、彼らの場合は、直接の会話で不召集を認めてあげたんじゃないか」
「なぜヤナギの時だけ、そうしないのか?」

?????

結論から言えば、私は先にあげたジーコ監督の言葉は、基本的には正しいものと、今では思うようになりました。

それは、「招集をするのは原則的には協会である」ということに気づいたからでした。

 

さかのぼってみましょう。今回のヤナギの件と似たような事例がありましたね。そうです、いうまでもなく、中田ヒデ選手の例です。

1999 コパアメリカ 休養のため欠場
2000 アジアカップ セリエAローマに参加するため欠場
2001 コンフェデ杯決勝 ローマでの優勝の瞬間に立ち会うために欠場

このように、ヒデは「日本代表の公式戦を、個人的理由のために欠場する」ということを、けっこうコンスタントに行ってきました。さて、これはなぜ許されたのでしょうか?これを許した「主体」はどこでしょう?

私はそれは「協会」であると思います。

コパアメリカはともかく、アジアカップでも、コンフェデ杯決勝でも、当時のトルシェ監督はヒデに、代表に参加して欲しいと希望していました。また実際、FIFAルールにのっとれば、AFCの公式戦であるアジアカップなどには、クラブに対して強制力のある召集権を行使することもできたのです。

しかしヒデは、彼個人の意志を通し、招集を拒みました。それを「認めた」のは、実際に招集の主体となる「日本サッカー協会」であると私は思います。トルシェは、協会がそのように決定したので、しぶしぶ、おそろしくしぶしぶ(笑)それに従ったのに過ぎないのでしょう。コンフェデ杯決勝の事例などは、その「彼は承服していない」ことを如実に表しているのではないでしょうか。

これは当時、海外組がヒデ一人であり、また彼が日本代表の中で実力的、実績的に突出した存在であったから起こったことだと思います。協会も、関係者も、マスコミも、サッカー専門誌も、ほとんどのファンも、サポも、「ヒデが経験を積むことのほうがアジアカップよりも大事」だと感じていたように、私には思えます。

当時、「ヒデは重みのあるアジアカップに出場すべきだ。それをしないのは、代表軽視であり、けしからん」という論調は、私の知る限り、ほとんど見られませんでした。

協会は、この日本サッカー界の暗黙の総意を受け、いかにトルシェが要望しようとも、ヒデの意思を尊重した形で不出場を認める決定をし、トルシェに対し「協会の決定だから」と伝えたのではないでしょうか。


今回、ジーコ監督は、柳沢の招集を熱望しているように見うけられます。それは、「自分のあずかるチームを最上の状態に持って行くこと」を使命とする代表監督としては、当然のことともいえるでしょう。これは、トルシェ監督がアジアカップ前に、ヒデの合流を熱望していたのと符合します。

しかし、当時は協会は、ヒデの意志を尊重し、アジアカップの欠場を認めています。協会というオフィシャルな意思決定機関は、その対応において、継続性、首尾一貫性、インテグリティを持っていてしかるべきだと私は思います。また、そういう哲学チックなことでなくても(笑)、私たちは日々、特にアナウンスがない限り、ものごとは昨日と同じルールで動いていくはず、と考えて過ごしているはずです。

(そうでなくては、昨日までなかったルールで、しかもそれが周知されていないのに、いきなり裁かれるようなことがあっては、困ってしまうでしょう)

柳沢のケースは、これまでに数回あったヒデのケースと、カタチとしては変わらないものです。これについては、特別な理由がない限り、これまでと首尾一貫した対応を、協会は取るべきだと思います。

つまり、柳沢の個人的要望を受け入れ不出場を認め、ジーコ監督に対し「協会の決定だ」と伝えるべきだ、ということです。これまでとの継続性を考えるならば、当然のことでしょう。またそういう一貫性を期待するヤナギの考えは、まったく正当なものであり、責められるたぐいのものではないと考えられます。

(監督の要求、ということに関しては、ジーコもトルシェも、ヤナギ(ヒデ)に参加して欲しい、と要求している点は変わりません)

もし、これまでと「協会の対応」が変わるのならば、その理由、変わった基準などを明確にアナウンスするべきです。

本来ならば「事前に」それはなされるべきでした。それがない状態で、辞退の意思を受けてから「えーっと、これからはそれは認めないことにした。いいね」というのでは、あまりに場当たり的であり、恣意的であり、信頼することのできない対応といわねばなりません。

私が想像するに、柳沢選手から辞退の意思を最初に受け付けた担当レベルでは、彼らも「ヒデの例もあるし、辞退で問題ないだろう」「ジーコ監督は、そういう選手の意思を受け入れる人だし」という予断があったのだと思います。しかし、ジーコ監督のヤナギ招集の考えは予想外に硬かった(私はその要望を責めているわけではありません)。

現場担当レベルは、相当今困っていると思います。トルシェの時は、ある意味彼の要求を突っぱねるのは楽だった(笑)。彼は協会内で孤立していましたからね。しかし、ジーコ監督の場合はそうではない。かんしゃく持ち(ケット・シー私見)の会長のお気に入りですから、その要求を無碍にすると自分の立場がどうなるかわからない。しかし、ここでいきなりこれまでと方針を変えるには、上手い言い訳が考えつかない・・・(笑)。

これは私たちファンの側にとっても同様です。

今回の件で、「ヤナギの考えは甘い」「アジアカップは重要な大会なのだから、辞退などするべきではない」という考えを表明する方がいらっしゃいますが、それならば4年前にも、あるいは01年コンフェデ決勝の時にも同じことを考えているべきです。しかし、そのように考えていた方は、世間を見ても、掲示板を見ても、当時から多くいたとは思えません。

もし当時からずっと、「ヒデはアジアカップにもコンフェデ決勝にも参加して当然だ」という論陣を張っておられたのならともかく、そうでないのなら、「考えが変わった」ことに対して合理的な説明をして、「これまでの流れからするとヤナギの考えはもっともだけれど、これからは選手の考え方も変えていって欲しい」という要望を表明する程度にとどめておくべきではないでしょうか。

確かにアジアカップは、本来はEUROと匹敵するような大会であるはずです。私たちはこれまで、少し軽視しすぎていたという部分はあると思います。ヤナギがどうか、ということとは関係なく、(今回のEUROの興奮も冷めやらぬところですから・笑)、今度はアジアカップをなるべく盛り上げて行きたいところですね。

それではまた。

12:42 AM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(4)|

July 07, 2004

久保のケース

久保に関しても、怪我の状態を直接見て確かめたい、場合によっては帯同しながら治療、回復具合によってはアジアカップでは起用したい、というのは、間違った考えとは思いません(それを表明する時に、横浜Fマリノスのスタッフを信用していないかのような印象を与える発言をしてしまったのは、マイナスだと思いますが)。

もちろん、「親善試合であるキリンカップで強行起用し、結果アジアカップに出場できないほど悪化させる」などということがあった場合には、そのマネージメント能力が厳しく問われることとなるでしょうが、今はそうなってはいないので、その点を非難するには当たらないと思います。

ただ、メンバー発表記者会見で、コンディションや怪我の状態の把握に関して、あくまでも「本人の言葉」を重視する考えを示していたのが、「あいかわらずだな」と思えて私は心配です。ドクターと本人の言葉を最重要視し、あまり「ジーコ監督の目から見て動けているか」という視点が見えてこない。

当然ながら、代表のユニホームを着てピッチに立ちゲームを戦う選手として送り出す際に、私はけがをして十分に戦える状態にない選手を送り出すことは絶対にありません。(メンバー発表記者会見・ジーコ監督)

これを読んで私は、「ああ、この人は『風邪をひいて十分に戦える状態にない選手を送り出してしまった』と言う『自覚』『反省』がないのだな」と愕然としました。怪我と風邪の違いこそあれ、その際も、ドクターと本人の言葉を最重要視し、ピッチに送り出しましたね。今後も同じことをするのでしょう。私は「チーム・ジーコ」の機能性を今ひとつ信用できないのですが、こういう点もその理由の一つになっています。

オフト監督が修めたオランダのカリキュラムでもそうですが、近代的なコーチ育成カリキュラムには、多くの場合医学の知識がかなり含まれるようです。完全にマスターなんかしなくてもいいですが、そういう予備知識は、監督にとってなるべく持っていて欲しいもののひとつですね。

キリンカップ、アジアカップを通じて、満足に戦える状態にない選手がピッチに立たないで済むことを、怪我を悪化させる選手が出ないことを、そして、「オマーン戦後には選手が入院してしまった」のと同じようなことが、起こらないように祈るばかりです。

******

その後、御存知のように広島での面談によって、久保はキリンカップ、アジアカップを免除されたようです。とりあえず、危険な状態の久保を代表スタッフが見ながら大会に帯同する、という、私から見ると非常に怖い事態は避けられました。ちょっと胸をなでおろしています(笑)。

ただ、現代表にも、楢崎、宮本をはじめ、怪我持ちだったり、怪我あがりだったりという選手が複数いますので、その辺は本当にきちんとケア、マネジメントして欲しいものだと思います。

それではまた。

03:23 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|

ヤナギのケース

J-NETにも書いたことですが、BLOGにも残しておきたいと思います。

私は、今回の柳沢や久保の招集に関して、直接的にはジーコ監督を責めるつもりはありません。

プロの代表監督であれば、自分に与えられた仕事に最善の結果を出そうとするのが当然のことです。そのために自分が必要と考えることは要求すればいい。私は山本監督の、この春の長期合宿要求にも、そう考えました。ジーコ監督に関しても、同じことだと思います。

思い起こせば、前監督もアジアカップの時、すでに辞退の意思を協会に伝えていたヒデをメンバーに入れて発表し、あらためて辞退の決定を受けてから、北嶋を招集した、と言うことがありました。柳沢の事例はこれと符合しますね(加茂監督時代にはこういう問題はあまり論議されなかったように記憶しています。やはりサポの見る目も厳しくなってきていると言うことでしょうか)。

その時はローマサイドも「FIFAルールがあるから呼ばれれば応じないとならない」と言っていたのに対し、ヒデは彼個人の意志を通し、結局は不参加を決めたわけです。今回、柳沢もそうしたければそうすればいいと思います。

ただ、ヤナギに関してはこの後、アジアカップ、アルゼンチン戦、アウェーのインド戦と、彼を必要とするかもしれない戦いが続きながら、全部に召集することは困難ではないかと思われますから、うまくバランスをとった召集をして欲しいとは思いますが。

ただ、この件に関しては「協会の対応」という部分で問題を残していると思います。

それについては、また項をあらためます。

03:19 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|

May 10, 2004

来し方、行く末

前回話題にしたTENさんの考える「連携を取る能力の高い選手で代表を作る」という方針に対して、別の方針の可能性を提示してみたいと思います。

それは、おそらく2002年W杯終了後に当時の技術委員会が次期監督をリストアップしていた時に考えただろうと思われる方針です。

当時技術委員長だったのは大仁氏(田嶋氏ではありません・笑)、フランスの監督をリストアップし、それもビッグネームだけじゃなくフランス協会の推薦する(おそらくは地味な?)監督もそれに加えていました。ここでポイントだったのは、五輪代表監督も次期監督に任せるという方針だったことです。

これは、チェコ・フランス型強化(と私が呼ぼうと思うもの)を協会が志向していたことを、示すものだと思います。

それは、西部謙司氏がサッカー批評22号で書かれていた、「日本代表強化計画<私案>」と近いものです。そこで西部氏は、「ユース年代でひな形を作ってしまえ」としています(どうもこの一連の話題では西部さんばっかり引用してしまいますが、そういう意味ではやはり、「日本のサッカー界の位置取り、方向性」という視点から書いているライターは多くないということかもしれません)。時間の取れないフル代表で戦術を構築するのではなく、ユース、五輪年代でそれを行っておこう、ということです。

西部さんも触れていますが、現在のチェコ代表・ブリュックナー監督は、以前にユース年代の代表監督でした。当時指導した選手の多くが今の代表にも含まれていて、「A代表を担当してイチからチームを作り始めたわけではないのだ(西部さん)」ということです。これはよく紹介されるコラムですが

調和が取れているチェコの試合を見れば、私がユース指導者時代の5年間でどれだけ膨大な戦術を、選手に行き渡らせたのかを知ることができるだろう

とブリュックナー監督は言っていますね。他にも、例えばフランス代表も、若年層からほぼ同じコンセプトで代表チームを作っていく、一貫性のある強化をしていると言えるでしょう。

実際日本でも、トルシェ時代はそうでした。ワールドユース準優勝組が、その後のチームの中核になって行ったことは誰の目にも明らかでしょう。それと同様に、まだ海外組がいないユース、五輪代表年代で、優秀なトレーナー型監督(便宜上こういう分類を使います)に戦術を浸透させる。それをフル代表年代でも共通させ、全体としての日本の形を作っていく。2002終了後のリストができた時には、こういう「強化の大方針」がそこにあったのだろうと考えることは、それほど的外れではないでしょう。

これは、海外組が増えてくる2002-2004でも有効に機能した可能性が高いと思います。2002直後にリストにあったような監督が就任していれば、ある程度フル代表選手たちが「すでに慣れ親しんだ」戦術でスタートすることができただろうからです。もちろんフラット3である必要はないですが(笑)、例えばルメール監督がチュニジアで、あるいはギー・ステファン監督がセネガルでやったようなDF戦術は、エッセンスとしては共通している部分が多いわけで、その他プレスのかけ方や攻撃時のスクエアパスの動きなんかも、「ああ、これね」(笑)という感じでこなせたのではないでしょうか。

(注:このコンセプト自体の当否は今は問いません。あくまでも「やりやすさ」だけの話に限定しています)

そういう意味での継続性、積み上げがあれば、1998-2002のフランス・チェコ型の一貫強化を、スムースに2002-2006のそれへとつなげて行くことができたはずで、その場合には「海外組が増え、召集が難しく」なっても、そして監督がトレーナータイプであっても、問題はなかったのではないか、と考られます。

これを、よくわからない理由で(笑)覆してしまったのが、川淵-ジーコ体制であって、実にもったいないことをしたものだと思っています。

*******

ただし、言うまでもなくこれは「そもそも論」であって、「2002終了後にはそちらを取るべきだったのでは」ということです。逆に言えば、KINDさんの問いかけにあったような、「今ジーコを解任したとして、その後最終予選まで監督をどうするか」ということには答えていないものですね。最短の目標、最終予選のことを考えると、また別の考え方をするべきであるかもしれません。

しかし、TENさんがおっしゃるように、「日本のサッカー界の位置取り、方向性の確立」という中長期的なことを考えるのなら、そして日本が世界のトップ10に定着することを目標とするなら、この大方針はもう一度十分に検討に値するものではないかと思います。

それではまた。

05:05 AM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|

May 08, 2004

こんな時代になったねと

次期監督についてから始まった一連の議論ですが、掲示板の方でもTENさんから問題提起をいただき、やり取りしている中で議論が深化していきました。TENさんのほうはそれをBLOGにまとめられておられますが、私も私なりの考えをここにまとめておきたいと思います。

TENさんの主張は、以下のようなものだと思います。

1)これからは、2002以前のような強化日程は取れない。
2)そのような場合、戦術を浸透させるタイプのやり方はできないだろう。
2´)そうではなく、「連携を取る能力が高い」選手を集めて代表を作るやり方を採るべきである。
3)そのやり方が上手いのは、ブラジル出身の監督である。
4)ジーコを選んだ川淵氏は、上記のように考えていただろう。

5)ジーコはマネージメント能力が低いため、日本代表監督としては不適格かもしれないが、「日本のサッカー界の位置取り、方向性」の確立という事で考えた場合、2)の「方針」自体は正しいと考えるべきではないか。
6)監督を交代するにしても、「連携を取る能力が高い」選手を集めて代表を作るやり方は継承するべきだし、その方針で監督を選ぶべきだ。

(この観点を視野に入れない解任論はダメなのではないか)

やり取りを通して、私は「これは西部さんが主張されていた『セレクター論』に近いな」と思いました。

西部さんは「ジーコはセレクター型の監督だ。つまり、その時点でベストの選手を招集し、短期間で理解しやすい最低限の約束事だけを与えて、オーソドックスな戦い方を指向する。」と書かれていて、そこでの選手の基準をたんに「ベストの選手」としていますが、これに補足して、「選手の連携をとる能力」が重要だ、としたのがTENさんの論であるという事ではないか、ということです。

これに対しさらに「ジーコ監督は、日本サッカーが中途半端な移行期にあるときに就任した、中途半端なセレクターなのかもしれない。」という判断を示しているのが西部さんです。そして、私はTENさんとの議論を通して、やはりそれに近い考えを持ちました。

仮に(仮にですが)ジーコが「連携を取る能力が高い選手を集めて代表を作る」やり方を採ろうと考えていたとしても、それには、「どういう選手が連携を取る能力が高いのか」「どのように組み合わせるべきなのか」を見極める能力が必要ですし、「与えるべき最小限の約束事は適当なのか」という監督の問題もありますね。

そしてその点を考えると、ジーコ監督の「セレクター」としての能力も高いものではない、と私は考えているわけです。この部分はある程度TENさんも同意していただいていますが、「連携を取る能力が高い選手を選ばなくてはならないのに、現状ではそれがあまりできていない」ということですね。

したがって、単に「マネージメント能力が低い」ことだけで解任を叫んでいるのではなく、「セレクターとしての能力不足」も問題視しているのです。この点では「中途半端なセレクター」とした西部さんとも評価の一致を見ているとも言えるかもしれません。

西部さんは(TENさんも?)セレクター型監督は少し時期尚早だったか、と書かれていますが、私は、ジーコ体制の問題点はその部分にはなく、ジーコ監督が「セレクターとしても」能力不足であったのだ、ということであろうと思っています。同じタイプの(?)セレクター型監督でも、経験豊富で能力の高いプロの代表監督であれば、より的確に「連携を採る能力が高い」選手を見極めることができるでしょう。

特に「今後の方針」に関してはTENさんの考えに完全に同意するわけではありませんが、「仮に」その路線「連携を取る能力が高い選手を集めて代表を作る」を継続する事にした場合も、ブラジル人だけではなく、さまざまなタイプの「セレクター」型監督が存在し、彼らも日本代表を率いる資格がある、と言って良い、と私は思います(もちろん、日本を知っているか、日本に合うか、などなど、多くのチェックポイントはありますけどね)。

それではまた。

09:50 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|

May 03, 2004

羅針♪

本題♪について、TENさんからトラックバックでご意見をいただきました。

ケット・シーさんは時期監督は協会が考えるべきことで、監督の名前を出しても「サロン話の域を出ない」と言ってますが、誰かが監督になってそれをサポ・ファンの立場から批判する時には「どうしてこの監督を選んだのか」という大前提が必要になってくるはずなので、それは「サロン話」ですむとは思えないんですね。

「なぜジーコを選んだのか」については川淵氏も永井氏も(笑)いろいろ言っているし、それについての批判は就任当初よりもう尽くしたと思います。「それでもジーコの『方針』は支持する」という人がいるのも事実。しかし私は、それと解任論を混同したくないのです。私の解任論は「方針がどうあれ、あまりにも実践能力が低い」というところから出ているわけだから。

実際にジーコ解任の話が取り沙汰されている最近でも、そういう「大前提にあるビジョン」を掲げて批判をしている人はほとんどいないし、

「大前提にあるビジョン」が違うからジーコ解任を、と言っているのではないから。「大前提にあるビジョン」をどうするべきかの議論はあっていい。もちろん。そしてそれはずいぶん前にやりつくしたと私は思っているわけで。

じゃあジーコを解任して誰がいいの、という話になったときに、ケット・シーさんは
オシム、アルディレス、ネルシーニョ、ベンゲル、トルシェ、ルメール、ギネシュ、メツ、オフト、桑原、etc
と名前を挙げてますが、これらの監督が「同一の方向性」を持ってないことは明らかです。

もちろん。それは、わざと。

つまり、「あまりにも実践能力が低い」監督は解任するべきだけれども、「大前提となる方針」についてはdebatable(意見が分かれる)だろう、ということを織り込んでいるわけです。そして、例えば「個性重視の南米流がいい」であれ、「組織重視の欧州流がいい」(注:私の言葉ではないですよ)であれ、プロセスを踏んだ上での大勢ならば、同意できることもできないこともあるけれども、従いますよ、ということ。そこでの意見の違いにより、解任論が分断することは避けたいわけです、私は。

ボクとしては、「監督誰にする?」という話の前に、「どういう方針で日本代表は将来を捉え、それに合わせた人選をする」というのがまずあるべきなんじゃないかと思うんですよ。

これはおっしゃる通りだと思います。そしてその部分の議論はもっとあるべきだ。私もおよばずながら、2002終了後にそれは開始しています

以上で、発汗さんのご指摘に対するお答えにもなっているでしょうか。

それではまた。

09:58 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(4)|

本題♪

KINDさんへのレスの続き。こちらが本題かもしれない。

そういうことで、非常に丁寧にレスを返していただいたケットさんに感謝しつつも、ケット氏の「解任後のグランドデザイン」については非常に疑問を抱いた次第。

そうだろうね。そして私は「それはサロン的会話にしかならない」と考えているのだよ。オシム監督の健康状態について、私たちは本当の情報をどれぐらい知っている?メツ氏がセネガルでどれだけの合宿数で結果を出したかをどれぐらい知っている?ギュネス氏が協会と折り合いをつけられる人柄かどうか、本当のことをどのぐらい知っている?そういうことを総合的に判断するのは協会の役目なのだ。

さらには、私は「協会も変わるべき」と考えていることも付け加えておきたい。

「ネルシ-ニョは協会ともめたからダメだ」というテーマは意味がないと思う。本当に呼ぶべきであれば協会は猛省し、頭を深く下げて彼のドアを叩くべきだし、そうできるように変わるべきだ。トルシェも同様。「川淵氏が嫌っているからトルシェはダメだ」これも無意味な話。逆に言えば、川淵氏の気持ち次第で招聘は可能と言うことだ。本当に必要ならそれぐらい変えてくれなくては困る。

また「招聘可能性」については、私は「協会が全力で当たるべき」と書いた。これについても補足しておこう。

私事になるが、私は「タレントとの出演交渉」もしなくてはならない仕事をしている。これは実は困難を極める(笑)。大物になると、たいていは契約金の額で門前払いである。しかし、どうしてもこの役者が欲しい、という場合には、「絶対にやらない」といわれるまでは私は交渉を粘り強く行う。そうすると、「額ではない」ということがある。時には直接会いに行き、いかにこの企画がよいか、話を聞いてもらう。時には熱情(?)をしたためた手紙を書く。それによって、「よっしゃ!」となることが、まれにだが、あるのである。

オシム監督を市原の監督に動かしたのは、祖母井氏が何度も頼みに行ったのが決めてであったという。そういうことなのだ。そういう努力をしないで「あんなビッグネームが来てくれるわけないじゃないか」「契約があるからムリに決まってるじゃないか」「日本協会と合うわけがないじゃないか」などと考える必要はどこにもないと私は思う。むろん、むこう(監督)にも事情はあり、「絶対にムリ」である監督もいよう。しかし、それはぎりぎりまで交渉をしなくてはわからないことなのだ。そして私は、「ぎりぎりまで交渉を、全力で、誠意を持って」行うように協会は変わるべきだと思っているのである。祖母井氏のように。

解任論を主張するのは必要だと思うけども、「じゃあ誰が監督やるの?」と問われたとき、それなりの現状に即した人材を想定しておくのは「言いっぱなし」にならないための一種の義務ではないか、と思うのだが如何だろうか?

それは一つの考え方だろう。しかし、私は
「どういうサッカーをする監督を選ぶべきかは、協会の日本サッカーに関するビジョンによる」
「監督の就任可能性(健康状態を含む)、協会とうまくやっていける可能性については、協会が全力で当たるべき、としか言う必要を感じない」
「戦術徹底タイプだから時間がかかる、というのが本当かどうかは疑問」
「時間がどれぐらいかかるかは、監督によって違うだろう。それはこれまでの実績を精査しないと判明しない」
「現在のチームでの成績だけで手腕を判断するべきではない」
と考えており、従って現時点での監督候補は以上に述べたようなものになる。

もちろん、「どういうサッカーをする監督を選んで欲しいか」という私なりの考えは、ある。しかしそれはサロン的会話にしかならないと思うし、解任論の文脈でそれを話すのは、百家争鳴議論百出しても得るものは少ないと私は考える。それを避けるには上記のような考えになり、それに基づけば、現時点では先に述べたような候補を挙げるにとどめることで、「義務」の範疇としての次期監督論としては十分だと思うのだ(アジアカップ後ならばまた人数は絞り込まれるだろうが)。

ところで、KINDさんのところのコメント欄での対話の中で出てきた、

やっぱり「代案なくして批判なし」は原則だと思いますから。(KINDさん)

についても少し考えておきたい。(おそらくこれがKINDさんのもともと言いたかったこと)

これについては私は、「ジャーナリストは政府について、つねに代案を持って批判するだろうか」と反論した。確かにケット・シーはジャーナリストではないが(笑)、こうやって発表する場を持っているということでは、その差異はもはや本質的なものではなくなってきていると思う(これはネットの間ではもはや共通認識となっていたのではないかと思うのだが)。

また、協会は政府と置き換えられるようなものかどうか、という点では、広義には「サッカーファンは国民、協会は政府のようなものである」ということができるだろう。彼らは私たちには到底持つことのできない絶大な権力を持っているのだから、いうまでもなくその責任は負うべきだ。また狭義には「観戦料や登録料を払っているのだからそれは税金と同じで、協会は責任を負うべき」とも言える。

さらに言えば、「ジャーナリストは代案を用意してから企業を批判するか?」と置き換えてもよい。ジャーナリストではなくても、消費者も問題があると思えば企業を批判するし、不買運動などを起こす人もいるだろう。問題があれば、批判される、それは当然のことなのだ

繰り返して言うが、代案を作ることは可能だし、それを我々のできる範囲で精度を高めていくこともできるだろう。しかし、それはサロン的会話にしかならないし、その議論をすることによって、「悪政を改めるべき」という基本が薄れていくことは避けなければならない。したがって私はこれ以上その話に深入りすることはしないつもりなのだ。

それではまた。

01:00 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(5)|

細かいけど

次期監督についてに対して、KINDさんから下書きと言う形の返答をいただきました。これに対してさらにレス(笑)して見たいと思います。非常に長いものになることが予想されますので、興味ない方はスルーをお願いします(笑)。

まず最初に、「分習法」についての私の質問により、「私のあげた監督たちは分習法タイプだが、時間はかからない」ということを私が主張しているという誤解をさせたかもしれませんが、そうではありません。

「トルシェタイプの分習法でチーム作りを進めるタイプは、1年では自分の哲学を浸透させるのはムリ」

とKINDさんは書いたけれども、これは本当なのか、このように言うのは妥当なのか、と聞いているだけです。それと「私の書いた候補達は時間がかかるか否か」とは切り離して考えてください。私のあげた候補達が分習法タイプかどうか、ということになりますし、そもそも「分習法タイプ」という定義そのものに対して疑問を投げかけているわけですから。

>A)トルシェが「分習法」で進めるタイプって、ホント?ゴタケさんが言ってるだけじゃない?(ケット・シー)

トルシエの指導法は(中略)かなりの細部で詰めなければいけないことが沢山あるし、

それを「分習法」と呼ぶのは適当なのでしょうか?
「そういうタイプ」とKINDさんは言うが、他の監督でそういうタイプとは誰か?

だからこそトルシエは沢山の合宿を要求していた。

トルシェはいつだってたくさんの要求をしてきたし(笑)、それは分習法タイプだからなのか?
むしろ彼の要求は「国際カレンダーに合わせるべき」という部分が大きかった。
合宿を要求するのは、イコール分習法タイプと言う証明にはならない。

「トルシェのような分習法で進めるタイプは時間がかかる」のであれば
「それとは違うタイプは時間がかからない」ということがKINDさんの論理のはず。
で、それは誰?
その人はたくさんの合宿を要求しないのか?ということ。

>B) そういうタイプって時間がかかるってホント?(参照:U-23アルゼンチン戦)そうでないタイプとホントに違うの?(ケット・シー)

そう考えたとき、ケット氏の挙げたメンツを監督候補にすれば「時間が必要」になるのは当然ではないかと思う。

ここで最初にあげたように、ちょっと論理が錯綜している。
私が聞いているのは「そういう(分習法)タイプは時間が必要」ということがホントかどうか?ということ。
KINDさんが「そういうタイプは時間が必要」と書くからには「そうでないタイプはそれほど時間は必要ではない」ということを言っているのだろう?
その両者の差「分習法タイプとそうでないタイプの差」はどれぐらいなのかを聞いているの。

ケット氏の挙げるメンツで「時間がかからない」と考えられるかが疑問に思う。

そんなことは一言も言っていなくて、まず「分習法タイプは時間がかかる」という言葉の真偽を問うているの。
これはホントなのか?

だいたい、メツやギネシュ、アルディレスやオシムは「分習法」タイプなのかどうか?(笑)

>C)南アフリカでは、「チーム作り」が上手く行かなくて、哲学が浸透しなかったのが問題だったの?(いや私は詳しくないので)(ケット・シー)

これについては「情熱」からの参照(手元に本がないので…)になるが、(中略)
「チーム作りに失敗した」といわざるをえないだろう。
そういう事情を下敷きにすれば、やはりトルシエのような戦術家肌の監督が十全に仕事をするためにはある程度の時間が必要なのだと思わざるを得ない。

これが「分習法タイプだから」起ったことなのかどうかを聞いているんですけどね。そしてKINDさんの書いていることはほとんどがモチベーション・コントロールの範疇のことで、それは「分習法タイプかどうか」とは関係ないだろう。(ところで「3ヶ月で私の哲学を理解させるにはこれしかなかった」って何ページに書いてありますか?)「南アフリカでは、分習法タイプだから戦術の浸透が上手く行かなくて失敗した」と言えるだけの情報は私は持っていない。だいたい一つしか強化試合を組めないのでは、分習法タイプじゃなくたって難しいではないか(笑)。

ただし、ここまでの話は、KINDさんの「トルシェタイプの分習法でチーム作りを進めるタイプは、1年では自分の哲学を浸透させるのはムリ」という論考の真偽を問うているのであって、「私が上げた監督たちは時間がかからない」ということを主張しているのではない。何度も言うけど、誤解なきよう(笑)。

私が上げた監督たちも時間を必要とする監督はいよう。だからこそ、「次の監督に時間を与えるためにも早期の解任を」と言っているのだ。しかし、招集の難しい海外組を擁しながらも、アフリカネーションズカップで優勝してみせたルメールの例もあるし、同じような状況で戦術徹底型のビエルサ監督も、予選では好成績をあげていた(興味深いのは、彼は「合宿の時間を与えられた」本大会では成績を落としてしまっているところ・笑)。どういうタイプがどのくらい時間を必要とするのか、という点に関しては「それぞれの監督による」としか言えない。それは監督の実績を精査するしかないだろう。

ところで

4.その人材に「時間を与える」というが、「時間が必要」な人材では間に合わないのではないだろうか?

これについて補足の返答をしておくと、「それは程度問題だ」ということ。例えば1次予選終了後の人選となれば、これはもう相当に絞られてくるだろう。長くて2、3週間の合宿、2、3回の親善試合しかないからだ。それで仕事のできる監督は非常に少ない。逆に、「今」ならば、キリンカップ、アジアカップ前の長期の合宿、アジアカップ、時間の取れるオフィシャルデーでの1次予選、アルゼンチン戦、ドイツ戦があり、現時点ではかなり候補の幅を広げることができるだろう、ということだ。

いくらBLOGとはいえいくらなんでも長くなるので(笑)、いったん切ります。

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May 02, 2004

次期監督について

チェコ戦のうらはらに対してKINDさんからトラックバックで質問をもらいました。私の

次の監督に時間を与えたい、ということなので、これも変わりません。ただ、現実問題「即刻」は難しくなったと思いますけどね(笑)。イングランド遠征、アジアカップまでは、見ていくことになるでしょう。

に対して、

「次の監督」という風に書いておられるが、

1.ここで想定される「次の監督」ってのは誰がいいんだろうか?
2.その人材は登用可能なんだろうか?時期的にも、金銭的にも。
3.その人材のサッカーはどういったもので、それはどういう根拠で日本に合うと思うんだろうか?
4.その人材に「時間を与える」というが、「時間が必要」な人材では間に合わないのではないだろうか?

という質問です。よく言われることですね。とはいえ、「それは本来は協会が考えるべきこと」であると私は思っていて、従ってこれについて云々してもそれはサロン話の域を出ないのですが、一応お答えしたいと思います。

 

1: オシム、アルディレス、ネルシーニョ、ベンゲル、トルシェ、ルメール、ギネシュ、メツ、オフト、桑原、まだいるかも。

2: いろいろあげたので(笑)人によって違うだろう。一番難しいのはベンゲルかな?しかし彼も(よくは知らないが)アーセナルがそろそろ長すぎだし、三顧の礼を持って迎えれば不可能ではなくなってきているのでは?メツやトルシェ、ルメールには「強奪」感があるが、それは世界のサッカーでは「ないことではない」し、日本を強くするためだ、やってしまえ(笑)。Jリーグの監督は就任可能性は高いかも、だが、当該クラブのサポの方にはまことに申し訳なく思う。これも厚く手当てすることが必要だろう(次の監督を雇えるだけの違約金など)。どちらにせよ、それは協会が全力で当たるべきこと。

3: これもいろいろあげたので(笑)。大枠として協会の方針がどうなるか、による。フランス系監督は、もともとの路線に戻ることを意味し、おそらくフラット・ラインディフェンスを導入、コレクティブでコンパクトなサッカーは日本に合うだろう。オシム監督はDFをどうするかが読めない(現状はマンマーク)。しかし選手の能力に合わせることができる人であり、そこはしっかりとやるだろう。ネルシーニョ、アルディレスは、ややタイプは違うが、過不足ないサッカーを構築する。「南米路線」がよいと協会が思うのならこちらもあるだろう。

4: 「時間が必要な人材」って、程度問題だ(笑)。例えばアジアカップ直前の(おそらく2週間ほどの)集中合宿を含む、1年弱を与えれば、ギネシュやメツでも問題ないと私は思う。だからこそ、本来はアジアカップ前の解任が理想的だったのだが。

とくに4について。だって1年弱よ、最終予選まで。いまの時点で。1年で仕上げるのってかなり大変。合宿期間が取れないのはジーコと同じなんだし、トルシエタイプの分習法でチーム作りを進めるタイプは自分の哲学を浸透させるのはムリ。トルシエも南アフリカ時代に同じ問題に直面し、短期間でチームを纏め上げるために色々工夫をこらしたが結局上手くいかなかった経緯がある。

「トルシェタイプの分習法でチーム作りを進めるタイプは、1年では自分の哲学を浸透させるのはムリ」?

A)トルシェが「分習法」で進めるタイプって、ホント?ゴタケさんが言ってるだけじゃない?
B) そういうタイプって時間がかかるってホント?(参照:U-23アルゼンチン戦)そうでないタイプとホントに違うの?
C)南アフリカでは、「チーム作り」が上手く行かなくて、哲学が浸透しなかったのが問題だったの?(いや私は詳しくないので)

FUSラバトでは1週間でチーム作りをしたことがあったというし、ナイジェリアの監督に就任してから最初の試合までは1ヶ月だった。日本のワールドユースまでも半年しかなかった。あるいは、チュニジアでのルメールはチーム強化にそれほど時間を必要としたか?私は「戦術徹底タイプの方が時間を必要とする」というのは疑問だと思う。

端的に言えば、現状では日本人監督か日本にある程度の期間いる外国人監督じゃないと事実上ムリなのではないだろうか?

アジアカップ後解任ということになると、そうかもしれない。そうなると、候補はある程度絞られるね。

しかし、チェコ戦で明らかになったのは、「いかにこれまでのジーコ方針が足かせであったか」ということだと思う(笑)。田中誠を中心とした3バックは、短期間の合宿でもあれだけできた。もともと、私は「アジア1次予選は大勝の連続」であろうと言っていたので、それは

間違ったチーム作りにより、オマーン戦やシンガポール戦のような試合をしてしまった。最初から
1)コンディションを重視して選考
2)合宿で連携を作れる国内組に、コンディションの良い海外組を少し組み合わせる
3)チーム内にヒエラルキーを作らない
4)「黄金」4人組ではなく、動き回れるタイプの選手を組み合わせる
というチーム作りをしていれば、オマーンやシンガポールにあのような苦戦をすることはなかった

ということだった。これはアジア最終予選でも同じことであって、きちんとコンディションを見て起用するという当たり前のことができ、メンタルをわざわざ悪化させるようなことがない、経験豊富なプロの代表監督なら、1次予選はもちろん、4.5枠ある最終予選も、1年の強化期間で当たることはできるだろう、と私は考える。

 

というところでしょうか。

それではまた。

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April 18, 2004

川淵発言と「王道」と

川淵会長の発言(要旨)が、J-NETにアップされていました。これは今日の混迷(と言い切ってしまいますが)を招いた元凶の一つであると言えるでしょう。これはJ-NETでそれについて考えてみた文章です。ここに再録しておきます。

まずは川淵さんの発言を分解してみましょう。

1)前任者の時はまずシステムを決めて監督の言う通りにやっていた。
2)選手は指示待ちだった。
3)これでは世界を勝ち抜けない。自分で考える力を伸ばさないといけない。
4)そのために選手には管理じゃなくて自由を与えて自分で考えられるようにした。
5)その適任者がジーコだった。

これは、一つ一つのテーマも正しいかどうか疑問が残るものですが、ひとつながりの議論としては相当に成立していない、誤った考え方だと思います。

特に1)と2)の間の因果関係、その普遍性が、過度に一般化されていると思われます。

言葉を足して言うと、(そして、あえて悪く言うと・笑)

「トルシェ監督は、自分の決めた戦術を選手に強要する監督だった」
「ゆえに、選手は指示待ちになってしまった」

ということでしょう。これは、川淵氏の頭の中では(笑)、おそらく正しいのでしょう。

しかし、

「よって、トルシェと同じような、戦術を重視する監督ではいけない」
「そのような監督では、選手がまた指示待ちになる」

と考えてしまったことが誤りなのです。

トルシェほどではなくても、戦術を重視する監督は世界中に、そして非常に多くいます。そういう監督の下では、選手は常に指示待ちになるのでしょうか?フランスは、オランダは、イタリアは、アルゼンチンは?日本よりも高度な戦術徹底を行っている国の選手は皆、指示待ちなのでしょうか?

いうまでもなく、答えは、否です。

仮に現状、2)や3)の問題点があったとしても(私はそんなものはないと、磐田や鹿島を見ると思うのですが)、戦術重視型(仮にそう分類します)の監督が来ると常にそうなる、ということではない、ということです。世界には、戦術重視型の監督の下で、選手が自分で考えているチームはいくらでもあります。

さらには、2)や3)の問題点を解決するために、フル代表で4)選手には管理じゃなくて自由を与えて自分で考えられるようにする。のような方法を取る、というところがおかしいと思います。

言うまでもありませんが、代表チームには時間がありません。たまに集まって試合を行うだけの代表チームで、「指示待ちで自分で考える力が足りない」選手を、「指示がなくても自分で考える選手」へと変えていくことは、効果が上がりにくいだけでなく、チーム作りにとって重要な他のことがおろそかになる点で、問題が大きいと私は思います。

(またそもそも、「完成された大人の選手に、管理ではなく自由を与えると自分で考える力が伸びる」というのは幻想ではないかと思います。市原のオシム監督は、多くの選択肢を練習の中で与え、「考えさせる」ようにする高度な練習メソッドを持っていると聞きます。ただ自由を与え話し合いに任せるだけではなく、そのようなプロの監督の技術も、もし本当に「自分で考える力」を伸ばそうというのならば、必要になってくるでしょう)

「選手一人一人の考える力を伸ばす」ことは、育成や時間の取れるクラブで行うべきことです。そして、世界のトップ10の日本よりも上の国は(ブラジルを除いて・笑)、どこも日本よりも上の戦術徹底度を持っています。日本がそれをおろそかにして、上にいけるはずはありません。

 

川淵さんは、よほどトルコ戦がショックだったのでしょうか。

もちろん私もたいへん胸が痛みましたが、今から思えば、日本よりも強い国が、先制点を奪った後引いてきて攻め崩せなかった、というだけのことなのだ、と思えます。それなのに、なぜか組織サッカーが限界だと思ってしまったり、日本の選手の「自分で考える力」に欠陥があると思いこんでしまった。それは、日本がまだまだワールドカップという舞台に対して、「ナイーブ」であるから起こったことだと私は思います。

トルコ戦ショックは、ナイーブな協会トップに、トルコ戦から逃げ出すことを、とにかくあれとは違う、変わったことをしないと、という意識を植え付け、監督未経験者を代表監督に登用するという、不可思議な人事を行わせてしまいました。それは、きちんとしたチーム作り、戦術徹底、チームマネジメント、モチベーションコントロール、メンタルマネジメントの能力が低い監督に率いられることによって、日本代表をどんどん弱くする道でした。

日本サッカーを強化すること、日本代表を強化すること、そこには近道はありません。抜け道もありません。「管理じゃなく自由」などというお題目を唱えたら、トルコ戦のような試合がなくなるわけではない。ただしっかりと足元を見つめ、育成のレベルを上げ、クラブのレベル、リーグのレベルを上げて、そこから技術の、戦術理解の、そしてメンタルの質の高い選手が、継続的に育つようにしていかなくてはならない。代表では、そういった選手たちを、体系化されたメソッド、教育、経験、実績を持つプロの代表監督が、きちんとした強化方針の下、まとめていかなくてはならない。

オマーン戦、シンガポール戦の苦戦は、私たちにそういった強化の「王道」へもう一度立ち返るべきだと、言ってくれているように思えてなりません。

それではまた。

06:53 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|

April 17, 2004

もういいか、でも続いちゃう(苦笑)

ジーコ 私の采配が悪い。チームがどうしようもない。ネガティブなことばかり取り上げられる。2連勝。勝ち点6でグループ首位なのに?

 私がなぜ、ここまで責められなければならないのですか?

さて逆ギレです(笑)。しかし読み返してみると、これは興味深いですね。最初、私は、ジーコ監督は石倉記者のツッコミに対して「なぜそこまで責める?」とキレているのだと思っていました。しかし、「采配が悪い、チームがどうしようもない」などと、今日出ているのではない非難を口にするところを見ると、これは「これまでメディア上で出ていた批判」に対してのものであることがわかります。

日本の記事を通訳の方が訳していたのでしょうか?あるいは英語版や、ポルトガル語に翻訳された「国際ジャーナリスト」の記事に反応しているのでしょうか(笑)。どちらにしても、私たちや大住さんが言っているような批判は、ある程度本人の耳にも届いているようで、一安心(?)ですね。

ジーコ 私がまったく的外れな、及第点も与えられないようなチームづくりをしているのか?私は自分の指導法に自信を持っているし、選手を信頼している。ネガティブな部分にばかり目を向けず、ポジティブな部分にも目を向けて欲しい。勝っているのだから。負けていないのだから。

同じようなことを、FOOTBALL NIPPON2004春号の増島さんによるインタビューでも答えていますね。サポのデモやブーイングについて聞かれたのに対してです。

ジーコ そもそも私を解任せよ、とデモをした60人の理由は何なんだ。私が不正を働き、皆をだまくらかし、間違ったサッカーをしているとでも言うのか。(FOOTBALL NIPPON2004春号)

ジーコさんが不正を働いていないこと、皆に対して誠実であろうとしていることは、特に疑ってはいません。またこの世に「間違ったサッカー」などというものはないでしょう。
ただ、監督能力の低いジーコさんでは日本は弱くなる、と言っているだけなのですよ。

1次予選で勝っていることを錦の御旗にしたいようですが、1次予選で勝つことはかつてより私たちにとっては普通です。
「予選だから勝てばすべてが許される」というふうには、私たちは考えないのです、1次予選では。
この段階では、勝つことはもちろん、その時しているサッカーで2次予選や本大会でどのような戦いができるか、を見ていかなくてはなりません。
そしてそれは、オマーン相手にロスタイムの偶然のゴールまであわや引き分け、というものだったのです。

ジーコ 日本代表は、世界でも圧倒的な実力を持っているわけではない。シンガポールやオマーンは、日本よりもランキングは下かもしれないが、ワールドカップを争うのだから、親善試合とは臨む姿勢が違う。その中で苦しみながらも、われわれは勝っている。日本とそれらの国に、ランキングほどの差はない。にもかかわらず、「何で格下の相手にこんな試合しかできないのか」と言われる。これは自分にとっても選手にとっても、非常に心外だ。

私たちは、選手を責めてはほとんどいないですよ。誤解しないでいただきたいのですが。
あれだけの悪コンディション、あれだけの稚拙なモチベーションコントロール、ああいう中では選手は本当に良くやっていると思っています。

ジーコ なぜ、そこまで言われなければならないのか?日本は世界でもダントツの力を持っているわけではない。これからそうなっていくチーム。そこをよく考えて欲しい。

えーと、「日本とそれらの国にそれほどの差はない」からこそ、監督能力の低いジーコさんでは不安なのですね。
もう一つ、「差はない」からこそ、しっかりとした組織を作るべきだと私は思いますね。

さて、ここまで一気にジーコ監督はまくし立てました。インタビューでこのように長い文章が続いているのを見たことはあまりありません。特にジーコ監督は、あまり長い文章をしゃべる方ではなかったですから。この長さを見ると、ジーコさん、よほど「溜まっていた」ことがわかりますね。

---4人の起用、そのものが疑問なのではありません。わずかな準備期間しかない状況は、現実として2回続けてあった。その両方で起用した結果、2回続けて内容が芳しくなかったことが疑問なのです。彼らが欧州でプレーを続けてるのであれば、今後も同じ状況は起こりえます。結果が出ているのは事実ですが、あなたがまた同じように、短い準備期間で起用し、また同じように芳しくない内容になるのではないか。それを懸念しているのです。

石倉さん、ジーコの切れ始めの最初の反論に対しての質問を返していますね。これ自体は実に的確な反論だと思いますが、この長広舌の中にはもっと突っ込んでいいところもあった(笑)ような気もします。

ジーコ では、国内でプレーしている選手を起用したとしましょう。同じような僅差の結果が出たら、「ほら、海外組を出さないからだ」となる。これでは、いたちごっこだ。

「同じような僅差の結果が出たら」そうかもしれませんね。しかしだからと言って運否天賦というわけでは(以下略・笑)。

ジーコ 私は自分の判断に絶対の自信がある。それも勝手な思い込みではない。これまでの結果などの例から、そう考えている。

いや、それを勝手な思い込みと言うんですが。

---今後も状況は大きく変わらないでしょう。準備期間がどんなに短くても、チームのベースは海外組に置いていくつもりですか。

ジーコ 相手もあるし、試合に向けた状況もある。しかし、基本は変わらない。それは、これまでやってきたことだ。

そうですね。問題点を認識していないのですから、ジーコさんにとっては何を変える必要もないのですね。「ジーコが変わらないのなら、ジーコを代える必要がある」ジーコジャパン検証番組での発言。発言はDemperWebで読めます)ジーコさんは、まったく変わらないようですよ。

しかし、欧州遠征のメンバー、あそこまで「何も足さない、何も引かない」だとは思いませんでしたよ。とほほ。意固地になっちゃってるのかなあ。

もう後は、誰が首に鈴をつけるか、だと思いますね。川淵さん、自分がやらないと、あなたの首にも鈴がついちゃいますよ(さらりと)。

今日のツッコミはここまでで(笑)。細かすぎ?(笑)それではまた。

01:26 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|

もういいか(苦笑)

もう時機を逸した感もあるサカマガ「私がなぜここまで責められなければならないのか」ジーコ・インタビューですが、まだ最後までツッコミ入れきっていないので(笑)、続きをやりたいと思います。「もおええがな」と言う方は飛ばして読んでくださいまし。

---そこまで評価が高い海外組に対し、逆に低く見られている選手たちが、いま以上に意欲をかき立てるのは、簡単なことではないと思います。そうした状況であっても、もっと強い意欲を持って臨むことを、代表選手は求められるのですか?

これって普通の、まああんまりインタビューとしては上手くない質問じゃないかと思います。
「強い意欲を持って臨むことを、代表選手は求められるのですか?」
「そうだ、代表選手であるという誇りを持って働いてもらいたい」
これまでのジーコ監督の木で鼻をくくり方では、このように答えられて終わるところでしょう。しかし、今回のジーコ監督の反応は違っていました。「逆ギレ」です。以下に全文引用しつつ、ツッコミ(笑)ます。

ジーコ 私が初めて中盤の4人を並べて起用した時、人々は『黄金の4人』などと大騒ぎしたね。あれは名前で決めたのではない。彼らが日本でやってきたこと、いま海外でやっていることなどを統計的に見て、やはり特別な力を持っていると感じたからこそ、早い段階からずっと起用しているんだ。
それが今になって、マスコミの方々は「こんなのダメじゃないか」「国内組のほうがいいじゃないか」と言う。彼らの力が落ちたのか?私が評価を変えるべきなのか?そうではない。彼らはものすごい潜在能力を持っているし、一発のプレーで試合を変えられる。だかえらこそ私は、彼らを起用している。

チーム作りの段階と本番では違いますね。
ジーコさんも、「予選ではコンディションをみて起用していく」と言っていました。
○当初「4人を起用する」→「黄金の中盤!素晴らしい!」
○いま「4人を起用する」→「だめじゃん!」
という単純な図式ではないんですよ。
○当初「4人を起用してチーム作りを始める」→「これで進んだら良くなるかも」
○いま「本番で4人をコンディションを無視して起用する」→「いいパフォーマンスが見せれていない、だめじゃん」
なのです。
ここの論理がつながっていることをわかってください。

ジーコ みんなが「国内組のほうがいい」と言う。でも私に言わせれば、現在たまたま欧州でプレーしている選手たちに潜在能力があり、試合を決める力があると判断したから、彼らを送り出した。国内の選手でも私が満足できるプレーを見せてくれれば、それこそ明日にでもレギュラーになる可能性はある。

いや、国内だ海外だ、という名前で考えているんじゃないんですよ。
半年も試合に出ていない選手、コンディションの良くない選手、前日に合流した選手、高熱のある選手を無条件で起用することがおかしい、と言っているのです。

ジーコ 海外組の有無に関わらず、同じような問題は起こっている。ほとんど国内組で戦った東アジア選手権でも、香港戦ではあれだけ攻めながらPKの1点だけに終わり、韓国戦では得点できなかった。どちらにしても同じような問題が起こるのであれば、潜在能力の高い、あるいは代表で実績を残してきた選手を起用する、という判断になる。

うわースゴイ結果論ですね。
まず国内海外と言うわけ方をしていることがおかしいです。
香港戦でも久保も小笠原も怪我を抱えていました。
コンディションの悪い国内組を起用して起こる問題点と同じことが、コンディションの悪い海外組を起用しても起こる。
あたりまえですね。
また、彼らはこれまで試合で十分起用されてきたわけではありません(これ自身ジーコ監督のチームマネジメントですが)。
経験もコンビネーションも浅い中での戦いです。
そういう状態と現状を比べて、「どちらにしても同じような問題が起こるのであれば」と言ってしまうのは、「同じような結果」にならないように最大限努力することを放棄することになりはしませんか?
「ギャンブルでは勝つも負けるも五分五分だ。だから何も考えず、運否天賦(運任せ天任せ)で行くのが正しい」
と言っているようなものです。

いったん切ります。

12:54 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|

April 14, 2004

ふざけタイトル

サポティスタに晒していただいて、ハッと我に返りました。これまでの4発のタイトルはややふざけすぎです。どうもすみませんでした。だって、本誌読んで私は私なりにショックだったんですよ_| ̄|○

どなたが言っていたのかなあ、このインタビューで一番すごいのは「ジーコ監督がいろいろとわかっていて、あえてこうしているのである、きっとそうだ、そうかもしれない、そうだといいな」という可能性を、自ら叩き潰してしまった、という点ではないだろうか、という気がします。ジーコ監督は「何も間違っていない、次もこれで行く」と思っているわけです、あのオマーン戦後も、シンガポール戦後も。

そうだとすると、仮に最終予選がサウジ、イラク、中国、日本、とかいうことになって、またとびとびのインターナショナルマッチデー、それも親善試合デーで拘束は48時間前、交渉が不調で2月の最初がアウェー、しかもサウジ、というおそろしいことになっても、今回のオマーン戦、シンガポール戦とまったくおんなじことをするということなんですよ。だって今回もあれがベストだったと思っているわけなんですから。かけらも間違っていないと。

いやもちろん、たいていの欧米人(南米人含む)は、日本人と違って簡単に自分の非を認めたりしないし、議論することを好む。その上、監督業なんて90%の嘘をいうことに相場が決まっているわけで、ジーコ監督のこのインタビューの文言を、すべて額面どおりに受け止めるのは愚の骨頂ですよ。それはそうです。

しかし、どうも長くジーコ監督のインタビューを読んでいると、この方はそういう腹芸というか、「非難をかわすためにこういう論法を使おう」とか「今まで言ってきたこととはこういったほうが論理的整合性が取れている」なんてことはこれっぱかしも考えない人なのではないか、というのが私の個人的な印象なのですがどうでしょうか。

私は心のどこかで少しだけ、「実はジーコ監督はいろいろと分かっているけど、それでも『あえて』こうする理由があるんではないか」という期待を、つまり今後は少しだけでもやり方が変わっていくんではないか、という期待を、持っていたみたいなんですね、我ながら意外なことに。

しかしどうも、そうではないようで。まったく心のそこから信じているようで。

ちょっと落ち込んでしまったんですよ。それでこのようなユーモアのある(?)タイトルにしてしまったと言うわけです。まあ、逃避ですね。

続きを書くときはもっとまっとうなタイトルにしますm(_ _)m

それではまた。

ハア。

09:30 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|

すごすぎて困る

---これまで代表に選ばれながら、なかなか出場機会が巡ってこない選手がこのインタビューを見たとします。今の説明では、今後そうした選手がレギュラーを奪うのは、相当に難しいと思われますが、モチベーションに与える影響などは心配になりませんか?

ジーコ (前略)そういう判断基準であったとしても、今回こそはポジションを奪うんだという気持ち、モチベーションを、いつも持っていて欲しい。それは常にみんなに言ってある。チャンスは全員にある。練習であれ、試合であれ、私を納得させる動きをして欲しい、と。

そのジーコさんの「言ってある」ことと、現実の判断基準に整合性が取れていないから、多くの人が疑問に思っているのですけどね。選手を公平に扱ったり、きちんとモチベーション・コントロールがなされていない現状で、「モチベーションをいつも持っていて欲しい」とジーコさんは「願う」だけなのでしょうか?あなたはそれを扱う責任者ではないんですか?

また、「私を納得させる動きをして欲しい」と言われても、その基準が明確ではないのも問題です。長期間合宿に参加して、親善試合でも活躍をして、紅白戦でも得点を挙げていても、いきなり合流のコンディションの悪い海外組に先発を奪われる。「どうすればジーコさんは納得するのですか」誰か教えて欲しいですね。

かなり困ってきました(笑)。

02:40 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|

ジーコさんのすごさの続き

---いわゆる海外組の情報は、どのように得ているのですか?

ジーコ まず、テレビやビデオ。手に入る映像はすべて見ている。このほか協会にお願いしたり、私独自のルートなども使い、どんな練習をしているのかといった細かい情報を得られる手段も持っている。

確かに、現地に足を運ばない中ではそれぐらいしかできることはないでしょうね。

---映像といっても、中田と小野以外は出場機会も限られています。その状況で、どうやって状態を判断するのですか?

ジーコ 日本代表での以前の試合や最近の試合で、どんな動きが出来ていたかによります。(後略)

---(前略)今の話だと、海外組を選んだ判断基準は、1ヶ月以上も前に行われたオマーン戦や、それ以前の試合ということになるのですか?

ジーコ (前略)怪我をしていない状態なら、以前の試合ではこれぐらいのプレーができた。クラブではこういう状態だ、などの情報を集めることで、今回はこれぐらいできる、という試算が可能になる。いずれにしても、最終的な判断基準は、以前の代表の試合での動き。それがかなり大きなウェートを占める。

この辺の突込みがインタビューを担当した石倉記者のGood Job!のスタートですか(笑)。「判断基準は以前の代表の試合でのパフォーマンス・・・」何の気なしにジーコ監督は口にしたのだと思いますが、これは大きな矛盾点を秘めています。そこもさらに突っ込まれることになります。

---では今回海外組は、集めた情報を踏まえ、1日か2日の練習で直接見て確認して、大丈夫だと判断して送り込んだ、ということですか?

ジーコ その通り。

---以前の代表の試合での動きが大きな判断基準になるということは、出場機会がない、あるいは少ない選手は、基準そのものを持っていないことになります。

ジーコ すべてではないが、かなりの部分で代表での生産性を考える。以前の試合でどれぐらい生産性を上げていたか。現在の状態。それらを考える。なかなかひとくちでは説明できない。相手にもよる部分があるし、非常に難しい。

ジーコ監督は突っ込まれて少し困ってしまっているようですね。あまり言葉で説明するのが上手くないのでしょう。

追記しておきますと、「以前の代表の試合でのパフォーマンスを元に選手選考をある程度考える」というのは、それほど間違っていないと思います。トルシェもそうしていたでしょう。「彼はチームのオートマティズムを理解している」などと、よく聞いたものですね。

ただそれは、「以前の代表での試合」に、可能性のある選手を多く試している場合にのみ、正論となるものです。ジーコ監督のように「固定した選手の間での連携を育てるため」に、選手起用を硬直化させている上に、「以前の代表チームでの活躍を重視する」のでは、「出場機会がない選手は、判断基準そのものがない」という状態になるわけです。

ずいぶん前、どなたかの戯言で

ジーコジャパン初期 「連携を育てるために海外組を固定」
ジーコジャパン末期 「連携ができているのは彼らだけだから、海外組を固定」

になっちゃうんじゃないか、というものがありました。当時は「まさか、そんなことはあるまい」という冗談だったのですが・・・。

このジーコ監督のインタビューでは、その戯言が現実のものになることを示唆しているように思え、恐怖にかられますね。

続きます。

01:48 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|

ジーコさん、ホントにすごい

---シンガポール戦の状況は、オマーン戦と似ていました。主力選手が直前に合流し、コンディション、コンビネーションの問題がありながら、あなたは送りだし、苦戦した。

ジーコ あれだけ前半にチャンスを迎えていながら、1点のみだったことで、精神的に難しくなってしまった。2点、3点と入っていれば展開は変わっていたが、後半に同点とされてしまい、欧州から来た選手だけでなく、日本から向かった選手も疲れが出てしまった。ただ、暑さについてはまったく関係がない。絶対に何かやってやろうという気持ちは、全員が持っていたと思う。

あの状態で「暑さについてはまったく関係がない」という事などあろうはずがないと思いますけど・・・。その根拠を教えていただきたいですね・・・。

動きというのは脳から指令が出るわけですから、気持ちの上で絶対負けるな、そうすれば体がついてくる

ということでしょうか、やはり・・・。どうにも、コンディションについての現代的、基礎的な知識が、ジーコさんに十分あるのかどうか、疑問に思えてしまいますね。前回のオマーン戦と、今回と同じことを繰り返し、どちらでも、国内組さえコンディション不良になってしまう・・・。

これから控えるインドや中東でのアウェー、酷暑と伝えられる中国のアジアカップ・・・。ジーコさん、私達はあなたにこれ以上代表選手を託すのが、非常に不安です。

03:10 AM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|

ジーコさん、すごいです

各所で話題のジーコインタビュー、ジーコ監督、

私がなぜ、ここまで責められなければならないのですか?

これではまるで逆切れです(笑)。

とりあえず気になったことを一つずつ。

(フィニッシュのまずさについて)

---何が原因だと思いますか?

ジーコ 技術面ではなく、責任感が強過ぎるためではないかと思う。これだけチャンスがあるのだから、決めなければいけない、という気持ちが、精神面の不安定さにつながるのではないだろうか。

---試合直後は、「メンタルトレーニングまでは考えていない」と言っていましたが・・・。

ジーコ まずはいままで通りの、あるいは新しいパターンで得点の確率をあげる練習に取り組んでいくが、精神面のトレーニングが必要になるのではないか、とも思っている。(後略)


ちょうどこのインタビューが出る前に、J-NET(本家)や掲示板で「シュート精度について」という書きこみをしていたのですが・・・。その指摘が当たってしまっているのでしょうか(苦笑)?

ちょっとその書き込みをさらってきます。


ジーコ監督はシンガポール戦に関し、「シュート数を見れば攻撃のカタチはチームとして作れていることがわかるはずだ。後はシュートを枠にいれてくれ!」という趣旨のことを語っているようです。

確かに代表選手のシュート精度は問題です。SPORTS YEAH!誌では、25本中5本が枠内(20%)と、図解入りで解説されていましたね。また同じ枠内でも、柳沢の、キーパーの足元に力なく転がったシュートなどもあり、枠内ならいいというわけでもないですが(笑)。

それに対し、ジーコ監督は代表の練習でシュート練習を課すようにしているようです。SPORTS YEAH!誌の増島みどりさんの記事では、ジーコ監督は「顔を大きく上げるな、GKの足元を狙う、GKと対面したらまず一呼吸置く」などと、詳細なアドバイスをしているようです。シンガポール戦でのGKと1対1の柳沢のシュートは、私は「ダイレクトで打てばいいのに」と思ったものでしたが、監督の教えに忠実なものだったようですね。

連動していない遅い攻めでは敵DFが帰陣してしまい、シュートが難しくなる。コンディションが悪ければもちろんキック精度は落ちる。さらには、ゴール前でのメンタルコンディションが悪ければ、あせってキックミスをする(注1)。それらは代表監督が解決できる/すべきことです。逆に、時間の限られる代表の合宿でシュート練習をしてもあまり効果がないことは、それこそシンガポール戦が証明しているように思えます。

ジーコ監督は代表監督としてすべきことの優先順位を、見誤っているように思えてなりません。

注1)「落ち着け!」と口で言うだけでは人は落ち着かないものです。集中させるための方法論は、人によってさまざまですが、「落ち着かなくちゃ」と思わせることはむしろ逆効果のことさえあります。

例えば、「自分が落ち着いているか、緊張しているか」などという問題を忘れ去るほどに「怒らせる」こともその手段の一つです。逆に「自分が落ち着いているか」ということに意識を向けすぎると、かえって過緊張に襲われたりします。

またもちろん、選手を観察し、そのメンタルコンディションが試合に向いているかどうかをチェックして、送り出す選手を決めることも重要です。さらには、それぞれの選手の状態や適正を見極めて、適切な言葉をかけることで、ゴール前でのメンタルコンディションを調節することもできます。「落ち着いてあせらず打て」といったほうがいい選手と、「外れても気にせずどんどん打て」といったほうがいい選手と、選手によって変わってくることもあるでしょう。

現代のコーチングライセンスのカリキュラムでは、心理学などを学ぶのは当然のことなのですが、ジーコ監督はその部分でも、メソッドの蓄積がない、経験が浅いのではないかと思います。

インタビューを読むと、シュートの決定率を上げるためにメンタルコンディションが重要だということを、ジーコ監督も認識されたようですね。
(これまではそれを向上させるてだてを講じてこなかったのでしょうか?)
さて、これからジーコ監督をそれができるのでしょうか?
そのような知識、能力、経験はあるのでしょうか?

気になるところです。

続きます。

03:03 AM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|

February 29, 2004

「次のステージ」も

よく言われる考え方に、以下のようなものがあります。

「戦術を徹底して戦うやり方は、トルコ戦で限界を見せた」
「その先のステージに行くには、戦術を徹底しないで、自由に戦うやり方が必要だ」
「今、ジーコ監督はそれをやっている、それは正しい」

私はこれは間違っていると思います。というのは、日本よりも強い国(その先のステージにいる国?)も、「戦術を徹底すること」を止めているわけではないからです。

アルゼンチンのビエルサ監督は戦術徹底の緻密さで有名ですし、チェコも、オランダ(アヤックスシステム)も、イングランド、フランスだって、「戦術を徹底せずに、自由に戦うやり方」などは採っていません。あたりまえでしょう。共通したピクチャーを監督が定めることなく、選手の自由に任せるサッカーで、高いレベルの戦いで結果が出るとは思えません。

先にも書きましたが、「戦術を徹底して戦うやり方では、研究されたら終わり」と言われていました。しかし、実際に研究され、戦い方にバリエーションがなく、連動しない行き当たりバッタリの攻撃がマンマークで抑えられてしまったのは、「自由」を標榜する攻撃の方でしたね。

2002年W杯の後、日本が進むべきだった方向とは、トルシェ日本程度の戦術徹底は前提として、その上で個人能力を(育成やクラブで)高めていく、という方向でした。しかし、トルコ戦の敗戦のショックが大きかったためか、それ以前の方針を全否定して、「これからは個のサッカーだ」などと、世界のどこの強豪国もやっていないことを、求めてしまいました。それは大きな誤りであった、日本サッカー界のナイーブさの現れであった、と私は思います。

今でも、朝日の中小路氏のように、「方針は正しい」という方を良く見かけますが、以上のように、「方針も別に正しくない」「W杯でベスト4以上に進む、優勝を争うような強豪国も『戦術を徹底せず、自由に戦って』などいない」と言い切ってよいと思います。また、中小路氏は

http://www.asahi.com/sports/soccer-japan/TKY200402230119.html

において、「ジーコ監督はもともと時間がかかることをしようとしているのだ。」と書かれています。同じようなことをここで主張される方もいましたが、中小路氏に問いたいのは、

「ジーコ監督のやり方をしているチームを他に知っているか」
「そのチームでは、時間はかかったが結果が出たのか」

ということですね。一言でいえば「なぜ時間がかかることを知っているのか?」ということになりますか。もしかして「時間はかかるけどきっと(根拠はないけど)結果が出る」と思っているだけなのではないか?私には、今のジーコのやり方は「時間もかかり、かつ結果が出ない」ものだと思えてならないのです。

(ちなみに、鹿島ではジョアン・カルロス監督がいての結果ですから、現在のように「戦術を徹底せず、自由に戦っていた」わけではないですね)

もう一度言いますが、「次のステージ」でも、世界の強豪国は「戦術を徹底せず、自由に戦うやり方」などを取っていません。そちらにいく方針が、あたかも日本の問題を解決してくれるかのような期待は、トルコ戦ショックの生み出した幻想だと考えるべきでしょう。

日本代表は、きちんとしたチーム作り、戦術徹底、チームマネジメント、モチベーションコントロール、メンタルマネジメントのできる、プロの代表監督に率いられるべきです。現状はそれらの能力が低い監督に率いられることによって、どんどん弱くなっているとしか、私には思えません。

私は、ジーコ監督の解任を求めます。

それではまた。

07:23 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|