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April 02, 2018

そろそろ「サポート」を

※本稿は2002年W杯の直前に、当時の日本代表トルシェ監督に対するバッシングともいえる報道が過熱していた時期に書いたものです。最近のハリルホジッチ監督のおかれた状況や、言説などが当時と酷似してきていると感じたので、再アップします。当時の空気感を感じ、今の状況を振り返る一助にしていただけましたら幸いです。

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そろそろ「サポート」を。

自分はフランスW杯への最終予選が始まる当時、加茂監督に対し批判的な立場を取っていた。理由は、加茂監督よりも、先に候補に上っていたネルシーニョ氏、ベンゲル氏の方が、予選突破の確率が高いと思っていたからだ。そしてそれを公言していた。試合前の選手紹介の最後に、監督が紹介されるが、そこでブーイングをしたいぐらいの気持ちだった。

しかし、最終予選が近づいてきた時、自分は批判を止めた。当時、やはりメディアは最終予選に臨む代表チームに大いに注目し、その周りに集まり、大騒ぎを繰り広げていた。やはり批判的な論調が多く、また内部の対立をあおるような記事もあった。これほどまでの注目を集めて最終予選を戦うのは初めてのことである。過度に批判的な空気は、代表に悪い影響を与えるだろう。自分はそう考え、予選突破までは批判をやめようと考えたのだった。

実際、最終予選当時の過剰な、批判的な報道は代表の雰囲気を悪くし、チームのパフォーマンスを落とした、と選手ものちに述懐している。監督が悪い、采配が悪い、特定の選手が悪い、予選突破のためには次勝たないと「自力」消滅、次こそ勝たないと、次こそ、こうするべきだああするべきだ、こういう選手起用をしない監督は無能だ、采配が悪い、采配が悪い…。そういう報道は、チームにはっきりと悪影響を与えたという。当然だろう。

予選を突破した後、世間は岡田監督に対し、「スター扱い」を始めた。選手たちに対する報道もまた過剰なものとなった。また一部ではやはり、経験の少ない岡田監督に対し批判の声もあった。自分も、岡田監督には批判的な考えであった。いくらなんでも経験が少なすぎる。W杯を経験したことのある監督は大勢いる。そういう人物に任せるべきだと考えたからだ。

しかし、W杯が近づいてきた時、自分は批判を止めた。最終予選時の教訓もあった。しかし、メディアは止まらなかった。批判的な報道も過剰であり、また逆に持ち上げる報道も過剰であった。そしてそれがきわまったのが例の25人を22人に絞ったときの騒動である。

あの時の、あの決断は当時の日本代表にとって非常に重要だったと思う。特にチームのメンタルに対し、与えた影響は大きかった。ただでさえ、不安定な状況になりかねないところへ持ってきて、メディアの騒ぎようがそれを何倍にも拡大したと自分は思っている。確かに、選手が、それもスター選手が直前に代表から外れるというのは重要なことである。大きな関心が集まるのは仕方がないとも言える。しかし、そのメディアの騒ぎっぷりが、チームに悪影響を与えたことも、また確かであろう。フランスで、日本代表は3敗し、帰国した。

先日のコスタリカ戦(注:2002年4月17日)に対しての、メディアの報道は批判一色である。その批判の中身自体も妥当なものは少ないと思うのだが、それよりも今、言いたいことがあるのだ。

そろそろ「サポート」を。

W杯まで後一月あまり(4月28日現在)。自分は代表チームに対する批判をやめようと思う。もともとトルシェ擁護派でもあり(笑)、あまり批判をしてこなかったのでそう大きな変化があるわけではないが、そろそろ「サポート」体制に入ろうと思う。4年前も、5年前もそうだった。その方が代表のためになると思うからだ。その方が日本サッカーのためになると思うからだ。

代表を過度に批判して、その回りによくない空気を作ることは、けっして代表チームにいい影響を与えない。代表のメンタルコンディションを悪化させ、ピッチの上にも影響を及ぼし、結果、最悪は負けさせてしまう。それを望むのか。

トルシェは欠点のある監督であろうと思う。特に、メディア対応はまずいようだ。しかも練習の非公開をした事によって、さらに反感も買っているのだろう。また代表監督はもちろん無批判に賞賛され続けなければならないものではなく、ある程度監視の目にさらされることも必要だろう。メディアがトルシェを批判するのも、常ならば一定の根拠を持つ。

しかし、これから代表はきわめてデリケートな時期に入る。特に、選手選考の最終発表がある5月17日まで、そしてそれから本大会に向けての期間、非常に多くの注目が「誰が入るか、誰が落ちるか」に集まることが予想される。4年前と同じである。誰しも自分の応援する選手に入って欲しい。しかし、誰かが入るということは、誰かが落ちるということなのだ。その当落のドラマ性は、多くの人をひきつける。

インターネットの掲示板などでも、「誰を入れろ、誰を落とせ」という書き込みが絶えない。そして、そういう書き込みは場が「荒れる」原因になりやすい。誰もが「代表」の勝利を願っているはずなのだが、自分の応援する選手を褒めるためには、同ポジションのほかの選手をおとしめることを平気でする。「○○選手は要らない!」などという心無い書き込みが増える。17日に向けてますます増えるだろう。メディアがそれと同じことをするのか。

この問題で大騒ぎをすることは、代表のためにならない。代表の雰囲気を悪くし、残った選手のメンタルコンディションを下げ、パフォーマンスを落としていってしまう。4年前と同じである。いや、今回は日本開催であるということを考えれば、より悪影響は大きいといえる。エクスレバンまでは国内の大騒ぎはそれほど伝わっていかなかっただろうが、今回は距離が近い。よりダイレクトに悪影響が伝わるだろう。

コスタリカ戦の中身が気に入らないメディア人がいることは分かる。自分の好きな選手の使い方が気に食わないことは理解できる。トルシェの記者会見での態度、あるいは練習を取材させない態度が許せないことも。しかし、それらは「私憤」に過ぎないのではないか。「○○選手をもっと見たい」、そういう個人的な欲望で、あるいは自分のプライドが傷つけられたという個人的な憤りで、代表の益にならないことをするのが、専門誌の役割なのか。

そろそろ「サポート」を。

お願いである。未曾有の戦いに挑む日本代表を、それを責任もって指揮しようとするトルシェ監督を、邪魔しないで欲しいのだ。足をひっぱらないで欲しいのだ。サッカーを正しく伝えて欲しいなどという贅沢は言わない。ただ、邪魔をしないでくれ。W杯後はいくら叩いてもいい。ただ、今しばらく、これからの一月あまりは、足をひっぱらないでくれ。あなたたちだって、日本が負ければいいとは思わないだろう。お願いだ。

それではまた。

04:23 PM [サッカー日本代表] | 固定リンク

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