August 06, 2008

北京で何が試されるのか

北京五輪の男子サッカー、日本代表は8月7日に初戦を迎える。この大会は日本の五輪代表にとって、初めての「自然体で迎える五輪」になると、私は思う。日本は非常に強い対戦相手がそろった、とんでもなく厳しいグループに属しており、グループリーグ突破は至難を極める。しかしその結果はどうあれ、この大会での日本代表の戦いぶりが、今後の日本サッカー界の五輪に臨む姿勢の指針となるのだ。言い換えれば、ここでの結果は「今の日本サッカー界の実力」でもあるということだ。五輪直前ではあるが、今回はその周辺を見ておきたい。


過剰な煽り、囃したてとの決別

SoccerCastでも話したのだが、前回のアテネ五輪は異常なほどのメディアの煽りの中で迎えることとなった。背景としてはおそらく、その前のシドニー世代が、シドニーに向けた予選や本大会での戦いで人気を博し、日本サッカーの中の大スターとなっていったことがあるだろう。「あのマーケティングをもう一度」と、メディアや広告代理店などが思ったことはほぼ間違いない。TV番組や新聞、雑誌の紙面はもちろん、サッカーアテネ五輪代表だけのDVDつきムックなどが発行されるほどに、各メディアがこぞって煽ろうとしていた大会だった。

今から思えば、アテネ五輪のパラグアイ、イタリア、ガーナという対戦相手はこれも非常に強く、グループリーグ突破だけでも、相当に難しい状態だったはずだ。しかし、当時のメディアは何の根拠もなく「シドニーでベスト8だったのだから、次はベスト4、メダルも狙える!」などと煽り立てていた。川淵キャプテン(当時)でさえ、「山本はおもしろい采配をする。トルシェでなくて山本だったら優勝したかも」などと日本の実力を見誤った発言をしていたくらいである。ドイツW杯直前と同じで、まったく無根拠に煽り立てるだけの狂躁状態だった。それは山本監督にも、そして巡り巡って選手にも、影響を与えてしまっていたと私は思う。

今回は、そのドイツ大会での失望もあり、またこう書いてはなんだが予選からの反町日本の人気のなさもあり、そういった過剰な煽りは見当たらない(もちろん、中国、北京という政情不安な地域での大会ということで、五輪そのものに対する関心がやや低下気味ということもあるだろう)。日本人は昔から五輪が大好きであり、世界的にはW杯に比べそれほど重きを置かれない五輪サッカーの試合に非常に熱狂していたのだが(トルシェもオシムも驚いていた)、ついに世界の一般レベルと同様になった、ということだろうか。

そういう意味で今回は、選手も監督も、そしてメディアも、自らを「過信」しない大会となりえるのではないか。アトランタで久々の出場を果たし、シドニーで爆発的に盛り上がり、しかしアテネで煽りすぎの反動としての深い失望を味わった日本。これは実は、フル代表の半歩先を行く状態と言える。ドイツW杯後の失望、フル代表人気の低下の先にある、「過信せず、自然体でW杯に臨もうとする日本」のモデルケース。今回の大会はそのようなものとして、一つの意義を持ちつつあると考えられないだろうか。


日本サッカー界の「総意」

関連することだが、今回の反町五輪代表は、アテネに向けた山本五輪代表に比べ、かなり不遇なチームだったということを忘れてはならないと思う。アテネ五輪代表の時代は、それ以前の日本の、五輪を非常に重視する文化もまだ色濃く残り、強化スケジュールも潤沢に用意された時代だった。2次予選と最終予選の間が空いたこともあるが、その時期にエジプト遠征をしたり、カタールへ遠征して強化試合をしたりしている。対して反町日本は、ほとんどの親善試合が近場のもので、韓国や中国とホーム&アウェーで試合という程度であり、五輪出場を決めた後にようやく米国合宿が与えられるという状況だった。

これは、協会にとって、また日本サッカー界全体にとって、「五輪」というものの価値が総体的に下がったことによるものだろう。もちろん、予選の形式が変わったことや、ACLなどによってJリーグ全体のスケジュールがつまったこと、そしてJクラブの隆盛により、五輪の活動にクラブが快く選手を送り出すという環境ではなくなっていることもその原因ではある。しかし、それらと平行して、あるいはいくつかの要因の根底には、「日本サッカーの中での五輪の地位低下」があることは間違いないと思う。

その例としては、五輪代表のチーム作りにはまたとない機会となるアジア大会(2006年ドーハ)に反町U-23代表が、各クラブ二人までという自主(?)規制をしたとしか思えないメンバーで臨んだことも上げられるだろう。また同様の事例として、オーバーエージに選ばれた大久保の招集を、神戸が拒否したという問題も記憶に新しい。いずれも、かつての五輪代表に比べると、「冷遇」され「地位低下」していることが如実にわかるサンプルだ。

五輪そのものの地位低下もそうなのだが、同時にやはり日本サッカー界の中でJリーグの各クラブが確実に存在感を増し、それぞれのクラブのサポーターも、クラブ関係者も、もはや五輪>クラブとはまったく考えなくなっているという状況が、2006年以降かなりはっきりとしてきたこともある。かつては五輪は、若手が経験を積み一回り大きくなることや、全国区でのスターとなることで各クラブへ(招集による不在という不利益を上回る)メリットを与えると考えられてきたのだが、もはやその価値を認めるクラブ関係者が非常に減少しているということだ。

協会が五輪の価値を軽視し強化スケジュールを縮減し、各クラブが選手の招集に対して苦い顔をする/あるいは拒否する。これが今の日本サッカー界における、五輪代表の扱いなのである。大会直前に不景気な話はしたくは無いのだが(笑)、それが現実であるということは、はっきりしている。しかし、私はそれを悪いことばかりとは思わない。どんな国も、畢竟その国のサッカー界の持つ「総合力」で大会を戦わなくてはならないのだ。サッカー界全体が、「クラブ>五輪」という判断を下したのなら、それに基づいて五輪に臨むのは当然のことだろう。

問題は、そういうことに関するオープンな、しっかりした議論が無いままにここまで来てしまったことだ。日本サッカー界全体のコンセンサスとして、どこまで五輪を重視するのか。あるいはしないのか。それをしっかりとオープンに話し合い、合意をしていれば、このような問題は起こらなかっただろう。そういう意味で、大久保招集に関する騒ぎによって、その「問題の存在」が明らかになったことを、私は歓迎したい。今北京で戦おうとしているのは、選手だけでも、監督だけでもない。私たち、「日本サッカー界の総意」なのだ。そのことは、ここでもう一度確認しておきたいと思う。


日本人監督であるということ

私はこれまで、予選などでの反町五輪代表の戦いぶりについて、、上記のような「強化スケジュールの縮減」や、「協会、クラブの協力の少なさ」などを理由に、「例え五輪代表がイマイチなサッカーをしても、反町監督だけを責めるのは当たらない」と、いわば「消極的な擁護」をしてきた(主に掲示板の方で)。が、それは同時に「日本人監督の限界」でもあるだろうと思う。

外国人監督と日本人監督では、その能力にももちろん差はあるだろうが、もっとも大きな違いはそうした「日本サッカー界全体」に対して異議を唱えられるか否か、という点ではないだろうか。今となってはもう懐かしいが(笑)、トルシェ監督はそうしたことに噛み付くのが自分の仕事だと心得ていたようだし、オシム監督も、喧嘩腰には言わなかったものの、協会の設定するスケジュールに対して「13人しか選手発表をしない」などの手法で異議を唱えて見せた。

反町監督の時期に、もしもこうした「強化スケジュールやクラブとの折衝も監督の仕事」と考えるような、自分の仕事に対してある意味「生真面目」な外国人監督が就任していたら、どうなっていただろうか。あくまでも仮定だが、ドーハアジア大会には、自分の考える理想のチームを連れて行くように要求してシーズン終盤のJリーグに大騒ぎを引き起こし、アジアとの連戦が続く強化スケジュールに不満を漏らし強豪との対戦を強硬に要求し、オーバーエージに関しては「3次予選の苦戦の最中の」フル代表から誰々が欲しいと主張してクラブと折衝をはじめ、予選最中の代表級選手のメンタルに有形無形の影響を与えただろう。

それが無かったのは、反町監督が日本人だから、「日本サッカー界」の中でこれまでも生きて来、これからも生きて行かなければならない存在だから、という側面がかなり大きいと私は思う。もし「日本サッカー界の事情」に無頓着な、あるいはそれを打ち破ることこそ五輪代表チームにとっての利益である、と考える外国人監督が五輪代表を率いていれば、アジア大会を通してチームの完成はもっと早くなり、強豪との親善試合はもっと早く組め、世界基準へのシフトはもっと早く始められ、オーバーエージも3人しっかりと決めて連れて行けたかもしれない。しかし、それが正しかったのかどうか?

そういう監督の方が、今回の五輪に臨むにあたり、より結果を期待しやすいチームを作れた可能性が高い、ということに私は同意する。しかし同時に、そのような監督が要求する五輪への注力を、今の日本サッカー界が受け入れ得たかどうか、という問題も提起したい。それは無理だ、と多くの人が思うのではないだろうか?それが無理であり、反町さんのやってきたことが、日本サッカー界のさまざまな考え方の集積、総意の下にある、と考えると、それは「日本人監督の限界」でもあるのだが、「日本サッカー界が、五輪に臨む自然な姿」とも言わなくてはならないのではないか。

ただ一つ、反町さんで残念だったのは、上記の仮想される外国人監督ならば、今回私が書いたようなスケジュールの縮減や、クラブからの要請、折衝の過程、あるいは協会からの圧力、フル代表への気づかい(あるいはその要請)などについて、かなりはっきりと可視化したのではないか、ということだ。先にも書いたように、そのようなことが白日の下に示され、それによって日本サッカー界全体がオープンに議論し、五輪の重要度のコンセンサスを探っていく、ということが、本当は必要だったし、今後はより必要になるだろうと私は思うのである。


ニッポン!

メディアの過剰な煽りが無く、選手も監督も、そしてファンも自然体で臨めるこの五輪。そこで試されるのは、協会はもちろん、クラブやサポのあり方も含めた、日本サッカー界全体の実力である。そして、トゥーロンから新しく成長し続けている現反町五輪代表は、その名に恥じない、いい意味で日本らしいサッカーを見せることができるように思う。それをすべてぶつけて、最後まで走り続け、ハードワークし、「魂」を感じさせてくれること。結果のいかんに関わらず私たちが誇らしいと思えるような、そんな戦いをすること。私はそれを願ってやまない。

ニッポンよ、ニッポン!私たちはここにいて、魂を送っている。

それではまた。

05:09 PM [北京五輪代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|

September 07, 2007

When I think of home...

2008pekin_o反町監督率いるU-22代表は、北京五輪アジア最終予選vsサウジアラビア(アウェー)のために、現地に入ったようだ

各組1位のみが五輪出場権を得るという、非常に厳しいレギュレーションの予選であり、アウェーとは言え、なんとかここで勝ち点を獲得して欲しいところだ。サポーターの間ではあまり評判のよくない反町U-22だが、ことここにいたってはもうそんなことを言っている場合ではない。チームが一つにならなければ何も勝ち取れないのと同じように、我々も一つになって、魂を送るべきだろうと思う。ただ、やはりvsベトナム戦(ホーム)の内容には首を傾げざるを得ないところもあり、それについて「このように改善すべきでは」という形でここに書いておきたい。

(トラックバックをいただいている酩酊さん、dorogubaさん、お返事をするつもりはありますので、もう少しお待ちください)


詰め込みすぎ?

Gorin1vsベトナム戦は、平山と李の2トップ、OMFとして柏木を配置、広く動いてボールを引き出し、また敵DFラインの裏への飛び出しを狙う。ボランチに梶山と本田(拓)、左サイドは本田(圭)、右サイドに水野、DFラインに青山(直)、水本、細貝。敵が1トップであることがわかると、細貝が右サイドバック、本田(圭)が左サイドバックに入り、図のように4バックを形成、水野は右サイドよりのOHFのような位置に入った。

反町監督のゲームプランとしては、背の低いベトナムに対して、2人のストロングヘッダーを配し、そこへ数多くクロスを入れていく、というものだったのではないだろうか。

いきなり個人的な結論を言うと、反町監督は「いろいろとやり過ぎている」のではないかと思う。この試合でも、敵の出方に応じての3/4バックの併用、家長に代えて柏木の登用、水野のウイング起用、(おそらくは)ベトナム対策としてのゲームプラン・・・実に「いろいろなこと」をトライしようとしているように見えた。もちろん、3/4バックの併用は、これまでこのチームがやり続けてきたことではあり、今回だけのトライと言うわけではない。しかし、私にはどうにも、「いろいろやりすぎて、ベースを見失う」一つの原因になってきているように見えて仕方がなかった。

その「いろいろ」が、結果論だがこの日の試合中のさまざまな問題点の原因になっているようにも、私には思える。4バックにしたことで、本田(圭)の守備の負担が増え、前半はまだしも後半には攻撃への顔出しが激減してしまった。また、選手の間での「誰が上がるのか」についての意思統一もできていなかったのか、攻撃時の押上げも非常に遅くなっていた。プレスの始動もばらばらで、これも選手間のポジショニングの相互理解があいまいだったことをうかがわせる(中盤でのプレスが効かないことで、ますます本田(圭)は守備に追われることになったわけだ)。


柏木に期待されたことは

また、U-20から合流した柏木の起用だが、反町監督の意図はこのようなものだったようだ。

反町監督: まず、陽介(柏木)は攻から守への切り替えが非常に早い。そういうところでディフェンスに回った時に、前線からのプレスを特にやりたかった。

これは主に守備のことを語っているわけだが、攻撃面での柏木へのオリエンテーションはなんだったのだろうか?柏木は精力的に動き回っていたが、中でも敵DFラインの裏への飛び出しが目立っていた。しかし、ボールを持った選手からそこへパスが出ることはまれで、またベトナムもゾーンを崩さすスペースを作らなかったので、あまり実効性があったとはいえない。逆に、2トップの後ろに誰もいないスペースができてしまい(水野は主に右サイドにいるわけで)、FWにボールが入っても受ける選手がいないという状況も作ってしまっていた。ハーフタイムには反町監督もそこを修正しようとしたようだ。

柏木: (監督からは)前半が終わって、裏に飛び出し過ぎということと、もっと足元で受けることを言われた。自分もボールを触ってプレーしたいタイプなので。

私は柏木は大好きだし、よい選手だと思う。しかしこの試合での起用は彼のよさを生かした、あるいは組織としてうまく組み込めたとはいえなかったのではないだろうか。これも「いろいろ」やることがかえってチームのよさを引き出せない結果につながっている例ではないかと思う。サイドへ張る水野、裏を狙う柏木、ボランチは本田(拓)と梶山という組み合わせで、2トップが孤立しがちになってしまっていた。


自分たちの形を「やりきる」

この孤立しがちな点は、クロスに対して飛び込む選手が2トップ以外にはあまりいなかったという結果も生んだ。主に水野が上げるわけだが、いい時のオシム日本のように逆サイドのMF(加地が上げる時ならば駒野)が飛び込むというような形が少なかった。前半16分には柏木からのクロスに李、平山、水野、細貝がゴール前に入っていた(この形はよかった)がその後、どんどん運動量が落ち、押し上げが遅くなり、オーバーラップが減ってしまった。これでは「ボールも人も動くサッカー」とはいえないだろう。

これは一つにはもちろん、日本の夏の暑さ、湿気という問題もあるだろう。また、直前までリーグ戦であった日本の選手たちのコンディションの問題もある。しかしどうも私には、「いろいろと目先を変えることで、選手が『これをやりきろう』というものを持てないでいる」のではないかと思えてならないのだ。この試合でも、ピッチの上で選手たちがばらばらのことを考えているように見えた。走る選手、オーバーラップする選手はいるのだが、ボールを持った選手がそれを見ていないためにパスを出せない。本田(圭)がようやく守備から脱して上がってきても、そちらへパスが出ず、もっと狭い方へ攻撃が傾いてしまう。

U-20ワールドカップが終わり、新しい選手の合流が期待される中で、そうした意識の統一を図るのは難しいことかもしれない。しかしだからこそ、はっきりとした一つの「帰る場所」のような形を持った方がよいのではないか、と思うのだ。いやむしろ、この年代ということを考えると、一つ一つの目先の敵や課題で「いろいろと」変えていくよりも、しっかりとした一つの「自分たちの形」を作ることを優先した方がよいのではないだろうか。

「この年代」とは言っても、それぞれもうJリーグでは中核選手としてバリバリやっている層がほとんどである。諸外国で見れば、もうA代表に入って中心になる選手がいてもいいくらいだ。「戦術の対応力を云々するにはまだ早い」ということはない。それは確かにそうだろうと思う。しかし、やはり代表チームというのは、クラブチームと違って時間が無いということは、大きな問題だ。ぱっと集まってぱっと試合をして、ぱっと解散、というスケジュールの中で、あまりに「いろいろと」テーマを与えては、チームが出来上がっていかないのではないか。


Believe in YOURSELF.

その「帰る場所」としては、かつてできたよかった試合のイメージを適用することが、共通理解を深めやすいのではないかと思う(もちろんこれは、それだけが正解なのではない。一つの案に過ぎないが)。このチームで言えば、それは3月28日の2次予選vsシリア戦だろう。なかなかいい「ボールも人も動くサッカー」を見せ、3-0で快勝した試合である。この時のチームは、伊野波が入った3バックで、守備の負担の軽減した本田(圭)も水野も高く上がれ、家長が幅広く動いて起点となり2トップを孤立させなかった。

そしてやはりなによりも、連動した「ボールも人も動くサッカー」をしっかりと90分間やり通したことが重要だろう。コンディションが苦しいのはよくわかる。しかしだからこそ、ベトナム戦でやや見られた「攻め急ぎ」を減らし、一人が動いたら必ず他の選手がそれを理解し、連動するサッカーにしていかなくてはいけない。そのためにも、はっきりとした一つのチームの形を定めて欲しいと思う。

反町監督も、そう考えているようだ

UAE入りした前日は、気温35度の中、「体は起きていても、精神が眠っている」と、縦パス1本で全選手が50~60メートルを一気に駆け上がるカウンター攻撃の練習を2時間繰り返した。

反町監督: 長い距離を走らなければ、前線で数的優位な状況をつくれない。人もボールも動く日本のサッカーの土台を築き直す。

私はそれでいいと思う。前回のベトナム戦は、少し今後が心配になる内容だった。しかし、だからといって余所見をして、この試合限りの対症療法をする必要はない。というよりも、おそらくそれはよくない。反町監督が手をつけているように、まずは一つの自分たちの形を、「帰る場所」を、この合宿で築き上げてほしいと思う。あとは自分たちを信じて、それを「徹底してやりきる」、そうすれば結果はおのずとついてくる。大丈夫、このチームのポテンシャルは、それに十分達している。

北京を賭けたU-22の真剣勝負、それも最強の敵サウジとのアウェー戦という天王山は、今後の日本サッカーにとって非常に重要な1戦になると思う。日程の詰まったリーグ戦から、長距離移動、苛酷な環境でのアウェー戦と、選手、監督、関係者の皆さんには本当に大変だろう。しかしなんとか、自分たちを信じて、自分たちのサッカーをやり抜いて欲しい。私たちはここから、「魂」を送っている。

それではまた。

03:29 AM [北京五輪代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|

March 15, 2007

ちぐはぐさの理由?

U-22北京五輪アジア2次予選vsマレーシア戦(アウェー) マレーシア1-2日本

試合は本田圭のグラウンダーのコーナーキックを平山が泥臭く押し込んで1点。後半途中、運動量の落ちた平山に代わった李が、家長の素晴らしいドリブル突破からのクロスに、ニアに入って合わせて追加点。全体に個人の能力でチャンスも作れたが、きれいにやろうとしすぎてピッチに邪魔されフィニッシュしきれない、という流れ。

マレーシアはロングボールで日本のDFラインの裏を狙い続け、日本は間延びさせられて苦しんだ。また、審判がJリーグ水準以上にちょっとしたことでファウルを取るという珍しい人で、そこのアジャストも選手には難しかったようだ。終盤に本田圭の与えたファウルからFK、ゴール前に放り込まれ上田が競り負けて失点。1-2で逃げ切って勝利した。予選であるし、勝ち点3取れたのはなにより、ではあるが・・・。


香港戦後半の継続 [3-4-3]

どうも反町さんのやっていることがちぐはぐだ。

大雨の後のマレーシア、水たまりか沼かという最悪のピッチコンディションの中、日本は、3-4-3でスタート。香港戦の後半と同じようなカタチである。ただ家長が広範囲を動き、布陣図が役に立たない場面も多かったが。

------平山------
---家長----増田---
本田--梶山--青山--水野
--青山--伊野波-水本--
-------林------

3トップと言うよりも、増田、家長というシャドー、ドリブラーを並べて平山の周囲に配するやり方を採った。香港戦の前半のチームに反町監督が非常な不満を抱き、「人選も含めて考え直す」と言っていたので、こうなるのは想像がついたことではあった。家長は自由に動き、増田は平山を孤立させないよう、中盤とのつなぎを意識して動いていたようだ。

香港戦では、李、カレンと平山の3トップがまさに「FW3人」となって裏を狙い続け、前後が分断されロングボールばかりの攻撃になってしまっていた。後半そこに増田が加わり、前後に動くことでようやく狙いとするパスがつなげるようになった。その時間帯をいいイメージとし、その継続で日本は立ち上がったわけだ。

しかし、この劣悪なピッチコンデションで、つなぐサッカーを志向した人選、配置というのはどうなのか。また家長、水野ともにボールを足元でもらおうとする「ドリブラー」であり、裏への飛び出しが少ない選手である。マレーシアは頻繁にオフサイドトラップをかけ、平山が再三それに引っかかっていたが、それは2列目の飛び出しでビッグチャンスになるような状況でもあるはずだ。しかし、それをする選手がいないのだ。


少なかった「飛び出し」「飛び込み」

家長がサイドでボールを持てば、これは本来ならビッグチャンスだ。一人二人は抜けるのであるから、クロスに対して中央に選手が入ってくるべきである。しかし、この試合では平山が中央で待つのみ。前後に間延びしてしまっているため、押上げが遅く、ペナルティエリアに入ってくる選手がいない。

オシム監督は山岸や羽生、加地や駒野を起用する理由として、「逆サイドからのクロスに対し、長距離を走ってゴール前に飛び込む能力」をあげていたと言う。逆に家長、水野にはそこが足りないのだ、と理解できる試合だったのではないだろうか?個人の1vs1の能力は高いのだが、「考えて、走る」部分では彼らは十分ではない。

このチームのことだけを考えるならば、彼らのような「ドリブラー」だけではなく、より「シャドー」であるような選手をもっと混ぜて、2列目からの飛び出しやペナルティエリア内への飛込みなど、ボールのないときの動きを活性化させていくほうがよいだろう。しかし、反町監督は、家長や水野に、「より走れる」ようになることを求めているように見える。それはつまり、「今日よりも明日のことを考えた」起用だということなのかも知れない。


「ちぐはぐ」さ=将来を見据えて、なのか?

冒頭で「ちぐはぐ」と書いたのは、この試合のことだけを考えるならば、この日のピッチコンディションでは、USA戦、香港戦の前半で使った「FW3人の3トップ」の方が機能した可能性が高いのではないか、と思われるからだ。3人の距離を近くし、李や平山にロングボールを当てて、こぼれを3人が相互に拾い、早めに敵ペナルティエリアに迫る。そのやり方はまさにこういう、「つないでる場合じゃない」時に有効なのではないか。

また、香港戦でそうしていたように、李、平山、カレンの3トップは裏を狙う意識も強い。彼らならば、李やカレンが2列目から飛び出していく攻撃もできただろうし、あの頻繁なオフサイドトラップをかいくぐってチャンスを作ることもできただろう。しかし、雨後のマレーシアで反町監督が送り出したのは「つなぎを意識した1トップ2シャドー」であった。

国立の整備されたピッチで放り込みになりやすい3FW、マレーシアの沼のようなピッチでつなぎを志向する。どうも「ちぐはぐ」なやり方の選択に見えて仕方がない。

しかし、「チーム強化」という観点から見ればどうだろうか。本田圭も香港戦に比べて「攻撃はよかったと思う」と語ったとのこと。この試合全般、ぬかるんだピッチでボールが止まり、最後の細かいところでボールを奪われてしまっていたが、確かに香港戦前半のロングボール一辺倒よりも「このチームの志向すること」に近いことはできていたと言える。少なくともそう「しようとしていた」のはわかる。反町監督がもし「2次予選を勝ちながら」「中期的に理想とするチーム強化」をしようと考えているのならば、このちぐはぐさにも一定の意味があるのだ、と言うこともできなくはないのだが・・・。

次はホームでのシリア戦。2次予選最大の難敵ではないかと個人的には思っているのだが、国立のピッチはマレーシアよりも格段にいいはず。香港戦後半と、この日にやりかけた、チームの方向性であるショートパスをつなぐサッカーで、そろそろ魅力的な選手を生かした内容も見せて、そしてもちろん勝ち点3をしっかりと奪って欲しいと思う。

それではまた。

05:32 PM [北京五輪代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|

March 01, 2007

ま、こんなものでしょう

反町五輪代表、アジア2次予選 初戦香港戦(ホーム) 3-0

重要な五輪予選の初戦、3点取っての勝利は文句なしの結果だが、反町監督本人をはじめ「文句なし」と思えている人はあまり多くないだろう。なぜこのようなフラストレーションがたまるのだろうか。

布陣はやはり3-4-3、USA戦から比べるとボランチの青山が復帰、本田拓に代わって入っているだけで他は変化なしの配置。

--李--平山--カレン-
-------------
本田圭-青山-梶山--水野
-------------
--水本-伊野波-青山--
-------------
-----松井------

前半、香港のラインが高いので、どうしても裏を狙った長めのボールを蹴ってしまう&前線の選手もそれを要求してしまうのだが、、そうするとうまくやらないと攻撃が単発になる。序盤の2発の平山のチャンス以外は、あまりいい組み立てができていなかった。

ただ一応、合宿で手をつけたというDF「3」→ボランチレベル「4」へのビルドアップのパスは、アメリカ戦よりも入るようになっていた。この辺も非常に素直なチームだと思う。本田、梶山、青山、水野が後ろでのボール回しの良く顔を出し、ボールを引き出していた。その部分はちょっと改善されていたと言えるだろう。

ただそこから前方へのパスが、裏狙いになってしまう。3-4-3の「4」のところまではボールを入れさせてくれるので、そこの選手たちが一人ひとり持つ時間が長くなって、「俺が決定的なパスを入れる」とか、FWなら「俺の前にパスを!」とか、あるいは水野の場合は時間をかけてドリブルする、という展開が増えた。これが反町監督がハーフタイムに「個人プレーに走っている」と怒っていたところだろう。

目を転じて守備では、今回はおそらくマイボール時の押し上げに、USA戦以上にチャレンジしていたと思う。基本はマンマークだが、マイボール時にはマークをやめ、押し上げていく。そこで日本がボールを奪われると、あらためてマークを掴まなくてはならない。この辺の不慣れさが、あのいくつかあったDFのミスの原因だろう。マンマークと押し上げの整合性をどう取るか。ここはこれからも問題になりそうな部分だ。


後半 人とボールが動くサッカー

さて後半になると、李に代えて家長投入。この後、選手たちが全体に動きの幅と量を増やしたことで、日本のペースが加速した。やはり、「まず動く」ということがないと、パスも回っていかないもの。水野や本田、家長もよく前後に動き、また中にも切り込み、パスコースを作っていく。そこへ、グラウンダーのビシッとしたパスが通り、そこからまた動いている周りにボールがわたり、いい攻撃ができる。それにより、水野、家長が高い位置でボールを持てるようになり、得点の気配がひしひしと漂っていく。

2点目は、右サイドで粘った水野から梶山。
3点目は、家長から増田(カレンと交代出場)

おそらく、後半の戦いぶりこそが反町監督が狙っていたものだろう。一人ひとりの技術は高い選手がそろっているわけで、きちんとパスコースを作り、組織的に動いていけば引いた相手でも崩せる、という考えだ。後半の戦いぶりを見ればその方針には納得できると言えなくはない。のだが・・・。

仏作って魂・・・

真剣勝負の予選で3-0での勝利は文句ないはずだが、何か釈然としないものが残る。

この世代、というよりも今のJでも屈指の才能の水野や家長、本田の使い方がこれでいいのか、という疑問が残るからか。ただ後半彼らが輝いたのは、チーム全体が上下動を増やし、動き回るようになったからで、頭から起用すればいいという問題でもないだろう。もちろん3トップの両翼が水野、本田圭の頭にフタをしているということもあるが、それもこの二人の動き出し、押上げが遅いせいでもあるのだ。

そういう意味では、このチームはまだディテールの部分での意識の統一がなされていない、と感じる。西部氏に言わせれば、その集積こそが「システム」だという、細かなディテール。例えば、パスはスペースでもらうのか、足元でもらうのか。パス回しの時は、どのようにボールに寄るのか、あるい離れるのか。これらの点で選手の「感覚」が統一されていないことが、多くのパスミスや、本田がシンプルにプレーできないこと、などにつながっているのでないだろうか?

詳しくは西部さんのこの文章(「システムとフォーメーション」)に対する次回の考察に譲りたいと思うが、オシム監督やトルシェあたりがなぜあれほどにパス回し練習や、攻守の切り替え練習などの「デイティ-ルの練習」に時間を費やすのか。もしかするとそれこそが「システムの肝」だからではないのか。そう言えば以前に山本監督がトルシェ路線だといわれたときには、このような言葉が投げかけられたものだ。

「仏作って魂いれず」なのではないか?

チーム戦術以前、グループ戦術以前のチームの細かい「感覚」の統一、もしかするとそれこそが「魂」なのかもしれないですよ、反町さん。ビデオで修正ポイントを伝えるのもいいですが、もっとずっと基礎的な部分をもう一度見直したほうが良くはないですか?オシム監督がやるような2vs2、3vs3の攻守の切り替え練習、あるいは多色ビブス練習は、最近はしていなかったりしませんか?それを復活させたほうがよくはありませんか?その方が、しっかりと「魂」の入ったチームにできる早道かもしれませんよ。

しかし、何はともあれ、予選であるから勝ててよかった。そういえばトルシェ五輪代表も1次予選で香港と当たっているのは、ほとんどの人がお忘れだろう。小野、中村、柳沢、本山、稲本のいた当時のスコアは4-1、ホームで2-0というもの。あの綺羅星のようなチームで、だ。それと比べても、ま、こんなものでしょう。

それではまた。

01:27 AM [北京五輪代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|

February 21, 2007

「素直なチーム」か?

北京五輪アジア予選壮行試合 U-22日本代表vsU-22USA代表 0-0 

昨年はさまざまな事情もあり、選手をとっかえひっかえして戦っていた反町U-22ですが、二次予選の始まる今年になってようやく、「ベストメンバー」を組めることになったようです。その、やや新しいチームを組んでのはじめての戦いが、この試合になるわけです。

メンバーを見ると、ほとんどの選手がもうJクラブでもバリバリの中心選手で、攻撃陣にも魅力的な選手がそろっており、誰を起用するか迷うほどです。メンバーの特徴としては、本田圭、水野、家長など、サイドの選手に名手が多く、逆にいわゆる「レジスタ」というか、低目からゲームを作る選手や、アンカーボランチ(バイタルエリアを主戦場とし、守備に長けたボランチ)のタイプがやや少ないように感じました。あとはもちろん実績のあるFWも、多くはないですね。

さて、vsUSA戦では、反町監督は3-4-3という布陣を送り出しました。李が帰化したことによって3トップを組みやすくなったためか、USAが4-4-2だから、2トップとのマッチアップで3バック、4バックのサイドバックを押し下げるために3トップ、という「相手に対応した」計算でこの布陣を選んだのか、ちょっとわからないところですね。

--李--平山--カレン-
-------------
本田圭-本田拓-梶山-水野
-------------
--水本-伊野波-青山--
-------------
-----松井------

いきなりオープニングシュートは平山。DF青山から李を狙ったロングフィードのこぼれをダイレクトで、今年になって「絞った」という体のキレを感じさせる、低く抑えたいいシュートでした。

3トップの3人は、お互いの距離感もよく、ロングボールをよくものにして、そこから前線で細かい崩しで何度かチャンスを作っていくこともできていました。3人に梶山がよくからんで、パスから平山が抜け出して惜しいシュート(GKがはじき出す)などもありました。集まってからの練習でやったという「ゴール前での5メートル、10メートルでの動きの質」に関しては、確かに向上した部分もあったと言えるでしょう。

反町監督: バイタルにボールが入ったときに、5メートル、10メートルの質を上げていくことがアジア大会ではうまくできなかったので、今日トレーニングしました。

ただ、試合前会見で反町監督が「昨年はできていた」と語ったサイドアタックですが、この試合ではいまひとつ機能していなかったという感が強いですね。せっかく水野、本田圭という攻撃的なサイドの選手を起用しているのに、彼らを生かす攻撃が少なかった。DFラインからのロングボールを3トップに渡して、後は3人で、というようなプレーが多かった。しだいにUSAも3トップの動きに慣れ、日本のMF陣の押し上げも遅いので、ロングボールを入れてもキープできなくなっていきます。

やはりこの4人の中盤、+この3トップだと、マイボール時のパス回しにどうしても難がありますね。DFラインでまわしていてもボランチが顔を出さない。サイドが2人、3人に寄せられて苦しんでいても、パスコースを作る選手がいない。真ん中でワンクッション、ボールを持てる選手もいない。そうなるとどうしても、中盤で持ってからサイドへ、という形はできなくて、いきなり3トップへのロングボールが多めになってしまっていましたね。


ペースを奪われることと、奪い返すこと

それでも前半は、五分以上の攻撃ができていたと思うのですが、後半になってUSAが前への圧力を強めるとペースを握られます。ガツガツとフィジカルコンタクトして来て、ちょっとボールコントロールがぶれたところを奪われていってしまう。日本の選手としては、やはりもう少し早いパス回しをしていかないと、ボールを保持することもままなりませんね。後半開始からしばらくはUSAの時間が続きました。

反町監督はカレンに代えて増田(鹿島)を投入。カレンの疲労もあったでしょうし、「組み合わせを試しておく」という意図もあったでしょう(この試合の選手交代は、そういう「同タイプ」交代が多かったですね)。と同時に、やはり「3トップと中盤のつなぎ」のてこ入れをしようとしたのではないでしょうか。しかし、それはあまり機能したようには見えませんでした。

その後、本田圭に代えて家長を投入。家長は高い位置で強引にドリブル突破を図ります。これこそが攻撃的サイドを起用する意味であって、そうすることで敵が警戒し、簡単にはあがって来れなくなる。そのあと水野も自分で突っかけるドリブルからすばらしい切り返し、ポストを叩く惜しいシュート!USAに疲労もあったでしょうが、この時間帯は先手を取って、日本が攻撃に出ることができていました。

その後李アウト、苔口イン。本田拓アウト、谷口イン。その他にも平山のクロスバーを叩く惜しいシュートもあって、これは明日の新聞の見出しはまた「決定力不足」かな、というところですね。ただ、バーやポストもあり、また前半の枠内ミドルなどはGKを褒めた方が良いようないいシュートでした。そういう意味では、再スタート1試合目、敵はアジアレベルよりも強いUSAということもあり、攻撃面では少しはやりたいこともできた、特に練習したことは、とは言えます(下図は最後の布陣)。

--増田-森島-苔口--
-------------
家長--谷口--梶山-水野
-------------
--水本-伊野波-青山--
-------------
-----松井------


一夜漬けじゃないはず

試合終了後の監督インタビューでは、今回はここまで守備を練習していなかったとのこと。そのためサイドで数的不利になって攻められた、というようなことも言っていました。それに加えて、チーム全体でのチャレンジ&カバーとか、どこで奪いに行くか、などの戦術意識の統一ができていないようにも見えました。人数はそろっているのに、平山を除く全員が自陣のディフェンディング・サードに入る必要はない。誰かがアプローチに行かないと。

直前練習でやったことはできて、ちょっと置いておいたことができなくなった。実に素直なチームと言うべきなのでしょうか?

そういう意味では、「チーム全体に浸透しているはずのDF戦術の基本」が、やや揺らいでいるようなのが気になりますね。このメンバーが集まったのは初めてかもしれませんが、ピッチ上のメンバーは何度かは合わせたことのある面子のはず(李を除く)。まあ、反町さんも「課題が出たほうがいい」と言っているので、むしろよかったと思っておくことにしましょう。

それにしても、個人的にはやはりもう少し攻守の切り替えの速さを見たいし、ビルドアップの効いたサイドアタックも見たい。それは昨年できたはず、ということであれば、次の予選の試合(2/28vs香港戦)ではしっかりと、修正して見せて欲しいですね。もちろん、選手たちもみなその点,、特にビルドアップが課題と認識しているようです。わかっていれば、向上もしやすいはず。あと1週間、いい強化をして、香港戦に臨んで欲しいですね。

それではまた。

11:39 PM [北京五輪代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(4)|

November 03, 2006

反町日本も「多中心」サッカーか?

Chaina2先日、時間がぽっかり空いたので、国立で行われたU-21代表中国戦を観戦しに出かけた。しかしなんとハーフタイムで本業の仕事の呼び出しが入り、前半だけ見てスタジアムをあとにするという羽目になった。なんてことだ(笑)。

前半はバックスタンド中央で見ていたのだが、日本は自分から見て右から左へと攻める。ということは手前が日本の左サイドということになる。したがって、私は前半の本田圭佑選手を目の前で、じっくりと見る機会に恵まれたわけだ。

彼は実になんとも、目立っていた。

まだこのチームは、ビルドアップにぎこちなさが残る(アウェイの中国戦よりはよくなってはいたが)。そんな中彼にボールが入ると、ボールが落ち着く、取られる心配がない、ように見える。そして、彼からの美しい弾道を描くサイドチェンジが、攻撃を加速する。梶山との連携で得たシュートチャンスにGKの頭上を越えるループシュートを放つ。素晴らしい存在感だった。

アウェイではちょっと心配になった守備も、練習でやったという1vs1の体の使い方の向上、守備の意識の充実もあり、相当によくなっているように見えた。これほどの選手が、労をいとわずにDFラインに参加、敵をしっかりマークして離さない。これは実にオシムイズムっぽい(まあそう言っては反町監督に悪いのだけど)なあと思って見ていた。家長、水野、本田(圭)、さすがにもう誰も、「司令塔をサイドに追いやった」などと前時代なことは言わないだろう。

ところで、この試合の本田圭佑選手を見ていて気になったことが一つあった。パスをつないでいる時に、前線へ向けて動き出すタイミングが、私のイメージよりも一つ二つ早いのだ。左サイドやや低めでいったん止まれば、彼に預けて起点とし、その間にまわりが動き出すサッカーができるだろうと私はイメージする。しかし彼はそれをしようとせずに、前へ移動して行ってしまう。私は「あれ、このチームで預けどころにもっともふさわしいのは本田君なのに、何で受けてくれないんだろう?」と感じたのだ。

そうやって早めに前方に動き出した本田君には、フル代表のインド戦(の前半)に見られたような、DFラインからのダイアゴナルなロングパスが何度か入っていた。なるほど、こういう意図なのか。オシムっぽい(笑)。しかし、DFラインに人数を増やし、サイドにフリースペースを作らない中国のやり方では、ここで受けた本田君は窮屈そうにプレーしていた。もう少し下がり目でいったん受けて、そこからチームのリズムを作るプレーを選択し、それから上がっていった方がいいのではないか、と私はスタジアムで観戦しながら思っていた。

しかし、ここまで考えて、私はハッとした。


「ボールの落ち着きどころ」は必要か、否か?

私はU-21vs中国戦のスタンドで、私の考え方自体が、「ゲームメーカー待望論」になっていることに気づいたのだ。トルシェ時代のように「まず左サイドに預ける」とか、ジーコ時代のように、OMFやボランチの誰かがボールを納めて時間を作り、その間にまわりが動き出す、というような意味での「ゲームメーカー」。私は本田君の技術を見ているうちに、知らず知らずのうちに彼にその役割を見出し、彼がそのようにプレーしないことに違和感を(勝手に)抱いてしまっていたのだ。

最近、オシム監督の現今のサッカーに対し「つまらない」という意見が、少数ながらあるという。なんとも短兵急な、とも思うのだが、おそらくは彼らが求めているのも、これと同じことなのではないか。誰かはっきりしたゲームメーカーがいて、彼がボールが納めてくれると安心し、そこから「なにかしてくれる」と感じ、まわりが彼に「使われる」ことを求める。そういうサッカーは確かに見やすいし、わかりやすい。善と悪、あるいはこの役者はきっと悪者、とかがはっきりしたドラマのように(笑)、役割分担がはっきりしたサッカーは、わかりやすく、おそらく「おもしろい」と感じやすいのだろう。

私もまだ、どうやらそういうサッカーを求めているらしい、というのが、先日のU-21代表のvs中国戦(の前半)を見てわかったことだ。しかし仮説だが、反町監督のチームでも、特定の誰かを「ゲームメーカー」にするということは、しないのではないか。本田君ほどの選手でも、ボール回しの間に「使われる」ポジションへ移動することが求められているのではないか。ゲームの流れの中で、誰もが中心になり、また逆に走る役にもなる。その役割がくるくる入れ替わる。そういう「多中心サッカー」を、U-21も採ろうとしているのではないか。それが、本田君のポジショニングに、思ったよりも早い「動き出し」に、現れていたのではないか。

もちろん、私はグランパスサポではないので、クラブでの本田君のプレーをつぶさに見知っているわけではない。もしかすると彼は、グランパスでもこういう役回りを求められ、習熟し、それをU-21代表でもやっていただけなのかもしれない。しかも私はこの試合前半しか見ていない(笑)。ここでこういうことを言うのは気が早いかもしれないことは自覚している。しかし、フル代表、U-21と、「ボールの落ち着きどころ」を「わざと」設けないようなサッカーを見ていると、上記のような仮説を立ててみたくなるのである。

以前のエントリーで書いたのは、ありていに言えば「海外組が合流しても、ボールの落ち着きどころには『しない』かもしれないよ、オシムさんは」ということなのだ。技術の高い選手の合流があっても、一部の人が待望するようなサッカーにはならないかもしれない。これは、もちろん仮説であって、そういう選手が出ればそうする、のかもしれない。どちらかわからない。しかし、ストイコビッチに対し「彼は『正しい』ファンタジスタだ。彼は『走る』事を知っている」と言うオシムは、どうもそういう「落ち着きどころのあるサッカー」をよしとはしないような気がするのだ。

「多中心サッカー」はわかりやすくはない。しかし、もし実現できれば、確かに日本に向いているようにも思う。今後この仮説が正しいのか、またその方針は継続されていくのか、さらにはそれは世界に通用するのか、楽しみに見ていきたいと思う。

それではまた。

12:32 PM [北京五輪代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|

October 29, 2006

U-21中国戦の観客動員は問題なのか?

Chaina先日のU-21vs中国戦は最終的には21,190人という観客を集めましたが、前売り券の売り上げは不調だったようです。これは一般にも話題になり、敬愛する武藤さんもこの件で講釈をされています。この問題提起、問題意識は世間一般とも共通するものでしょう。武藤さんの考察に準拠しつつ、私も少しこの問題について考えてみたいと思います。

 ワールドカップ直後の年の五輪代表と言う事を考えると、類似的な試合としては8年前、98年11月のアルゼンチン戦が思い出される。

いい試合でしたね、これは(遠い目)。最近知り合ったサッカーファンにも、「あの試合でトルシェを決定的にプラスに評価した」という人が多かったです。それはさておき、あの試合は観客動員としては47,374人入ったようです(ソース:FOOTBALL ASCII)。ただこれは、11月23日という、休日の試合だったことも考えなくてはならないでしょうね。

また、今回の対中国戦を98年との比較で言えば、「対アルゼンチン」という「代表ファンでないサッカーファン」の興味も引くカードだったことも考慮に入れなくてはならないでしょう。残念ながら「対中国」というのは、対戦相手の「ブランド価値」で相当劣るのは仕方のないところです。

例えばトルシェ時代、あのナイジェリアワールドユース準優勝後の1999年5月12日(水曜日)に駒場で行われたU-21対オーストラリア戦は「平日夜、駒場、ブランド相手でない」ということから、観客は12,392人(収容人数は21,500人)に過ぎませんでした。

 このように整理してみると「アテネ五輪以降のあるタイミングで、五輪代表に対する『漠然とした期待』が全く小さくなってしまった」と考えざるを得ないではないか。

私は、アルゼンチン戦47,374と今回21,190の差は、「平日か休日か」「対アルゼンチンか対中国か」で大半の説明がついてしまうように思います。しかし同時に、武藤さんのおっしゃる「アテネ五輪以降のあるタイミングで、五輪代表に対する『漠然とした期待』が全く小さくなってしまった」ということもまた、肌感覚では同意なのです。これはどういうことでしょうか。

 元々、各方面で「ドイツワールドカップに向けて、広告代理店は完全に浮動層のファンをメインターゲットにマーケティングを実施、それに日本協会(と言うか川淵会長)も乗ってしまい、結果として適切な強化ができずドイツでは完敗、さらにドイツでの日本の不甲斐なさに浮動層もサッカーからサヨナラ」と言う懸念が語られていたが、それが現実化してしまったのだろうか。もし、そうだとしたら危機的状況である。

「ドイツでの不甲斐なさ」だけが原因とは思いませんが、いわゆるマーケティングの手法が「一部の選手人気」に依存しすぎたものであって、そういった選手がいなくなればこのような状況になるのは、理の当然といえましょう。

 「代表人気にあぐらをかいて適切な営業活動をしなかったから」と言う批判も多く見受けられるが、上記のトルシェ氏時代や山本氏時代だって、適切な営業活動が行われていたとは思えない。

おっしゃるとおり、「営業活動」というのを例えば「事前の広告、宣伝活動」などと捉えれば、8年前も今回もそんなに差があるとは思えません。8年前にそんなにたくさんCMを打っていたという記憶はありませんね。

とすれば「10年以上継続していた代表バブルがはじけた」と言う事なのか。これまた、そうだとしたら危機的状況である。

1999年のU-21オーストラリア戦(12,392人)、同じく99年のフル代表対イラン戦(35,860人@横浜国際競技場)と見比べると、「代表バブルが10年以上継続していた」ということはないのではないか、と私には思えます。やはりW杯直後、五輪予選も始まっていない時というのはこんなものなのでしょう。


日本特有だった、五輪代表人気

 一方で、「欧州や南米では、U23代表への注目度は低いからこんなもの」と言う意見もあろうが、そうだとすればアテネ前の大観衆はどこに行ってしまったのか。

日本はもともと、「オリンピック」というものへの関心がとても高い国です。サッカーというカテゴリーでは、フル代表年代の代表の大会が、世界的にはほとんど唯一の関心ごとであるにもかかわらず、日本ではサッカーでも五輪代表の人気が非常に高かった。トルシェが「五輪年代の予選にこんなに客が入るとは!」と驚愕していたというエピソードを私は記憶しています。

そして、トルシェ率いる五輪代表が親善試合(例:vsU-21韓国4-1!)で、予選で、よい戦いぶりを見せたこと、そこで攻撃陣が活躍したことで、彼ら個人個人が「スター」になって行き(バーモントカレーのCMに起用された選手もいましたね)、「五輪そのものの人気」×「スター人気」で、トルシェ五輪代表人気は爆発していきました(それが02-06のフル代表の特定選手人気にもつながっていくわけですね)。これはこの間、フル代表のアジア予選がなく、五輪代表の予選のみが「真剣勝負」だったということも影響していると思われます。

しかし、状況は変わりました。もっとも大きかったのは、「02年に日本でワールドカップを開催したこと」だと私は思います。これによって、日本でも多くの、本当に多くの人がフル代表の真剣勝負の魅力を知り、「世界には五輪を上回るワールドカップという舞台があるのだ」「五輪のサッカーは明らかにそれよりも下なのだ」ということを理解してしまった。それがもっとも大きかったのではないでしょうか。

次に、「日本代表の試合」というものが、U-21であれフル代表であれ、本当に珍しかった頃と、今とでは、もう状況が違いすぎる、ということがあるでしょう。98-02にはなかった、ホーム&アウェーでのフル代表のアジア予選という真剣勝負。まがりなりにもFIFA主催のタイトルのかかったコンフェデ杯。そしてもちろん、W杯本大会。日本のお客さんはもう「真剣勝負」の味をふんだんに知ってしまっています。

そうなるとやはり、五輪年代のたかが親善試合にお客さんが入らなくなっていくのも当然のことといえるでしょう。そういう認識に立てば、平日夜の2万人超というのは、U-21としては十分な数字だと私には思われます。日本も欧州、南米なみに、「フル代表の、真剣勝負、ないし価値の高い試合にしかお客さんは注目しない」という状況が現出しつつあるのだと考えるべきでしょう。


マーケティングではなく、強化の本道へ

Image121_1これは私は「不可避的変化」だと思います。「正常化しつつあるだけ」とも言えましょう。例えば洋酒業界では、日本では、世間一般の理解の浅さと(時代的に仕方がありませんでしたが)、おかしな酒税法によって、正確にはウィスキーではない洋酒が「ウィスキー」としてまかり通ってきたという過去があります(左写真は本物のウィスキーですが)。その後、理解が進むにつれて、また酒税法の改正により、それらは「ウィスキー風スピリッツ」として売らねばならなくなり、当然、そこにあったビジネスは縮小していきました。

この場合は、「そういった誤解に基づいた市場にビジネスの本拠を置き続けること」が間違っているのであって、「誤解を継続する」努力をしてもまったくの無駄です。そこでビジネスをしていた企業は、別のところにきちんとビジネスの本拠を見つける、作る努力をするべきです。まあこれまでの五輪代表人気をすべて「誤解」と決め付けるつもりはありません(私だって熱狂した一人です)が、JFAが今後ともそこをビジネスのひとつの主戦場とするのは、無理があると思えてなりません。

したがって私は、JFAは観客減に対し、「それを解決するためだけの」具体的な対策はとりたてて打たなくてよい、と思います。それは「怪物!平山!」(笑)とかになりかねない要素をふんだんに持っているからです。川淵氏が会長の座に居座り続けるならなおさらです。今週のサカマガがその一環だという噂はありませんか?なんでしょう、「フィールドのステルス迷彩」ってのは(笑)。もちろん、普通にU-21を取り上げてくれる、候補になった選手の特徴を書いてくれる記事は歓迎ですけどね。

もっとも重要視するべきは、「対戦相手が本当に中国、韓国でいいのか」「それが最もよい強化と言いきれるのか」「招集、合宿、試合を含めた強化のスケジュールは妥当なのか」というところでしょう。重要なのは今回の五輪代表によい強化環境を用意してあげること。Jリーグとの日程の整合性、強化試合の対戦相手、強化合宿の日程、などすべてを含めてです。それによって、北京を目指す五輪代表が強くなり、魅力的な試合を続けていくようになれば、自然ともっとお客さんは集まるようになりますよ。

マーケティングの基本は、よい商品を作ることです。これか古今東西、変わりません。JFAにはその部分を間違えないで欲しいと思います。

それではまた。

02:35 AM [北京五輪代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|