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October 17, 2010

岡田日本の3年間を振り返る(1)

早いもので南アフリカワールドカップが終了して3カ月がたち、新監督ザッケローニ氏も就任、じっくりした論考で知られる「サッカー批評」でもW杯の総括号が発売になった。後は正式なテクニカルレポート協会から正式に発表になるわけだが、前回2006年W杯のそれの発売は11月に入ってからだった。さすがにそれを待つと時期が遅すぎるし、ここに私なりの総括を始めてみたいと思う。

今回のサッカー批評ISSUE48の中に興味深い記事がある。おそらく日本サッカーにかかわる誰もが気にかかっていたこと、つまり南ア杯前の岡田監督“バッシング”と、大会後の「手のひら返し」に関するものだ。「メディア関係者に問う 日本代表『ベスト16』の評価」と、その後の「討論・メディアの存在意義」の2つのコーナーにおいて、それを取り上げている。

興味深いのは、「討論・メディアの存在意義」の中で広瀬一郎氏が「メディアのアカウンタビリティ(説明責任)」を問題にしている部分だ(というか、他にも興味深いところだらけなのだが、今回はそれらには触れない)。

当記事は、対談をまとめたもののようで口語体で書かれており、そのまま引用するのは控えるが、要約すると「岡田監督を批判していたことに対し、どの部分が正しく、どの部分が誤っていたのか、自分できちんと検証し説明することが『アカウンタビリティ(説明責任)』を果たすことだ。それがなされていない」ということだと思う。

これはもっともなことだが、商業ベースのメディアにそれを要求するのは難しい面もあるだろう。「何年何月号ではこう書きましたが」などとやると冗長になってしまい、記事として成立させるのはなかなかハードルが高い。が、おそらく今、良心的なサッカー専門誌や、心あるサッカーライターの方たちは、何らかの形でそれをしよう、しなければならないと考えているのではないかと思う。これからのそういった仕事に期待したい。

そして、私事ではあるが、私が今般ブログを再開したのも、「それ」をなそうと思ってのことだった。


この3年間の岡田日本を振り返る

私は、岡田氏の日本代表監督就任に反対の立場であった。「岡田武史氏は、日本サッカーの将来を考えるなら、この日本代表監督へのオファーを断るべきである」と書いている。その岡田監督は日本をホーム以外のW杯で初めてのベスト16に導いたのだ。私のこの言説についての「アカウンタビリティ」を私が果たさないわけにはいかないだろう。

さてでは、今からこの時のこのエントリーを見て、私は考えを変えるべきだろうか?私個人としては「否」である。この時のエントリーは間違っていたのだろうか?私は、こう思う。半分は正しく、半分は間違っていた、と。

今回は、その前者を説明したい。そしてそれが、私なりの南ア杯総括にもなるのではないか、と思うのだ。


日本が採るべきスタイルと、監督の選定

私の考えの前提は、「日本は『ボールも人も動くサッカー』を、強化の大方針とするべきだ」というものである。「ボールも人も動くサッカー」はオシム監督就任以来、あるいはそれ以前から、日本人選手の特質を生かすサッカースタイルとして、各所で取り上げられてきたものでもある。

ただし、それは「オシムサッカーを継承するべきだ」ということを意味しない。オシム氏のサッカーは、「ボールも人も動くサッカー」の一形態ではあるものの、それが全てではないからだ。

南ア杯で言えば、メキシコやドイツなどの行っていたサッカーも、「ボールも人も動くサッカー」の範疇に入るものだと思う。選手が動いてスペースを作り、そこでボールを受け、集団でボールを運んで行くサッカー。それは、俊敏性や運動量、テクニックといった日本人選手の特徴を生かしやすいスタイルであり、日本サッカーの方向性としてマッチしていると私は考えるのである。

私は、ドイツ大会後、日本サッカー協会がオシム氏に就任を要請したのも、「ボールも人も動くサッカー」の実現のためだろうと思っていた。オシム氏がJリーグで実現していたそれが、まさにその言葉を具現化したようなサッカーだったからだ。この時点で、日本サッカー協会が強化方針、代表チームの「コンセプト」として採用していたのは、「ボールも人も動くサッカー」だった・・・さて、これは私だけの思い込みだろうか?

そうではないだろう。岡田監督自身、就任会見で次のように語っている

コンセプトは変わりません。人もボールも動くサッカー。(中略)ボールと人が動いてできるだけコンタクトを避けた状態で、しかしボールに向かっていく。ディフェンスも待っているんじゃなくて、こちらからプレッシャーをかけていく。これは変わりません。

私は、「ボールも人も動くサッカー」が日本代表の方針であるならば、それを過去に具現化したことのある監督が就任するべきだったと思っている。そういう監督でなければ、それを実現するためのメソッドを持ち合わせていないだろうからだ。それでは、あるコンセプトを目指したとしてもうまくいかない可能性が高いだろう。では、岡田監督は、「ボールも人も動くサッカー」を過去に実現したことがある監督だろうか?私は「否」だと思う。

逆に言えば、「岡田氏を監督にする以上、彼が過去に実現していたサッカーを日本代表の方針として採用する」ということでなければ不合理だ。監督には、得手、不得手があり、それが「哲学」となり、監督の「タイプ」となると思うからだ。監督人事は、基本的にはその「タイプ」に則して行われるべきだろう。この時の日本協会の説明、岡田監督の就任時の宣言、どちらもそうではないように私には見えた。

それが、私が岡田氏の就任に反対した意味である。


初期岡田日本~オシム流の継承

しかし、就任した以上、岡田監督の指導や指揮するサッカーの内容、結果については是々非々で見ていこうと考えていた。就任経緯や監督選定の考え方がいかにおかしなものであったとしても、岡田監督自身はその責を負う立場にないからだ。実際、当ブログや掲示板、SoccerCastではそうしてきたつもりである。

そこで、あちこちでばらばらに書いたり言ったりしてきた私の考えを、岡田日本の軌跡と照らし合わせながら、ここから少し時系列で整理しておこうと思う。

岡田監督は就任直後は、基本的にオシム監督のチームや戦術、トレーニングのやり方などを引き継いだようだ。私は、これはいかにもおかしなことだと思っていた。サッカーの監督は、岡田監督自身が最近いみじくも語っているように「決断」こそが最大の仕事だろう。他人が決断して選んだ選手、戦術、トレーニング方法を「協会の要請だから」「時間がないから」として採用していたのでは、うまくいくはずがないと思えた。

実際それは機能せず、アジア3次予選アウェーのバーレーン戦では、非常に低内容の試合を繰り広げ、敗れた。私はこの時点までの岡田監督の「オシム氏の人選、戦術、トレーニング方法を継承して3次予選は勝ち抜けるだろう」という考えが、彼の犯した数少ない間違いであったと思う。ただそれは彼だけの責任ではなく、「オシム監督の残したチームを破壊しないでほしい」というオリエンテーションをした(と考えられる)協会技術委員会、すなわち小野氏の間違いでもあるのだが。

その後、岡田監督は「これからはオレのやり方でやっていく」とした。私は、これは当然であると思ったものである。そして、日本代表チームは人選も、戦い方も、それ以前とは大きく様変わりを見せていく。


中期岡田日本~予選を戦いながら

例えば、マンマークを止めてゾーンの守り方へ。あるいは、「考えて走る」を非常に重要視するやりかたから、ある程度の約束事の増加へ。岡田日本は戦い方を変えていく。しかし、W杯予選を戦いながら「自分色」の代表を組み上げる作業は、非常に難しかったことだろうと思う。このころの日本代表チームは、なかなか「これ」といった形は見せられずに、遠藤と中村俊輔の持つ個人能力でボールを落ち着かせ、周りの選手が動いていくようなサッカーになっていた、と私には見えた。

ただしそれが悪いというわけではない。チームに突出した個がいれば、それを有効に活用するべきなのは当然でもある。問題は怪我や不調、カード累積などで、その選手がいなくなった時に同じことができるか、あるいは他のやり方になっても、それなりに機能するチームを用意できるか、ということだ。

それはさておき、代表チームは次第に熟成を深め、最終予選を戦い抜いていった。内容的には芳しくない試合もあったが、予選は勝ち抜けばそれでオールオッケーである。岡田監督のここまでの仕事ぶりは、それに限れば何ら問題のないものであったと思う。

しかし日本の場合苦しいのは、主導権の取れるアジア相手の予選の戦いと、互角以上の相手しかいないW杯本大会での戦いが、違ってこざるを得ないことだ。岡田日本も、予選を戦いながら世界相手のシフトを模索しなければならなかったのである。


中期岡田日本の完成~「クローズ」へ

そうした中、2009年5月のキリンカップでは、あのビエルサ監督率いるチリに4-0、ベルギーにも4-0と大量点を奪って優勝した。このころのサッカーが、「脱オシム」「オレ流宣言」後の岡田日本のサッカーの一つの典型とも言いえるものだっただろう。私から見た、当時の岡田サッカーの特徴は以下のようなものになる。

・ポストプレーの得意なFWをおかない
・ショートパスを多用し、非常に狭いところで人数をかけてパスを回していく
・非常に高い位置からFWやOMFがボールにプレッシャーをかける

この、非常に特徴的な中期岡田日本のサッカーは、私は個人的に、コーチに入った大木氏の影響が大きいものではないか、とみている。大木氏が甲府を率いた時に実践した「クローズ」と言われる戦術と、特徴を同じくしているからだ。もちろん、監督がコーチの意見を吸い上げて採用することには何ら問題はない。このころのサッカーは次第に熟成し、ある一つのスタイルに収斂して行ったように見えた。

さて、当時のサッカーに対し、私はSoccerCastなどにおいて、基本的には賛成の意を表していた。このころの戦術はおそらく(私のまったく個人的な想像だが)、協会の若手理論派や小野氏あたりと、大木コーチと、岡田監督が、相当にディスカッションを重ねてできたものだろうと思っていたためである。「日本サッカー協会の考える日本人に向いたサッカーを、日本人監督がW杯にぶつける」・・・それは、次善の策ではあるが、「ボールも人も動くサッカーを過去に実現したことのある監督を就任させる」のと同様、日本サッカーの未来につながる部分もあるだろうと思えた。

しかし。

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このまま書いていくと冗長になり過ぎると思われるので、ここでいったん一区切りしたいと思います。以下、次回へ続けることとします。そう時間をおかずにアップできると思うので、ご容赦いただければ幸いです。

それではまた。

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