では国立で!
私が「川淵会長にレッドカードを!」デモに参加する一番大きな理由は、
ドイツで感じた「これ以上日本サッカーを汚させてはならない」という感覚がスタートだと思います。
監督未経験者に率いられ、ピッチの上に繰り広げられた選手たちの「困惑」、
試合のための/大会のための準備の恐ろしいほどの不足、
商売のための不要な親善試合、商売のためのキャンプ地/試合時間選定、
スタメン固定/公表、練習完全公開、キャプテン固定/公表などの、商売優先メディアとの過度の馴れ合い、
健全な批判の排除、
それらすべてが「あの」低内容の試合を招いたこと、
そして極めつけは、日本代表が、合宿地ボンの皆さんとほとんど交流をしなかったこと!
2002年に世界中の選手が、あれほど「サッカーの楽しさ」を試合以外の時間にも伝えてくれた、
その恩を忘れてしまった日本。
何が日本サッカーをここまで腐らせてしまったのか?
私たちは「それ」から選手を、監督を、サッカーを、守らなくてはいけないのではないのか?
私にはそういう、已むに已まれぬ衝動があります。
私はそれに突き動かされ、BLOGのエントリーを書き、そして今日、デモに参加してきます。
あくまでも自分の意思で。
*****
■「川淵会長にレッドカードを」8月9日デモ実行のお知らせ
川淵会長への意思表明として、日本代表戦試合後、
千駄ヶ谷駅方面行きのデモを企画しました。
所要時間は10分程度を予定していますのでお気軽にご参加ください。
日時 : 8月9日(水) トリニダード・トバゴ戦終了後
時間 : 21時25分(試合終了時間によって前後する可能性あり)
場所 : 日本青年館玄関前 (競技場より徒歩5分)
経路 : 日本青年館前→千駄ヶ谷駅手前にて解散 (所用時間10分)
申請 : 7月28日付けで四谷警察署に申請済み
http://kawabuchi.tv/
なお、当日はチケットの無い方のために、
集合場所にて代表戦テレビ観戦も予定しているそうです。
******
デモの直前情報です。
一人一人の意思表明が大きな意味を持ちます。皆様の参加を心よりお待ちいたしております。
試合開始前に案内のビラ撒きが行われます
21:00頃から、国立競技場各門にて誘導のプラカード掲示があります
日本青年館への地図が携帯版サイトからリンクされています(アドレス同じ)
(本ページ右下のQRコードからアクセス可)
試合終了時間~集合時間~出発時間にあまり余裕がありません
試合終了後、なるべく早く集合地点まで移動お願いいたします
雨天決行です(デモ隊列の安全確保が難しくなるような荒天の場合のみ中止いたします)
出発前、隊列への整列をお願いいたします
出発後は誘導の指示に従い列を崩さないように歩いてください
********
ではデモで!
それではまた。
05:08 PM [Good Bye!川淵さん] | 固定リンク | コメント | トラックバック(3)|
August 08, 2006あくまでも自分の意思で
「デモ批判に関して」というエントリーに対する反論をいただきいたので、また少し考えてみたいと思います。
ケット・シー
私は(私を含め)ネットの前でグダグダ言うだけの人よりも、こういう活動を起こせる人を尊敬します。
z-netさん
そもそもネット主導のデモ企画で、ネットで知り合った人間が集まるデモですから、ネットが最大限の重要性を持っているのに、ネットの前で意見を言うことを揶揄してどうするんだと思うのですが(笑)。
私は自分が「ネットの前でグダグダ派」の代表だと思っていますので(笑)、自分から見て、私たちの意思表示をする場を非常な努力をされて作り上げてくださっている方たちを尊敬する、と書いただけですよ。本当に大変な労力だと思いますし、やむにやまれぬ気持ちでいる人たちに、場を提供することは、大変素晴らしいことだと思っています。
■川淵キャプテンをいただくこと=病気という比喩について
z-netさん
それに対し、組織のトップを下ろす場合、そこに空白(ポスト)ができるわけです。それは病気の例と違い、完全体ではありません。その空白は決して自動的には埋まりません。だからこそヴィジョンが必要なのですよ。
倫理的に気が進みませんが無理矢理病気の例を用いるなら、臓器を摘出するようなものです。この臓器が悪いから取り去ってしまえ、だけではお話になりません。患者と相性がいいドナーを探して臓器移植の準備をする、 あるいは胃の全摘出なら小腸で代用胃を形成するといったヴィジョンがあってはじめて、さあ臓器を摘出しようとなるわけです。
これは少し問題を取り違えていると思いますね。J-KET掲示板のほうで、じーささんが的確な解説をしてくださっていたので引用させていただきます。
また、デモは革命や戦争と違ってただ意思表示をするだけで、武力行使をするわけじゃないので、川淵さんがやめたあとの空白を心配する必要はありません。デモにより川淵さんがやめることになったとしても、それはJFAで用意されている役員交代の手続きに従って行われるはずです。
そして、川淵氏が今は出過ぎているので(笑)、会長職がとんでもない職責であるように感じられるかもしれませんが、野村さん(なぜか降格させられてしまいましたが)をはじめとする副会長職だった人なら、普通に後を継ぎ、それほどの権力を振るわずに現場に権限を委譲しつつ、強化、普及、発展策を粛々と実行していくことが出来ると思います。
それが私なりのヴィジョン、「サッカーの現場を離れて十数年にもなる一人の人物に権限が集中するシステムではなく、現在のサッカーの現場に携わる担当者たちが、粛々と強化を進めていけるシステム」というものです。ただこれは特筆大書するようなものではなく、「当たり前の姿に戻る」というだけのことですけどね(例えば岡野会長時代のような)。だからこそ、「病を治せば健康体に戻る」という比喩が成立するのだと思っています。
■利用する、される?
z-netさん
今回のデモに参加意志を示している人は2種類に大別できると思います。両方ともインターネットムラの住民ですが、「ネットで呼びかける」側と「ネットの呼びかけに引っ張られる」側の人間です。私がヴィジョンのないデモに参加するのはやめたほうがいいと言っているのは、主に後者の側に対してです。
私はどうもこの「ヴィジョンのないデモに参加するのは止めよう」というエントリーに違和感を感じていたのですが、それは↑に書かれていることで理解が出来ました。z-netさんは、
それは前者の底意として、今回のデモを"利用"し、暗示をかけてコントロールし、世の中を少しでも自分の思惑に沿うように動かそうというものを感じるからです。
というように感じられているようですが、これが完全に筋違いというか、勘違いなのですね。
私がこのデモの告知を見たときに感じたのは、「私の意思表示の場を作ってもらえた」という感覚なのです。けして誰かに扇動され、理由を用意されて集まるのではない。そういう受身の考え方ではない。すでに自分なりの理由で異議を唱えたいという動機を持ち、その表明の場があるので参加する。それだけのことなのです。
つまり、人から言われて参加するのではなく、自分で考えて参加する、のですよ。おっと、オシムサッカーみたいだ(笑)。このデモにいま賛意を表明してくれている多くの方がそうだと、私は感じています。ほとんどの方が、「扇動されたから集まる」のではなく、自らの意思で行動しようとしている。そう感じます。
そういう意味でサッカー蟻地獄さんの
川淵解任デモの理由が弱い件などについて
つーか、あの理由では参加しないので、自分の理由を持って行く。
正直、デモ隊を自分の主張をするために利用させてもらおうとすら思っている。
そのくらいいいでしょw
↑この文章に対する
z-netさん
デモ隊を、暗示にかかりやすく容易に操作しやすい「愚衆」ととらえているわけですよ。
↑これは誤解だと思いますね。
デモはあくまでも主催してくださる方々が、人々の思いの「受け皿」を作ったに過ぎないのです。参加者はみな自分の意思を表明するために、それを「利用する」ことが、正しいのですよ。「川淵キャプテンにレッドカードを」「協会に意思表示を」という大枠に賛成の方が、それぞれの理由を持ち寄ってまったくかまわない。それが、蟻地獄さんの書かれている意味だと思いますよ。
そもそも、今回自分の考えをもって集まる人たちが、暗示にかかりやすく操作しやすい「愚衆」などであるわけがない。私は他人のことをそのように下に見たことなど一度もありません。たぶん実行委員会の方もそうでしょう。ただ、自分たちの意思を表明したい。その場を用意したい。こころざしを同じくする人たちにも、それを提供したい。そういう気持ちから行っていることだと思いますね。
私も、私の理由をもって行きます。自分で考えた人が、自分の理由を持って大同のために集まる。これはそういう運動なのだと思います。
あ、それよりもオシムの初戦を利用して「試合の場を汚してくれるな」という純粋な嫌悪感の方が先に立っているかもしれませんね。
これは考え方の相違ですね。私は川淵体制を放任していることのほうが、オシム監督に対するサポートにならないと思っています。すでに、無益な親善試合を組むことをオシム監督から批判されているように、ね。
オシムの初戦の人波を利用したデモなんて偉くもなんともない。勘違いをなさらぬよう。
誰もこの行動を「偉い」などとは思っていないと思いますよ。偉いからする、しない、ということではまったくなくて、「川淵氏と協会の現状はおかしい、何とか変えていきたい」と思っているために、やむにやまれぬ衝動に駆られて参加するのです(そのための場を用意してくれた方々には大変感謝しておりますが)。
私は、デモに行きます。「声をあげなければ、何も変わらない」ですからね。
それではまた。
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■「川淵会長にレッドカードを」8月9日デモ実行のお知らせ
川淵会長への意思表明として、日本代表戦試合後、
千駄ヶ谷駅方面行きのデモを企画しました。
所要時間は10分程度を予定していますのでお気軽にご参加ください。
日時 : 8月9日(水) トリニダード・トバゴ戦終了後
時間 : 21時25分(試合終了時間によって前後する可能性あり)
場所 : 日本青年館玄関前 (競技場より徒歩5分)
経路 : 日本青年館前→千駄ヶ谷駅手前にて解散 (所用時間10分)
申請 : 7月28日付けで四谷警察署に申請済み
http://kawabuchi.tv/
なお、当日はチケットの無い方のために、
集合場所にて代表戦テレビ観戦も予定しているそうです。
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02:45 AM [Good Bye!川淵さん] | 固定リンク | コメント | トラックバック(3)|
August 02, 2006デモ批判に関して
本当はこんなエントリーばかり書きたくないのですが・・・(笑)。
「川淵会長にレッドカードを!」デモに対して、「ヴィジョンのないデモに参加するのは止めよう」という意見があるようです。
私は、これは間違っていると思います。
それは、病気の人に対して、「病気を治した後どうしたいのか」と言っているようなものだからです。
この場合はまず「病気を治したい」のが当然であって、治した後はまず「通常の日常生活を送る」ということがヴィジョンになります。これは誰にもごく当たり前のことと認識できると思います。まさか、「病気を治した後、『海外留学をしたい』などの具体的なヴィジョンがなければ病気を治す資格がない!」などとは誰も言わないでしょう?(笑)。
そう、このデモは、「サッカー協会会長に川淵氏をいただくということは、『病気にかかっている』ようなものだ」と思っている、それぐらいにここしばらくの川淵氏の言動を問題視している人、怒りを感じている人が、集まるものなのですよ。「ヴィジョンなきデモ」という批判は、その部分を誤解した的外れなものと言えます。「いや、川淵さんをいただいているということに問題はない、病気ではない」という人もいるでしょう。それは立場の違いです。そういう人は参加する必要はありません。当然のことですね。
■「対案を出せ」という要求の無意味
また、こういう問題提起に対してよく出てくるのは、「対案は?」という質問です。まじめに聞いてくる人もいますが、問題提起をされると困る人が、狙ってその質問をしてくることもあります。この「ヴィジョンなきデモ」という批判も前者の範疇だと思いますが、こちらの観点からも的外れなものです。
わかりやすいのは「川淵氏を辞めさせたとして、後継は誰にするのか」という質問です。これを別のたとえで言うと、墜落しかけた飛行機で、「墜落を回避した後どこへ行きたいか」と言っているようなものです。この場合はまず「墜落を回避するべき」なのが当然であって、回避できた後はじめて、「次にどこへ行く」というヴィジョンが意味を持ちます。墜落回避前に「どこに行く」事についてのディスカッションを始めることが、どれだけ愚かなことか、誰にもわかるでしょう。ホノルルだ、いやNYだ、などとやっているうちに、取り返しがつかないことになります。
後継候補についての質問も同じことです。大仁さんがいいとか、奥寺さんがいいとか、いや岡野さんの復帰が望ましいとか、いろいろな候補をあげる人がいるでしょうが、それによってもっとも大事な目的=「墜落を回避すること」が出来なくなっては困る。こういう状況では、「小異を捨てて大同につく」のが正しいのです。「対案は?」という質問は、「小異を拡大することによって大同を分裂させる」という危険があるために、「狙って」してくる勢力がいるわけです。それに答えるには「今は墜落回避が優先」で終了です。
「いや、墜落しているようには思わない」?それは立場の違いです(以下略)。
ちなみに、私には個人的にビジョンがあります。それは、
「サッカーの現場を離れて十数年にもなる一人の人物に権限が集中するシステムではなく、現在のサッカーの現場に携わる担当者たちが、粛々と強化を進めていけるシステム」
というものです。私にとっては、現状の川淵さんの存在はこれに対する最大の障害物であって、それを排除することが正しい、と思えます。また、その権限を維持、強化するために川淵さんが行うすべてのことが、現在の代表の強化にとって非常に大きな障害となっていると思います(例えば、メディアや技術委員会による健全な評価、検証システムの破壊、など)。それも、川淵キャプテンに辞めてもらい、同時に解決していくべきだと思っています(川淵氏が残る限り、解決は出来ない)。
■3つの理由+それぞれの気持ち、意思
さて、デモのホームページにある3つの理由ですが、私はどれももっともだと思っています。さらに私は独自の観点(1) ・ (2) ・ (3)からも辞任をして欲しいと思っており、それらすべての理由をもって「川淵会長へレッドカードを!」のデモに行くつもりです。たぶん、私と同じように「自分なりの理由で」デモに参加する人が多いのではないでしょうか。そういう意味では、私は「まず意思表示ありき」で考えています。ここでも「小異を捨てて大同につくことが正しい」、ということです。
私なりに3つの理由に補足しておきますと、
●「機密の漏洩」に関しては、人事上の交渉ごとという最重要機密を「うっかり」漏洩したこと。それにによって、ジェフ側が「年末」と考えていた就任時期をずらさざるを得なくなり、ジェフのクラブの運営に多大な損害を与えたこと。そしてそれにより、1億円に上るといわれる違約金を支払わざるを得なくなることなど、協会自身にも大きな損害を与えたこと。それらが問題だと考えられます。
●「ジーコジャパンの総括がない」事に関しては、いわゆる「総括レポート」を発表していないということ「だけ」ではないと、私は思っています。こちらのエントリーで書いたように、「川淵キャプテン・ドイツW杯総括記者会見」が「オシム失言」によって台無しにされたこと、それによってジーコを強権によって選んだ川淵キャプテンが「説明責任」をまったく果たしていない、ということが問題なのです。それが「総括がないこと」の責任です。
●「Jリーグ軽視に思える言動」に関しては、ほぼHPで言い尽くされていると思います。特に、いったん口にした就任時期について、ジェフに一言もないままそれを覆し、オシム監督に即時就任を提示したことは、道義的に許されることではありません。「軽視」を通り越して「侮辱」だと私には思えます。この点からも、「レッドカード」は正当性があると思います。
そして、これらはいわゆる「最大公約数」としてHPに提示されたものだと私は思います。参加する方にとって、それがすべてであると考える必要はないのです。
先に述べたように、これらに加えて私は、私個人の気持ち、意思をもち、それに突き動かされてこのデモに参加しようと思っています。私は(私を含め)ネットの前でグダグダ言うだけの人よりも、こういう活動を起こせる人を尊敬します。そして、私の気持ち、意思を表示できる場を作っていただいたことに深く感謝し、ささやかながら行動を起こそうと思います。これはすべて、「私の意志」によるものです。デモのHPに書かれた理由は大事ですが、それに先立って、「私の気持ち」がもっともっと重要なのです。人生、すべてそうではないでしょうか?
さて、私は、川淵氏個人をいわゆる「叩く」意思はあまりありません。先に書いたように、「一人の人間に権限が集中しすぎるシステム」「それを維持するために非常に大きなゆがみが出ていること」を問題視し、それを是正したいと思うものです。惨敗の焼け跡の中、それを招いたシステムを維持、温存していくことは、自殺行為だ。正常な再出発のためには、川淵キャプテンに辞めてもらうしかない。私はそう思っています。
私は絶対に、デモに行きます。皆さんも、もちろん御自分の意思で、どうぞ。
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■「川淵会長にレッドカードを」8月9日デモ実行のお知らせ
川淵会長への意思表明として、日本代表戦試合後、
千駄ヶ谷駅方面行きのデモを企画しました。
所要時間は10分程度を予定していますのでお気軽にご参加ください。
日時 : 8月9日(水) トリニダード・トバゴ戦終了後
時間 : 21時25分(試合終了時間によって前後する可能性あり)
場所 : 日本青年館玄関前 (競技場より徒歩5分)
経路 : 日本青年館前→千駄ヶ谷駅手前にて解散 (所用時間10分)
申請 : 7月28日付けで四谷警察署に申請済み
http://kawabuchi.tv/
なお、当日はチケットの無い方のために、
集合場所にて代表戦テレビ観戦も予定しているそうです。
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それではまた。
01:35 AM [Good Bye!川淵さん] | 固定リンク | コメント | トラックバック(8)|
July 31, 2006川淵キャプテンは説明責任を果たせ
7月30日の日本サッカー協会評議員会と理事会において、川淵キャプテンの三選が決まりました。そこで以下のような談話が出されています。ずいぶんとおかしなことを言っているので、これに反論しておきたいと思います。
ワールドカップ(W杯)に関する責任は重く受け止めており、またオシム監督に関する失言は言い訳できない。
ここは、他の記事では「結果責任」となっているが、私たちは「結果責任」のみを問題にしているのではない。川淵キャプテンが技術委員会のリストを覆して、非常に大きな影響力を振るった上での選考過程、途中での検証、そこでのPDCA、プロセスがおかしかったこと、そしてそれがドイツでの結果につながったことに対して問題視しているのだ。それに気づいて欲しい。
ただ、意図的にリークしたということではないし、そんなことで責任は回避できない。自分の良心に誓って、責任を棚上げする意図はなかった。
それならば、「川淵キャプテン・ドイツW杯総括記者会見」を、オープンにもう一度行うべきだ。「そんなこと(リーク)で責任は回避できない」と言うが、問題になっているのは、「リーク」によってドイツ直後の、「総括、責任を問う場」を大混乱させたこと、それによって、川淵キャプテンの責任に対するきちんとした質疑が出来なかったこと、なのだ。それが結果として「説明責任の回避」につながっているから大問題なのだ。
また、代表に関して総括がない、という声があるが、決してそういうことはない。
これも同じこと。技術委員会が恒常的に評価していくのは当たり前のことだ。そういう問題ではなく、オープンな場で、ドイツW杯、およびこの4年に対しての「総責任者・川淵キャプテンとしての」総括記者会見を行いなさい、ということ。「責任逃れをするつもりがない」のであれば、そういう場を設け、説明責任を果たせ。それが最低限するべきことだ。(質問はフリーで受け付けるように。子飼いの記者だけに質問させないこと)
ある先輩からは、『晩節を汚すな』ということを申し上げられた。
「申し上げられた」は「お言葉をいただいた」とかの方が正しいのでは?しかし、素晴らしい先輩の素晴らしい忠告だと思う。それを無視するとは。
しかし、私は自分の責務を果たすことなく職を離れることこそ無責任と考える。多くのファンの批判があることは承知しているが、サッカー界への貢献を考え、自信と確信を持って臨んでいきたい。
これは素直に読むと「多くのファンの批判があることは知っているが自信と確信を持って、無視する」ということだろうか?ありがたい先輩も、多くのファンも川淵キャプテンの責任を重視しているのに、個人の勝手な自信と確信だけで続ける、というのだな。
協会に自浄能力がないのなら、サポが声を上げなければどうしようもない。私は絶っっっっ対に、デモに行きます。
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■「川淵会長にレッドカードを」8月9日デモ実行のお知らせ
川淵会長への意思表明として、日本代表戦試合後、
千駄ヶ谷駅方面行きのデモを企画しました。
所要時間は10分程度を予定していますのでお気軽にご参加ください。
日時 : 8月9日(水) トリニダード・トバゴ戦終了後
時間 : 21時25分(試合終了時間によって前後する可能性あり)
場所 : 日本青年館玄関前 (競技場より徒歩5分)
経路 : 日本青年館前→千駄ヶ谷駅手前にて解散 (所用時間10分)
申請 : 7月28日付けで四谷警察署に申請済み
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なお、当日はチケットの無い方のために、
集合場所にて代表戦テレビ観戦も予定しているそうです。
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■メディア論?「対川淵」論?
「ここは独裁国家なのか?」に対して、TENさんからトラックバックで反論をいただきました。
「対川淵」ではなく、これはメディア論だから。
この一文にあるように、TENさんは全体としてメディア論としてこの問題を語ろうとされています。私は「対川淵」で書いているので、すれ違いもあるでしょう。メディアが情けないのはもっともですが、私から見ると川淵氏の影響力、恐怖はそれを仕方ないものと思わせるものです。サッカーダイジェストの山内編集長が「これは私の責任において、私の意見として言う」と、悲壮なまでに意を決しないと言えない環境がそこにあると私には思えるのです。
ケット・シー
もはや堰を切ったように、これまでのサッカー協会の「報道管制」「言論弾圧」に ついての告発が相次いでいる。これは報道の自由のある国としては異常事態だ。 ここはどこなのか?どこぞの独裁国家なのか?
TENさん
そもそも、堰を切ったように告発が相次ぐのはむしろメディアが正常に機能している状態で、これまでが機能していなかったのではないだろうか。
告発が出ているのが、個人や、サッカーと普段あまり関係がない雑誌である、という点を見て欲しいですね。そういったところからの告発が相次いだとしても、必ずしも「メディアが正常に機能している状態」ではありません。スポーツ新聞、サッカー誌、主要な一般紙などは、まだそういった記事を書けない影響下にあるように私には思われます。
TENさん
ハッキリいえば、統制されるままになっていたことのほうがメディア論としては問題なんじゃないのかな、とボクは思うけど。
それはまったくその通り。TENさんが「メディア、もっとガンバレ」と言うのは正しいです。ただ私は今はメディアを正常化するよりも、川淵氏の問題を顕在化させるほうが急務だと思っている、ということです。
ケット・シー
W杯グループリーグで敗退したから、ではない。それをきっかけにすべての膿が 噴出して、「代表の私物化」をなした川淵氏の会長不適格が明らかになったから こそ、今、川淵氏は辞任すべきなのである。
TENさん
会長としての資質の判断を、このキッカケに行われていくのは組織論として問題はないが、これをキッカケにしないと批判ができないのでは、メディアとして心もとない。
むしろまだ、そういう「これをキッカケに批判を始めたメディア」はほとんどないのが現状です。ようやくサッカーダイジェストや、SPORTS Yeah!が幾分検証記事を書き始めているだけ。そういう意味ではメディア論としてはもっと心もとないでしょう。しかし、私はそこに「それほどの協会の影響力があるのだ」と見ます。
サッカーと普段関係のないメディアが協会やジーコを批判することは、リスクが少ない。また木村氏のような個人は、個人でリスクの責任を取れる(だからと言って軽んじているわけではありません、もちろん)。しかし、大手出版社や、サッカーメディアの中に組み込まれたところは、そういうリスクは組織として避けるように出来ているのです。記者が書こうとしても、デスクが止める。デスクが意を決しても、他の部門(営業など)が文句を言う。そこを突破しても、役員が止める。
TENさん
むしろ、流れ、空気が生まれた「今こそ」というメディアのやり口が実に気に入らない。単に流れのよい方向に向きを向いただけ、統制からサポへの衣替えのようにも見える。彼らが事実を熱心に伝え、明らかにする気概をみせた結果がこれならばいいと思うけれど、それはこれからの話でもある。
そういう気概を見せたのはまだわずかにダイジェストと、ずいぶん甘いけどSPORTS Yeah!くらいのものでしょう。もちろんメディアも情けないけど、そうなる「構造」は私にははっきりと見えるのです。それを変えるために、やはり川淵氏とその周辺の問題をしっかりと、誰かがまとめて指摘しておかないといけない。そういう意味でこれは私にとっては、メディア論ではなく、「対川淵」なのですよ。
最後に
TENさん
一般論というか、サポーターの総論的な書き方に、とても違和感を覚えました。 ケット・シー氏らしくないな、と。余計なお世話ですね、本当に。
らしくないですね(笑)。やはりドイツで感じた怒りが、まだ体の中に残っているのでしょう。ただ、今回のエントリーは反対する人も多かったですが、賛同も普段以上にもらいました。そういう意味では目的を達したかな、というところです。余計なお世話とは思いません。ご意見ありがとうございます。
それではまた。
03:32 AM [Good Bye!川淵さん] | 固定リンク | コメント | トラックバック(4)|
July 30, 2006川淵会長にレッドカードを!
ついに「川淵会長にレッドカードを」というデモの計画が告知されました。
*****
■「川淵会長にレッドカードを」8月9日デモ実行のお知らせ
川淵会長への意思表明として、日本代表戦試合後、
千駄ヶ谷駅方面行きのデモを企画しました。
所要時間は10分程度を予定していますのでお気軽にご参加ください。
日時 : 8月9日(水) トリニダード・トバゴ戦終了後
時間 : 21時25分(試合終了時間によって前後する可能性あり)
場所 : 日本青年館玄関前 (競技場より徒歩5分)
経路 : 日本青年館前→千駄ヶ谷駅手前にて解散 (所用時間10分)
申請 : 7月28日付けで四谷警察署に申請済み
http://kawabuchi.tv/
なお、当日はチケットの無い方のために、
集合場所にて代表戦テレビ観戦も予定しているそうです。
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川淵キャプテンには、サポーターからの不支持をしっかりと認識してもらわなくてはならないと思っています。
それには、こういう行動を通して声をあげていく必要があるでしょう。
ここしばらくの、川淵キャプテンの行動に「おかしい」と感じられている方にとっては、実際の行動でそれを表明するチャンスです。日本サッカーの今後のためにも、サポが声をあげることが大切だと思います。
私も、トリニダート・トバコ戦には行きますし(そこで川淵キャプテンにブーイングするつもり)、その後のこのデモにも参加したいと思います。
それではまた。
10:48 AM [Good Bye!川淵さん] | 固定リンク | コメント | トラックバック(8)|
July 26, 2006ここは独裁国家なのか
とんでもないことだ。ここは独裁国家なのか。いったいサッカーをどこまで汚せば気が済むのか。川淵キャプテンは辞任するべきだ。
「オシムの言葉」の著者木村元彦氏が、W杯前にジーコ監督批判と取れるような記事を書いた後、協会の圧力によってジェフから取材拒否をされていたというのだ!これではまるで独裁政権下の言論弾圧ではないか!
これだけではない。スカパーでは土田晃之氏が、
僕はサッカー協会の人間ではないので、
どんなに毒を吐こうが、
サッカーの仕事がなくなっても大丈夫な立場なので
どんどん言ってきたいと思います!
と発言し、また向井亜紀さんも自身のブログで次のように書いている。
ワールドカップの裏話は山ほどあるようです・・・。
が、特にテレビ局やスポーツ新聞社の記者は、サッカー協会に嫌われたら大っ変なことになりますから、キツイ記事はご法度になっちゃうみたいですね。
週刊文春6月29日号では
批判的な報道をすると、それ以後情報がもらえなくなったり何かと困るので、記者もぺこぺこするしかないんですよ(運動部記者)
「サイゾー」6月号では覆面座談会で
A「実はテレビや新聞といった大手メディアでは、代表や協会、選手に対する批判的な報道が ほとんどできない。協会の4階に各メディアのデスクもあって、協会サイドが情報をコントロール している。ジーコ批判や、不可解なテストマッチの組み方など、山積みの問題をどこも書けない」
もはや堰を切ったように、これまでのサッカー協会の「報道管制」「言論弾圧」についての告発が相次いでいる。これは報道の自由のある国としては異常事態だ。ここはどこなのか?どこぞの独裁国家なのか?
これまで、川淵キャプテンをその強引な手法から「独裁者」と揶揄する向きは多かった。とはいえ、一応は手続きにのっとって信任された会長であり、そのような呼び方は適当ではないと私は思っていた。しかし、「独裁政権」の一つの特徴は、まさに強権を持って自らへの批判を排除、抑圧するところにある。このような現在の川淵体制のありかたは、まさに独裁政権の言論弾圧そのものではないか。
■日本代表の「私物化」
ここで問題になるのは、川淵氏や協会への批判だけではなく、「ジーコ監督への」批判も同様に(あるいはそれ以上に)弾圧していたことである。
トルシェ監督時代は、多くのジャーナリストから実に彼に対する批判が多かった。人格批判やら言動批判など、的外れなものも存在したが、しかしこれだけの注目の集まる代表チームの監督であるから、そのように監視され、ジャーナリズムからのチェックが働くのは、むしろ必要なことでもある。当然だが、当時の岡野会長はトルシェ監督のために言論弾圧などしてはいない。
そう考えると、現在のこの蔓延する、目に余る言論弾圧は、ジーコ監督就任から、川淵キャプテン体制になってからのものとわかるだろう。なぜ川淵キャプテンは、ジーコ監督を擁護するために苛烈な言論弾圧をするのか。それは畢竟、「自分がその選任に最も影響力を行使した」「責任は自分にある」ということを自覚していたからに他ならない。組織的な手続きを踏んで選ばれた監督なら、批判があってもそれは健全なことと受け止められる。しかし、そうではないからこそ、ジーコ批判が出ることを恐れ、嫌がり、弾圧しようとしたのだ。これこそが、「日本代表の私物化」の最たるものだ。
代表の「私物化」とは、次のようなことである。ルールにのっとって技術委員会が作ったリストを覆し、そこにはなかった、路線のまったく違う「監督未経験者」をリストに加えさせ、彼を選任し、高圧的に擁護し続け、ノルマをなくし、評価機関をなくし、マスコミやファンからの批判を徹底的に弾圧する。また、大住氏が言うように、強化の妨げになるような準備合宿を押し付け、強化の役に立たない、スポンサーのための親善試合をスケジューリングする、などなど、代表を過度に商売、ビジネスに迎合させる。おそろしい、くだらない、私たちの愛するサッカーをこれ以上なく汚す行為だ。
W杯グループリーグで敗退したから、ではない。それをきっかけにすべての膿が噴出して、「代表の私物化」をなした川淵氏の会長不適格が明らかになったからこそ、今、川淵氏は辞任すべきなのである。「監督が辞めたから会長が辞めるというのはサッカー界にはない」などと考える必要はない。もはやことはそれにとどまらない。これまで自分が押し込め、見ない振りをしていたすべてのものが噴出し、自らの身に降りかかっているのだと川淵氏には認識してもらいたい。もはや欺瞞は通用しない。
大丈夫だ、川淵さんがいなくても強化や普及、発展は粛々と進んでいく。また、「失言を含め、いろいろなことの責任を取って辞める」ときちんと声明を出せば、「代表の成績で辞める」という前例にしなくてすむ。言論弾圧まで明るみに出れば、もはやサポーターを納得させうるのはあなたの辞任だけだ。スタジアムに響き渡るブーイング、「辞めろコール」をもう一度聞きたいのか?もう苦しまなくてよい。もう考える必要はないのだ。
もう一度言う。川淵キャプテン、あなたの日本サッカーに対する貢献は非常に大きいと思う。その部分は素直に認めるし、尊敬する。だからこそ、これ以上ご自分の晩節を汚すのはやめたほうがよいと、強く警告する。もし三選を果たしても、そこからの2年間、地位にしがみつけばしがみつくほど、あなたの世間での評価は下がり続けるのだ。ここで「いさぎよさ」を見せるのが、あなたにできる最後のサッカーへの貢献なのだ。
川淵キャプテン、あなたは辞任するべきだ。
それではまた。
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June 25, 2006川淵キャプテンは辞任すべきである
ジーコと共に臨んだ日本代表のドイツW杯は失敗に終わった。川淵キャプテンは、責任を取って辞任すべきである。「キャプテン(会長)は代表の仕事だけを見ているわけではない。代表の成績で会長が辞任するという悪しき前例は作らない」という理屈は一見もっともだが、今回はまったくあてはまらない。
なぜならば、4年前ジーコ監督に決定する際、川淵キャプテンは独断でそれを決定しているからだ。すでにきちんとある組織的手続きを踏まずに、独断で決定したからには、その責任も一人で負うのが当然と言うべきだろう。これまでの日本で最高レベルの能力、経験を持った選手たちでの、2得点7失点、2敗1分けという結果はあきらかな「失敗」である。その原因は主にジーコ監督の能力にあり、彼を独断で監督に据えた川淵キャプテンの責任はこれ以上ないほどに重いと言わなければならない。専横で行ったその決定の責任をとる手段はただ一つ、辞任でしかありえない。
■独断で選ばれたジーコ監督
ジーコ監督の決定経緯について、川淵氏は責任逃れのために次のように言っている。
責任を回避するために言うわけではないが、ジーコ監督の時は「ジーコも候補に入れておきなさい」というところから始まったが、私が理事会の承認も受けずに決めたかのような印象を持っている人もいるかもしれない。
これはまったくの欺瞞である。候補を一人に絞ってから、ほぼ契約が決定してからの理事会の承認はあくまでも「追認」に近いものであり、あまり意味のあるものではないだろう。それよりも重要なのは、技術委員会があげていたフランス系の監督のリストをくつがえし、そこにないジーコを加えるように命じた、という部分である。
ちょっと考えれば誰にでもわかることだが、リストアップされたフランス系監督と、ジーコとではその哲学、志向するサッカーがまったく違う。フランス系監督は、個人で差こそあれ、基本的にはコレクティブな(組織だった)サッカーを志向している。これに対し、ジーコ監督に決定後は、川淵キャプテンはことあるごとに、「戦術で縛らない、自由なサッカーをすべきだ」と発言している。それはジーコ路線を川淵キャプテンが強力に推進しているということに他ならない。これは何を意味するか。
技術委員会のリストアップしたフランス系監督候補を川淵キャプテンが「否定し」「覆し」、キャプテンの考える条件にそって「そこにはなかった」「それらとは方向性の違う」ジーコを選んだ、ということである。これを独断と言わなくて何と言おう。それなりに分析され、立案された方針と違う方向に、キャプテンのひと言ですべてが変わってしまったのだ。その成果、結果がドイツW杯の失敗である。責任は誰にあるのか、明白であろう。
■姑息な責任追及逃れ
さらに許せないのが、この「ドイツW杯の総括のための記者会見」において、ほぼ意図的に(と私は推測するのだが)「ドイツW杯の失敗」から目をそらさせるために、次の監督候補としてのオシム氏をリークする、というそのやり方である。実際、このリークのあとの質疑では、敗戦の責任を問う声と、オシム監督との交渉についての質疑が半々になってしまった。特にジーコ監督の能力の問題についての質問がなされなかったのが、非常に問題である。
■個の力と組織力と
もう一度言うが、ドイツW杯における「失敗」は、ジーコ監督の能力の低さによる部分が非常に大きい。選手の「個」の能力の低さということが今言われているが、それはおかしい。「個」の能力が十分に高く、トルコにも勝てたはずであるから、これからは戦術にしばられずに自由を、というのがジーコ監督擁立時の考え方だったのではないのか?私たちから言えば、「個」の能力が(少なくともブラジルに比べて)足りないのは、最初からわかりきったことであり、であるからこそ、戦術や組織だったサッカーが必要だと言ってきたのだ。それをあえて捨て去った上で、さらにまた「個」の能力が低いと口にするとは、何という欺瞞だろう。
選手自身が失敗を恐れずに思い切ってトライする初めての大会だったが、残念ながら成果には表れなかった。われわれも当然分かっていたことだが、組織だけで勝ち切るのは限界があって、個の力を高めた上での組織力が、(W杯を)勝ち抜くためには絶対に必要不可欠なものであると、明確な形で見せ付けられた大会だったと思う。
これは帰国会見での川淵キャプテンの言葉だが、普通に日本語力のある人には「????」となるような文言ではないだろうか?もちろん組織だけで勝ちきるのにはどこかに限界があるのだろうが、まさかそれはこの大会のジーコジャパンのことを指しているのではあるまい?ジーコジャパンは、多くの点でこの大会の32カ国のチームの中でも組織力が相当低いほうだろう。それはそうだ、戦術であえてしばらない、選手の組み合わせが変わって急造4バックになっても、戦術練習もしないでブラジル戦に臨むチームなのだから。そのチームの限界は「真剣勝負に組織を整備せずに裸で当たるのは間違っている」というごく当たり前の結論を示しただけだ。
「個の力を高めた上での組織力」が必要という言葉自体にはまったく賛成である。しかし、「個」の力を高めるのは代表監督の仕事ではない。だいたいジーコ監督が「個」の力を伸ばした選手などいるだろうか?それはあくまでも育成と、各クラブにおける日々の練習で行うことであって、代表監督はその上での「組織力」を高めることが重要な仕事なのだ。その点において、ジーコ監督の能力が高いとは言えなかったことは論を待たないだろう。
■ジーコジャパンの組織上の問題点
詳しくは後日また振り返ろうと思うが、
「敵が研究してしっかりプレスをかけてくるとパス回しからの攻撃ができない」(オーストラリア戦)
「DFラインのディシプリンが選手任せなため、ラインが押し上げられず、引いた守備になってしまう」(アジアカップ、オーストラリア戦、ブラジル戦)
「DFラインが下がり、前線でのプレスも未整備なため、ロングボール攻撃に弱い」(オーストラリア戦)
「前線からDFラインまでの距離が伸びきってしまうため、中盤の選手のカバーする範囲が広くなり、疲弊する」(ドイツ3戦とも)
「DFラインが下がり、中盤ので役割分担が不明確なため、バイタルエリアがぽっかり空き、利用されてしまう」(オーストラリア戦、ブラジル戦・・・特にミドルシュートのシーン)
などなどが、ドイツ大会はるか以前より指摘されてきたジーコジャパンの組織上の問題点である。これらはすべて本番たるワールドカップでも改善されず、そこを突かれ敗北をしているのだ。「個の力を高めた上での組織力が、(W杯を)勝ち抜くためには絶対に必要不可欠なものである」であるならば、この監督に任せてはならなかった。その失敗は、ジーコ体制を強力に推し進め、反対意見を圧殺してきた川淵キャプテンが責任を負うべきであるのは当然ではないか。
このほかにもジーコ監督には、サブの充実を含めたチーム・マネジメントの問題、非常に重要な初戦に臨むゲームプランの問題、選手を戦う集団にするモチベーション・コントロールの問題、コンディションを重視して選考、起用を行えない問題、そしていわゆる「采配」、選手交代の問題などがあり、それらもすべてこの大会で露呈し、日本の敗戦につながった。これらもまた後日振り返ってみたいと思うが、基本的な問題点は以前に書いたこれやこの記事と同じことになるだろう。
■教えられることはすべて教えた
最後になるが、ブラジル戦直後の川淵キャプテンの談話から。
川淵三郎キャプテン 「みなさんの期待に応えられず、僕も残念だ。ジーコと何分か話したけど、ジーコは自分が教えられることは全て伝えたと言っていた。」
その通りだろう。ジーコは教えられることはすべて教えたのだろう。しかし、監督としての専門教育を受けておらず、監督としての経験も非常に浅いジーコ監督が教えられることは、非常に限られていたということなのだ。または、「口で言うだけで(本番で)選手に実践させることができなかった」のだ。教育者なら「教えたけど理解してもらえなかった」ですむが、サッカーの監督は違う。「教える」事が大事なのではなく、選手を動かして「結果を出す」ことがミッションなのだ。ジーコ監督はそれに失敗した。それはしかたがない。監督初心者なのだから。
最大の問題、責任はそのような「監督未経験者」を、自分の好みにより日本代表監督に据えた人物にある。もちろん川淵キャプテンだ。彼は今回の失敗の責任を取って辞任すべきである。オシム監督を登用したからといって、その責は逃れられない。私たちサポーターは彼を許してはならない。
■スタジアムでの直接民主主義
もうひとつ、川淵キャプテンのずるいところを上げておこう。彼はスタジアムでサポーターの前に出るときに、単独で出ることがない。選手を激励する時や、何らかのセレモニーの時も、高円宮妃殿下や海外からの要人と共に出るようにしている。かつて代表戦のスタジアムで、「加茂でW杯に行けなかったら俺が辞める」の長沼氏に対するブーイングが響いたこと、あるいは川淵氏が辞めさせようとしたトルシェ前監督に対する「トルシェ、ニッポン」コールがこだましたこと、それらが彼にとって心の傷になっているからだろう。
さて、その感覚は正しいと言おう。川淵キャプテンよ、次の代表戦、スタジアムに「川淵ヤメロ!」コールが響くことを想像してもらおう。選手に声をかけに出てきたら、今度は誰を伴っていても、盛大なブーイングがあなたを迎えるだろう。それはドイツW杯の失敗によるものではない。その原因から目をそらし、自分の責任を追及されないようにという、ここ数日のあなたの保身、そのための欺瞞に対するものだ。それから逃れる方法はただ一つしかない。
川淵キャプテン、あなたの日本サッカーに対する貢献は非常に大きいと思う。その部分は素直に認めるし、尊敬する。だからこそ、これ以上ご自分の晩節を汚すのは止められたらいかがか。それは同時に、あなたの愛してやまないサッカーを汚すこととイコールなのだ。
このようなことは書きたくなかった。それではまた。
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