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October 31, 2010

岡田日本の3年間を振り返る(3)

今回のワールドカップでの、日本のパス成功率は32カ国中最低だったという。また、(攻撃につながらない)クリア数は逆に最多だった。誰もが記憶しているように(相手が勝つしかなく前に出てきてくれたデンマーク戦以外は)、日本は非常に守備的で、ほとんどの時間守っているようなチームだった。セットプレー以外の攻撃の手立てが非常に未整備だったのは、明らかではないだろうか。

また、日本は4試合すべてスターティングメンバーが同じであり、交代される選手もかなり決まっていた。そのため、スターティングメンバーに疲労が蓄積し、決勝ステージパラグアイ戦では、それ以前の試合とくらべても動けていなかったように見える。交代選手は、この布陣、やり方での攻撃に慣れていなく(典型はオランダ戦の中村俊輔選手だろう)、交代策によって攻撃が活性化したことは、あまりないように感じられた。

これらの多くは、岡田監督が「大会直前」に方針変更したことが原因だったと思う。つまり「時間切れ」だったのだ。もっと早く、この方針に立ち帰ることができていたら、守った後の攻撃の整備もある程度はできただろうし、疲労が蓄積した選手を休ませるような選手のプールもできただろうし、交代して攻撃を加速することのできる選手を用意することもできただろう。そもそも23人の人選が、相当程度変化しただろうと思われる。

もちろん、それらができていればパラグアイ戦に勝てたはず、などとは言わない。サッカーのゲームはそれらだけで決まるほど、簡単なものではない。例えば、攻撃が整備されて前に出た方がカウンターで失点する、というケースもままあるのだ。しかし、今大会での岡田日本の持っていた欠点の多くが、あるいはオシム監督の言う「勇気の欠如」に見える現象の原因が、「方針変更後時間がなかった」ことによるものだということは、確かであるように私には思われる。

そしてそれは、岡田監督に就任を要請したにもかかわらず、彼の得意なやり方ではなく、別のものを要求した日本サッカー協会技術委員会の「ごまかし」によるものだった、とわたしは思うのだ。

* ところで一部には、「韓国戦での敗北など、あれだけ状態が悪くなった上での路線変更だったから選手も受け入れたのだ。だから選手はあれだけ走り、体を張ったのだ。あのタイミングでなければ、ああうまくはいかなかった」という意見があるようだ。これは今W杯における事象としては正しいだろうが、そのまますべてが真実ではないと思う。

今大会と同じくらい、選手が走り、体を張った日本代表は過去にも存在したからだ。もしビデオがあれば、2002日韓W杯のロシア戦や、あるいはオシム監督時代の日本代表の試合を見てみることをお勧めする。しっかりとした監督が、きちんとディシプリンを作りモチベーションコントロールを出来ていれば、そのようであることは特別ではない。「選手を『戦わせる』ためには苦境が、方針転換が必要だ」などということはない。あたりまえだが。 *


なぜごまかさなくてはならなかったのか

私は、岡田氏を日本代表監督に据えるという人事は、小野技術委員長(当時)の「お友達人事」だったのではないか、と推測している。オファー時の「岡田さんしかいない」という言葉、またどう見ても広く眼を開き、多数の候補から選抜したとは思えない状況から、である。それはもちろん、「前任のオシム監督が不幸にも病魔で倒れたことによる、緊急時の対応としては仕方がない」と小野氏は思ったのだろうが、「緊急時だから助けてくれる監督を」という考えは、結局「お友達人事」になってしまったのだと、今からでは思える。

岡田監督にオファーした理由を小野氏は3つあげているが、それも「岡田氏を念頭に、後付けで列記したもの」に過ぎないものに見える。広く眼を開き、多くの人材を比較検討した結果ではないのは、例えば今回の原博美技術委員長がザッケローニ氏の招聘に成功した過程と比較してみれば、明らかではないだろうか。当時も書いたが、実に視野が狭いのだ。もともとコネクションが少ないうえに、「緊急時だ」という認識により、ある意味「すがれるもの」を掴んでしまった、ということだろう。

しかし、技術委員長としての小野氏は、そのように「言う」ことはできなかった。日本代表のコンセプトは日本サッカーのモデルケースであり、非常に重要だと、彼もそう認識していたのだろう。あくまでも、コンセプトに沿ったオファーであり、就任であるのだと強弁せざるを得なかった。そして、岡田監督に「彼の得意なサッカースタイルではないもの」を要求した。ここに、「ねじれ」があったのだと、私は思う。

本来ならば、あるべき監督就任のスタイルは次のような形であったろう。

1: 日本代表のサッカーの、グランドデザインを変えないならば、それに沿った監督を探す。
2: 岡田監督にするならば、グランドデザインそのものを彼の得意なサッカーに転換することについて、広く告知し、それでよいのかどうか徹底して議論をする。

小野氏はこのどちらも避けたのである。結果、岡田監督が借り物のズボンで指揮をする時間が長くなり、「時間切れ」を生んだのだ。


監督のタイプとのミスマッチ

ここで、最初の設問に戻る。岡田監督は日本代表監督に就任すべきであったかなかったか。一人の監督としては、岡田さんは「結果を出すべき戦いで結果を出した」のであるから、最高の賛辞を送られてしかるべきだろう。あらためて日本人監督では最高の存在であることを証明した。ここに疑問の余地はない。

しかし私が考えたいのは、協会のマネジメントの方なのだ。協会は、日本代表の目指すべきサッカーのグランドデザインをし、それをピッチ上に実現したうえで、W杯での結果を目指すべきではないのか。日本代表のサッカースタイルを頂点に、各年代代表や、若年層の育成のスタイルが構築されていくべきではないのか。例えば、ドイツはそのようにして成長(1)(2)(3)し、あのようなサッカーを実現してきたのではないか。

私は、協会はそのようにすべきだと考えているので、「ボールも人も動くサッカーの構築に向いていない監督で空費した2年半」がいかにももったいないと思えるのである。この2年半は、私の視点からみると、「あるサッカースタイルを過去に実現したことがない監督に、それを強要しても実現は難しい」ということが、ただ確認された時間だった、としか言えないのだ。そして結局それは、方針転換を余儀なくされた。

誤解してほしくないのは、私が言っているのは監督の「タイプ」の問題であって、「優劣」の問題ではない、ということだ。よくポゼッションサッカーの方がカウンターサッカーよりも上だとし、前者を実現できる監督をレベルの高い監督と見る向きがあるが、私が言っているのはそういうことではない。ただそこに、監督のタイプの違いが存在する、ということだけなのだ。小津安二郎に黒澤明のような映画を撮れといっても無理だ。その逆もしかり。ただそれだけのことだ。

もし仮に、岡田監督がJリーグで結果を出した時のサッカースタイルが、日本代表の取るべき方針だと決断したならば、彼は最高の人材であるだろう。あるいは、オランダのようにピッチを広く使うサッカーを採用すると決めたならば、オランダ人監督が必然となるだろう。モウリーニョには彼のスタイルがあり、クライフにも彼の哲学がある。必要なコンセプトに、ふさわしいタイプの監督を。ただそれだけに過ぎないのだ。

ひとまずの結論

さて、以上のようなことから、私は当時と自分の考えを変える必要は感じない。日本サッカーのグランドデザインをしっかりとし、それに基づいて監督選びはなされるべきだ。しかし岡田監督の就任はそうではなかった。中期岡田日本は、採ろうとするサッカースタイルと、岡田監督の適性のギャップに苦しんだが、最終的に岡田監督の得意とするスタイルで結果を出した。岡田監督はできる範囲で全力を尽くしたが、彼に就任を要請した協会は、長い目で見れば間違っていた。


ただし、この考えは半分は正しいのだが、もう半分は間違っていた、と思う。

「間違っていた」部分については、次回以降に考えたいと思います。

それではまた。

04:04 PM [サッカー日本代表] | 固定リンク

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