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February 28, 2008

そして、ゼロ地点へ

東アジア選手権が終わった。韓国戦が引き分けに終わり、優勝がなくなったあとの岡田監督の、怒ったような表情のインタビューには私も共感した。「岡田監督、勝ちたかったんだなあ」と感じさせる表情、声だった。ただ、しっかりとこの大会を勝ちに行く、という選手起用ではなかったのも確かだろう。北朝鮮戦も「テスト」での起用が多すぎてうまくいくはずがない編成だったし、韓国戦でもこれまで試したことがない橋本の2列め起用を行っている。これはどうも、「連れて行った選手、全員を起用する」という発言(スポーツ紙の記事だが)の通りにしたと推測するしかない。

怪我や不調で主力級の選手を欠いているためにそうしたのか、オシム監督から引き継いだチームの選手を、出場機会の少なかった選手まで試合で試してみたいという意向が、もともと岡田監督にあったのかどうかは、わからないところだ。しかし終わってみると、この大会はあくまで「テスト」の大会だったと位置づけられていたということになるだろう。

もちろん、就任時期、状況から考えても、この大会の優勝は岡田監督のミッション(果たすべき使命)ではないのだから、そのように大会を「使う」こと自体はなんら問題ではない。オシム監督がアジアカップをチーム強化のために「使った」ように、果たすべきミッションのために、中長期的にどのように計画、マネジメントしていくかは、代表監督が自らの権限、責任において行っていくことだ。オシム監督のアジアカップもそうだが、岡田監督の今回のマネジメントも、そしてそこでの結果も、そういう意味ではなんら問題のないものだと、私は思う。

「テスト」は行う、そのために機能しないかもしれない組み合わせでもあえて試す、しかし、優勝がかかる試合終盤では、FWを3人投入し、パワープレイを敢行する。この、中期計画と、眼前の勝利へのこだわりは、岡田監督らしく、興味深い。ただ、そうすることで本来の「コンセプト」が薄れていった、見られる機会が減っていたように思えることが、大丈夫なのかと少し心配になる。まあ、阿部や高原、巻、大久保といった、タイ戦での先発メンバーが帰ってくれば、また本来のコンセプトが戻ってくるのかもしれないが・・・。

いや、この大会でのサッカーこそが、岡田監督のコンセプトにかなり近いものだという可能性はないだろうか?


シンプルな韓国~韓国戦前半

Korea韓国戦は、4-2-3-1の「3」の一角で、慣れない橋本を初先発させた影響もあっただろうか、なんともまずい立ち上がりとなってしまった。韓国がバランスを取って待ち構えているところへ、選手の動きだしがなく、スペースを作り、使う動きも無いために、なかなかボールが前に運べない。後藤健生氏が7分(正確には6分だと思う)と12分の日本のパス回しを取り上げて褒めているのだが、見直してみるとパスをまわせたのはその2回だけといっても良いほど、雑な中距離のパスを前線に送っては跳ね返される、という繰り返しだった。

前半打てたシュートは、憲剛と内田のミドル、セットプレイから憲剛と山瀬が連続して、そして43分の唯一といっていい流れの中からの崩しで内田、という5本のみ。本来の形を崩して3-5-2で守る韓国の堅陣を崩せなかった。もちろん、敵は韓国であり、バランスをとって守っている状態では、そうそう崩せなくても仕方が無いが、それでもサッカーの「カタチ」、「やろうとしているサッカー」がほとんど見えなかったのでは、心配になってくる。「テスト」起用の故と思いたいところだが。

失点は、憲剛と内田のサイドに一本でパスを通され、内田がケアに出て行くがほとんどフリーであげさせてしまい、中央でクロスする敵FWに今野がつききれず、シュートを浴びて喫したもの。今野のマークミスではあるが、サイドがあまりにフリーで上げさせすぎてしまったという側面もある。ジーコジャパンのボスニア・ヘルツェゴビナ戦でもそうだったが、ボランチとサイドバックの連携が問題になるシーンだ。また、このシーン以外にも、韓国はシンプルで手数をかけない攻めで、数多くのチャンスを作っていた。中澤の鬼気迫る奮闘が光った。


個人勝負、パワープレー~韓国戦後半

後半になって、憲剛がポジションを一つあげる。遠藤、山瀬、憲剛、橋本が1直線にならぶ、啓太の1ボランチのように見える布陣になった。日本は前がかりになり、プレスも高い位置から、早く、速く、そして球際が激しくなった。この辺はハーフタイムの指示でもあろう。1点を取り返さなくてはならないのだから、当然のことでもある。前半にはほとんどなかった、憲剛から内田、加地への大きな展開のパスが、序盤に2本通っている。大きなアーリークロスも入れるようになり、そして、各所で個人個人が勝負を挑むようになっていく。

韓国は中盤の中心であったキャプテン5番を下げ、若い21番に代える。この辺から韓国は展開がやや雑になっていく。日本は憲剛に代えて安田を投入。「展開」ができる憲剛を下げるのは合点がいかなかったが、高い位置での個人勝負を優先させたということだろうか。20分には狙い通りか、ロングボールに田代が競り勝ち、遠藤を経由して安田へ。安田の個人勝負からクロスを入れている(クリアされる)。そして内田が仕掛けてコーナーキックを得、そこから山瀬が目の覚めるようなミドルシュート、ゴール!

33分には橋本に代えて長身の矢野、41分には山瀬に代えて播戸と、終盤はFW3人のパワープレーでなりふり構わず勝負に出たが、得点はならず、タイムアップ。この辺、「テスト」からスタートしつつも勝負に出る岡田監督のバランスが垣間見られて、興味深い。後半になるとほとんどパス回しらしいパス回しはなくなり、奪ってから早く前線に入れて、後は個人勝負という内容になる。結局後半は、セットプレー以外からのシュートはゼロ。アジアでもトップレベルの韓国との試合であり、しかも岡田日本は発足して間もない上に、「テスト」中なのだから、悲観することはない。が・・・。


雲散霧消するオシム・コンセプト

この試合、驚くべきは有効なサイドチェンジがほとんどなかったことだ。私のカウントが正しければ、韓国のプレッシャーが緩んだ後半の37分と39分に計2本あるのみ。オシム時代にあれほど見られたサイドチェンジが、これほどに激減しているのはやはり有意と思えてしまう。あるいはまたオシム日本の特徴であった数多い追い越し、フリーランニング、そして数的優位を作ってのサイドアタックもしかり。アジアの国と戦っていても、大きく特徴が変わっている。現状ではオシム時代から受け継がれた部分は、ほとんど見られなくなった、と言っていいだろう。

岡田サッカーではオシムサッカーの特徴は雲散霧消している。問題は、何故そうなったのか、ということである。岡田監督は、「誰がやってもやることは変わらない。ボールも人も動くサッカー」と就任会見では語っていたが、その後、もと甲府の監督だった大木氏をコーチに招き、「接近、展開、連続」をコンセプトに掲げた。まあ実際は、そういう言葉は重視していないかもしれないが、練習内容も、狭いコートでのパス回しを重視したものに変わっていった。選手間の距離も修正されていった。

その練習で培われたものはまだピッチの上にはあまり見られないが、最も重要なのは、そこで(おそらくは)出された指示に選手が大きく影響されたことだろう。それが、上記の「オシム日本の特徴であったプレー」が激減していることに現れているのだと私は思う。代わりに選手は「接近」=狭いスペースでのパス回しをしようとした、が、韓国人選手の一人ひとりの守備力に、それがかなわなくなった。そして後半は、奪ってからの個人勝負が重視されたサッカーになっていく。つまりもしかすると、今回のサッカーが「岡田監督がやろうとしたことが、それなりにプレスをかけてくる敵と出会うとこうなる」という例であったのかもしれない、ということだ。

ところで、私は岡田監督のサッカーがオシムサッカーの特徴を失っていることを、悪いといっているわけではない。そのような意図で岡田サッカーとオシムサッカーを比較しているのではない。ただ単純に、ここまでを見てくれば違うことは明らかであると言っているのみだ。そして、それは当然でもあると私は思っている。仮にコンセプトが多少近かったとしても、監督が変われば、練習法、指導法、チームマネジメントなど、すべてが変わっていくのであり、前任者のそれを引き継ぐことなど不可能だからだ。監督を選ぶということは、サッカースタイルを選ぶということと同義なのだ。

したがって、ここでわかることは、協会が岡田監督選考の理由の第1としてあげた、

(1)オシム監督が築いてきた土台の上に新しい色、個性を積み上げられる。

が案の定、虚構であったということではないだろうか。もしオシム監督が築いてきたサッカーを継承するのであれば、そういうサッカーを過去に実現したことがある監督を招聘するべきだ。今回協会はそうしなかった。現在受け継がれているのは、単にオシム監督が選考していたメンバーであり、コンセプトではない。その結果が、ピッチの上に色濃く現れている。協会は自らが言及した選考理由の欺瞞に、そろそろ自覚的になるべきではないだろうか。しかしもちろんのことだが、選考経緯に対して岡田監督は責を負うべき立場にはない。岡田監督は、ひとりの代表監督として、単純に是々非々で評価されていくべきだろう。


オシム・コンセプトと日本人選手の特徴

ここで岡田監督の、まず「接近」があるコンセプトについて少しだけ考えておこう。岡田監督はこれを、「日本人選手の特徴である、俊敏さや器用さ、持久力」を生かすためのもの、と考えているようだ。そういった特徴がある日本人選手は、狭いスペースでのパス回しによって相手を引きつけ、打開できる、ということらしい。はたして、岡田監督の考える日本人選手の特徴は正しいのだろうか?そして本当にそれは世界と戦いうるコンセプトになるのだろうか?

私は、「俊敏さや器用さ、持久力」は確かに日本人選手の特徴ではあるものの、もう少し詳しく見ないといけないと思う。オシム前監督や、海外のサッカー指導者が、「日本人選手は、敵がいない時のボール扱いはうまいが、試合になるとそれができなくなる」という趣旨のことを言っていることをご存知の方も多いだろう。日本人選手は器用であるとは言っても、世界レベルで見れば、クローズドスキルは高いが、オープンスキルに問題がある、ということだ。それを加味して考えると、どういうことになるか。

オシム監督のサッカーの特徴は、以下の通りである。

1)すばやい守→攻の切り替え
2)数多いフリーランニング・追い越し
3)数的有利を作ってのサイドアタック
4)DFラインからの攻撃参加
5)ピッチを広く使うこと、頻繁なサイドチェンジ

5)は、アジアカップや欧州遠征を通して見えてきた特徴であるので、今回加えておきたいと思う。さて、上記オープンスキルの問題点を意識した上でこれを見ると、オシム監督は「選手にいかにフリーでボールを扱わせるか」を非常に重視しているのだということがわかるのではないだろうか。サイドチェンジによって逆サイドのフリーな選手に渡し、詰められればバックパスし、あるいは追い越していく選手によって数的優位を作り出す。1vs2の状況が作れれば、それは一人はフリーになれるということでもある。フリーランニングも、数多い「追い越し」も狙いはそこだろう。

それは、岡田監督の「接近、展開、連続」という文脈に当てはめて考えると、まず「展開」を重視するということになる。無理な体勢でシュートを打つよりも、展開をしてフリーな状態の選手を作るほうが有益だ、という考え方。そうして展開に展開を重ね、敵陣に近づいたところで、技術のある選手が「接近」、最後の一刺しを添える。日本人選手の「クローズドスキルは高いが、オープンスキルに問題がある」という点を考えると、これは一つの理にかなったやり方ではないだろうか。

そして、時系列で考えると、まずは国内の選手で時間のかかる「連動した展開」を完成させる。そこに高原や中村俊輔という、最後の「接近」要員を組み込んでいくために、アジアカップを「使う」。それができあがれば、さらに大久保や山瀬、松井や稲本を組み合わせていく。上記の日本選手の特徴を考え合わせると、そのような行程がはっきりと見えてくる。山岸や羽生は、その「連動した展開」の受け手としてオシム監督に起用されたのであり、「接近」を強要するのは、役割とミスマッチであることは、普通わかるだろう。この人以外は


そして、ゼロ地点へ

私は、オープンスキルに問題のある日本人選手の特徴を考えると、「接近」を重視するよりも、まずは全員での連動した「展開」から入って、最後に「接近」を行う方が、ロジカルであると思えてならない。であるからこそ07アジアカップでは、実力的には日本とほぼ互角であろうサウジやオーストラリア、韓国に対して、ポゼッション率で大きく上回ることができたのだと思う(敵が10人になる前から、ポゼッションしていたのは日本であった)。そしてそこでの連動性ができていれば、2、3人の「接近」要員は、入れ替え可能で組み合わせることができるということだろう。

しかし、岡田監督のサッカーは「展開」重視のオシムサッカーとは相当に様変わりしているものである(すくなくとも、現時点までは)。そう考えると、オシム時代のメンバーを基本的に引き継いでいるのが、むしろ問題となってくる。岡田監督のサッカーと、オシム監督のサッカーでは、必要とする選手が違うのだ。本当はもっと、入れ替えていくべきではないか。いや、これから岡田監督はおそらくそうするだろう、と私は予測する。そういう意味では東アジア選手権は、岡田日本代表がそのコンセプトと、必要な選手を見定めた、ゼロ地点の確認のための大会となった、と言えるのではないだろうか。

まず守備面においての「接近」がより可能な、中盤でのしっかりした守備力を持った選手が必要になってくるだろう。すぐにイメージできるのが、アントラーズの小笠原だ。もともとCMF的に、ガツンと奪いに行ってそこからのダイレクトプレー(ゴールを一直線に目指すプレー)が得意な選手だったが、イタリアに行って磨きがかかった。代表経験も十分で、クラブではリーダーでもある。おそらく、岡田監督はすぐにでも彼を必要とするのではないか、と思う。

また、日本人選手の中でも細かい局面でのプレーがうまい選手を入れていくことも考えられる。筆頭は小野だが、他にも松井や水野、そして日本に帰ってくる三都主あたりも、その仲間に入ってくるだろう。岡田日本になって以来右サイドを任されている内田や、大活躍の山瀬、安田と同じようなプレーができる選手たちだ。狭いスペースでパスをまわし、彼らが個人で勝負していくサッカー。岡田監督は、これからそういった選手たちを選考していかざるをえなくなるのではないだろうか。

そのこと自体には是も非もない。代表監督が自分の考えるコンセプトに即した選手と入れ替えていくのは、当然のことだろう。ただ、岡田監督の採ろうとするコンセプトが、本当に日本にあっているものなのか。そしてそれが世界と戦いうるものなのかどうか。これから予選を戦いながらも、本当の目標である「2010年大会でのインパクト」を考えるならば、そこが注視されていかなければならないだろう。

なにはともあれ、異常に性急なスケジュール、シーズン前の苦しい時期、そしてあの過酷なアウェーで戦いぬいた選手、監督、関係者の皆さんには、本当に御疲れさまと言いたい。そして、ゼロ地点からの航路が順調なものであり、実りが多からんことを祈りたいと思う。

それではまた。

04:58 PM [岡田日本代表] | 固定リンク | トラックバック (0) |

February 22, 2008

協会は断固たる態度をとるべきだ

私は、こちらに書いたように、AFC内での中東の発言力に対抗するために東アジアサッカー連盟を発足させたことには、それなりに理解できるところもあると考えていた。

しかし、昨夜の中国戦を見た後では、もはやそんなことを言っている場合ではない。

中国に反日感情があろうとなかろうと、あのようなサッカーは許してはいけない。日本協会は中国チームに対し厳重に抗議するべきであり、そのような試合を許したジャッジ、および審判を選定、配置した大会実行委員会、ひいては東アジアサッカー連盟にも断固たる態度で臨むべきだ。川淵キャプテンは、

川淵: ああいうレフェリーのひどさは最近見たことがない。あれは完全にレッド。黙って見ている手はない。放置するのもよくないい

コメントし、東アジアサッカー連盟に「事情聴取を求める」という。これはしごくまっとうなことであり、あたりまえでもあるだろう。ただ、「説明を求める」というのではいかにも甘すぎないだろうか。また、こちらでは、

協会からは、中国選手のラフプレーに対する抗議ではなく、危険なプレーを放置するなどした審判の判断について抗議を行うよう伝えたという。

という情報もある。さらに、これまでの協会の「餃子を食え」発言などを鑑みると、協会上層部は「友好のため」などと言って問題をうやむやにしてしまいかねないと感じる。かつては川淵氏はこのようなことも言っていたのだ。

二宮: アジア外交が行き詰っている日本にあって、サッカーだけがうまくいっている。これもぜひ発展させて欲しい。

川淵: 同じ話をソニーの出井伸之さん、電通の成田豊さんからも要請されました。「今、日・中韓の関係が悪いので、サッカーで積極的な交流を図りましょう」と。その第一陣として韓国、中国の協会会長にホーム&アウェイでの試合を持ちかけた。8月7日に中国の秦皇島で行われたU-21の試合もその一環です。

サッカーと政治を混同してはいけない。親善はけっこうなことだが、それよりも選手の安全の方がはるかに重いはずだ。中国戦では、まるでサッカーとはいえない危険なプレーが横行し、あれでは選手生命を失ってもおかしくない。「友好のため」に選手の安全を危機にさらす資格など、誰にもないはずだ。協会トップは、選手のこと、ひいては日本サッカーのことを考えるなら、今回の件についてただ事情説明を求めるだけでなく、もっと問題を重く捉えるべきではないか。

具体的には、まず中国戦についての謝罪は当然として、審判の資格停止を求め、かつ今後は公平を期すため、および選手を守るために、大会に欧州の審判を呼ぶことを主張するべきだろう。そして、それが聞き入れられないならば、東アジア連盟から脱退する、と宣言するくらいまでしたほうがよい。中国や韓国が東アジア連盟を大事だと思うのなら、即刻現在の態度を改めなければならないのだと教えてやらなければならないだろう。

このような悪質な反則、それを許す審判が横行するのが東アジア連盟であり、東アジア選手権であるのなら、そこにとどまる価値はもはやないはずだ。AFC内の発言力の向上?どんなことも、選手の安全を上回る価値があるはずがないではないか。一時的には東アジアで孤立するかもしれないが、AFC内には留まれるのであるし、今回の試合の悪質さをFIFAに訴えるなどすれば、実質的な問題はほとんどないはずだ。

日本協会は、日本の選手を守るために、すぐにでも具体的な、かつ断固たる行動に出るべきだ。


「疎」の罠~中国戦前半

さて、試合である。まずは、あのような劣悪中の劣悪な環境で冷静に戦いぬいた選手、監督、関係者の皆さんに敬意を表したい。ありがとう、御疲れさまでした。

China中国は、4バックをライン状にし、押し上げてくるという、欧州人監督が指導するアジアらしいやり方を採ってきた。北朝鮮のような、試合をクロースするようなやり方ではなく、ある程度オープンに、真っ向勝負に出てきたと言っていいだろう(ただし、もちろんそれは前半限定のことではある。試合内容に関しては、後半の「サッカーをしていない」時間帯のことは除きます)。こういう相手とは、日本は「かみ合う」試合展開となりやすい。

日本は憲剛、山瀬が復帰、左サイドも「テスト」の加地ではなく、駒野が起用され、前の試合で失った連動性をやや取り戻していた。それと中国の「オープンな」やり方がかみ合って、前半から北朝鮮戦よりはずっと良い試合を展開することができていた。また、漫然と試合に入った前試合とはうって変わって、この試合では日本選手も気合十分、キックオフから高めでプレスし、球際の当たりあいでも負けず、ペースを明け渡さないという闘志を十分に感じることができた。

しかし、それはやや裏目に出てしまう。日本は高め、高めから守備時の「接近」=プレスをかけようとしていくのだが、それをかいくぐられると、その後ろでボランチ16番をフリーにしてしまうことが多くなってしまったのだ。そこから正確、かつパワフルなロングボールを入れられ、それをものにする競り合いで体幹の強さに吹っ飛ばされ、あるいは走力で振り切られ、前半の日本はサイドからクロスをかなり多く浴びてしまう。特に内田のサイドが火だるまにされた。楢崎はこの辺、大活躍だった。

守備時の「接近」=プレスは、密集するからこそ、その外側には「疎」を作り出してしまい、一旦突破されると一気に危機になる可能性がある。それを避けるには、ファーストプレスとセカンドプレスの連動性、秩序が必要なのだが、この試合の前半にはそれはあまりできていなかったと言えるだろう。また、「接近」している場合には、大きめにこぼれたセカンドボールを拾いにくくなるという欠点も、この試合の前半には見せていたように思う。


欠点の多すぎる中国選手

中国は前半このように、走力やあたりの強さ、筋力に裏打ちされたロングキックなど、フィジカル的な強さを前面に出して戦ってきた。これは、10年前に岡田監督がダイナスティ杯で戦った時も、まさに同じであり、中国の伝統的なスタイルと言っていいだろう。体の強さは他でも表れ、サイドをゴリゴリとこじ開けた後、無理な体勢からでもかなりよいクロスを上げていた。

しかし、欧州人監督が指導したがるフラットな4バックを遂行するには、彼らには欠点が多すぎると感じた。一人ひとりの視野が狭く、ゾーンで守備をするのに適していない。ボールウォッチャーになりがちで、かつ集中も欠きがち。日本もかつてはそうだったのだが、中国と比べるとこちらは格段に向上していることがよくわかる。また、どうしても個人で守ろうとしてしまい、組織への貢献意識が薄い。このあたりは、日本人選手とは反対であり、我々の持つ美点と言ってよいのではないか、と思う。

さて、得点は17分。安田が拾ってからのカウンター、山瀬、田代が絡み、遠藤がボールを駒野へ、左サイドを切り込んでからクロスをあげると、ニアで田代がつぶれ、GKがファンブル、こぼれ球が山瀬の元へ。この時、敵ボランチ15番はペナルティエリア角にいるが、山瀬には誰もついておらずフリー、そこからシュート、ゴール!山瀬の落ち着き、シュート技術がよく出たゴールシーンだった。と同時に、中国DFのボールウォッチャー癖を良くつき、フリーになった山瀬の動きもよかったと言えるだろう。

この辺は後半にもつながるのだが、中国はそろそろ選手育成について、もう少し真剣に考える必要があるのではないか。攻撃的選手についてはともかく、守備のこうした癖は、育成でかなり矯正できる部分でもあろう。十年一日のごとく、こういった部分がレベルアップしていかないのでは、ここ数年向上してきたアジア中堅国たちにおいていかれるのも時間の問題だ。そしてメンタル、フェアプレイ精神については言わずもがな。ここを放置していると、本当にアジアの中でも弱小へと転落していくだろう。まあ自ら望んでそうするのだろうから、救いようはないわけであるが。


後半の修正と、カンフーサッカー

後半に日本は修正を施した。前半の守備時に「接近」しすぎる部分を改め、一発で奪いに行こうとせずにバランスを保つ。これによって16番のフリー状態を解消し、そこからのロングボールを封じる。また、敵陣裏にスペースがあるからといって攻め急がず、じっくりとボールをつなぐことを優先した。これらの修正によって、前半の欠点はほぼ解消され、日本は大きくペースを引き戻す。この辺の修正は、岡田監督はやはりうまい。

また、前半飛ばしすぎたのだろう、中国のプレスが一歩、二歩遅れはじめる。そうすると憲剛や遠藤、啓太あたりがボールを離した後のパス&ゴーで敵陣に走りこむ姿も散見されるようになった。オシム時代には常態だったそれが、少しずつとは言え戻ってきたことは、素直にうれしかった。これによって、パスコースが創出され、さらに日本のポゼッションが高まっていく。やや「接近」を控えめにしたことで、「展開」重視のサッカーに近づいたともいえるだろうか。

しかし、もうここからはサッカーにならなくなっていく。列記するのも馬鹿らしいが、安田へのとび蹴りは、決定的な得点機会阻止という点だけでも一発レッドだし、それ以上にあのようなサッカーはといえない危険な行為が許されていいはずはない。また、田代のシュートはオフサイドではない。本来ならば2-0であるのみならず、中国は何人も退場を出しているはずだ。中国の選手たちのメンタルの幼稚さは、本当にどうしようもない。それを助長した北朝鮮人審判も本当に許しがたい。しかし私が最も強く感じるのは、それを乗り越え、冷静にこの試合を乗り切った、闘う姿勢にあふれた選手たちへの誇りである。

最後に選手個人への感想を少し。田代はよかった。難しい1トップをこなし、巻のライバルとしては、十分以上の存在感を見せた。楢崎も素晴らしい安定ぶり。中澤は言うまでもないが、今野がまたよかった。ボランチとセンターバックとサイドバックの中間のようなプレイだが、それがはまった。安田は素晴らしいのだが、大久保や田中達、寿人といったライバルが復帰してきてもこのポジションなのだろうか?内田は、やはり守備面での不安がでたが、いまはこれをいい経験としていけばいいだろう。

しかし、本当に中国(そして北朝鮮の主審)は許しがたい。ただ、2004年の重慶でもそうだったように、この経験はきっと選手の糧になり、チームを一つにしていくように思う。前回のような「ベテラン」役があまりおらず、むしろレギュラー格が欠け、経験の浅い選手が加わっているということを考えると、さらによい経験になるかもしれない。ただしもちろん、怪我がなければ、の話ではある。

韓国戦が良い強化になり、そして何より無事に終わることを祈る。

それではまた。

02:25 PM [岡田日本代表] | 固定リンク | トラックバック (1) |

February 18, 2008

コンセプトか、テストか(東亜杯北朝鮮戦)

Dprkoreaおそらくは、岡田監督としては「バックアッパーのテストは行いたい。それならば、対戦相手の実力が最も劣る北朝鮮戦がベスト」という考え方だったのではないだろうか。多くの新顔、新機軸をピッチに送り出した。布陣はタイ戦までの流れをくむワンボランチ型だったが、GKに川島、CBに水本、左サイドに加地のコンバート、右サイドは内田、2トップが播戸と田代という、初先発や経験の浅い選手のオンパレード。結果、前半はなんとも残念な試合内容となった。

前半は「接近」も「展開」もほとんどない、「ボールも人も動かない」サッカーだった。オシム日本の特徴だった「動き出し」が激減していることが、なんとも残念だった。直前に憲剛が発熱してリタイヤしたのは計算外だったようだが、このワンボランチの布陣は左右の「2.5列目」とでも言うべきMF、遠藤と憲剛のポジションが非常に重要だということを、あらためて確認させられた。憲剛の代わりに入ったのは山岸だったが、役割に対して明らかにミスマッチで、つなげない、展開できない、そこで時間が作れないので動き出せない、という悪循環になっていた。

チームにボールを「展開」できる選手が遠藤一人しかいない。また、チーム全体としてのサポートやオーバーラップのやり方も統一されておらず、ワンタッチではたいてパス&ゴー、といった山岸や羽生の得意なプレーも、はたくべき相手がまわりにいないのでは、見せることができない。この日の前半ほど、動き出せない彼らを見るのは初めてだ。そもそも山岸や羽生は、「展開」を重視するオシム監督であったから、その受け手として動き出しの早さが生きたのであって、このチームのやり方には合わないように思う。

そうこうしているうちに、チョン・テセにボールが入り、水本がマークしていたが芝に脚が合わなかったか滑って振り切られ、加地(2/19 10:00訂正)と内田が対応するが強引に切り込まれシュートされ、決められてしまう。ワンボランチの問題が出たという指摘もあるだろうが、この局面では人数は揃っており、水本の経験不足、内田、加地(コンバート)の連携不足などが複合して出たというべきだろう。このシーン以外でも、カウンターを食らってシュートや、危険な状態まで持ち込まれることが何度もあった。


受けに回るメンタリティ

また、布陣や選手起用の問題以外で、選手が北朝鮮に対して「受けて」しまっていたのが気になったところでもある。選手間でのゲームプランの意識統一がない、というか。結果、前線から運動量豊富にプレスしてくる北朝鮮相手に、ボールをどんどん下げざるを得ず、ほとんど攻撃の糸口さえ見つからない状態だった。ただ、北朝鮮も飛ばしていたので、「後半にはペースが落ちるだろうな」という予想はついた。この後、30分くらいに遠藤が下がって啓太とダブルボランチを形成し、試合は落ち着きを見せ始める。

岡田監督は試合後の会見

岡田監督: (北朝鮮は)立ち上がりはもうちょっと下がって守ってくるのかと思ったら、プレッシャーをかけてきたので、最初10分くらいは選手が怖がったところがあった。

と語っているが、本音だとしたら私には少々意外である。これまでの対戦では北朝鮮は序盤からアグレッシブに出てくるイメージがあったからだ。

また、もう言うまでもないことだが、「大会の初戦」は選手の気持ちの持っていきようが難しいもの。べストのなのはいきなり強い相手とあたってしまうことなのだが、この大会では対戦3か国中おそらく力が劣るであろう北朝鮮が相手となる(これはドイツW杯と同じパターンだ)。こういう場合、選手はなんとなく漫然と試合に入ってしまうことが多い。そもそもテストなのか勝負なのか、意義がわかりにくい大会であり、この状態はある程度予想がつくことでもある。そういうチームのメンタルの状態を観察して、適切な対処を取り、選手にうまく試合に「入らせる」モチベーション・コントロールも、監督の重要な能力の一つだ。


後半開始~ハーフタイムの「檄」

後半開始から、日本の攻撃が様変わりする。いきなり右サイドで内田が羽生とのワンツーで仕掛けていったのを見てもわかるように、「サイドで基点ができたら前線が動き出せ」という指示があっただろうと思う。

岡田監督: (ハーフタイムで強いことを言ったか?)ボール際で負けているということは言ったけれど、ちょっとやり方をみんな勘違いしていた。まあ(やり方については)次の試合があるので言えないんですけど。

ここで前線の動きが活発化、北朝鮮の動きが落ちたこともあって、ようやくボールがつながるようになる。また、遠藤が下がったことで中盤の布陣がボックス型になり、全体として左右のサイドに人数をかけることができるようになった。これによってサイド攻撃も多少効率よくできるようになり、日本の攻撃が次第に有効になり始める。

この辺、試合が始まってから戦いの流れを見極め、必要な手を打つことに関しては、岡田監督の能力は高いように私には思える。タイ戦でもハーフタイムでの指示から流れが非常に改善されたし、チリ戦でも、羽生と大久保を投入し、羽生を「前線へではなく、ボランチの左右のスペースに」走らせるようにしてから、大久保のシュートを何本か導き出している。北朝鮮戦の引き分けも、そういう意味では「リアリスティック」な引き分けと言うことができるだろう。


安田のビッグプレー

Dprkorea2その際たるものが、前田、安田の同時投入だろう。前線でやわらかいボールタッチにより、ボールを落ち着かせることのできる前田、そしてドリブルで仕掛けていける安田(本来は左サイドバック)。「接近」に強みを持つ二人の投入で、改善されつつあったサイド攻撃は、さらに活性化した。その流れの中、安田が左サイドで勝負、あげたクロスを北朝鮮GKがはじき、こぼれが前田の前に浮き、ヘディングシュート、ゴール!不慣れなポジションでの起用だが、安田は良い仕事をした。

このゴールについて、岡田監督は

岡田監督: 向こうに先制点を奪われて、1対1で勝負できる選手というのが必要だと思いました。今回はミチ(安田)が一番勝負できるので(投入した)。嘉人(大久保)とかいれば勝負できるんですけど。

と、「(引かれた相手には)勝負できる選手が必要だ」と考えているようだ。私はそのような考え方も否定しないが、それは個人能力で上回れるか、拮抗できるアジア相手なら通用しても、対世界ではどうだろうか?と思う。以下はオシム時代のアジアカップにおける中村俊輔選手の言葉だ。

中村俊輔: 前(ジーコ時代)の代表は、選手のタイプにあわせたシステムで戦っていたから、誰かがビックプレーをするとか、ヒーローが出ないと勝てないような状態だった。セットプレー頼みというのは変だけど、セットプレーで得点するとかね。でも今(オシム時代)の代表はボールがキープでき、パスも出せ、そのうえ走れるという選手が揃っている。選手それぞれが走って、連動して、ボールをゴール前に運んでいく。だから、誰か一人がビックプレーをする必要がない。選手それぞれの力を合わせて戦っていくという感じなんです。

個人的にはやはり、連動した「ボールも人も動くサッカー」の上に、そういう「個の勝負」が局面で活かされるような形が望ましいと思う。


コンセプトなしのテスト?

この試合に関しては、冒頭に書いたように「テストするべき試合で、なるべく多くの選手を試した」と考えれば、問題はなく、収穫は多かったとも言えるだろう。この後中国、韓国と次第に強くなっていく相手と戦うわけで、ここで得られたデータを持って、次第にチームを仕上げていくのであればそれでかまわないと言えるかもしれない。

ただ私は個人的には、「サブのテストも、基本となるやり方があってこそ有効となる」と考えている。これは、トルシェ監督やオシム監督といった「コンセプト先行型」の監督を私が支持する/した理由でもある。日本代表は、アジアの戦いにおいて「結果」だけ出せばよいと考えているわけにはいかないという、特殊な立場である。そこでいかに「世界」へ通じる「内容」を積み上げて行けるか、を見ていかなくてはならない。そうなると、そこで必要となるのは大きな「コンセプト」、たどり着くべき地点のはっきりとしたイメージではないかと思うのだ。

そうしたコンセプトを持ち、チームをそれに近づけていくことを優先する監督の場合、選手のテストと言っても、まず基本となるやり方(コンセプト)があり、新戦力も「それに合致するかどうか」でテストされていくことになる。そして、練習を通じて浸透させた「基本となるやり方」は、新戦力がテストされる場合にも維持されていることが多く、その中でのフィット具合、動きをテストされるわけだ。よくあったのが、新戦力を終盤短い時間だけ使い、その後次第に起用していくやり方で、きちんとコンセプトを持った監督にとっては、ノーマルなやり方なのだろうと思う。

このような考え方を持っているために、私は前回の東アジア選手権での、ジーコ監督の「総とっかえ」に関しては疑問が大きいと思っていたものだ。今回の岡田監督の送り出した布陣、メンバーは、怪我やコンディションの問題が大きいだろうとは思われるものの、「基本コンセプトを維持した上で、それに新戦力を合わせる」という形にはならなかった。こういう形でできるのは、選手の個人能力の見極め程度だろう。その辺も、あの「総とっかえ」後の試合を想起させるものだ。


トレーニングによる戦術の染みつけと、「指示」と

またひとつ気になるのは、岡田監督が会見においてよく「選手に○○と言った(指示した)、言わない(指示しなかった)」という言葉遣いをしていることだ。これは反町監督など、過去の日本人監督もよくした言い方なのだが、私はどうも気になってしまうのだ。練習できちんと選手にコンセプトを身につけさせることができていれば、あまりそうした指示は必要ないのではないか、と思えるからだ。トルシェ監督も、オシム監督も「明確な指示がない」「約束ごとがない」という非難を受けていたのだが、彼らがしていたのは「練習においてコンセプトに即した動きを体に染みつけていく」というやりかただった。

どうもここまで、岡田監督のチームにはそうした「練習によって染みつけたコンセプト」を表現したシーンが見られることが少なかったように感じる。もちろん、就任後間もなく、かつ直後に勝ち点3が絶対に必要なタイ戦が控えており、前監督のチームを引き継がなくてはならないという特殊性があるために、チーム作りが困難だったことは考えなくてはならないだろう。そうした中で、コンセプトの表現を現段階のチームに求めるのは性急に過ぎると思う。ただどうもこれまで、日本人監督の「口頭の指示によってコンセプトを実現しようとし、結果として選手一人ひとりへの戦術の『個化』に失敗する」という例を見てきているので、少し気になる、という程度なのだが・・・。

岡田監督: あそこのこぼれ球を4番(パク・ナムチョル)、11番(ムン・イングク)に拾われるのが怖かったので、テセのところをとにかく佑ニ(中澤)と水本に離すなと。サイドに行っても譲り渡すなと。そういうことは言ったんだけれど、テセも今日は頑張って水本のところで勝負してきた。

やっぱり、ボールを受けるのは苦手だけど、競るのは得意な選手だったら、そういうプレーをさせないとね。そのへんのことは、今回は何も言っていないので、次はちょっと言おうと思います。

この心配が杞憂に終わり、岡田監督が「コンセプトをしっかりとトレーニングで染みつける」ことのできる監督であったと、後に証明されることを祈りたいと思う。

*ところで、前田まで怪我で帰国ということになったようだ。これはやはり、この大会は全体に「テスト」の大会と割り切るしかないかもしれない。しかしそれならそれで、「コンセプトの浸透度のテスト」をそろそろし始めて欲しいのだが・・・。

それではまた。

08:56 PM [岡田日本代表] | 固定リンク | トラックバック (1) |

February 17, 2008

東アジア選手権は本当に必要なのか

現在岡田日本代表は発足間もない中、東アジア選手権に臨んでいるわけだが、同時にこの時期、J各クラブはリーグ戦前の期初キャンプに入っており、選手が代表に取られることはクラブにとって大きな問題になっている。トラックバックいただいたアルパカ日記さんも投げかけておられるように、「本当に東アジア選手権は必要なのか?」また、「この時期にやらなければならないのか?」とつくづく思わされるところだ。今回はこの問題について考えてみたい。


なぜこの時期なのか?


MON TUE WED THU FRI SUT SUN
  1/1※          
             
             
          26  
    30   2/1    
    2/6        
           
    20     23  
          3/1XSC
          8
       
       
         
  4/1    
       
       
       
  4/29 5/1    
  5/6 ○    
         
       
        6/1
       
           
           
       
  7/1    
         
       
       
        8/1 AS  
        ●? ●?
          ●? ●?
        ●? ●?
    ●? ○?  
9/1       F→
    ←F    
        ●?
     
    10/1    
       
     
       
          11/1
       
        ※?  
       
         
12/1          
          ※?  
          ※?  
          ※?  
      1/1※      

現在岡田日本代表は発足間もない中、東アジア選手権に臨んでいるわけだが、同時にこの時期、J各クラブはリーグ戦前の期初キャンプに入っており、選手が代表に取られることはクラブにとって大きな問題になっている。トラックバックいただいた○○さんも投げかけているように、「本当に東アジア選手権は必要なのか?」また、「この時期にやらなければならないのか?」とつくづく思わされるところだ。今回はこの問題について考えてみたい。

まず「この時期にやらなければならないのか?」についてなのだが、この時期でなければ他のどの時期にやればよいのか、ということになる。試みに左の表に簡単に今年の年間スケジュールをまとめてみた。白い○がJ1の試合開催日、赤い○がナビスコカップ、青い○が代表戦、◎がACL、※は天皇杯の開催日を示している。なにぶん、私はこういうことに詳しくないので(Jクラブのサポーターの方の方が、マイクラブの問題としてこれを捉えている分、はるかに詳しいと思う)漏れがあったらご容赦いただきたい。ちなみにJ2の日程はスペースに収まりきれないので省かせていただいている。

小文字の「f」はFIFAのマッチデー(親善試合用)、F→←Fはオフィシャルマッチデーである。FIFAマッチデーは他にもあるのだが、だいたい青○とかぶっているので省いた。今年は6月にFIFAマッチデーが集中しており、その時期のアジア3次予選はすべてそこで行われている。ちなみに8月20日、9月6-10日もFIFAマッチデーであり、代表の親善試合が入ることが考えられる。また5月末の青○?は、おそらくそのあたりでキリンカップが開催されるだろうと想定したものだ。ちなみに10月と11月の青○は、アジア最終予選の最初の2試合である。8月の緑色の部分は、北京五輪の開催期間。そうそう、2月の緑○は、パンパシフィック選手権の開催日だ。

さて、講釈師武藤さんも書かれているように、3試合行われる東アジア選手権のためには最低でも3開催日分の日程が必要となるのだが、さて、表をごらんいただいてどこかそれが可能になる場所があるだろうか?ナビスコを一個ずらせば7月末~8月初頭の時期にかろうじて見つかるが、五輪直前の時期に中国で、というのは無理があるのではないか。ただ、J1の2~3試合をその時期へ移して、現在他のJ1の試合が組まれている時期に開催するということも考えられなくはない。それもまた、シーズンを非常な過密日程に(しかも暑い時期に)することになる。

しかしそれにしても、ほとんどすべての週末に何らかの試合があり、試合のないミッドウィークも探す方が大変であるというこの表を見ると、あらためて「日程問題は破綻しているのだなあ」と思わざるをえない。、このうえに賞金未払い問題があり今年は開催するかどうか未定のA3チャンピオンズカップは、記入していないのだ(開催することになったらどの時期でするのだろう?)。

これは実は、アジアカップを2007年に開催するという決定のためのしわ寄せを食らった形ではある。本来は東アジア選手権は昨年開催する予定であり、であればW杯アジア3次予選、最終予選とのバッティングもなかったわけで、昨年ならまだましなスケジュールとすることができただろう(その代わり、アジアカップが今年であれば、アジアカップとW杯予選がかぶることになり、おそらく3次予選までしかできなかったのではないだろうか)。

以上のように、「この時期にやらなくてはならないのか?」という問題に関しては、「他でもいいと思うが、じゃあいつすればいいのだろう?」と思わざるをえないところである。

東アジア選手権は本当に必要なのか?


さてでは、根本の問題である「本当に東アジア選手権は必要なのか?」についてはどうだろう。そもそも破綻した日程の中で、アジア相手の大会などやる必要があるのだろうか?欧州や南米の強国と対戦したほうが、日本代表の強化の役に立つのではないだろうか?いっそなくしてしまったほうが良いのではないか?私も心情的にはそれらの意見に賛成である。酷使される選手、ないがしろにされるクラブのことを考えれば、そう思って当然だろう。

そもそも、なぜ東アジア選手権が開催される経緯になったのだろうか?正確なところはわからないが、参考までにWikipediaを見てみると、まず東アジアサッカー連盟の発足に行き着く。その理由の一つとして、AFC総会における西アジア諸国の発言力に対抗しようという考えが強いようだ。

AFC

またAFCには問題も数多い。その一つに、中東の産油国を抱えている影響があるためかオイルマネーに流されやすい傾向が挙げられる。近年はその風潮も和らいではいるものの、90年代まではワールドカップ予選開催地に中東のスタジアムを選ぶなど、中東・湾岸諸国が有利になるような大会運営が散見された。

東アジアサッカー連盟


そうした現状を打開しようという意向もあり、EAFF(東アジアサッカー連盟)は、西アジアサッカー連盟などのようなAFCの下部組織ではなく、欧州サッカー連盟(UEFA) のような国際サッカー連盟(FIFA) 直属の独立した組織という形態をとっている。

また、AFC傘下にはASEAN、南アジア、西アジアと、それぞれのサッカー連盟があり、それぞれに東アジアサッカー選手権と同様の大会を開催している(さらにペルシャ湾岸地域のガルフカップやアラブサッカー連盟主催のアラブカップなどがある。)。そう聞くと、「東アジアサッカー連盟など要らない」とは言いがたいものがある。そしてどうも、○○サッカー連盟と名のる以上、主催のサッカー大会を持っていないと示しがつかないという事情もあるように思える。

考えてみれば、前項で書いたような、「アジアカップを2007年に開催する」という決定や、今年になってからの「W杯予選方式の変更」などに対して、我々は「どこかでいつの間にか決まっているもの」と捉えていないだろうか?しかし無論それは自然に決まるものなどではなく(笑)、AFCにおいて決められているのだが、そこに日本の声が反映されている感触がないと思わないだろうか?東アジアサッカー連盟の設立、東アジアサッカー選手権の開催は、そういう現状を打開しようと意図がこめられているのだろう。

「しかし、連盟が発足して6年、大会が始まって5年たつが、東アジア諸国の発言力が増したとは思えない。意味がない、止めてしまえ」という意見もありえるだろう。しかし、上記したような他の地域の状況を見ると、東アジア地区だけが遅れるわけにも行かないのではないか。また、将来的にAFCの東西分割などを視野に入れるとすると、その母体としての東アジア連盟にはかなり意味が出てくるし、その存在証明(?)のような東アジアサッカー選手権も、意義があると言わざるをえないのではないだろうか。

私ははっきり言って、心情的には「いらないし、少なくともこの時期は止めろ」とつくづく思うのだが、どうもそう言ってもいられないような気もしてきた。であるならば、どんどんAFCでの発言力も増して、開催の意義があったと思わせて欲しいものだ。さすがにそろそろ振り回され続けるのも限界があるだろう。ニュージーランドのAFC加盟模索やOFCの処遇という今後の懸案事項もあるのだから、東西分割を目指す、とはっきり宣言してしまうのもよいかもしれない。いずれにしろ、さすがに「なんとかしないと」という状況になってきているということは言えると思う。


岡田日本の第2フェーズへ


とはいえ、現在の岡田日本代表にとっては、(代表にとっては、だけに限るが)、この時期の東アジア選手権は、チーム作りのためにむしろ「あってよかった」ものでもある。タイ戦は1ボランチで戦ったが、それは「タイ相手だから」と当初より言われていた。ここで「対同等レベルのチーム」用の戦い方を試し、習熟しておければ、今後に向けて大いに糧になるだろう。岡田監督はダブルボランチ3トップを取り入れる可能性も示唆したようで、大いにここで試しておけばよいと思う。

ただ3トップをするのなら、シャドータイプのFWを組み込みたいところだが、今遠征にはほとんどいないのが難点ではあるが、田代、播戸、前田、矢野と、これまで起用機会の多くないFWを試すチャンスでもある。あまり勝敗にこだわらず、選手を休み休み使いつつ、怪我を避け、良い強化として欲しいと思う。

それではまた。

03:35 PM [岡田日本代表] | 固定リンク | トラックバック (1) |

February 14, 2008

高原問題~「問題」の不在

「高原問題」が巷を賑わせている。

岡田日本代表が現在臨んでいる東アジア選手権に、高原と浦和が辞退を申し出、「特例」として認められた。対してパンパシフィック選手権に臨むガンバ大阪は、配慮を望んでいたが聞きいれられず、5人を招集されてしまった。これは不公平である、という問題だ。ガンバの佐野泉社長や、横浜FMの桑原監督も、問題視したという報道がされている。

これに対し、缶詰にしんさんが「結局、声が大きい方の意見が通るのか」と「高原問題」について少し。というエントリーで書かれ、サポティスタで「(声の大きい方の意見が通るのは)ある意味、とてもわかりやすいし正しいことでもあると思う」と取り上げられたことで、主にサポティスタのコメント欄で、活発な意見交換が巻き起こったのだ。

缶詰にしんさんは、その後この流れを受けて「浦和を巨人にしちゃダメだ」というエントリーを書かれている。にしんさんの趣旨は、

まとめると、この切り取り方では私は

「声が大きい方の意見が通るのは不公平だ」

と主張し、サポティスタさんの側がそれに対して

「でもそれは不公平なことなのか」
「ある意味、とても分かりやすいし正しいことでもあると思う。」


というアンチテーゼを展開するという形になっている。
これは(浦和サポ的に)非常にぶっちゃけた「開き直り」なので
コメント欄が非常に楽しいことになっている。賛否両論だ。

ただ、ちょっと注意して私の文章を読みなおしてほしい。

私は別に「声が大きい方の意見が通るのは悪い」とは一言も書いてない。

(中略)要するに

「声が大きい方の意見が通りがちなのは仕方がない。

 でも、もっとうまくやれ。」と書いているのだ(どーん)

というあたりだろう。実は私は、この結論である「もっとうまくやれ」に関しては同感なのだが、それについてはちょっと置いておこう。というのは、サッカーダイジェスト2.26号(No.936)で、この問題に関して岡田監督から新たな談話が出たのだが、それが問題を根底から覆すようなものだったからだ。


コンディション不良による「落選」

岡田監督は

岡田監督: 高原に関しては一切そういう話ではなくて、今の高原のコンディション、この前のタイ戦を見ても、まだ全然戻っていなかった。この状態のまま中国へ連れて行って3試合やらせたら、たぶんケガをするだろうなと。そうすると出るのは1.5試合ぐらい。その間の練習といっても、中国の環境では大した練習もできない。そんなことだったらチームにとっても、彼にとっても良くない。浦和でコンディションを上げてもらったほうがいい。ただそれだけの話。浦和に頼まれたとか、高原が残りたいとか、新聞などではいろいろと言われているようだけど、そういうのはまったくない。

と、単に「コンディション不良の問題」としており、「声の大きな浦和に頼まれたから、特例として認めた」という意識はまったく無かったことを明言している。これまでのネット上でのいろいろな議論は、「浦和の主張を代表が聞き入れた」ということを前提としているものがほとんどだったため、このように岡田監督に言われると、その根拠を失ってしまうものが多いだろう。

実際、よく考えてみれば、「浦和が協会に対して大きな発言力を持っている」ということが真実であるかどうかは、信憑性にかけると思う。確かに集客力は凄く、ビジネスになりえるクラブではあるが、それでも全国区での人気やビジネス規模では、代表チームにはかなわない。また、浦和出身の犬飼氏がJリーグにいるが、それを言うならチェアマンはセレッソ出身であり、協会会長は古河出身であり、代表監督は古河-札幌-横浜FMでもある。「浦和の発言力のおかげで、代表監督が配慮した」可能性は、ずいぶん低いのではないか、と私には思える。

高原問題と抱き合わせで、坪井の代表引退が認められたことも「浦和に対する配慮」だと捉える意見もあるようだが、こちらはあくまでも「選手の意思」であって、かつての中澤(横浜FM)のそれと同じこと。坪井としては「もう代表に選ばれなくていい」という意思表明を、個人として行ったのであり、認められるか否かと、「浦和の力」は何の関係もないだろう。これからまた、「代表引退」を個人として決め、表明する選手が現れれば、どのクラブであるかに関係なく、認められるのではないかと思う。

そういう意味では、「コンディション不良だから高原を落とした」という岡田監督の発言には、一定の説得力がある。となると問題は「そんなコンディションの選手を、ここ3試合先発させたのか」ということになってくる。では、どうすることができただろうか。


タイ戦までの高原起用

岡田日本が招集したFWは高原、巻、大久保、前田、矢野、播戸、田代。田代以外はオシム監督の選出の流れをくむものだ。岡田日本代表が発足して間もないことを考えれば、この手法は論理的なものだろう。この中では大久保はタイプ的に高原の代わりは無理であろうし、巻はボスニア・ヘルツェゴビナ戦で怪我(タイ戦後に骨折と判明)、前田は風邪で出遅れと、「高原の代役候補」も、軒並み起用できない状態に陥っていた。矢野、播戸はオシム体制下でも先発したことは少なく、田代もこのチームに合流して間もない。タイ戦を彼らに賭けるのはリスキーに過ぎただろう。

そう考えると、コンディション不良でも高原を先発させざるを得なかったのは仕方がないことと思える。また、高原のコンディション不良は、所属クラブ(フランクフルト)で試合から離れていたことや、オフ中に契約のため日独を往復したことなどが最も大きな理由であろうから、チリ戦、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦に起用して「試合をして試合勘を取り戻す」ことを狙ったのも間違っていないと言える。

それでも、高原のコンディションが思うように上がらなかったために、タイ戦後に浦和に返した。いわばタイ戦での起用は「他にいないから」であったのであり、ここで返したのは前田が復調したことや、(半分親善試合のような)東アジア選手権では、田代や播戸、矢野を起用して、経験を積ませることが必要であるからでもある。そう考えると、このマネジメントはそれなりにロジカルなものであったと言うことができるだろう。

ただ問題なのは、「そう見えなかった」ことなのである。


監督とその周辺の説明不足

そもそも、クラブと代表は利害が相反するものだ。代表監督が代表チームを強くしようとすればするほど、彼は多くの時間を代表チームに割いて欲しいと願うはずだ。しかし、それはクラブにとってはプラスになることではない。実際、世界でもそういう揉め事は珍しくないし、ジーコ時代でも(Jクラブよりもはっきりものを言う)海外のクラブとの軋轢は日常茶飯事だったではないか。クラブは代表に選手を取られることに不平をいい、代表は時に強引に、時にクラブに配慮しつつ、選手を招集していくものなのだ。

この際に重要なのは、やはり「公平性」だろう。元から不平がたまりやすい、利害が相反する両者の間で、いわゆる「優遇」などがあるように見えれば、その不平不満は大きく高まることは、言うまでもないだろう。今回問題なのは、そんなものがないにもかかわらず、「優遇」があるように見せてしまった、代表監督とその周辺の「やり方のまずさ」なのである。そのために、Jクラブの一部関係者から不満が出てしまったのではないだろうか。

高原については、しっかりと「返す理由はコンディション不良です」と最初から明言、特筆大書するべきだったのだ。あえて「落選です」とまで言ってもよかったかもしれない。そうすれば、このような騒ぎにはならなかっただろう。もちろん、世間はその「落選」という言葉のキャッチー(笑)さに飛びつき、また別の一騒ぎがあっただろうが、それにしても「不公平」が見えるよりは良かったのではないか。いやさすがに岡田さんが「落選です」と言ってしまうのは、騒がせすぎか・・・。

本来ならば、返す選手のことに関して、「他のクラブに」説明する義理はあまりないかもしれない。しかし、ガンバ大阪がその最たる例だが、「選手を返して欲しい」という要望は他のクラブからも出ていたわけで、結果的に「高原と浦和の要望だけ聞いた」ように見えてしまう今回の措置については、他のクラブに対して説明があってしかるべきだっただろう。このような報道があったのだから、なおさらである。

東アジア選手権 高原ら移籍組免除へ(2008年1月26日)

リンク先の記事では「高原ら5人の移籍組について、新しい所属先での調整を優先したいクラブ側の意思を尊重する」とある。5人というと、高原(浦和)、水本(G大阪)、羽生(FC東京)、山岸(川崎)、駒野(磐田)の全員と言うことか。しかし、この記事が不可解なのは、どこにも岡田監督の直接の談話が出てこないことだ。本当に岡田監督に取材して書いたのか、関係者談話だけで書いたのではないか、疑われるところだ。

ただそれにしても、この記事をはじめ、ガンバが臨むパンパシフィック選手権もあり、リーグ前の合宿に選手が取られてしまっている状況について、各クラブが相当不満に思っているということを、岡田さんとその周辺はもっと理解しておくべきだった、ということは言えるだろう。


風通しの良いJリーグ-代表へ

ここまで見てきたように、今回騒がしくなったのは、「岡田監督がこのようなクラブの思いをよく理解し、誤解を買わないように(事前から)情報をコントロールするべきだった」という問題だといえる。したがって、岡田監督(とその周辺)が、「もっとうまくやれ」ばよかったのだ、と思う。とはいえ、とにかくタイ戦に勝つことだけに集中していただろう彼らを、責めるつもりは私にはあまりない。つぎからは「もっとうまくやればよい」と思うのみである。

ただ、この騒動を通じて、ガンバ大阪の社長や横浜FMの桑原監督が声を上げたのは、良いことだったのではないか、とも思うのだ。浦和の要望がどう、ということよりも、「不満があればクラブは声を上げる」ということはもっともっとあっていいと思うからだ。今回の問題に関しては「特例ではない」ということで収まるにしても、議論の深まった「代表か、クラブか」という問題は一過性のものではなく、今後に向けてしっかりと考えておくべきことだろう。

日本ではこれまで、特に集客力やメディアの注目が「代表>>>Jリーグ」であったために、Jクラブが声を上げにくい、代表に対して異論を唱えにくい、という環境があった。この辺はKINDさんがまとめておられる通りだろう。また、日本サッカー界全体を体育会系的な上下関係、親分子分関係が色濃く支配し、それによって代表選出が密室で決められている、というのもおおむね正しいと思われる。ところで、実はこの点も、私が日本人代表監督を歓迎したくない理由の一つだったのだ。

日本人監督であれば、各クラブに散らばる自分の先輩や後輩の意見を聞くことは可能だろう。いや、聞きたくなくても先輩が意見をねじ込んでくることもあるだろうと思う。これは完全に想像に過ぎないのだが(それでもその可能性はかなり高いと思っている)、2006年末のドーハ・アジア大会に反町監督が、「各クラブ2名以内」という「自主規制」をはめたようなチームを編成し臨んだのは、そういう「根回し」によるものだったのではないか、と私には思われるのだ。その理由は(私の知る限り)いまだに明らかにされていないのだが、このような「密室」性は、外国人監督であれば発生しにくいだろう。

日本人である岡田監督の就任時に一つ思ったのは、フル代表でもそのような「密室」性のある代表選考がなされるのではないか、というささやかな懸念だった。しかし、インタビューなどで垣間見える岡田監督の人柄を鑑みれば、杞憂の可能性が高いとも思っていた。実際、今回の件に関して言えば、岡田監督は「配慮が足りなかった」点はあるにしろ、「密室」性はむしろ薄く、またそれに対してJ各クラブも(裏ではなく)、表立って抗議の声を上げているように見える。

岡田監督がそうした点で「根回し下手」であるのなら、むしろ歓迎するべきことと思う。これを機会に、代表とJリーグの価値、そのプライオリティについて、徹底的に表に出して、オープンに議論していったらいいのではないか。そうして、これから先のコンセンサスを育んでいけばよいだろう。今回の(ちょっとした)騒動がその端緒になれば、災い転じて福となす、ということになるのだが・・・。

最後に、個人的な感想を言えば、高原の3試合起用はやむをえなかった、返すのも仕方ない、しかしパンパシフィック選手権に臨むガンバには、もう少し配慮があってよかったのではないか、というところだ。

それではまた。

06:25 PM [岡田日本代表] | 固定リンク | トラックバック (2) |

February 12, 2008

「現実」から「理想」へ

2月6日、南アフリカワールドカップに向けたアジア3次予選の初戦、vsタイ戦(ホーム)が行われ、日本は4-1でみごとに勝利した。予選においては、結果を出すこと、勝ち点を獲得することが最も重要であり、チーム作りの時間が無い中での3点差での勝利は文句なし、100点満点と言えるだろう。

これまで私は、オシム前監督が倒れられた後の、協会の新監督選考経緯、その考え方に対して批判してきた。しかし、就任した以上、これからは岡田監督に対しては、その方針や試合内容、結果などに関して、是々非々で臨んで行きたいと思う。選考経緯に関しては問題が非常に大きいと思えるのだが、岡田監督自身はその責を負う立場にはないからだ。

さて、これまで何度も経験してきたように、「大きな大会の初戦」や、「長い予選の初戦」は非常に難しいものだ。また、2月は選手たちにとってはオフ明けであり、この時期の試合は体力的に難しいものとなる。さらには、就任後わずかな期間でチームを作らなくてはならないという悪条件。それらを跳ね返しての勝利は、大きな価値があるだろう。選手、監督、関係者の皆さんには、本当にお疲れ様と言いたいところだ。

しかし、岡田監督自身が会見でも言うように、内容面では万々歳と言えるものではなかった。発足して間もないチームでもあり、そこまで求めるのは酷なのはもちろんだが、今後のためにも、試合内容を振り返っておこう。


非常に「現実的」な勝利

日本の獲得した4点のうち3点がセットプレー、1点目はタイGKの壁の作り方が稚拙だったところを突いてFKが直接ゴール、3点目は身長の高くないタイDFの上から中澤、4点目は点差がついてタイの集中が切れたところを、おそらくは練習どおりに大外から巻、という形。敵が守備を固めてくる時には、セットプレーからの得点が有効なのはセオリーだ。大会前の非公開練習でみっちりと練習したセットプレーで、身長差も利して得点できたのは大きかった。

これは、リアリストたる岡田監督の面目躍如たるところだろう。発足して間もなく、作り直しつつある連携もこなれていなく、コンディション面でも完全ではなく、初戦の緊張もある。そういう中で敵に引かれ、得点できないままにずるずると行くと、何が起こるかわからない。確率の高いセットプレーを入念に磨いておくのは現実的であり、理にかなったことだ。

発足して間もないからこそ、自分の理念を浸透させようとする監督もいると思う。岡田監督はそういう時間を多少減らしてでも、セットプレーの練習に時間をかけたのだろう。これは岡田監督らしい、リアリスティックな勝利であり、素晴らしいことと思う。今後はここを出発点に、「理想」へ向けていけばよいのだ。


オーソドックスなタイ

Thaiタイは、タクシン元首相のつてもあり、イングランドのマンチェスターシティの練習に合流し、強化を進めてきたという。その成果も出ていたのだろう、非常にオーソドックスな4バックの布陣を敷き、べた引きというほどではなく、けっこう真っ向から戦いを挑んできた。特徴としては4バックの裏にいくらかスペースがあること、サイドから攻められるとSBが一人サイドのケアに出て行く他は、中央をしっかり3人で固めているということ、などがある。これが日本の戦いぶりに大きく影響した。

まず、裏にスペースがそこそこあるため、日本のFWが裏狙いに傾き過ぎたことがある。これは大久保、高原、山瀬という選手のチョイスも関係するのだが、ポストプレーらしいものがなく、日本の攻撃は一本調子になってしまっていた。高原や大久保の「戻って触りたがる」癖も、周辺にタイ選手が多くいる上に、狙われてもいるために有効ではなかった。

やはり高原のようなストライカー型の選手、大久保や山瀬のようなシャドーストライカーに近いタイプの選手は、ポストプレーに秀でた前田や巻といった選手と組み合わせた方が実力を発揮するのではないか、とあらためて思わされた前半であった。

後半は、中村憲剛や遠藤が、パスを離した後のパス&ゴーで敵DFの裏を狙い始める。こういったフリーランは、オシム前監督下の日本代表の特徴でもあったのだが、やはり初戦の緊張からか、この前半ではほとんどできていなかった。ハーフタイムの岡田監督の「詰まった展開になったら誰か動き出せ」という指示により、後半には復活したわけだ。

そうすると、タイのDFもついて下がらざるを得ず、高原や大久保が前を向いてボールを持てる機会も増えていく。そして、山瀬がサイドから勝負を仕掛け、その直前にフリーランで前線に上がっていた中村憲剛の足に当たって大久保の前にこぼれ、2点目!となる。山瀬の「つっかけ」、大久保の瞬間の反応は大いに賞賛されてしかるべきだが、それを引き出した岡田監督の「詰まった展開になったら動き出せ」という指示も正しかったということが言えるだろう。


サイド攻撃の停滞

また、タイが「サイドから攻められるとSBが一人、サイドのケアに出て行く他は、中央をしっかり3人で固めている」結果として、サイドから攻めようとしてもなかなかクロスが有効な攻撃に結びつかなかった。

内田: 早めにクロスを上げろと言っていたけど、中央にたくさん人(DF)がいるので、タイミングを外そうとして中途半端になってしまった。
岡田監督: ビデオで見ていたタイはもう少し中央が開いていたのが、今日は中に人を集めて守っていたと。逆にキッカーがフリーだと、そこで何かしようと、流れを止める、ノッキングするようなことがあったと。

この守り方は、4バックで戦う場合のオーソドックスな、セオリーにかなったものだと思う。マンチェスター・シティでの訓練が行き届いたものではないだろうか。そしてその結果として、日本は大住さんが書かれているように、「クロスからのシュートが一本もない」という状態になる。これを改善するための岡田監督の指示が、

岡田監督: (クロスを)あげてもなかなか取れないなら、もうひとり人をかけるようにとHTにいいました。遠藤と中村が横でサポートではなく前に出て行くことで、キッカーを蹴りやすくするという工夫

というものだった。遠藤や中村憲剛のフリーランの増加は、この指示を受けてのものだったということがわかるだろう。そして実はこの点は、ここまでの岡田日本と、オシム日本とのもっとも大きな差となっているのである。


「数的有利を作ってのサイドアタック」の激減

私はかつて、オシム日本の攻撃の特徴として

1)すばやい守→攻の切り替え
2)数多いフリーランニング・追い越し
3)数的有利を作ってのサイドアタック
4)DFラインからの攻撃参加

というものをあげていた。酷暑のアジアカップでは、1)の攻守の切り替えの早さは抑制され、代わりに各所で数的有利を作ってのボールポゼッションが優先されたが、その際に非常によく見られたのが3)であった。具体的には、ボールを持ったサイドバック(加地や駒野)の外側をOMF(遠藤や俊輔)やボランチ(憲剛や啓太)が弧を描いてオーバーラップしていくプレーだ。サイドバック(以下SB)としては、オーバーラップする選手にパスを出してもいいし、彼がマーカーを一人引き剥がしてくれるために、クロスも上げやすくなる。ご記憶の方も多いだろう。

Sideこういったプレーが、岡田日本代表では激減しているのだ。ほぼ消失しているといっていい。タイ戦のみならず、岡田体制1試合目のチリ戦でも、続いてのボスニア・ヘルツェゴビナ戦でも、ほぼゼロであったのは、その点に注目してみれば明らかなことだ。オシム体制では、SBがボールを持てばほぼオートマティックに発動していた、と言えるほど頻出していたプレーが、これほど減少しているのは、明らかに有意なことと思われる。

少しさかのぼって、オシム時代のこのプレーについて考えてみよう。何がこのプレーを可能にしていたのだろうか?SBがボールを持ってから、OMFなどがオーバーラップするまでにあまり時間がかかりすぎると、このプレーは意味を持たない。したがって、OMFやボランチのポジショニングが重要になってくるのに加え、各選手の「判断の早さ」とそれに基づく「動き出しの早さ」が必要になってくるのだ。そしてそのような判断の早さこそ、喧伝された「多色ビブス練習」で培われたものだった。

誤解しないで欲しいのだが、「あのプレーがなくなっているから問題である」と私は言っているのではない。サイドで数的有利を作るプレーは、よい点もあるが欠点もある。チームコンセプトが変われば、それは行われることもあるし、なくなることもあるだろう。ただ、現時点までの岡田日本は、各所での「オシム日本を継承するだろう」という予測とは裏腹に、オシム日本とかなり考え方が変わっているということを、ここでは論考しておきたいだけである。その一つの大きな表れが、「数的有利を作ってのサイドアタック」の(現時点までの)激減に現れているということなのだ。


「ボールのないところでのリスクチャレンジ」

こうした「判断の早さ」と、それに基づく「動き出しの早さ」、そしてそれによって発生する「数多い追い越し(オーバーラップ)」・・・これらを融合したものこそが、オシム前監督が日本サッカーの向かうべき方向としていたものだ、と私は考えている。それを短く言い当てた言葉が、「考えて走る」サッカーということになるのだろう。別の言い方をすれば、「ボールのないところでのリスクチャレンジ」を非常に重視したサッカーと言うこともできる。

前述のプレーを行う場合、SBにボールが入った瞬間にはもう、後ろの選手がオーバーラップのために、自分のポジションを捨てて走り始めていなくてはならない。これは言うまでもないが、自分のポジションを誰かがカバーしてくれるいう確信、および自分のフリーランがチーム全体で承認されているという理解がなければできない、ある種リスキーなことである。「ボールのないところでも、自分で判断してリスクを積極的に犯すこと」を徹底的に要求し、承認し、賞賛していたのがオシムサッカーであった。

それを非常によく体得し、理解していたのが羽生や山岸といった元ジェフの選手たちである。試合を見ると、彼らの動き出しの早さはいまだに一段も二段も高いレベルにあることがわかる。そしてオシム体制下の1年を通じて、憲剛や遠藤、啓太らもそうした動き出し、追い越しを身につけていった。しかしそうした「ボールのないところでの」リスクチャレンジの精神は、常に要求し、「チームコンセプトなのだ」と伝え、練習で繰り返しておかないと、消えていきやすいものなのだ、ということはこの3戦でわかったことでもある。


「接近してから展開」と「展開してから接近」と

チーム・コンセプトに関して、「言葉」はその一端に過ぎない。「考えて走る」にしろ、「フラットスリー」にしろ、選手にそういう言葉で伝えられたわけではない。それよりもメソッドに裏打ちされた練習で体得させられることの方がはるかに多く、重要だと思う。それを前提にしての話だが、岡田監督の掲げた「接近、展開、連続」というキーワードは、なかなか興味深いものと言える。これまでの試合の中で、その言葉で「やろうとしていること」がそれなりに見て取れるからだ。

チリ戦では、オシム体制で多かったサイドチェンジが減少し、狭い局面でパスをまわそうという意識が高かった。また、オシム日本に比べると、選手が密集してのプレスが、チリ戦、タイ戦では多かったことが確認できる(チリ戦ではそれがまだ習熟できておらず、プレスの意識は高いものの、かいくぐられてしまっていたが)。岡田監督はいくつかのTVやスポーツ新聞のインタビューで、こういったプレスも「接近」に含めていたようで、ここまではそれも定着しつつあると言えるだろう。

そして実は、「接近、展開」の言葉の並び順にも意味があるように思える。攻撃時に、「接近してボールをまわし、食いつかせてから展開(サイドチェンジなど)する」という順番もそうであるし、密集してのプレスをその始動としても、「接近(プレス)→展開(すばやい攻め)」という順になるだろう。どちらの場合も、「密集しているから奪えば近くにサポートがいる」、「密集しているから失ってもすぐプレッシャーがかけられる」という利点がある。タイ戦では後者の、「失ってすぐのプレッシャー」もオシム日本よりも増えていた、と私には見える。

ひるがえってオシム日本では、「接近→展開」よりも「展開→接近」という順番であったように思える(これはJ-KETでの「ひき」さんの投稿に触発されたのだが)。サイドを広く使い、大きくサイドチェンジを繰り返す。そしてSBにボールが入れば、すばやくOMFやボランチがオーバーラップ、「数的優位を作ってサイドアタック」をしていく。ほとんどの局面で、ボールホルダーをフリーにしようとする「展開」が重視され、そのための判断の早さが最優先される。そういうオシム体制下のサッカーと、ここまで3試合のサッカーはかなり様変わりしていることが判ると思う。

こうした「展開」重視のオシム監督のサッカーが、「接近」を許容するのは、本当に最後に点を取る瞬間や、個のアイデアによって局面を打開する場合に限られているのではないか、と思う。それは、アジアカップにおいては中村俊輔や高原の起用に現れており、彼らだけではないにしろ、「最後の瞬間」においては、それが許容/奨励されたのだろう。そしてそれは、アジアカップ後は大久保や松井の起用が増えるようになっていったことにもつながっていく。段階的にチームを作るオシム監督は、チーム全体の「ボールのない時に」リスクチャレンジする意識を醸成し、連動性を高めた上で、「最後のワンピース」をはめにかかったところだったのではないだろうか。


「現実」から「理想」へ

以上見てきたように、私は岡田監督の「接近、展開、連続」は、オシム日本とはかなり違いのあるコンセプトだと思う(少なくとも現時点までは)。しかし、それはまったく当然のことでもある。同じように「ボールも人も動く」をテーマにしていても、監督が違えば練習法も、奨励するプレーも違い、意識づけも変わってくる。「オシム日本を引き継ぐ」ことなど、無意味であるばかりでなく、不可能でさえあることなのだ。オシム日本と近いか、遠いかで岡田監督が評価されるわけではない。

しかし、タイ戦では岡田監督自身のコンセプトも十分に浸透し、機能したとは言えなかったと思う。前半の一本調子な攻め、有効なサイドアタックが少なかった点、流れの中でタイを崩しきれなかった点などは、まだまだ向上する余地のあるところだろう。特に攻撃面での「接近」は、本当に日本人選手で世界相手に実現できるのか、非常に難しいことだと思う。しかし、守備面での「接近」は、この試合ではなかなかに浸透、機能していた(タイ相手ではあるが)し、失点シーン以外では、守備に破綻もなかった点は評価できるだろう。カウンター対策も良くできていた。

守備を安定させたうえで、セットプレーからの3点奪っての勝利は、非常に現実的なものであり、就任間もない状況ではロジカルなものであったと思う。問題はここからどこまで「理想」に近づいていけるか、ということになるのだ。岡田監督はこれまで札幌や横浜FMで、「理想を追ったあと、現実路線へ」切り替えて結果を残してきた(最後の横浜FMでは、もう一度理想を追おうとして頓挫した)、という印象を私は持っている。これからは、「現実から理想へ」という、そのときとは逆の航路をたどらなくてはならない。

岡田監督自身、選手たちに「世界をあっと言わせよう」と語ったという。その言葉自体は、私も大いに賛成だ。しかしそれにはもちろん、タイ戦のサッカーでは十分ではないだろう。「ボールも人も動く」「接近、展開、連続」というサッカーは、岡田監督はいまだ実現したこと、結果を出したことがないものだ。それでも、これからの予選を戦いながら、その「理想」へ向けて日本代表を成長させていかなければ、「世界をあっと言わせる」ことはかなわない。

この上もない「結果」で船出を果たした岡田日本。その「現実」から「理想」への航路が、実り多いものであることを祈ってやまない。

それではまた。

03:38 PM [岡田日本代表] | 固定リンク | トラックバック (0) |