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December 03, 2007
協会は視野狭窄から脱せよ
11月30日に臨時の技術委員会が開かれ、岡田武史氏をオシム監督の後任として承認したという。私は、前回も書いたように、日本の目指すべきサッカー像を明確にしないままの、このようなPLANなき監督選定には真っ向から反対である。しかし、岡田氏は12月3日の常任理事会で技術委員会から推薦されることになり、このままでは岡田武史新日本代表監督が誕生するのは時間の問題だろう。ただ、現段階(12月2日夜)では岡田氏の側の受諾の意思は、技術委員会からは完全には明確にされておらず、残る望みは岡田氏側からの拒絶の返答しかない。
岡田武史氏は、日本サッカーの将来を考えるなら、この日本代表監督へのオファーを断るべきである。
成立しない三つの選考理由
技術委員会の小野剛委員長は、岡田氏を選んだ理由を三つ述べている。
(1)オシム監督が築いてきた土台の上に新しい色、個性を積み上げられる (2)強烈なリーダーシップ、求心力を持っている (3)(来年)2月6日(の予選まで)与えられた時間が少ない中でコミュニケーション能力がある |
これは一目瞭然、「そのような条件を持って広く探した結果、岡田氏がベストと判断された」という条件ではなく、単に「岡田氏の持つ現時点でのメリット」を上げたに過ぎない。岡田氏がこれらの条件を本当に満たしているのか、同じ条件をより高い次元で満たす監督が本当にいないのか、岡田氏が本当にベストの選択なのか、小野委員長は説明する義務がある。
(1)について言えば、これまで日本が追求してきたのは「ボールも人も動くサッカー」であった。岡田氏はそうしたサッカーをこれまでの指導暦の中で実現したことがあっただろうか?私の知る限りでは、ない。参考になるのはこちらの後藤健生氏の記事であろう。長くなるが引用する。
さて、岡田監督というと、守備的なサッカーをするという印象が強く、オシム路線からは大きな転換となるように思われるかもしれない。
というのは、最後に監督を務めた横浜F・マリノスで、岡田は守備的なサッカーでJリーグを連覇したという印象を残したからだ。とくに、浦和レッズとの「最後の」チャンピオンシップでは、攻め立てる浦和相手に徹底して守って勝ったという印象が強かった。
だが、岡田監督は、つねに守備的なサッカーを目指していたわけではない。
コンサドーレ札幌の監督に就任した岡田は、初年度は昇格に失敗した。本人の弁によれば、「選手の能力を考えずに『さすが岡田だ』と言われるようなサッカーをさせようとした」のが失敗の原因だったという。そして、2年目は現実路線で昇格にこぎつけた。
横浜の監督に就任したときも、岡田は「常勝軍団」を作ると公言し、ポゼッションから攻め崩すサッカーを目指したが、やはり途中で方向転換して現実主義路線に切り替えている。その後も、何度か理想のサッカーに切り替えようとしながら、横浜時代は結局は現実路線で実績を積み上げたのだ。
この見方は、私の知っている岡田像と一致する。理想は別に持ちながら、それを実現することはできず、結果を残したのは理想とは別の現実的なサッカーだった。代表監督よりもはるかに時間の余裕があるクラブチームでもそうだったのだ。また、当時の横浜Fマリノスは、Jリーグの中ではもともと選手層に恵まれていたチームだった。世界の中の日本とは立ち位置が違う。そういうチームでさえ、現実路線で結果を追求したのが岡田監督だったということなのだ。
岡田氏が「ボールも人も動くサッカー」の継承、発展に適した監督であるという説明を、技術委員会はどのようにできるのか?
理念を捨て去る技術委員会
あるいは、「オシム監督が築いてきた土台」とは、「ボールも人も動くサッカー」のことではなく、単に現状のチームを引き継ぐということを言っているのだろうか?もしそうであるならば、これは噴飯ものである。前回も書いたが、監督が代われば練習メソッドもマネジメントも変わり、チームとしてはまったく別の機能を持つものに変わってしまうのだ。ましてやJリーグ全体から選手を自由に選び、入れ替えられる代表チームにおいておや。ここで新監督に「理念」ではなく、「これまでのチームを継承すること」などを条件とするのなら、それはまったく無用な足枷でしかないだろう。
そしてこの場合は、日本サッカー協会は「ボールも人も動くサッカー」を捨て去るということなのか?オシム監督が文字通り全身全霊をこめて日本にもたらそうとした、この2年間共に追求してきたはずのそれを捨てて、別のスタイルにチェンジするというのか。それはそれほど軽い理念だったのか。その程度のもののために、協会はオシム監督をジェフから引き抜いたのか。その程度のもののために、オシム監督はあれほどのハードワークをしてくれていたのか。
小野剛氏は、自らの良心に恥じることなく、この路線変更を天下に宣言できるのか?
「コミュニケーションの取れる監督」?
(3)の条件は、誰とのコミュニケーションの話をしているのか?という問題になる。選手とのコミュニケーションのことを言っているのなら、これは無意味であろう。よい監督の条件とは、選手をどのようにモティベートし、自分の考えを伝え、動かしていくことができるか、ということである。したがって、ほとんどすべてのよい監督は「選手とのコミュニケーション」に長けた人物だということが言えるからだ。
もう一つの可能性は、「協会とのコミュニケーション」である。かつて、ファルカン監督が「コミュニケーション不足」を理由に解任され、後任には日本人の加茂監督が就いたことがあったが、当時の場合も「協会と監督のコミュニケーション」の問題だった。このように考える時、どうしても浮上するのが「協会会長とのコミュニケーションが最重要視された」のではないか、という懸念なのだが、考えるのもおぞましいことなので、今はいったん置こう。
「協会と監督のコミュニケーション」のなかでもう一つ浮かび上がってくるのが、岡田氏と小野剛氏との関係である。
小野氏は、「少なくても岡田さんは、どんな条件を出そうと動くわけではないこはわかっていたので、大義、気持ちを動かせるかだと(打診は)大きな勝負と考えた」と話し、初面談の際、日本サッカーの非常事態であり、日本サッカーを向上させ、何とかしなくてはならない、と訴えたという。
リンク先の記事では、「10年前のアジア予選時のことが連想される」という意味のことが書かれている。当時は、加茂監督がアウェイで解任されるという緊急事態に、コーチであった岡田氏が監督を引き受けざるを得なかったわけだが、岡田監督と小野コーチの二人三脚で「難局」を乗り切った、という意識が、小野剛氏の側にあるのだろうと想像される。その認識が、岡田氏を説得する際の「日本サッカーの非常事態であり、日本サッカーを向上させ、何とかしなくてはならない」という言葉に出たのだろう。
おそらく小野剛氏は、再び自分と岡田氏との二人三脚で、「この難局を乗り切ろう」と考えたのではないか。そこで「技術委員会とのコミュニケーションが取れる」という選定条件を考えたのではないか。しかし、今回は当時とは状況が違う。最終予選の最中で、アウェイで、次の試合まで間がなく、ビザの関係で他の監督を呼ぶこともできない。そういう状態ではないのだ。むしろ状況としては、「加茂監督で予選に臨むかどうか」を決めるタイミングに近い。ここでベストのチョイスをすることが非常に重要なのだ。しかし、技術委員会は現状を、あの時のような「難局」と捉えてしまっているように見える。
ひとは、自分が今困難な状況に置かれていると感じると、どんどんと視野狭窄に陥っていくものだ。自分の視野が狭くなっているtことにも気づかない、いったん立ち止まって自分が何をしようとしているのかを見る余裕すらもない。そういう状態になってしまう。現在の小野剛氏、技術委員会の陥っているのは、まさに「それ」なのではないだろうか。
アジアの病理
少し話を変えよう。日本にとってのライバルであるアラブ諸国のサッカーは、一時期低迷していたのだが、それは「サッカー協会首脳部が、王族をはじめとする一部の権力者によって恣意的な運営をされ、彼らの好き嫌いで監督がコロコロ代わる」という理由であったと、私は思っている。また、韓国は1998-2001年の間、トルシェ監督の率いる日本の成長と相反して停滞をしていた(一例として、コンフェデ杯2001:日本準優勝/韓国GL落ちがあげられよう)のだが、それは外国人監督などの正当な、しかし耳の痛い批判を聞かず、自国人監督にこだわり続けたことによるものだろう。
これらはまさに、2002-2006の日本において発生し、そして今また再現されようとしていることではないだろうか?サッカー協会の権力が一部の人間に壟断され、彼の好き嫌いによる独断で監督未経験者を起用した2002-2006。そして、サッカー協会内部の人間が視野狭窄に陥り、広く意見を求めず、自分たちのやりやすい人間関係で周囲を固めようという2007年。そうしたことを繰り返していては、日本はかつての中東や、あるいは韓国のような、停滞に陥るばかりだ。
その後、韓国はようやく目を外に見開き、オランダからヒディンク監督を招聘、またアジア諸国は、2000年のアジアカップにおけるトルシェ日本や、2002年のヒディンク韓国の躍進に驚かされ、「海外の優秀な監督にある程度の期間きちんとチームを任せる」という方針を採るようになった。欧州や南米の優秀な監督に率いられたアジア諸国のレベルアップは、2004年や2007年のアジアカップでも再確認できたところだ。ここで日本がかつての韓国のように、自国内で閉じこもっていては、日本はアジアにさえおいていかれることになってしまう。
今はそういう分岐点にいるということを、技術委員会はもう一度認識するべきである。
「技術委員会がラクを出来る代表監督を」!?
「オシムさんが倒れた」「予選まで間がないのだから難局だ」「難局だから、理念は棚上げだ」「難局を我々と乗り切れるのは、我々とコミュニケーションを取れる岡田さんだけだ」・・・ここ数日の技術委員会の思考回路はこのようなものだろう。「第一には岡田さんしかいなかった」と小野剛氏は語ったという。実に視野が狭いのだ。ただでさえ広くはない視野が、「緊急事態だ」という思いにより、さらに狭くなってしまっている。小野剛氏をはじめ、技術委員会の面々にはいったん立ち止まって、深呼吸をすることを勧めたい。そしてもう一度自問するべきなのだ。「日本の目指すべきサッカースタイルはなんなのか」と。
多くのクラブチームが、その時々で目先の結果を追って失敗している。強くなるのは、継続的に結果を残すのは、あるいは大きくなっていけるのは、はっきりした一つのビジョン、理念があるクラブのみだ。Jリーグでも、世界でも、我々はそういう例をあまた見てきたのではないか?ましてや、日本の最高峰、日本サッカーのお手本、見本とならなければならないフル代表が、理念なく、監督によってコロコロとサッカースタイルが変わっていくようなことがあっていいのか。それであれば、何のための技術委員会なのか。何のための小野剛なのか。
時間はもちろんない。しかし、ここはアルマトイではないのだ。そして、先にも述べたように、優秀な監督は「選手との」コミュニケーションには長けているものだ。問題となるのは、「技術委員会との」コミュニケーションであろう。であるならば、ここで言う「コミュニケーションの取れる監督を」という条件は、なんのことはない、「自分たちがラクを出来る代表監督を」と言っているだけなのだ!現行技術委員会はそれさえも気づけないほど、視野が狭くなっているのか。
ここで外国人監督を招くのは、もちろん簡単なことではないだろう。招いた後も、問題は多い。Jリーグが開幕する前では、選手の選定も難しいだろう。これまで日本が戦ってきたスタイルや、やり方を新監督が知らない場合だってありうる。しかし、それこそ技術委員会の存在意義ではないか!全力を挙げて、選手のスカウティングビデオを作って監督と缶詰になればいいではないか。全力を挙げて、これまでのビジョンを、これまでの計画を監督にインプットしていけばいいではないか。そのために徹夜をしたからといって何なのだ。オシム監督が全霊をこめてきた理念を捨て去る方がいいというのか。
技術委員会よ、自分たちの易きに流れて、日本サッカーの行く末を誤っていいのか。
岡田氏は、オファーを断るべきである。
岡田氏は、このオファーを断るべきである。断る理由は、「日本協会が示す今後のビジョンが不明確だ」でよい。実際に恐ろしく不明確ではないか?これまでのビジョンとの継続性はなく、自分たちで危機だと思い込み、それを救って欲しいという泣きつくのみ。小野剛氏は岡田氏にとってもかわいい後輩であろう。彼は今、立場により、そして思い込みによる危機感によって、視野が極端に狭くなっているのだ。そのような不明をただすためには、岡田氏が断るしかない。非情なようだが、それが小野剛氏のためであり、日本サッカーの今後のためなのである。
岡田武史氏の英断を望む。
それではまた。
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