Svabo Ostani!
イビチャ・オシム日本代表監督が脳梗塞で倒れられてから、10日が経ちました。日本サッカーがどう、ということよりも、ただただ一人の人として、一刻も早いご回復を祈っています。
この報を聞いて以来私は頭が真っ白になってしまい、何も手につかない状態でした。ただJEF時代のオシムさんのサッカースタイルに魅了され、日本代表監督としてのオシムさんを応援していたに過ぎない私ですらそうなのですから、ご家族のご心労は、想像すらできません。また直接指導を受けていた日本代表やJEFの選手たちはさぞや心を痛めているだろうし、また特に五輪代表の水野、水本たちはよく戦い、よく五輪出場権を勝ち取った、と思います。
この件に関して、SoccerCastで語りました。正直、ここしばらくは友人とでもこの件は語りたくない状態だったのですが、「こういう状況だからこそやらねばならない」と思い、収録しました。いつもとは違うSoccerCastになりましたし、またこういうものですので「聞いてください」というつもりもありません。ただ、今の気持ち、考えをここに残しておこうと思ったものです。
3次予選組み合わせ決まる
さて、SoccerCastでも話したのですが、日本代表の南アフリカワールドカップへ向けた3次予選の対戦相手国が決まりました。世界のサッカースケジュールは、待ってくれないのですね。日本は第2組、バーレーン、オマーン、タイと対戦することになりました。バーレーン、オマーンといえば、ドイツW杯予選でも苦戦した相手です。日本の実力が上回っているのは確かですが、監督選びを間違えれば、再び苦しめられる、場合によっては足元をすくわれる可能性もあるでしょう。
日程 | 大会 | 相手 | 場所 |
1月中旬 | 日本代表候補合宿 | - | - |
1月26、30日 | 親善試合(2試合) | 未定 | 未定 |
2月6日 | W杯3次予選 | タイ | ホーム |
2月17日 | 東アジア選手権 | 北朝鮮 | 中国・重慶 |
2月20日 | 東アジア選手権 | 中国 | 中国・重慶 |
2月23日 | 東アジア選手権 | 韓国 | 中国・重慶 |
3月26日 | W杯3次予選 | バーレーン | アウエー |
5月下旬 | キリン杯 | 未定 | 未定 |
6月7日 | W杯3次予選 | オマーン | ホーム |
6月14日 | W杯3次予選 | オマーン | アウエー |
9月6日 | W杯3次予選 | タイ | アウエー |
9月10日 | W杯3次予選 | バーレーン | ホーム |
初戦は2月6日、ホームにタイを迎えます。そのための合宿は1月中旬には始まるでしょうし、予選のための準備試合が、1月26、30に予定されています。そう考えると、オシム監督が回復したとしても(もちろん絶対に回復すると信じていますが)、ストレスの大きい代表監督としてそのまま始動できるとは考えにくい現状、考えるのもつらいことですが、その後任選びは、ある程度急がなくてはならない、ということになります。
危険な「路線継承」
しかし、後任人事を急ぐあまり「予選も迫っているので手近な監督で」というのは間違いだと思います。現在、岡田武史氏に打診をしていることが報道されていますが、その報道の中に「オシム路線継承」という文字が躍っているのが、私は気になります。
岡田氏とオシム監督は、サッカー観も違うでしょうし、Jリーグで実現してきたサッカー像も違います。いや、サッカー観が近いと考えられる、オシム監督の弟子たちが実現しているサッカーを見ても、あるいはオシム監督がアドバイザーとして参加していた反町U-22を見ても、「オシムサッカーはオシム監督にしか指導できない」と考えるべきだと思います。
そしてなにより、岡田氏に就任を要請するならば、「岡田氏のやり方に日本を託すのだ」と考えなくてはなりません。「岡田氏のサッカーの方向性が、これからの日本サッカーの方向性として正しいのだ」というPLANを持って頼むのでなければ、おかしい。その場合は「オシム路線継承」ということではなく、「岡田サッカーを日本は目指す」という明確な目的意識を持たないと、再び日本は迷走していくと思います。
PLANあっての代表監督選び
日本はこれまで、「ボールも人も動くサッカー」を目指してきました。これはオシム監督だから、ということではなく、それ以前から日本が、日本の選手の特性を生かすために目指していたものです(ジーコジャパンは違いましたが)。そしてそのPLANにオシム監督が最適であるために、彼が選ばれ、日本代表監督に就いたのであるはずです。その「目指すサッカー像」はいま、変更されるべきなのでしょうか?
いま監督を再び選ぶならば、「ボールも人も動くサッカー」を目指している監督であるのか、実現したことがあるのか、実現できるのか、という基準で選ぶべきです。そうでなければ、「目指すサッカーを変更する」という意思決定が先にあるべきです。「就任した監督によって日本の目指すサッカーがころころ変わる」ということであってはなりません。
私は、オシム監督就任以来の2年間の、各年代日本代表(いずれも「ボールも人も動くサッカー」を目指してきました)の戦いぶりを見ても、その「目指すサッカー像」を変更する必要を感じません。今でも変わらずそれは、日本が世界と戦っていく上で、最適なヴィジョンだと思っています。もし協会が「目指すべきサッカー像を変える必要がある」と考えるので「ない」ならば、次に必要になるのは「岡田武史氏は、『ボールも人も動くサッカー』の実現のために、最適な監督であるのか否か?」という判断です。
岡田氏は実績のある監督であり、これまで指導してきたチームという、その判断のためのサンプルがしっかりとあります。日本協会はそれを参照して、目指すサッカー像との一致、実現の度合いはどうなのかを判断するべきです。それがなければ、「予選も迫っているので手近な監督で」という、再びの「PLANなき代表監督選び」になってしまいます。そのようなことはもう二度とあってはなりません。
タイ戦までは、暫定指導体制で
とはいっても、先に書いたように3次予選初戦が迫っていることは事実です。しかし、ここはSoccerCastで話していて、考えが変わった部分なのですが、私は「まず暫定的に、現状のコーチ陣で始動しつつ、時間をかけて代表監督を選定する」という案を提唱したいと思います。幸いにして、初戦はホーム、3チームの中では最も実力的には劣ると考えられるタイが相手です。ここはぎりぎり、暫定指導体制でも、オシム日本の核を継承したチームで戦っていけるのではないかと思います。
そうなると次は3月26日のアウェーバーレーン戦ですが、その前に2月17日~2月23日の東アジア選手権があります。このあたりまでに監督が決まっていれば、東アジア選手権で新監督の下で強化をしてもよし、あるいは新監督が東アジア選手権を見て選手の見極めに使ってもよし、暫定体制からうまくバトンタッチしていくことができるでしょう。いずれにしても、いま話題になっているような12月3日や、7日までに決めなくてはならない、という拙速は避けることができます。
もう一度書きますが、「予選も迫っているので手近な監督で」というのは、おかしな考えかただと思います。「日本のことをよく知っているから、今のチームの継承ができる」というのも、間違っているでしょう。その監督が、これまでのオシム日本と同じようなサッカーを志向していたことがあったのか、実現していたことがあったのか、ということのほうがずっと重要です。あくまでも、日本が目指すサッカーに最適な新監督が、自らのヴィジョンに基づいて強化し、その上で3次予選を勝ち抜いていく。新監督にはそういう能力を求めるべきだと思いますし、それが確認できる実績が必要だと思います。
望ましい代表監督像
以前に私が書いた、日本代表監督のために望ましい条件を再び書いておきます。
1:経験と実績のあるプロの代表監督であること*1
2:ボールも人も動く、コレクティブなムービング・フットボールを志向していること*2
3:できれば、日本や日本サッカーについて知識を持っている人であること
4:できれば、協会やマスコミなど、日本サッカー全体を改革する意思を持っている人であること
(*1:それは必然的に外国人監督となる=日本人に、経験と実績のあるプロの代表監督はまだいない)
(*2:ここ数年の日本全体の強化方針もこちらであった・・・ジーコジャパン以外は)
3、4は「できれば」ですが、1、2は「絶対に必要な条件」です。岡田氏は、実は日本人では唯一といっていい1の適格者ですが、2に関してはどうなのか、ということが問題になると思います。
最後になりますが、私は岡田武史個人のことは、好きです。監督としても、人物としても、好感を持っています。しかし、この問題はそれとは分けて、しっかりと日本サッカーの将来のことを考えて決めるべきだと思うものです。
オシム監督の一刻も早い回復を祈って。
それではまた。
05:25 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(4)|
August 30, 2007車は加速する(カメルーン戦)
私と発汗さん、エルゲラさんの3人でやっているポッドキャスト「SoccerCast」に登録いただいている方が、4万人を突破いたしました。総合ランキングでは42位になっているようです。聞いてくださっている皆様、登録していただいたみなさま、本当にありがとうございます。5月の段階で1万人、90位でしたから、なんだかずいぶん早いテンポですね。以前にも書きましたが、普段4万人を前に喋ったりすることはありえないわけで、それを考えるとちょっと恐い気もします。
そのSoccerCastでも振り返りましたが、フル代表のvsカメルーン戦とU-22のvsベトナム戦(ホーム)が8月22日にありましたね。さらにはU-17ワールドカップまでもが同じ時期にあるという代表戦ラッシュ!アジアカップの振り返りもまだ済ましていないし、酩酊さんからトラックバックをいただいたのでお返事も書かなくてはいけないし、すぐに代表の欧州遠征、U-22のアウェーサウジ戦も迫っているし、我那覇の件についても書いておきたいしで、更新の遅い当ブログでは追いついていけるかどうかわかりません。
まずはとりあえず、直近のフル代表カメルーン戦について、今回は触れておきたいと思います。
準備不足のライオンたち
この試合については、内容がよかった、あるいは新戦力が活躍したということも言われるが、まずは対戦相手であるカメルーンのコンディション、やり方に助けられた部分が大きいと言わねばならないだろう。カメルーンは直前来日、遠距離移動でコンディションがそもそも万全ではなかったが、さらに試合会場である大分の九州石油ドームへの到着も送れ、試合開始前のアップができないという緊急事態だった。
オシム監督は試合直後のTVのインタビューで「前半の方にはっきりと日本の力が表れていたと思う」と言っていたが、私はこれには疑問がある。前半の日本がよく見えたのは(よかった部分も否定しないが)、カメルーンの選手が「アップをしながら試合をしている」というような状態であった部分もかなり影響していると考えられるからだ。もちろんオシム監督も、それは理解していてあえてこのように言ったのだとは思うが。それにしても、カメルーンのアップが終了した後半の方が、彼らの本来の力に近いものだと考えるべきだろう。
また、カメルーンはアジアカップの対戦相手と違い、「ラインを下げて、10人で引いて守ってカウンター」というようなやり方はしてこなかった。これは彼我の力関係を見れば、当たり前ではある。また、言うまでもないが日本を研究もしてこなかっただろう。以前にも何度か書いているように、そういう相手に対して日本がよい試合を見せるのは特別なことではない。いつものことだ。この試合の攻撃陣が、アジアカップで引いた相手に苦しんだ攻撃陣よりもよく見えたとしても、その理由のかなりの部分は「カメルーンのコンディションと、引いて守らないというやり方」が原因であるということを、忘れてはならないと思う。
キリンカップ型強化
これは、「強豪国を日本に招いて試合をする」というキリンカップ/チャレンジ型強化試合が、これからどこまで意味のあるものにできるのか、という問題でもある。以前は、海外の代表チームと対戦することは限られていて、キリンカップ/チャレンジの意義は非常に大きく、スポンサーであるキリンの日本代表の強化への貢献には、いくら感謝してもし過ぎということはないだろう。しかし、これからさらに上を目指すには、来日したてでコンディション不良のチームと単発で試合することが、どこまで強化の役に立つのか、JリーグやACL、A3などとの絡みも含めて、考えていかなくてはならないところだ。
ただ今回は、コンデション不良のカメルーン相手とは言え、この試合をやってよかったと私は思う。アフリカン特有の脚の長さ、身体能力を利したプレッシャーの中で、どこまで「ボールも人も動くサッカー」ができるのか。自分たちがJリーグやアジアレベルではやっている、ほんのちょっとのミスともいえないようなミス、例えばトラップが15センチ浮いたとか、例えばボールの置きどころをちょっとだけ間違えたとか、パスコースが少しだけ意図と外れたとか、パスを受ける前にきちんとルックアップしていなかったとか、それをカメルーンがまったく見逃してくれないということも、再びわかったはずだ。
そして、もう一つ大きいのは、アジアカップ4位敗退での閉塞感、もしかしたら選手たちがちょっとだけ自信を失いかねないところだったのを、この試合が払拭してくれたのではないかと思えることだ。2004年アジアカップの後のアルゼンチン戦は、「何故こんな時期に試合を?」とみなが疑問に思ったものだが、今回はむしろよかった。「アジアカップに出場している選手の方が、していない選手よりも動けていた」というのは、彼らの中に残る不完全燃焼感も手伝ってのことだろう。そして、「先はまだまだ長い、こんなところで立ち止まっている場合ではない」ということを、選手もしっかりと理解したことだろう。オシム日本の第2フェーズのたち上げとしては、まずまずだったのではないかと思う。
オシム日本の第2フェーズ
オシム日本の第2フェーズの立ち上げというのは、単純に2年目ということもあるが、アジアカップまでを一区切りとしてこれまでの航路を考えると、なかなか判りやすくなるという意味でもある。
1)まずは、Jリーグベストイレブンクラスでありながら、フル代表での経験の浅い選手に経験を積ませる。(啓太、闘莉王、憲剛、駒野、阿部、我那覇、寿人、達也)
2)ジェフでオシム監督のやり方に慣れた選手をそれに加え、方法論・戦術の浸透を図る。
3)海外の選手は、まずはクラブでのレギュラー取りに専念させる。
4)チームが出来上がりつつあるところで、シーズン終盤の(呼んでも悪影響が少なそうな)海外の選手を融合させる。
5)同じ時期、Jの中からさらに幅の広い選手を合宿に呼ぶ。
6)ジェフの選手を残して、4)5)の「合流して日の浅い海外組および新戦力」への、方法論・戦術の浸透を進める。
7)アジアカップには、それまで合宿には呼んでいた攻撃陣でも、戦術の浸透度の低い選手は呼ばない。
私はこれらについては基本的にロジカルであると思うし、支持することができる考えであったと思っている。そして、このカメルーン戦で第2フェースが始まったということだろう。アジアカップを経て、マスメディアでは「個の力発掘だ!」と喧しいが、単純に2年目になり、「合宿には呼んでいたが、戦術理解の点でアジアカップメンバーから外れた選手」を再び呼んだものと考えると、実はかなり素直な流れなのだとわかるはずだ(純粋な新顔は、大久保だけである)。2年目のこれから、また彼らにじっくりと戦術を理解させていけばいい。そういう時期なのだ。
ただし、ジェフの選手たちに関して、私はいわゆる「インストラクター枠」というような捉え方はしていない。いまだに巻の前線からの守備、ハイボールを納めるポストプレイを上回る選手は多くないし、羽生や山岸の攻守の切り替えの早さは特筆すべきものだ。水野や水本は五輪代表の中心選手であり、次代をにらめば招集して当然でもあるだろう。実際オシム監督も、カメルーン戦にジェフの選手が呼ばれていないのは、怪我などのコンディションの故であると発言しているようだ。彼らも含めて、今後ますます競争が激しくなるだろう。歓迎したいと思う。
新戦力たちの評価
さて、新戦力の中では、前田は持ち味を出していたと思う。私は前代表での柳沢の、「動きながらボールを引き出し、足元で納め、そこからの展開でチーム全体を活性化する」というプレーを高く評価しているものだが、前田もそういう存在になれる選手だろう。この試合でも前田はやわらかいポスト、そこから回りをよく見た、ワンタッチをおりまぜた展開を何度か見せて、攻撃をリードしていた。アジアカップ予選でのホームサウジ戦でも、我那覇がそういうプレーを見せていたが、日本の目指す「ボールも人も動くサッカー」では、この「足元での柔らかいポストプレー」ができる選手は必要/重要になってくる。前田もその主要な候補として、名乗りを上げたといえるだろう。
大久保、田中達也もスピードを生かした突破を何度か見せて、観客を沸かせ、持ち味を出していた。彼らに期待された役割は果たしたと言えるだろう。ただ、もう一度言うがそれは、カメルーンが裏のスペースを空けていたことによる部分も大きい。また、個人的には田中達也にシュートがなかったのが少し気になった。達也のドリブルは、以前は「自分がシュートするため、シュートコースを作るため」のものが多かったのではないか?その辺は、今後フィットしていくにつれて、さらに発揮できていくようになることを祈ろう。
大久保に関しては、サポーターが期待したとおり、何度か鋭い突破を見せていたが、個人的にはそれよりも守備の局面に多く顔を出していたのが印象に残った。オシム日本では、ボランチの選手がサイドバックや攻撃陣をオーバーラップしていくことが主要なコンセプトの一つ(→数的優位を生かしたサイドアタック)になっているが、その場合には当然、攻撃陣の誰かが下がってそのスペースを埋めなければならない。しかし、オシム監督がしばしば嘆くように、多くの攻撃的な選手は、そういう役割にフィットしているとはいえない。その点で大久保がしっかりした守備の意識、クオリティーを見せたのは、今後に向けてポジティブだと私は思う。
オシム監督: 最もアイデアのある選手たちは、よりスピードがあり、より多く走ることができて、選手の全面的な能力を備えている。全面的とは、さまざまな役割を果たすことができるということ。つまり今の中心選手の中には、自分にはできない、あるいは苦手なポジションがあるということだ。
明暗の行間を読む
この試合では、前半と後半で内容が顕著に別れた。原因としては先にもあげた、カメルーン側のアップ不足が上げられるだろう。また、オシム監督も指摘した、「日本の選手の疲労、交代によってバランスが崩れたこと、追いつきたいカメルーンが前に出て、日本にミスが増えたこと」なども大きな原因ということができる。
交代策に関しては、あくまでもテストマッチであり、招集された選手をなるべく多く、それなりの時間を与えて使ってみるのはロジカルなことだ。それによってバランスが崩れてしまったのは残念だが、それも織り込んで見るのがテストマッチの評価の仕方なのだ。その視点を持てば、この試合で「オシム日本はいつも後半にスタミナ切れを起こす」という批判をするのはあたらないだろう。
このような試合では、「テスト」される環境にある新戦力が飛ばしすぎてしまうこと、またテストのための交代によってバランスが崩れてしまうこと、さらには途中投入された新戦力たちがまた、自分のアピールのために前へ前へと行ってしまうこと、などなどがスタミナ切れに見せる要因となってくる。それらは本番の試合では基本的に心配しないでいいことだ。最もスタミナ切れが心配されたアジアカップでは、ホームのベトナムの方が先に動けなくなっていたではないか?
4バックと3バック
さて、後半に関してはもう一つ見るべきところがある。カメルーンが2トップにしてきたことで、日本は前半の4バックから阿部が下がり、3バックを形成した。これはオシム監督の指示によるものではなく、選手間の判断で、ピッチ上での話し合いによって行われたことだという。アジアカップ以前のオシム日本は確かにこのように、敵のFWの人数によってDFの数を調整することを臨機応変に行っていたから、それに基づいて選手たちが判断したということなのだろう。このこと自体は間違いではない。
ただ、後半になるといよいよエンジンのかかってきたカメルーンの選手に対して、日本は2人、3人とかかっていかないと、それこそ「個」の力でやられてしまうシーンが増えてきていた。そのためか、3バックといいながら、敵の前線が2人しか張っていないのに、5人がDFラインに残って、5バックの状態になってしまっていることが多くなった。それによって、中盤でカメルーン選手をフリーにし、またこぼれ球も拾えなく、たまに拾えてもフォローの選手が上がってこず、パスをさらわれるか、大きく蹴りださざるを得なくなるか、という状態だった。
オシム監督は、「3バックにするなら遠藤が下がってダブルボランチにするべきだった」という趣旨のことを語っている。それもあるが私は、両サイドや3バックの中の選手も、敵のFWの人数によって臨機応変に中盤へ出て行くべきだったと思う。カメルーンの選手のスピードや1vs1に晒され、また疲労もあり、選手交替によってバランスが崩れている状態では、それは怖くてできなかったことはよくわかる。が、オシム日本のやり方では、そこでも「考えて走る」が求められているはずだ。これをいい教訓にして、また監督とも話し合って、さらに守備の熟成をして行って欲しいと思う。
車は加速する
総体としては、アフリカンの身体能力を体で感じ、甘いプレーが通用しないことを再び刻み、守備の再構築への端緒をつけ、新戦力のフィットもはかれた、よい親善試合だったと思う。このように親善試合をロジカルに「使う」ことは、私は歓迎したい。こうして、アジアカップ後の第2フェーズ、日本代表の選手の選択肢はますます増え、競争は激しくなってきている。そして早くも欧州遠征へ向けての選手の発表が控えている。実に楽しみではないか。
それではまた。
08:41 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|
August 11, 2007新委員会は本当に必要?
(アジアカップ総括は途中ですが、見過ごせない話だと思うので、一回これをはさみます)
アジアカップ後、JFA会長川淵氏は「代表監督評価・査定機関」を作ろうという考えを明かした。
川淵氏: 問題があれば、オシムと(協会が)キャッチボールする必要がある。質問があれば投げかけ、要求すべきはする。技術委員会の中に独立したものを作り、そこでオシムをチェックする。
サポーターの間でも意図が分かりにくいと思われたこの構想だが、これについて西部謙司氏がコラムを書かれている。文中で西部氏は、「本当に、こんな委員会を立ち上げるつもりなのだろうか?」と、新委員会構想そのものに疑問を呈する。
1)投げかけるべき質問のレベルが低い 2)協会に必要なのは距離を置いて観察することよりも、対象に近いところの評価 →そのために技術委員会がある。 3)オシムにものを言える者がいないのが問題なのは確か。 →そこが心配ならば現行コーチングスタッフを替えたほうがいい |
西部氏があげる新委員会構想への疑問は以上のようなものだ。そして、このように疑問のある新委員会の構想には、何か別の目的があるのではないか、と推測し、
西部氏: となると、アジアカップ4位で溜まったファンの不満をガス抜きするのが(川淵会長が新委員会を設立する)真の目的なのだろうか。
としている(括弧内補足はケット・シー)。真の目的についてはわからないが、疑問点は私もまさにその通りと思う。現行のコーチングスタッフ、あるいは強化委員にオシム監督にものをいえる人がいないのは確かに問題だが、それならばその担当を替えるか、別に人材を加えればいいことだ。新たに委員会を立ち上げる理由としては不十分だ。
また、「協会に必要なのは距離を置いて観察することよりも、対象に近いところの評価」に関しても、私は同感である。
以前にもまったく似たようなことがあったのをご記憶の方はいらっしゃるだろうか?トルシェ前監督の頃、技術委員会の他に、釜本氏を長とする評価査定期間「強化推進本部」が設けられた。この委員会が「レポート」を上げ、それによってトルシェ監督の契約を延長するか、解任するかを決めようとしていたのだ。当時の記録を詳細に残した「日本代表監督論」(潮智史著)の中に、次のような一説がある。
自民党の参議院議員を努めていた釜本は、練習はもちろん試合にも駆けつけることのままならない忙しさの中にいた。木之本はJリーグの専務理事として多忙を極めている。こまめに練習から見渡していたのは大仁ひとり。練習の狙いや効果を汲み取れない人間が自分を評価することに憤慨し、(トルシェは)失望感をあらわにした。「協会は査定や評価ばかりで、支援する気持ちがない」「評価を下すのなら、すべてを見て判断すべきだ」(括弧内補足ケット・シー)
まさに、「距離を置いた観察、評価」を否定する事例だろう。技術委員長が現場に足しげく通うのも、技術委員会にコーチが入っているのも、このような問題ががあるからだ。「○○という課題の解決のために、どのような練習をしているのか」「その成果はどのくらい上がっているのか」ということを、きちんと知ったうえで評価しなくては、「どのくらいの強化の進捗状況なのか」も理解のしようがないではないか。ただたんにたまに代表の試合を見て「いい内容だった」「悪い内容だった」などと評価する機関ならば必要ない、ということだろう。
私は常々、代表監督の問題を考えるにあたり、PDCAサイクルをしっかりしてほしいと思っている。PDCAとは、Plan(計画)-Do(実行)-Check(評価)-Act(改善)の略である。日本サッカーは、代表チームはどのような方向を目指すのか、そのような事前プランがしっかりあって、それにあった監督を招聘し、彼の実行をしっかりと評価し、そして改善していく。この場合の事前プランは技術委員会が立てるのが当然のことだろう。
そして、代表監督を評価するにしても、その事前プランを評価者がしっかりと理解したうえで、なされなければならないのもまた自明のことだ。先にあげたような「強化の進捗状況」は、ただ試合を見ているだけでは分からない。「距離をおいた評価、査定」などよりも、事前プランを深く理解し、しっかりと強化課程を見ている技術委員会がそれを行う方が、意味のあるものになることは確かだろうと思う。
かつての「新査定期間」の顛末
これに対し、常々「日本のスポーツ界で最高のリーダーは川淵氏」と発言している二宮清純氏が、1年前、「代表改革へ新査定期間に注目」と題したコラムを書かれていた。二宮氏は、「サポート機関のほかに査定機関を設けることが必要」ということを持論としていたようだ。
コラムの中で二宮氏は、かつての加茂監督と加藤久強化委員長の間の確執が、「技術委員会が評価・査定を行わない機関になったこと」の原因だとしているが、これもまた興味深い書き方である。というのは、加茂監督の退任を進言した大仁強化委員長の例や、むしろ評価・査定を専門とした釜本強化推進本部の事例が無視されているからだ。この「強化推進本部」に関しては、立ち上げられる前に大住良之 氏がすでに疑問を呈していたのだが、その点でも、今回との強い類似があるといえる。
大住氏: 代表チーム監督というのは、単なるサッカーコーチではありません。短期的な目標をもってその実現に努力するとともに、長期的な展望に立ち、いろいろな要素を総合してチームを導いていかなければなりません。
大事なのは、「ビジョン」であり、それを実現する「能力」です。 であれば、いちど監督を選任したのなら、監督がビジョンと能力を最大限に生かせるよう、監督中心の組織がつくられなければならないと思うのです。
とすれば、必要なのは大所高所からものを言う人々ではなく、監督のアイデアを実現させるべく働くスタッフということになります。(中略)
しかし今回の「強化推進本部」は、逆にトルシエと協会の関係をより複雑にし、トルシエを孤立させかねないと思うのです
2000年6月にトルシェ監督の「解任」が大新聞にリークされ、そこから大騒ぎになったわけだが、評価・査定をするはずの強化推進本部はレポートを一本化できず、結局トルシェ監督との契約延長を岡野会長が決断した。この時、政務次官専任を理由として釜本氏が退任し、「強化推進本部」は代表監督のサポート組織へとその性質を変化させ、評価・査定機能はそこから排除された。
これはまさに、「練習に来もしない人々が代表を査定しようとした」ことからくる、当初予想された「ゆがみ」が一挙に噴出した事例だといえるだろう。二宮氏はこの件をなぜか無視しているのだが、今回の新委員会も、やり方をよほど考えないと同じことになる可能性が高いと私は思うのだ。
確かに根拠なき楽観論があるなら問題だが・・・
二宮氏: 代表をサポートする機関といえば聞こえはいいが、チェク機能が動かなくなると緊張感まで失われてしまう。いわゆる代表の“大政翼賛会”化である。根拠なき楽観論の先に待っているのはカタストロフィーだ。
確かに、すべてが監督の言いなりではまずいだろう。そこをきちんとチェックできる機能を、技術委員会には求めたい。
しかし、この文章を二宮氏が書いていたとはまた興味深いことだ。2002年に川淵氏が会長になって、大仁氏から田嶋氏に技術委員長を変更する人事を行った際、田嶋氏は「ジーコ監督の評価・査定はしない」と明言し、川淵氏は「監督の評価やクビを切るということは、最終的にオレが決めればいいこと」と嘯いていた(当時の新聞記事等はネット上には残っていないが、J-KET掲示板の過去ログにその発表後の反応が残っていて興味深い)。「代表の“大政翼賛会化”」「根拠なき楽観論の果てのカタストロフィー」と言えば、この2002-2006体制のことを、普通の人ならば思い起こすのではないか。
そしてそのカタストロフィーの後も「ジーコ采配は検証せず」だったわけであるのだが・・・。
二宮氏: 過日、再任された川渕キャプテンに、この点を質(ただ)した。川渕氏は「技術委員会とは別の機関になると思うが…」と前置きして、こう明言した。「客観性を持たせながら公平に試合を分析し、評価を下せる組織は必要だと思う」。
これは、川淵氏も「2002-2006にチェック機関がなかったのは失敗だった」と認めたということなのだろうか?それとも、そういうことは忘れてしまって、一般論として語っているのだろうか?どうもその辺が釈然としない文章ではある。
このコラムは1年前のものでもあり、今回の新委員会を念頭に置いたものではないが、妙に符合するところも多い。一般論としては、「代表監督の言いなりではいけない」「代表の評価、査定は必要」というのは間違ってはいない。しかし、今回の「距離を置いて客観的に評価をする」という新委員会の構想は、先にも見たように、「練習にも来ず、その狙いも理解しない人々が、評価・査定をする」ということにもなりかねず、うまくいかない可能性が高いと思う。
それよりも、技術委員会の面々がよりきちんとオシム監督に相対し、「問題があれば、オシムとキャッチボールする。質問があれば投げかけ、要求すべきはする」ということができるようになっていく方が、はるかに実のある強化になるだろう。そして、近くにいてしっかりと強化の進捗状況を見て取れる彼らが、それに基づいて評価、査定をできるようになることが、本当に求められることではないだろうか。そのために必要ならば、人事の刷新もあってもかまわない。私としては、祖母井氏を三顧の礼を持って迎えるのが最善の策であるように思うのだが。
それではまた。
12:47 AM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
August 03, 2007アジアカップに何を見るか
韓国代表と120分間戦って引き分け。PK戦で日本は4位となり、日本代表にとってのアジアカップは終わった。酷暑、ハードスケジュールの中、戦い抜いた選手たち、支えたスタッフ、監督、本当にお疲れさまでした。また、戦火の中から雄雄しく復興し、素晴らしいサッカーを見せ、優勝したイラク代表の皆さん、本当におめでとうございます。
アジアカップが1年前倒しになり、かつ直前までJリーグがあり、準備のための親善試合がゼロという条件の中、日本サッカー協会は今大会のオシム監督に「ノルマ」は設けない、というきわめて当たり前の判断をしている。私も私的「ノルマ」はなし、「できれば」ベスト4まで行って欲しい、と思っていたので、ちょうどそれは達成されたことになる。特にベスト4まで到達したことで、3位決定戦まで含めて6試合を戦えたわけで、それもオーストラリア、サウジ、韓国という強国と次々と当たれたのは、強化の「実」という意味では非常によかったと思う。
また、大会を通して、日本のポゼッションは高く、決勝トーナメントに入ってからも(11人対11人の時でも)けして内容は悪いものではなかった。それは選手も、オシム監督も言うとおりである。もちろん、今回の大会を最終目標とするならば「内容は良かった」などと言っている場合ではない。しかし、協会もオシム監督も「あくまで強化の一過程」と捉えていたことは、各所で報道されていたことだ。南アフリカワールドカップまでの4年を1サイクルと考えての強化の「過程」としてならば、アジアカップの結果も無視はしないが、まずは内容を見るべき、ということになるのは自明だろう。
きわめて厳しい準備状況
大会前にも書いたように、日本は直前の6月30日までJリーグがあり、現地入りが5日前、準備のための親善試合が一つもない状態で大会を戦った。これはおそらくは参加国中随一の準備期間のなさであり(もちろん過去の日本代表の、アジアカップに臨む準備と比べても圧倒的に不利だ)、それが日本の大会全体に色濃く影を落とした。
現地入り5日前というのでは、Jリーグの疲れを取るのに精一杯だろう。連携の確認も難しく、大会全体を見据えたコンディショニングもできないくらいのもの。そういう状態で迎えた初戦カタール戦は動きが重く、引き分けに終わる。ここでの引き分けがまた、大会を戦い抜くマネジメント上、日本を苦しくした。第3戦のベトナム戦にもメンバーを落としてターンオーバーさせることができず(勝負の決まった後半には主力を休ませたが)、選手に疲労が蓄積してしまうことになる。
そうして迎えたオーストラリア戦、日本は1年前の屈辱を晴らそうと、死力を尽くして戦い、120分の死闘の末、PKで勝ち上がった。この試合まで、日本がすべての試合で走り負けていないことは、実はちょっと凄いことである。コンディショニングのための期間がなかった上に、いわゆる省エネサッカーでもない日本。しかし例えば、現地の気候に慣れていて準備万端のベトナムでさえ、日本より先にスタミナ切れを起こしていた。この大会での日本は、ボールを走らせ、相手を走らせるサッカーをしていたわけだが、それはある程度奏功していたといえるだろう。
しかし、それもオーストラリア戦までだった。サウジ戦では、序盤は問題なかったものの、終盤得点しなければならない状況で、全員が走れていたわけではなかったのは残念だった。ただ、この準備期間、開催地中もっとも苛酷な環境(ハノイ)での4試合ということを考えれば、致し方ないことではあると思う。これを受けて韓国戦では、選手の入れ替えも示唆されたが、結局「同じチャンスは2度来ない」を越えて、メンバーは大幅には変えずに韓国戦を戦った。
オシム: レギュラーがもう一度、チャンスを与えられるようにした。私が選んだメンバーが、よかったのか悪かったのか、もう一度見たいという考えが方針としてあった。
これによって、韓国戦では非常にパスミスも多く、体も重そうで、勝ちきれなかった一つの原因であるだろう。ただ、メンバーを変えないという判断に影響を与えただろう事実として、前日の移動に関してトラブルがあり、現地に着いたのが試合前日の夜、公式練習も満足にできない状況だったことがある。選手を入れ替えた場合の連携の確認なども練習でできないまま、試合を迎えてしまったことも、このメンバーをピッチに送り込んだ理由の一つだろう。
しかし、これまで蓄積した選手の疲労を考えても、韓国戦にはフレッシュな選手の起用をしたほうが、勝つ可能性は高かったのではないかとも思える。この辺は「3位を勝ち取るマネジメント」としては疑問が残るところだ。対して、オシム監督の言葉を信じるならば、彼はその先を見ていたということになる。それがアジアカップの3位以上に意味があったのか否かは、これからの強化の進展によって計られることになるだろう。
オーストラリア戦を越えて
前項では日本の準備状況について書いたが、サウジはどうだろうか。親善試合は
6月15日 vsコソボ
6月16日 vsNKザグレブ クロアチア
6月24日 vs UAE
6月27日 vsシンガポール
7月1日 vsオマーン
と5試合を戦っている。これを見れば、サウジは「しばらく獲っていないアジアカップというタイトルを本気で獲りに来た」と考えてよいだろう。それに対し、日本はオーストラリアという「ドイツW杯での屈辱の解消」の方に目が行き、それを乗り越えたところでほっとしてしまっていたのは、残念だがどうしても否めないところではないだろうか?それほどオーストラリアは日本にとって「大きな相手」だったのだ。
敵として強大である、だけではないのは言うまでもないだろう。1年前のあの忌まわしい出来事を、体験した選手も、そうでない選手も、どうしても脳裏によみがえらせてしまったに違いない。オーストラリア戦では、どの選手も、非常に気持ちの入った表情をし、悪夢を振り払おうと必死に走り、戦っていた。そういう120分を経ての、試合後のあの歓喜。こう言ってはなんだが、選手の気持ちはあそこで切れてもおかしくなかった。
また、サウジアラビアに対しては、近年負けていないとか、昨年の最後の対決で勝ったとか、日本全体に敵に対する「予断」があったことも確かだろう。しかし言うまでもなく、サウジはアジア5強の一角でもあり、個人レベルでも日本と互角かそれ以上の国でもある。それが大会を獲るために、(少なくとも日本以上の)準備を整えてきているのだから、侮れる相手であるはずがない。しかし、日本全体に「オーストラリアに比べれば」という気持ちがどこかに、ほんのちょっとはなかったか。
前回のエントリーを自分で否定することになるが(笑)、サウジ戦や韓国戦でショックを受けた人がいるとするならば、それはやはり情報不足によるものだろう。そもそも日本と同等(か、それ以上)の国が、日本以上の直前準備をして臨んできた戦いなのだ。必ず勝てる、という方がどうかしている。大会前の「三連覇狂躁曲」自体、何とか視聴率を取りたいとメディアが煽っていただけに過ぎず、冷静に考えれば、強化の過程で合宿も少ない日本は、ノルマなしで臨んで正しい大会だったのだ。
ただ、サウジ戦などでは、試合を見ても、選手たちの「気持ち」が抜けているとは私には思えなかった。選手たちの表情、サウジ戦の中澤の得点後の「喜ばなさ」、鬼気迫る上がり、ランニング・・・。ただ、一瞬、集中できていないところ、ふっと息をついてしまうようなところががあった。それは、試合全体でボールを支配し、攻め続けているところに生じる、一種の「ボール持ち疲れ」のようなものだっただろうか。サウジ側にも、韓国にも、それはなかった。サウジは最後まで「最強の敵」と戦うのだというような、切羽詰った表情をしていたし、韓国は一人減ってむしろ気合が入ってしまっていた。
日本にとってはオージーが最強の敵だったのだが、サウジにとっては日本がそうだったのかもしれない。その差はやはりあったと、自分には思える。しかし、この大会で「オーストラリアの呪縛」は解けたはずだ。日本はこれからようやく自然体でアジアに臨める。来年からのドイツワールドカップアジア予選に向けて、これは一つポジティブな要素だと言えるのではないだろうか。
中村俊輔の覚醒を促す大会
SoccerCastの方でも話したのだが、オシム監督にとってアジアカップは、「中村俊輔の覚醒を促す大会」だったのではないか、と思う。言うまでもなく中村俊輔は、個の能力では日本有数の選手だろう。FKはもとより、技術、アイデア面でも、諸条件がそろえば、日本代表の中心になってしかるべき人材だ。しかし、オシム監督が常々語るようにややクセのある選手でもある。有効に機能させればこの上ない武器となるが、それにはいくらか工夫と慣れが必要になってくる。
オシム日本においての中村(俊)は、普段の彼とは違うことにトライしていた。会見で彼はこう語っている。
中村(俊): ポジションも違うし、走る質が変わってきている。基本的に距離は変わっていないと思うが、タイミングとか、自分がもらうだけではなく(スペースを)空ける動きとかを増やそうとしている。距離の問題ではなく走る質。(パスを)出す側からもらう側の意識を持つようにしている。
今は自分に一番足りない、ランニングすることとかを、勉強ではないけど、やっている最中。それをやりつつ大会も勝っていく。そんな感じです。
もちろん、「守備の意識やボールのないところでの動きは、セルティックでも考えていた」というコメントもついているのだが、それにしても大分変わってきているのは確かだろう。あの年齢になって、自分のプレースタイルも確立し、それで結果も出している選手が、このように発言し、実際にそれをピッチで実践しようとしているのは、ちょっと凄いことだと思う。わたしはそれを歓迎したい。
ジーコ監督も退任後の雑誌のインタビューで「中村(俊)には前に出るように再三言ったのだが出なかった」という趣旨のことを語っており、やはり中村(俊)選手の技巧、アイデアはペナルティエリア付近で発揮するべきだと考えていたようだ。そのための一つの方策として、受け手としてのフリーランニングを増やしていくのは理にかなっている。本人もオシム監督の元、意識してそれに取り組み、このアジアカップを通しては、大分それができるようになったと言っていいだろう。
オシム監督にとっては「中村俊輔の覚醒を促す大会」だったと考えると、この大会でのいくつかの方針に納得がいく。例えば、私はなぜ遠藤と中村(俊)を並べるのだろうと疑問に思っていた。これまでのオシムサッカーを考えても、どちらかはもっと分かりやすく「走る」タイプの方がいいのではないかと思ったからだ。しかし、オシム監督の考える「中村(俊)を起用するならば必要になる5人の選手」のことを思い起こすと、「中村(俊)というスペシャリストを生かすための、遠藤というゼネラリスト」がどうしても必要なのだ(とオシムが考えているだろう)ということがわかってくる。
1) サイドを駆け上がるスペシャリスト 2) クロスにあわせるセンターフォワード 3) 逆サイドでサイドチェンジのボールを受けるフォワード 4) 中村の背後をカバーするフィジカルの強い選手(鈴木や阿部) 5) サッカーゲームをよく知っている選手(遠藤や憲剛) |
カタール戦と韓国戦では4-2-3-1で戦ったわけだが、スタートポジションとしてはオシム監督は、中村(俊)を「3」の右サイドとしているように思う。「3」の真ん中で司令塔としてタクトを振れ、ということではなく、あくまでも「受け手」として、サイドでボールを引き出し、そこから技巧を発揮するように、という意図なのだろう。実際中村(俊)が走ってロングボールを引き出しているシーン、ボールを持つ加地の外をオーバーラップしていくシーンなどもあり、その意図はかなりピッチ上に現れていた。
これは個人的な意見なのだが、「代表選手は、所属クラブでのプレーを代表でもそのままやればよい」とは私は考えていない。Jリーグ勢でいえば、戦う相手がJのクラブではなくなっているわけだし、自分のチームにいるブラジル人FWも、代表にはいない。中村俊輔で言えば、セルティックのような「スコットランドリーグでナンバーワンの選手層を誇る」チームと同じプレーでは、世界的に見てナンバーワンの選手層を持っていない日本代表では、問題が生じるだろう。日本代表には日本にあったスタイルを、協会、監督の方針に基づいて導入すべきだし、代表選手もそれに合わせ、所属クラブでのプレーとは違ったものを発揮していかなくてはならない。そう考えると、この中村(俊)選手への要求、それに応えようという中村(俊)選手、ともに私には歓迎すべきことだと思えるのだ。
また、選手交代の画一性もこの大会では言われたが、それもこの考えに当てはめると理解ができてくる。いわゆるドリブラー、特に水野は「中村(俊)に代えて」でないと使われないのではないか。巷間よく「なぜドリブラーを使わない?」という意見があるのだが、オシムに言わせれば「中村(俊)がいるではないか」ということになるのではないだろうか?水野や太田は、オシムの中では「エキストラキッカーの代替選手」なのであって、リズムチェンジ要員ではないのかもしれない。ただ、だからオシムは正しい、ということではなく、理解ができてくる、ということに過ぎないが。
この方針に関しては、暑さの中の対アジアの戦いでは一定の成果が出たが、この先は分からない、というところだろうか。もちろん言うまでもなく、中村(俊)選手も常に招集できるわけではなく、コンディションも変動するだろう。3年後まで彼がずっとトップフォームであるという保障も、残念ながら、ない。また、これからチームを作って備えるべき相手は、アジアばかりではない。そう考えると、このやり方はオシム日本の「バージョンB」であって、次に何を採択するかはまた諸条件で変化していくのだろう。そしてこの大会の成否は、それらの過程を経た後、振り返ってみた時に始めて明らかになるものなのかもしれない、と思う。
中村(俊): 今の代表に必要な動きはしている。自分の出来うんぬんというよりは、一つの部品として…。
あの時(2004年アジアカップ)は個人の力で打開した。オレが出してタマ(玉田)が一人でドリブルとか。
でも、ああいうの(個の力)だけでは強いチーム相手に戦えない。逆に今はボールと人を動かす作業(連動性)を先にやっている分、前の時よりは先が見えやすい感じがする。
今回はここまで。守備や攻撃の詳細については、次回に触れたい。
それではまた。
02:22 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|
July 22, 2007オシムへの反論
私はオシム監督のことを現時点では支持しているし、その方針や手腕にも信頼を置いている。また、きわめて聡明な人物であるとも思っている。しかし、そういうオシム監督でも間違えることはある。100%常に正しい人というのは存在しない。私がオシム監督に絶対に賛成できない点について、今回は一つ反論しておきたいと思う。
具体的には、オシムの次の談話に関してである。
Q:昨年のワールドカップでのオーストラリア戦は衝撃的な負け方だったが、そのショックが今回の試合にどう影響するのか?
(オシム監督)「1年もの長い間、ショックが続いているということの方がショックですね。そういうショックを乗り越えて生き残ってください。
その時のショックは、ショックとして感じた方がご自分自身に責任があると思った方がいい。対戦相手の情報をきちんと入手していなかったということだから。昨年も今日も情報の種類は変わりない。どんな選手がどんなクラブでプレーしているかを知っていれば、昨年のワールドカップでも簡単な相手でないと分かったはず。昨年のワールドカップでもショックを受ける必要はなかったのです」
私はこの言葉に対して強い違和感を持つ。オシムがはっきりと「間違っている」数少ないポイントだと思う。というのは、この言葉は、日本人が「敗戦という結果」にショックを受けた、としてしか理解していないものだからだ。この点で、オシム監督は大きな誤解をしている。まったく誤った理解であると思う。
同じ負けるにしても、「負け方」というものがある。8分間で3点を失ったという事実だけではない。また、ボールを支配され、攻撃され続けた(シュート数6:20)という試合内容の問題だけでもない。それでもなお、日本チームのサッカーから伝わってくる「何か」があれば、日本人はあれほど失望はしなかったのだ。その点で、日本チームの戦いぶりが、その中に潜む「何か」が、日本全体をあれほど打ちのめしたのだ。
オシムはそこを理解していない。仕方がないかもしれない。オシムは日本人ではないのだから。日本にしばらく住んでいたとは言っても、ドーハでのあの中山雅史のスライディングゴールは見ていないのだ。フランスW杯で足を骨折しながらも走り続け、ゴールを上げた男のことは知らないのだ。2002年大会での、誰もが絶望に包まれそうになった瞬間の、鈴木隆行の伸ばしたつま先を見ていないのだ。それらを共有していないオシムが、私たちがドイツW杯で感じた絶望を理解できないのは、当然のことなのかもしれない。
オシムが言うように、欧州の有名クラブで活躍する選手を多く擁するオーストラリアは、個人の能力では「格上」と見てよい存在だろう。メディアの狂躁的な煽り立てに乗らないサッカーファン、サポーターはそれを理解し、W杯での最大の山場は初戦にあると考えていた。そういう意味では、敗北はある程度「織り込み済み」だったファンも多いだろう。私個人的には、ヒディンク監督が指揮する肉弾戦には、日本の相性は悪いと思っていた(逆に、勝てるならクロアチア戦だとも思っていたのだが)。しかし、もう一度言うが、私たちを打ちのめしたのは「敗北」という「結果」でもなく、試合の「内容」でもなく、さらにその外にあるものなのだ。
某有名少年コミック誌のテーマは、「友情、努力、勝利」だという。少年向けらしいものではあるが、しかしそこには人生の心理の一片が含まれているようにも思う。少なくとも、私たちがスポーツを見て、そして求めるものがそこには表されているとはいえないだろうか?また、個人能力が(現時点では)劣る日本が、世界に伍して戦っていくために必要なものが、そこには表れていると言えないだろうか?「勝利」は水物だ。結果が常についてくるとは限らない。しかし、絶対に忘れてはならないものは、「友情」と「努力」ではないのだろうか?
オーストラリアは個人の能力では「格上」だろう。では日本がしなければならないことは何か。それはチーム全体が一つになって、そして少なくとも相手よりもずっとずっとハードワークをすることではないのか。自分を信じて、チームメートを信じて、勝利を信じて、最後の瞬間まで顔を上げて走り続けることではないのか。格上の相手がこちらをみっちり研究し、しっかりとプレスをかけて来たのだから、日本のよいところ、パスワークを見せられないのは仕方がない。内容の良い悪いは、横においておける。しかし。
しかし。
誇り
ジーコも自分の著書で明らかにしているように、この時の日本チームは一つになっていなかった。それはTVの画面からでも、あるいはスタジアムで生で観戦していても、伝わって来てしまうものなのだ。そして自国の国際審判にも「32カ国で一番戦っていなかった」と言われてしまう、その姿勢。個人能力で劣るチームが、ひとつにもならず、相手よりも走り回っていないのでは、勝てる道理がないではないか?
そして、オーストラリア戦の失点後、さらにチームはバラバラになってしまった。完全に崩壊していた。ボールを奪っても、全力で走り出す選手が見当たらなかった。最後まであきらめずに体を投げ出す選手が見当たらなかった。顔を上げて、戦う覇気を見せる選手がいなかった。この時のうつろな選手の顔、顔、顔。私たちを心底打ちのめしたのは、それなのだ。結果でもない、内容でもない、あの時選手たちの心が折れたのが聞こえたのだ。ただの敗北ではない、あの時日本サッカーは本当に「負けた」のだ。
これはオシムには分からないことだろう。だから冒頭のような発言をしてしまうのだろう。いや?もしかするとオシムにも分かっているのかもしれない。だからこそ、わざと問題を勝敗の結果だけに単純化し、「強い相手に負けただけじゃないか」と言っているのかもしれない。心に傷を負った人間には、何を言っても無駄だ。その傷に理解を示しても、それが癒されるわけではない。他者は客観的なことを指摘できるだけ。後は自ら立ち直るのを持つしかない。オシムはそうしていたのかもしれない。いや、さすがにそれはうがちすぎか(笑)。
この1年、オシム日本が粛々と強化を進めているのを好ましく見つつ、どうも日本代表のサポーターが性急になってきているのを私は感じていた。チーム立ち上げ1年にしかならないオシムに、いきなりアジアカップ優勝を「ノルマ」としようとする。一体これはどういうことかと思いながら、しかし私にも内心それは理解できなくはなかったのだ。日本のサポーターも心が折れてしまったのだ。あのドイツの代表は、胸を張ってサポートできない、誇りをもてない、そういう代表に見えてしまったからだ。心にぽっかり穴が空いてしまった。それを埋める何かを、とても切実に求めてしまうのだ。
心に傷を持った人間が、「荒れて」しまうこと。それまでとは人が変わったようになってしまうことは、残念だがしばしば見られることだ。私たちはこの1年、ずっとそれを抱えてきた。2006年以前と同じ気持ちでサポートできた人はどれだけいるのだろうか?何かわざと白けてしまったり、心理的に距離を置いたり、忘れようと努力してみたり、やけに人に突っかかってみたり。しかしそれはむしろ正常なことだと思う。「あの」後では。あの後の1年間がそうであるのは、あたりまえのことだろう。
私はこのアジアカップで、オーストラリアと対戦できたことを、本当に本当に感謝している。
私事になるが、私は昨日の試合を、1年ぶりに日本代表のユニフォームを着て観戦した。1年前と日本チームは同じだろうか?変わっていただろうか?一つになれていただろうか?相手よりも走っていただろうか?
「誇り」を持てる、私たちの、代表だっただろうか?
あの大きな円陣を見たとき、中澤が手を叩いて叫んでいる姿を見たとき、高原の得点後のほえる姿を見たとき、最後のPKの後の中澤を見たとき、私は少しだけ涙が出た。私は彼らにひとこと言いたいと思う。
「おかえりなさい」
それではまた。
04:18 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(7)|
July 20, 2007脱ぎ捨てる
オシム日本は開催国ベトナムに勝利し、GL(グループリーグ)1位突破を決めた。酷暑、ものすごい湿度の中、戦い抜いた選手たち、支えたスタッフ、監督、御疲れさまでした。ただもう試合から時間もたち、オーストラリア戦も迫っているということで、今回のエントリーは「オーストラリア戦へ向けて」という視点もあわせて書いてみたい。
序盤~失点シーン
日本 | ベトナム | |
ボール支配率 | 68.5% | 31.5% |
シュート数 | 13 | 4 |
ベトナム戦は、それまでにも増して高い気温の中でのキックオフとなった。また、ホームベトナムの後押しをするべく、ベトナムサポーターの大観衆が詰め掛けており、その大声援によって、ピッチ上の選手間の指示の声も通らないほどだった。そして高温多湿に慣れたベトナム選手が、立ち上がりから飛ばして来て、非常にアグレッシブにピッチ上を走り回る。日本にとって厳しい条件がそろっていたと言えるだろう。
このような状態では、選手も平常心で試合に入ることは難しい。従って、加地が言うように、しばらくはロングボール主体にしても、リスクを負わないサッカーを行っておくことも一つの正しい選択肢となる。
加地: 最初は高さのない相手に対して放り込んで、間延びさせるのがゲームプランだった。(中略)相手がへばってきたら、パスを回して戦おうという約束事があった。
にもかかわらず、高原が開始早々の4分に敵陣の密集に下がってボールを受けて振り向こうとしてミス、そこからカウンターを食らっている。敵のカウンターが失敗したからいい、最終的に勝ったからいい、ですましていては、オーストラリア戦に勝つことはできないだろう。しかも高原はこのチームでは堂々の柱、年長でもあり、最も「世界の厳しさ」を知っていなければならない選手だ。はっきり言ってリーダーの一人たるべき選手だろう。それがあのようなミスをしていてどうするのだ!
失点はCKから。おそらくは中澤がブラインドになってボールの軌道が見えなかった鈴木啓太が、オウンゴールしてしまった。オウンゴール自体は運の要素もあるだろう。が、このCKは、攻め込まれて中澤がクリアしたボールが敵選手に入りそうになったところを俊輔がカット、そのこぼれが巻の方へ転がり、俊輔と巻が「お見合い」のようになってベトナム選手に拾われて、そこから与えてしまったもの。推測だが、この「お見合い」は、ベトナムサポーターの大歓声に、お互いの声が聞こえなかったために起こったのではないだろうか。
ただ、そのような状況に慣れている、また味方が浮き足立ちかねない序盤であることも理解している「べき」なのはやはりこの場合、経験豊富な中村俊輔の方であろう。このシーンは半分は無理もないとは思うのだが、オーストラリアに備えるためにあえて言えば、中村が泥臭くてもこぼしたボールを追い、大きくクリヤーなどしていれば、このCK、失点はなかったのではないか。ベトナムだからこのあと取り返せた。オーストラリアだったらどうなっていたか。
吼えろ俊輔、叫べ遠藤、怒れ中澤!
そして失点の後も、怒る選手、あるいは手を叩いて鼓舞する選手が、TVに映っていないだけかもしれないが、見当たらなかった。さらには、18分、19分、とミスも続いている。オーストラリアだったらそれらを確実に決めてくるぞ!西部謙司氏が言うように、こういうミスをなくすためには、ピッチ上に「怒る」選手がいる必要もある。98年W杯で優勝したブラジル代表でも、ドゥンガに周りの選手が「怒ってくれ」と頼んだほどだ。しかし今の代表には見当たらない。
オーストラリア戦に向けて、私はここで選手たちに要求をしたい。吼えろ俊輔!叫べ遠藤!怒れ中澤!君たちは今、もうチームを引っ張っていくべき選手たちのはずだ。自分はそういうキャラクターじゃない?そんなことを言っている場合じゃないだろう!あのカイザースラウテルンの惨めさをもう一度味わいたいのか?今のままで、オーストラリアに勝てると思っているのか?誰かがやらなくてはならない。「誰か」じゃない、君がやるんだよ!
オシム監督にも本当は望むことがある。キャプテンマークを、上記3人か、鈴木啓太か、阿部に託して欲しいのだ。川口をキャプテンにするのは、本来は問題ない。しかし、今回はフィールドプレーヤーにそれを託した方がいいと思えるのだ。というのは、川口はキャプテンマークがなくても怒るときは怒るが、上記3人はそうではない。また啓太や、阿部は年長組に対しての遠慮もあろう。キャプテンマークなんてただの布切れだ?普段はそうなのだ。しかし、この試合は違う。彼ら5人の誰かに渡せば、変わるのだ。たった一枚の布切れが人を変える事もある。私はぜひ、彼ら5人のうち誰かに、そう、「がらじゃない」と一番言いそうな中村俊輔にこそ、あの腕章を渡して欲しいと思うのだ。オシム、頼む!
「使い、使われる」俊輔
先制されたあと、日本は当初のプランどおり、中盤を飛ばしてロングボールを前線に入れるようになる。失点直後、啓太がボールを持つと、憲剛と加地が左斜め前方を指差している。啓太はその通り、(日本から見て)ペナルティエリアの左カドのあたりへボールを入れる。そこには巻と遠藤が走りこんでいる。この同じプレーを、日本は9分、10分、11分と繰り返している。このあたりは、失点してさらに浮き足立ってしまいかねない日本の取る策としては論理的であったろう。
そして、中村(俊)がはじめてその左斜めへのロングボールの「受け手」に入ったのが11分、そこからあの鮮やかな切り返し、クロスによって、巻の胸ゴールを導き出す。前回も書いたが、中村(俊)が「組み立て」ではなく、受け手として「使われて、最後を決める」役割を相当意識するようになったことを、私は歓迎したい。この試合でも、その意識がかなり高まっていると言えると思う。
もちろん、いったん下がってボランチレベルでボールに触りたがる癖は残っているのだが、それでも13分、20分、34分と、UAE戦と比べてもさらに、「受け手」としてのプレー、第3の動きが増加している。まあ私の持論に固執するわけではないが(笑)、特定の中心、ゲームメーカーを決めないオシムの「多中心サッカー」に、中村(俊)もかなりなじんできたと言ってもいいだろうか?ジーコもドイツ大会後、雑誌のインタビューで「中村(俊)になるべく前に出るように言っていた、が、なかなか出ようとしなかった」という趣旨の述懐をしていたが、この大会では、ついにそれが可能になりつつあるように見える。
今のチームには、遠藤、憲剛とゲームを組み立てられる選手はいる。中村(俊)は、もちろんある程度はビルドアップに参加してもいいが、なるべく前方で、ペナルティエリア付近でその技巧を発揮して欲しいものだと思う。使い、使われる、その両者を中村(俊)がこなすことで、オーストラリアにしても(あるいはこれからの対戦者にしても)、狙いが絞れなくなり、そして結果、中村(俊)がフリーで技巧を発揮できるシーンも増えるはずだ。私はオシムの方針と、それを消化しつつある今の中村(俊)の姿を歓迎したいと思う。
カウンター対策~前から「掴む」サッカー
同点弾後、興味深いことにこのロングボールは頻度を減らしていく。そして落ち着きを取り戻した日本は、パスをつないで攻め始める。ただし、まだ時間はたっぷりあるし、無理をする必要はない。ボールを走らせ、ベトナム選手の疲労を待とうという作戦を取るべきだ。日本チームは基本的にはそうしていた。これはまったく論理的な試合運びだったと言えるだろう。
ただこの時間帯、いただけないのは、かなり敵のカウンターにさらされる機会があったことだ。ベトナムが引いてカウンターを狙っていることは分かっているのに、敵陣のカウンターの起点になりそうなところで無理をする。そして、ボールを失ってしまい、さらにはカウンターの芽を摘むことができなく、長い距離をドリブルで持ち上がられ、そこからパスで崩されそうになる。
このカウンター対策の問題は、以前にもオシム日本の守備時の問題点の一つとして指摘した。ただ、当時は中盤でも厳密なマンマークが課せられていたからか、この試合の前半よりは、前線の選手にも敵を「掴む」意識が強かった。キリンカップのあたりからオシム日本は守備時のゾーン志向の度合いを増していったのだが、それとともに前線での守備も、一部の選手を除き、パスコースを切ったり、待ち受けて守ったりということが増えてきた。それがこの試合の前半に出たというところだろうか。
最終ラインに人数がそろっていると、前線や中盤の選手は自分の目の前にボールホルダーがいても、あまり激しくチェックしなくなってしまう。もちろんそれはサボっているのではなくて、そこで抜かれるよりもディレイを仕掛けた方が有効だ、という判断から来ているものだ。しかしそれは同時に、きちんとディレイできないと、敵のカウンターをスピードに乗せてしまう危険も伴っているのだ。「飛び込まない、距離を置いて守る」前線の守備が、この試合でのベトナムのカウンターを鋭く見せていたことも確かだろう。
ただしこれは、ベトナム戦の後半になってやや改善されていた。ハーフタイムのオシム監督の「前線からからもっとしっかり守備を」という指示もあり、またおそらくは選手同士の話し合いもあったのだろう。前線や中盤の選手たちが守備時に、よりしっかりと体を寄せる、厳しく体を張ってチェックするようになっていった。そう、自分より後ろに人数がそろっているからこそ、そこで厳しく行って抜かれても、敵の体制を崩してしまえば、後方の選手が有利になる、楽に守備ができるようになるのだ。
もちろん、後半はベトナム選手の運動量が落ちた影響も大きい。ただ、この守り方の変化が、後半急に増えた日本DFが前に出てのインターセプトにつながっているのだと思う。前線の守備が厳しくなれば、敵は苦し紛れにボールを離さなくてはならなくなる。パスの精度が落ちる。それを阿部や中澤が前に出てカットし、そこからスピードに乗って逆にカウンターを仕掛けた。中澤のそれの迫力に、私は感嘆したものだ(笑)。
オーストラリア戦も、基本的には日本の方のボール保持が長くなるのではないか、と個人的には予想している。必然的に、オーストラリアのカウンターも増えるだろう。この試合の後半に見せたよりも、もっと激しく、もっと強く、深く腰を入れて、前線の選手が敵を「掴んで」いって欲しい。それは暑い中苦しいだろうが、そうしたほうが試合全体で見ればよりラクになるはずだと私は思う。2000年大会の名波は、今の誰よりも激しく、厳しく、前線でチャージをしていたぞ!
昨日とは違う明日へ
さて試合は、美しいパス回しから中村(俊)が右足で、そして遠藤のFKから巻がヘッドで追加点を上げ、後半14分にはほぼ終わってしまったと言っていいだろう。この後日本は、羽生、水野、寿人を入れて、試合を「殺し」にかかる。本来なら2試合目までにGL突破を決めて主力選手を休めさせることができたらよかったのだが、初戦の引き分けでそれはかなわなくなった。しかし、早々に試合を決めた結果、後半には中村(俊)、高原、遠藤を休ませることができた。これは今後に向けてポジティブだと思う。また、頼れる選手がいなくなってからのシミュレーションにも(少しは)なったかもしれない。
ただ私は、中村(俊)が交替を告げられる時に「ええ~、もう下げちゃうの?」と嘆きの声を上げていたことを告白しておかなくてはならない。というのは、私にはこの試合で中村(俊)が、さらにまたもう一皮向けそうな気配を漂わせていたような気がしていたのだ。表情や、プレーに、「言葉や態度でもこのチームを引っ張る」という意思が見え始めていたように思ったからだ。オーストラリアに勝とうと思ったら、クールに淡々と、サッカー的に正しいことをしているだけではダメだ。血の熱さが必要だ。それを表に出すことが必要だ。この試合では、中村(俊)の中のそれが、少しだけ見え始めたように思う。
あとはそれを表に出すだけだ。思えば2000年アジアカップも、それまではクールな技巧派と思われていた名波が、完全にチームリーダーとして覚醒した大会だった。この大会もそうなることを祈ろう。もう一度言う、吼えろ俊輔、叫べ遠藤、怒れ中澤!チームはあとちょっとで、さらに一皮向ける。ただ、この一歩が本当に踏み出すのが大変な一歩なのだ。ただこれさえ踏み出せれば、日本はもっと、凄く先にいける。オーストラリアとの対戦は、そのまたとないチャンスではないか。
「波高かれ」と私は書いた。最高の波が来た。これを乗り越えなければ、先には進めないのだ。今とは違う明日へ行こうではないか。日本はまだまだチャレンジャーだろう?日本はまだまだ成長できるんだろう?日本はまだまだ強くなれるんだろう?明日はそれを証明する日だ。そのためにこそ、選手たちよ、殻を破れ!
それではまた。
03:56 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|
July 16, 2007軌道に乗った「ベース+アルファ」
UAE戦は、コロンビア戦でも見え始めていた「ベース+アルファ」のチーム作りが、軌道に乗りはじめ、一つの形を見せた試合だったと思う。
オシムサッカーの「ベース」は、攻撃に関しては以下のようなものだと思われる。
・すばやい守→攻の切り替え ・数多いフリーランニング・追い越し ・数的有利を作ってのサイドアタック ・DFラインからの攻撃参加 |
これらについては、昨年のホームでのサウジ戦において、国内組だけの中でならほぼ理解ができつつある状態だった。私は「難解」といわれるビブス練習を鑑みても、もっと時間がかかると思っていたので、代表レベルの選手の習得力にそのときやや驚いたものだった。
今年になって、ペルー戦、モンテネグロ戦、コロンビア戦と、いわゆる海外組が、特に中村俊輔、高原の両名が起用され、チームに組み込まれ始めた。オシム監督はこの数試合で、「ベース」の上に海外組の高い「個」の能力を融合する、「ベース+アルファ」こそがこれからのオシム日本の路線となるということを、はっきりと示し始めたのだと私は思う。
ペルー戦はまだ顔合わせ程度だったが、SoccerCastでも語ったように、コロンビア戦では中村俊輔選手も「数的有利を作ってのサイドアタック」に参加しようと、ボールを持った加地選手の外をオーバーラップしていた。それがデコイラン(おとりの動き)となってもかまわない。そういう動きを、俊輔であっても、遠藤であっても精力的にやっていかなくてはならない。海外組も次第にオシムサッカーに習熟していく。そしてその中で高い「個」の能力を発揮していく、そういう道筋が見えたのが、このUAE戦だった。
「帰って来た」遠藤
開始序盤は、初戦で敗北し、勝たなくては後がないUAEが飛ばして来た。フランス人メツ監督のチームらしく、4バックを高く押上げ、サイドからの攻撃を分厚くしようとする。1分、8分と、密集してプレスしようというところを抜け出され、クロスやあわやシュートまで持っていかれている。しかし日本もうまく対応し、その後は中盤ではきちんとプレスできるようになっていく。12分には巻と啓太が左右からはさみ、パスコースがなくなったところで後ろから阿部が抑え、3人で囲い込んで奪った。こういうシーンがこの試合ではずいぶんと増えた。この辺も進化の跡が見えると思う。
日本はペースを落ち着けると、ボールをまわしながら攻勢に出る。ここで目立ったのが、相手の高いラインの裏を取ろうという遠藤の動き出しだった。カタール戦でのフィニッシュ意欲への批判が聞こえたのか(笑)、この試合ではずいぶんとそれを増やしていた。序盤だけでも6分には遠藤がドリブルでペナルティエリア内へ、10分には俊輔からラインの裏へ走る遠藤へ、15分には加地からのクロスにペナルティエリア内に遠藤も入り込んでいる。16分には遠藤のシュート。カタール戦の遠藤はもういない。「数多いフリーランニング・追い越し」・・・遠藤がオシムの「ベース」に帰ってきた。
また、高原のパートナーに巻が入ったのも試合をスムースにしていた。高原はいったん下がってボールにさわり、そこから戻りながらプレーすることを好むのだが、その際も巻が前方で張り、裏を狙い続けていることで、UAEのDFラインは押し上げられない。それによって敵陣にスペースができ、パスがよく回ったという効果もあった。高原としても1トップでポストも担わなくてはならない場合よりも、負担が軽減されたのではないか。この辺はホームサウジ戦での巻-我那覇という2トップでの役割分担と同じ形だ。
「水を運ぶ人」と・・・?
しかし、カタール戦から疑問なのだが、なぜオシム監督はセットプレーを素直に蹴らせないのだろうか?非常に多くのショートコーナーや「スリープ」を使って、普通に上げてヘッドで競らせるということをあまりしない。高原、中澤、阿部、巻というヘッダーがそろっているのに、解せないことだ。
と思っていたら、そのショートコーナーから俊輔がクロス、中央で高原が素晴らしいヘッドで決める。試合後に俊輔も語ったように「練習どおり」の形ではあるのだろうが、このかたちを多用するわけはなんだろうか。一つ想像できるのは、ワンクッションを入れることで、クロスに対してボールウォッチャーになりがちな中東の選手たちの目を引きつけ、中央でのマークをルーズにしようという意図なのかもしれない。だとしたら、このシーンは確かに奏功したと言えるだろう。
「ところでこの試合、俊輔は右サイドをスタートポジションとしているが、次第に中へ入っていくことが多かった。これに対し、憲剛と遠藤が右を意識し、加地を生かすパスを出していた。ここ数試合、加地があまり輝かないと見ていた人も多いかもしれないが、UAE戦では中盤の選手もそれを消化し、加地が再び輝きだしたと思う。追加点はその憲剛の加地へのパス、「ベース」通りの「数的有利を作ってのサイドアタック」で、加地の横を啓太がすごい勢いでフリーラン、加地につめようとしていたUAE選手がそれに釣られ、加地はフリーでクロスをあげることができ、中央で高原が見事なトラップから反転、シュート、ゴール!
「ベース」+「アルファ」とはこういうことだろう。オシム監督は「エキストラキッカーは一人か二人」といつも言っているが、逆に言えば、オシム監督のサッカーでも一人か二人は、そういう選手を起用できる/すべきだということでもある。トルシェ監督が言っていた「7人の明神と3人のクレイジー」という言葉とも妙に(笑)符合する。コンセプトに基づいて、しっかりと動き、お膳立てをする選手と、そして最後に仕上げのスパイスを一振りする選手。この組み合わせがかなりうまくいき、生まれたのがこの得点だと思う。
Number誌682号では、オシム監督の友人ゼムノビッチ氏(元清水エスパルス監督)が、オシムサッカーについて語っている。少し長くなるが引用しよう。
ゼムノビッチ: オシムさんは、よく、「水を運ぶ人」という表現を使っていますけど、では運んだ水をどうするのでしょう?(中略)正解は「家を建てる」なんです。
ヨーロッパで家を建てるのはマイスターです。(中略)しかし、優秀なマイスターだけでも家は建たないんですね。彼が煉瓦を積むために水を運んできたり、材料をそろえたりする人がいないと仕事が進まない。ですから「マイスター」と「水を運ぶ人」の両方がいて、はじめて家が建つわけです。
世間ではオシム監督は少し誤解されていると思う。以前にも、必ずしもコンセプトどおりの動きをするとはいえない三都主を重用していたことからもわかるように、おそらくは「水を運ぶ人」だけではなく、「煉瓦を積む人」も必ずチームに組み込んでいくのだろう。この得点は、そういうことを改めて考えさせてくれるものだった。
3点目は、解説が「練習でよくやっていた」という細かいつなぎから憲剛が遠藤へ、右から左大外へのサイドチェンジ気味のクロス。この試合では憲剛や遠藤からのサイドチェンジもよく目立っていた。カタール戦ではほとんどなかったそれが改善されているのも、チームの進歩を感じさせて興味深い。遠藤はペナルティエリア内でトラップ、シュートしようとしてキーパーにファウルを受け、PKをゲット。実は6分にも遠藤がペナルティエリア内にドリブルで侵入し倒されており、「あわせ技」的に審判が取ったのではないか、と私はちょっと疑っている。これを中村がしっかりと決めて3点目。日本は前半で3点を決めて折り返した。
攻め続けたのはなぜか
後半になると、日本もリスクを負う必要はなくなり、巻の頭をめがけたボールも増える。これを巻がしっかりと落とし、周りの選手に拾わせるというのも、オシム日本のパターンの一つだ。後半開始早々に巻のヘッドから高原がフリーでキープ、クロスから遠藤の逆サイドでのシュートにつながっている。後半4分にも、また終盤、UAEが酷いチャージを繰り返すようになったあたり、後半34分、37分、38分でも同様のプレーが見られる。終盤にはUAEの足も止まっており、ボールを拾った水野や羽生はフリーだったことも多く、得点につなげたかったところではあるが。
日本 | UAE | |
ボール支配率 | 64.0% | 36.0% |
シュート数 | 13 | 8 |
しかし興味深いのが、3点をリードしたこの試合の後半でも、日本はあまり「時間稼ぎ」らしいプレ-を選択しなかったところだ。これだけの暑さ、湿気でもあるから、セーフティーにセーフティーにやっても良いだろうに、そうしない。中村は後半5分には加地の外をフリーランしているし、13分には憲剛が、14分には駒野が、スピーディーなパス&ゴーを敢行している。16分には憲剛と遠藤の2回のサイドチェンジから、右に大きく開いた中村俊輔にボールが渡り、深い切り返しからシュート!この辺、俊輔が「使われて、最後を決める」役割にも顔を出すようになったことは、個人的には歓迎したい。
ところが、20分には同じようなプレーがカウンターの基点になってしまう。左に位置する遠藤から、右サイドの開いた俊輔へ大きなサイドチェンジのパス。俊輔はこれをフリーで受けている。この動きは良いと思う。これをもっと繰り返して欲しいところだ。
しかし、そこから俊輔は左大外に上がってきた駒野へ大きなクロス。こぼれ玉を後半から入ったA・モハメドに拾われ、憲剛がそれに相対するが、突破されカウンターを食らってしまう。阿部は左へ開いて行くマタルを見ている。鈴木が走りこむアルガスについていくのだが、あと追いになって体勢が苦しい。中澤は中央にいるがやや躊躇したか。いずれにしろ、A・モハマドからアルガスにパスを通され、アルガスに突破され、シュートを浴び、1失点。
この失点について、基点となってしまった俊輔のプレーを責める必要はあまりないだろうと思う。それまでも、あるいはそれからも、同様のプレーは多くの選手が行っており、「中がマークされていたら大外を上がってくる選手に合わせろ」というのはむしろ約束事ではないかと思えるからだ。PKを得た遠藤へのクロスもそうだし、後半27分の遠藤、37分の水野なども同様のプレイを選択している。この辺、アジアカップでの日本はサイドからシンプルに上げずに、小技を使っていく、あるいは目先を変えていくことが多い。これも中東勢のボールウォッチャー癖を利用しようということだろうか。いずれにしろ、チームとしての共通意識ではないかと思う。
これらのプレーや、終盤に投入された羽生や水野が精力的にパス&ゴーや、オーバーラップを仕掛け、「3得点しているのに攻撃し続けた」ことを、TVの松木解説はずっと批判していた。「時間稼ぎをしろ」というのだろう。この試合だけのことを考えれば、そのこと自体は間違ってはいないが、私は少し違った考えを持っている。
Jリーグが直前まであり、非常に準備期間が短く、大会前の親善試合もなかった日本。この大会では、いわば「走りながらマシンを仕上げる」に近いことが必要とされているのではないかと思う。そのためには、一試合のことだけを考えるのではなく、大会全体のことを考えて、なるべお互いの考えをすり合わせるように、パス回しや攻撃の慣熟を行っていくことも必要だろう。
さらにもっと先を見れば、オシム監督が言うように、4年後へ向けてのチーム作りの一環と考えることもできる。そういう意味では、羽生や水野が入ってよりシンプルにボールがまわせるようになった終盤の試合内容も、そしてそれをしようとした選手たちの意図も、ポジティブなものだと思うのだ。
巻のプレッシャーとロングボール
終盤にややUAEペースに見えた理由は、GKやDFからのロングボールがマタルに合い、そこでキープされシュートまで持っていかれたりしたからでもある。これにはいくつかの興味深い点が隠されている。まず、そういったプレーが増えたのは、試合開始から精力的に敵DFにプレッシャーをかけていた巻が、ガス欠のため動けなくなったことによるものだろう。22分、ロングボールを日本の右に開いたマタルに入れられ、H・アリがオーバーラップしてきたため加地はそちらに付き、俊輔がマタルに応対したがクロスを入れられている。このとき巻は動けていない。
同じようなロングフィードが24分、25分、26分と続いていく。ヘッドで競るのは加地なのだが、5分5分の勝負で、競り負けるといきなりシュートまで持っていかれる。その辺が劣勢に見えた原因だろう。しかし、ここで水野が投入されると、28分、羽生とともにGK、DFへプレッシャーをかけ、それによってロングフィードを防いでいる。
ところが、鈴木が痛んで外に出ると、羽生は中盤左サイドでの守備をせざるを得ず、再び31分、マタルへのフィードが入っている。35分には巻が復活、羽生も水野もプレッシャーをかけにいく。この辺、「ロングボールを防ぐには前線でのプレッシャーが有効だ」というテーゼのはっきりした証左になっていて興味深かった。
鈴木が傷んで今野が投入されると、今野は阿部、中澤とともに3バックを形成し、中澤がマタルを見るようになる。こうなると、マタルへのロングボールを入れても、中澤と競ってはモノにできる可能性が減ったと見たのだろう。UAEのフィードは狙いが定まらなくなり、急速に脅威を減じていった。この辺の選手の対応力もまた、興味深いものであった。もちろん、この前後の日本のボールキープも、シンプルで少しずつパス&ゴーを織り交ぜた、有効に時間を使いつつ、オシム日本の完熟走行らしいものだったと思う。
ベトナム戦へ向けて
さて、総体としては、必要だった勝ち点3も得られたし、チームの慣熟もしだいにこなれてきた。悪くない試合振りだったと言えるだろうが、唯一心配な点が、いまひとつカウンター対策に冴えが見られないところだ。どの選手が、というわけではないが、中央の2CBバックにプラスしてアンカー役が啓太一枚という問題か、この試合の失点シーンも含め、カウンターに対して磐石とはいえない感が漂う。ベトナムはおそらく相当カウンターの鋭いチーム。しかもホームでもあり、何がファウルにとられるかわからない。慎重の上にも慎重を重ねる対応が要求されるだろう。
それもまた、新たな試練だ。前回に引き続き、波は高い方がいい、と言っておこう。しっかりとそれを乗り越え、選手たちには大会が終わった時、一回り大きな戦士になっていて欲しいと思う。おっと言い忘れていた。酷暑の中で戦った選手たち、そして彼らを支えたスタッフ、監督、本当にお疲れさまでした。しかし、あまりにも短い休息の後、もうベトナム戦は迫っている。集中して、気を抜かず、是非とも勝ち点3を勝ち取って欲しい。殻はもうほとんど破れている。あと少しだ!
それではまた。
02:03 AM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|
July 11, 2007Maiden voyage
オシム日本代表のアジアカップ初戦、vsカタール戦は1−1の引き分けに終わった。第3戦で地元ベトナムと戦う日本としては、早めにGL(グループリーグ)突破を決めておきたかったところで、勝ち点3を逃したのは悔やまれる。しかし、残り2試合で勝ち点を取ればGL突破は確実になるわけで、悲観することなく、次へつなげていって欲しいと思う。
試合自体は、中村俊輔が冷静に語るように、それほど悪い内容だったというわけではない。
中村俊輔: 「試合自体は悪くない。形は見えてきた。あとはフィニッシュだけ」
「今までよりボールは回せている。あとは、最後だけ」
「攻め込まれて、どうこうというわけじゃない。次につなげやすい。」
カタールはご存知のようにアジア大会優勝国だが、そういうチームを相手にしても日本はボールを支配し、形を作っていった。もちろんオシム監督の目指すサッカーは完全にはできていなかっただろうから「良い内容」とは言わないものの、合宿開始から1週間目のチームとしては、それほど悪くない内容だった、と私は思う。数字はあくまでも参考にしかならないが、この試合のスタッツを参照しておこう。
日本 | カタール | |
ボール支配率 | 62.9% | 37.1% |
シュート数 | 10 | 3 |
さらにさらに参考までに、同じように酷暑の中の試合だった3年前の中国アジアカップ初戦、オマーン戦のスタッツも置いておく。
日本 | オマーン | |
ボール支配率 | 50% | 50% |
シュート数 | 8 | 16 |
横パスの嵐
カタールは、おそらくは長い合宿で相当にトレーニングを積んできたのだろう、組織立ったきれいなゾーンディフェンスを形成していた。それも自陣の相当低い位置で。この辺は、マンマークが多かったこれまでのアジアとはやや様相を異にしている。そして日本がDFライン〜ボランチでパスをまわしていてもチェックに来ず、ハーフウェーラインを越えてから今度は一転ハードなあたりでガツガツと削りに来る。選手間の統一された意識が感じられた。
対して日本は、中盤で持っても前線の動き出しが少なく、パスの出しどころがなくて躊躇してしまう展開が続く。仕方なしに横パス、横パスの連続になる。横パスの嵐だった。これではまったくオシム監督のサッカーとはいえないだろう。原因としてはやはり前線に、高原、中村俊輔、遠藤という、走り込みよりもテクニックに特徴があるような選手を3人起用したことによる部分が大きそうだ。
また、暑さの中、大きな大会の緒戦ということで、普段は前線への飛び出しを熱心に行う鈴木啓太もかなり自重していた。さらには、深い芝で中盤の選手の足にボールがつかなかったこと、そして、経験の浅い選手たちが、初めての大きな大会の初戦という緊張から、カチンコチンになっていたこともその大きな要因としてあげられるだろう。
ただ、この前半の選手の「動かなさ」に関しては、選手の「意図的なもの」だったという可能性もある。前述した鈴木啓太もそういうコメントを残しているし、また遠藤も、Number誌682号「オシムはアジアを制するか」の中のインタビューで次のように語っている。
遠藤: ビルドアップのところで簡単にボールを奪われないことが、後半のための一番の体力温存だと思います。だから、そんなに走りすぎないでもう少しまわしてもいいのでは、といつも思っています。ボールが入ってくれば、僕やシュンが変化をつけられる。
もちろん、この前後に基本的にはオシム監督の方針を支持していることを言明した上でのコメントだが、それにしてもこの試合はまさに彼の言葉通りになったと言えないだろうか。
さらには、この展開については、オシム監督もある程度は仕方ないと思っていたのではないかと思う。いつもなら意に沿わない展開の時にはかなり早くから立ち上がり、大声で指示を出すオシム監督が、前半ずっと座って見ていたのも、ある程度はこの展開が「織り込み済み」だったせいもあるのではないだろうか。それにしてもなんともじりじりとする、イライラの募る展開の前半だった。
疑問の残る選手起用
カタールはゾーン守備だと書いたが、高原がいうように、それはポジションチェンジしても敵があまり混乱しないタイプの守備でもある。
高原: 自分がどう動いても相手は動いてこないし、スペースが作れない
一般的にこういう時は、敵の一人の受け持ちのゾーンに二人、三人と入っていくことで敵を混乱させることができるのだが、この試合ではカタールの1トップを除く全員が敵陣深くに位置取っているため、それも難しい。ボールを奪った後の守→攻の切り替えの速さを旨とするオシムサッカーにとっても、最初から敵が全員引いているのでは突くべきスペースがなく、攻撃が非常に難しくなってしまう。この辺、相手の守備を見るのも、私には少し興味深かった。
しかしそれにしても、遠藤、俊輔を2列目で並べる必要はあるのだろうか?と疑問に思ったのも事実だ。サイドからクロスが上がった時にペナルティエリア内にいるのが高原だけということもしばしば。山岸はまだシュートシーンに顔を出すが、中村と遠藤のフィニッシュへの意識のなさはどうしたことだろうと思わされてしまう(遠藤は以前はできていたのだが)。彼らは、ペナルティエリア付近や角でボールを受けても、シュートではなく、誰かへのお膳立てのようなちょっとした小さなパスを選択することが多い。彼らが積極的にシュートを打てば、敵の守備ももっと混乱しただろうにと思う。
敵がゾーンでもあるため、一瞬だけなら中でボールを受け、前を向くこともできているのだ。そういう時に強引でもシュートを打つか、あるいはドリブルで突っかけていけば、敵はペナルティエリア付近でシビアな守備をせざるを得なくなる。結果、敵陣のバランスを崩したり、あるいはファウルを得たりということができるようになるはずなのだが、俊輔、遠藤、それに憲剛あたりはきれいに崩すことにこだわりすぎているように見えた。
この辺は選手起用の問題、つまり監督の問題でもあるだろう。やはり遠藤に代えて水野や太田あたりを前半から起用しておいた方が、攻撃はよりスムースになったのではないかと思う。あるいは山岸ではなく、よりフィニッシャーとしての適正のある佐藤寿人を起用するか。もちろん「山岸だからあそこに顔を出せた」という面はあるのだが、このままではいかにもである。
オシム監督の意図は、カタールをある程度研究した上での守備面での安定性を考えて、1トップを選択したのだと思う。また以前に語っていた「中村を起用するなら必要となる5人の選手」にも合致した起用ではある。しかし、カタールの攻撃がそれほど怖くないとわかった後半には、あるいは1失点後点を取りに行きたい場面では、もう少し変化をつけても良かったのではないかと思う。
今後、日本はぜひとも勝ち点3が欲しい戦いに突入する。そういう場面でのオシム監督の選手起用、選手交代、そしてもちろんメンタル面での「引き締め」「ハッパかけ」に期待したい。
できたこと、できなかったこと
さて、前半我慢してボールを動かし続けたことで、後半になってカタールの動きも落ちてきた。日本選手もようやく緊張がほぐれ、また芝にも慣れ、連動した攻撃、オシム日本らしい攻撃が機能するようになっていく。7分にも山岸がシュート。さらにビッグチャンスは後半12分、今野のアーリークロスを高原が頭で落とし、走りこんだ山岸がシュート!ボールは枠外へ。しかし、外れはしたものの、この辺から日本に得点の匂いが漂い始める。
そして後半16分、中盤からのスルーパスに今野が走りこみ、ダイレクトでクロス、これを中央で高原があわせてゴール!このときやや内側では山岸もスルーパスを受けようと反応しており、カタールのディフェンスラインがこれに高さを合わせようか、今野に反応しようか一瞬バラバラになっている。山岸も意図的ではないだろうが、この前の2つのフィニッシュでカタールDFが彼を意識していたことが、期せずしてのアシストになっていたのかもしれない。
この後も日本はボールを支配し攻撃を続ける。相変わらず細かなパス回しにこだわりすぎる嫌いはあったが、それでもフィニッシュまでいける展開も多い。そして後半29分、羽生が投入される。1点取られて敵が前に出て来る&疲れてきたところへスピードのある選手を投入して、裏を突いたり、かき回したりを狙おうというところで、定石でもあるだろう。しかし、個人的にはこれが裏目に出たのではないか、と思う。
というのは、この時間帯からむしろ、チームのやろうとしていることがバラバラになって行ったような感があったからだ。俊輔や遠藤のやろうとしている「つなぐサッカー」に、羽生があまりフィットしていないように見えた。もっと単純に羽生を使うボールを増やすかと思いきや、どうもそうはならない。羽生の動き出しにボールがあわない、逆に遠藤や俊輔の近くに羽生がいない(スペースへ走りこもうとしている)ため、小技が使えない。羽生を入れるならば。周りの選手に彼を入れたときの戦い方をしっかり伝授しておかなくてはならなかっただろう。
そして後半37分橋本の投入。動きの落ちた中村憲剛に代えて、守備のできる選手を入れようという意図はわからなくはない。しかし橋本もまた、初戦の緊張によってカチンコチンになっていた。ボールが足につかない。ここからまた流れが悪くなっていく。そして、中盤での浮き球に誰も競りに行かず、次のボールへの寄せも甘く、セバスチャンへいい状態でパスを出させてしまう。阿部のプレーがファウルに取られたのは不運もあるだろうし、失点はFKに対する壁の作り方の甘さが直接の原因だ。しかし、そのすべては少し前からの「流れ」の問題、そしてそれを生み出した「集中力」の問題に帰すると私は思う。
経験の浅い選手たち
私がなんとも残念だったのは、失点直前の緩んだ時間帯、あるいは失点後の時間帯のどちらにも、手を叩くなどして回りを鼓舞する声を出す選手が見えなかったことだ。前代表の宮本や中田ヒデならば絶対にそうしていただろうし、闘莉王もそれをしただろう。しかしこのチームでは、年長の川口も、中澤も、中村俊輔も、遠藤も、そうしていたようには見えなかった。
そういうものがあれば、あのような「緩み」はおきなかったかもしれない。あるいはまた、特定の選手頼りでなくても、そのようなチーム状態を全員が感じ取って、気を引き締めあうか。それには、そういうことができるだけの「経験」が必要なのだろう。今J−KET掲示板でミケロットさんと議論しているのが、まさにその点でもある。このチームは2002〜2006チームの「経験」を、継承していない。
それは言うまでもなく、オシム監督の責任だ。経験を継承できる選手を選んでいない。経験があっても伝えられない選手が多い。経験が浅く、カチンコチンになる選手を起用してしまい、緊張を取り除くメンタルマネジメントもできなかった。この点はオシム監督が指弾されても仕方がないところだろう。選手選考に全権を持つ監督は、同時にそのすべての責任も負わなくてはならないのだ。
しかしそれはもちろん、このアジアカップが最終目的であった場合、である。アジアカップを取ることだけを考えれば、この大会に経験の多い選手がいないことは問題となるだろう。しかし、オシムのミッションはアジアカップを獲ることではない。だから協会はノルマを設けないと明言しているのだし、オシムも不十分な準備状況をしぶしぶながらも(笑)受け入れたのだ。オシムが(その言動とは裏腹に)まだ先を見据えているとしたならば、「今」経験の継承をできる選手を多く入れていないことも理解ができるのではないか。
ニッポンよ、ニッポン
闘莉王(怪我で選ばれていないが)、阿部、啓太、今野、憲剛、駒野、寿人、彼らは本来は2002〜2006でもっと経験を積んでおくべき選手たちだった。しかし、その4年間は特殊な固定方針により、経験値が一部の選手にしか蓄積しなかった。この大会は、それを取り戻す第一歩なのだ。ドイツ大会以後、本当に痺れるような経験を、彼らはまだ積めていない。この大会が、ドイツの悲劇の後の、日本サッカー丸の最初の航海なのだ。
Maiden voyage.航海は始まった。船出は、手放しで褒められたものではないが、最悪のものでもなかった。出航した以上、船の行く先は自分たちで決めるしかない。頼るものは何もない。しかしだからこそ、掴み取れた時にはその果実が大きなものになるのではないか。むしろ順風満帆などではない方が良い。その行く先に波高かれと、そしてその先に幸多かれと、願ってやまない。
選手たちは、いまこそ自分たちの真価が試されると思って欲しい。そして経験がないからこそ、がむしゃらに、ひたむきに戦って欲しい。「日本はチャレンジャーだ」と言葉では言いながら、やはりどこかで王者のサッカーをしてしまっていたのではないか。今度こそ、日本ははっきりとチャレンジャーになった。後がない?素晴らしい!もうやることは、ひとつしかないではないか。選手たちよ、殻を破れ!
それではまた。
02:26 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
June 29, 2007アジアカップ2007に向けて
そろそろアジアカップも近づいて来て、だんだん世間もオシム日本への注目を増してきているようだが、日本サッカー協会専務理事の田嶋氏は、アジアカップに臨むオシム日本へのノルマに関する質問に対して、
田嶋 前回(2004年大会)も今回も(ノルマを)決めたことは一切ございません。
このように答えたそうだ。私はこれはまったく正しい態度だと思う。アジアカップも間近に近づいていることだし、私がそのように考える理由をいくつか述べておきたい。
4年間の航路を見据えて
まず第一に、私が現状の日本代表は4年計画で強化していくべきだ、と考えていることがその理由としてあげられる。
ご存知の通り、日本代表はドイツW杯で一つの区切りを迎えた。ナイジェリアワールドユース準優勝→シドニー五輪ベスト8→2002年W杯ベスト16と経験してきた選手たちは、2010年を睨むと今後も中心としていくわけには行かなくなる。もちろん、前ジーコ監督の方針によって、その下の世代の引き上げが遅れたという理由もあるが、いずれにせよ日本サッカー史上特筆すべき経験を多く積んだ世代の後、日本代表はいったん「リセット」されなければならない状況に置かれていたことは確かだろう。
(つまり、「日本代表は『常に』4年計画で強化していくべきだ」ということではなく、少なくとも2006年~2010年の日本代表はそうすべき、だということだ)
オシム監督がしなければならないことは、世代交代を進めながら4年後に世界と戦えるチームを作ることである。そしてもちろん、2008年にはW杯アジア1次予選、2009年には最終予選があるのだから、その時期にはそれぞれを突破できるチームを作り上げることとなる。いったん「リセット」されたところからそこまで作り上げていくということは、容易なことではない。そのためには、この4年間で「わき見」などをしている暇はないだろう。
就任からこれまでのオシム日本の航路を振り返ってみると、
1)アジアカップ予選を戦いながらチームのベースを作る時期
2)多くの選手を代表に呼びながら、ベース+αを探る時期
と分けられることに気がつくのではないか。このうちの2)の「多くの選手」の中には、その時Jリーグで調子を上げてきた選手や、五輪代表からの引き上げ、そしてもちろん海外のクラブ所属の選手も含まれる。特に海外組に関しては、ようやく「組み込み始めた」レベル、その端緒についた、という段階であって、まだ熟成が必要であることは衆目の一致するところだろう。
(余談だが、「ではもっと早く呼べばよかったではないか」という意見を言う人は、もはやいないだろう。オシム監督が「海外所属選手は、クラブでのレギュラー獲得を優先させるために、あえて呼ばない」という方針を取っているということは、広く知られていることだ。中村俊輔選手や高原選手が所属クラブで前シーズンよりも一段上の結果を残せたのは、クラブに集中できる環境も大きかったのは間違いない)
個人的には、先のキリンカップを通じて「海外組」の、特に中村俊輔、高原の組み込みは予想以上にスムースに進んでいると思っているのだが、それにしてもまだ2試合、その融合は途上にある。ここで拙速に「アジアカップを獲るためのチーム作り」などに走ることなく、しっかりじっくりと融合を進めていってほしいものだと思う。そしてそう考えると、アジアカップはそのためのまたとない機会であるということは言える。2週間以上をともに過ごし、何試合も重ねていくうちに、融合はさらに進むだろう。
アジアカップは先の2)「多くの選手を代表に呼びながら、ベース+αを探る時期」であると同時に、「ベース+α」を実戦で確認しながら、一つの形を仕上げていく時期にもなるだろう。自動車レースに例えるならば、1)は設計図から試作車1号まで、2)は試作車2号のくみ上げ、そしてアジアカップは試作車でコースに出てテストを行うというところか。本番のグランプリはまだ先にある。ここはわき見をせずに、試作車の完成度を上げることに注力したいものだ。
1年の前倒し
次の問題として、やはりアジアカップが1年前倒しになったことを考慮に入れないわけにはいかない。これまでは、W杯とW杯のちょうど中間の時期にアジアカップは設定されており、W杯終了後2年たってからの開催だった。2年の強化期間を経た後ならば、アジアカップにはある程度のチームができていることを期待してもいいだろう。しかし、今回は開催時期が変更され、1年前倒しになっているのだ。
これがW杯から見て2年後、2008年のことであれば、「半年後に迫ったW杯最終予選へ臨むためのチームができるかどうか」の中間チェックとすることは妥当だろう。ジーコ監督の場合はまさにその時期であった。もちろん協会はその時も公式なノルマは設けなかったはずだが、2004年のアジアカップで見せた戦いぶりが、アジア最終予選でも見られたのは記憶に新しいところだ。トルシェ日本の場合でも、世代交代、融合を経て、2年後のアジアカップでは一つの完成形を見せたと言っていい。
しかし、今回は2年間隔ではなく、チームを作り始めて1年でアジアカップが開催される。先にも見たように、2006年以後の「リセット」「リ・ビルド」が必要/必然な日本代表にとって、この1年の差が大きいことは、誰にも理解されるのではないか。まだチーム形成途上の日本が、下手に「ノルマ」などを設けて、それを突破するためのチーム作りに汲々としたりするのは、間違っているだろう。この点では、協会の方針は正しい、と私は考える。
準備環境の変化は何を表すのか?
またもう一つの条件として、アジアカップへ向けての日本の準備状況が、参加他国と比べてもかなりプアだということがあげられる。
オシム: 一つの例だが、日本はアジアカップで対戦する(グループリーグ)3カ国(カタール、UAE、ベトナム)の中で、現在もリーグ戦を戦っている唯一の国だ。つまり直前までだ。十分な準備ができない。
とオシム監督が言うように、日本はアジアカップ直前の6月30日までJリーグを戦い、その後はアジアカップ準備のための国際Aマッチを一つも戦わずに本大会を迎える。これは、アジアカップに臨む他のどの国よりもプアな準備状況だと言っても、過言ではないのではないか(こちらは他国の親善試合スケジュール・pdf)。日本と同じグループBの国の準備状況を見ても
国名 | 日程 | 親善試合 |
ベトナム | 6月24日 | vsジャマイカ |
6月30日 | vsバーレーン | |
UAE | 6月21日 | vsマレーシア |
6月24日 | vsサウジ | |
カタール | 6月14日 | vs Kufstein Austria |
6月19日 | vsガーナ | |
6月25日 | vs トルクメニスタン | |
6月30日 | vsタイ |
と、はるかに充実していることが伺える(余談だが、カタールは19日の親善試合で、ガーナを3-0と下している!)。
また、以前の日本のアジアカップに臨む準備もまた、今回よりも充実したものであった。トルシェ監督の場合で
8月19日 Jリーグ中断
9月15日から10月1日 シドニー五輪 (vsUSAは9月23日)
10月4日 アジアカップ壮行試合 vs外国人選抜
10月8日 アジアカップ壮行試合 vsパリ・サンジェルマン
10月14日 アジアカップ初戦vsサウジアラビア
五輪終了(USA戦は9月23日)からアジアカップまで、2週間以上間があり、親善試合が2試合組まれている。また、2004年ジーコジャパンでは、
6月26日 Jリーグ中断
7月9日 スロバキア戦
7月13日 セルビア・モンテネグロ戦
7月20日 アジアカップ初戦 vsオマーン
リーグ中断から初戦まで3週間以上間があり、キリンカップの2試合がそこで準備のために使える状況だった。今回の、ほぼ1週間前までリーグ戦があり、準備のための試合がゼロということがいかに冷遇されているかわかるだろう。
これはもちろん、現在ではACLをはじめ様々な条件が重なりこのようなスケジュール設定になっているものだ。それにしても他国と比べるまでもなく、これまでの日本の取ってきた準備と比べても、まるでアジアカップを「獲るな」と言っているような設定だと思わないだろうか?そして、事実「そう」なのだと思う。「獲るな」とは言わないが「獲らなくてもいい」、獲る必要が薄い。アジアカップの重要性は大きく下がっている。このスケジュールは、協会が「今では」そう捉えているということの表出だろう。
誤解しないで欲しいのだが、競技である以上勝つことを目的としてプレイするのであり、監督をはじめチームがカップを「獲らなくてもいい」という姿勢で大会に臨むことはありえない。しかし、スケジュールを設定する側としてはそこにプライオリティをつけざるを得ないのは自明であり、ここ数年でJリーグやACLの重要性が大きく上がり、相対的にアジアカップの準備の重要性を上回っていると判断されたということなのだろう。オシム監督の発言もそれを裏付けるものとなっていると思う。
オシム: 内容か結果かで言えば、私は結果を重視する。ただし、それがどんな結果か、ここで保証することはできない。個人的には、もちろん日本サッカー協会にとっても、結果より内容の方が重要で、しかも将来、長く戦えるかどうかを重視しているのだろうと思う。もちろん両方が伴われているのがよりいいのだろう。サッカー協会として、今のアジアカップに何を期待しているのか。残念ながら、そういうことを理解しているジャーナリストが多いとは言えないのが現状ではないだろうか。
私は最近、いつまでもオシム監督がジャーナリストに謎かけのような言葉で返答し続けるのが「いかがなものか」という気がしてきていたのだが、このやり取りを読むと「仕方がないかもしれない」と思えてしまう。アジアカップのノルマを問う質問にしろ、この質問にしろ、もう少し自分で考え、様々な条件を理解し、仮説を立てた上で会見に臨むようなジャーナリストがもっと出てきてくれないものか。いや、話がそれた。
オシムのベース+α
そして最後の一つが、以前にも「オシム『総』監督」で書いたように、「アジアで勝つためのサッカーと、世界で勝つためのサッカーは違う」ということだ。アジアの中では日本は強者の側であり、そこで求められるサッカーは「引いてきた敵をどうこじ開けるか」というものになる(ジーコ時代のアジアカップはやや違っていたが)。しかし、世界に対してはまず必要とされるのはそうではない。ほとんどの敵が、オープンに、自分たちのよさを出そうとして戦ってくる中で、どのように守り、攻めていくかが必要となってくる。この両者は、一直線の上にはないものだと私は常々思っている。
アジアカップで勝つことは無論大事だ。「負け」はチームのエネルギーをそぎ、ネガティブなサイクルに陥らせがちだ。しかし、「どのような形でも勝てばよい」試合と、そうではなく、勝敗以外のところも見ていかなくてはならない試合もあるのだ、と思う。W杯アジア予選などは前者であり、今回のアジアカップは後者・・・だと協会は考えているのだろう。私はそれでかまわないと考えるし、むしろそうであるべきだ、と思うのだ。
さて、アジアカップに向けての個人的な願望だが、やはりベスト4くらいまでは食い込んで欲しいと思っている。オーストラリア、韓国、サウジアラビア、イラン、そして日本がアジアの「5強」を構成していると言えるだろうが、ほぼ実力は伯仲している。これらの国に「必ず勝てるはず」というほど、日本が突出しているわけではない。今回の大会ではこの5強にしっかりと伍していけるところを見せてくれればそれでいいと思う。また、ベスト4であれば優勝した場合と同じだけの試合数をこなすことができるわけで、チームの強化のためにも、できればそこまでたどり着いてもらいたいものだと思う。ただしこれはもちろん「ノルマ」ではない(笑)。
内容的には、昨年のアジアカップ予選ホームのサウジ戦、先日のコロンビア戦の先にある「人もボールも動くサッカー」+α、「ベース」の上で「個」が存分にその力を発揮しているような、そういうサッカーが見たいと思う。サウジ戦(ホーム)では、現在のJリーガーの力を集めれば、チームが発展途上でもアジア5強の一角サウジと互角以上に戦えるという手応えがあった。それが今後のオシム日本の「ベース」となっていくだろう。
そしてコロンビア戦では、その「ベース」にプラスして、海外クラブ所属選手の高い「個」の能力を組み込んでいこうという意思が見えてきた。完成したならばなかなかいいサッカーを見せてくれそうな、その将来的な煌めきの一端を、おぼろげながらも垣間見せてくれた、と私は思う。SoccerCastの方でも話したのだが、コロンビア戦では中村俊輔選手も、ボールを持った駒野の回りをフリーランして上がっていた。それがデコイランになってもかまわない、全力疾走でボールを引き出そうとしていく。オシムの「ベース」の上にこれがプラスされていけば、なかなか魅力的な代表になるのではないか。
アジアカップでは、その「融合」が少しずつでも軌道に乗っていく、そういう進化する代表の姿が見られれば、日本の前途は明るいと私は思う。それを期待して、アジアカップを楽しみにしよう。
それではまた。
02:29 AM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(3)|
June 05, 2007粛々と、そして悠々と
みなさまお久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか。
更新に大変間が空いてしまい申し訳ありません。最近めっきり更新しなくなっていたのは、公私にわたるバタバタが主たる原因ですが、実はその他にもいくつかの理由があります。
1)SoccerCastのほうで喋ってしまって、代表やサッカーに関するアウトプット欲がある程度消化できてしまうこと。
2)オシム監督が試合後の会見で、私の言いたい事をほとんど言ってしまっていること。
3)オシム日本の航路が、私から見るとほとんど問題がなく、その通り進んでくれればいいと思えること。
などなどがその理由になるでしょうか。
1)はまあ個人的事情なので置いておいて(笑)、お分かりの通り、2と3は密接に関係しています。私が日本代表にとって正しいと思うことと、オシム監督が実際にしようとしていることがほとんど乖離がないのです。
タイトルにつけた「粛々と」というのは、「大騒ぎせず、しかし着実に、代表を強化していくこと」という意味の言葉です。私はずっと、代表の強化というのは「粛々と」であるべきと思ってきました。オシム監督、トルシェと同様、私も代表における過度の「スターシステム」は、強化の妨げにしかならないと考えているからです。日本の進路がかかった重要な試合ならともかく、親善試合などでは「絶対に負けられない戦い!」などと大騒ぎせず、その時その時のチームの課題を解決するために、試合を「使って」いってかまわない。それが「粛々と」した強化、というものになると思います。
そして、オシム監督はまさにそれをしようとし続けていますね。いわゆる「海外組」を当初は呼ばなかった。代表戦への「集客」を考えれば、スターたる彼らを呼んだほうがいいのは自明です。しかし、一つには彼らをクラブでのプレーに専念させるため、もう一つは、まずは練習の時間の取れる国内組でチームのベースを作っておくために、彼らは最初は招集されませんでした。私はこれは合理的な考え方、やり方であったと思います。
チームがスターだ
それは、「チームがスターだ」という考えを、オシム監督もまた志向していることから来ているのでしょう。
欧州の有名クラブや代表などで、監督がインタビューをされる際、「○○というスター選手がいますが、彼をどう使いますか?」と問われると、よく出てくるのが「確かに彼はスターだ。うちの勝利にとって重要な存在だ。しかし、うちでは『チームがスターだ』。彼一人ではサッカーはできない。同じくらい、あるいはより重要なのは他の10人、チームのほうなんだ」という言葉です。これは組織サッカーを志向する欧州の監督にかなり共通した考えではないでしょうか。
オシム監督は会見で相当に強く、マスコミの「スターシステム」を嫌っているそぶりを見せていますね。マスコミは、コンディションが悪くても、チームにフィットしていなくても「スターを呼べ、使え」と騒ぎ立てます。しかし、、チームの強化のステップやその選手の状況などを考慮せずに無条件に使っていくことは、「チーム」の強化の妨げにしかならない。さらに言えば、「チーム」という微妙な存在に、「スターを使え」と騒ぐマスコミがどれだけの悪影響を与えるのか。経験豊富なオシム監督は、それもよく理解しているのでしょう。
チームのベース作り
そして、その「チーム」は、一朝一夕では作れないものです。有能な選手をぱっと集めてピッチに送り出したらそこにチームが出来上がっている、というようなことはありえない。ある程度時間の取れる国内組でたっぷりと試合前の練習でトレーニングさせ、さらに練習のためだけの合宿も行う。Jリーグに負担をかけながらも、あえてそのようにするのは、「チームは一朝一夕では作れない」からです。このような「あたりまえ」が、オシム監督によって粛々と実行されている。
そして、チームのベースが出来上がって初めて、中村や高原といった「現在好調の」海外の選手を、「少しずつ」招集し、合流させる。海外に移籍した選手たちは確かに高い能力を持っています。しかし、所属クラブで試合に出ていなかったり、怪我明けだったり、コンディションが悪かったりする時には、国内の選手以上のパフォーマンスが発揮できるわけではない。チームのベース作りに参加できていないからこそ、合流するのは現在好調の選手に限るべきだ。それも、一度に大量に入れ替えてはチームのベースが保てない。一度に試合に出場するのは、2、3人ずつにするべきだ。
あたりまえのこと
オシム監督はまさにそのようにしていますね。「チームがスターだ」「チームは一朝一夕では作れない」と考えると、「あたりまえ」のことなのですが、それがこのように粛々と行われているのは、代表強化にとっては正しい道だと、個人的には思いますね。他にも行われている「あたりまえ」のことは、
・下の世代の代表とコンセプトを共有し、若い選手もフル代表に参加させる
・候補合宿に、Jリーグで活躍する多くの選手を呼んで、代表の戦術に触れさせる
などがあります。また目立たないですが、
・招集している海外組の選手でも、全員を使うわけではなく、起用しないこともある
これも、マスコミの圧力(?)を考えると、実はなかなかの英断だと思います。かつてトルシェは、海外で活躍した広山を呼びながら起用せずバッシングを受けたことがありますが、思えばあれも世間のサッカーに対する無理解から来たものでしたね。モンテネグロ戦では中村俊輔だけでなく、中田浩二も稲本も使われませんでした。コンディションの問題もあり、試合の狙いもあったでしょう。いまではそれも「あたりまえ」と理解することができますね。
オシム会見~生きたグループとしてのチーム
オシム監督はこのように粛々と「あたりまえ」の強化をして行っている。私はこれを歓迎するものです。そして同時に、会見を通じてそれを極めてはっきりと、わかりやすく提示してくれています。「チームがスターだ」「チームは一朝一夕には作れない」、そして、特定の選手を持ち上げるだけの「スターシステム」は、時として強化の妨げになることもある・・・。これだけ代表監督がしっかりはっきりと言い続けてくれているのですから、私などが何を付け足すこともないと感じてしまいますね(笑)。
キリンカップ’07コロンビア戦前の会見では、また興味深いことを言っています。
オシム: 今回、20数人招集しているが、全員を出せるわけではない。3人くらい、2試合とも出られない選手が出てくる可能性がある。しかし、そういう選手を含めて、代表チームはできている。試合だけではなく、チームの一部として機能しているかどうかも私は見ている。(中略) 試合もそうだし、それ以外の代表の活動の中でも、選手の能力や個性というものは出てくる。そこで、必ずしも良いプレーをしなくても、必要な選手はいる。つまりプレーそのもの以外でも、重要な要素が存在している。生きたグループとしてのチーム、そういった必要な要素を選手たちは持っているか。サッカーのプレーさえできればいい、という話ではないのだ。
男がほとんどの40人以上の集団が、一定期間こもって生活する「代表チーム」という存在の心理マネジメントが、いかに難しいか。ドイツW杯本大会では、まさにその「生きたグループとしてのチーム」に関して、「プレーそのもの以外での重要な要素」にいささかの問題があったのではないか、ということが語られていましたし、最近では重要な証言もまた出てきたようです。オシム監督はそういった要素の重要性を理解し、少なくともそこに取り組もうという意欲を持った監督ですね。この点も、私が歓迎したいと思うポイントのひとつです。
粛々と、そして悠々と
モンテネグロ戦、コロンビア戦も、こういった「粛々とした強化」の一環です。課題があり、狙いがあり、そして成果もあり、おそらくは次の課題もでることでしょう。代表チームのスタッフにはそれをしっかりと(粛々と)実行し、また次へのプランを練って、着実に強化をしていって欲しいですね。そして私たちも、その狙いを理解し、その上で代表の強化ぶりを論じていきたいものです。
そうそう、モンテネグロ戦は98年以来最低の観客動員となったそうですね。私はむしろちょっと意外でした。96年くらいから代表バブルが始まったと思っていたので、96~98年の間にモンテネグロ戦よりも集客の悪かった試合があったとは思いませんでした。いずれにしろ、96(マイアミの奇跡)~06(ドイツW杯)の間の「代表ビジネスモデル」はもはや終焉を迎えていることは明らかでしょう。金曜の夜の静岡で、あのチケット値段での、親善に過ぎない試合に、無条件で観客が集まると考えるほうがどうかしています。まあ、これから重要な試合が増えてくればまた盛り上がるでしょうけどね。
普段は粛々と、そして重要な試合では魂をこめて、それがノーマルなんですよ。
それではまた。
02:18 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(3)|
March 20, 2007もちろん、門は開いている
2007年最初の親善試合、3月24日のペルー戦に臨む日本代表が発表になりました。
またも驚きの18人、2回(?)に分割しての代表発表です。これと同様のことがあったのは、初戦トリニダート・トバゴ戦に重なってA3の試合があった時で、そのスケジュールの不備に、オシム監督がある意味<抗議>の意味をこめて13人しか発表しなかったのではないか、と思いましたが、今回はなぜこんなことをしたのでしょうか?
さらに驚くのは、なんとFWが高原(フランクフルト)一人しか選ばれていないこと。合宿に呼んだ6人のFWはどうしたの?と聞きたくなりますね。我那覇は怪我だそうですからわかりますが、他の選手は?これに対しての、オシム監督のコメントがまた泣かせます。
オシム監督: また、今まで呼ばれているのに今回呼ばれなかった選手に関しては、ここ数試合の調子を見てのイエローカードだと思って欲しい。
ただしレッドカードのように呼ばれなくなるわけではない。今以上に考えて、いいパフォーマンスを発揮し戻ってきてほしいというメッセージだ。
FWがJリーグからは一人も、一人も呼ばれていないということは、これ以上ない強烈なメッセージでしょう。この水曜日(21日)にはナビスコカップがあります。このコメントを聞いて、FW陣をはじめ選手たちはさらに発奮するでしょう。ものすごく単純に考えると、ここで得点した選手がそのまま選ばれる、という可能性さえ感じさせます。まだ第1節のナビスコカップが、急にエキサイティングなものに変わってしまいましたね。
また、年頭の合宿には参加しなかったGK西川(大分トリニータ)、MF二川(ガンバ大阪)が復帰しています。ガンバのゼロックス杯以降の好調振りからみても、二川の選出は妥当でしょう。個人的には橋本、藤本を含め、とても好きな選手なので、今回の招集は凄く楽しみです。
FW陣のほかに残念なのはMF今野(FC東京)とGK山岸(浦和レッズ)、MF田中隼磨(横浜Fマリノス)でしょうか。特に今野や隼磨は試合に出ていながら選出外となったことで、オシム監督のメッセージの対象の真ん中と言えますね。必ず帰って来るべき選手だと思うので、ここでまたぜひ発奮して欲しいですね。
海外組の招集とチーム作り
また、かねてからの言葉通り、MF中村俊輔(セルティック)とFW高原(フランクフルト)も呼ばれています。これまでオシム監督は、「無理して呼んで、クラブでレギュラーをはずされては意味がない」と海外組の招集には慎重でした。が、国際Aマッチデーであり、各国リーグがしっかり中断されるこの機会に、レギュラーの座を(おそらくは)奪われないだろう二人を呼ぶ、という決断を下したようです。理にかなった判断だと思います。
また、そのほかの海外組の中田浩二(バーゼル)、松井(ルマン)、稲本(ガラタサライ)らは今回は見送りということのようですね(レギュラーを取りきれていない選手はもちろんですが)。これも、「一度に多くの選手を入れ替え過ぎては、チーム作りの継続性を得られない」という観点からは、合理的だと思います。
チーム作りにはある程度の時間がかかる。そのため、まずは国内組でチームのベースを作る。そして、合わせる時間の少ない海外組は、そこへ少数トッピングするような形とする。そのような、私のして欲しかった強化の形が、ここに来て実現しそうになってきています。うまく機能させて欲しいですね。
「いつでも帰ってきなさい。門は閉じられていない」
さて、この招集を見てつくづく思うのは、「オシム監督はけして門を閉じない」ということですね。これまでオシム日本に一度呼ばれ、その後招集されなくなった選手は何人かいます。それはおそらく、Jリーグでのパフォーマンスは十分だが、オシム監督が代表で要求することが出来ていない、という判断でしょう。特に二川、小林大悟、山瀬、中村直志など、攻撃的MFにそういう選手が多く、おそらくは「走る」ことの量と質で、まだ十分ではない、と判断されたのだと思います。
しかし、今回好調のガンバから二川が代表に復帰しました。一度下った判断も、いつでもクラブのパフォーマンスで覆すことができる、ということですね。そしてオシム監督は非常にJリーグの視察を精力的にする監督ですし(この日はなでしこ含め3試合!)、それを選考にも反映させるということは、今回また非常に明確に示されました。これからも、いつでも、誰でも呼ばれる可能性はあり、また外される可能性もあるわけです。「代表に指定席はない」ということでもあるのでしょう。
もちろん、このようなやり方にもメリットとデメリットがあります。「健全な競争」とよく言われますが、それはよいことばかりではないと思います。しかし少なくとも、「代表に指定席はない」「門は閉じられない」ということは、選手にとって常に希望と緊張感を与えてくれることでしょう。それが選手に、そしてJリーグに、好影響を与えてくれることを期待したいと思います。
ペルー戦がつくづく楽しみになってきましたね。おっとその前のナビスコカップも。
それではまた。
12:26 AM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
February 20, 2007考えて、前進する
オシム日本の2007年頭合宿が終わりました。ジーコ時代にはコンディショニングなどが主となっていた代表の年頭合宿ですが、今回は戦術練習と練習試合が主で、内容的にも興味深いものとなっているようです。
オシム監督: 何か私の言うことを理解し始めたという感じはした
あのひねくれものの(笑)オシム監督がこのように言うとは、ちょっと意外ですね。本当に手ごたえを感じているのか、また記者が切り取っているのか。前者であることを祈りたいところですね。
さて、合宿では、16日と19日に大学チームと練習が行われました。あくまでも練習試合ですから、布陣とかも「狙いがあって」しているもの、そのままペルー戦のピッチに送り出されるとは限らないわけですが、興味深いのでちょっとまとめておきたいと思います。
新顔が輝いた?(16日)
16日はまずvs流経大戦です。選手の組み分けの条件は
・両方が同じくらいの実力になること ・新しい選手が偏らないこと ・どちらが先発で控えかわからないようにすること |
ということなので、ここでの組み合わせや起用法が今後に大きな影響を与えるというわけではやはりなさそうです。スタートの布陣は3-5-2。
--我那覇--播戸--- -----野沢----- 相馬-啓太--憲剛-加地 -今野--闘莉王-阿部- ------------ -----山岸----- |
このメンツにプラス橋本、矢野、川島というメンバーだったとのこと(加地・相馬以外の選手の左右はわかりません)。
流経大にカウンターから点を奪われると、途中から4バックに変更。今野が左サイドバックに。相馬を前に押し出します。相馬の守備力をカバーしようということでしょうか。ただこういう指示がベンチから出るのはオシム日本では珍しいですね。たいていは選手同士で話してバックの人数を加減していたように思うのですが・・・。なんにせよ、対応力、柔軟性があるのは良いことですね。
--我那覇--播戸--- --相馬----野沢-- ---啓太--憲剛--- 今野-闘莉王-阿部-加地 ------------ -----山岸----- |
啓太→橋本、播戸→矢野と交代して
--我那覇--矢野--- --相馬----野沢-- ---橋本--憲剛--- 今野-闘莉王-阿部-加地 ------------ -----山岸----- |
ガンバのユーティリティープレーヤー橋本は、啓太のバックアップに名乗りを上げられるでしょうか?個人的には非常に期待しているのですが・・・。
後半途中から我那覇→播戸、野沢→啓太と交代(たぶん憲剛を一列あげて)
---播戸--矢野--- --相馬----憲剛-- ---橋本--啓太--- 今野-闘莉王-阿部-加地 ------------ -----山岸----- |
こんな感じだったようです。相馬の2列目(完全に三都主と同じ扱い?)、今野のサイドバック、2トップの組み合わせ(ポスト+セカンドストライカー?)などは興味深いですね。
二本目、筑波大との試合は4-4-2でスタート。これプラス林、寿人、藤本というメンバー(これも選手の左右はわかりませんが)。巻と高松の2トップの組み合わせも見てみたい。
---巻---高松--- --山岸----羽生-- ---勇人--遠藤--- 駒野-中澤--坪井-隼磨 ------------ -----川口----- |
後半から山岸→藤本
---巻---高松--- --羽生----藤本-- ---勇人--遠藤--- 駒野-中澤--坪井-隼磨 ------------ -----川口----- |
「彼(藤本)は右サイドを次々とえぐって決定的チャンスを作」ったようです。彼はレフティーですが、やはり右での起用がメインなのでしょうか?えぐってチャンスを作るというところは、西部さんタイポロジーでいう「MF2」(前線へ早いサポートのできる選手)的なイメージも感じますね。
この日の練習に関するコメントは
オシム監督: 初めて呼んだ選手を含め、全員がやる気を出して戦った。戦術的にも走る部分でも大変いい試合をした。矢野(貴章=新潟)のハットトリックに関しては何ゴールというのは今の時期、あまり大事じゃない。が、競争がますます激しくなったという意味ではいいこと。私の選択肢が増えたということだ
浸透していくコンセプト(19日)
19日の練習試合は東海大と2試合。一試合目の先発は4-4-2のようです。
---高松--巻---- --相馬----遠藤-- ---阿部--勇人--- 橋本-闘莉王-坪井-加地 ------------ -----山岸----- |
橋本のサイドバック。クラブでもアウトサイドで起用されることもあるし、今年サイドバックも練習し始めていると聞きましたが、興味深いですね。また、阿部が代表でのボランチをするのはもしかして久しぶりでしょうか?
途中で痛んだ阿部に代わって播戸。播戸はOMFに。こんな感じ?報道では「サイド」となっていて、かなり2列目は張り出してプレーしていたのかもしれません。
---高松--巻---- 相馬--------播戸 ---遠藤--勇人--- 橋本-闘莉王-坪井-加地 ------------ -----山岸----- |
前日に練習していたという「数的有利を作ってのサイドアタック」は、アジアカップに向けてかなり重要なようです。播戸や寿人がサイドで起用されたのも、そこに意図があるのでしょうね。
後半はGKに林が入ったようです。
2試合目は、4-3-3(?)。これはちょっとこれまでみたことがない形でしょうか?
山岸--我那覇---寿人 --野沢----藤本-- -----憲剛----- 駒野-中澤--今野-隼磨 ------------ -----川口----- |
4バック、1ボランチ、3トップとは、かなり攻撃的ですね。まあこの辺は、移動便の都合で起用できる選手を決めたと言いますから、あまりペルー戦への参考にはならないでしょうけれども。水を運ぶ選手は足りているのか、ちょっと聞いてみたくなりますね。
川口がふくらはぎを傷め、川島に交代。矢野も途中から出場したようです。この布陣での試合が
山岸: 試合を見てもらえば分かるけど、ワンタッチ、2タッチでパスを回して、動きながらのサッカーができていた。みんなが少しずつオシムさんのサッカーを理解しているということ
と振り返られる、だいぶ内容の良いものだったようです。藤本や野沢、寿人あたりが活躍してそういう内容だとすると、コンセプトを理解した選手の底上げができ、オシム監督が悩むような状態になりつつあるのかもしれません。いいことだと感じますね。
アジアカップはもうすぐそこ(活動日的には)
興味深いのは、練習試合では4バックが多かったこと。大学生側が1トップが多かったからでしょうか?オシム監督のチームは、敵の出方によって最終ラインの人数を変えることは今では良く知られていますね。さて、ペルー戦はどうなるでしょうか。
今野、橋本のサイドバック、相馬の2列目起用も増えましたね。こちらも面白い。播戸や寿人の外での起用は、今後に続いていくのかどうか?いずれにしろ、ポリバレンスという考え方は、すっかり定着しました。
この合宿の成果が、どのようにペルー戦へ、その選手選考に現れてくるのか。そしてアジアカップへの道筋はどのようなものになるのか。楽しみになってきましたね。
オシム監督: あとは試合直前にしか選手を招集できない。準備はもう終わりました
今日は簡単なまとめでした。それではまた。
06:31 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|
February 18, 2007もちろん、まだ走るんだ
オシム日本の2007年初合宿の代表候補選手が発表された。すでに各所で話題になっている通り、今までと違う、非常にユニークな部分もある選考で、「オシム監督もまったく『守り』に入らないな」と、私などにはうれしくなる選考だった。しかし同時に、そのユニークさからか、すでに批判も出ているようだ。
日本代表は日本のサッカーファン全体の関心事であり、常に見守られ、場合によっては是々非々で批判されるのは当然でもある。しかし、その批判があまりに性急であったり、的外れであったりすると、日本代表の強化にとってあまりよろしくないこととなるだろう。現在いくつかのBLOGなどで出ている、選手選考に関するオシム批判は正当なものなのだろうか?今回はそこを少し見てみたいと思う。
コンセプトを理解した選手たち
まず第一に、私は「選手選考は代表監督の専権事項である」と思っている。私好みの選手や、私が使うべきだと思っている選手が選ばれる/選ばれないということによって、その監督を支持したり、逆に批判したりするつもりはない(過去にもしていないつもりだが、もしどこかでしていたら申し訳ない)。もちろんこれは私の考えであって、違う流儀もあってかまわないことだが、少なくとも現在までのオシム監督の選考に関しては、私には基本的に納得できるものが多いとも思っている。
例えば、オシム監督が率いていたジェフ千葉の選手が多いということに関して、私は「当然だろう」としか思わない。どんな監督にも「自分流」があり、それを早く代表に浸透させるためには、そのやり方を理解した選手を多く選ぶのは当たり前のことだ。ジーコ監督も最初の試合に秋田、名良橋(ともに鹿島)をピッチ上に送り出し、それを1年継続した。トルシェ監督は自分のやり方を浸透させやすかったナイジェリアユース組をその後も重用した。
秋田や名良橋が選ばれたときには「彼らは2006年のドイツのピッチにはいないだろうから意味がない」という批判があり、2000年のはじめ、ナイジェリア組が重用され始めたときには「Jのピッチで実績のない選手がなぜ代表に?」という批判があった。しかし、その後の経緯を見れば、それらの批判は的外れだったことがわかるのではないだろうか?
オシム監督にとってのジェフの選手たちも同じことだ。これまでの代表戦を見ても、やはりボールを奪った瞬間の走り出しは彼らに一日の長がある。あるいは体を張ったポストプレーや、前線からの守備で巻を上回る選手はいない。それらを重視するオシム監督が彼らを選ぶのは当然だろう。そして、それはジーコ監督が「ブラジル流4バックの理解度」を尺度にした時、トルシェ監督がフラットスリーやオートマティックなパス回しの体現度を基準にした時と同じ、まったく普通のことだ、と私には思えるのだ。
メディアリテラシー
今回の合宿には、川島(川崎)、林(流通経済大学)、相馬(浦和)、矢野(新潟)といった、Jリーグで必ずしも高い実績を上げたとは言えない選手が選考されている。これについては、オシム監督の「海外組でもレギュラーでなければ呼ばない」といった発言と矛盾しているのではないか、という批判はできるだろう。
ただ個人的には、その発言は「海外クラブ所属だからといって無条件で選ぶことはこれからはしない」という、いわば「優遇の否定」をしただけであって、「Jリーグ所属の選手を出場実績を基準にして選ぶ」ということを言ったわけではないと思っている。
もちろん、代表に入る選手はリーグで十分な実績のある選手が基本となるだろうが、「そればかり」でなくてはならないわけではない。今回の招集に関するオシム監督の発言は、こちらの報知新聞では
―初招集は?
オシム監督: 2~3人いると期待してもらっていい。ただ、初招集とはいっても新人という意味ではない。Jリーグで実績のある選手を呼ぶ
と、あたかも「実績を基準にして選ぶ」と言っているかのように書かれているが、サンスポでは
オシム監督: 新しい選手? それは実績のない選手、Jの新人という意味ですか? それならないです。初選出という意味であれば2、3人の期待はしてくれていいと思います
「Jの『新人』は選ばない」ということを言っているに過ぎないことがわかる。
「Jリーグの実績を基準にして選ぶ」
「Jリーグの新人を選ぶつもりはない」
この両者はまったく違うのは自明だろう。これは、オシム監督が「新しい人を選ぶのか?」という言葉に対して皮肉を浴びせているだけだ、ということは、そろそろ日本代表をしっかり見ている層にはわかってきていることだ。こういうことは、記者の切り取り方によって意味がまったく変わってしまうので、読むメディア、あるいは切り取り方を注視していかないといけないだろう。
かつての「期待枠」たち
また、再び昔語りをするならば、ジーコ監督がはじめて加地を選んだときも、加地は必ずしもJリーグで豊富な経験を持っているわけではなかったのではないか?所属のFC東京では、むしろ徳永(大学生でもあった)のほうが優先的に起用されていたような状態だった。あるいは、先にもあげた2000年当初のトルシェ代表では、例えば中田浩二はボランチでさえ鹿島のレギュラーではなかったのだが、フル代表のCBとして起用されていた(左図は2000年2月のカールスバーグカップvsメキシコ戦)。
「Jリーグでやっている他のアウトサイドはそんなにダメなのか?」「Jリーグでやっている他のCBはそんなにダメなのか?」ジーコ監督が加地を、あるいはトルシェ監督が中田浩二を重用し始めた時、このような批判が多く投げかけられた。しかし、三代続けて代表監督がこのようにしているのは、どういうことなのか、そろそろ考えてみてもいいのではないか?時として、クラブでのパフォーマンスよりも、代表のコンセプトに合うかどうかのほうが重要なこともあるのだ。
オシム日本でも、横浜Fマリノスの山瀬が選ばれたときは怪我から長期にわたる欠場が続き、ようやくその直前のリーグ戦で先発出場を果たしたばかりの状態だった。実績がないという意味では、今回の川島や矢野とそれほど変わらない。しかし私は、その時の代表監督が自分の戦術やコンセプト、方針に合うと思えば、経験が浅かろうとその選手を選べばよいし、起用すればよいと思う。そうすることで2006年の加地のように、あるいは2002年の中田浩二のようになる可能性がある(オシムの目から見て)のであれば、何が問題だというのだろう?
ホームサウジ戦までと、これから
さて、さらにもう一つ、今回がこれまでと、そしておそらくはこれからとも違うのは、これが「試合なしの合宿だけ」の候補メンバーであるということだ。ジーコ監督時代はなかったが、トルシェ時代にはかなりの回数あり、例えば2001年2月には45人(!)のメンバーを集めて、ほぼ「選考合宿」に近いものが行われている。今回、五輪代表が選べない中で、28人選んで行われているこの合宿も、その色が濃い、と思う。
また、この時期にそれが行われるのには理由があるだろう。実は昨年のオシム日本は、就任2試合目から、アジアカップ予選という一応にも公式戦を戦わなくてはならなかったのだ。純然たる親善試合は2試合のみで、残りは公式戦。もちろんアジア相手ではあるにしろ、構築中のチームでは足元をすくわれる可能性もある。その中では、新しい選手を試すとしても限定的にならざるを得なかっただろう(それでも相当新しい選手を招集していたが)。今回、ようやくその枷が外れたのだ。
リーグ戦で出場機会が少ない選手は、試合を戦うコンディション、試合勘という点で、バリバリ出ている選手にはどうしても劣る。そういう選手を昨年起用することは難しかった。しかし、開幕前のこの時期ならば、横一線で並べ、見極めていくことができる。そのことも考慮されているのではないだろうか。
「三都主よりいい選手」?
選手一人ひとりを見ると、川島、矢野は年代別代表歴もあり、林も含め「期待枠」としては妥当だろう。この辺の選出には、コーチ陣の意見も反映されただろうと個人的には想像している。矢野は、大型で体を張ったポストができ、守備も精力的にするという点で、「巻タイプ」としては貴重だという意見もある。相馬も期待枠だろうが、私としては実はちょっと意外。もっと守備をするタイプをオシムは好むのではないかと思っていたからだ。が、その辺の手綱さばきが興味深いところでもある。
ちなみに、「三都主の代わりの選手」について聞かれたオシム監督は「三都主よりいい選手を選ぶ」と語ったと一部報道(先にもあげた報知)ではなっているが、こちらでは
オシム監督: 誰かの代わりというより、誰かよりもいい選手がいると期待した方がチームはよくなります
という「一般論」を語っているに過ぎないこともわかる。「誰かの代役は?」という聞き方は、選手に失礼だから止めて欲しい、というやんわりとした諌めでもあるだろう。
オシム監督はこのようにさまざまな理由で一般論を多く語るのだが、スポーツ新聞はそれを「ある目的を持って」切り取っていく。それに踊らされて「相馬のどこが三都主よりいい選手なんだ!」と言っても仕方がないことだ。以前から言われていることだが、私たちも「売らんかな」のスポーツ新聞に対するメディアリテラシーを、もっともっとしっかり持つことが必要だろう。
あわてないあわてない
私は現時点ではオシム監督を支持している。理由はすでに述べたように、私が代表監督に望む多くの条件を満たしているからだ。また昨年のホームサウジ戦で見せた試合内容も立派なものだった。ただ、だからと言って完全にフリーハンドですべてを丸投げしていいというわけでもないのは、もちろんのことだ。しっかりと注視し、是々非々で考えていかなくてはならないだろう。サポーターだって「考えて走ら」なくては、オシム日本においていかれてしまう(笑)。ただ、今回の選手選考は私には特段問題のあるものには思えないのだ。
選手選考は代表監督の専権事項。私たちよりも自分のコンセプトに(もちろん!)精通し、どんな選手が必要かを知り抜き、そして私たちには知りえない選手に関する情報を多く持っている監督の人選を、とりあえずは信頼して任せてみてもいいのではないか。まだ就任1年目、ジーコ監督で言えば2003年、当時は2試合しかこなしていなくて、この時期合宿もしていなかったんだよ?
それではまた。
10:38 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
February 13, 2007オシムと俊輔
Number誌671号「日本サッカー2007年の設計図」のなかに、杉山茂樹氏がオシム監督にインタビューをしている記事があります。題して「あえて率直に言わせてもらう」。杉山茂樹氏といえば、例の4−2−3−1を絶賛し、フォーメーションを過剰に重視するライターさんですね。「問題は3か4かではない」というオシム監督とは相性が悪いだろうと思っていたのですが、この記事ではオシム監督と何かが上手くかみ合っているようで、なかなか興味深い記事になっているのが驚きでした。
この中でオシム監督は実に多岐にわたることを語っていますが、核心とも言える「中村俊輔選手について」も、言葉を尽くしています。一読すると、オシム日本代表に中村選手を呼んだ場合の問題点を列記してあるように取れるため、一部では「オシムは中村起用に消極的なのではないか」という推測が出はじめているようです。しかし、これは正しくない読み方だと私は思います。
人生の二つの顔
オシム監督の語りの特徴は、「人生に存在する<二つの側面>について理解して欲しい」という態度だと思います。サッカーはもちろん、人生のあらゆる問題において、AかBか、0か100かで割り切れることはほとんどない。そこには常にメリットとデメリットがあり、正しさと別の正しさが、せめぎあっているものだ。しかしジャーナリストは「Aですよね?」と聞いてくる。それに対しては「Bの側面も考えられないだろうか?」と返す。「Bに決まってますよね?」と聞けば「いやいや、Aの側面もある」と返してくる。それがオシム監督がずっととってきた態度です。
それを理解してこのインタビューを読むと、ただ
A)俊輔を呼んだ場合のメリットとその根拠 B)俊輔を呼んだ場合のデメリットとその根拠 |
を列記し、
前者A)が後者B)を上回っていれば、起用する |
という一般論を述べているのに過ぎないということが分かるでしょう。
オシム: もしポジティブな材料が多いと判断されれば、中村はチームの一員に加われるだろう。
ただ、世間一般には中村を待望する意見があることを、勉強家のオシム監督はよく知っており、それゆえにA)の呼んだ場合のメリットについての言及は控えめになっているのかもしれません。あるいはそこは、「呼ぶべきだ」と主張したいジャーナリストがが立証するべき部分だ、ということでしょうか。
オシム: 今考えなければならないことは、中村という選手を呼ぶ意味だ。あえて率直に言わせてもらおう。彼は日本代表に何をもたらすのか。それによって何を浪費するのか。
ここでも彼は、答えを出していませんね。もちろん、まだ呼ばれていない、テスト起用もされていない状態ですから、答えが出ていないのも当然です。が、それと同時にオシム監督は、「考えるのは君たち自身なんだよ」と言っているようにも思えます。呼ぶべきと言うのでも、呼ぶべきではないと書くのでも、そこの両方の視点を持って、比較の上で考えないといけない。そういうメッセージ。こうしてどんどん、考えるジャーナリストと、そうでないジャーナリストが選別されていくのかもしれませんね。
中村俊輔をどう使うのか
これは、そのNumberの記事中にそのままあった段落タイトルです。中では、中村について、そして起用した場合の構想について、非常に率直にオシム監督は評しています。
オシム: かつてに比べれば、走るようになっている。良いプレーも見せている。しかし、守れない。彼中心にチームを作れば問題が生じる。
興味深いですね。今期の中村選手のプレーの変化をオシム監督は見て取っていますが、同時に「守れない」と言う。本当でしょうか?個人的には、彼の守備の意識も相当に向上してきているように見えているのですが・・・。もしかすると、あえて課題を強調しているのかもしれません。彼がこういう言い方をするときは、インタビュアーが一つのA)に偏りすぎているように見えるから、という可能性がかなりあると思えます。
それはさておき、それに続く、中村選手を起用した場合の構想がまた興味深いものです。オシム監督は中村選手を起用した場合、その特質のために、5人の選手が必要になる、と言っています。
1) サイドを駆け上がるスペシャリスト 2) クロスにあわせるセンターフォワード 3) 逆サイドでサイドチェンジのボールを受けるフォワード 4) 中村の背後をカバーするフィジカルの強い選手(鈴木や阿部) 5) サッカーゲームをよく知っている選手(遠藤や憲剛) |
私は、ほうほうとこれを読みながら、同時ににやりとしてしまいました。だって今の代表チームには、この5人の選手はすでに存在しているじゃないですか?つまり、これは「今の代表チームなら、中村選手を活かせるよ」といっているのと同じことだと私には思われるのです。もし私がインタビュアーだったら、「それなら今のチームは中村の受け入れ態勢が十分ですね?」と突っ込んだでしょう。まあ、また「いやいやBの考え方もある」とはぐらかされたでしょうが(笑)。
例えば2006年ドイツW杯でのフランス、ジダンを活かすためにその周囲には、マケレレやビエラといった4)の選手、あるいはスピード豊かにボールを受け、敵に強烈なプレスをかけていくリベリーのような選手が配されていましたね。そのようにタイプの違う選手を組み合わせて配置することは、サッカーのチーム作りではむしろ常道ともいえることでしょう。ここではオシム監督は、そのようにする、という当たり前のことを言っているだけなのじゃないかと思えるのです。
オシムのタイポロジー
関連して、少し前ですが西部謙司さんが興味深い記事を書かれています。「オシム式タイポロジーの考察」。タイポロジーとは「類型論」で、オシムジャパンでの選手起用はどんなタイプに分けられるか、ということを考察したものですね。オシム監督の選手起用は「ポリバレンス」を重視し、単純にボランチとか、トップ下とかの言葉では言い表せないもので、このようなタイプ分けによる分類は意義があることでしょう。西部さんのこの記事に対する私の意見は一回掲示板のほうに書いたのですが、この杉山氏のNumberの記事を受けて、またさらに考察が深まる部分も出てきたので、ここで見てみたいと思います。
まずそのタイポロジーですが、西部さんの分類に従うと、サウジ戦はどうなるのでしょう。
他は大体しっくりくるのですが、我那覇はターゲットなのかセカンドトップなのか、というところが少し分類しにくいですね。まあ無理やり分けなくても、その中間ぐらいというところで、問題はないでしょう。
もう一つ興味深いのが、MF1と分類されている憲剛と三都主です。MF1の説明はこう。
▼MF1=ボランチタイプを置くこともあるが、より攻撃的なタイプを使うこともある。用兵的には変化を出しやすいところ。いわゆるエクストラキッカーを起用することも。代表では遠藤保仁、三都主アレサンドロ、長谷部誠、中村憲剛など。千葉ではクルプニコビッチなど。
西部さんは「変化を出しやすいところ」としていますがむしろ、「タイプ分けが異なる」と考えたほうがよいのではないか、と思います。これまでの日本代表の試合を見ると、中盤の一人はボランチ2(鈴木)ですが、一人は「ボランチもOMFもできるタイプ」、いわばCMF(セントラルミッドフィールダー)を起用していますね。オシム監督がNumberで言うところの「サッカーゲームをよく知っている選手(遠藤や憲剛)」です。そしてもう一人の枠に三都主が入ってくるか、羽生や山岸が入ってくるか、と見たほうがわかりやすいのではないか、と思います。
羽生や山岸は西部さんのMF2と見たほうが良いですね。しかし三都主はMF2には当てはまりそうにありません。
▼MF2=前線へ早いサポートのできる選手。千葉の羽生直剛が典型。中東遠征で抜擢された大分トリニータの梅崎司もこのタイプ。オシムサッカーの攻撃のスピード感を最も体現しやすいポジションでもある。
こうして見てみると、OMFとして起用されるときの三都主は、ただ一人特別なポジションを与えられているように見えます。もちろん守備は要求されているのでしょうが、それにしても羽生ほどの運動量はない。明らかにタイプが違う。MF1のようにボランチもできる、わけではない。しかしOMFとして起用されている。いわゆるエキストラキッカーとは、こういうタイプのことを言うのではないでしょうか?仮にこれをEX(エキストラキッカー)としてみましょう。
ここで私が興味深く思うのは、オシム監督は中村俊輔選手を先のタイプ分けの「MF1」として考えていない、ということです(Numberの記事でそれは明らかになりましたね。ついでに言えば、中田ヒデ選手もMF1では「ない」ということのようです)。海外組のMFで言えば小笠原、稲本といった選手達は、まさにこちら、ボランチもできるMF1=CMFのほうに分類される選手だと思います。しかし、中村選手は違うとオシム監督は認識しているようです。
個人的には、そしてNumberの記事を読むにつけ、中村選手、松井選手は、「EX」というタイプとしての起用になるのではないか、と思えます。それであれば、そのポジションに入ったときの三都主選手と少なくとも同等か、それ以上のプレーを見せてくれることは確実でしょう。チームにはすでに先に掲げた「一人のスーパーな選手を活かすために走り回る5人の選手」が配置され、熟成を深めています。これはまさに、「中村選手を迎え入れるための器を作っておいた」と言ってしまったら言いすぎでしょうか?
その他、西部さんのタイポロジーに従うと、海外組では図のセカンドトップ(ST)に高原、V1に中田浩二あたりが起用されそうですね。それ以外にレギュラーを取っているのは稲本と松井くらいでしょうか(オシム監督は、海外リーグに所属していても、チームでレギュラーでなければ招集しないと言っていますね)。松井は今必ずしも調子がいいとは言えないようですが、稲本はどうでしょう。MF1での起用があるかどうか?いずれにしても、「時間の取れる国内組でベースを作り、そこに調子のいい海外組をトッピングする」ということになりそうで、これは合理的な強化法だと思います。
さてさて、海外組招集、その融合がいつ、どのようになされるのか、楽しみでもあり、気になるところですね。
それではまた。
04:56 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(3)|
December 27, 2006ちょっといい一里塚(サウジ戦回顧)
もう時機を逸しているのは明らかなのですが、オシム日本の今年最後の試合だったアジアカップ予選サウジ戦(ホーム)について、思うところを書いておきたいと思います。とてもよい内容で、アジアの難敵を3-1とねじ伏せたこの試合、個人的には「Jリーグの選手の力もしっかりまとめ上げれば、ここまで(あるいはもっと)いけるのだ」という指標となりうる試合だと思いました。まあ、SoccerCastで語ってしまっていることでもありますが、年末でもありますし、重なるところも含めて、文字で残しておきますね。
半年分の集大成
この試合、オシム日本の攻撃の方向性がついにはっきりとし、また守備の問題点が再び明らかになった試合だったと思う。
オシム日本の攻撃の特徴は、
・すばやい守→攻の切り替え ・数多いフリーランニング・追い越し ・数的有利を作ってのサイドアタック ・DFラインからの攻撃参加 |
といったところだろう。これらを総じて「考えて走るサッカー」と言われるわけだ。
しかし、この試合までのオシム日本には、「技術のない選手を走らせてもダメなんじゃないか」といった批判が幾分出ていた。ジェフサポでもある西部謙司氏でさえ、次のように書いている。
40メートルの距離を正確に蹴る技術がない選手は、40メートル先の状況を精緻に観察しようとはしない。左足で蹴れなければ、左足を使ったプレーをイメージできない。アイデアには技術の精度と不可分なところもある。
おっしゃっていることはまったく正しいのだが、私は少し違う考えを持っている。SoccerCastのほうでは英会話になぞらえて話をさせてもらったが、「その技術が必要な環境がないと、その技術の必要性に気づかないし、伸びない」のではないかと思っているのだ。JFAのテクニカルレポートでは日本の課題として、「ボールと人が動きながら正確にコントロールする技術は不足している」ということをあげている。走りながらボールをコントロールする技術の必要性に気づく、伸ばすためには、走っていなくては不可能だ。そのためにも、まずは「走ること」を要求していくのは、理にかなっていることではないだろうか。
サウジ戦(ホーム)では、これまで蓄積されたものがついに少し実を結び始めた、という印象だった。もちろんまだまだ端緒についた程度だろうが、これからだんだん果実が大きくなりそうな道が、かなりはっきり見えてきたと思う。アウェイの試合ではよい試合をしながら敗北してしまった日本だが、4ムンタシャリ、20カフタニら主力メンバーが戻ってきたサウジを攻撃面で大幅に上回り、3-1で勝利した。サウジは2006年ワールドカップ出場国であり、アジア5強の一角を占めると言っていいだろう。そういう敵に対して、この内容は立派なものだ。想像していたよりも、チームの仕上がり、コンセプトの浸透が早いという印象だった。
2トップの組み合わせ
この試合で興味深かったのは、4バックのサウジに対してオシム監督が、巻と我那覇の2トップをピッチに送り込んだことだ。同じ4バックのガーナとは、山岸-巻-佐藤寿人というほぼ3トップのような布陣で戦ったが、この試合ではそれとは違い、2トップの後ろに三都主、中村憲剛を並べるというやり方を取った。ガーナ戦では、SBの上がりに対する佐藤寿人の守備面での頑張りが目を引いた。あの3トップはオシム監督の中では4バックに対する守備の対応の色合いが濃いものだったのかもしれない。逆にこの試合では、アウェイの戦い方をしてきたサウジアラビアの4バックに対して、2トップが攻撃面でうまく機能していた。
巻は運動量豊富に動き回ってスペースを作り、またハイボールに競り勝って我那覇に確実につなぐ。我那覇はできたスペースで足元でやわらかくポストプレーをし、フォローに来た中村憲剛に落とす。ダブルポストのこの組み合わせはお互いがお互いをよく生かしていたと思う。そうして前を向いてボールを持った憲剛は、長短のパスを操ってポゼッションを高め、攻撃をリードしていった。こうなると、オシム日本のいいところである、豊富な動き出し、追い越し、数的有利を作ってのサイドアタックなどがうまく機能し始める。
余談だが、今年の2月に日本代表はUSAと親善試合を行った。このときジーコ監督は久保の1トップを試している。しかし怪我を抱え調子の上がりきらない久保は1トップの役割をこなしきれず、ハーフタイムで巻、佐藤寿人の2トップに変更された。それを見ていて私は、ポストというよりもストライカーである久保のようなタイプには、巻や柳沢のような「スペースを作り、他の選手に使わせることのできるタイプ」と組み合わせたほうが、より効果が上がるだろうと思った。USA戦でも、ちょっとでいいから久保と巻の組み合わせが見たかったものだ(もちろんコンディションの問題もあったのだろうが)。サウジ戦での生かしあう二人のFWを見て、私は当時のことを懐かしく思い起こした。
コンセプトの具現した攻撃
閑話休題。サウジ戦の先制点は、CKを巻がヘディングシュート、GKがはじいてこぼれたところを闘莉王が押し込んだもの。その後も闘莉王はしばしば上がって中盤の構成に参加していく。DFラインからのロングパスを含め、阿部、今野、闘莉王と、この日のDF陣は攻撃面でも非常に目立っていた。やはりオシム監督はCBにもポリバレンスというか、「ピッチのどこでもチカラを発揮できること」を求めている、特に足元の技術を重視しているのだろうな、とこの試合で改めて理解できたところでもある。
追加点はその象徴のような形。右サイドを追い越した今野(豊富な追い越し、CBの攻撃参加、数的有利をサイドで作る)が、中に切り込んでクロス、それを我那覇がヘディングシュート!非常にきれいな、コンセプトの具現された得点だった。しかし思い起こせば、アウェーイエメン戦での得点もアシストは坪井ではなかったか。それも同じようなアーリー気味のクロスからの得点。「これからは代表ではこういうことが必要とされるのだ」ということの見事なメッセージになっているだろう。よいことだと思う。
しかし、鈴木啓太のパスミスから、一気にカウンターを食らって今野がペナルティエリア内でファウル、PKを与えてしまう。ちょっと厳しい判定だと思わなくもなかった(笑)。ただ、この試合は攻撃面、構成面でいいところが多くなってきたとはいえ、実はこういうミスもまだ多かった。動き回る周りの選手の前方のスペースにパスを出すことを、多くの選手が狙っているのだが、そのパスがやや「えいやっ」とでもいうような、チャレンジパスになっていることがままあったのだ。もちろん、リスクを負わなくては勝負できないのだが、それを「していいところ」と「するべきではないところ」をきちんと判断しなくてはならない。鈴木にはこれを教訓としてほしい。また、問題はパスミスの後に高い位置で攻撃の芽を摘めなかったところでもあるだろう。その辺は後述したい。
3点目は、今野と駒野のコンビネーション。今野の左サイドへのパスを駒野が受け、ダイレクトでクロス、ニアに走りこんでいたのは逆サイドにいるはずの加地で、彼がスルーしたボールを我那覇が決める。ここでもオシム日本のいいところが出ている。全員の守→攻の切り替えが早く、また運動量も多く、チャンスに参加する人数が非常に多いのだ。このシーンでもペナルティエリア内にサイドの加地が入り込んでいるが、そのほかのシーンでもクロスに3人、場合によっては4人以上がペナルティエリアに入っていることが多い。加地からのクロスに大外で駒野が受けてシュートしたシーンもある。「走るサッカー」の面目躍如たるところだろう。
積み残した守備面の課題
ところがこの後日本はややサウジにペースを握られてしまう。世間一般では「疲労が出た」と評されるシーンだと思う。が、私はそれと同時に、「守備面での走るサッカー」ができていなかったという問題も指摘しておきたい。それは前半から存在していた問題なのだ。PKを与えてしまったシーンもその範疇に入る。オシム日本のサッカーの守備面の特徴は
・全員守備 ・ほぼ全員がマンマーク ・高い位置から(FWから)奪いに行く ・DFラインは敵の人数+1 |
などで表現されるだろう。しかし、攻撃戦術とあわせると、そこに乖離があるのは誰にもわかるところではないだろうか。
オシムのチームでは、攻撃時には誰もがポジションを崩して攻撃参加することが奨励されている。しかしいったん奪われれば、マンマークにつかなくてはならない。ポジションを崩しているのだから、試合前に決められたマーカーがフリーになってしまっている可能性もある。また、最終ラインが受動的な守備だと、大きくスペースが空いてしまうこともある。そうなると、「誰かが」急いでケアにいかなくてはならない。それらの点で、オシム日本は守備面でも「考えて走ること」が要求されるサッカーなのだ。
サウジ戦では、敵の中盤の右7ハイダルと左24スリマニが脅威となった。それに対しては加地と駒野がケアをするという考えだったとオシム監督は会見で話している。それも、マークすることよりも攻撃面で上回ることで、敵陣に押し込めてしまおうということだ。これは常道でもあり、実際機能している時間もあった。
しかし、ハイダルやスリマニがいったん自陣を出、ドリブルでするすると持ち上がってくると、日本の選手たちの頭には一瞬の空白ができてしまう。加地や駒野が下がっていると「彼らがケアするだろうからいいだろう」とでもいうような一瞬の間ができてしまっていたのだ。また、加地や駒野も最終ラインが数的有利でも、前からドリブルで向かってくる相手をケアしに「出て行く」のが少し遅れていた。これによって、1ボランチ鈴木啓太の両側のスペースを使われることが多くなってしまっていたのだ。
これは前半からあった問題であり、日本が3点目を入れてから顕著になったのは、日本の疲労と「3点入ったから」という意識もあるが、サウジが「もう攻めるしかない」状態になってどんどん仕掛けてくるようになったことも大きい。このような場合は、現在のやり方で戦うかぎり、三都主や憲剛、加地、駒野にもっともっと「敵を高い位置でつかむ」意識を持ってもらいたいところだ。「後ろに人が足りているからいい」ではなく、自分で当たりにいく。その後のスペースはまた誰かが「考えて」埋める、というようにしたほうがよいと思う。
この守備面での「考えて走る」サッカーは、実は攻撃面よりも完成させるのが難しいのではないかと私は思っている。ここを世界レベルまで引き上げることがオシム監督の重要なミッションになるだろう。今私はJFAのテクニカルレポートを読んでいるのだが、この「守備面でも考えて走るサッカー」は少なくともレポートに指摘された課題に沿った、正しい(少なくとも間違っていない)方向への進歩だとも言える。この点については次回に詳しく見てみよう。
2007年は、形を見せてきたオシムのチームらしい攻撃の上に、この守備面での課題をはっきりとした形で改善する年にしてほしいと思う。
それではまた。
01:02 AM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
October 23, 2006オシムの「多中心」サッカー
BLOGではちょっと遅いご報告になりますが、盟友の発汗さん(「発汗」)、エルゲラさん(「サッカーのある幸せ」)とともに、SoccerCastと題したポッドキャスティングを始めています。どうぞよろしくお願いします。
http://soccercast.cocolog-nifty.com/blog/
3人で対談すると、意見がシャッフルされて、思った以上に話していておもしろかったですね。第1回目の内容はガーナ戦の感想、その成果と課題についてでした。「ガーナのプレースピード」「オールコートでのマンマーク?」「フォーメーション談義は?」「アレックスってどういう存在なんだろう?」「どの辺が気になった、どの辺がよかった?」「トラップミスは?」「両ストッパーは」「インサイドの顔出し」「新加入選手の評価は?」「中村憲剛のプレー」「播戸に見たもの」「海外組は誰が欲しい?」などなどについて語っています。
先日UPした第2回目は、アジアカップ最終予選インド戦(アウェー)の感想についての前半、「概観と成果、課題」についてのものです。全体に評判の悪いインド戦ですが、私はライブでは試合を見れなくて、後日HDDに録っていたのを見たものですから、もしかするとネット界随一?というくらいポジティブな内容かもしれません。まあ一つくらいそういうのがあってもいいじゃないですか(笑)。後編は「中村憲剛選手について」と「次戦サウジアラビア戦へ向けて」になります。もうしばらくしたらアップできると思います。
それにしても公開を前提に話すのは緊張するものですね。もしよければ、ダウンロードして私の緊張ぶりをお聞きいただけるとうれしいです。
インド戦の二つのポジティブ
その SoccerCast に語ったことですが、インド戦には二つのポジティブなポイントがあると思いました。一つは、DFラインからの大きなサイドチェンジ気味のパスが、逆のサイドに開いた選手に何度も入っていたこと。これはこちらの記事にもあるように、前のガーナ戦での反省点をはっきりと認識、チームとしてテーマに設定して、それを解決するべく練習した成果です。こういうものがピッチ上に現れてくると「着実に前進しているな」と思えますね。
加藤GKコーチ: (ガーナ戦では)日本もボールに近い選手は良く走り、良く連動していた。でもボールから遠く離れていた選手は休んでしまった
インド戦前・練習メニュー: 命じた変則ルールは、攻撃側が両サイドとピッチ中央に設けられた3つのゴールの、どこに攻めてもいいというもの。FWだけでなく、MFやDFも、動き次第で簡単にゴールに迫れた。ボールから遠く離れたサイドでも、選手たちはスペースに走り、おいしいロングパスを求めた。
スタッフ会議では、問題を明確にするべく、ガーナ戦を30分に縮めたビデオも上映された。
この日最初のメニューだった6対4のボール回しでも、ボールから一番遠い選手のパスの受け方が重要視された。
インドは、わかりやすい4-4-2中盤フラットを引いてきましたが、近代的な監督に率いられると4バックもほぼラインを形成し、押し上げてコンパクトフィールドを作ろうと狙ってきます。この際、4人のバックがかなり「左右にもコンパクト」になることが多いんですね。これを日本は、最終ラインのパス回しで左右に振っておいて、その逆サイドへ、阿部、鈴木、今野、水本あたりからズバッと意図のあるロングフィードを通していました。
DFラインとボランチでパスをまわしてインドの4バックを片方にひきつけておいて、その逆サイドに開いた選手へしっかりとしたフィードを蹴る。ああ、これがやりたいから「(大型で)足技のしっかりしたCBが足りない」と言っていたんだなあ、と理解できました。
チームとして動きが整備され、受け手の意思と出し手の意思がしっかりと一致していれば、ロングボールでも「放り込み」とは呼ばない。
トルシェのときの中田浩二や森岡も出していたような、こういうダイナミックなパスを、日本代表はもっと使うべきだと私は思っていましたので、この変化は歓迎です。そればっかりにならなくてもよいですが、これをオプションとして持つと、攻撃のスピードが上がるでしょう。そして、前戦の戦いをしっかりと反省して次につなげていけるスタッフ、指導陣、私はこういう「歩みの見える代表」は好きですね。
左サイドの連携と課題
また、山岸と三都主の役割、連携もだいぶ整備されてきたように思いました。これまでは、羽生も山岸も、どちらもサイドへ流れるタイミングが三都主と共有されていなく、彼の上がりを阻害するようなところがちょっとありましたね。この試合では、山岸がうまいタイミングで中へに切れ込んで三都主の上がりを引き出したり、逆に山岸がポイントになって三都主を動かしたり、といいところが出てきたと思います。
まさに先制点は山岸が受けて、三都主に落とし、そのまま反転してサイドへ流れたことで、三都主がフリーになってきれいな斜めのスルーパスを巻→播戸と通したもの。このような動きがあると、三都主も「低目のサイドの司令塔」としての役割をもっともっと果たせるようになっていくかもしれません。この試合ではなんだか、持ちすぎて取られる三都主のドリブルは減っていたように思いませんか?山岸がずっと起用されるかはわからないですが、こういう風に三都主の個性が生かせるのは良いことと思います。
課題はもちろん、ちょっとミスが多かったことですが、その一番大きな原因は経験不足によるものでしょう。技術のある選手でも、海外経験が浅い頃はミスが多く代表でも叱責されていましたから、それはこれから解決されていくものと信じたいですね。ただ、普通は20代も前半の頃にそういう経験をしている選手が増えていくはずですが、この数年の日本は、五輪世代とフル代表世代の強化の連携が取れていなかったこともあり、これからの短期間で経験を急速に血肉にしていく必要があります。今選ばれている選手には、がんばって欲しいものです。
エレガント?
ところで、インド戦のもう一つの(共通する?)改善点として、オシム監督の以下の談話がありますね。
オシム: 改善点で一番重要なのは、落ち着いて冷静でいられること。それから効果的なプレーをすること。スキルをもっと正確にすること。これらをひとまとめにしてひとつの単語にするなら「エレガント」ということになる。私の考えだが。
以前は「あまりにもエレガントなプレーヤーは難しいかもしれない」と言っていましたから、「これは心境の変化か?」とスポーツ新聞が騒ぐのはわかるのですが、この真意はどこにあるのでしょうか。あるいは、これを受けて、オシム日本にはなにか変化が訪れるのでしょうか?
まず素直に考えられるのは、中村憲剛選手や長谷部、山岸といったあたりの選手が、もっと「落ち着いて、冷静に、効果的なプレーを」アウェーの地でも行えるようにすることが求められる、ということでしょう。また彼らには、試合展開を見て、あるいは相手のサッカーを見て、わざといったんスピードを緩めるようなプレーもしていって欲しいと思います。今はまだ、「早く前へ」の意識が強すぎて、かえって自分で苦しくしてしまっているように見えますね。
そして、もう一つ考えられるのはオシム監督がこれまで以上に「エレガントなプレーヤーを呼ぶ」という可能性です。
私は個人的に、オシム監督はいずれは海外組を呼ぶだろう、と思っています。松井、小笠原、中田浩二、そして中村俊輔、高原、稲本といった選手は、タイプの差こそあれ、みんなオシムサッカーに適合すると考えられるからです。ダイナミックな守備力、展開力、そして怒涛の攻撃参加の稲本は、まさにうってつけですし、中田浩二の守備と、左足の精度もオシムサッカーに向いていますね。その他の選手も、誰もが呼ばれておかしくないと思います。
今呼ばないのは、国内組でのベース作りをまずするべき、という意図があってのことだろうと思います。また、海外組みには当面自分のチームでの地歩がために専念してもらうために、親善試合やアジアカップ予選ごときでは呼ばない。また「いずれ呼ぶ」と言ってしまうと、今のチームのメンタルにいい影響があまりないから、それは当面は言わない。これはサッカー的には、きわめて論理的な態度だと思います。さて、これからはどうなるのか。
仮説: オシムの「多中心」サッカー
先に「いったんボールを落ち着けるプレー」を、中村憲剛選手、長谷部選手、中盤にいるならば鈴木選手、山岸選手といったあたりに「して欲しい」と私は書きましたが、オシム監督がそれを望むかどうか、と言うのは正直わかりません。今の日本のスピードも、例えばプレミアなどと見比べると別段それほど「早い!」と言うほどではありません。ここでいったんスピードを落とすプレーを今後の日本代表が求めるのかどうなのか、興味深いところですね。
実はそういう意味で、現行オシム日本の「エキストラキッカー」枠は三都主であろうと思っています。先に触れたような「エレガントな」プレー、いったんボールを落ち着けるプレーは、主に彼に担わせるようにチームが設計されているのではないか。常々言われるように、サイドはもっとも敵のプレッシャーがかかりにくいところ。そこに三都主というボールを持てる選手を置くことで、困った時の預けどころとしているのではないか、という仮説です。
これは前々トルシェ代表監督も採っていた手法ですね。トップ下はプレッシャーがきついために、中田ヒデ選手のような強さか、森島選手のような運動量がないと起用しない。左アウトサイドを高めにおいて、「エレガント」なプレーはそこの選手に担わせ、ゲームを作っていく。名波選手、中村選手、小野選手といった、ゲームを作れる選手をそこに置いたのは、そういう意味があったわけです。
当時、ポリバレンスを重視するトルシェ日本のサッカーを「リゾーム」的なのではないか、とする議論がなされていたようですが、私はその中に深くは参加しなかったのでよくは知りません。ただ、もしリゾームの定義を「脱中心化」とするのなら、私はトルシェのサッカーは意外と「左サイドという中心」をはっきりと持っていたチームだったと、今では捉えています。「左サイドにゲームメーカーがいる」というのは比喩でも煽りでもなく、そのままの意味だったのですね。
さて、オシム監督は今後「ゲームメーカー」を置くかどうか、というのが非常に興味深い点だと思います。トルシェ時代の「左サイドのゲームメーカー」に比べると、三都主は明らかにゲームメーカー「然」としていない。彼を中心にゲームを組み立てていく、というようではない。中心というよりは、チームの一部としての「エキストラキッカー」という方がしっくりきます。ポジションとしてではなく、役割として、今後オシム日本は「ゲームメーカー」を求めていくのかどうなのか。
すくなくとも、これまでのオシム監督は「こいつにボールが渡ったら攻撃の合図だ」的な、中心となる選手を決めていないように見えます。トルシェ時代に比べてもさらに、「多中心」とでも呼ぶべきサッカーを展開している。しようとしている。中心となる選手なんかいない。そういうプレーができる選手も、ちょっとボールが動いたらそれに反応してアウトサイドの選手の外を大きく走って上がらないと、それはオシムサッカーではない。
これまでは、オシム監督はそういうメッセージを発していたように思います。さて、これからはどうなるでしょうか。あるいはサウジ戦までは国内組でベースを作るとして、その後、海外組が合流してきた時、彼らは一つの「中心」となることを求められるのでしょうか、それとも、「多中心サッカー」の一部となることを求められるのでしょうか。
なんとも興味深いことですね。それではまた。
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October 08, 2006オシム「総」監督
私は、こちらのエントリーでも書いたように、「日本サッカーの日本化」を提言したオシム監督に期待している。これは、「代表監督」として、でもあるが、同時に「日本サッカーの先導役」としてのことでもある。「ジェフのサッカーが日本人が一番生きる」と考えているU-17の城福監督や、「オシムの練習は金を払ってでも見たい」とかつて言っていた五輪代表の反町監督ら、日本人スタッフもその主体となって、「日本サッカーの日本化」に取り組むべきだと思っている。そして、彼らに哲学やメソッドを伝えていくことも、オシム監督に大いに期待したいことなのだ。
ところで海賊ひでさんの「どうやってオシムを評価するの?」こちらはまさにその点に問題提起をされている。
海賊ひでさん: 代表監督がここまで長期的視点を持つことは正しい姿なのでしょうか?代表監督には試合ごとの結果のみを求めるべきで、長期的視点はテクニカルディレクターが持てば良いのではないでしょうか。
この問題意識は正しいし、指摘は興味深いことと思う。またこれは、金子達仁氏の「協会はオシム監督に何を望むのか」とも共通することだろう。
金子達仁氏: 日本らしいサッカーを構築しようとしているから、負けてもいい――では本末転倒である。オシム監督に何を望むのか。日本サッカー協会の考える具体的な目標をわたしは知りたい。
私は協会にそういう期待はしても仕方がないと(笑)思っているが、金子達仁氏の協会に対するこの要求は正しい。協会はもっときちんとこの点に関してアナウンスしていくべきだろう。それも川淵氏のくだらない囲み取材発言などではなく、小野剛技術委員長の公式なプレスリリースとしてだ。しかし、私は協会のそれを待つよりも、私個人がオシム監督に何を望むのかを、もう一度はっきりさせておきたいと思う。
4年後を睨んで
先の海賊ひでさんの問題提起「代表監督がここまで長期的視点を持つことは正しい姿なのでしょうか?」に対して、私は個人的には、「正しい」と言いたいと思う。
日本はアジアの所属であり、コパアメリカやEUROに比べると、アジアカップはややその趣を異にすると私は思っている。コパやEUROは、「そこで勝つためのチーム作り」と、「W杯で勝つためのチーム作り」が基本的にはシンクロしているのだが、日本がアジアカップで勝つためのチーム作りと、W杯で勝つためのそれはかなり違っていると考えられるからだ。それは先の4年が図らずも証明していることではないか。
もちろん、W杯に出るためにはアジア予選を通過しなくてはならないから、そのためのチーム作りは必要だ。しかし、欧州の国がW杯直後に厳しいEURO予選を戦わなくてはならないのに比べると、2年後、3年後にW杯予選をひかえる日本は、時間的な余裕はあるほうだろう。まだまだレベルの高いとはいえないこの国は、「4年かけて強化、W杯の準備をする」くらいでないと、W杯での成功は望めないのではないだろうか。
予選のなかったトルシェ監督はもちろん、あのドーハの悲劇のあと就任したファルカン監督も、ある意味「勝手に」4年後を睨んで強化をし始めた、と私は見ている。二人とも、契約期間は短く、4年後を睨む必要はまったくなかったのにもかかわらず、である。ただの雇われ監督ならば、自分の契約期間内での成績だけを考えればよさそうなものだが(当初のトルシェ監督の契約は2000年10月まで)、二人はそうしなかった。
これは、彼らが日本の当時の状況を見て「日本はしっかりした方針の下、時間をかければ強くなる」と考えたからではないだろうか。私は、この二人の「見立て」は正しかった、と今では思っている。1998-2002の間に仮にW杯アジア予選があったとしても、あの理想家のフランス人は同じやり方をしたのではないか、とも思うのだ。欧州や南米の強国では、「代表監督の仕事は勝つこと」であるのかもしれないが、日本では「目先の試合に勝つこと」以上に「4年後に勝つこと」と設定するべきだと思う。
オシム監督は再び「勝手に」(笑)、自分の目標を4年後に(少なくとも3年後に)おいているように見える。上記理由から、私はそれは歓迎なのである。
ユース年代から一貫しようとする強化方針
さて金子達仁氏の問題提起であるが、重要なのは次の部分であると思う。
金子達仁氏: 何度も書いてきたが、代表チームの監督はまず「選抜する者」であって、「強化する者」ではない。クラブチームの監督に求められるものとは、まったく違った資質が必要になってくる。
これは一面では正しい。時間のない中での代表監督の仕事は「トレイナー」よりも「セレクター」の役割が大きくなるとも言える。しかし、そうではない可能性もあるのではないか。もちろん協会はオシム監督と「代表監督」としての契約を結んでいる。しかし、先にもあげた城福監督や反町監督の志向性を見ていると、それだけでは「もったいない」(笑)と私には思えてくるのだ。
西部謙司氏がサッカー批評22号で書かれていた、「日本代表強化計画<私案>」では、「ユース年代で代表の『ひな形』をつくってしまい、~五輪~フル代表と同じやり方で強化をしていく」という方法の提言がなされていた。これは私は勝手に「チェコ・フランス型」と呼んでいるのだが、今回のW杯のペケルマン・ボーイズ・アルゼンチンもそれに近いものだったと言えるだろう。時間の取れないフル代表で「スタイル」を作るのではなく、下の年代から一貫した方針でそれを作り上げて行こうというのである。
ジーコ監督時代は、五輪以下の強化方針と、フル代表の方針とが乖離していた、とはよく言われるところである。まあ五輪以下の田嶋氏が主導する強化方針もいかがなものかであったから、その乖離自体を大きく問題視するつもりは、私にはいまやない。しかし、本来はそれは共通するものであったほうがよいことは、論を待たないだろう。下の年代で経験を積んでいく選手が、フル代表に上がったとたんまったく別のことを要求されるのでは、非効率的だ(もちろん、大括りな方針=ベクトルがそろっていれば、中での多少の違いは監督の個性であり、あって当然だが)。
集団指導体制の長として
オシム監督の就任で、偶然だが日本には西部氏の<試案>、私の言うチェコ・フランス型強化に近い強化体制が出来上がろうとしている。私が期待するのは、この「一貫した強化方針で指導していく集団指導陣の長」としてのオシム監督なのだ。これは、もちろん本来は小野剛技術委員長や、田嶋幸三専務理事の仕事であるとは言える。しかし、彼らとオシム監督を比較した時、オシムのほうがよりその任にふさわしいと思うのは私だけだろうか?もう一度、城福監督や反町監督の言葉を反芻していただきたい。
オシム監督は現在までのところ、実に精力的にスタッフミーティングを繰り返している。3時間、4時間におよぶそれのなかでは、時にはコーチ陣に試合の反省を述べさせるなど、「指導者への指導」にも見えることを行っているようだ。
「みんなピリピリしていました。監督は意見を聞きながらやるので、準備不足であの席に座っていられませんね」と苦笑いしたのは小野技術委員長。内容こそ明かされなかったが、試合を振り返っての意見を求められ、そのたびにオシム監督が皮肉まじりにチクリ。プロ野球・楽天の野村克也監督の下でのスタッフ会議を彷彿とさせる内容で、終わったときには約3時間半が経過していた。日本協会・田嶋幸三専務理事も「みんな緊張して疲れてた」と話す。
私は、これを強く歓迎したいと思う。振り返れば、トルシェ監督時は彼自身がユース~五輪~フル代表と一貫した指導を行った。しかし、そのエッセンスは山本氏の中には何も残らなかったのではないか、と私は思っている。今回はそのようなことになってはならない。オシム監督に「頼り切り」にならないためにも、彼の方針に日本人スタッフが喰らいついていって、それを身につけ、自分たち自身で「一貫した指導体制」を作っていかなくてはならないのだ。そう考えると、意欲のある若手指導者たちと、それを導こうとする経験のある代表監督、理想に近い体制ができているのではないか、と私には思える。
金子達仁氏: 日本らしいサッカーを構築しようとしているから、負けてもいい――では本末転倒である。
別に親善試合に全部勝たなくてもいいだろう(笑)。また「日本らしいサッカー」という言葉に引っ張られる必要もない。上述したような、一貫した強化方針を担える集団指導体制を構築、運営しようとしている現状、それこそが「日本らしいサッカー」を作り上げる道なのだ。私の考える「本末」は金子氏のそれとは違う。目先の試合全てに勝たなくてもいい。もっと重要なことを貫いて、そして4年後にこそ勝って欲しい。私はそう思っている。
それではまた。
01:42 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(3)|
October 05, 2006おかえりなさい♪
キリンチャレンジカップ2006/10/04 日本0-1ガーナ
ドイツW杯16強、決勝トーナメントでブラジルに敗れながらもあの印象的な戦いを見せてくれたガーナが、実にいいメンバーをそろえてくれて来日。オシム日本にとって、ほぼはじめて迎える世界レベルの相手との対戦は、0-1での敗戦となりました。さて、この試合は皆さんどうごらんになりましたでしょうか?ニッサンスタジアムのスタンドで、選手がパスミスやトラップミスをするたびに頭を抱えながらも、私は個人的には非常に楽しみました。
ポリバレント!
前半の布陣はこのような感じでしょうか。
いやそれともこう言うべきか。
私が見ていて楽しかったのは、この布陣図がまったく役に立たない場面がほとんどだったということです(笑)。三都主が右で突破していたり、鈴木が左アウトサイドに入れば三都主がバイタルエリアで守備をし、今野がサイドを駆け上がれば、その時は駒野がセンターバックに入っている。ポゼッション時にも誰もがくるくるとポジションチェンジしながら、奪われればそこを最初のDFの起点とし、ファーストプレッシャーをかけにいく。幾分まだぎこちないですが、こういう形こそオシム監督がやりたいものでしょう。就任以来初めて守備が問題になる試合で、急ごしらえのDFラインながら、全体でかなりそれができていたのは、個人的にはとてもよいことと思います。
私は以前の、中村、中田、稲本、小笠原、小野などがいる中盤について「奪えば、中盤の誰もが攻めの起点になれる」という点で、日本の数多いCMF(セントラルミッドフィールダー)を生かせるものだ、と思っていました。ガーナ戦の選手たちは、あれほどの精度はないものの、代わりにと言っては何ですが(笑)、「フィールド全域で『全員が』攻めの起点になるべき」というサッカーを展開していたわけです。もちろん、まだ完全にこなせていたというわけではないですが、「この方向に行くのだ」という指針は、これまでの4試合に比べても、さらに色濃くピッチ上に描かれていたといえます。
私はその指針がはっきりと見えたのが、観戦していてとてもうれしかったのです。
新しい息吹
もう一つ、楽しかったのが後半途中から次々と投入された、フレッシュな選手たちです。佐藤寿人に代えて羽生、山岸に代えて播戸、巻に代えて我那覇、遠藤に代えて中村憲剛、鈴木啓太に代えて長谷部、そして三都主に代えて二川。先制点を取られて、逆に精神的に「吹っ切れるしかない」状況に置かれた彼らは、実にはつらつとピッチを駆け回っていましたね。羽生の動き出し、播戸の飛び込み、アグレッシブさ、我那覇のポストプレー、憲剛のリスクチャレンジ・パス、ミドルシュート、そして長谷部のドリブル、二川のワンタッチ・パス・・・。
攻撃は、機能したところと、敵の守備能力に戸惑ったところと両方がありますね。Jリーグなら個人でキープできるところも、Jリーグなら通るパスも、ガーナ相手では伸びてきた脚にからめとられてしまう。しかし、今日はそれを選手たちが経験するための強化試合です。チャレンジしてみたのはよかったのではないでしょうか。機能した部分は、いくつか作った非常に惜しいシュートシーンを数えていけばわかるでしょう。個人的には、後半10分ぐらいの巻(ヘッド)→寿人(折り返し)→山岸(軸足シュート)と、40分あたりの播戸の倒れながらのシュートが非常に印象に残っています。
それぞれのプレー
スターティングメンバーの選手の個人評を少し。
水本: 守備のベーシックな能力と、パススピードの速いグラウンダーのクサビパスに感心しました。失点時にピンポンに振り切られたのは彼ですが、これをいい経験にして欲しいですね。
駒野: これまでの批判を振り払うような活躍(特に前半)ではなかったでしょうか?戦術理解も高いし、これからも試される権利を得たと言えるでしょう。
鈴木と阿部、遠藤はこのぐらいはできて当然、というところ(遠藤はイエメン戦よりもよかったと思いますが)。ただ、押し込まれた時間が続いたあたりで、落ち着かせることは彼らの役目ですし、もっとできないといけませんね。
川口: こういう試合では生き生きとしますね(笑)。グッドセーブ連発!
今野: 守備面では運動量も多く「何人いる?」状態でよかったのですが、ビルドアップ時に「狭い方」へパスを出してしまうのがいただけない。いったん奪われて危機に陥ったことがありました。この辺は精進して欲しいところです。
寿人: 守備面でがんばっていました。現代サッカーでは、FWにも守備を期待する戦術を取る監督が多くなってきています(バルサでさえ!)。そのあとの攻撃に持ち味を出したシーンもありますが、もっとできる選手でしょう。なるべくストライカーとして起用してあげたいですけどね。
巻: 寿人と一緒に「裏」を狙いすぎだったような気がします。我那覇のように下がってのポスト、散らしをもっと意識してもよかったのでは、と思います。ただ、みんな気づいてくれませんが(笑)、ロングボールをしっかり収めて地味に貢献していましたね。
山岸: ちょっと緊張していたのでしょうか。前半は動きが固く、いつもなら走り出すところで躊躇している場面がありました。次第に動けるようになっていきましたが、その辺は経験のなさが出た、というところ。今後に期待ですね。
三都主: どう評するべきか本当に難しい選手です。今日も一人で静止して持って、DFラインにフェイントでチャレンジして奪われるというプレーを繰り返していました。技術は疑いないのですから、「抜ききらなくてもまわりを使い、使われるプレー」を覚えてくれるともっと連動性が高まるのですが・・・。
マンマークと「帰ってきたもの」
守備に関しては、基本はマンマーク。中盤でもボールが入った選手に一人が必ずつき、前を向かせないようにする、という方針だと思いますが、このやり方はよく選手が一箇所に固まってしまうんですよね。そこからサイドのオープンスペースに展開され、ピンチとなることが何度か。オシム監督のサッカーは、ここでも「走る」ことが要求されます。守備面でポジションバランスよりもマークを優先する結果、空いたスペースのカバーは運動量で行わなくてはならなくなるわけです。そして奪えば、全員がまたぱっと散って動き出していく。前者も、後者もまだそれほどできていません。ここは向上が必要な部分でしょう。
それと、失点後、ちょっとだけ守備に「びびり」が入りませんでしたか?そう言って悪ければ、「これは当たりに行くとかわされるぞ」というような感覚になっていませんでしたか?敵の脚の長さを警戒しすぎたのでしょうか?その時間帯はマークに行っても少しルーズに過ぎ、簡単に前を向かれ、パスを回されていましたね。もちろん疲労もあったと思うのですが、あれではいけません。ただその後、「1点取り返しに行くぞ!」という気合が全員に出てきた時には、再び当たりに行くことができ出したので、非常によかったと思います。あれを続けないとね。
そして最後、全員が鬼気迫る動きで敵のDFラインのボール回しを追い回す。播戸がボールに頭から飛び込んで、怪我をする。それを見ていて私はちょっとだけ目頭が熱くなりました。ちょっとだけ、ちょっとだけですけどね。「ああ、『これ』をドイツで見れていたら・・・。」皆さんは違う感じ方かもしれませんが、私はそこに「魂」を見ました。なぜでしょうか。私は「おかえりなさい」と言いたい気持ちでいっぱいです。
それではまた。
04:42 AM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(6)|
September 30, 2006ガーナ戦に向けて
前回のエントリーでは、アウェー・イエメン戦での日本代表の向上した点を主に書いたが、もちろんまだできていないことも多々ある。今回は近づいてきたガーナ戦へ向けて、それらを見ていこうと思う。しかし、よく言われるような「最後のワンプレーの精度」についてではない。それは確かに問題だし、「もっと精度の高い選手を選べばいいのに」とも思うが、そこに対する批判、叱咤激励はもう十分いろいろな人がしていると思うので。
Number誌662号で、オシム監督はリトバルスキーのインタビューに次のように答えている。
オシム: 残念なことに、日本人は最後のアイディアだけが唯一だと思っている。例えば5つのコンビネーションについて話している。彼らには、ただ最後のものだけが大切でその前の4つを忘れている。日本のチームのどこでもそうだ。基礎ができていないこと、これが日本人の問題だ。彼らはいまだにサーカスのテクニックでやっていこうとしている。間違っているよ。
ここではなるべく、「その前の4つ」について見て、考えてみたいと思う。
羽生の動き出しのタイミングと周囲のプレー
前回私は、「羽生の動き出しが非常に早いこと」「そこへボールを入れて、基点とすること」について書いた。それは「できていたこと」ではあったのだが、それに集中することによる弊害もまた、あったのだ。サイドのスペースへ先に羽生が侵入してしまうことで、三都主は上がることが減っていった(ニッカンデータセンター:「プレーヤー分析」の羽生と三都主のプレイポジションを参照)。
右サイドでは比較的、「数的有利を作ってのサイドアタック」の意識が高かったのだが、左サイドは羽生がシンプルに侵入していくことの方が多かった。後半、田中達也に代えて佐藤寿人が投入されたのは、その点を改善しようとしてのことだろう(同じくニッカンデータセンター:佐藤のプレーポジションを参照)。そうすると今度は、佐藤、羽生が先に左サイドのスペースを占有してしまうことで「人の渋滞」とでも言うべき現象が起こり、攻撃がやや窮屈になってしまっていった。
これは別の見方をすると「羽生の動き出しが早すぎる」と言うこともできる。ただ、世界レベルでの展開の速いサッカー(YOUTUBE)では、「羽生のタイミングで普通」であると思う。世界レベルでは、素晴らしく早いタイミングの動き出しに呼応し、周り中がパスコースを作ったり、横を併走したり、スペースへ走ったり、ということができる。イエメン戦の日本は、まだまだ羽生のタイミングとテンポを合わせることができなかった。羽生がタイミングをもっと見るべきか、周りがそれに呼応するようにしていくべきか>
前代表時代は、まず「ミスを少なくするように、確実に、無理せずつなぐ」ということが優先され、その限りにおいてスピードを上げていくことが求められていた。言わば「自分のできるスピードで」ということだったわけだ。私はオシム日本では、例えばプレミアに見るような「あの速いスピードで」という目標を掲げて、今は無理でミスが出たとしても、ハイテンポ、ハイスピードのプレーを目指していった方がよいと思う。ややあっぷあっぷしながらでも目標を高く持ちながら過ごしていったほうが、「そこで必要な技術がいかに足りないか」が理解でき、最終的な到達点は高くなると思うからだ。
トップ下地帯の空白
また、羽生が攻撃的MFの位置から早いタイミングで左サイド前方へ流れることで、いわゆるトップ下地帯に空白ができてしまっていたことも気になる。遠藤は、阿部が下がって3バックを形成したことによってやや下がり目でのプレーが多くなり、また加地の外をオーバーラップするなど、「数的有利を作ってのサイドアタック」への参加を主に意識していたように思える。これは前日の練習で、それを主に練習したことが染み着いていたからだろう。
それ自体は悪いことではない。前の試合でできていなかったことを練習で修正し、それが次の試合でピッチ上に表現される。また別の問題があれば、さらに修正すればよい。そうやって「強化の課程」が目に見えていくというのも、楽しいことではないか。それでこそ、マッチ→トレーニング→マッチの意味があるというものだ。ただ、遠藤がそのようなプレーを多くすることで、トップ下地帯の空白はより顕著となったことは、この試合では確かだろう。
上記のような羽生と遠藤のプレーによりトップ下に空白ができたため、この試合ではそこを基点にする攻撃が少なかった。もちろん、引いた敵をトップ下地点からこじ開けていくことは難しいのだが、「空白がある」=スペースができている、ということでもあるわけで、田中達也や巻がそのスペースに下がってボールを受けてもよかった。そのように人の出入りがあると、ボールが動き、敵のマークを混乱させていくことができるものだ。
これは実は、よい時の柳沢の得意とするプレーでもある。ちょっと下がってクサビの縦パスを受け、はたいてパス&ゴー、それによってまわりの選手が生きるスペースを作り出す。彼の「ムービングポスト」とでも言うようなプレーは、ポジションチェンジや2列目、3列目の攻撃参加を重視するオシムサッカーには、実にフィットするものだと思う。現状の彼のコンディションや、今は若手発掘を優先するオシム日本の方針もあるから、「ヤナギを呼ぶべきだ!」とは言わないが、他のFWもそういうことを意識してもよいのではないだろうか。
また、このスペースはJEF千葉では佐藤勇人(ボランチ)が上がっていって使うところでもある。代表では鈴木啓太や、遠藤、阿部がもっとここに進入し、場合によってはFWを追い越していってもよいだろう。スペースを空けるのは、そこを誰かが使うために行うことだ。敵からするともっとも怖いゾーンであるが故に「バイタルエリア」と呼ばれるのだから、これからはもっとそこを使う意識を高めていってほしいと思う。
羽生の卒論
SOCCER UNDERGROUNDさんのところで知ったのだが、羽生の筑波大学の卒業論文は、森島(セレッソ大阪)のプレースタイルについてだったという(Wikipedia)。私は個人的にはモリシのプレースタイルは大変好きであり、これはとてもうれしい話題だった。日本がその特長を生かしたサッカーをするには、モリシのようなプレーヤーを生かしていくことが重要だろう。羽生にもどんどん研究し、盗み、最後には全盛期のモリシをも越えて行ってほしいものだ。
その森島のプレースタイルだが、いわゆる「運動量、2列目からの飛び出し」に加え、スペースを作り、使うプレーも非常にうまかった。直線的な速さだけでなく、いったん下がってボールを受けて、はたいた後の「きゅっ」と反転するプレー、ボールホルダーに寄って行った後「すっ」と離れ、自分で作ったスペースに侵入するプレー、そういうプレーが抜群だったと思う。
このオシム日本で言えば、巻がいったん下がってボールをさわり、そこに達也が流れ、空いたスペースに羽生が侵入していく、などのプレーが個人的にはもっと見たかった。前線でくるくるとポジションチェンジをしていってのパス回しは、ヤナギ、モリシがいる時の代表のもっともよいパターンだった。直線的なスピード、動き出しの早さも大事なのだが、そういう曲線的なムーブメントもモリシのプレースタイルの特徴的なところだ、と羽生の卒論に書き加えておいて欲しいと思う。そういうプレーがあると、マークについた相手も混乱し、引かれた相手も崩せて行くものだ。
次のガーナ戦は、イエメン戦とは違い「引いた相手を崩さなくてはならない」という試合にはならないだろうと推測している。よりオープンな試合となるだろうから、羽生の(出場するとしてだが)すばやい動き出しにまわりが呼応していくようなアタックが、より有効となることだろう。しかし、これからまた引かれた相手を崩さなくてはならなかった時には、トップ下の位置をかわるがわる利用してスペースを作り、使うプレーを意識して欲しいと思う。そうすれば全盛期モリシのいた2000レバノンアジアカップのように、連動した攻撃で引いた相手からも得点を奪っていくことができるようになるだろう。
阿部のプレー
羽生がややセンターよりでプレーした場合には、阿部がサイドアタックを担ってもよいだろう。後半右のCB坪井が何度も見せていたように、どんどん上がって攻撃参加してもよいと思う(アウェー・イエメン戦では先に書いたように左サイドは渋滞していたため、あがる必要はなかったが)。またこのポジションには、現在スイスのバーゼルでCBとしてレギュラー出場中の中田浩二選手も入ることができ、彼ならば攻撃参加した後の左足のクロスの精度も非常に高いものがあるだろう。
サイドアタックというとすごいドリブルやすごいスピードの切込みを思い浮かべるが、オシム監督がやろうとしている「数的有利を作ってのサイドアタック」では、それよりもお互いによく走り、タイミングを生かして攻めることが求められる。であれば、坪井や阿部、中田浩二(選ばれれば)がどんどんそれに参加するのも、当然のことになるだろうし、そこで阿部や中田浩二のように精度の高いキックを持っているCB(不足している、とオシムは語る)は、非常に重要になっていくだろう。
中央は使えなかったのか、使わなかったのか?
また、先ほどのトップ下地帯が空白になっていることについてだが、これは「意図的に、わざと」である可能性も実はある。この試合の最大の敵は劣悪なピッチではなかったかと私は思っているのだが(笑)、それによってどうしてもパスミス、トラップミスが出る。中央からの攻撃は、そこで日本選手がミスをして奪われると、一気に数人が置いていかれるカウンターに晒される危険性が高いのだ。サイドでならば、ミスが出てもそういう危険は少ない。それを考慮して、あえてサイド攻撃を主とした、という可能性があるのである。
それは、この試合ではパススピードの速い「ビシッとクサビパス」がほとんど見られなかったこととも関連する。阿部や遠藤、三都主や加地あたりから、「ビシッとクサビパス」がFWに入れば、中央からの効率的な攻撃ももっとできたと思うのだが、それはやはり少なかった。ピッチの影響でミスとなる危険、敵の狙うカウンターにはまる危険を避けたのではないか、とも思えるのだ。
日本で行うガーナ戦ならば、ピッチの問題はないだろう。この試合では思う存分、コンセプトどおりの試合を展開して欲しい。そのためには、阿部にはもっともっとリーダーシップを発揮して欲しいものだと思う。現在のチームには、長短のパスで攻撃のリズムを作り出す「レジスタ」役となれる選手が、前代表と比べてそれほど選ばれていない。それに適任なのはやはり素晴らしい右足の精度を持ち、視野も広い阿部なのだ。DFの都合でCBに下がったとしても、そこからでも「俺が試合を仕切る!」という意思を持って回りを動かして欲しいと思う。
さあ、ガーナ戦!
ガーナ戦、誰がピッチに立つのかはわかりませんが、羽生(的な選手)の動き出しのタイミング、センターを使えているか、ビシッとクサビパスは入るか、そしてサウジ戦からの持ち越しの課題:ボランチがバイタルを空けた時の、周囲のケアをやり通せるかどうか、などに注目してみてみようと思っています。試合ごとに監督や選手が問題を認識し、改善しようという姿勢の見える代表は、継続してウォッチするのが楽しいものですね。あ、それともちろん、個人的にすごく期待している二川と山瀬、もしかしたらそろそろ呼ばれるかもしれない播戸あたりの出場があると、すごくうれしいのですけど。
平日夜の日産スタジアム行きはちょっと大変ですが、楽しみです。
それではまた。
03:37 AM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|
September 11, 2006前進を始めた車(イエメン戦/A)
アジアカップ最終予選、アウェー・イエメン戦を1-0で勝利し、サウジアラビアがインドを下したことで、日本はアジアカップ本大会出場の権利を得た。Jリーグも含めた恐ろしいほど過酷な日程、酷暑の後に2300メートルの高地、でこぼこのピッチといった悪条件のなか、戦い抜いた選手たち、監督、スタッフには、本当に敬意を表したい。お疲れさま。ありがとう。
さてそのイエメン戦だが、個人的には「この高地でどこまでやれるのか」という目で見ていた。高地環境でよく知られているのはエクアドル(2850メートル)だが、かの国もワールドカップ予選でブラジル、アルゼンチンにもホームでは勝ってしまう程、高地ホームというのはアドバンテージが大きいものだ。イエメンもホームで北朝鮮に引き分け、UAEに3-1と勝っている。そのような環境は日本選手にどのような悪影響を及ぼすものか。ありていに言って「大丈夫か」という心境だった。
ところが日本は前半から飛ばしていく。私は「えっ、ペース配分考えないの?」と思ったのだが、まあ動ける前半でガツンとやって先制して、その後は動きが落ちても我慢する、というゲームプランなのだろうと納得することにした。ところがここで日本の前に立ちはだかったのが、劣悪な凸凹ピッチという敵だった。これも、オシム監督の重視する「ショートパスをつないでいく流動性サッカー」には不向きなものだったのだ。
悪いピッチだとどうなるかといえば、2004年のアジアカップvsヨルダンにおけるPK戦で、PKスポット付近の足場が不安定になっていたことで、中村、三都主の名手二人がPKをはずしたことを思い起こせば、想像がつくだろう。イエメン戦も同様か、それ以上だった。軸足が定まらない。キックの瞬間にボールの重心が十センチも動くようなイレギュラーバウンド。これではDFラインでのパス回しなどは、怖くてできないくらいではないだろうか。
イエメン戦では、とりあえず慣れるまでは、DFラインで奪っても、ショートパスをつなぐより、大きく放り込む方を選手は選択していた。これは当然のことと思う。アウェーでもあり、ホームでは勝っていることもあり、序盤はそれほどリスクを犯す必要はないからだ。代わりに、高い位置で奪ってシュートまで手数少なく持っていく。いきなり開始早々、敵の短いクリアを拾って羽生がシュートしている。その方が正しい。
■なじみの4-3バック
布陣はサウジ戦から駒野を羽生に代え、三都主を左サイドに下げた形。敵が1トップなら4-4-2になるか、というところだったが、阿部は途中からやはり3バックの左に近いポジションを取る。このように敵のFWの人数に応じて最終ラインの人数を試合中にでも増減するのはオシム監督がジェフでもやっていたことだ。さらに言えば、DFラインの選手でも前が開いていればポジションを崩してオーバーラップすることも奨励されているわけで、オシム日本では「全員がフィールド全域で力を発揮すること」が求められている。
DFが上がれば誰かが下がり、鈴木が迎撃に出て行けば誰かがそこを埋め、サイドが中に切り込めば、ボランチ、OMFがその外側をオーバーラップしていく。チャンスになると思えばリスクチャレンジが当然であり、逆に回りの選手はそれに対してリスクヘッジのために自分でポジションを移動していく。流動的、ポリバレントであることが当然のオシムサッカーは、もはや固定的なフォーメーション論では語れなくなっていくだろう。
さて、イエメン戦の3バックだが、この試合では3人がピッチいっぱいに広がってパス回しをしようというシーンが出てきた。この方がDFラインでのパス回しには効果的で、オシムのいわゆる「各駅停車」から改善しようという意図だろう。DFラインでは「一人飛ばして」(←これ大事)パスを回すようになり、坪井もパスを早く強く蹴ることを意識しているように見えたし、ボランチも早く顔を出すようになった。川口もロングフィードを止め、ショートパスでつなぐようになった。こういう「前進」が少しずつだが各所で見られていたことは歓迎したい。
■MHT(もっと羽生を使えばいいのに)
前半8分には、羽生が動き出し、阿部がそこへロングフィードを入れている。この「動き出す羽生を使うプレー」は今後もっと注目されていいだろう。ホームでのイエメン戦では、後半羽生が入り、同じようにフリーでサイドへダイアゴナルランを繰り返していたが、ボールを持った三都主はほとんどそれを使わなかった。私は「もっと羽生を使えばいいのに」と思い、それが起こるたびに観戦メモに「MHT」と何度も書いたほどだ。ダイナミックに動く選手は、おとりとするのもいいが、やはりそこへボールを入れて基点とすることで、敵の守備網を広げていくことができる(注:もちろん羽生「的」な選手という意味である)。
この前半8分のシーンでは、おそらく気圧の関係でボールが飛びすぎ、ラインを割ってしまったが、これ以外にも「動き出す羽生にパスを出し、基点として、攻撃を構築する」という意図のある攻撃を、前半14分、18、24、35、後半1分、9、11、16、26と、繰り出すことができている。24分の攻撃では、左サイドで基点となった羽生から、遠藤→加地とつなぎ、あと少しでシュートまでいけそうな攻撃ができていた。まだ連携不足で、またイエメンが守備に人数を裂いてきたこともあり、決定機につながるものは多くはなかったが、ホームイエメン戦での「羽生の動き出しを使えない」という状況からはだいぶ向上しているのだ。
■数的有利を作ってのサイドアタック、プレスからのダイレクトプレー
向上といえば、サイドアタックもいくらか向上しているといえる。サウジ戦の駒野-三都主という組み合わせから、三都主-羽生という組み合わせへ(羽生は実際には右サイドへも動いていたが、左が多かった)。羽生は高い位置で三都主からのパスを何度も受けている。逆に右サイドは、遠藤-加地という組み合わせ。右サイドは加地の判断がよく、加地がもって中に入ると外を遠藤や鈴木がオーバーラップするという攻撃もできていた。後半8分などは、遠藤はほぼフリーで加地からボールを受け、クロスを上げている(ただこのクロスが、完全にあさっての方向へ飛んだのはなんとも残念だった)。サイドで数的優位を作り、攻撃していく、という狙いは、サウジ戦よりもよくできていたといえるだろう。
また、奪って即攻撃、あるいは全力ダッシュというオシムサッカーらしい攻撃も、空気の薄い悪コンディションでありながら、だんだん増えてきている。前半12分、17、31、41、後半6分、7、22、35。奪う時の連動性、奪えると思った瞬間に走り出すこと。前半31分は、奪って加地→羽生→達也がすばらしいクロスを上げて、ゴール前でフリーの巻がヘッド。後半22分は巻の足がもつれなければビッグチャンスだったし、35分は佐藤寿人がふかしてしまうが、なかなかの決定機だった。このように、「チームとして狙っていることができて来る」というのも、練習の成果を感じるものだ。
ただ、田中達也と巻、羽生のコンビネーションはいまひとつだった。羽生はすばやく動き出し、サイドのスペースへ入り込むため、2トップの後ろにはスペースが空く。ここには遠藤や鈴木が詰めるか、2トップの一人がいったん下がるかするところだが、この試合ではそれはまだ難しかった。それが原因で、田中達也の2度のヒールパスが誰もいないところへ出てしまうことになる。田中達也から佐藤寿人への交代は、コンディションもあるだろうが、この辺のコンビに賭けるよりも、ある程度はラインを上げてきているイエメン相手には、佐藤寿人の「裏を取る動き」の方が有効という考えだったのだろう。
■狙って作ったチャンスと、問題点・・・
前半23分には、自陣で奪った阿部が闘莉王にバックパス、闘莉王は羽生へパスするが羽生がスルー&ゴーし、巻がダイレクトで流したパスがもう一度羽生へ、羽生は前の達也へスルーパス、もうちょっと合えば1点もののシーンだった。24分には前述の羽生→遠藤→加地。44分には坪井が左へドリブルで上がり、達也へ、達也はミニドリブルから前の羽生へ短いスルーパス、羽生の折り返しはDFに当たるがもう一度達也へ、達也→遠藤→加地、加地のシュートは浮いてしまう。
後半17分には加地にパスが入ったところで坪井が駆け上がり、加地から巻がスルー&ゴー、佐藤寿人がダイレクトで折り返すと、外から上がってきた坪井がシュート(ただしオフサイド)。26分には遠藤のドリブルから、巻がスクリーン・スルー、受けた寿人が横にパスすると遠藤がどフリー、しかしこのシュートもふかしてしまう。これらのように、練習で繰り返した「ダイレクトを中心にしたショートパスの連続&2人目、3人目の動きを絡める」攻撃から、狙ってチャンスを作ることもできているのだ。
ただ、残念だったのはこれらの最後が「ふかしてしまう」などになってしまっていることだ。これはW杯前の、シュート22本で1点しか奪えなかったvsマルタ戦(JFA.STATS)でもそうだったが、どうしても最後のところのシュート、クロス、パスの精度が低い。個人的には特に、経験もあり、おそらくはオシム監督のいわゆる「エキストラキッカー」(*1)として起用されているだろう、三都主と遠藤にそれがあると、問題だと思ってしまう。もちろん、芝の問題、疲労の問題、空気の問題など、多くのことが彼らの足に縛りをかけているのだろう。ただやはり、後半8分のフリーのクロス、後半26分のフリーのシュートなどは、正確に蹴ってほしいものだ。
*1:(技術が高く、試合を決める力を持つ選手のこと=時として、幾分「走り」が少なくとも許される?笑)
■この時期、条件における「内容」とは
この試合に関して、「内容が悪い」という批判があるという。「サウジが4点取った相手」だということから来るのだそうだが、それ「だけ」で考えるのは、ちょっと短絡的ではないだろうか。日本のJリーグの過密スケジュール、アウェー2連戦、サウジは継続したチームだが、こちらは立ち上げたて、など、多くの条件が違うのだ。確かに万々歳といえるような内容ではなかった。しかし、前日に負荷の高い練習をしていることからわかるように、オシム監督はこの試合も、「勝ちさえすればそれでいい」とはしていないのだ。そこを考えるべきだろう。
アジアカップ予選は、公式戦ではあるが、GL2位までに入ればいいのである。であれば、先を見据えてチーム作りを優先させながらでも、突破できるだろう。拙速に勝利だけを求めるやり方ではなく、である。そう考えれば、この時期にこのように、先を見て強化していくことは理にかなっている。そうして、前の試合ではできていなかったことがしっかりと改善され、チームとしての共通理解も深まってきている。アウェーでシュート16本(JFA.STATS)を放っている。これを「内容が悪い」とまで言うほどだろうか。
ただ、試合をライブで見ているときは、私もずいぶんと腹が立っていたことを告白しておく(笑)。どうしてこれほどのチャンスを無駄にするのか、どうして簡単なプレーをミスするのか、TVの前で声をあげたことも二度や三度ではない。しかし、後からビデオで見直してみると、むしろ「いいチャンスをけっこう作っているじゃないか」「なかなか運動量が落ちないじゃないか」というほうが先にたつのだ。サッカーの試合とは、1点が遠いもの。本質的にフラストレーションのゲームなのだ。ライブではその感情が試合内容を悪く見せる。しかし実際のプレーは、上で細かく見たように少しずつだが、向上していると思う。
最後に、前回上げた「向上すべき点」について。
○ボランチがバイタルを空けた時の、周囲のケア(をやり通す) →ほとんどイエメンに攻撃させなかったのでわかりにくいが、後半31分にも加地がバイタルエリアに絞っているのが確認できる。 ○ペースを握られた時の、落ち着かせ →これも判断しにくい。 ○「ビシッとクサビパス」の精度 →グラウンダーのパスを通しにくいピッチだったので保留。 ○可能性の低いフィードを蹴らない →川口のロングボールも減っており、全体にパスで組み立てることは向上していた。 ○さらに早い守→攻の切替 →これは、先にも書いたように向上していると思う。ただ、いい時のジェフのような「何人攻撃参加するんだ?」と言うほどのものにはなっていない。もっともっと、先にいける部分であると思う。 |
もちろん、これで十分ではまったくない。それは監督も、選手も我々以上によくわかっているだろう。これはあくまでも、車の押し始めに過ぎないのだ。ようやくタイヤが回転して、車が微動し始めた。ただ、車も動き出すまでが一番大変なのであって、動き始めれば慣性がついて、次第に加速していくものだ。本当に最低限の、アジアカップ出場というハードルをクリアした今、「日本化」されたムービング・フットボールの実現に向けて、さらにさらに向上していって欲しいと思う。
それではまた。
06:06 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(2)|
September 06, 2006早すぎる試金石
アジアカップ最終予選、アウェーのサウジアラビア戦が終了した。0-1と悔しい敗戦だったが、アジア5強の一角、ホームで絶対的強さを誇るサウジアラビアとのアウェー戦である。しかも日本は監督が代わって3試合目、サウジは監督が留任しチームの熟成度は段違い、という条件の中で、オシム監督が言うようにむしろ内容では上回っていたのだから、私は及第点だと思う。
「内容」を計る一つの物差し(もちろんあくまで参考にしかならないが)は、「シュート数」だろう。それを見ると、この試合は13:13とまったくの互角であったことがわかる(ニッカンデータセンター)。ただし、サウジは可能性の低いミドルシュートも多く、枠内シュート数では日本5:サウジ2であることを見ても、観戦中に「内容では押していた」という感覚を持っていた人は正しいといえるだろう。もちろん、だからこそ勝っておきたかった試合であって、悔しいことは確かなのだが。
ところで、就任して試合数が少ない時期がいかにコンセプトを浸透させるのに苦しいものか、過去の事例を一つ見てみよう。ジーコ監督時代にちょうど、4試合目にしてアジア4強(当時)の一角、韓国とのホーム&アウェーの親善試合があった。その試合は、日本も韓国も海外組抜きで行われたアウェー戦でシュート数日本8:韓国16、日本ホームでは日本2:韓国15ということになっている(繰り返すが、シュート数はあくまで参考にしかならないが)。
日本はアジアではトップレベルだが、監督就任して日が浅く、コンセプトの浸透がなされていなければ、他のアジアトップレベルの国に苦戦することはこれまでもあったことだ。毎日練習できるクラブの監督に比べ、代表監督はとびとびにしか選手と接することができない。そういう中での3試合目、しかも連続ではなく、間にJリーグの試合をいくつも挟んで、というのは、まだまだ「チーム立ち上げたて」と考えるべきだ。
私は、ジェフのサッカーを見ていても、また難解な(笑)ビブス練習を見ていても、「選手個々の対応力を練習を通じて向上させる」ことを主たる方法論とするオシムサッカーの浸透には、もっとずっと時間がかかると思っていた。しかし、3試合目にしてサウジアラビア相手に、あれだけの内容のサッカー(開始15分は除く)を見せられるとは、代表の選手の吸収力にむしろ私は驚いたくらいである。今後さらにオシムサッカーへの理解を深めていけば、日本はどのように成長していくのか。この1戦で、私はさらに楽しみになった。
■できたこと、できなかったこと
しかし言うまでもなく、敗戦は敗戦である。そこに問題はあるし、それは改善されていかねばならないだろう。「できたこと」と「できなかったこと」を、いくつかのポイントで見ていこう。
○守備面
開始1分30秒、阿部は早くも3バックの左に入っている。ディフェンスは、この阿部-闘莉王-坪井の3バックに、その前に鈴木を配する形だが、全体としてはうまく機能したと思う。3分には、三都主が高い位置からプレッシャーをかけて奪い、達也へパスを通している。高い位置で奪っての速攻を狙うというかたちは、いくつか作ることができていた。19分ごろの、阿部の前へ出てのインターセプトから、達也とのパス交換、達也へのパスなどはまさにこのチームの「やりたいこと」そのものだろう。
また、11分には敵にドリブル侵入されているが、鈴木と遠藤がバイタルエリアを埋め、左右のアウトサイドもしっかりと絞って対応している。23分には鈴木がバイタルエリアを空け、左サイドへ出て行ってディフェンスしているが、中央には加地が絞ってバイタルエリアを埋めている。鈴木も、加地も、駒野も臨機応変に中盤で守り、あるいは3バックに入り、複雑に役割を分担して、守備を機能させている。この短期間でできることとしてはなかなかのものだと思う。
失点シーンは、後半28分に鈴木がやはりサイドへ出て行って空いたバイタルエリアを、7アミンに使われてシュートを打たれ、こぼれだまが43アルドサリに渡って決められたもの。このシーンでは、空いたバイタルエリアを埋めるべき遠藤、加地の動きがやや遅かった。また、鈴木自身、首を振って後方を確認していればアミンがフリーなのが確認できたはずで、彼なら戻ってケアすることもできただろう。この点では23分にできていたことが、各人できなくなっているわけだ。
後半には敵がサイドの攻防に人数をかけて来て、鈴木がバイタルエリアを空けることが増え、そのケアができないシーンが増えていく。日本にもチャンスがあったため選手が上がっていたこともあるが、同じ形で何度かやられかけているだけに、試合中にでも修正を施したかったところだ。あるいは、いったんわざと落ち着かせて敵の勢いをそぐか。その辺のゲーム中の対応は、国際試合の経験が少ないだけにまだ時間が必要なのかもしれない。
■ビルドアップ、攻撃面
○ビルドアップ
鈴木や坪井、阿部はグラウンダーのビシッとした楔に入れるパスを何本も狙い、何本も成功させていた。これはイエメン戦で少なかったものでもあり、オシム監督の狙いが選手に浸透し始めている証左だろう。33分の達也のドリブルからの、遠藤の惜しいミドルシュートは、坪井が達也に出した「ビシッとクサビパス」からはじまっている。これは増やして行きたいし、正確性も増したいところだ(狙いはいいが、インターセプトされることもままあった)。
ただ、オシム監督から怒られたらしいが(笑)、特に闘莉王には可能性の低いロングフィードを蹴ってしまうことが目立った。もちろん彼だけの問題ではなく、FWや周りの動き出しのせいもあるのだが、自分がフリーだったり、周りにセーフティーなパスコースがある時は、もっと確実なビルドアップをしていきたい。今日の(もう今日だ!)イエメン戦ではそこを確認しよう。
○攻撃面
DFラインやボランチからの「ビシッとクサビパス」からの攻撃はだいぶできるようになってきた(例えば前半42分にも)。また、サイドからクロスを上げる時には、ペナルティエリア内には2トップだけではなく、多くの人数が入っていくこともできている(イエメン戦の前半はこれができていなかった)。前半29分には加地からのクロスに巻、達也、遠藤、三都主、駒野までペナルティエリア内にいる。これもよいところだろう。
ただ、奪ってからの早い攻撃といういう面では、ジェフのいい時に見せるような、「奪った瞬間に全員が一斉に走り出す」というシーンはあまり見せることができなかった。これは熟成度の問題、一人ひとりの「リスク・チャレンジングマインド」の問題などによるものだろう。オシム監督はここをもっとも重視しているはず。もっと向上して欲しいところだ。
ただ、アウェーであること、サウジが意外と低いDFラインを採っていたこと、それによって敵陣にあまりスペースがなかったことで、そういうサッカーにとって難しい状態ではあったことは付記しておきたい。イエメン戦も同様、敵が自陣にしっかりと陣形を引いてしまうと、2列目からの「追い越し」は難しくなる。イエメンではサイドにはスペースがあったが、サウジではそこもかなりつぶされていた。早いサイドチェンジや、「ビシッとクサビパス」からの攻撃でそこをこじ開けていくことが、今後もっと必要になるだろう。
総じて、就任3試合目にしては、攻守ともになかなかの機能性を見せ、内容面では及第点といいたいところだ。ただ、今後の課題として、
○ボランチがバイタルを空けた時の、周囲のケア(をやり通す)
○ペースを握られた時の、落ち着かせ
○「ビシッとクサビパス」の精度
○可能性の低いフィードを蹴らない
○さらに早い守→攻の切替
といったところがあるだろうか。もちろんまだまだ向上すべき点は多いが、オシム監督第1シーズンとしては、まずはこれらの点をクリアしていって、「考えて走る」オシムサッカー、「日本化された」ムービングフットボールのとりあえずの完成形を見せてほしいと思う。
■さあ、イエメン戦!
さあ、もういよいよイエメン戦だ(早い!)。報道によれば、オシム監督は先発を多少いじるようだ。強行日程を考えれば、このような策は常道でもあるだろう。二川、羽生、長谷部といったあたりを投入するらしい。このような形だろうか?
----巻---達也----
------二川------
三都主-遠藤--長谷部-羽生
--阿部--闘莉王-坪井--
--------------
------川口------
イエメンは2300メートルの高地であり、ホームではサウジに対しても主導権を握り、攻勢に出たチームと聞く。それに対してこの布陣は、「やけに攻撃的だな」と個人的には思うのだが、さて、オシム監督の意図は那辺にあるのだろうか。
それはともかく、アジアカップ予選の確実な通過を得るためには、この試合はぜひ勝っておきたい試合である。詰まりに詰まったリーグ戦からさらに強行日程での、苛酷な環境のアウェー戦。選手もスタッフも本当に大変だろうが、あとひとふんばり、大和魂を見せて、頑張ってほしい。私たちはここから、「魂」を送っている。
それではまた。
08:27 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(3)|
September 03, 2006オシム監督に期待すること
オシム監督は、日本代表監督に就いた二人目の「プロの代表監督」である。私はこの監督の就任を歓迎したいと思う。私が、日本代表監督に望む条件のほとんどを満たしているからだ。
1:経験と実績のあるプロの代表監督であること*1
2:ボールも人も動く、コレクティブなムービング・フットボールを志向していること*2
3:できれば、日本や日本サッカーについて知識を持っている人であること
4:できれば、協会やマスコミなど、日本サッカー全体を改革する意思を持っている人であること
(*1:それは必然的に外国人監督となる=日本人に、経験と実績のあるプロの代表監督はまだいない)
(*2:ここ数年の日本全体の強化方針もこちらであった・・・ジーコジャパン以外は)
以上のような条件である。それも、経験においてはトルシェ監督の持っていたそれよりも一段上のものを求めたい。具体的には、W杯のグループリーグを突破、決勝トーナメントで指揮をとった経験があるとより望ましい。
一目瞭然、オシム監督はこれらの全てを満たしている(「できれば」のものまで含めて)。よい監督が日本代表監督に就いてくれたものだと思っている。
■難しい時期
オシム監督は、難しい時期に日本代表監督に就任した。4年前のような、国際経験のある能力の高い選手たちの豊富なプールは、前監督の固定方針により今回は提供されない。能力のあるJリーグの選手たちも、代表レベルでの国際経験は浅い。また、ドイツW杯を戦った選手たちは、4年後には主力として計算できる年齢ではない。4年後をにらめば、大幅な世代交代が必然となる。
本来であれば、オシム監督には2年~3年の歳月を与え、フリーハンドで日本代表をリ・ビルド(再構築)していってもらいたいところだ。そうすれば、2年後からはじまるアジア予選にある程度のレベルに達したチームで臨むことができるだろうし、同時にその後のベースも作っておくことができるだろう。4年後を見据えながら、アジア予選で戦うチームを作るのは簡単なことではない。それには最初の2年を丸々充てるくらいのことが必要だろう。
しかし、今回はアジアカップが一年前倒しになり、2007年に本大会、今年2006年にアジアカップ予選を行わなくてはならないこととなった。しかも、前回優勝国でも予選は免除されないというレギュレーションに変更された。これによって、オシム監督は就任するとほぼ同時に、アジアカップ予選という公式戦を戦わなくてはならないという、きわめて異例、かつ同情すべき事態に陥っているのだ。
■オシム監督への二つの期待
私は、オシム監督には大きく二つの期待をしたいと思っている。
一つは、主として川淵氏の過度なコマーシャリズムへの傾倒によって歪んでしまった日本代表をめぐる環境を「正常化」すること。
もう一つは、オシム監督のいわゆる日本サッカーの「ジャパナイズ(日本化)」、日本人の特長を生かしたムービング・フットボールを、4年後に完成させ、ワールドカップで披露すること。
一つ目については、前回軽くふれた。今回は二つ目について詳述しよう。
オシム監督: 日本は、ほかのチームにないものを持っているわけで、それを生かすことが大事である。具体的には、素晴らしい敏しょう性、いい意味での攻撃性やアグレッシブさ、そして個人の技術。(中略)例えば走るスピード、展開のスピード。
オシム監督はこれらを日本の長所と認めているようだ。私もそれは正しいと思う。またそれに加えて、組織志向性の高さ、持久力なども長所としてあげることができるだろう。アジリティ、技術、スピード、アグレッシブさ、持久力。それらを生かすことを考えた時、「ボールも人も動くムービング・フットボール」が、日本の目指すべきサッカーとして浮上するのは、ごく素直なことだと思われる。
古くは、トルシェ元監督のチームも大まかに言ってそのようなサッカーを志向していたし、西村監督が率いてアルゼンチン・ワールドユースに臨んだユース代表(後のアテネ世代)も、まさに「ムービング・フットボール」を標榜したチームであった。監督によって多少のぶれはあっても、ここ数年そのようなサッカーを日本全体が目標として掲げ、そちらに向かっていたというのは、日本人の特徴を考えても、正しい方向性であったと私は思う。
それを踏まえ、4年後、日本人の特長を生かした、そしてどこの真似でもないサッカーを、南アフリカのピッチの上で存分に発揮してくれること、それができるチームを作ることを、私はオシム監督に望みたい。それができる選手を発掘、育成し、またクラブに影響を与え、また日本の指導者陣に、育成に影響を与え、日本全体をそちらに導いていく、そのための船長となってほしいと思う。
もちろんそれは、オシム監督だけに押し付けていいことではない。日本人の側、すなわち協会も、周囲の指導陣も、技術委員会も、もちろん選手も、そしてジャーナリストも、サポーターも。彼とともにそれを作り上げ、また吸収できるものは全て吸収していこうという姿勢がなければならない。少なくとも現在、反町コーチをはじめとする日本人コーチ陣は、オシム監督に食らいついていこうという気持ちを見せていると思う。私たちも負けてはいられない(笑)。
ただし、今言っているようなサッカーをフル代表で行おうとするのは、ずいぶんと久しぶりのこととなる。ムービング・フットボールには、かつての代表で言えば森島、現在では山瀬や羽生のような、運動量豊富で2列目から飛び出していける選手が不可欠なのだが、この4年間そういった選手はほとんど起用されていない。それはやろうとするサッカーが違っていたからだ。フル代表では「ムービング・フットボール」志向の方針が採られなかった結果、そういったタイプの若い選手たちの国際経験も少ない。オシム監督はほぼゼロから、それを組み上げていかなければならないのだ。
■チーム作り優先を
先にも書いたように、オシム監督は難しい時期に日本代表の監督に就任した。世代交代が必然であること。サッカースタイルの変換が必然であること。一朝一夕で達成することのできるはずがないこの2つの課題に手をつけたばかりのところで、早くもアジアトップレベルの強敵サウジアラビアとの、アウェーのアジアカップ予選が待っているのだ。ジーコ監督もトルシェ監督も、これほどの厳しい条件下での試合は経験したことがない。オシム監督があまりに平然とそれに臨もうとしているから、みんな気がつかないが(笑)。
また、今年はワールドカップやそのための親善試合、A3などによるJリーグの中断があったために、この時期選手たちはほぼ休みなしで戦い抜いている。これはとんでもないハードスケジュールであり、選手たちの体には疲労が重くのしかかっているだろう。しかも直前の30日まで試合があり、すぐに飛行機に飛び乗って長時間の移動があり、時差もあり、気候も恐ろしく違う。イエメンに至っては、2300メートルの高地である。
こういった点から、私はオシム監督の就任第1期は「スタイルを浸透させること」「多くの選手にそのエッセンスに触れさせること」「選手の見極めを行うこと」などを優先し、アジアカップ予選に関しては「出場すること」だけを得られればよしと考える。ゼロからのチーム作りと、結果を出すことを並行して行わなければならないわけだが、アジアカップ予選は4チームのグループリーグ中、上位2位に入ればアジアカップのチケットを取れるのである。ここではウェイトをチーム作りにおいてかまわないだろう。
さて、と言うわけで、私はこの中東アウェー2連戦、勝ち点2(以上)を取れればそれでオッケーだと思う。2引き分けか、1勝か。ほぼそれでアジアカップ出場が決まるだろう。そうして最初の、異常に性急な(笑)ハードルをクリアしたところで、あとはじっくりと日本代表の環境の「正常化」、そして日本サッカーの「日本化」に取り組んで欲しい。この8年間の代表狂騒曲のあとは、そろそろじっくりしっかりとした強化が必要だと理解されるべきだ。オシム監督はそれを気づかせてくれる人でもあるだろう。私はそれを期待している。
さて、今夜はもう(もう!)サウジアラビア戦だ。監督も、選手も、スタッフもさぞや大変だろうと思うが、ぜひ頑張って、いい戦いを見せてほしい。私たちはここから、「魂」を送っている。
ニッポン!!!!
それではまた。
11:49 AM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(3)|
August 14, 2006プロの代表監督なら当たり前のこと
オシム監督が就任して、一試合めのトリニダート・トバゴ戦が終了しましたね。試合内容についてはまた後日に見てみることにして、今回はその過程ですでに出て来た、いくつかの興味深い談話について考えてみたいと思います。
それらの発言は、「ああ、やっぱりプロの代表監督はこうなのだな」と思わされるものでした。そして、それを聞くと、この監督なら、この4年間に犯した過ちは少なくとも繰り返さないだろう、もしかすると、この4年間に売り渡してしまったものも、取り戻せるかもしれない。私にはそう思え、うれしくなりました。
「プロの代表監督なら当たり前のこと」とは、「強化を商売よりも優先する」ことがまず第一です。それに付随して、いわゆる「スターシステム」を否定したり、マスメディアの際限のない要求に応えなかったり、ということがでてきます。また、強化の仕方についても、経験に基づいた合理的なものを求めていくはずです。具体的には、これまでの会見での発言から、少しずつ見ていきましょう。
■練習の重視、日程のコーディネート
オシム: 代表チームと(他の日程が)バッティングしてしまったので、こういうことになってしまった。今後は、こういうことがないように願いたいものだ。
これは、トリニダート・トバゴ戦がA3とバッティングして必要な選手を呼べないことを問題視したものです。今回は就任の時期もあり、協会側としては仕方がないことではありましたが、今後はオシム監督の意思を重視して、不要な親善試合は組めなくなっていくでしょう。親善試合で収入を上げることよりも、強化のための練習を。この辺は「練習のための合宿」を重視していたトルシェ監督と共通する考え方ですね。
オシム: 本来ならばもっと早い時期にメンバーを発表して、もっと早くトレーニングを開始したいと思っていた。
プロの監督は、自分がトレーニングによってチームに影響を与え、それによって強化していくことができることを知っています。そのための「練習」とは、非常に重要なものなのです。オシム監督も、「練習のための合宿」を組みたいと要求しているとのこと。強化のための合理的な考え方と言えるでしょう。
■競争環境、「負けてもいい?」
オシム: あらかじめスタメンを発表するのは、相手に失礼に当たる。大体は決まっているが、相手へのリスペクトを示すためにも、(ここで)スタメンは発表しない。
スタメンを訊く記者はそれで楽に記事を書こうとしています。フォーメーションを訊くこともそうですね。オシム監督はそういうことにサービスをしません。
それどころか、試合直前まで選手にもスタメンを伝えないやり方をとりました。これも、トルシェ監督が試合直前まで競争意識を持たせたやり方と同じですね。将来はわかりませんが、立ち上がりは選手間の競争によって、選手たちの力を引き出そうとする方法を採るようです。
オシム: 勝つことには、さまざまなことが含まれている。ただ(結果だけで)勝ってしまえば、そういうことが見えない。敗北は最良の教師である。だが、「だから負けたい」とは私は言えない。
プロの代表監督は、親善試合に対して様々なテーマを持って臨み、勝敗だけではなくそのテーマの達成を重視する、ということがあります。代表チームの「強化」とは、そういうことを通してなされるものだからです。内容の悪い勝利よりも、テーマがきちんと達成され内容がよければ、敗北の方がよいこともある。「明日のために今日を使う」こともあるのが、プロの監督です。
■そして、スターシステム
オシム: 私もキャプテンは大事だと思っている。だが、スポンサーの力やマスコミによってキャプテンが選ばれるわけではない。スポンサーやマスコミに都合のいい人がキャプテンになることを希望していることは多いが、時にその見栄えのいいキャプテンは役に立たないこともある。
今は、この人がキャプテンだろう、という雰囲気が出てくることを期待している。キャプテンとは育てられるものではなく、持って生まれた特徴のある人。キャプテンとして生まれる、そういう人がキャプテンだ。
これも、どこかで聞いたことがあるセリフではないでしょうか(笑)。オシム監督も、「スターシステム」がいかに選手をスポイルするか、チームにとって、強化にとって邪魔であるかを知り抜いていますね。トルシェがあれほど嫌悪し、それから選手を守ろうとした「スターシステム」。この4年で川淵会長、ジーコ監督の下、チームにびっしりとまとわりついてしまったそれを、オシムは引き剥がそうとしています。
「オシムの言葉」(木村元彦著)より
勇人が記者に囲まれているのを見ると、私は頭が痛くなる。若い選手が少しよいプレーをしたらメディアは書き立てる。でも、少し調子が落ちて来たらいっさい書かない。するとその選手は一気に駄目になっていく。彼の人生にはトラウマが残るが、メディアは責任を取らない。
これはジェフの佐藤勇人選手についての言葉ですが、代表ではメディアはもっともっと巨大なスターシステムを構築しています。キャプテンを知りたがり、スタメンを知りたがり、10番を、司令塔を祭り上げたがるでしょう。はやくキャプテンを、司令塔を固定してもらって、次のCM契約の話をしたがっているでしょう。
イエメン戦の召集選手が発表になると、いきなり佐藤兄弟を大きく取り上げようとしています(これでイエメン戦に兄弟ゴールとかあったらどうなることか・笑)。しかし、オシム監督はその弊害を知り抜いている人ですから、心配は要らないように思います。ただ、ここ8年間で日本代表監督に就いた二人のプロの監督が、同じように「スターシステム」を警戒していることを、協会とメディアはもっと真摯に受け止めるべきでしょう。
オシム監督は、日本代表チームを「日本化」することを考えているようです。しかしその前に、日本代表チームの周辺が「商売」によって歪んでしまっていたのを、「正常化」させようとしてくれているように思います。これは、川淵会長としては歓迎できないことではないでしょうか?いずれ川淵氏はオシム監督とこの点で対立し、どこかで言うことを聞かせようとするのではないかと予測します。そして頑固者のオシムがそれを拒否したときには・・・。
私は、サポーターは「正常化される」日本代表の環境、それをなそうとしてくれているオシム監督を、守らなければならない、と感じています。それが、この4年間に対する償いなのだ、と。そのためにも、強化よりも「スターシステム」を推進する協会の現体制に、「NO!」と言うことが必要です。少なくとも、改革を行おうとするオシム監督をしっかりと協会がサポートするように、継続して声をあげ続けていきたいものです。
それではまた。
02:23 AM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(4)|