Svabo Ostani!
イビチャ・オシム日本代表監督が脳梗塞で倒れられてから、10日が経ちました。日本サッカーがどう、ということよりも、ただただ一人の人として、一刻も早いご回復を祈っています。
この報を聞いて以来私は頭が真っ白になってしまい、何も手につかない状態でした。ただJEF時代のオシムさんのサッカースタイルに魅了され、日本代表監督としてのオシムさんを応援していたに過ぎない私ですらそうなのですから、ご家族のご心労は、想像すらできません。また直接指導を受けていた日本代表やJEFの選手たちはさぞや心を痛めているだろうし、また特に五輪代表の水野、水本たちはよく戦い、よく五輪出場権を勝ち取った、と思います。
この件に関して、SoccerCastで語りました。正直、ここしばらくは友人とでもこの件は語りたくない状態だったのですが、「こういう状況だからこそやらねばならない」と思い、収録しました。いつもとは違うSoccerCastになりましたし、またこういうものですので「聞いてください」というつもりもありません。ただ、今の気持ち、考えをここに残しておこうと思ったものです。
3次予選組み合わせ決まる
さて、SoccerCastでも話したのですが、日本代表の南アフリカワールドカップへ向けた3次予選の対戦相手国が決まりました。世界のサッカースケジュールは、待ってくれないのですね。日本は第2組、バーレーン、オマーン、タイと対戦することになりました。バーレーン、オマーンといえば、ドイツW杯予選でも苦戦した相手です。日本の実力が上回っているのは確かですが、監督選びを間違えれば、再び苦しめられる、場合によっては足元をすくわれる可能性もあるでしょう。
| 日程 | 大会 | 相手 | 場所 |
| 1月中旬 | 日本代表候補合宿 | - | - |
| 1月26、30日 | 親善試合(2試合) | 未定 | 未定 |
| 2月6日 | W杯3次予選 | タイ | ホーム |
| 2月17日 | 東アジア選手権 | 北朝鮮 | 中国・重慶 |
| 2月20日 | 東アジア選手権 | 中国 | 中国・重慶 |
| 2月23日 | 東アジア選手権 | 韓国 | 中国・重慶 |
| 3月26日 | W杯3次予選 | バーレーン | アウエー |
| 5月下旬 | キリン杯 | 未定 | 未定 |
| 6月7日 | W杯3次予選 | オマーン | ホーム |
| 6月14日 | W杯3次予選 | オマーン | アウエー |
| 9月6日 | W杯3次予選 | タイ | アウエー |
| 9月10日 | W杯3次予選 | バーレーン | ホーム |
初戦は2月6日、ホームにタイを迎えます。そのための合宿は1月中旬には始まるでしょうし、予選のための準備試合が、1月26、30に予定されています。そう考えると、オシム監督が回復したとしても(もちろん絶対に回復すると信じていますが)、ストレスの大きい代表監督としてそのまま始動できるとは考えにくい現状、考えるのもつらいことですが、その後任選びは、ある程度急がなくてはならない、ということになります。
危険な「路線継承」
しかし、後任人事を急ぐあまり「予選も迫っているので手近な監督で」というのは間違いだと思います。現在、岡田武史氏に打診をしていることが報道されていますが、その報道の中に「オシム路線継承」という文字が躍っているのが、私は気になります。
岡田氏とオシム監督は、サッカー観も違うでしょうし、Jリーグで実現してきたサッカー像も違います。いや、サッカー観が近いと考えられる、オシム監督の弟子たちが実現しているサッカーを見ても、あるいはオシム監督がアドバイザーとして参加していた反町U-22を見ても、「オシムサッカーはオシム監督にしか指導できない」と考えるべきだと思います。
そしてなにより、岡田氏に就任を要請するならば、「岡田氏のやり方に日本を託すのだ」と考えなくてはなりません。「岡田氏のサッカーの方向性が、これからの日本サッカーの方向性として正しいのだ」というPLANを持って頼むのでなければ、おかしい。その場合は「オシム路線継承」ということではなく、「岡田サッカーを日本は目指す」という明確な目的意識を持たないと、再び日本は迷走していくと思います。
PLANあっての代表監督選び
日本はこれまで、「ボールも人も動くサッカー」を目指してきました。これはオシム監督だから、ということではなく、それ以前から日本が、日本の選手の特性を生かすために目指していたものです(ジーコジャパンは違いましたが)。そしてそのPLANにオシム監督が最適であるために、彼が選ばれ、日本代表監督に就いたのであるはずです。その「目指すサッカー像」はいま、変更されるべきなのでしょうか?
いま監督を再び選ぶならば、「ボールも人も動くサッカー」を目指している監督であるのか、実現したことがあるのか、実現できるのか、という基準で選ぶべきです。そうでなければ、「目指すサッカーを変更する」という意思決定が先にあるべきです。「就任した監督によって日本の目指すサッカーがころころ変わる」ということであってはなりません。
私は、オシム監督就任以来の2年間の、各年代日本代表(いずれも「ボールも人も動くサッカー」を目指してきました)の戦いぶりを見ても、その「目指すサッカー像」を変更する必要を感じません。今でも変わらずそれは、日本が世界と戦っていく上で、最適なヴィジョンだと思っています。もし協会が「目指すべきサッカー像を変える必要がある」と考えるので「ない」ならば、次に必要になるのは「岡田武史氏は、『ボールも人も動くサッカー』の実現のために、最適な監督であるのか否か?」という判断です。
岡田氏は実績のある監督であり、これまで指導してきたチームという、その判断のためのサンプルがしっかりとあります。日本協会はそれを参照して、目指すサッカー像との一致、実現の度合いはどうなのかを判断するべきです。それがなければ、「予選も迫っているので手近な監督で」という、再びの「PLANなき代表監督選び」になってしまいます。そのようなことはもう二度とあってはなりません。
タイ戦までは、暫定指導体制で
とはいっても、先に書いたように3次予選初戦が迫っていることは事実です。しかし、ここはSoccerCastで話していて、考えが変わった部分なのですが、私は「まず暫定的に、現状のコーチ陣で始動しつつ、時間をかけて代表監督を選定する」という案を提唱したいと思います。幸いにして、初戦はホーム、3チームの中では最も実力的には劣ると考えられるタイが相手です。ここはぎりぎり、暫定指導体制でも、オシム日本の核を継承したチームで戦っていけるのではないかと思います。
そうなると次は3月26日のアウェーバーレーン戦ですが、その前に2月17日~2月23日の東アジア選手権があります。このあたりまでに監督が決まっていれば、東アジア選手権で新監督の下で強化をしてもよし、あるいは新監督が東アジア選手権を見て選手の見極めに使ってもよし、暫定体制からうまくバトンタッチしていくことができるでしょう。いずれにしても、いま話題になっているような12月3日や、7日までに決めなくてはならない、という拙速は避けることができます。
もう一度書きますが、「予選も迫っているので手近な監督で」というのは、おかしな考えかただと思います。「日本のことをよく知っているから、今のチームの継承ができる」というのも、間違っているでしょう。その監督が、これまでのオシム日本と同じようなサッカーを志向していたことがあったのか、実現していたことがあったのか、ということのほうがずっと重要です。あくまでも、日本が目指すサッカーに最適な新監督が、自らのヴィジョンに基づいて強化し、その上で3次予選を勝ち抜いていく。新監督にはそういう能力を求めるべきだと思いますし、それが確認できる実績が必要だと思います。
望ましい代表監督像
以前に私が書いた、日本代表監督のために望ましい条件を再び書いておきます。
1:経験と実績のあるプロの代表監督であること*1
2:ボールも人も動く、コレクティブなムービング・フットボールを志向していること*2
3:できれば、日本や日本サッカーについて知識を持っている人であること
4:できれば、協会やマスコミなど、日本サッカー全体を改革する意思を持っている人であること
(*1:それは必然的に外国人監督となる=日本人に、経験と実績のあるプロの代表監督はまだいない)
(*2:ここ数年の日本全体の強化方針もこちらであった・・・ジーコジャパン以外は)
3、4は「できれば」ですが、1、2は「絶対に必要な条件」です。岡田氏は、実は日本人では唯一といっていい1の適格者ですが、2に関してはどうなのか、ということが問題になると思います。
最後になりますが、私は岡田武史個人のことは、好きです。監督としても、人物としても、好感を持っています。しかし、この問題はそれとは分けて、しっかりと日本サッカーの将来のことを考えて決めるべきだと思うものです。
オシム監督の一刻も早い回復を祈って。
それではまた。
05:25 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(4)|
August 30, 2007車は加速する(カメルーン戦)
私と発汗さん、エルゲラさんの3人でやっているポッドキャスト「SoccerCast」に登録いただいている方が、4万人を突破いたしました。総合ランキングでは42位になっているようです。聞いてくださっている皆様、登録していただいたみなさま、本当にありがとうございます。5月の段階で1万人、90位でしたから、なんだかずいぶん早いテンポですね。以前にも書きましたが、普段4万人を前に喋ったりすることはありえないわけで、それを考えるとちょっと恐い気もします。
そのSoccerCastでも振り返りましたが、フル代表のvsカメルーン戦とU-22のvsベトナム戦(ホーム)が8月22日にありましたね。さらにはU-17ワールドカップまでもが同じ時期にあるという代表戦ラッシュ!アジアカップの振り返りもまだ済ましていないし、酩酊さんからトラックバックをいただいたのでお返事も書かなくてはいけないし、すぐに代表の欧州遠征、U-22のアウェーサウジ戦も迫っているし、我那覇の件についても書いておきたいしで、更新の遅い当ブログでは追いついていけるかどうかわかりません。
まずはとりあえず、直近のフル代表カメルーン戦について、今回は触れておきたいと思います。
準備不足のライオンたち
この試合については、内容がよかった、あるいは新戦力が活躍したということも言われるが、まずは対戦相手であるカメルーンのコンディション、やり方に助けられた部分が大きいと言わねばならないだろう。カメルーンは直前来日、遠距離移動でコンディションがそもそも万全ではなかったが、さらに試合会場である大分の九州石油ドームへの到着も送れ、試合開始前のアップができないという緊急事態だった。
オシム監督は試合直後のTVのインタビューで「前半の方にはっきりと日本の力が表れていたと思う」と言っていたが、私はこれには疑問がある。前半の日本がよく見えたのは(よかった部分も否定しないが)、カメルーンの選手が「アップをしながら試合をしている」というような状態であった部分もかなり影響していると考えられるからだ。もちろんオシム監督も、それは理解していてあえてこのように言ったのだとは思うが。それにしても、カメルーンのアップが終了した後半の方が、彼らの本来の力に近いものだと考えるべきだろう。
また、カメルーンはアジアカップの対戦相手と違い、「ラインを下げて、10人で引いて守ってカウンター」というようなやり方はしてこなかった。これは彼我の力関係を見れば、当たり前ではある。また、言うまでもないが日本を研究もしてこなかっただろう。以前にも何度か書いているように、そういう相手に対して日本がよい試合を見せるのは特別なことではない。いつものことだ。この試合の攻撃陣が、アジアカップで引いた相手に苦しんだ攻撃陣よりもよく見えたとしても、その理由のかなりの部分は「カメルーンのコンディションと、引いて守らないというやり方」が原因であるということを、忘れてはならないと思う。
キリンカップ型強化
これは、「強豪国を日本に招いて試合をする」というキリンカップ/チャレンジ型強化試合が、これからどこまで意味のあるものにできるのか、という問題でもある。以前は、海外の代表チームと対戦することは限られていて、キリンカップ/チャレンジの意義は非常に大きく、スポンサーであるキリンの日本代表の強化への貢献には、いくら感謝してもし過ぎということはないだろう。しかし、これからさらに上を目指すには、来日したてでコンディション不良のチームと単発で試合することが、どこまで強化の役に立つのか、JリーグやACL、A3などとの絡みも含めて、考えていかなくてはならないところだ。
ただ今回は、コンデション不良のカメルーン相手とは言え、この試合をやってよかったと私は思う。アフリカン特有の脚の長さ、身体能力を利したプレッシャーの中で、どこまで「ボールも人も動くサッカー」ができるのか。自分たちがJリーグやアジアレベルではやっている、ほんのちょっとのミスともいえないようなミス、例えばトラップが15センチ浮いたとか、例えばボールの置きどころをちょっとだけ間違えたとか、パスコースが少しだけ意図と外れたとか、パスを受ける前にきちんとルックアップしていなかったとか、それをカメルーンがまったく見逃してくれないということも、再びわかったはずだ。
そして、もう一つ大きいのは、アジアカップ4位敗退での閉塞感、もしかしたら選手たちがちょっとだけ自信を失いかねないところだったのを、この試合が払拭してくれたのではないかと思えることだ。2004年アジアカップの後のアルゼンチン戦は、「何故こんな時期に試合を?」とみなが疑問に思ったものだが、今回はむしろよかった。「アジアカップに出場している選手の方が、していない選手よりも動けていた」というのは、彼らの中に残る不完全燃焼感も手伝ってのことだろう。そして、「先はまだまだ長い、こんなところで立ち止まっている場合ではない」ということを、選手もしっかりと理解したことだろう。オシム日本の第2フェーズのたち上げとしては、まずまずだったのではないかと思う。
オシム日本の第2フェーズ
オシム日本の第2フェーズの立ち上げというのは、単純に2年目ということもあるが、アジアカップまでを一区切りとしてこれまでの航路を考えると、なかなか判りやすくなるという意味でもある。
1)まずは、Jリーグベストイレブンクラスでありながら、フル代表での経験の浅い選手に経験を積ませる。(啓太、闘莉王、憲剛、駒野、阿部、我那覇、寿人、達也)
2)ジェフでオシム監督のやり方に慣れた選手をそれに加え、方法論・戦術の浸透を図る。
3)海外の選手は、まずはクラブでのレギュラー取りに専念させる。
4)チームが出来上がりつつあるところで、シーズン終盤の(呼んでも悪影響が少なそうな)海外の選手を融合させる。
5)同じ時期、Jの中からさらに幅の広い選手を合宿に呼ぶ。
6)ジェフの選手を残して、4)5)の「合流して日の浅い海外組および新戦力」への、方法論・戦術の浸透を進める。
7)アジアカップには、それまで合宿には呼んでいた攻撃陣でも、戦術の浸透度の低い選手は呼ばない。
私はこれらについては基本的にロジカルであると思うし、支持することができる考えであったと思っている。そして、このカメルーン戦で第2フェースが始まったということだろう。アジアカップを経て、マスメディアでは「個の力発掘だ!」と喧しいが、単純に2年目になり、「合宿には呼んでいたが、戦術理解の点でアジアカップメンバーから外れた選手」を再び呼んだものと考えると、実はかなり素直な流れなのだとわかるはずだ(純粋な新顔は、大久保だけである)。2年目のこれから、また彼らにじっくりと戦術を理解させていけばいい。そういう時期なのだ。
ただし、ジェフの選手たちに関して、私はいわゆる「インストラクター枠」というような捉え方はしていない。いまだに巻の前線からの守備、ハイボールを納めるポストプレイを上回る選手は多くないし、羽生や山岸の攻守の切り替えの早さは特筆すべきものだ。水野や水本は五輪代表の中心選手であり、次代をにらめば招集して当然でもあるだろう。実際オシム監督も、カメルーン戦にジェフの選手が呼ばれていないのは、怪我などのコンディションの故であると発言しているようだ。彼らも含めて、今後ますます競争が激しくなるだろう。歓迎したいと思う。
新戦力たちの評価
さて、新戦力の中では、前田は持ち味を出していたと思う。私は前代表での柳沢の、「動きながらボールを引き出し、足元で納め、そこからの展開でチーム全体を活性化する」というプレーを高く評価しているものだが、前田もそういう存在になれる選手だろう。この試合でも前田はやわらかいポスト、そこから回りをよく見た、ワンタッチをおりまぜた展開を何度か見せて、攻撃をリードしていた。アジアカップ予選でのホームサウジ戦でも、我那覇がそういうプレーを見せていたが、日本の目指す「ボールも人も動くサッカー」では、この「足元での柔らかいポストプレー」ができる選手は必要/重要になってくる。前田もその主要な候補として、名乗りを上げたといえるだろう。
大久保、田中達也もスピードを生かした突破を何度か見せて、観客を沸かせ、持ち味を出していた。彼らに期待された役割は果たしたと言えるだろう。ただ、もう一度言うがそれは、カメルーンが裏のスペースを空けていたことによる部分も大きい。また、個人的には田中達也にシュートがなかったのが少し気になった。達也のドリブルは、以前は「自分がシュートするため、シュートコースを作るため」のものが多かったのではないか?その辺は、今後フィットしていくにつれて、さらに発揮できていくようになることを祈ろう。
大久保に関しては、サポーターが期待したとおり、何度か鋭い突破を見せていたが、個人的にはそれよりも守備の局面に多く顔を出していたのが印象に残った。オシム日本では、ボランチの選手がサイドバックや攻撃陣をオーバーラップしていくことが主要なコンセプトの一つ(→数的優位を生かしたサイドアタック)になっているが、その場合には当然、攻撃陣の誰かが下がってそのスペースを埋めなければならない。しかし、オシム監督がしばしば嘆くように、多くの攻撃的な選手は、そういう役割にフィットしているとはいえない。その点で大久保がしっかりした守備の意識、クオリティーを見せたのは、今後に向けてポジティブだと私は思う。
オシム監督: 最もアイデアのある選手たちは、よりスピードがあり、より多く走ることができて、選手の全面的な能力を備えている。全面的とは、さまざまな役割を果たすことができるということ。つまり今の中心選手の中には、自分にはできない、あるいは苦手なポジションがあるということだ。
明暗の行間を読む
この試合では、前半と後半で内容が顕著に別れた。原因としては先にもあげた、カメルーン側のアップ不足が上げられるだろう。また、オシム監督も指摘した、「日本の選手の疲労、交代によってバランスが崩れたこと、追いつきたいカメルーンが前に出て、日本にミスが増えたこと」なども大きな原因ということができる。
交代策に関しては、あくまでもテストマッチであり、招集された選手をなるべく多く、それなりの時間を与えて使ってみるのはロジカルなことだ。それによってバランスが崩れてしまったのは残念だが、それも織り込んで見るのがテストマッチの評価の仕方なのだ。その視点を持てば、この試合で「オシム日本はいつも後半にスタミナ切れを起こす」という批判をするのはあたらないだろう。
このような試合では、「テスト」される環境にある新戦力が飛ばしすぎてしまうこと、またテストのための交代によってバランスが崩れてしまうこと、さらには途中投入された新戦力たちがまた、自分のアピールのために前へ前へと行ってしまうこと、などなどがスタミナ切れに見せる要因となってくる。それらは本番の試合では基本的に心配しないでいいことだ。最もスタミナ切れが心配されたアジアカップでは、ホームのベトナムの方が先に動けなくなっていたではないか?
4バックと3バック
さて、後半に関してはもう一つ見るべきところがある。カメルーンが2トップにしてきたことで、日本は前半の4バックから阿部が下がり、3バックを形成した。これはオシム監督の指示によるものではなく、選手間の判断で、ピッチ上での話し合いによって行われたことだという。アジアカップ以前のオシム日本は確かにこのように、敵のFWの人数によってDFの数を調整することを臨機応変に行っていたから、それに基づいて選手たちが判断したということなのだろう。このこと自体は間違いではない。
ただ、後半になるといよいよエンジンのかかってきたカメルーンの選手に対して、日本は2人、3人とかかっていかないと、それこそ「個」の力でやられてしまうシーンが増えてきていた。そのためか、3バックといいながら、敵の前線が2人しか張っていないのに、5人がDFラインに残って、5バックの状態になってしまっていることが多くなった。それによって、中盤でカメルーン選手をフリーにし、またこぼれ球も拾えなく、たまに拾えてもフォローの選手が上がってこず、パスをさらわれるか、大きく蹴りださざるを得なくなるか、という状態だった。
オシム監督は、「3バックにするなら遠藤が下がってダブルボランチにするべきだった」という趣旨のことを語っている。それもあるが私は、両サイドや3バックの中の選手も、敵のFWの人数によって臨機応変に中盤へ出て行くべきだったと思う。カメルーンの選手のスピードや1vs1に晒され、また疲労もあり、選手交替によってバランスが崩れている状態では、それは怖くてできなかったことはよくわかる。が、オシム日本のやり方では、そこでも「考えて走る」が求められているはずだ。これをいい教訓にして、また監督とも話し合って、さらに守備の熟成をして行って欲しいと思う。
車は加速する
総体としては、アフリカンの身体能力を体で感じ、甘いプレーが通用しないことを再び刻み、守備の再構築への端緒をつけ、新戦力のフィットもはかれた、よい親善試合だったと思う。このように親善試合をロジカルに「使う」ことは、私は歓迎したい。こうして、アジアカップ後の第2フェーズ、日本代表の選手の選択肢はますます増え、競争は激しくなってきている。そして早くも欧州遠征へ向けての選手の発表が控えている。実に楽しみではないか。
それではまた。
08:41 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|
August 11, 2007新委員会は本当に必要?
(アジアカップ総括は途中ですが、見過ごせない話だと思うので、一回これをはさみます)
アジアカップ後、JFA会長川淵氏は「代表監督評価・査定機関」を作ろうという考えを明かした。
川淵氏: 問題があれば、オシムと(協会が)キャッチボールする必要がある。質問があれば投げかけ、要求すべきはする。技術委員会の中に独立したものを作り、そこでオシムをチェックする。
サポーターの間でも意図が分かりにくいと思われたこの構想だが、これについて西部謙司氏がコラムを書かれている。文中で西部氏は、「本当に、こんな委員会を立ち上げるつもりなのだろうか?」と、新委員会構想そのものに疑問を呈する。
| 1)投げかけるべき質問のレベルが低い 2)協会に必要なのは距離を置いて観察することよりも、対象に近いところの評価 →そのために技術委員会がある。 3)オシムにものを言える者がいないのが問題なのは確か。 →そこが心配ならば現行コーチングスタッフを替えたほうがいい |
西部氏があげる新委員会構想への疑問は以上のようなものだ。そして、このように疑問のある新委員会の構想には、何か別の目的があるのではないか、と推測し、
西部氏: となると、アジアカップ4位で溜まったファンの不満をガス抜きするのが(川淵会長が新委員会を設立する)真の目的なのだろうか。
としている(括弧内補足はケット・シー)。真の目的についてはわからないが、疑問点は私もまさにその通りと思う。現行のコーチングスタッフ、あるいは強化委員にオシム監督にものをいえる人がいないのは確かに問題だが、それならばその担当を替えるか、別に人材を加えればいいことだ。新たに委員会を立ち上げる理由としては不十分だ。
また、「協会に必要なのは距離を置いて観察することよりも、対象に近いところの評価」に関しても、私は同感である。
以前にもまったく似たようなことがあったのをご記憶の方はいらっしゃるだろうか?トルシェ前監督の頃、技術委員会の他に、釜本氏を長とする評価査定期間「強化推進本部」が設けられた。この委員会が「レポート」を上げ、それによってトルシェ監督の契約を延長するか、解任するかを決めようとしていたのだ。当時の記録を詳細に残した「日本代表監督論」(潮智史著)の中に、次のような一説がある。
自民党の参議院議員を努めていた釜本は、練習はもちろん試合にも駆けつけることのままならない忙しさの中にいた。木之本はJリーグの専務理事として多忙を極めている。こまめに練習から見渡していたのは大仁ひとり。練習の狙いや効果を汲み取れない人間が自分を評価することに憤慨し、(トルシェは)失望感をあらわにした。「協会は査定や評価ばかりで、支援する気持ちがない」「評価を下すのなら、すべてを見て判断すべきだ」(括弧内補足ケット・シー)
まさに、「距離を置いた観察、評価」を否定する事例だろう。技術委員長が現場に足しげく通うのも、技術委員会にコーチが入っているのも、このような問題ががあるからだ。「○○という課題の解決のために、どのような練習をしているのか」「その成果はどのくらい上がっているのか」ということを、きちんと知ったうえで評価しなくては、「どのくらいの強化の進捗状況なのか」も理解のしようがないではないか。ただたんにたまに代表の試合を見て「いい内容だった」「悪い内容だった」などと評価する機関ならば必要ない、ということだろう。
私は常々、代表監督の問題を考えるにあたり、PDCAサイクルをしっかりしてほしいと思っている。PDCAとは、Plan(計画)-Do(実行)-Check(評価)-Act(改善)の略である。日本サッカーは、代表チームはどのような方向を目指すのか、そのような事前プランがしっかりあって、それにあった監督を招聘し、彼の実行をしっかりと評価し、そして改善していく。この場合の事前プランは技術委員会が立てるのが当然のことだろう。
そして、代表監督を評価するにしても、その事前プランを評価者がしっかりと理解したうえで、なされなければならないのもまた自明のことだ。先にあげたような「強化の進捗状況」は、ただ試合を見ているだけでは分からない。「距離をおいた評価、査定」などよりも、事前プランを深く理解し、しっかりと強化課程を見ている技術委員会がそれを行う方が、意味のあるものになることは確かだろうと思う。
かつての「新査定期間」の顛末
これに対し、常々「日本のスポーツ界で最高のリーダーは川淵氏」と発言している二宮清純氏が、1年前、「代表改革へ新査定期間に注目」と題したコラムを書かれていた。二宮氏は、「サポート機関のほかに査定機関を設けることが必要」ということを持論としていたようだ。
コラムの中で二宮氏は、かつての加茂監督と加藤久強化委員長の間の確執が、「技術委員会が評価・査定を行わない機関になったこと」の原因だとしているが、これもまた興味深い書き方である。というのは、加茂監督の退任を進言した大仁強化委員長の例や、むしろ評価・査定を専門とした釜本強化推進本部の事例が無視されているからだ。この「強化推進本部」に関しては、立ち上げられる前に大住良之 氏がすでに疑問を呈していたのだが、その点でも、今回との強い類似があるといえる。
大住氏: 代表チーム監督というのは、単なるサッカーコーチではありません。短期的な目標をもってその実現に努力するとともに、長期的な展望に立ち、いろいろな要素を総合してチームを導いていかなければなりません。
大事なのは、「ビジョン」であり、それを実現する「能力」です。 であれば、いちど監督を選任したのなら、監督がビジョンと能力を最大限に生かせるよう、監督中心の組織がつくられなければならないと思うのです。
とすれば、必要なのは大所高所からものを言う人々ではなく、監督のアイデアを実現させるべく働くスタッフということになります。(中略)
しかし今回の「強化推進本部」は、逆にトルシエと協会の関係をより複雑にし、トルシエを孤立させかねないと思うのです
2000年6月にトルシェ監督の「解任」が大新聞にリークされ、そこから大騒ぎになったわけだが、評価・査定をするはずの強化推進本部はレポートを一本化できず、結局トルシェ監督との契約延長を岡野会長が決断した。この時、政務次官専任を理由として釜本氏が退任し、「強化推進本部」は代表監督のサポート組織へとその性質を変化させ、評価・査定機能はそこから排除された。
これはまさに、「練習に来もしない人々が代表を査定しようとした」ことからくる、当初予想された「ゆがみ」が一挙に噴出した事例だといえるだろう。二宮氏はこの件をなぜか無視しているのだが、今回の新委員会も、やり方をよほど考えないと同じことになる可能性が高いと私は思うのだ。
確かに根拠なき楽観論があるなら問題だが・・・
二宮氏: 代表をサポートする機関といえば聞こえはいいが、チェク機能が動かなくなると緊張感まで失われてしまう。いわゆる代表の“大政翼賛会”化である。根拠なき楽観論の先に待っているのはカタストロフィーだ。
確かに、すべてが監督の言いなりではまずいだろう。そこをきちんとチェックできる機能を、技術委員会には求めたい。
しかし、この文章を二宮氏が書いていたとはまた興味深いことだ。2002年に川淵氏が会長になって、大仁氏から田嶋氏に技術委員長を変更する人事を行った際、田嶋氏は「ジーコ監督の評価・査定はしない」と明言し、川淵氏は「監督の評価やクビを切るということは、最終的にオレが決めればいいこと」と嘯いていた(当時の新聞記事等はネット上には残っていないが、J-KET掲示板の過去ログにその発表後の反応が残っていて興味深い)。「代表の“大政翼賛会化”」「根拠なき楽観論の果てのカタストロフィー」と言えば、この2002-2006体制のことを、普通の人ならば思い起こすのではないか。
そしてそのカタストロフィーの後も「ジーコ采配は検証せず」だったわけであるのだが・・・。
二宮氏: 過日、再任された川渕キャプテンに、この点を質(ただ)した。川渕氏は「技術委員会とは別の機関になると思うが…」と前置きして、こう明言した。「客観性を持たせながら公平に試合を分析し、評価を下せる組織は必要だと思う」。
これは、川淵氏も「2002-2006にチェック機関がなかったのは失敗だった」と認めたということなのだろうか?それとも、そういうことは忘れてしまって、一般論として語っているのだろうか?どうもその辺が釈然としない文章ではある。
このコラムは1年前のものでもあり、今回の新委員会を念頭に置いたものではないが、妙に符合するところも多い。一般論としては、「代表監督の言いなりではいけない」「代表の評価、査定は必要」というのは間違ってはいない。しかし、今回の「距離を置いて客観的に評価をする」という新委員会の構想は、先にも見たように、「練習にも来ず、その狙いも理解しない人々が、評価・査定をする」ということにもなりかねず、うまくいかない可能性が高いと思う。
それよりも、技術委員会の面々がよりきちんとオシム監督に相対し、「問題があれば、オシムとキャッチボールする。質問があれば投げかけ、要求すべきはする」ということができるようになっていく方が、はるかに実のある強化になるだろう。そして、近くにいてしっかりと強化の進捗状況を見て取れる彼らが、それに基づいて評価、査定をできるようになることが、本当に求められることではないだろうか。そのために必要ならば、人事の刷新もあってもかまわない。私としては、祖母井氏を三顧の礼を持って迎えるのが最善の策であるように思うのだが。
それではまた。
12:47 AM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(0)|
August 03, 2007アジアカップに何を見るか
韓国代表と120分間戦って引き分け。PK戦で日本は4位となり、日本代表にとってのアジアカップは終わった。酷暑、ハードスケジュールの中、戦い抜いた選手たち、支えたスタッフ、監督、本当にお疲れさまでした。また、戦火の中から雄雄しく復興し、素晴らしいサッカーを見せ、優勝したイラク代表の皆さん、本当におめでとうございます。
アジアカップが1年前倒しになり、かつ直前までJリーグがあり、準備のための親善試合がゼロという条件の中、日本サッカー協会は今大会のオシム監督に「ノルマ」は設けない、というきわめて当たり前の判断をしている。私も私的「ノルマ」はなし、「できれば」ベスト4まで行って欲しい、と思っていたので、ちょうどそれは達成されたことになる。特にベスト4まで到達したことで、3位決定戦まで含めて6試合を戦えたわけで、それもオーストラリア、サウジ、韓国という強国と次々と当たれたのは、強化の「実」という意味では非常によかったと思う。
また、大会を通して、日本のポゼッションは高く、決勝トーナメントに入ってからも(11人対11人の時でも)けして内容は悪いものではなかった。それは選手も、オシム監督も言うとおりである。もちろん、今回の大会を最終目標とするならば「内容は良かった」などと言っている場合ではない。しかし、協会もオシム監督も「あくまで強化の一過程」と捉えていたことは、各所で報道されていたことだ。南アフリカワールドカップまでの4年を1サイクルと考えての強化の「過程」としてならば、アジアカップの結果も無視はしないが、まずは内容を見るべき、ということになるのは自明だろう。
きわめて厳しい準備状況
大会前にも書いたように、日本は直前の6月30日までJリーグがあり、現地入りが5日前、準備のための親善試合が一つもない状態で大会を戦った。これはおそらくは参加国中随一の準備期間のなさであり(もちろん過去の日本代表の、アジアカップに臨む準備と比べても圧倒的に不利だ)、それが日本の大会全体に色濃く影を落とした。
現地入り5日前というのでは、Jリーグの疲れを取るのに精一杯だろう。連携の確認も難しく、大会全体を見据えたコンディショニングもできないくらいのもの。そういう状態で迎えた初戦カタール戦は動きが重く、引き分けに終わる。ここでの引き分けがまた、大会を戦い抜くマネジメント上、日本を苦しくした。第3戦のベトナム戦にもメンバーを落としてターンオーバーさせることができず(勝負の決まった後半には主力を休ませたが)、選手に疲労が蓄積してしまうことになる。
そうして迎えたオーストラリア戦、日本は1年前の屈辱を晴らそうと、死力を尽くして戦い、120分の死闘の末、PKで勝ち上がった。この試合まで、日本がすべての試合で走り負けていないことは、実はちょっと凄いことである。コンディショニングのための期間がなかった上に、いわゆる省エネサッカーでもない日本。しかし例えば、現地の気候に慣れていて準備万端のベトナムでさえ、日本より先にスタミナ切れを起こしていた。この大会での日本は、ボールを走らせ、相手を走らせるサッカーをしていたわけだが、それはある程度奏功していたといえるだろう。
しかし、それもオーストラリア戦までだった。サウジ戦では、序盤は問題なかったものの、終盤得点しなければならない状況で、全員が走れていたわけではなかったのは残念だった。ただ、この準備期間、開催地中もっとも苛酷な環境(ハノイ)での4試合ということを考えれば、致し方ないことではあると思う。これを受けて韓国戦では、選手の入れ替えも示唆されたが、結局「同じチャンスは2度来ない」を越えて、メンバーは大幅には変えずに韓国戦を戦った。
オシム: レギュラーがもう一度、チャンスを与えられるようにした。私が選んだメンバーが、よかったのか悪かったのか、もう一度見たいという考えが方針としてあった。
これによって、韓国戦では非常にパスミスも多く、体も重そうで、勝ちきれなかった一つの原因であるだろう。ただ、メンバーを変えないという判断に影響を与えただろう事実として、前日の移動に関してトラブルがあり、現地に着いたのが試合前日の夜、公式練習も満足にできない状況だったことがある。選手を入れ替えた場合の連携の確認なども練習でできないまま、試合を迎えてしまったことも、このメンバーをピッチに送り込んだ理由の一つだろう。
しかし、これまで蓄積した選手の疲労を考えても、韓国戦にはフレッシュな選手の起用をしたほうが、勝つ可能性は高かったのではないかとも思える。この辺は「3位を勝ち取るマネジメント」としては疑問が残るところだ。対して、オシム監督の言葉を信じるならば、彼はその先を見ていたということになる。それがアジアカップの3位以上に意味があったのか否かは、これからの強化の進展によって計られることになるだろう。
オーストラリア戦を越えて
前項では日本の準備状況について書いたが、サウジはどうだろうか。親善試合は
6月15日 vsコソボ
6月16日 vsNKザグレブ クロアチア
6月24日 vs UAE
6月27日 vsシンガポール
7月1日 vsオマーン
と5試合を戦っている。これを見れば、サウジは「しばらく獲っていないアジアカップというタイトルを本気で獲りに来た」と考えてよいだろう。それに対し、日本はオーストラリアという「ドイツW杯での屈辱の解消」の方に目が行き、それを乗り越えたところでほっとしてしまっていたのは、残念だがどうしても否めないところではないだろうか?それほどオーストラリアは日本にとって「大きな相手」だったのだ。
敵として強大である、だけではないのは言うまでもないだろう。1年前のあの忌まわしい出来事を、体験した選手も、そうでない選手も、どうしても脳裏によみがえらせてしまったに違いない。オーストラリア戦では、どの選手も、非常に気持ちの入った表情をし、悪夢を振り払おうと必死に走り、戦っていた。そういう120分を経ての、試合後のあの歓喜。こう言ってはなんだが、選手の気持ちはあそこで切れてもおかしくなかった。
また、サウジアラビアに対しては、近年負けていないとか、昨年の最後の対決で勝ったとか、日本全体に敵に対する「予断」があったことも確かだろう。しかし言うまでもなく、サウジはアジア5強の一角でもあり、個人レベルでも日本と互角かそれ以上の国でもある。それが大会を獲るために、(少なくとも日本以上の)準備を整えてきているのだから、侮れる相手であるはずがない。しかし、日本全体に「オーストラリアに比べれば」という気持ちがどこかに、ほんのちょっとはなかったか。
前回のエントリーを自分で否定することになるが(笑)、サウジ戦や韓国戦でショックを受けた人がいるとするならば、それはやはり情報不足によるものだろう。そもそも日本と同等(か、それ以上)の国が、日本以上の直前準備をして臨んできた戦いなのだ。必ず勝てる、という方がどうかしている。大会前の「三連覇狂躁曲」自体、何とか視聴率を取りたいとメディアが煽っていただけに過ぎず、冷静に考えれば、強化の過程で合宿も少ない日本は、ノルマなしで臨んで正しい大会だったのだ。
ただ、サウジ戦などでは、試合を見ても、選手たちの「気持ち」が抜けているとは私には思えなかった。選手たちの表情、サウジ戦の中澤の得点後の「喜ばなさ」、鬼気迫る上がり、ランニング・・・。ただ、一瞬、集中できていないところ、ふっと息をついてしまうようなところががあった。それは、試合全体でボールを支配し、攻め続けているところに生じる、一種の「ボール持ち疲れ」のようなものだっただろうか。サウジ側にも、韓国にも、それはなかった。サウジは最後まで「最強の敵」と戦うのだというような、切羽詰った表情をしていたし、韓国は一人減ってむしろ気合が入ってしまっていた。
日本にとってはオージーが最強の敵だったのだが、サウジにとっては日本がそうだったのかもしれない。その差はやはりあったと、自分には思える。しかし、この大会で「オーストラリアの呪縛」は解けたはずだ。日本はこれからようやく自然体でアジアに臨める。来年からのドイツワールドカップアジア予選に向けて、これは一つポジティブな要素だと言えるのではないだろうか。
中村俊輔の覚醒を促す大会
SoccerCastの方でも話したのだが、オシム監督にとってアジアカップは、「中村俊輔の覚醒を促す大会」だったのではないか、と思う。言うまでもなく中村俊輔は、個の能力では日本有数の選手だろう。FKはもとより、技術、アイデア面でも、諸条件がそろえば、日本代表の中心になってしかるべき人材だ。しかし、オシム監督が常々語るようにややクセのある選手でもある。有効に機能させればこの上ない武器となるが、それにはいくらか工夫と慣れが必要になってくる。
オシム日本においての中村(俊)は、普段の彼とは違うことにトライしていた。会見で彼はこう語っている。
中村(俊): ポジションも違うし、走る質が変わってきている。基本的に距離は変わっていないと思うが、タイミングとか、自分がもらうだけではなく(スペースを)空ける動きとかを増やそうとしている。距離の問題ではなく走る質。(パスを)出す側からもらう側の意識を持つようにしている。
今は自分に一番足りない、ランニングすることとかを、勉強ではないけど、やっている最中。それをやりつつ大会も勝っていく。そんな感じです。
もちろん、「守備の意識やボールのないところでの動きは、セルティックでも考えていた」というコメントもついているのだが、それにしても大分変わってきているのは確かだろう。あの年齢になって、自分のプレースタイルも確立し、それで結果も出している選手が、このように発言し、実際にそれをピッチで実践しようとしているのは、ちょっと凄いことだと思う。わたしはそれを歓迎したい。
ジーコ監督も退任後の雑誌のインタビューで「中村(俊)には前に出るように再三言ったのだが出なかった」という趣旨のことを語っており、やはり中村(俊)選手の技巧、アイデアはペナルティエリア付近で発揮するべきだと考えていたようだ。そのための一つの方策として、受け手としてのフリーランニングを増やしていくのは理にかなっている。本人もオシム監督の元、意識してそれに取り組み、このアジアカップを通しては、大分それができるようになったと言っていいだろう。
オシム監督にとっては「中村俊輔の覚醒を促す大会」だったと考えると、この大会でのいくつかの方針に納得がいく。例えば、私はなぜ遠藤と中村(俊)を並べるのだろうと疑問に思っていた。これまでのオシムサッカーを考えても、どちらかはもっと分かりやすく「走る」タイプの方がいいのではないかと思ったからだ。しかし、オシム監督の考える「中村(俊)を起用するならば必要になる5人の選手」のことを思い起こすと、「中村(俊)というスペシャリストを生かすための、遠藤というゼネラリスト」がどうしても必要なのだ(とオシムが考えているだろう)ということがわかってくる。
| 1) サイドを駆け上がるスペシャリスト 2) クロスにあわせるセンターフォワード 3) 逆サイドでサイドチェンジのボールを受けるフォワード 4) 中村の背後をカバーするフィジカルの強い選手(鈴木や阿部) 5) サッカーゲームをよく知っている選手(遠藤や憲剛) |
カタール戦と韓国戦では4-2-3-1で戦ったわけだが、スタートポジションとしてはオシム監督は、中村(俊)を「3」の右サイドとしているように思う。「3」の真ん中で司令塔としてタクトを振れ、ということではなく、あくまでも「受け手」として、サイドでボールを引き出し、そこから技巧を発揮するように、という意図なのだろう。実際中村(俊)が走ってロングボールを引き出しているシーン、ボールを持つ加地の外をオーバーラップしていくシーンなどもあり、その意図はかなりピッチ上に現れていた。
これは個人的な意見なのだが、「代表選手は、所属クラブでのプレーを代表でもそのままやればよい」とは私は考えていない。Jリーグ勢でいえば、戦う相手がJのクラブではなくなっているわけだし、自分のチームにいるブラジル人FWも、代表にはいない。中村俊輔で言えば、セルティックのような「スコットランドリーグでナンバーワンの選手層を誇る」チームと同じプレーでは、世界的に見てナンバーワンの選手層を持っていない日本代表では、問題が生じるだろう。日本代表には日本にあったスタイルを、協会、監督の方針に基づいて導入すべきだし、代表選手もそれに合わせ、所属クラブでのプレーとは違ったものを発揮していかなくてはならない。そう考えると、この中村(俊)選手への要求、それに応えようという中村(俊)選手、ともに私には歓迎すべきことだと思えるのだ。
また、選手交代の画一性もこの大会では言われたが、それもこの考えに当てはめると理解ができてくる。いわゆるドリブラー、特に水野は「中村(俊)に代えて」でないと使われないのではないか。巷間よく「なぜドリブラーを使わない?」という意見があるのだが、オシムに言わせれば「中村(俊)がいるではないか」ということになるのではないだろうか?水野や太田は、オシムの中では「エキストラキッカーの代替選手」なのであって、リズムチェンジ要員ではないのかもしれない。ただ、だからオシムは正しい、ということではなく、理解ができてくる、ということに過ぎないが。
この方針に関しては、暑さの中の対アジアの戦いでは一定の成果が出たが、この先は分からない、というところだろうか。もちろん言うまでもなく、中村(俊)選手も常に招集できるわけではなく、コンディションも変動するだろう。3年後まで彼がずっとトップフォームであるという保障も、残念ながら、ない。また、これからチームを作って備えるべき相手は、アジアばかりではない。そう考えると、このやり方はオシム日本の「バージョンB」であって、次に何を採択するかはまた諸条件で変化していくのだろう。そしてこの大会の成否は、それらの過程を経た後、振り返ってみた時に始めて明らかになるものなのかもしれない、と思う。
中村(俊): 今の代表に必要な動きはしている。自分の出来うんぬんというよりは、一つの部品として…。
あの時(2004年アジアカップ)は個人の力で打開した。オレが出してタマ(玉田)が一人でドリブルとか。
でも、ああいうの(個の力)だけでは強いチーム相手に戦えない。逆に今はボールと人を動かす作業(連動性)を先にやっている分、前の時よりは先が見えやすい感じがする。
今回はここまで。守備や攻撃の詳細については、次回に触れたい。
それではまた。
02:22 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|
July 22, 2007オシムへの反論
私はオシム監督のことを現時点では支持しているし、その方針や手腕にも信頼を置いている。また、きわめて聡明な人物であるとも思っている。しかし、そういうオシム監督でも間違えることはある。100%常に正しい人というのは存在しない。私がオシム監督に絶対に賛成できない点について、今回は一つ反論しておきたいと思う。
具体的には、オシムの次の談話に関してである。
Q:昨年のワールドカップでのオーストラリア戦は衝撃的な負け方だったが、そのショックが今回の試合にどう影響するのか?
(オシム監督)「1年もの長い間、ショックが続いているということの方がショックですね。そういうショックを乗り越えて生き残ってください。
その時のショックは、ショックとして感じた方がご自分自身に責任があると思った方がいい。対戦相手の情報をきちんと入手していなかったということだから。昨年も今日も情報の種類は変わりない。どんな選手がどんなクラブでプレーしているかを知っていれば、昨年のワールドカップでも簡単な相手でないと分かったはず。昨年のワールドカップでもショックを受ける必要はなかったのです」
私はこの言葉に対して強い違和感を持つ。オシムがはっきりと「間違っている」数少ないポイントだと思う。というのは、この言葉は、日本人が「敗戦という結果」にショックを受けた、としてしか理解していないものだからだ。この点で、オシム監督は大きな誤解をしている。まったく誤った理解であると思う。
同じ負けるにしても、「負け方」というものがある。8分間で3点を失ったという事実だけではない。また、ボールを支配され、攻撃され続けた(シュート数6:20)という試合内容の問題だけでもない。それでもなお、日本チームのサッカーから伝わってくる「何か」があれば、日本人はあれほど失望はしなかったのだ。その点で、日本チームの戦いぶりが、その中に潜む「何か」が、日本全体をあれほど打ちのめしたのだ。
オシムはそこを理解していない。仕方がないかもしれない。オシムは日本人ではないのだから。日本にしばらく住んでいたとは言っても、ドーハでのあの中山雅史のスライディングゴールは見ていないのだ。フランスW杯で足を骨折しながらも走り続け、ゴールを上げた男のことは知らないのだ。2002年大会での、誰もが絶望に包まれそうになった瞬間の、鈴木隆行の伸ばしたつま先を見ていないのだ。それらを共有していないオシムが、私たちがドイツW杯で感じた絶望を理解できないのは、当然のことなのかもしれない。
オシムが言うように、欧州の有名クラブで活躍する選手を多く擁するオーストラリアは、個人の能力では「格上」と見てよい存在だろう。メディアの狂躁的な煽り立てに乗らないサッカーファン、サポーターはそれを理解し、W杯での最大の山場は初戦にあると考えていた。そういう意味では、敗北はある程度「織り込み済み」だったファンも多いだろう。私個人的には、ヒディンク監督が指揮する肉弾戦には、日本の相性は悪いと思っていた(逆に、勝てるならクロアチア戦だとも思っていたのだが)。しかし、もう一度言うが、私たちを打ちのめしたのは「敗北」という「結果」でもなく、試合の「内容」でもなく、さらにその外にあるものなのだ。
某有名少年コミック誌のテーマは、「友情、努力、勝利」だという。少年向けらしいものではあるが、しかしそこには人生の心理の一片が含まれているようにも思う。少なくとも、私たちがスポーツを見て、そして求めるものがそこには表されているとはいえないだろうか?また、個人能力が(現時点では)劣る日本が、世界に伍して戦っていくために必要なものが、そこには表れていると言えないだろうか?「勝利」は水物だ。結果が常についてくるとは限らない。しかし、絶対に忘れてはならないものは、「友情」と「努力」ではないのだろうか?
オーストラリアは個人の能力では「格上」だろう。では日本がしなければならないことは何か。それはチーム全体が一つになって、そして少なくとも相手よりもずっとずっとハードワークをすることではないのか。自分を信じて、チームメートを信じて、勝利を信じて、最後の瞬間まで顔を上げて走り続けることではないのか。格上の相手がこちらをみっちり研究し、しっかりとプレスをかけて来たのだから、日本のよいところ、パスワークを見せられないのは仕方がない。内容の良い悪いは、横においておける。しかし。
しかし。
誇り
ジーコも自分の著書で明らかにしているように、この時の日本チームは一つになっていなかった。それはTVの画面からでも、あるいはスタジアムで生で観戦していても、伝わって来てしまうものなのだ。そして自国の国際審判にも「32カ国で一番戦っていなかった」と言われてしまう、その姿勢。個人能力で劣るチームが、ひとつにもならず、相手よりも走り回っていないのでは、勝てる道理がないではないか?
そして、オーストラリア戦の失点後、さらにチームはバラバラになってしまった。完全に崩壊していた。ボールを奪っても、全力で走り出す選手が見当たらなかった。最後まであきらめずに体を投げ出す選手が見当たらなかった。顔を上げて、戦う覇気を見せる選手がいなかった。この時のうつろな選手の顔、顔、顔。私たちを心底打ちのめしたのは、それなのだ。結果でもない、内容でもない、あの時選手たちの心が折れたのが聞こえたのだ。ただの敗北ではない、あの時日本サッカーは本当に「負けた」のだ。
これはオシムには分からないことだろう。だから冒頭のような発言をしてしまうのだろう。いや?もしかするとオシムにも分かっているのかもしれない。だからこそ、わざと問題を勝敗の結果だけに単純化し、「強い相手に負けただけじゃないか」と言っているのかもしれない。心に傷を負った人間には、何を言っても無駄だ。その傷に理解を示しても、それが癒されるわけではない。他者は客観的なことを指摘できるだけ。後は自ら立ち直るのを持つしかない。オシムはそうしていたのかもしれない。いや、さすがにそれはうがちすぎか(笑)。
この1年、オシム日本が粛々と強化を進めているのを好ましく見つつ、どうも日本代表のサポーターが性急になってきているのを私は感じていた。チーム立ち上げ1年にしかならないオシムに、いきなりアジアカップ優勝を「ノルマ」としようとする。一体これはどういうことかと思いながら、しかし私にも内心それは理解できなくはなかったのだ。日本のサポーターも心が折れてしまったのだ。あのドイツの代表は、胸を張ってサポートできない、誇りをもてない、そういう代表に見えてしまったからだ。心にぽっかり穴が空いてしまった。それを埋める何かを、とても切実に求めてしまうのだ。
心に傷を持った人間が、「荒れて」しまうこと。それまでとは人が変わったようになってしまうことは、残念だがしばしば見られることだ。私たちはこの1年、ずっとそれを抱えてきた。2006年以前と同じ気持ちでサポートできた人はどれだけいるのだろうか?何かわざと白けてしまったり、心理的に距離を置いたり、忘れようと努力してみたり、やけに人に突っかかってみたり。しかしそれはむしろ正常なことだと思う。「あの」後では。あの後の1年間がそうであるのは、あたりまえのことだろう。
私はこのアジアカップで、オーストラリアと対戦できたことを、本当に本当に感謝している。
私事になるが、私は昨日の試合を、1年ぶりに日本代表のユニフォームを着て観戦した。1年前と日本チームは同じだろうか?変わっていただろうか?一つになれていただろうか?相手よりも走っていただろうか?
「誇り」を持てる、私たちの、代表だっただろうか?
あの大きな円陣を見たとき、中澤が手を叩いて叫んでいる姿を見たとき、高原の得点後のほえる姿を見たとき、最後のPKの後の中澤を見たとき、私は少しだけ涙が出た。私は彼らにひとこと言いたいと思う。
「おかえりなさい」
それではまた。
04:18 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(7)|
July 20, 2007脱ぎ捨てる
オシム日本は開催国ベトナムに勝利し、GL(グループリーグ)1位突破を決めた。酷暑、ものすごい湿度の中、戦い抜いた選手たち、支えたスタッフ、監督、御疲れさまでした。ただもう試合から時間もたち、オーストラリア戦も迫っているということで、今回のエントリーは「オーストラリア戦へ向けて」という視点もあわせて書いてみたい。
序盤~失点シーン
| 日本 | ベトナム | |
| ボール支配率 | 68.5% | 31.5% |
| シュート数 | 13 | 4 |
ベトナム戦は、それまでにも増して高い気温の中でのキックオフとなった。また、ホームベトナムの後押しをするべく、ベトナムサポーターの大観衆が詰め掛けており、その大声援によって、ピッチ上の選手間の指示の声も通らないほどだった。そして高温多湿に慣れたベトナム選手が、立ち上がりから飛ばして来て、非常にアグレッシブにピッチ上を走り回る。日本にとって厳しい条件がそろっていたと言えるだろう。
このような状態では、選手も平常心で試合に入ることは難しい。従って、加地が言うように、しばらくはロングボール主体にしても、リスクを負わないサッカーを行っておくことも一つの正しい選択肢となる。
加地: 最初は高さのない相手に対して放り込んで、間延びさせるのがゲームプランだった。(中略)相手がへばってきたら、パスを回して戦おうという約束事があった。
にもかかわらず、高原が開始早々の4分に敵陣の密集に下がってボールを受けて振り向こうとしてミス、そこからカウンターを食らっている。敵のカウンターが失敗したからいい、最終的に勝ったからいい、ですましていては、オーストラリア戦に勝つことはできないだろう。しかも高原はこのチームでは堂々の柱、年長でもあり、最も「世界の厳しさ」を知っていなければならない選手だ。はっきり言ってリーダーの一人たるべき選手だろう。それがあのようなミスをしていてどうするのだ!
失点はCKから。おそらくは中澤がブラインドになってボールの軌道が見えなかった鈴木啓太が、オウンゴールしてしまった。オウンゴール自体は運の要素もあるだろう。が、このCKは、攻め込まれて中澤がクリアしたボールが敵選手に入りそうになったところを俊輔がカット、そのこぼれが巻の方へ転がり、俊輔と巻が「お見合い」のようになってベトナム選手に拾われて、そこから与えてしまったもの。推測だが、この「お見合い」は、ベトナムサポーターの大歓声に、お互いの声が聞こえなかったために起こったのではないだろうか。
ただ、そのような状況に慣れている、また味方が浮き足立ちかねない序盤であることも理解している「べき」なのはやはりこの場合、経験豊富な中村俊輔の方であろう。このシーンは半分は無理もないとは思うのだが、オーストラリアに備えるためにあえて言えば、中村が泥臭くてもこぼしたボールを追い、大きくクリヤーなどしていれば、このCK、失点はなかったのではないか。ベトナムだからこのあと取り返せた。オーストラリアだったらどうなっていたか。
吼えろ俊輔、叫べ遠藤、怒れ中澤!
そして失点の後も、怒る選手、あるいは手を叩いて鼓舞する選手が、TVに映っていないだけかもしれないが、見当たらなかった。さらには、18分、19分、とミスも続いている。オーストラリアだったらそれらを確実に決めてくるぞ!西部謙司氏が言うように、こういうミスをなくすためには、ピッチ上に「怒る」選手がいる必要もある。98年W杯で優勝したブラジル代表でも、ドゥンガに周りの選手が「怒ってくれ」と頼んだほどだ。しかし今の代表には見当たらない。
オーストラリア戦に向けて、私はここで選手たちに要求をしたい。吼えろ俊輔!叫べ遠藤!怒れ中澤!君たちは今、もうチームを引っ張っていくべき選手たちのはずだ。自分はそういうキャラクターじゃない?そんなことを言っている場合じゃないだろう!あのカイザースラウテルンの惨めさをもう一度味わいたいのか?今のままで、オーストラリアに勝てると思っているのか?誰かがやらなくてはならない。「誰か」じゃない、君がやるんだよ!
オシム監督にも本当は望むことがある。キャプテンマークを、上記3人か、鈴木啓太か、阿部に託して欲しいのだ。川口をキャプテンにするのは、本来は問題ない。しかし、今回はフィールドプレーヤーにそれを託した方がいいと思えるのだ。というのは、川口はキャプテンマークがなくても怒るときは怒るが、上記3人はそうではない。また啓太や、阿部は年長組に対しての遠慮もあろう。キャプテンマークなんてただの布切れだ?普段はそうなのだ。しかし、この試合は違う。彼ら5人の誰かに渡せば、変わるのだ。たった一枚の布切れが人を変える事もある。私はぜひ、彼ら5人のうち誰かに、そう、「がらじゃない」と一番言いそうな中村俊輔にこそ、あの腕章を渡して欲しいと思うのだ。オシム、頼む!
「使い、使われる」俊輔
先制されたあと、日本は当初のプランどおり、中盤を飛ばしてロングボールを前線に入れるようになる。失点直後、啓太がボールを持つと、憲剛と加地が左斜め前方を指差している。啓太はその通り、(日本から見て)ペナルティエリアの左カドのあたりへボールを入れる。そこには巻と遠藤が走りこんでいる。この同じプレーを、日本は9分、10分、11分と繰り返している。このあたりは、失点してさらに浮き足立ってしまいかねない日本の取る策としては論理的であったろう。
そして、中村(俊)がはじめてその左斜めへのロングボールの「受け手」に入ったのが11分、そこからあの鮮やかな切り返し、クロスによって、巻の胸ゴールを導き出す。前回も書いたが、中村(俊)が「組み立て」ではなく、受け手として「使われて、最後を決める」役割を相当意識するようになったことを、私は歓迎したい。この試合でも、その意識がかなり高まっていると言えると思う。
もちろん、いったん下がってボランチレベルでボールに触りたがる癖は残っているのだが、それでも13分、20分、34分と、UAE戦と比べてもさらに、「受け手」としてのプレー、第3の動きが増加している。まあ私の持論に固執するわけではないが(笑)、特定の中心、ゲームメーカーを決めないオシムの「多中心サッカー」に、中村(俊)もかなりなじんできたと言ってもいいだろうか?ジーコもドイツ大会後、雑誌のインタビューで「中村(俊)になるべく前に出るように言っていた、が、なかなか出ようとしなかった」という趣旨の述懐をしていたが、この大会では、ついにそれが可能になりつつあるように見える。
今のチームには、遠藤、憲剛とゲームを組み立てられる選手はいる。中村(俊)は、もちろんある程度はビルドアップに参加してもいいが、なるべく前方で、ペナルティエリア付近でその技巧を発揮して欲しいものだと思う。使い、使われる、その両者を中村(俊)がこなすことで、オーストラリアにしても(あるいはこれからの対戦者にしても)、狙いが絞れなくなり、そして結果、中村(俊)がフリーで技巧を発揮できるシーンも増えるはずだ。私はオシムの方針と、それを消化しつつある今の中村(俊)の姿を歓迎したいと思う。
カウンター対策~前から「掴む」サッカー
同点弾後、興味深いことにこのロングボールは頻度を減らしていく。そして落ち着きを取り戻した日本は、パスをつないで攻め始める。ただし、まだ時間はたっぷりあるし、無理をする必要はない。ボールを走らせ、ベトナム選手の疲労を待とうという作戦を取るべきだ。日本チームは基本的にはそうしていた。これはまったく論理的な試合運びだったと言えるだろう。
ただこの時間帯、いただけないのは、かなり敵のカウンターにさらされる機会があったことだ。ベトナムが引いてカウンターを狙っていることは分かっているのに、敵陣のカウンターの起点になりそうなところで無理をする。そして、ボールを失ってしまい、さらにはカウンターの芽を摘むことができなく、長い距離をドリブルで持ち上がられ、そこからパスで崩されそうになる。
このカウンター対策の問題は、以前にもオシム日本の守備時の問題点の一つとして指摘した。ただ、当時は中盤でも厳密なマンマークが課せられていたからか、この試合の前半よりは、前線の選手にも敵を「掴む」意識が強かった。キリンカップのあたりからオシム日本は守備時のゾーン志向の度合いを増していったのだが、それとともに前線での守備も、一部の選手を除き、パスコースを切ったり、待ち受けて守ったりということが増えてきた。それがこの試合の前半に出たというところだろうか。
最終ラインに人数がそろっていると、前線や中盤の選手は自分の目の前にボールホルダーがいても、あまり激しくチェックしなくなってしまう。もちろんそれはサボっているのではなくて、そこで抜かれるよりもディレイを仕掛けた方が有効だ、という判断から来ているものだ。しかしそれは同時に、きちんとディレイできないと、敵のカウンターをスピードに乗せてしまう危険も伴っているのだ。「飛び込まない、距離を置いて守る」前線の守備が、この試合でのベトナムのカウンターを鋭く見せていたことも確かだろう。
ただしこれは、ベトナム戦の後半になってやや改善されていた。ハーフタイムのオシム監督の「前線からからもっとしっかり守備を」という指示もあり、またおそらくは選手同士の話し合いもあったのだろう。前線や中盤の選手たちが守備時に、よりしっかりと体を寄せる、厳しく体を張ってチェックするようになっていった。そう、自分より後ろに人数がそろっているからこそ、そこで厳しく行って抜かれても、敵の体制を崩してしまえば、後方の選手が有利になる、楽に守備ができるようになるのだ。
もちろん、後半はベトナム選手の運動量が落ちた影響も大きい。ただ、この守り方の変化が、後半急に増えた日本DFが前に出てのインターセプトにつながっているのだと思う。前線の守備が厳しくなれば、敵は苦し紛れにボールを離さなくてはならなくなる。パスの精度が落ちる。それを阿部や中澤が前に出てカットし、そこからスピードに乗って逆にカウンターを仕掛けた。中澤のそれの迫力に、私は感嘆したものだ(笑)。
オーストラリア戦も、基本的には日本の方のボール保持が長くなるのではないか、と個人的には予想している。必然的に、オーストラリアのカウンターも増えるだろう。この試合の後半に見せたよりも、もっと激しく、もっと強く、深く腰を入れて、前線の選手が敵を「掴んで」いって欲しい。それは暑い中苦しいだろうが、そうしたほうが試合全体で見ればよりラクになるはずだと私は思う。2000年大会の名波は、今の誰よりも激しく、厳しく、前線でチャージをしていたぞ!
昨日とは違う明日へ
さて試合は、美しいパス回しから中村(俊)が右足で、そして遠藤のFKから巻がヘッドで追加点を上げ、後半14分にはほぼ終わってしまったと言っていいだろう。この後日本は、羽生、水野、寿人を入れて、試合を「殺し」にかかる。本来なら2試合目までにGL突破を決めて主力選手を休めさせることができたらよかったのだが、初戦の引き分けでそれはかなわなくなった。しかし、早々に試合を決めた結果、後半には中村(俊)、高原、遠藤を休ませることができた。これは今後に向けてポジティブだと思う。また、頼れる選手がいなくなってからのシミュレーションにも(少しは)なったかもしれない。
ただ私は、中村(俊)が交替を告げられる時に「ええ~、もう下げちゃうの?」と嘆きの声を上げていたことを告白しておかなくてはならない。というのは、私にはこの試合で中村(俊)が、さらにまたもう一皮向けそうな気配を漂わせていたような気がしていたのだ。表情や、プレーに、「言葉や態度でもこのチームを引っ張る」という意思が見え始めていたように思ったからだ。オーストラリアに勝とうと思ったら、クールに淡々と、サッカー的に正しいことをしているだけではダメだ。血の熱さが必要だ。それを表に出すことが必要だ。この試合では、中村(俊)の中のそれが、少しだけ見え始めたように思う。
あとはそれを表に出すだけだ。思えば2000年アジアカップも、それまではクールな技巧派と思われていた名波が、完全にチームリーダーとして覚醒した大会だった。この大会もそうなることを祈ろう。もう一度言う、吼えろ俊輔、叫べ遠藤、怒れ中澤!チームはあとちょっとで、さらに一皮向ける。ただ、この一歩が本当に踏み出すのが大変な一歩なのだ。ただこれさえ踏み出せれば、日本はもっと、凄く先にいける。オーストラリアとの対戦は、そのまたとないチャンスではないか。
「波高かれ」と私は書いた。最高の波が来た。これを乗り越えなければ、先には進めないのだ。今とは違う明日へ行こうではないか。日本はまだまだチャレンジャーだろう?日本はまだまだ成長できるんだろう?日本はまだまだ強くなれるんだろう?明日はそれを証明する日だ。そのためにこそ、選手たちよ、殻を破れ!
それではまた。
03:56 PM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|
July 16, 2007軌道に乗った「ベース+アルファ」
UAE戦は、コロンビア戦でも見え始めていた「ベース+アルファ」のチーム作りが、軌道に乗りはじめ、一つの形を見せた試合だったと思う。
オシムサッカーの「ベース」は、攻撃に関しては以下のようなものだと思われる。
| ・すばやい守→攻の切り替え ・数多いフリーランニング・追い越し ・数的有利を作ってのサイドアタック ・DFラインからの攻撃参加 |
これらについては、昨年のホームでのサウジ戦において、国内組だけの中でならほぼ理解ができつつある状態だった。私は「難解」といわれるビブス練習を鑑みても、もっと時間がかかると思っていたので、代表レベルの選手の習得力にそのときやや驚いたものだった。
今年になって、ペルー戦、モンテネグロ戦、コロンビア戦と、いわゆる海外組が、特に中村俊輔、高原の両名が起用され、チームに組み込まれ始めた。オシム監督はこの数試合で、「ベース」の上に海外組の高い「個」の能力を融合する、「ベース+アルファ」こそがこれからのオシム日本の路線となるということを、はっきりと示し始めたのだと私は思う。
ペルー戦はまだ顔合わせ程度だったが、SoccerCastでも語ったように、コロンビア戦では中村俊輔選手も「数的有利を作ってのサイドアタック」に参加しようと、ボールを持った加地選手の外をオーバーラップしていた。それがデコイラン(おとりの動き)となってもかまわない。そういう動きを、俊輔であっても、遠藤であっても精力的にやっていかなくてはならない。海外組も次第にオシムサッカーに習熟していく。そしてその中で高い「個」の能力を発揮していく、そういう道筋が見えたのが、このUAE戦だった。
「帰って来た」遠藤
開始序盤は、初戦で敗北し、勝たなくては後がないUAEが飛ばして来た。フランス人メツ監督のチームらしく、4バックを高く押上げ、サイドからの攻撃を分厚くしようとする。1分、8分と、密集してプレスしようというところを抜け出され、クロスやあわやシュートまで持っていかれている。しかし日本もうまく対応し、その後は中盤ではきちんとプレスできるようになっていく。12分には巻と啓太が左右からはさみ、パスコースがなくなったところで後ろから阿部が抑え、3人で囲い込んで奪った。こういうシーンがこの試合ではずいぶんと増えた。この辺も進化の跡が見えると思う。
日本はペースを落ち着けると、ボールをまわしながら攻勢に出る。ここで目立ったのが、相手の高いラインの裏を取ろうという遠藤の動き出しだった。カタール戦でのフィニッシュ意欲への批判が聞こえたのか(笑)、この試合ではずいぶんとそれを増やしていた。序盤だけでも6分には遠藤がドリブルでペナルティエリア内へ、10分には俊輔からラインの裏へ走る遠藤へ、15分には加地からのクロスにペナルティエリア内に遠藤も入り込んでいる。16分には遠藤のシュート。カタール戦の遠藤はもういない。「数多いフリーランニング・追い越し」・・・遠藤がオシムの「ベース」に帰ってきた。
また、高原のパートナーに巻が入ったのも試合をスムースにしていた。高原はいったん下がってボールにさわり、そこから戻りながらプレーすることを好むのだが、その際も巻が前方で張り、裏を狙い続けていることで、UAEのDFラインは押し上げられない。それによって敵陣にスペースができ、パスがよく回ったという効果もあった。高原としても1トップでポストも担わなくてはならない場合よりも、負担が軽減されたのではないか。この辺はホームサウジ戦での巻-我那覇という2トップでの役割分担と同じ形だ。
「水を運ぶ人」と・・・?
しかし、カタール戦から疑問なのだが、なぜオシム監督はセットプレーを素直に蹴らせないのだろうか?非常に多くのショートコーナーや「スリープ」を使って、普通に上げてヘッドで競らせるということをあまりしない。高原、中澤、阿部、巻というヘッダーがそろっているのに、解せないことだ。
と思っていたら、そのショートコーナーから俊輔がクロス、中央で高原が素晴らしいヘッドで決める。試合後に俊輔も語ったように「練習どおり」の形ではあるのだろうが、このかたちを多用するわけはなんだろうか。一つ想像できるのは、ワンクッションを入れることで、クロスに対してボールウォッチャーになりがちな中東の選手たちの目を引きつけ、中央でのマークをルーズにしようという意図なのかもしれない。だとしたら、このシーンは確かに奏功したと言えるだろう。
「ところでこの試合、俊輔は右サイドをスタートポジションとしているが、次第に中へ入っていくことが多かった。これに対し、憲剛と遠藤が右を意識し、加地を生かすパスを出していた。ここ数試合、加地があまり輝かないと見ていた人も多いかもしれないが、UAE戦では中盤の選手もそれを消化し、加地が再び輝きだしたと思う。追加点はその憲剛の加地へのパス、「ベース」通りの「数的有利を作ってのサイドアタック」で、加地の横を啓太がすごい勢いでフリーラン、加地につめようとしていたUAE選手がそれに釣られ、加地はフリーでクロスをあげることができ、中央で高原が見事なトラップから反転、シュート、ゴール!
「ベース」+「アルファ」とはこういうことだろう。オシム監督は「エキストラキッカーは一人か二人」といつも言っているが、逆に言えば、オシム監督のサッカーでも一人か二人は、そういう選手を起用できる/すべきだということでもある。トルシェ監督が言っていた「7人の明神と3人のクレイジー」という言葉とも妙に(笑)符合する。コンセプトに基づいて、しっかりと動き、お膳立てをする選手と、そして最後に仕上げのスパイスを一振りする選手。この組み合わせがかなりうまくいき、生まれたのがこの得点だと思う。
Number誌682号では、オシム監督の友人ゼムノビッチ氏(元清水エスパルス監督)が、オシムサッカーについて語っている。少し長くなるが引用しよう。
ゼムノビッチ: オシムさんは、よく、「水を運ぶ人」という表現を使っていますけど、では運んだ水をどうするのでしょう?(中略)正解は「家を建てる」なんです。
ヨーロッパで家を建てるのはマイスターです。(中略)しかし、優秀なマイスターだけでも家は建たないんですね。彼が煉瓦を積むために水を運んできたり、材料をそろえたりする人がいないと仕事が進まない。ですから「マイスター」と「水を運ぶ人」の両方がいて、はじめて家が建つわけです。
世間ではオシム監督は少し誤解されていると思う。以前にも、必ずしもコンセプトどおりの動きをするとはいえない三都主を重用していたことからもわかるように、おそらくは「水を運ぶ人」だけではなく、「煉瓦を積む人」も必ずチームに組み込んでいくのだろう。この得点は、そういうことを改めて考えさせてくれるものだった。
3点目は、解説が「練習でよくやっていた」という細かいつなぎから憲剛が遠藤へ、右から左大外へのサイドチェンジ気味のクロス。この試合では憲剛や遠藤からのサイドチェンジもよく目立っていた。カタール戦ではほとんどなかったそれが改善されているのも、チームの進歩を感じさせて興味深い。遠藤はペナルティエリア内でトラップ、シュートしようとしてキーパーにファウルを受け、PKをゲット。実は6分にも遠藤がペナルティエリア内にドリブルで侵入し倒されており、「あわせ技」的に審判が取ったのではないか、と私はちょっと疑っている。これを中村がしっかりと決めて3点目。日本は前半で3点を決めて折り返した。
攻め続けたのはなぜか
後半になると、日本もリスクを負う必要はなくなり、巻の頭をめがけたボールも増える。これを巻がしっかりと落とし、周りの選手に拾わせるというのも、オシム日本のパターンの一つだ。後半開始早々に巻のヘッドから高原がフリーでキープ、クロスから遠藤の逆サイドでのシュートにつながっている。後半4分にも、また終盤、UAEが酷いチャージを繰り返すようになったあたり、後半34分、37分、38分でも同様のプレーが見られる。終盤にはUAEの足も止まっており、ボールを拾った水野や羽生はフリーだったことも多く、得点につなげたかったところではあるが。
| 日本 | UAE | |
| ボール支配率 | 64.0% | 36.0% |
| シュート数 | 13 | 8 |
しかし興味深いのが、3点をリードしたこの試合の後半でも、日本はあまり「時間稼ぎ」らしいプレ-を選択しなかったところだ。これだけの暑さ、湿気でもあるから、セーフティーにセーフティーにやっても良いだろうに、そうしない。中村は後半5分には加地の外をフリーランしているし、13分には憲剛が、14分には駒野が、スピーディーなパス&ゴーを敢行している。16分には憲剛と遠藤の2回のサイドチェンジから、右に大きく開いた中村俊輔にボールが渡り、深い切り返しからシュート!この辺、俊輔が「使われて、最後を決める」役割にも顔を出すようになったことは、個人的には歓迎したい。
ところが、20分には同じようなプレーがカウンターの基点になってしまう。左に位置する遠藤から、右サイドの開いた俊輔へ大きなサイドチェンジのパス。俊輔はこれをフリーで受けている。この動きは良いと思う。これをもっと繰り返して欲しいところだ。
しかし、そこから俊輔は左大外に上がってきた駒野へ大きなクロス。こぼれ玉を後半から入ったA・モハメドに拾われ、憲剛がそれに相対するが、突破されカウンターを食らってしまう。阿部は左へ開いて行くマタルを見ている。鈴木が走りこむアルガスについていくのだが、あと追いになって体勢が苦しい。中澤は中央にいるがやや躊躇したか。いずれにしろ、A・モハマドからアルガスにパスを通され、アルガスに突破され、シュートを浴び、1失点。
この失点について、基点となってしまった俊輔のプレーを責める必要はあまりないだろうと思う。それまでも、あるいはそれからも、同様のプレーは多くの選手が行っており、「中がマークされていたら大外を上がってくる選手に合わせろ」というのはむしろ約束事ではないかと思えるからだ。PKを得た遠藤へのクロスもそうだし、後半27分の遠藤、37分の水野なども同様のプレイを選択している。この辺、アジアカップでの日本はサイドからシンプルに上げずに、小技を使っていく、あるいは目先を変えていくことが多い。これも中東勢のボールウォッチャー癖を利用しようということだろうか。いずれにしろ、チームとしての共通意識ではないかと思う。
これらのプレーや、終盤に投入された羽生や水野が精力的にパス&ゴーや、オーバーラップを仕掛け、「3得点しているのに攻撃し続けた」ことを、TVの松木解説はずっと批判していた。「時間稼ぎをしろ」というのだろう。この試合だけのことを考えれば、そのこと自体は間違ってはいないが、私は少し違った考えを持っている。
Jリーグが直前まであり、非常に準備期間が短く、大会前の親善試合もなかった日本。この大会では、いわば「走りながらマシンを仕上げる」に近いことが必要とされているのではないかと思う。そのためには、一試合のことだけを考えるのではなく、大会全体のことを考えて、なるべお互いの考えをすり合わせるように、パス回しや攻撃の慣熟を行っていくことも必要だろう。
さらにもっと先を見れば、オシム監督が言うように、4年後へ向けてのチーム作りの一環と考えることもできる。そういう意味では、羽生や水野が入ってよりシンプルにボールがまわせるようになった終盤の試合内容も、そしてそれをしようとした選手たちの意図も、ポジティブなものだと思うのだ。
巻のプレッシャーとロングボール
終盤にややUAEペースに見えた理由は、GKやDFからのロングボールがマタルに合い、そこでキープされシュートまで持っていかれたりしたからでもある。これにはいくつかの興味深い点が隠されている。まず、そういったプレーが増えたのは、試合開始から精力的に敵DFにプレッシャーをかけていた巻が、ガス欠のため動けなくなったことによるものだろう。22分、ロングボールを日本の右に開いたマタルに入れられ、H・アリがオーバーラップしてきたため加地はそちらに付き、俊輔がマタルに応対したがクロスを入れられている。このとき巻は動けていない。
同じようなロングフィードが24分、25分、26分と続いていく。ヘッドで競るのは加地なのだが、5分5分の勝負で、競り負けるといきなりシュートまで持っていかれる。その辺が劣勢に見えた原因だろう。しかし、ここで水野が投入されると、28分、羽生とともにGK、DFへプレッシャーをかけ、それによってロングフィードを防いでいる。
ところが、鈴木が痛んで外に出ると、羽生は中盤左サイドでの守備をせざるを得ず、再び31分、マタルへのフィードが入っている。35分には巻が復活、羽生も水野もプレッシャーをかけにいく。この辺、「ロングボールを防ぐには前線でのプレッシャーが有効だ」というテーゼのはっきりした証左になっていて興味深かった。
鈴木が傷んで今野が投入されると、今野は阿部、中澤とともに3バックを形成し、中澤がマタルを見るようになる。こうなると、マタルへのロングボールを入れても、中澤と競ってはモノにできる可能性が減ったと見たのだろう。UAEのフィードは狙いが定まらなくなり、急速に脅威を減じていった。この辺の選手の対応力もまた、興味深いものであった。もちろん、この前後の日本のボールキープも、シンプルで少しずつパス&ゴーを織り交ぜた、有効に時間を使いつつ、オシム日本の完熟走行らしいものだったと思う。
ベトナム戦へ向けて
さて、総体としては、必要だった勝ち点3も得られたし、チームの慣熟もしだいにこなれてきた。悪くない試合振りだったと言えるだろうが、唯一心配な点が、いまひとつカウンター対策に冴えが見られないところだ。どの選手が、というわけではないが、中央の2CBバックにプラスしてアンカー役が啓太一枚という問題か、この試合の失点シーンも含め、カウンターに対して磐石とはいえない感が漂う。ベトナムはおそらく相当カウンターの鋭いチーム。しかもホームでもあり、何がファウルにとられるかわからない。慎重の上にも慎重を重ねる対応が要求されるだろう。
それもまた、新たな試練だ。前回に引き続き、波は高い方がいい、と言っておこう。しっかりとそれを乗り越え、選手たちには大会が終わった時、一回り大きな戦士になっていて欲しいと思う。おっと言い忘れていた。酷暑の中で戦った選手たち、そして彼らを支えたスタッフ、監督、本当にお疲れさまでした。しかし、あまりにも短い休息の後、もうベトナム戦は迫っている。集中して、気を抜かず、是非とも勝ち点3を勝ち取って欲しい。殻はもうほとんど破れている。あと少しだ!
それではまた。
02:03 AM [オシム日本] | 固定リンク | コメント | トラックバック(1)|
July 11, 2007Maiden voyage
オシム日本代表のアジアカップ初戦、vsカタール戦は1−1の引き分けに終わった。第3戦で地元ベトナムと戦う日本としては、早めにGL(グループリーグ)突破を決めておきたかったところで、勝ち点3を逃したのは悔やまれる。しかし、残り2試合で勝ち点を取ればGL突破は確実になるわけで、悲観することなく、次へつなげていって欲しいと思う。
試合自体は、中村俊輔が冷静に語るように、それほど悪い内容だったというわけではない。
中村俊輔: 「試合自体は悪くない。形は見えてきた。あとはフィニッシュだけ」
「今までよりボールは回せている。あとは、最後だけ」
「攻め込まれて、どうこうというわけじゃない。次につなげやすい。」
カタールはご存知のようにアジア大会優勝国だが、そういうチームを相手にしても日本はボールを支配し、形を作っていった。もちろんオシム監督の目指すサッカーは完全にはできていなかっただろうから「良い内容」とは言わないものの、合宿開始から1週間目のチームとしては、それほど悪くない内容だった、と私は思う。数字はあくまでも参考にしかならないが、この試合のスタッツを参照しておこう。
| 日本 | カタール | |
| ボール支配率 | 62.9% | 37.1% |
| シュート数 | 10 | 3 |
さらにさらに参考までに、同じように酷暑の中の試合だった3年前の中国アジアカップ初戦、オマーン戦のスタッツも置いておく。
| 日本 | オマーン | |
| ボール支配率 | 50% | 50% |
| シュート数 | 8 | 16 |
横パスの嵐
カタールは、おそらくは長い合宿で相当にトレーニングを積んできたのだろう、組織立ったきれいなゾーンディフェンスを形成していた。それも自陣の相当低い位置で。この辺は、マンマークが多かったこれまでのアジアとはやや様相を異にしている。そして日本がDFライン〜ボランチでパスをまわしていてもチェックに来ず、ハーフウェーラインを越えてから今度は一転ハードなあたりでガツガツと削りに来る。選手間の統一された意識が感じられた。
対して日本は、中盤で持っても前線の動き出しが少なく、パスの出しどころがなくて躊躇してしまう展開が続く。仕方なしに横パス、横パスの連続になる。横パスの嵐だった。これではまったくオシム監督のサッカーとはいえないだろう。原因としてはやはり前線に、高原、中村俊輔、遠藤という、走り込みよりもテクニックに特徴があるような選手を3人起用したことによる部分が大きそうだ。
また、暑さの中、大きな大会の緒戦ということで、普段は前線への飛び出しを熱心に行う鈴木啓太もかなり自重していた。さらには、深い芝で中盤の選手の足にボールがつかなかったこと、そして、経験の浅い選手たちが、初めての大きな大会の初戦という緊張から、カチンコチンになっていたこともその大きな要因としてあげられるだろう。
ただ、この前半の選手の「動かなさ」に関しては、選手の「意図的なもの」だったという可能性もある。前述した鈴木啓太もそういうコメントを残しているし、また遠藤も、Number誌682号「オシムはアジアを制するか」の中のインタビューで次のように語っている。
遠藤: ビルドアップのところで簡単にボールを奪われないことが、後半のため