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October 09, 2007おかしなおかしな規定適用
川崎フロンターレのメンバー入れ替えに端を発した「ベストメンバー規定」に関する議論ですが、こうやって世間の関心が高まっているところに、まさにジャストミートするような問題が発生しました。
J2のリーグ戦で上位に位置し、昇格を争っている4チーム(東京V、札幌、仙台、京都)が、そろって天皇杯に大幅にメンバーを変えて臨み、JFLのチームや大学勢相手に敗退したのです。川崎は8人の入れ替えでしたが、この4チームは10~11人を入れ替えて戦っています。言うまでもなく彼らがこのようにしたのは、J2のリーグ戦を天皇杯よりも重視し、何よりも昇格にすべてをかけるためです。
これは、サッカー的には当然のこと、と私は思います。クラブは年間にいくつもの大会を戦いますが、その中でどれにプライオリティを置き、どれを(言葉は悪いですが)「軽視」するかは、そのクラブが自分の権限と責任で行うことだからです。消耗の激しいサッカーという競技において、スケジュールが厳しくなってくればすべてに同じメンバーで戦えるはずがない。どのように重要度を判断し、力を「配分」するか、そこがクラブ上層部と、サッカーの監督の腕の見せ所と言っていいでしょう。それこそがまさに「サッカー的」であることなのです。
成長しない川淵キャプテン再び
これに対して、協会からは「容認する」という姿勢が示されました。
川淵キャプテン: 「カップ戦は仕方がない」「3日後に昇格のかかる試合があるなら、そちらを重視するだろう」
私も、J1昇格を重視したJ2各クラブの判断は当然のことと思います。しかし、Jリーグでは「ベストメンバー」で臨むことをあれほど強力に要求する同じ人間が、どのようなロジックを持ってこういうことが言えるのでしょうか?協会の田嶋専務理事は、
田嶋専務理事: 「Jには最強チームという規約があるが、協会にはない」
と言っているようですが、これもまったく理由になっていません。田嶋氏の川淵化もだいぶ進んできたようですね。重要なのは、「なぜJリーグにはそのような規約が適用され、天皇杯には適用されないのか」ということであって、田嶋氏が言っているのは単に現状の矛盾の追認に過ぎません。これはどのような論理を持って言い得ることなのか?
そもそもこれまで見てきたように、ベストメンバー規定は「プロになったからには最高水準のゲームを提供していかなければならない」という川淵チェアマン(当時)の考えに基づいて成立した規定です。さまざまな議論はありますが、少なくとも成立、および維持の根拠はここにあるはずです。そしてそれに準拠して考えれば、天皇杯が除外されるのはまったくおかしいと気づくはずです。
天皇杯も、もちろんお金を取ってお客さんに見せている試合です。そして、今回メンバーを変更したJ2クラブはもちろん「プロ」のクラブです。Jリーグとどこが違うというのでしょうか?天皇杯にはアマチュアも参加できますが、そこが理由なら「彼らだけ」適用を除外すればいいでしょう。まさか、Jリーグには「Jリーグの」スポンサーがいるが、天皇杯には「?」というところが理由ではないでしょう。ないはずです。
この矛盾になぜ現協会トップは気がつかないのか?
一部の大会にだけ「ベストメンバー規定」を押しつける
ここに矛盾が起きてしまう最も大きな原因は、やはりJリーグが世界でも珍しい「ベストメンバー規定」の制限を受けている、ということにあるでしょう。何度も書いていますが、サッカーのクラブはいろいろな大会に参加しつつ、選手をやりくりして「自分たちのクラブにとって最高の結果」を得ようと努力するものです。それが欧州、南米でも普通に行われている、「サッカー的な真実」だということを、さすがにそろそろ協会、Jリーグの幹部も理解するべきでしょう。
もちろん、クラブがどれかの大会を重視し、あるいは別の大会を軽視することにはリスクもあります。そしてそれを評価できるのは、そのクラブのサポーター、ファンだけなのです。リーグ戦を軽視することに疑問のあるサポーターが増えれば、声を上げるでしょうし、観戦に来るお客さんも減るでしょう。そしてそれは、クラブがオウンリスクで解決していかなければならないことなのです。それが、「独立したプロのクラブ」ということです。
例えば、今回のJ2勢と逆の例も存在しえます。Jリーグで優勝のなくなったあるクラブが、その時勝ち残っていて優勝の可能性のある天皇杯のために、Jリーグのほうを「軽視」し、Jリーグに中心選手を出させず、天皇杯の試合に向けて「温存」するという可能性です。それは今回の例と何か本質的に違うのでしょうか?今回の例が問題ないのなら、この例もなんら問題ないはずです。私はそれも含めて、各クラブがどのように年間を戦うか、それは各クラブに任されているべきだと思うのです。
それぞれのクラブが、年間を通して参加するさまざまな大会に、自分たち(とそのサポーター、ファンと)で戦い方を考え、「自分たちにとっての」最高の結果を求めていく。それはリーグ優勝かもしれないし、カップ戦優勝かもしれないし、ACLの優勝かもしれない。それを決めることができるのは自分たちと、サポーター、ファンだけである。それがプロサッカーというものです。
鬼武チェアマンは「スポーツの基本的な精神というのがある。考え方は変わらない」などと、まったくそれを理解しない発言をしています。川淵キャプテンの意見とはまた矛盾していますが、彼は天皇杯でも「ベストメンバー」で戦うことを要求したようです(10/10 8:46 以下の記事により、この部分の記述を修正しました。鬼武チェアマン天皇杯軽視NO!)驚くべきことです。「レギュラーを常に出せ、過密日程は変えない」というのでは、この国のトップは選手を消耗品とでも思っているのではないか、と思わされます。
なぜリーグ戦が最も価値があるのか
最後にもう一度書いておきますが、プロのサッカークラブとは、年間を通して参加するさまざまな大会に、自分たち(とそのサポーター、ファンと)で戦い方を考え、「自分たちにとっての」最高の結果を求めていくものです。消耗の激しい競技であり、限られた選手でそこを戦っていかざるを得ないがゆえに、クラブは目標設定を厳密に求められますし、監督はマネジメントが厳しく問われていきます。
そのようなプロサッカーのあり方を理解すると、一シーズンを通してしっかりと戦い、結果を出していかなければならない「リーグ戦」の価値があらためて浮かび上がってくるはずです。1試合1試合で結果が出てしまうノックアウト方式のカップ戦は、ジャイアントキリングが起こりやすい大会といわれます。逆に、長期のリーグ戦を制するのは、安定した戦いぶりと、豊富な選手層が必要になってきます。「リーグ戦の覇者が本当の王者」と言われるのはそのためでしょう。
例えば、どんなチームもその時のベストメンバーだけでずっと戦っていくわけには行きません。もしそういうことをすれば、数年後には若手が育っていなく、凋落してしまうことでしょう。実際にそのようなケースも私たちは見てきました。すなわち、クラブはリーグ戦を戦いながら、若手も育てていかなくてはならないのです。選手は「一つ一つの試合でベストを尽くす」のはもちろんですが、クラブは「年間を通じてベストの結果を追求する」ことが必要であり、さらには「先も見通して、ベストの判断をする」ことが要求されてくるのです。
さまざまな大会を睨み、さらにクラブの将来も考えて、力を配分していかなくてはならないサッカーで、長期のリーグ戦で最終的に優勝するということが、どういうことか。それこそがサッカー的に最も価値のあることです。それは、上層部が「ベストメンバー規定」などを無理やりおしつけなくても、各国のリーグ戦にもともと備わっている価値なのです。そしてその価値はリーグ上層部よりも、もはやサポーターたちの方が理解しているのです。
今回の件で、再び、三たび、協会やJリーグの上層部が、「サポーター」においていかれているということが明らかになりました。これまでも何度も、Jリーグは「日本だけの特殊ルール」から、「世界標準のルール」への移行を繰り返してきました。サドンデスの延長戦やPK戦ありの形から、普通の勝ち点制へ。2シーズン、チャンピオンシップありの形から、普通の1シーズン制へ。それは初期の上層部の思いつきで作られた恣意的なルールから、「サッカー的普遍性」への回帰という形でした。この問題も、そろそろそうする時期が来ているのではないでしょうか?
私は時代に取り残されている「ベストメンバー規定」を、早期に撤廃することを望みたいと思います。
それではまた。
10:48 PM [Jリーグ] | 固定リンク | トラックバック (3) |
October 05, 2007Jリーグの権威のためにこそ
カズが、川崎フロンターレに対する犬飼チェアマンの発言で始まった騒動に関して、コメントを出しています。
カズ: 選手は全員がレギュラーで、試合でどの選手を使うかは監督が決めること。いろいろな事情があって8人入れ替わっても、スポンサーやサポーターに失礼になるとは思わない。
さすがカズですね。またJリーグ選手協会のゴン中山名誉会長とも連絡を取って、選手総会で取り上げようと話したようです。これによってより突っ込んだ議論、見直しの機運が高まることを期待したいと思います。
スポンサーのために権威を守る
さて、カズのコメントにもありますように、ベストメンバー規定を大本から考えるに当たっては、Jリーグのスポンサーの問題についても、実は避けては通れないところだと思います。
私も詳しくはないのですが、Jリーグには、Jリーグのスポンサードをしてくださっている企業がいます。Jリーグ公式サイトの下の方にバナーが出ている企業ですね。彼らは「Jリーグに」お金を出してくれていて、そのお金はJリーグのそのものの運営と、クラブへの分配金として使われるわけです。放映権料の高騰が望めない現状では、Jリーグ、および分配金を受け取る各クラブにとっても、重要な存在と言えるでしょう(もちろん各クラブには、それぞれの独自の大事なスポンサーもいますね)。
彼らのことを考えると、Jリーグが「Jリーグの権威」を守ろうとする行動には、一定の理解ができます。誰も権威のないものにお金を払おうとは思わないからです。
また、カップ戦にもそれぞれヤマザキナビスコ、ゼロックス、JOMOといったスポンサーがいますね。こちらもスポンサーのことを考えると、ないがしろにするわけにはいきません。実際にピッコリ事件は、ヤマザキナビスコカップの試合で選手を入れ替えたことが原因で起こったものです。ここでも各カップ戦の権威は守られなくてはならないということです。
「ベストメンバー規定」は、「プロになったからには最高水準のゲームを提供していかなければならない」という考えで設けられたものですが、同時にこの「リーグ戦やカップ戦の権威を守る」という機能も果たしているということができると思います。また逆に、ベストメンバー規定の存在意義としては、「スポンサーのためにリーグ戦の権威を守る必要がある」ということを、主張する人もいます。
しかし、本当にこの「ベストメンバー規定によってJリーグの権威は守られる」という考え方は正しいのでしょうか?
ベストメンバー規定で権威は守られるか
前回見たように、ベストメンバー規定は本来は「Jクラブは、その時点における最強のチーム(ベストメンバー)をもって前条の試合に臨まなくてはならない」というものです。そして、川淵チェアマン(当時)の文書による補足によれば、
「最強チームとは、多くのファンに了解された公的なもの」「リーグ戦、リーグカップ戦、天皇杯などのトップカテゴリーの試合の多くに先発出場している選手として、ごく簡単かつ客観的に見てとることができる」
ということですから、「その時ベストコンディションであるメンバー」ではなく、「それまで多く試合に出ていたレギュラーメンバー」と考えられていることが分かります。しかし、ピッコリ監督の意見にあるように、
技術のある選手がベストメンバーではない。90分質の高いプレーをするのが選手がベストだ。
という考えもあるのです。動けないレギュラーメンバーが出ることと、動ける選手が出ることと、どちらがよりレベルの高い試合を保障するのでしょうか?「リーグ戦の権威を守る」ことは本来は、「全力で戦う」ことによって「レベルの高い試合をする」ことであるはずです。そのためにレギュラーメンバーを出すべきか、フレッシュな選手を出すべきかは、「全力で戦う」ことをしようとする限りにおいては、監督の自由であるべきでしょう。
「ベストメンバー規定」というよりも「レギュラーメンバー規定」であるような現状の規定は、それに従ったからといってリーグの権威を高めることにはならない、と思います。現状の、A3、ACL、カップ戦、代表まで含めた過密日程の中ではレギュラーはどんどん疲労していきます。そんな中でレギュラーが出続けたとしても、グダグダの試合では、むしろ試合の、ひいてはリーグの価値を減じるでしょう。
問題はそれを「スポンサー」が理解するかどうか、ということですね。
サッカー的真実の啓蒙
スポンサーの(特に)上層部は、そこまでサッカーに詳しい人は少ないかもしれません。そういう人は、「選手をたくさん入れ替えるということは、勝つ気がないんじゃないか?」と思ってしまうかもしれません。90分間全力で走り回らなければならず、ハードなフィジカルコンタクトもあるサッカーというスポーツにおいて、いかにコンディションというものが大事か、そして「勝つ気があるからこそ選手を入れ替える」のだ、ということは彼らには理解できていないかもしれません。
しかし、その現状に甘んじていてよいのでしょうか?そういうスポンサーに配慮して、「グダグダでもレギュラーを出し続ける」ことをJリーグがクラブに押しつけ続けていてよいのでしょうか?そんなことはないはずです。「サッカー的な真実」はやはり、カズも言うように「勝つためにこそ選手を入れ替えることもある」という方にあるはずです。それを、もしかしたらまだ理解していないかもしれないスポンサーに説明し、理解してもらうように努めることこそ、Jリーグ上層部のするべきことです。
今、一選手に過ぎないカズが、それをしようとしてくれています。
Jリーグがすべきことを一選手にさせて、Jリーグ上層部は恥ずかしく思うべきです。
Jリーグの試合を「軽視する」ケース
さて、ここまでは「そのクラブが、その試合に勝つためにこそ、全力で戦うためにこそ、メンバーを入れ替える」という場合の話でした。今回の川崎は、イランへの往復のあと、疲労したメンバーを出場させないことを選択し、8人入れ替えたわけですが、それはまさにそういうケースだったと思います。Jリーグを捨てないためにこそ、動けるメンバーで戦うべきだ。それが監督の判断だったのでしょう。私はそこには問題がないと思います。
しかし、そういうケースではない、他の場合もありえますね。例えば
1)チャンピオンズリーグに勝ち残っているクラブが、優勝のなくなったリーグ戦を「捨てる」場合
2)残留争い真っ最中のクラブが、リーグ戦に注力するためにカップ戦の試合を「捨てる」場合
3)優勝も降格もなくなったクラブが、来期をにらんで大幅に若手に切り替え、育てようとする場合
これらのようなケースも考えられます。これらは、その一試合においてそのクラブは「全力で戦う」ことをしていないと言っていいと思います。しかし、欧州においてはこういうこともかなり行われているのではないでしょうか?ということはそれは、「サッカー的な真実」としては、実は「問題」ではないことなのではないでしょうか?これはどのように考えるべきなのでしょうか?
各クラブは、各国リーグに所属してはいますが、リーグからは独立した企業です。それぞれに、自分たちの発展を考えて、活動を行っていきます。その大きな目標は各国リーグ制覇であり、そのために基本的にはリーグ戦に全力を尽くして戦うことになります。そこまでは、各クラブとリーグの利害は一致しています。
しかし、ここにCLやACLという存在が入ってくると話は違います。
Jリーグからはみ出していく各クラブ
欧州の例で言うCLをイメージするとより分かりやすいでしょう。欧州のクラブはCLで得られる膨大な利益、および名誉を求めて、そちらに注力します。つまり、各クラブは、各国のリーグに所属しながら、そこからはみ出た部分も持っているのです。彼らは、けして各国リーグの「部下」でもないし、「配下」でもないのです。そして各クラブは、シーズン全体で戦うことになるさまざまな大会を通して、最終的に最大の結果を得るために、「全力を尽くす」のです。
1)2)3)に上げたようなケースは、各クラブがそのようにしたとして、おそらくはそのクラブのファン、サポーターからは支持を得られるものではないでしょうか?特に1)2)はそうでしょう。クラブが独自に目標を掲げ、そのためにいろいろな試合を重要度に応じてやり方を変えて戦ったとして、それをそのクラブのファンがどう思うか。それはそのクラブが独自の権限と責任で、独立して行っていくことなのです。
もちろん、1)や2)のようなケースは、それぞれ軽視される形になるカップ戦や、リーグ戦の運営主体にとっては、面白くないことでしょう。皮肉を言ったり、批判をしたりするかもしれません。しかし、各クラブとリーグの利害は完全には一致していないのですから、そのようなことが発生するのはおかしなことではありません。そして、各クラブにとっては、自分たちで自分たちのファンのために目標を設定し、それと共に歩んでいこうとするのであって、それは当たり前のことと考えるべきなのです。
では、もしそのようなケースが発生した場合、「Jリーグの」スポンサーはどう考えるべきでしょうか?
リーグをスポンサードするということ
先に書いた1)2)の例での、軽視されたリーグやカップ戦の運営主体が不快であるのと同じように、例えば、あるクラブにCLを優先されたセリエAのスポンサーは、基本的には不快に思うでしょう。それは仕方がないことと思います。CLまで含めて自分のチーム(およびファン、サポーター)にとっての最適を実現しようとするクラブと、あくまでも国内リーグを主に考えて欲しいそのリーグの関係者(スポンサー含む)の利害は一致していないからです。
つまり、(今回の川崎のケースはまったく違いますが)、欧州でのCLのように、将来「ACLのためにJリーグの試合を捨てる」という判断は、クラブによってはありうることであるし、ベストメンバーの数的基準があったとしても、それが起こる可能性はある、ということです。また、若手育成のためにその時のベストメンバーを組まない、と言うこともありえます。そして、遠い将来かもしれませんが、大きく見て考えるならば、スポンサーは「それらをも含めて」、リーグをスポンサードする、という考えでなければならないということでしょう。
例え話で考えてみましょう。ある企業が、ある美術館をスポンサードしました。その美術館の売りは、一部の印象派の有名な作品を所蔵していることです。それが常に展示されていることをそのスポンサーは望みました。しかし、その美術館は、美術界の将来的な発展を考えて、若手のアーティストの作品を集めた企画展を開催しました(有名作品はその間は倉庫に行きます)。それはそのスポンサーにとって裏切りでしょうか?そこまで含めて、美術館をスポンサードするべき、という考え方もあるでしょう。
これはリーグをスポンサードする企業に対して、一方的に犠牲を強いるような考え方でしょうか?
Jリーグの「権威」のためにこそ
「Jリーグをサポートするスポンサーは、ACLを優先するクラブに対して、寛容であるべき」というのは、スポンサーにとって受け入れられないことでしょうか?その可能性はありますが、また別の考え方もあると思います。それは例えば、「毎年ACLでグループリーグ敗退をすることは、Jリーグの『権威』を下げることになるのではないか?」ということです。「今年もJの代表がACL敗退!」というニュースは、Jリーグのスポンサーにとってもうれしいことではないでしょう。
そう考えると、ACL出場クラブがACLでいい成績を収めたり、優勝すれば、それは「強いJリーグ」ということにつながり、Jリーグの「権威」を高めることにつながるということが分かります。そうして「そんなに強いなら見に行こうかな」というお客さんが増えれば、Jリーグ全体の利益にもつながるでしょう。注目が増えれば、放映権料も値上げすることができるようになるかもしれません。この点においては、JリーグとACL出場クラブの利害は再び一致させることができます。
もちろん、犬飼専務理事が今年から「ACLサポートプロジェクト」を立ち上げ、それに尽力し、そしてチャーター機を飛ばすようにしたのは、そのように考えたからでしょう。「Jのクラブが、ACLを制することは、Jリーグ全体の利益につながる」ということですね。この点においても、犬飼、鬼武両氏がすべきことは、「川崎FだけでなくJ全体のサポーターがいる」などと詭弁でぐるぐる巻きになることではなく、こうした考え方を持ってスポンサーを説得することでしょう。
折りしも、オシム監督も「1つのクラブの問題ではなく、日本サッカー全体の名誉の問題。みんなが、浦和がアジア王者になることを望んでいる」と言っています(川崎敗退前なら、当然ここに川崎の名も入ったでしょう)。「オシム監督も言う日本サッカー全体の名誉のために、協力をした太っ腹なJリーグのスポンサー」そう言われたほうが、Jリーグのスポンサーとしても本望なのではないですか?
以上見てきたように、本来的、将来的に考えても、スポンサーのことや、Jリーグの権威のことを考えても、もはやベストメンバー規定に存在意義はほとんどないと言えるでしょう。早期に撤廃されることを望みたいと思います。
それではまた。
07:43 PM [Jリーグ] | 固定リンク | トラックバック (1) |
October 01, 200715年前から一切成長していない協会トップ
物議をかもした川崎の「チャーター機~8人入れ替え事件」ですが、Jリーグの鬼武チェアマンが「今回はやむをえなかった」としたことで一応の収束を見そうです。チェアマンは川崎の武田社長をJFAハウスに呼び出して事情聴取をした上で、「クラブとしてベストの判断をしたと聞いた。今後はお互いがコミュニケーションを図ってやりたい」というコメントを出しました。
しかし、これでは「川崎側にもコミュニケーションの上で落ち度があった」と言っているように聞こえます。これはおかしい。川崎側はそもそもルールを守っている上に、Jリーグに確認もとっています。したがって不足していたのは「社団法人日本プロサッカーリーグの中でのコミュニケーション」であって、それを指導、監督する責任者はもちろん鬼武チェアマンその人です。鬼武チェアマンはまずは自らの指導不足を恥じ、誤解に基づいて自分の部下(犬飼専務理事)が怒鳴りつけ騒動に巻き込んだ川崎に対し、公式に陳謝すべきです。
なぜ存在する、ベストメンバー規定
この「ベストメンバー規定」ですが、私はそもそも悪法であり、不必要であると考えていました。今回それがあらためてクローズアップされた形になりましたが、なぜこれが制定されたのか、さかのぼって見てみましょう。その経緯についてはこちらが詳しいです。
・川淵チェアマン(当時)の「プロになったからには最高水準のゲームを提供していかなければならない」という信念により設けられたもの。
・当初は、「Jクラブは、その時点における最強のチーム(ベストメンバー)をもって前条の試合に臨まなくてはならない」(Jリーグ規約第42条)というだけで、明確な数的基準がなかった。
・2000年のヤマザキナビスコカップにおいて、アビスパ福岡のピッコリ監督が意図的にメンバーを落として試合をし、川淵チェアマンはこれを問題視、あらたに基準が設けられた(ピッコリ事件)。
その通称ピッコリ事件の際に設けられたのが、今回川崎が違反していない
② 第40条第1項第1号から第3号までの試合における先発メンバー11人は,当該試合直前のリーグ戦5試合の内、1試合以上先発メンバーとして出場した選手を6人以上含まなければならず、詳細に関しては「Jリーグ規約第42条の補足基準」によるものとする。
という数的基準になるわけです。
ピッコリ事件の時も川淵チェアマンは、数的基準がなく、ほとんど「心がけ規定」のようなものである、もともとの42条に基づいて福岡を罰したい意向を持っていたようですから、ここで話している
一方、日本協会の川淵三郎会長は27日、「Jリーグで解決すべき」と前置きしながらも「8人もいないのは本来の精神にもとる」と苦言を呈した。
「本来の精神」は、数的基準以前の42条「「Jクラブは、その時点における最強のチーム(ベストメンバー)をもって前条の試合に臨まなくてはならない」を念頭においているということでしょう。そしてその精神は、「プロになったからには最高水準のゲームを提供していかなければならない」という信念に基づくものだ、ということです。
ピッコリ事件
このアビスパ福岡の「ピッコリ事件」(2000年4月)に関し、大住良之氏がJリーグ側の視点に立ち、「アビスパの『規約違反』に断固たる制裁を」という文章を書かれています。これは、今回の問題を考えるにあたっても、非常に参考になるものだと思われますから、少し詳しく見てみましょう。このコラム中では、ベストメンバー規定の存在意義を
1.公平性 2.プロとして勝利のために最善を尽くすこと 3.アウェーチームの金銭的損害 4.サッカーくじとの関連 |
としています。また、このコラムには反響が大きかったと見え、読者からの反論の投稿に答える形で111回、また数的規準の制定後に118回を書き足しています。
この第118回では、川淵チェアマンがピッコリ事件に対し投書を行った人たちへ、「最強チームによる試合参加の義務について」という返事を送ったことに触れられています。その中になかなかに興味深い一節が含まれていたようです。
ヨーロッパなどでカップ戦ではリーグ戦とは違うメンバーを出すことが容認されているとしても、現段階のJリーグでは、まず何よりもすべての試合で最強のメンバーを出して全力を注ぐというモラルが必要と説いています。
この問題について考える時に、当時から「欧州や南米ではリーグ戦とカップ戦、CLなどで試合の重要度に応じ、ターンオーバーをするのは普通のこと」という意見は数多く出されました。それに対して川淵チェアマンの反論は「現段階(7年前)のJリーグでは」、ベストメンバーで戦うことが必要というものだったわけです。そのこと自体も疑問の残るものですが、ではそれから7年後、2007年の現在、Jリーグは欧州や南米のリーグと同じことをしてよいのかどうか、そのような成熟は見られたのかどうか。
それを考えるために参考になるのが、一つは「ベストメンバー」という言葉であり、もう一つは犬飼専務理事がいみじくも使い、論議を呼んでいる「サポーター」という言葉になると思います。
何が「ベストメンバー」か
川淵チェアマンは「最強のメンバー」「ベストメンバー」について、件の文書の中で、
「最強チームとは、多くのファンに了解された公的なもの」「リーグ戦、リーグカップ戦、天皇杯などのトップカテゴリーの試合の多くに先発出場している選手として、ごく簡単かつ客観的に見てとることができる」
としているようです。わかりやすく言うと「レギュラーメンバー」であり、「スターメンバー」とか、「Aチーム」とでも言うべきものを指すことになるでしょう。しかしそれが本当に「その試合を戦うに当たってのベストなのか」という疑問があるわけです。ですから「ベストメンバー」という言葉のチョイスがそもそも誤解を生みやすいものであって、「レギュラーメンバー規定」とでもしておけば分かりやすかったでしょう。
2000年のナビスコカップでメンバーを入れ替えたピッコリ監督は、このように言っています。
技術のある選手がベストメンバーではない。90分質の高いプレーをするのが選手がベストだ。
「疲労したレギュラーとコンディションのいいサブのどちらがベストか?」ということですね。これは結局、その時の監督の考えによって変わってくることでしょう。「動けない選手よりも、コンディションのいい選手を使った方が『最強のメンバー』であり、『全力を尽くす』ことになる」という考えの監督も多くいます。それに対して「疲れてようとなんだろうと、レギュラーメンバーを出すべきだ」ということを押しつけようとしているのが、川淵チェアマン(当時)の言っていることになるわけです。
これを「プロになったからには最高水準のゲームを提供していかなければならない」という視点で見ると「ファンは、動けるサブの出る試合よりも、動けないレギュラーの出る試合を喜ぶだろう」ということになります。はたしてそれは正しいでしょうか?
これはもしかすると、Jリーグ設立当時には一応の合理性を持っていた考えかもしれません。しかし、現在の私たちの目はもっと肥えているのではないでしょうか?疲労して動けないレギュラーのするプレーよりも、ピッコリ監督の言う「90分間質の高いプレーをする選手」によって構成されたゲームを、楽しめることができるようになっているのではないでしょうか?
もしかすると、Jリーグ設立以来成長していないのは、協会トップの方ではないでしょうか?
「サポーター」とは誰か?
さて今回の川崎の事件において、犬飼専務理事は
「Jリーグも頑張ってもらうためのチャーター機。その思いが通じなかった。サポーターを裏切ったことへの説明を求めていく」
と語りました。これに対して、川崎フロンターレのサポーターの方は「犬飼さん、我々は裏切られていません」というダンマクを出しました。私もこれは応援したいと思います。
あのハードスケジュールの中、疲労の蓄積した選手を休ませることは多くの川崎サポーターが支持するでしょうし、また8人入れ替えた時の試合振りも、その後のACLの、懸命に戦いながら1点が取れずにPKで敗退した戦いも、「よくやった」と思いこそすれ、「裏切られた」などと感じた「サポーター」はいないだろうと(個人的には)思います。
ただこれも、犬飼専務理事が「サポーター」という言葉を使ったために、このような誤解が起こっていると考えられます。「サポーター」ではなく「ファン」であれば、前章で見たような「動けるサブよりも、動けなくてもレギュラーの出る試合が見たい」と考える「ファン」はいないとも限らないからです。おそらく、私たちがイメージする「川崎フロンターレのサポーター」を犬飼氏は意味しているのではなく、ごくごく一般的な「ファン」に対して、「レギュラーを出さないという裏切り」をしたと考えたのでしょう。
これについても、15年前のJリーグ設立当初ならば、その考え方にある程度の妥当性があったかもしれません。当時は「サポーター」よりも「ファン」の方が多かったかもしれないですし、「有名選手が見たいからスタジアムに来た」というタイプの「ファン」に対しては、レギュラーを出さないというのは裏切りと言えなくもないかもしれません。(注:私はここで「サポーター」と「ファン」の間に優劣をつけて論じていません。ただその違いを見ようとしているだけです)
しかし、ピッコリ事件の起こった7年前でも、アビスパ福岡のサポーターの一部の方は、「サポーターはピッコリ支持で一つに固まっていた。文句を言う人間はだれも居ない」と語ったといわれています。(wiki、大住氏への投稿)そして、Jリーグ設立から15年、日本のサッカーファンは急速に、おそらくJリーグ幹部の想像を超えたスピードで「サポーター」となって来ているのです。
私見ですが「サポーター」とは、チームとともに戦う存在だと思います。だからこそ、川崎がACL、Jリーグでともに「ベストの結果を出す」ことを考えての「コンディションの悪いレギュラーを休ませる」事については、当たり前のように承認し、クラブを後押ししようと考えるのだと思いますそして、川崎の試合を応援しにスタジアムへ駆けつけるのは、もうほとんどが「ファン」よりも「サポーター」になってきているのではないでしょうか?それは、Jリーグが目標としてきた「地域への密着」が、ついにそこへ到達したというべきでしょう。
今回意外だったのは、「あの」サポーターを抱える浦和レッズを作り上げた犬飼専務理事から、このような発言が出たことです。彼はともかく、川淵氏、鬼武氏の考える「ファンのために有名メンバーを」という考え方は、すでに完全にサポーターにおいていかれていると、私は思います。川淵氏が7年前に出した「現段階のJリーグでは、まず何よりもすべての試合で最強のメンバーを出して全力を注ぐというモラルが必要」という考えは、もはや時代遅れなのではないでしょうか?
欧州や南米のクラブにおいては、リーグ戦とカップ戦、そしてCLで選手を入れ替えて戦うことは、一般的に行われていることです。それはハードスケジュールを強いられる選手を守り、またそれぞれの試合のクオリティを保つためにこそ、必要とされることです。そして日本の「ファン」「サポーター」は、もはやそれをきちんと受け止められる、理解できる段階に達しました。それが今回の、犬飼、鬼武、川淵の発言に対してこれほど多くの反発が起こった理由なのだと、私は思います。
ベストメンバー規定の撤廃を!
私はもはや、「ベストメンバー規定」はその歴史的役割を終え、撤廃されるべきだと思います。Jリーグの草創期には、Jリーグを推進する立場にあるものが、各クラブに対してある程度指導をしていくことが必要だったかもしれません。しかし、現在ではクラブはそれぞれ独立した道を歩み始めているといってもいいと思います。そしてファンやサポーターも成熟し、欧州で行われているような(例えば)ターンオーバー制などが行われても、それを十分に消化し、受け止めていくことができるようになっています。
そしてなにより、そうした「ファン」「サポーター」との関係は、現在では各クラブがそれぞれ独自に考えていくテーマになっているということです。Jリーグが「こうすべきだ」などと指導することではない。クラブによっては(例えば)優勝の芽があるナビスコカップを重視するクラブがあってもいいし、カップ戦よりも降格を回避するためのリーグ戦に注力するクラブがあってもいいし、ACLを重視するクラブがあってもいいのです。それによってファンやサポーターがどう思うかは、そのクラブと彼らとの間の問題なのです。
Jリーグは、Jリーグ幹部のものではない。サポーターのものだ。
今回の事件は、それをあらためて如実に表したものだと思います。
それではまた。
03:27 PM [Jリーグ] | 固定リンク | トラックバック (3) |