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April 10, 2008

混乱の代償

Bahrain南アフリカW杯へ向けての、アジア3次予選vsバーレーン戦が終了した。結果は0-1の敗北。3次予選(かつての1次予選)レベルで敗北をしたのは19年ぶりだそうだが、内容もそれにふさわしく酷いもので、代表を応援しているサッカーファンをとんでもなくがっかりさせた。なぜこんなことになってしまったのだろうか?

簡単に内容を振り返ろう。日本は岡田監督になってから初めての3バックを採用、これは相手の強力な2トップに対抗しようとしたものだろう。それにともない布陣は3-5-2となり、中盤からは戦術的理由で遠藤が外された。また、アウェーでもあり序盤は敵が飛ばしてくるだろうとの予想から、日本は前半、ロングボールを多用していく。ここまで、日本の戦略は徹底して「相手に合わせた」ものだった。

この試合はW杯本大会ではない。相手は欧州や南米のチームではない。アジアの、2位までが先に進める3次予選であり、相手はバーレーンである。もちろん、取りこぼしが許されない真剣勝負の予選ではある。慎重になるのは間違いとは言い切れないだろう。が、現実路線とは言え、ここまでする必要があったのか。そして、そのような「相手ありきの戦術選択」、弱気とも取れるそのメンタリティは、選手にどのような影響を与えただろうか

岡田監督の戦略としては、序盤をセーフティーにロングボールでしのいだ後、徐々にポゼッションを回復し、日本のサッカーを取り戻していこうというものだったようだ。しかし、前回までも見たように、岡田監督になってからは、それまでのオシムサッカーの特徴はどんどん減り、雲散霧消している。頻繁なサイドチェンジによる大きな展開もなく、数多いオーバーラップによる数的優位の創出もない。そういう「自分たちのサッカー」があいまいになっていた中で、途中からそれに戻って行こうなどということは、はたして可能だっただろうか。

その答えは、試合内容に如実に現れていた。前線にロングボールを入れ、そのこぼれを拾って突破型の選手が個人勝負を仕掛けていくというのは、東アジア選手権韓国戦の後半と同じようなやり方だ。大久保や山瀬、安田の起用はそれを狙ってのことでもあるだろう。しかし人選をそのようにしてしまえば、途中からやり方を変更しようとしても、なかなかできることではなかった。ただ遠藤が外れたからできなくなった、などという単純なことではない。

バーレーンは、ジーコ監督時代の予選ではホームでオウンゴールの1点によって辛くも勝ったという経験からも、甘い相手ではないだろうし、さらにアフリカ人選手の帰化によって戦力も強化されてもいる。強敵かと思われたが、試合が始まってみれば、前線に目的の定まらないロングボールを入れるという、昔ながらの中東の戦い方をするのみで、それほどレベルアップしているとは言えなかった。しかし、日本もそれにあわせ、ほとんど同じ戦い方になってしまっていた。その内容の貧困さが、日本中のサッカーファンにこれほどの脱力を味あわせているのだろう。

もう一度言う。なぜこんなことになってしまったのだろうか?


日本人のよさを発揮すると言うこと?

結論から言えば、現状の問題点は監督選びの際の混乱、大方針の誤りから生まれているものだと、私は思う。以前から書いているように、オシム前監督が倒れた後の、協会技術委員会とその上層部がなした後任監督の選定は、経緯にも疑問があり、かつ考え方もおかしなものだったと、私は思っている。その疑問点を引きずったまま、ここまで強化がなされてきたわけだが、やはり厳しい予選になると、そこが露呈してきてしまうということだろう。

小野技術委員長があげた岡田監督の選定理由は以下の三つである。

(1)オシム監督が築いてきた土台の上に新しい色、個性を積み上げられる
(2)強烈なリーダーシップ、求心力を持っている
(3)(来年)2月6日(の予選まで)与えられた時間が少ない中でコミュニケーション能力がある

当時からさまざまな疑問が投げかけられてきたこの選考理由だが、現在発売中の「サッカー批評」ISSUE38に、まさにこの点について答えた小野技術委員長のインタビューがある。バーレーン戦までの問題点を整理する助けになると思われるものであり、ここで参照しながら考察してみたい。まずは最も大きな問題点とも言える「土台」についてである。

小野委員長: 土台とは何かと言ったら、トレーニング法でもハウツーでもない。唯一残したかったのは私とオシムさんが一緒にやる中で、オシムさんがいつも言っていたことなんです。それは『小野さん、皆さん気づいていないだけなんですよ。日本人はこんなに素晴らしいって言うことを』と。私はこれだけを土台に残したかった。

(中略) 監督が変われば絶対にサッカーも変わります。トレーニング法も変わる。だから、練習法などを重視していたら、そっち(昇格人事)の可能性のほうが高かったかもしれません。私が土台と言ったのは、日本人の誇りを持って、日本人のよさを発揮するということ。

最後の一行が、一番わかりやすいだろう。私はこれを一読して、かなり驚いたものである。誇り云々は置くとしても、「日本人のよさを発揮するサッカー」というのは、強化方針、監督選定の方針としてはあいまいに過ぎる。言ってしまえばオフトも、加茂も、岡田(第一期)も、トルシェも、ジーコも、そしてオシムも、それぞれがそれぞれの考える「日本人のよさを発揮するサッカー」を追及してきたのではなかったのか。「それはどういうものなのか」ということこそ、技術委員会が研究し、監督選定の条件としなければならないものではないのか。小野氏はまたこう語る。

インタビュアー: では、具体的に、日本の航海の先、目指すところはどのように考えているのでしょうか。

小野委員長: こういうサッカーをしなさいというのは私が言うところではなく、それは託す部分なのですが、岡田監督と私は発想的にはかなり近いものがあります。

また後段では

インタビュアー: 日本人監督のもと、日本人のサッカーをする。図式としてはわかりやすいですが、そもそも日本のサッカーをどのように定義しているのですか。

小野委員長: 私の立場で言えば、誇りを持とうということ。具体的にサッカーに落とし込めるところは、私がいろいろと口出しすることではなく、現場でいろいろと考えて実践してくれるでしょう。

これらを読んでわかるのは、小野氏が「土台」と言うのは、「誇りを持とう」「日本人のよさを発揮するサッカー」という精神的な部分であり、それがどのようなものであるかは、「監督(=現場?)に託すものだ」と考えているということだ。私はこの部分を読んで、驚愕したものである。

私があるべきと考える代表監督選定のプロセスは以下のようなものだ。

1: 世界のサッカーの潮流、日本の現在位置、選手の特性などの分析、現状認識。
2: それに基づいて、日本代表の取るべきサッカースタイルの立案
3: そのサッカースタイルを実現した実績のある監督のリストアップ
4: リストの中から最適任者を選定

ところが今回はこのようになっているというのだ。

1: 日本人のよさを発揮するサッカーをすると言う監督にする
2: それがどのようなものかは、選んだ監督に託す

はたしてこれが合理的な監督選定と言えるだろうか!

私は小野氏をはじめとした技術委員会の面々は、オシム監督と「どのようなサッカースタイルが日本人のよさを発揮するサッカーなのか」について議論を重ね、何がなしのコンセンサスを積み上げてきたと思ってきた。それがあれば、「オシム流の継承」ではなく、「コンセンサスとなったサッカースタイルを過去に実現した監督」を選定するのが合理的だと考えてきた。しかしこれでは、そういったものはまったくなかったのではないかと疑いたくなってしまう。

しかし、おかしいのはこの部分だけではないのだ。

破壊者はイヤだ?

インタビュアーが、「外国籍監督の中でも、日本を知った上で、コミュニケーション能力の高い人も少なくないのでは?」と質問したのに答えて、小野氏はこう返答した。

小野委員長: それは確かにいるでしょう。ただ、海外の監督さんで、日本のことを見下しているような人にはしたくなかった。それに、残された時間も考慮しました。というのは、新監督というのは多かれ少なかれ『破壊者』の要素を持たざるを得ないんです。破壊した上で自分の色をつけくわえていく。

(中略)先程、悪い時よりもいい時の方が難しいと言いました。今回のケースでは、破壊者の要素が強すぎ土台まで壊してしまうようだと、色をつける前に終わってしまうんですね。どんどんやりすぎて違う方向に行ってしまう。それはリスクが大きすぎる。日本人のよさを引き出してくれる人がベストであろうと思いました。

先程の答えでは、「土台」とは、「日本人のよさを発揮するサッカー」の部分「だけ」であると小野氏は言っているのだが、ここの部分では、「破壊者であってはならない」ということだ。これは、「昨年出来上がっていた(オシムの)チームを破壊しないでくれ」と言っているように私には聞こえる。もし新監督が「日本人のよさを発揮するサッカーはこっちだ」と言って、オシム監督の残したチームとは違うチームを作り始めたならば、それは完全な破壊者ということになるではないか。それではいけないと小野氏は考えたようだ。

小野氏が監督選定の際に「破壊しないこと」を念頭に置いた結果、岡田監督のチームマネジメントが制約を受けたのは、バーレーン戦後の岡田監督の発言でもかいま見られることである。

岡田監督: オレになってすぐ公式戦の予選(2月6日、タイ戦)だったから、いろんなことを変えるのはリスクが大きかった。今までを踏襲してやってきた部分が多い。我慢してきたこともあるけど、これからはオレのやり方でやっていく。戦術を含めてトレーニングの組み立てとか、口で説明すれば2時間はかかるから言わないけどね。

出来上がったチームを破壊せず、オシム監督が組み上げた「チーム」を継承する。のみならず、「戦術を含めトレーニングの組み立てとか」まで、岡田監督は「我慢して」引き継ごうとしてきたようだ。プロの監督が、他人のやり方で戦ってきた?なんとも不合理なことだが、小野技術委員長が「破壊者ではない監督を」と求めた結果、岡田監督が選定されたのだから、その意味では当然ともいえるだろう。戦術面では、例えば

岡田監督: 今まで人に付くディフェンスをやってきたが、自分のやり方ではなかった。

いわゆる「マンマーク」=人につくディフェンスを、前期オシム日本では採用していたが、岡田監督は「自分のやり方ではない」それを持って、ここまで戦ってきたのだということだ。なんということだろうか。

最初の最初に、オシム監督が倒れられた時、私は「オシム流の継承などを求めるな」と書いた。小野氏も、「監督が変われば絶対にサッカーも変わります」と言い、岡田監督自身、「オシムさん以外にオシムさんのサッカーはできない」と語っていた。これは当たり前の上にも当たり前、当然過ぎるほど当然のことなのだ。にもかかわらず、岡田監督は戦術やトレーニング法に関して、自分のやり方ではないものを「我慢して」行ってきたというのである。それは小野剛氏の「破壊するな」というリクエストに答えたものなのか、岡田監督自身が「変えることによるリスクを避けるため」に、そういう判断を下したのか。おそらくはその両方だろう。

上段では、「オシム監督の土台」とは、「トレーニング法でもハウツーでもない」と言いながら、監督選定の条件としては「破壊しないこと」を求める技術委員会。それにそって、「自分のやり方ではない」ものを、我慢して行い続けた岡田監督。しかしそれは強化の本道と言えるだろうか?本来ならば、「ボールも人も動くサッカー」を過去に実践したことがある監督が選ばれるべきだ。もちろんそこには再スタートのリスクがある。しかしそれは、前を向いた、強化の本道を行くためのリスクである。

逆に、「破壊はしないが、これまでのサッカーとスタイルの違う監督」にも、実はリスクがあるのではないか?そういう監督に、スタイルの大きく違う前任者の築いたチームを任せて、しかもそれを引き継ぎ、「あまり変えるな」という方針。そのようなリスクは、後ろ向きのリスクである。現状が維持できれば御の字、という弱気、日本代表の向かうべき大方針と乖離した「後ろ向き」な姿勢。監督をはじめとした首脳陣が、そのような態度を取っていて、選手が「考えて走る」わけがあるだろうか?その結果が、如実にバーレーン戦のピッチの上に現れていたのだ。

「空費」された4ヶ月間

岡田監督は、「これからオレのやり方でやる」という。最終ラインをマンマークからゾーンにし、約束事を増やすという。横浜Fマリノス時代からの仲である、小山氏を代表GMとして招くという(スポーツ紙の記事であり、どこまで信憑性があるかはわからないが)。私はこのどれもが、岡田監督である以上当たり前のことであると思う。むしろ今まで、他人の靴下で戦っていたことのほうが問題であり、うまくいくはずが無いことだったのだ。表面上はオシム監督の練習メニューを継承したとしても、それを駆使する人間が変わってしまえば、効果はまったく違うだろう。オシムサッカーを継承したようでいて、これまで見たようにサイドチェンジも、追い越しも無いサッカーになってしまったのは、その故である。

ただ問題なのは、そのこれからの「俺のやり方」なるものが、日本の大方針と合致するものなのか、否かということだ。本来ならば「あなたがリーグ戦で見せたあのやり方が、これからの日本代表の取るべきコンセプトだと思いました。ぜひあれを代表で実現していただきたい!」と言える監督を招聘するべきだった。最初に書いた「岡田監督にするなら岡田流を代表の大方針として選ぶと言うことだ」というのはそういう意味だ。はたして、今回の人事はそう言いえるものだったのか。それとも単に、「非破壊という小野氏のお願いを聞いてくれる監督=(我々と)コミュニケーションの取れる監督」という条件でなされた人事だったのか。

そしてつくづく残念なのは、そのオリエンテーション・ミスによって12月からバーレーン戦までの4ヶ月間が、「空費」されてしまったことである。岡田監督が「これから」開始する「オレのやり方」への転換は、結局のところ最初に小野氏が忌避しようとした「破壊」に他ならない。であれば、本来ならば4ヶ月前にそれを開始することができたのではないか?そうしながら、優秀な監督が「破壊→再構築」を時間をかけて行っていたら、シーズン前の長期の合宿や東アジア選手権、バーレーン戦前の10日に及ぶ合宿が、はるかに有効に使えたのではないか?

協会技術委員会の選択の不合理、その後のオリエンテーション・ミスと、受諾してしまった岡田監督によって空費されたこの4ヶ月間。そもそも使える時間が少ないうえに、アジア予選も始まっている日本代表にとって、この期間は時間が比較的豊富に取れたとも言える、非常に貴重な強化日程だったはずだ。それが完全に「無駄」になってしまったのだ。日本の予選突破にとって、この遅れが致命的でないことを、今は心より祈りたいと思う。

それではまた。

03:19 PM [サッカー日本代表] | 固定リンク

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