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October 31, 2010

岡田日本の3年間を振り返る(3)

今回のワールドカップでの、日本のパス成功率は32カ国中最低だったという。また、(攻撃につながらない)クリア数は逆に最多だった。誰もが記憶しているように(相手が勝つしかなく前に出てきてくれたデンマーク戦以外は)、日本は非常に守備的で、ほとんどの時間守っているようなチームだった。セットプレー以外の攻撃の手立てが非常に未整備だったのは、明らかではないだろうか。

また、日本は4試合すべてスターティングメンバーが同じであり、交代される選手もかなり決まっていた。そのため、スターティングメンバーに疲労が蓄積し、決勝ステージパラグアイ戦では、それ以前の試合とくらべても動けていなかったように見える。交代選手は、この布陣、やり方での攻撃に慣れていなく(典型はオランダ戦の中村俊輔選手だろう)、交代策によって攻撃が活性化したことは、あまりないように感じられた。

これらの多くは、岡田監督が「大会直前」に方針変更したことが原因だったと思う。つまり「時間切れ」だったのだ。もっと早く、この方針に立ち帰ることができていたら、守った後の攻撃の整備もある程度はできただろうし、疲労が蓄積した選手を休ませるような選手のプールもできただろうし、交代して攻撃を加速することのできる選手を用意することもできただろう。そもそも23人の人選が、相当程度変化しただろうと思われる。

もちろん、それらができていればパラグアイ戦に勝てたはず、などとは言わない。サッカーのゲームはそれらだけで決まるほど、簡単なものではない。例えば、攻撃が整備されて前に出た方がカウンターで失点する、というケースもままあるのだ。しかし、今大会での岡田日本の持っていた欠点の多くが、あるいはオシム監督の言う「勇気の欠如」に見える現象の原因が、「方針変更後時間がなかった」ことによるものだということは、確かであるように私には思われる。

そしてそれは、岡田監督に就任を要請したにもかかわらず、彼の得意なやり方ではなく、別のものを要求した日本サッカー協会技術委員会の「ごまかし」によるものだった、とわたしは思うのだ。

* ところで一部には、「韓国戦での敗北など、あれだけ状態が悪くなった上での路線変更だったから選手も受け入れたのだ。だから選手はあれだけ走り、体を張ったのだ。あのタイミングでなければ、ああうまくはいかなかった」という意見があるようだ。これは今W杯における事象としては正しいだろうが、そのまますべてが真実ではないと思う。

今大会と同じくらい、選手が走り、体を張った日本代表は過去にも存在したからだ。もしビデオがあれば、2002日韓W杯のロシア戦や、あるいはオシム監督時代の日本代表の試合を見てみることをお勧めする。しっかりとした監督が、きちんとディシプリンを作りモチベーションコントロールを出来ていれば、そのようであることは特別ではない。「選手を『戦わせる』ためには苦境が、方針転換が必要だ」などということはない。あたりまえだが。 *


なぜごまかさなくてはならなかったのか

私は、岡田氏を日本代表監督に据えるという人事は、小野技術委員長(当時)の「お友達人事」だったのではないか、と推測している。オファー時の「岡田さんしかいない」という言葉、またどう見ても広く眼を開き、多数の候補から選抜したとは思えない状況から、である。それはもちろん、「前任のオシム監督が不幸にも病魔で倒れたことによる、緊急時の対応としては仕方がない」と小野氏は思ったのだろうが、「緊急時だから助けてくれる監督を」という考えは、結局「お友達人事」になってしまったのだと、今からでは思える。

岡田監督にオファーした理由を小野氏は3つあげているが、それも「岡田氏を念頭に、後付けで列記したもの」に過ぎないものに見える。広く眼を開き、多くの人材を比較検討した結果ではないのは、例えば今回の原博美技術委員長がザッケローニ氏の招聘に成功した過程と比較してみれば、明らかではないだろうか。当時も書いたが、実に視野が狭いのだ。もともとコネクションが少ないうえに、「緊急時だ」という認識により、ある意味「すがれるもの」を掴んでしまった、ということだろう。

しかし、技術委員長としての小野氏は、そのように「言う」ことはできなかった。日本代表のコンセプトは日本サッカーのモデルケースであり、非常に重要だと、彼もそう認識していたのだろう。あくまでも、コンセプトに沿ったオファーであり、就任であるのだと強弁せざるを得なかった。そして、岡田監督に「彼の得意なサッカースタイルではないもの」を要求した。ここに、「ねじれ」があったのだと、私は思う。

本来ならば、あるべき監督就任のスタイルは次のような形であったろう。

1: 日本代表のサッカーの、グランドデザインを変えないならば、それに沿った監督を探す。
2: 岡田監督にするならば、グランドデザインそのものを彼の得意なサッカーに転換することについて、広く告知し、それでよいのかどうか徹底して議論をする。

小野氏はこのどちらも避けたのである。結果、岡田監督が借り物のズボンで指揮をする時間が長くなり、「時間切れ」を生んだのだ。


監督のタイプとのミスマッチ

ここで、最初の設問に戻る。岡田監督は日本代表監督に就任すべきであったかなかったか。一人の監督としては、岡田さんは「結果を出すべき戦いで結果を出した」のであるから、最高の賛辞を送られてしかるべきだろう。あらためて日本人監督では最高の存在であることを証明した。ここに疑問の余地はない。

しかし私が考えたいのは、協会のマネジメントの方なのだ。協会は、日本代表の目指すべきサッカーのグランドデザインをし、それをピッチ上に実現したうえで、W杯での結果を目指すべきではないのか。日本代表のサッカースタイルを頂点に、各年代代表や、若年層の育成のスタイルが構築されていくべきではないのか。例えば、ドイツはそのようにして成長(1)(2)(3)し、あのようなサッカーを実現してきたのではないか。

私は、協会はそのようにすべきだと考えているので、「ボールも人も動くサッカーの構築に向いていない監督で空費した2年半」がいかにももったいないと思えるのである。この2年半は、私の視点からみると、「あるサッカースタイルを過去に実現したことがない監督に、それを強要しても実現は難しい」ということが、ただ確認された時間だった、としか言えないのだ。そして結局それは、方針転換を余儀なくされた。

誤解してほしくないのは、私が言っているのは監督の「タイプ」の問題であって、「優劣」の問題ではない、ということだ。よくポゼッションサッカーの方がカウンターサッカーよりも上だとし、前者を実現できる監督をレベルの高い監督と見る向きがあるが、私が言っているのはそういうことではない。ただそこに、監督のタイプの違いが存在する、ということだけなのだ。小津安二郎に黒澤明のような映画を撮れといっても無理だ。その逆もしかり。ただそれだけのことだ。

もし仮に、岡田監督がJリーグで結果を出した時のサッカースタイルが、日本代表の取るべき方針だと決断したならば、彼は最高の人材であるだろう。あるいは、オランダのようにピッチを広く使うサッカーを採用すると決めたならば、オランダ人監督が必然となるだろう。モウリーニョには彼のスタイルがあり、クライフにも彼の哲学がある。必要なコンセプトに、ふさわしいタイプの監督を。ただそれだけに過ぎないのだ。

ひとまずの結論

さて、以上のようなことから、私は当時と自分の考えを変える必要は感じない。日本サッカーのグランドデザインをしっかりとし、それに基づいて監督選びはなされるべきだ。しかし岡田監督の就任はそうではなかった。中期岡田日本は、採ろうとするサッカースタイルと、岡田監督の適性のギャップに苦しんだが、最終的に岡田監督の得意とするスタイルで結果を出した。岡田監督はできる範囲で全力を尽くしたが、彼に就任を要請した協会は、長い目で見れば間違っていた。


ただし、この考えは半分は正しいのだが、もう半分は間違っていた、と思う。

「間違っていた」部分については、次回以降に考えたいと思います。

それではまた。

04:04 PM [サッカー日本代表] | 固定リンク | トラックバック (0) |

October 21, 2010

岡田日本の3年間を振り返る(2)

しかし、中期岡田日本のサッカーコンセプトそのものに、私がもろ手を挙げて賛成できたわけではない。

一つには、「クローズ」の持つ特質が、日本人選手の特徴の一部とマッチしないと思えたからだ。あまりにも狭いところでパスを回しすぎる、という点が、である。私は先の「ボールも人も動くサッカー」の例としてメキシコやドイツを上げたが、よくそういうサッカーの例としてあげられるスペインに触れなかったのも、そのせいなのだ。

スペインも、非常に狭いところでパスを回すが、そのメリットとしては「奪われても選手が密集しているために、奪い返しやすい」ということがあるだろう。「クローズ」の狙いもそこにある。そして、その頃の日本代表もまた、高いところから人数をかけてボールを奪おうとしているチームであった。その狙い自体は間違っていないとは思う。

しかし、一つ問題がある。日本人選手の特徴として、アジリティ、持久力、テクニックに加えてもう一つよく言われているのが、「クローズドスキルは高いがオープンスキルに欠ける」ということだ。クローズドスキルは相手のいないときの技術、オープンスキルは相手がいる、試合の中での技術である。オープンスキルに欠ける選手が、密集の中でパスを回そうとするとどうなるか。

スペインのようなやり方でありながら、あまりに何度もボールを失うようだと、いずれ密集して守備をしようとする陣形を突破されてしまう。そうなると、密集の外側には広大なスペースを与えてしまっているわけで、すぐさま日本のピンチに直結する。また、「世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス」の中でも指摘されているように、プレスに行くなら、それ以外のゾーンでのバランスも非常に重要なのだが、このころの日本ではそこも整備されていなかった。当時のサッカーに賛同できなかったもう一つの理由は、その守備面でのチグハグさ、プレスと周りの連動のなさだった。

岡田日本は、そういうチームでアウェーの親善試合オランダ戦に臨んだ。結果3-0で敗北したのだが、その時の教訓が「激しいプレスは90分持たない」ということだったと、各所で言われていた。しかし私は上記のように、当時の「クローズ」の持つそれ以外の問題も大きいと思っていた。そして、そうした問題は、その後の親善試合などを通しても、改善の兆しは見られなかった。


中期岡田日本~借り物のズボンで

当時の岡田日本のサッカーが「ボールも人も動くサッカー」だったか、という問いに答えるのは難しい。確かにボールも人もそれなりに動いていたが、あまりにも狭いゾーンでパスを回しすぎる、プレスの時の他のゾーンのバランスが取れていない、という(私から見て)欠点を抱えていたからだ。そして私には、それらの欠点は「岡田監督が、その頃実践しようとしたようなサッカーを過去に実現したことがない」ことから生じていたものだと思えるのだ。

「世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス」の中でもう一つ触れられているのが、「FWが前線からプレスをかけるのならば、チーム全体が連動してラインを押し上げなければならない」ということだ。これは当然のことだろう。一人二人で奪いに行っても、他が連動していなければ、かわされてしまった時に大きなスペースができてしまう。それをなくすためには、中盤とFWとの距離感、かわされた時のカバー、「セカンドプレス(造語)」、パスコースの遮断、パスの受け手のマーク、そして最終ラインの押し上げなどが必要になる。

それらができていないため、例えば親善試合ガーナ戦ではロングボールから2失点している。これを受けて岡田監督は、闘莉王や中澤にカバーリングを早く、しっかりするように指示したようだが、そういう問題なのだろうかと私は首をひねった。プレス時の中盤でのバランスが崩れていること、またその際のラインの上下動のディシプリンが出来上がっていないことの方がより大きな問題ではないのか。

そしてそれは、岡田監督が「当時実践しようとしていたようなサッカーを、それまで実現したことがない」ことによる、メソッド不足によるものだったのではないのか。この頃代表チームのメンバーが非常に固定されたのも、また起用された新顔がなかなかフィットできなかったのも、それが原因ではないのか。親善試合セルビア戦後の、栗原のコメントがそれを裏付けているように、私には思えるのである。


2010前半~中期岡田日本の終焉

岡田日本は、いくつかの問題をはらみながらも、「日本人が考えた、日本人選手の特徴を生かせるサッカーを、日本人監督で」W杯にぶつける準備を整えていった。前回も書いたとおり、私は、そのこと自体は歓迎していた。心配は岡田監督がそこで目指したサッカーで過去に結果を出したことがないことだが、それはもはや言っても詮方ないこと。日本サッカー協会の行う壮大な(?)実験を、見守る他ないだろうと思っていた。

したがって、2010年初頭からの東アジア杯や、親善試合で思うような結果が出なくても、何もぶれる必要はないと考えていた。だいたい、例年1月や2月の(シーズン明けの)試合でいい内容だったことなどほぼ皆無であって、協会や監督がそうアナウンスすればいいだけである。その時期の(親善試合の結果からくる)解任論は、ナンセンスだと思っていたし、過度に悲観することもないはずだった。

ところがこの頃、岡田監督のしようとしているサッカーでは世界で勝てないとし、「岡田監督のままで守備的に路線変更を」という意見があった。結果的には、まさに岡田監督が大会直前に路線変更して結果が出たことで、そういう指摘が正しかったと言えるのだが、私はそうすべきではない、と思っていた。それでは、監督決定の時と同じ誤りを犯すことになる、と思ったからだ。しかし、私は間違っていた。


方針転換~「借り物」からの脱却

結局、岡田監督は大幅な路線変更を行った。これまで頑なにポストプレーヤーを置かなかったFWに、ある程度体をはってキープできる本田をワントップとして起用、「クローズ」路線のショートパスの連鎖は激減し、ビルドアップはほとんど放棄されたようになり、高い位置からのプレスはなくなり、アンカーに阿部を起用、自陣に9人が帰り、深く守ってクリアを繰り返す、というサッカーになった(パス成功率参加国中最低、クリア数最多)。

これによって結果が出たのだから、このサッカーをよし、とするのかどうか。今回のサッカー批評や、各所での議論は「あれは緊急避難であって、今後の指針とするべきではない」というものが多いように思う。その議論は置いておこう。

ただ、岡田監督である以上、あれが必然だったのだ、と今では思う。岡田監督が横浜Fマリノスを率いJリーグで2連覇した時に指導を受けた、ユ・サンチョルも次のように言う(Number760号)。

岡田監督の最大の長所は、「相手をしっかりと分析し、長所を消しつつ、組織的な守備を構築できること」だった。チーム内の約束事は本当に細かかった。(中略)そして本大会で見事によさを発揮し、結果を出した。

これには私もまったく同感なのである。つまり、南ア杯直前での変更とは、借り物のコンセプトを脱ぎ捨て、岡田監督が岡田監督らしさに立ち返った瞬間だったのだ。「得手、不得手」を再確認し、「らしく」なった岡田監督のチームは見違えるようになり、勝ち進んでいった。借り物コンセプト時代とは雲泥の差だった。

問題は岡田監督が「立ち返った」ことではない。それ以前の2年半、借り物のコンセプトで戦ったことの方なのだ。


「借り物」を生んだもの

私は、オシム監督が倒れた時点で次のように書いた。

岡田氏に就任を要請するならば、「岡田氏のやり方に日本を託すのだ」と考えなくてはなりません。「岡田氏のサッカーの方向性が、これからの日本サッカーの方向性として正しいのだ」というPLANを持って頼むのでなければ、おかしい。その場合は「オシム路線継承」ということではなく、「岡田サッカーを日本は目指す」という明確な目的意識を持たないと、再び日本は迷走していくと思います。

先のNumber誌でのユ・サンチョルの言葉には続きがある。私の書いたのも、これと言っていることは一緒である。

日本協会は当然、これらの長所を理解したうえで就任のオファーを出したのではないですか?

しかし、少なくともオファー当時の小野技術委員長の説明も、岡田監督自身の就任時の言葉も、「相手をしっかりと分析し、長所を消しつつ、組織的な守備を構築できること」という岡田監督の長所を生かしてW杯を勝ち上がる、というものではなかったことは確かだろう。いわばマニュフェスト違反なのだ。しかし、代表監督のミッションはマニュフェストを守ることではなく、結果の必要とされる戦いで結果を出すことであり、岡田監督はそれを成し遂げた。監督としては高く評価されるべきだろう。

しかし問題は、協会技術委員会のマネジメントの方なのだ。岡田監督という「ボールも人も動くサッカー」を実現したことがない監督に就任を要請しながら、それを実施するよう求め、2年余りを空費させてしまったことが問題なのだ。岡田監督にするなら、「これまで岡田監督が結果を出してきたサッカーを日本代表の方針として採用します。あれをやってください」と言い切るべきだったのだ。それをせずに、口先でごまかそうとするから・・・。

そのごまかしは何を生んだのか。

(以下次回)

それではまた。

11:50 AM [サッカー日本代表] | 固定リンク | トラックバック (0) |

October 17, 2010

岡田日本の3年間を振り返る(1)

早いもので南アフリカワールドカップが終了して3カ月がたち、新監督ザッケローニ氏も就任、じっくりした論考で知られる「サッカー批評」でもW杯の総括号が発売になった。後は正式なテクニカルレポート協会から正式に発表になるわけだが、前回2006年W杯のそれの発売は11月に入ってからだった。さすがにそれを待つと時期が遅すぎるし、ここに私なりの総括を始めてみたいと思う。

今回のサッカー批評ISSUE48の中に興味深い記事がある。おそらく日本サッカーにかかわる誰もが気にかかっていたこと、つまり南ア杯前の岡田監督“バッシング”と、大会後の「手のひら返し」に関するものだ。「メディア関係者に問う 日本代表『ベスト16』の評価」と、その後の「討論・メディアの存在意義」の2つのコーナーにおいて、それを取り上げている。

興味深いのは、「討論・メディアの存在意義」の中で広瀬一郎氏が「メディアのアカウンタビリティ(説明責任)」を問題にしている部分だ(というか、他にも興味深いところだらけなのだが、今回はそれらには触れない)。

当記事は、対談をまとめたもののようで口語体で書かれており、そのまま引用するのは控えるが、要約すると「岡田監督を批判していたことに対し、どの部分が正しく、どの部分が誤っていたのか、自分できちんと検証し説明することが『アカウンタビリティ(説明責任)』を果たすことだ。それがなされていない」ということだと思う。

これはもっともなことだが、商業ベースのメディアにそれを要求するのは難しい面もあるだろう。「何年何月号ではこう書きましたが」などとやると冗長になってしまい、記事として成立させるのはなかなかハードルが高い。が、おそらく今、良心的なサッカー専門誌や、心あるサッカーライターの方たちは、何らかの形でそれをしよう、しなければならないと考えているのではないかと思う。これからのそういった仕事に期待したい。

そして、私事ではあるが、私が今般ブログを再開したのも、「それ」をなそうと思ってのことだった。


この3年間の岡田日本を振り返る

私は、岡田氏の日本代表監督就任に反対の立場であった。「岡田武史氏は、日本サッカーの将来を考えるなら、この日本代表監督へのオファーを断るべきである」と書いている。その岡田監督は日本をホーム以外のW杯で初めてのベスト16に導いたのだ。私のこの言説についての「アカウンタビリティ」を私が果たさないわけにはいかないだろう。

さてでは、今からこの時のこのエントリーを見て、私は考えを変えるべきだろうか?私個人としては「否」である。この時のエントリーは間違っていたのだろうか?私は、こう思う。半分は正しく、半分は間違っていた、と。

今回は、その前者を説明したい。そしてそれが、私なりの南ア杯総括にもなるのではないか、と思うのだ。


日本が採るべきスタイルと、監督の選定

私の考えの前提は、「日本は『ボールも人も動くサッカー』を、強化の大方針とするべきだ」というものである。「ボールも人も動くサッカー」はオシム監督就任以来、あるいはそれ以前から、日本人選手の特質を生かすサッカースタイルとして、各所で取り上げられてきたものでもある。

ただし、それは「オシムサッカーを継承するべきだ」ということを意味しない。オシム氏のサッカーは、「ボールも人も動くサッカー」の一形態ではあるものの、それが全てではないからだ。

南ア杯で言えば、メキシコやドイツなどの行っていたサッカーも、「ボールも人も動くサッカー」の範疇に入るものだと思う。選手が動いてスペースを作り、そこでボールを受け、集団でボールを運んで行くサッカー。それは、俊敏性や運動量、テクニックといった日本人選手の特徴を生かしやすいスタイルであり、日本サッカーの方向性としてマッチしていると私は考えるのである。

私は、ドイツ大会後、日本サッカー協会がオシム氏に就任を要請したのも、「ボールも人も動くサッカー」の実現のためだろうと思っていた。オシム氏がJリーグで実現していたそれが、まさにその言葉を具現化したようなサッカーだったからだ。この時点で、日本サッカー協会が強化方針、代表チームの「コンセプト」として採用していたのは、「ボールも人も動くサッカー」だった・・・さて、これは私だけの思い込みだろうか?

そうではないだろう。岡田監督自身、就任会見で次のように語っている

コンセプトは変わりません。人もボールも動くサッカー。(中略)ボールと人が動いてできるだけコンタクトを避けた状態で、しかしボールに向かっていく。ディフェンスも待っているんじゃなくて、こちらからプレッシャーをかけていく。これは変わりません。

私は、「ボールも人も動くサッカー」が日本代表の方針であるならば、それを過去に具現化したことのある監督が就任するべきだったと思っている。そういう監督でなければ、それを実現するためのメソッドを持ち合わせていないだろうからだ。それでは、あるコンセプトを目指したとしてもうまくいかない可能性が高いだろう。では、岡田監督は、「ボールも人も動くサッカー」を過去に実現したことがある監督だろうか?私は「否」だと思う。

逆に言えば、「岡田氏を監督にする以上、彼が過去に実現していたサッカーを日本代表の方針として採用する」ということでなければ不合理だ。監督には、得手、不得手があり、それが「哲学」となり、監督の「タイプ」となると思うからだ。監督人事は、基本的にはその「タイプ」に則して行われるべきだろう。この時の日本協会の説明、岡田監督の就任時の宣言、どちらもそうではないように私には見えた。

それが、私が岡田氏の就任に反対した意味である。


初期岡田日本~オシム流の継承

しかし、就任した以上、岡田監督の指導や指揮するサッカーの内容、結果については是々非々で見ていこうと考えていた。就任経緯や監督選定の考え方がいかにおかしなものであったとしても、岡田監督自身はその責を負う立場にないからだ。実際、当ブログや掲示板、SoccerCastではそうしてきたつもりである。

そこで、あちこちでばらばらに書いたり言ったりしてきた私の考えを、岡田日本の軌跡と照らし合わせながら、ここから少し時系列で整理しておこうと思う。

岡田監督は就任直後は、基本的にオシム監督のチームや戦術、トレーニングのやり方などを引き継いだようだ。私は、これはいかにもおかしなことだと思っていた。サッカーの監督は、岡田監督自身が最近いみじくも語っているように「決断」こそが最大の仕事だろう。他人が決断して選んだ選手、戦術、トレーニング方法を「協会の要請だから」「時間がないから」として採用していたのでは、うまくいくはずがないと思えた。

実際それは機能せず、アジア3次予選アウェーのバーレーン戦では、非常に低内容の試合を繰り広げ、敗れた。私はこの時点までの岡田監督の「オシム氏の人選、戦術、トレーニング方法を継承して3次予選は勝ち抜けるだろう」という考えが、彼の犯した数少ない間違いであったと思う。ただそれは彼だけの責任ではなく、「オシム監督の残したチームを破壊しないでほしい」というオリエンテーションをした(と考えられる)協会技術委員会、すなわち小野氏の間違いでもあるのだが。

その後、岡田監督は「これからはオレのやり方でやっていく」とした。私は、これは当然であると思ったものである。そして、日本代表チームは人選も、戦い方も、それ以前とは大きく様変わりを見せていく。


中期岡田日本~予選を戦いながら

例えば、マンマークを止めてゾーンの守り方へ。あるいは、「考えて走る」を非常に重要視するやりかたから、ある程度の約束事の増加へ。岡田日本は戦い方を変えていく。しかし、W杯予選を戦いながら「自分色」の代表を組み上げる作業は、非常に難しかったことだろうと思う。このころの日本代表チームは、なかなか「これ」といった形は見せられずに、遠藤と中村俊輔の持つ個人能力でボールを落ち着かせ、周りの選手が動いていくようなサッカーになっていた、と私には見えた。

ただしそれが悪いというわけではない。チームに突出した個がいれば、それを有効に活用するべきなのは当然でもある。問題は怪我や不調、カード累積などで、その選手がいなくなった時に同じことができるか、あるいは他のやり方になっても、それなりに機能するチームを用意できるか、ということだ。

それはさておき、代表チームは次第に熟成を深め、最終予選を戦い抜いていった。内容的には芳しくない試合もあったが、予選は勝ち抜けばそれでオールオッケーである。岡田監督のここまでの仕事ぶりは、それに限れば何ら問題のないものであったと思う。

しかし日本の場合苦しいのは、主導権の取れるアジア相手の予選の戦いと、互角以上の相手しかいないW杯本大会での戦いが、違ってこざるを得ないことだ。岡田日本も、予選を戦いながら世界相手のシフトを模索しなければならなかったのである。


中期岡田日本の完成~「クローズ」へ

そうした中、2009年5月のキリンカップでは、あのビエルサ監督率いるチリに4-0、ベルギーにも4-0と大量点を奪って優勝した。このころのサッカーが、「脱オシム」「オレ流宣言」後の岡田日本のサッカーの一つの典型とも言いえるものだっただろう。私から見た、当時の岡田サッカーの特徴は以下のようなものになる。

・ポストプレーの得意なFWをおかない
・ショートパスを多用し、非常に狭いところで人数をかけてパスを回していく
・非常に高い位置からFWやOMFがボールにプレッシャーをかける

この、非常に特徴的な中期岡田日本のサッカーは、私は個人的に、コーチに入った大木氏の影響が大きいものではないか、とみている。大木氏が甲府を率いた時に実践した「クローズ」と言われる戦術と、特徴を同じくしているからだ。もちろん、監督がコーチの意見を吸い上げて採用することには何ら問題はない。このころのサッカーは次第に熟成し、ある一つのスタイルに収斂して行ったように見えた。

さて、当時のサッカーに対し、私はSoccerCastなどにおいて、基本的には賛成の意を表していた。このころの戦術はおそらく(私のまったく個人的な想像だが)、協会の若手理論派や小野氏あたりと、大木コーチと、岡田監督が、相当にディスカッションを重ねてできたものだろうと思っていたためである。「日本サッカー協会の考える日本人に向いたサッカーを、日本人監督がW杯にぶつける」・・・それは、次善の策ではあるが、「ボールも人も動くサッカーを過去に実現したことのある監督を就任させる」のと同様、日本サッカーの未来につながる部分もあるだろうと思えた。

しかし。

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このまま書いていくと冗長になり過ぎると思われるので、ここでいったん一区切りしたいと思います。以下、次回へ続けることとします。そう時間をおかずにアップできると思うので、ご容赦いただければ幸いです。

それではまた。

11:01 PM [サッカー日本代表] | 固定リンク | トラックバック (0) |