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February 28, 2008

そして、ゼロ地点へ

東アジア選手権が終わった。韓国戦が引き分けに終わり、優勝がなくなったあとの岡田監督の、怒ったような表情のインタビューには私も共感した。「岡田監督、勝ちたかったんだなあ」と感じさせる表情、声だった。ただ、しっかりとこの大会を勝ちに行く、という選手起用ではなかったのも確かだろう。北朝鮮戦も「テスト」での起用が多すぎてうまくいくはずがない編成だったし、韓国戦でもこれまで試したことがない橋本の2列め起用を行っている。これはどうも、「連れて行った選手、全員を起用する」という発言(スポーツ紙の記事だが)の通りにしたと推測するしかない。

怪我や不調で主力級の選手を欠いているためにそうしたのか、オシム監督から引き継いだチームの選手を、出場機会の少なかった選手まで試合で試してみたいという意向が、もともと岡田監督にあったのかどうかは、わからないところだ。しかし終わってみると、この大会はあくまで「テスト」の大会だったと位置づけられていたということになるだろう。

もちろん、就任時期、状況から考えても、この大会の優勝は岡田監督のミッション(果たすべき使命)ではないのだから、そのように大会を「使う」こと自体はなんら問題ではない。オシム監督がアジアカップをチーム強化のために「使った」ように、果たすべきミッションのために、中長期的にどのように計画、マネジメントしていくかは、代表監督が自らの権限、責任において行っていくことだ。オシム監督のアジアカップもそうだが、岡田監督の今回のマネジメントも、そしてそこでの結果も、そういう意味ではなんら問題のないものだと、私は思う。

「テスト」は行う、そのために機能しないかもしれない組み合わせでもあえて試す、しかし、優勝がかかる試合終盤では、FWを3人投入し、パワープレイを敢行する。この、中期計画と、眼前の勝利へのこだわりは、岡田監督らしく、興味深い。ただ、そうすることで本来の「コンセプト」が薄れていった、見られる機会が減っていたように思えることが、大丈夫なのかと少し心配になる。まあ、阿部や高原、巻、大久保といった、タイ戦での先発メンバーが帰ってくれば、また本来のコンセプトが戻ってくるのかもしれないが・・・。

いや、この大会でのサッカーこそが、岡田監督のコンセプトにかなり近いものだという可能性はないだろうか?


シンプルな韓国~韓国戦前半

Korea韓国戦は、4-2-3-1の「3」の一角で、慣れない橋本を初先発させた影響もあっただろうか、なんともまずい立ち上がりとなってしまった。韓国がバランスを取って待ち構えているところへ、選手の動きだしがなく、スペースを作り、使う動きも無いために、なかなかボールが前に運べない。後藤健生氏が7分(正確には6分だと思う)と12分の日本のパス回しを取り上げて褒めているのだが、見直してみるとパスをまわせたのはその2回だけといっても良いほど、雑な中距離のパスを前線に送っては跳ね返される、という繰り返しだった。

前半打てたシュートは、憲剛と内田のミドル、セットプレイから憲剛と山瀬が連続して、そして43分の唯一といっていい流れの中からの崩しで内田、という5本のみ。本来の形を崩して3-5-2で守る韓国の堅陣を崩せなかった。もちろん、敵は韓国であり、バランスをとって守っている状態では、そうそう崩せなくても仕方が無いが、それでもサッカーの「カタチ」、「やろうとしているサッカー」がほとんど見えなかったのでは、心配になってくる。「テスト」起用の故と思いたいところだが。

失点は、憲剛と内田のサイドに一本でパスを通され、内田がケアに出て行くがほとんどフリーであげさせてしまい、中央でクロスする敵FWに今野がつききれず、シュートを浴びて喫したもの。今野のマークミスではあるが、サイドがあまりにフリーで上げさせすぎてしまったという側面もある。ジーコジャパンのボスニア・ヘルツェゴビナ戦でもそうだったが、ボランチとサイドバックの連携が問題になるシーンだ。また、このシーン以外にも、韓国はシンプルで手数をかけない攻めで、数多くのチャンスを作っていた。中澤の鬼気迫る奮闘が光った。


個人勝負、パワープレー~韓国戦後半

後半になって、憲剛がポジションを一つあげる。遠藤、山瀬、憲剛、橋本が1直線にならぶ、啓太の1ボランチのように見える布陣になった。日本は前がかりになり、プレスも高い位置から、早く、速く、そして球際が激しくなった。この辺はハーフタイムの指示でもあろう。1点を取り返さなくてはならないのだから、当然のことでもある。前半にはほとんどなかった、憲剛から内田、加地への大きな展開のパスが、序盤に2本通っている。大きなアーリークロスも入れるようになり、そして、各所で個人個人が勝負を挑むようになっていく。

韓国は中盤の中心であったキャプテン5番を下げ、若い21番に代える。この辺から韓国は展開がやや雑になっていく。日本は憲剛に代えて安田を投入。「展開」ができる憲剛を下げるのは合点がいかなかったが、高い位置での個人勝負を優先させたということだろうか。20分には狙い通りか、ロングボールに田代が競り勝ち、遠藤を経由して安田へ。安田の個人勝負からクロスを入れている(クリアされる)。そして内田が仕掛けてコーナーキックを得、そこから山瀬が目の覚めるようなミドルシュート、ゴール!

33分には橋本に代えて長身の矢野、41分には山瀬に代えて播戸と、終盤はFW3人のパワープレーでなりふり構わず勝負に出たが、得点はならず、タイムアップ。この辺、「テスト」からスタートしつつも勝負に出る岡田監督のバランスが垣間見られて、興味深い。後半になるとほとんどパス回しらしいパス回しはなくなり、奪ってから早く前線に入れて、後は個人勝負という内容になる。結局後半は、セットプレー以外からのシュートはゼロ。アジアでもトップレベルの韓国との試合であり、しかも岡田日本は発足して間もない上に、「テスト」中なのだから、悲観することはない。が・・・。


雲散霧消するオシム・コンセプト

この試合、驚くべきは有効なサイドチェンジがほとんどなかったことだ。私のカウントが正しければ、韓国のプレッシャーが緩んだ後半の37分と39分に計2本あるのみ。オシム時代にあれほど見られたサイドチェンジが、これほどに激減しているのはやはり有意と思えてしまう。あるいはまたオシム日本の特徴であった数多い追い越し、フリーランニング、そして数的優位を作ってのサイドアタックもしかり。アジアの国と戦っていても、大きく特徴が変わっている。現状ではオシム時代から受け継がれた部分は、ほとんど見られなくなった、と言っていいだろう。

岡田サッカーではオシムサッカーの特徴は雲散霧消している。問題は、何故そうなったのか、ということである。岡田監督は、「誰がやってもやることは変わらない。ボールも人も動くサッカー」と就任会見では語っていたが、その後、もと甲府の監督だった大木氏をコーチに招き、「接近、展開、連続」をコンセプトに掲げた。まあ実際は、そういう言葉は重視していないかもしれないが、練習内容も、狭いコートでのパス回しを重視したものに変わっていった。選手間の距離も修正されていった。

その練習で培われたものはまだピッチの上にはあまり見られないが、最も重要なのは、そこで(おそらくは)出された指示に選手が大きく影響されたことだろう。それが、上記の「オシム日本の特徴であったプレー」が激減していることに現れているのだと私は思う。代わりに選手は「接近」=狭いスペースでのパス回しをしようとした、が、韓国人選手の一人ひとりの守備力に、それがかなわなくなった。そして後半は、奪ってからの個人勝負が重視されたサッカーになっていく。つまりもしかすると、今回のサッカーが「岡田監督がやろうとしたことが、それなりにプレスをかけてくる敵と出会うとこうなる」という例であったのかもしれない、ということだ。

ところで、私は岡田監督のサッカーがオシムサッカーの特徴を失っていることを、悪いといっているわけではない。そのような意図で岡田サッカーとオシムサッカーを比較しているのではない。ただ単純に、ここまでを見てくれば違うことは明らかであると言っているのみだ。そして、それは当然でもあると私は思っている。仮にコンセプトが多少近かったとしても、監督が変われば、練習法、指導法、チームマネジメントなど、すべてが変わっていくのであり、前任者のそれを引き継ぐことなど不可能だからだ。監督を選ぶということは、サッカースタイルを選ぶということと同義なのだ。

したがって、ここでわかることは、協会が岡田監督選考の理由の第1としてあげた、

(1)オシム監督が築いてきた土台の上に新しい色、個性を積み上げられる。

が案の定、虚構であったということではないだろうか。もしオシム監督が築いてきたサッカーを継承するのであれば、そういうサッカーを過去に実現したことがある監督を招聘するべきだ。今回協会はそうしなかった。現在受け継がれているのは、単にオシム監督が選考していたメンバーであり、コンセプトではない。その結果が、ピッチの上に色濃く現れている。協会は自らが言及した選考理由の欺瞞に、そろそろ自覚的になるべきではないだろうか。しかしもちろんのことだが、選考経緯に対して岡田監督は責を負うべき立場にはない。岡田監督は、ひとりの代表監督として、単純に是々非々で評価されていくべきだろう。


オシム・コンセプトと日本人選手の特徴

ここで岡田監督の、まず「接近」があるコンセプトについて少しだけ考えておこう。岡田監督はこれを、「日本人選手の特徴である、俊敏さや器用さ、持久力」を生かすためのもの、と考えているようだ。そういった特徴がある日本人選手は、狭いスペースでのパス回しによって相手を引きつけ、打開できる、ということらしい。はたして、岡田監督の考える日本人選手の特徴は正しいのだろうか?そして本当にそれは世界と戦いうるコンセプトになるのだろうか?

私は、「俊敏さや器用さ、持久力」は確かに日本人選手の特徴ではあるものの、もう少し詳しく見ないといけないと思う。オシム前監督や、海外のサッカー指導者が、「日本人選手は、敵がいない時のボール扱いはうまいが、試合になるとそれができなくなる」という趣旨のことを言っていることをご存知の方も多いだろう。日本人選手は器用であるとは言っても、世界レベルで見れば、クローズドスキルは高いが、オープンスキルに問題がある、ということだ。それを加味して考えると、どういうことになるか。

オシム監督のサッカーの特徴は、以下の通りである。

1)すばやい守→攻の切り替え
2)数多いフリーランニング・追い越し
3)数的有利を作ってのサイドアタック
4)DFラインからの攻撃参加
5)ピッチを広く使うこと、頻繁なサイドチェンジ

5)は、アジアカップや欧州遠征を通して見えてきた特徴であるので、今回加えておきたいと思う。さて、上記オープンスキルの問題点を意識した上でこれを見ると、オシム監督は「選手にいかにフリーでボールを扱わせるか」を非常に重視しているのだということがわかるのではないだろうか。サイドチェンジによって逆サイドのフリーな選手に渡し、詰められればバックパスし、あるいは追い越していく選手によって数的優位を作り出す。1vs2の状況が作れれば、それは一人はフリーになれるということでもある。フリーランニングも、数多い「追い越し」も狙いはそこだろう。

それは、岡田監督の「接近、展開、連続」という文脈に当てはめて考えると、まず「展開」を重視するということになる。無理な体勢でシュートを打つよりも、展開をしてフリーな状態の選手を作るほうが有益だ、という考え方。そうして展開に展開を重ね、敵陣に近づいたところで、技術のある選手が「接近」、最後の一刺しを添える。日本人選手の「クローズドスキルは高いが、オープンスキルに問題がある」という点を考えると、これは一つの理にかなったやり方ではないだろうか。

そして、時系列で考えると、まずは国内の選手で時間のかかる「連動した展開」を完成させる。そこに高原や中村俊輔という、最後の「接近」要員を組み込んでいくために、アジアカップを「使う」。それができあがれば、さらに大久保や山瀬、松井や稲本を組み合わせていく。上記の日本選手の特徴を考え合わせると、そのような行程がはっきりと見えてくる。山岸や羽生は、その「連動した展開」の受け手としてオシム監督に起用されたのであり、「接近」を強要するのは、役割とミスマッチであることは、普通わかるだろう。この人以外は


そして、ゼロ地点へ

私は、オープンスキルに問題のある日本人選手の特徴を考えると、「接近」を重視するよりも、まずは全員での連動した「展開」から入って、最後に「接近」を行う方が、ロジカルであると思えてならない。であるからこそ07アジアカップでは、実力的には日本とほぼ互角であろうサウジやオーストラリア、韓国に対して、ポゼッション率で大きく上回ることができたのだと思う(敵が10人になる前から、ポゼッションしていたのは日本であった)。そしてそこでの連動性ができていれば、2、3人の「接近」要員は、入れ替え可能で組み合わせることができるということだろう。

しかし、岡田監督のサッカーは「展開」重視のオシムサッカーとは相当に様変わりしているものである(すくなくとも、現時点までは)。そう考えると、オシム時代のメンバーを基本的に引き継いでいるのが、むしろ問題となってくる。岡田監督のサッカーと、オシム監督のサッカーでは、必要とする選手が違うのだ。本当はもっと、入れ替えていくべきではないか。いや、これから岡田監督はおそらくそうするだろう、と私は予測する。そういう意味では東アジア選手権は、岡田日本代表がそのコンセプトと、必要な選手を見定めた、ゼロ地点の確認のための大会となった、と言えるのではないだろうか。

まず守備面においての「接近」がより可能な、中盤でのしっかりした守備力を持った選手が必要になってくるだろう。すぐにイメージできるのが、アントラーズの小笠原だ。もともとCMF的に、ガツンと奪いに行ってそこからのダイレクトプレー(ゴールを一直線に目指すプレー)が得意な選手だったが、イタリアに行って磨きがかかった。代表経験も十分で、クラブではリーダーでもある。おそらく、岡田監督はすぐにでも彼を必要とするのではないか、と思う。

また、日本人選手の中でも細かい局面でのプレーがうまい選手を入れていくことも考えられる。筆頭は小野だが、他にも松井や水野、そして日本に帰ってくる三都主あたりも、その仲間に入ってくるだろう。岡田日本になって以来右サイドを任されている内田や、大活躍の山瀬、安田と同じようなプレーができる選手たちだ。狭いスペースでパスをまわし、彼らが個人で勝負していくサッカー。岡田監督は、これからそういった選手たちを選考していかざるをえなくなるのではないだろうか。

そのこと自体には是も非もない。代表監督が自分の考えるコンセプトに即した選手と入れ替えていくのは、当然のことだろう。ただ、岡田監督の採ろうとするコンセプトが、本当に日本にあっているものなのか。そしてそれが世界と戦いうるものなのかどうか。これから予選を戦いながらも、本当の目標である「2010年大会でのインパクト」を考えるならば、そこが注視されていかなければならないだろう。

なにはともあれ、異常に性急なスケジュール、シーズン前の苦しい時期、そしてあの過酷なアウェーで戦いぬいた選手、監督、関係者の皆さんには、本当に御疲れさまと言いたい。そして、ゼロ地点からの航路が順調なものであり、実りが多からんことを祈りたいと思う。

それではまた。

04:58 PM [岡田日本代表] | 固定リンク

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