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August 30, 2007車は加速する(カメルーン戦)
私と発汗さん、エルゲラさんの3人でやっているポッドキャスト「SoccerCast」に登録いただいている方が、4万人を突破いたしました。総合ランキングでは42位になっているようです。聞いてくださっている皆様、登録していただいたみなさま、本当にありがとうございます。5月の段階で1万人、90位でしたから、なんだかずいぶん早いテンポですね。以前にも書きましたが、普段4万人を前に喋ったりすることはありえないわけで、それを考えるとちょっと恐い気もします。
そのSoccerCastでも振り返りましたが、フル代表のvsカメルーン戦とU-22のvsベトナム戦(ホーム)が8月22日にありましたね。さらにはU-17ワールドカップまでもが同じ時期にあるという代表戦ラッシュ!アジアカップの振り返りもまだ済ましていないし、酩酊さんからトラックバックをいただいたのでお返事も書かなくてはいけないし、すぐに代表の欧州遠征、U-22のアウェーサウジ戦も迫っているし、我那覇の件についても書いておきたいしで、更新の遅い当ブログでは追いついていけるかどうかわかりません。
まずはとりあえず、直近のフル代表カメルーン戦について、今回は触れておきたいと思います。
準備不足のライオンたち
この試合については、内容がよかった、あるいは新戦力が活躍したということも言われるが、まずは対戦相手であるカメルーンのコンディション、やり方に助けられた部分が大きいと言わねばならないだろう。カメルーンは直前来日、遠距離移動でコンディションがそもそも万全ではなかったが、さらに試合会場である大分の九州石油ドームへの到着も送れ、試合開始前のアップができないという緊急事態だった。
オシム監督は試合直後のTVのインタビューで「前半の方にはっきりと日本の力が表れていたと思う」と言っていたが、私はこれには疑問がある。前半の日本がよく見えたのは(よかった部分も否定しないが)、カメルーンの選手が「アップをしながら試合をしている」というような状態であった部分もかなり影響していると考えられるからだ。もちろんオシム監督も、それは理解していてあえてこのように言ったのだとは思うが。それにしても、カメルーンのアップが終了した後半の方が、彼らの本来の力に近いものだと考えるべきだろう。
また、カメルーンはアジアカップの対戦相手と違い、「ラインを下げて、10人で引いて守ってカウンター」というようなやり方はしてこなかった。これは彼我の力関係を見れば、当たり前ではある。また、言うまでもないが日本を研究もしてこなかっただろう。以前にも何度か書いているように、そういう相手に対して日本がよい試合を見せるのは特別なことではない。いつものことだ。この試合の攻撃陣が、アジアカップで引いた相手に苦しんだ攻撃陣よりもよく見えたとしても、その理由のかなりの部分は「カメルーンのコンディションと、引いて守らないというやり方」が原因であるということを、忘れてはならないと思う。
キリンカップ型強化
これは、「強豪国を日本に招いて試合をする」というキリンカップ/チャレンジ型強化試合が、これからどこまで意味のあるものにできるのか、という問題でもある。以前は、海外の代表チームと対戦することは限られていて、キリンカップ/チャレンジの意義は非常に大きく、スポンサーであるキリンの日本代表の強化への貢献には、いくら感謝してもし過ぎということはないだろう。しかし、これからさらに上を目指すには、来日したてでコンディション不良のチームと単発で試合することが、どこまで強化の役に立つのか、JリーグやACL、A3などとの絡みも含めて、考えていかなくてはならないところだ。
ただ今回は、コンデション不良のカメルーン相手とは言え、この試合をやってよかったと私は思う。アフリカン特有の脚の長さ、身体能力を利したプレッシャーの中で、どこまで「ボールも人も動くサッカー」ができるのか。自分たちがJリーグやアジアレベルではやっている、ほんのちょっとのミスともいえないようなミス、例えばトラップが15センチ浮いたとか、例えばボールの置きどころをちょっとだけ間違えたとか、パスコースが少しだけ意図と外れたとか、パスを受ける前にきちんとルックアップしていなかったとか、それをカメルーンがまったく見逃してくれないということも、再びわかったはずだ。
そして、もう一つ大きいのは、アジアカップ4位敗退での閉塞感、もしかしたら選手たちがちょっとだけ自信を失いかねないところだったのを、この試合が払拭してくれたのではないかと思えることだ。2004年アジアカップの後のアルゼンチン戦は、「何故こんな時期に試合を?」とみなが疑問に思ったものだが、今回はむしろよかった。「アジアカップに出場している選手の方が、していない選手よりも動けていた」というのは、彼らの中に残る不完全燃焼感も手伝ってのことだろう。そして、「先はまだまだ長い、こんなところで立ち止まっている場合ではない」ということを、選手もしっかりと理解したことだろう。オシム日本の第2フェーズのたち上げとしては、まずまずだったのではないかと思う。
オシム日本の第2フェーズ
オシム日本の第2フェーズの立ち上げというのは、単純に2年目ということもあるが、アジアカップまでを一区切りとしてこれまでの航路を考えると、なかなか判りやすくなるという意味でもある。
1)まずは、Jリーグベストイレブンクラスでありながら、フル代表での経験の浅い選手に経験を積ませる。(啓太、闘莉王、憲剛、駒野、阿部、我那覇、寿人、達也)
2)ジェフでオシム監督のやり方に慣れた選手をそれに加え、方法論・戦術の浸透を図る。
3)海外の選手は、まずはクラブでのレギュラー取りに専念させる。
4)チームが出来上がりつつあるところで、シーズン終盤の(呼んでも悪影響が少なそうな)海外の選手を融合させる。
5)同じ時期、Jの中からさらに幅の広い選手を合宿に呼ぶ。
6)ジェフの選手を残して、4)5)の「合流して日の浅い海外組および新戦力」への、方法論・戦術の浸透を進める。
7)アジアカップには、それまで合宿には呼んでいた攻撃陣でも、戦術の浸透度の低い選手は呼ばない。
私はこれらについては基本的にロジカルであると思うし、支持することができる考えであったと思っている。そして、このカメルーン戦で第2フェースが始まったということだろう。アジアカップを経て、マスメディアでは「個の力発掘だ!」と喧しいが、単純に2年目になり、「合宿には呼んでいたが、戦術理解の点でアジアカップメンバーから外れた選手」を再び呼んだものと考えると、実はかなり素直な流れなのだとわかるはずだ(純粋な新顔は、大久保だけである)。2年目のこれから、また彼らにじっくりと戦術を理解させていけばいい。そういう時期なのだ。
ただし、ジェフの選手たちに関して、私はいわゆる「インストラクター枠」というような捉え方はしていない。いまだに巻の前線からの守備、ハイボールを納めるポストプレイを上回る選手は多くないし、羽生や山岸の攻守の切り替えの早さは特筆すべきものだ。水野や水本は五輪代表の中心選手であり、次代をにらめば招集して当然でもあるだろう。実際オシム監督も、カメルーン戦にジェフの選手が呼ばれていないのは、怪我などのコンディションの故であると発言しているようだ。彼らも含めて、今後ますます競争が激しくなるだろう。歓迎したいと思う。
新戦力たちの評価
さて、新戦力の中では、前田は持ち味を出していたと思う。私は前代表での柳沢の、「動きながらボールを引き出し、足元で納め、そこからの展開でチーム全体を活性化する」というプレーを高く評価しているものだが、前田もそういう存在になれる選手だろう。この試合でも前田はやわらかいポスト、そこから回りをよく見た、ワンタッチをおりまぜた展開を何度か見せて、攻撃をリードしていた。アジアカップ予選でのホームサウジ戦でも、我那覇がそういうプレーを見せていたが、日本の目指す「ボールも人も動くサッカー」では、この「足元での柔らかいポストプレー」ができる選手は必要/重要になってくる。前田もその主要な候補として、名乗りを上げたといえるだろう。
大久保、田中達也もスピードを生かした突破を何度か見せて、観客を沸かせ、持ち味を出していた。彼らに期待された役割は果たしたと言えるだろう。ただ、もう一度言うがそれは、カメルーンが裏のスペースを空けていたことによる部分も大きい。また、個人的には田中達也にシュートがなかったのが少し気になった。達也のドリブルは、以前は「自分がシュートするため、シュートコースを作るため」のものが多かったのではないか?その辺は、今後フィットしていくにつれて、さらに発揮できていくようになることを祈ろう。
大久保に関しては、サポーターが期待したとおり、何度か鋭い突破を見せていたが、個人的にはそれよりも守備の局面に多く顔を出していたのが印象に残った。オシム日本では、ボランチの選手がサイドバックや攻撃陣をオーバーラップしていくことが主要なコンセプトの一つ(→数的優位を生かしたサイドアタック)になっているが、その場合には当然、攻撃陣の誰かが下がってそのスペースを埋めなければならない。しかし、オシム監督がしばしば嘆くように、多くの攻撃的な選手は、そういう役割にフィットしているとはいえない。その点で大久保がしっかりした守備の意識、クオリティーを見せたのは、今後に向けてポジティブだと私は思う。
オシム監督: 最もアイデアのある選手たちは、よりスピードがあり、より多く走ることができて、選手の全面的な能力を備えている。全面的とは、さまざまな役割を果たすことができるということ。つまり今の中心選手の中には、自分にはできない、あるいは苦手なポジションがあるということだ。
明暗の行間を読む
この試合では、前半と後半で内容が顕著に別れた。原因としては先にもあげた、カメルーン側のアップ不足が上げられるだろう。また、オシム監督も指摘した、「日本の選手の疲労、交代によってバランスが崩れたこと、追いつきたいカメルーンが前に出て、日本にミスが増えたこと」なども大きな原因ということができる。
交代策に関しては、あくまでもテストマッチであり、招集された選手をなるべく多く、それなりの時間を与えて使ってみるのはロジカルなことだ。それによってバランスが崩れてしまったのは残念だが、それも織り込んで見るのがテストマッチの評価の仕方なのだ。その視点を持てば、この試合で「オシム日本はいつも後半にスタミナ切れを起こす」という批判をするのはあたらないだろう。
このような試合では、「テスト」される環境にある新戦力が飛ばしすぎてしまうこと、またテストのための交代によってバランスが崩れてしまうこと、さらには途中投入された新戦力たちがまた、自分のアピールのために前へ前へと行ってしまうこと、などなどがスタミナ切れに見せる要因となってくる。それらは本番の試合では基本的に心配しないでいいことだ。最もスタミナ切れが心配されたアジアカップでは、ホームのベトナムの方が先に動けなくなっていたではないか?
4バックと3バック
さて、後半に関してはもう一つ見るべきところがある。カメルーンが2トップにしてきたことで、日本は前半の4バックから阿部が下がり、3バックを形成した。これはオシム監督の指示によるものではなく、選手間の判断で、ピッチ上での話し合いによって行われたことだという。アジアカップ以前のオシム日本は確かにこのように、敵のFWの人数によってDFの数を調整することを臨機応変に行っていたから、それに基づいて選手たちが判断したということなのだろう。このこと自体は間違いではない。
ただ、後半になるといよいよエンジンのかかってきたカメルーンの選手に対して、日本は2人、3人とかかっていかないと、それこそ「個」の力でやられてしまうシーンが増えてきていた。そのためか、3バックといいながら、敵の前線が2人しか張っていないのに、5人がDFラインに残って、5バックの状態になってしまっていることが多くなった。それによって、中盤でカメルーン選手をフリーにし、またこぼれ球も拾えなく、たまに拾えてもフォローの選手が上がってこず、パスをさらわれるか、大きく蹴りださざるを得なくなるか、という状態だった。
オシム監督は、「3バックにするなら遠藤が下がってダブルボランチにするべきだった」という趣旨のことを語っている。それもあるが私は、両サイドや3バックの中の選手も、敵のFWの人数によって臨機応変に中盤へ出て行くべきだったと思う。カメルーンの選手のスピードや1vs1に晒され、また疲労もあり、選手交替によってバランスが崩れている状態では、それは怖くてできなかったことはよくわかる。が、オシム日本のやり方では、そこでも「考えて走る」が求められているはずだ。これをいい教訓にして、また監督とも話し合って、さらに守備の熟成をして行って欲しいと思う。
車は加速する
総体としては、アフリカンの身体能力を体で感じ、甘いプレーが通用しないことを再び刻み、守備の再構築への端緒をつけ、新戦力のフィットもはかれた、よい親善試合だったと思う。このように親善試合をロジカルに「使う」ことは、私は歓迎したい。こうして、アジアカップ後の第2フェーズ、日本代表の選手の選択肢はますます増え、競争は激しくなってきている。そして早くも欧州遠征へ向けての選手の発表が控えている。実に楽しみではないか。
それではまた。
08:41 PM [オシム日本] | 固定リンク | トラックバック (1) |
August 11, 2007新委員会は本当に必要?
(アジアカップ総括は途中ですが、見過ごせない話だと思うので、一回これをはさみます)
アジアカップ後、JFA会長川淵氏は「代表監督評価・査定機関」を作ろうという考えを明かした。
川淵氏: 問題があれば、オシムと(協会が)キャッチボールする必要がある。質問があれば投げかけ、要求すべきはする。技術委員会の中に独立したものを作り、そこでオシムをチェックする。
サポーターの間でも意図が分かりにくいと思われたこの構想だが、これについて西部謙司氏がコラムを書かれている。文中で西部氏は、「本当に、こんな委員会を立ち上げるつもりなのだろうか?」と、新委員会構想そのものに疑問を呈する。
1)投げかけるべき質問のレベルが低い 2)協会に必要なのは距離を置いて観察することよりも、対象に近いところの評価 →そのために技術委員会がある。 3)オシムにものを言える者がいないのが問題なのは確か。 →そこが心配ならば現行コーチングスタッフを替えたほうがいい |
西部氏があげる新委員会構想への疑問は以上のようなものだ。そして、このように疑問のある新委員会の構想には、何か別の目的があるのではないか、と推測し、
西部氏: となると、アジアカップ4位で溜まったファンの不満をガス抜きするのが(川淵会長が新委員会を設立する)真の目的なのだろうか。
としている(括弧内補足はケット・シー)。真の目的についてはわからないが、疑問点は私もまさにその通りと思う。現行のコーチングスタッフ、あるいは強化委員にオシム監督にものをいえる人がいないのは確かに問題だが、それならばその担当を替えるか、別に人材を加えればいいことだ。新たに委員会を立ち上げる理由としては不十分だ。
また、「協会に必要なのは距離を置いて観察することよりも、対象に近いところの評価」に関しても、私は同感である。
以前にもまったく似たようなことがあったのをご記憶の方はいらっしゃるだろうか?トルシェ前監督の頃、技術委員会の他に、釜本氏を長とする評価査定期間「強化推進本部」が設けられた。この委員会が「レポート」を上げ、それによってトルシェ監督の契約を延長するか、解任するかを決めようとしていたのだ。当時の記録を詳細に残した「日本代表監督論」(潮智史著)の中に、次のような一説がある。
自民党の参議院議員を努めていた釜本は、練習はもちろん試合にも駆けつけることのままならない忙しさの中にいた。木之本はJリーグの専務理事として多忙を極めている。こまめに練習から見渡していたのは大仁ひとり。練習の狙いや効果を汲み取れない人間が自分を評価することに憤慨し、(トルシェは)失望感をあらわにした。「協会は査定や評価ばかりで、支援する気持ちがない」「評価を下すのなら、すべてを見て判断すべきだ」(括弧内補足ケット・シー)
まさに、「距離を置いた観察、評価」を否定する事例だろう。技術委員長が現場に足しげく通うのも、技術委員会にコーチが入っているのも、このような問題ががあるからだ。「○○という課題の解決のために、どのような練習をしているのか」「その成果はどのくらい上がっているのか」ということを、きちんと知ったうえで評価しなくては、「どのくらいの強化の進捗状況なのか」も理解のしようがないではないか。ただたんにたまに代表の試合を見て「いい内容だった」「悪い内容だった」などと評価する機関ならば必要ない、ということだろう。
私は常々、代表監督の問題を考えるにあたり、PDCAサイクルをしっかりしてほしいと思っている。PDCAとは、Plan(計画)-Do(実行)-Check(評価)-Act(改善)の略である。日本サッカーは、代表チームはどのような方向を目指すのか、そのような事前プランがしっかりあって、それにあった監督を招聘し、彼の実行をしっかりと評価し、そして改善していく。この場合の事前プランは技術委員会が立てるのが当然のことだろう。
そして、代表監督を評価するにしても、その事前プランを評価者がしっかりと理解したうえで、なされなければならないのもまた自明のことだ。先にあげたような「強化の進捗状況」は、ただ試合を見ているだけでは分からない。「距離をおいた評価、査定」などよりも、事前プランを深く理解し、しっかりと強化課程を見ている技術委員会がそれを行う方が、意味のあるものになることは確かだろうと思う。
かつての「新査定期間」の顛末
これに対し、常々「日本のスポーツ界で最高のリーダーは川淵氏」と発言している二宮清純氏が、1年前、「代表改革へ新査定期間に注目」と題したコラムを書かれていた。二宮氏は、「サポート機関のほかに査定機関を設けることが必要」ということを持論としていたようだ。
コラムの中で二宮氏は、かつての加茂監督と加藤久強化委員長の間の確執が、「技術委員会が評価・査定を行わない機関になったこと」の原因だとしているが、これもまた興味深い書き方である。というのは、加茂監督の退任を進言した大仁強化委員長の例や、むしろ評価・査定を専門とした釜本強化推進本部の事例が無視されているからだ。この「強化推進本部」に関しては、立ち上げられる前に大住良之 氏がすでに疑問を呈していたのだが、その点でも、今回との強い類似があるといえる。
大住氏: 代表チーム監督というのは、単なるサッカーコーチではありません。短期的な目標をもってその実現に努力するとともに、長期的な展望に立ち、いろいろな要素を総合してチームを導いていかなければなりません。
大事なのは、「ビジョン」であり、それを実現する「能力」です。 であれば、いちど監督を選任したのなら、監督がビジョンと能力を最大限に生かせるよう、監督中心の組織がつくられなければならないと思うのです。
とすれば、必要なのは大所高所からものを言う人々ではなく、監督のアイデアを実現させるべく働くスタッフということになります。(中略)
しかし今回の「強化推進本部」は、逆にトルシエと協会の関係をより複雑にし、トルシエを孤立させかねないと思うのです
2000年6月にトルシェ監督の「解任」が大新聞にリークされ、そこから大騒ぎになったわけだが、評価・査定をするはずの強化推進本部はレポートを一本化できず、結局トルシェ監督との契約延長を岡野会長が決断した。この時、政務次官専任を理由として釜本氏が退任し、「強化推進本部」は代表監督のサポート組織へとその性質を変化させ、評価・査定機能はそこから排除された。
これはまさに、「練習に来もしない人々が代表を査定しようとした」ことからくる、当初予想された「ゆがみ」が一挙に噴出した事例だといえるだろう。二宮氏はこの件をなぜか無視しているのだが、今回の新委員会も、やり方をよほど考えないと同じことになる可能性が高いと私は思うのだ。
確かに根拠なき楽観論があるなら問題だが・・・
二宮氏: 代表をサポートする機関といえば聞こえはいいが、チェク機能が動かなくなると緊張感まで失われてしまう。いわゆる代表の“大政翼賛会”化である。根拠なき楽観論の先に待っているのはカタストロフィーだ。
確かに、すべてが監督の言いなりではまずいだろう。そこをきちんとチェックできる機能を、技術委員会には求めたい。
しかし、この文章を二宮氏が書いていたとはまた興味深いことだ。2002年に川淵氏が会長になって、大仁氏から田嶋氏に技術委員長を変更する人事を行った際、田嶋氏は「ジーコ監督の評価・査定はしない」と明言し、川淵氏は「監督の評価やクビを切るということは、最終的にオレが決めればいいこと」と嘯いていた(当時の新聞記事等はネット上には残っていないが、J-KET掲示板の過去ログにその発表後の反応が残っていて興味深い)。「代表の“大政翼賛会化”」「根拠なき楽観論の果てのカタストロフィー」と言えば、この2002-2006体制のことを、普通の人ならば思い起こすのではないか。
そしてそのカタストロフィーの後も「ジーコ采配は検証せず」だったわけであるのだが・・・。
二宮氏: 過日、再任された川渕キャプテンに、この点を質(ただ)した。川渕氏は「技術委員会とは別の機関になると思うが…」と前置きして、こう明言した。「客観性を持たせながら公平に試合を分析し、評価を下せる組織は必要だと思う」。
これは、川淵氏も「2002-2006にチェック機関がなかったのは失敗だった」と認めたということなのだろうか?それとも、そういうことは忘れてしまって、一般論として語っているのだろうか?どうもその辺が釈然としない文章ではある。
このコラムは1年前のものでもあり、今回の新委員会を念頭に置いたものではないが、妙に符合するところも多い。一般論としては、「代表監督の言いなりではいけない」「代表の評価、査定は必要」というのは間違ってはいない。しかし、今回の「距離を置いて客観的に評価をする」という新委員会の構想は、先にも見たように、「練習にも来ず、その狙いも理解しない人々が、評価・査定をする」ということにもなりかねず、うまくいかない可能性が高いと思う。
それよりも、技術委員会の面々がよりきちんとオシム監督に相対し、「問題があれば、オシムとキャッチボールする。質問があれば投げかけ、要求すべきはする」ということができるようになっていく方が、はるかに実のある強化になるだろう。そして、近くにいてしっかりと強化の進捗状況を見て取れる彼らが、それに基づいて評価、査定をできるようになることが、本当に求められることではないだろうか。そのために必要ならば、人事の刷新もあってもかまわない。私としては、祖母井氏を三顧の礼を持って迎えるのが最善の策であるように思うのだが。
それではまた。
12:47 AM [オシム日本] | 固定リンク | トラックバック (0) |
August 03, 2007アジアカップに何を見るか
韓国代表と120分間戦って引き分け。PK戦で日本は4位となり、日本代表にとってのアジアカップは終わった。酷暑、ハードスケジュールの中、戦い抜いた選手たち、支えたスタッフ、監督、本当にお疲れさまでした。また、戦火の中から雄雄しく復興し、素晴らしいサッカーを見せ、優勝したイラク代表の皆さん、本当におめでとうございます。
アジアカップが1年前倒しになり、かつ直前までJリーグがあり、準備のための親善試合がゼロという条件の中、日本サッカー協会は今大会のオシム監督に「ノルマ」は設けない、というきわめて当たり前の判断をしている。私も私的「ノルマ」はなし、「できれば」ベスト4まで行って欲しい、と思っていたので、ちょうどそれは達成されたことになる。特にベスト4まで到達したことで、3位決定戦まで含めて6試合を戦えたわけで、それもオーストラリア、サウジ、韓国という強国と次々と当たれたのは、強化の「実」という意味では非常によかったと思う。
また、大会を通して、日本のポゼッションは高く、決勝トーナメントに入ってからも(11人対11人の時でも)けして内容は悪いものではなかった。それは選手も、オシム監督も言うとおりである。もちろん、今回の大会を最終目標とするならば「内容は良かった」などと言っている場合ではない。しかし、協会もオシム監督も「あくまで強化の一過程」と捉えていたことは、各所で報道されていたことだ。南アフリカワールドカップまでの4年を1サイクルと考えての強化の「過程」としてならば、アジアカップの結果も無視はしないが、まずは内容を見るべき、ということになるのは自明だろう。
きわめて厳しい準備状況
大会前にも書いたように、日本は直前の6月30日までJリーグがあり、現地入りが5日前、準備のための親善試合が一つもない状態で大会を戦った。これはおそらくは参加国中随一の準備期間のなさであり(もちろん過去の日本代表の、アジアカップに臨む準備と比べても圧倒的に不利だ)、それが日本の大会全体に色濃く影を落とした。
現地入り5日前というのでは、Jリーグの疲れを取るのに精一杯だろう。連携の確認も難しく、大会全体を見据えたコンディショニングもできないくらいのもの。そういう状態で迎えた初戦カタール戦は動きが重く、引き分けに終わる。ここでの引き分けがまた、大会を戦い抜くマネジメント上、日本を苦しくした。第3戦のベトナム戦にもメンバーを落としてターンオーバーさせることができず(勝負の決まった後半には主力を休ませたが)、選手に疲労が蓄積してしまうことになる。
そうして迎えたオーストラリア戦、日本は1年前の屈辱を晴らそうと、死力を尽くして戦い、120分の死闘の末、PKで勝ち上がった。この試合まで、日本がすべての試合で走り負けていないことは、実はちょっと凄いことである。コンディショニングのための期間がなかった上に、いわゆる省エネサッカーでもない日本。しかし例えば、現地の気候に慣れていて準備万端のベトナムでさえ、日本より先にスタミナ切れを起こしていた。この大会での日本は、ボールを走らせ、相手を走らせるサッカーをしていたわけだが、それはある程度奏功していたといえるだろう。
しかし、それもオーストラリア戦までだった。サウジ戦では、序盤は問題なかったものの、終盤得点しなければならない状況で、全員が走れていたわけではなかったのは残念だった。ただ、この準備期間、開催地中もっとも苛酷な環境(ハノイ)での4試合ということを考えれば、致し方ないことではあると思う。これを受けて韓国戦では、選手の入れ替えも示唆されたが、結局「同じチャンスは2度来ない」を越えて、メンバーは大幅には変えずに韓国戦を戦った。
オシム: レギュラーがもう一度、チャンスを与えられるようにした。私が選んだメンバーが、よかったのか悪かったのか、もう一度見たいという考えが方針としてあった。
これによって、韓国戦では非常にパスミスも多く、体も重そうで、勝ちきれなかった一つの原因であるだろう。ただ、メンバーを変えないという判断に影響を与えただろう事実として、前日の移動に関してトラブルがあり、現地に着いたのが試合前日の夜、公式練習も満足にできない状況だったことがある。選手を入れ替えた場合の連携の確認なども練習でできないまま、試合を迎えてしまったことも、このメンバーをピッチに送り込んだ理由の一つだろう。
しかし、これまで蓄積した選手の疲労を考えても、韓国戦にはフレッシュな選手の起用をしたほうが、勝つ可能性は高かったのではないかとも思える。この辺は「3位を勝ち取るマネジメント」としては疑問が残るところだ。対して、オシム監督の言葉を信じるならば、彼はその先を見ていたということになる。それがアジアカップの3位以上に意味があったのか否かは、これからの強化の進展によって計られることになるだろう。
オーストラリア戦を越えて
前項では日本の準備状況について書いたが、サウジはどうだろうか。親善試合は
6月15日 vsコソボ
6月16日 vsNKザグレブ クロアチア
6月24日 vs UAE
6月27日 vsシンガポール
7月1日 vsオマーン
と5試合を戦っている。これを見れば、サウジは「しばらく獲っていないアジアカップというタイトルを本気で獲りに来た」と考えてよいだろう。それに対し、日本はオーストラリアという「ドイツW杯での屈辱の解消」の方に目が行き、それを乗り越えたところでほっとしてしまっていたのは、残念だがどうしても否めないところではないだろうか?それほどオーストラリアは日本にとって「大きな相手」だったのだ。
敵として強大である、だけではないのは言うまでもないだろう。1年前のあの忌まわしい出来事を、体験した選手も、そうでない選手も、どうしても脳裏によみがえらせてしまったに違いない。オーストラリア戦では、どの選手も、非常に気持ちの入った表情をし、悪夢を振り払おうと必死に走り、戦っていた。そういう120分を経ての、試合後のあの歓喜。こう言ってはなんだが、選手の気持ちはあそこで切れてもおかしくなかった。
また、サウジアラビアに対しては、近年負けていないとか、昨年の最後の対決で勝ったとか、日本全体に敵に対する「予断」があったことも確かだろう。しかし言うまでもなく、サウジはアジア5強の一角でもあり、個人レベルでも日本と互角かそれ以上の国でもある。それが大会を獲るために、(少なくとも日本以上の)準備を整えてきているのだから、侮れる相手であるはずがない。しかし、日本全体に「オーストラリアに比べれば」という気持ちがどこかに、ほんのちょっとはなかったか。
前回のエントリーを自分で否定することになるが(笑)、サウジ戦や韓国戦でショックを受けた人がいるとするならば、それはやはり情報不足によるものだろう。そもそも日本と同等(か、それ以上)の国が、日本以上の直前準備をして臨んできた戦いなのだ。必ず勝てる、という方がどうかしている。大会前の「三連覇狂躁曲」自体、何とか視聴率を取りたいとメディアが煽っていただけに過ぎず、冷静に考えれば、強化の過程で合宿も少ない日本は、ノルマなしで臨んで正しい大会だったのだ。
ただ、サウジ戦などでは、試合を見ても、選手たちの「気持ち」が抜けているとは私には思えなかった。選手たちの表情、サウジ戦の中澤の得点後の「喜ばなさ」、鬼気迫る上がり、ランニング・・・。ただ、一瞬、集中できていないところ、ふっと息をついてしまうようなところががあった。それは、試合全体でボールを支配し、攻め続けているところに生じる、一種の「ボール持ち疲れ」のようなものだっただろうか。サウジ側にも、韓国にも、それはなかった。サウジは最後まで「最強の敵」と戦うのだというような、切羽詰った表情をしていたし、韓国は一人減ってむしろ気合が入ってしまっていた。
日本にとってはオージーが最強の敵だったのだが、サウジにとっては日本がそうだったのかもしれない。その差はやはりあったと、自分には思える。しかし、この大会で「オーストラリアの呪縛」は解けたはずだ。日本はこれからようやく自然体でアジアに臨める。来年からのドイツワールドカップアジア予選に向けて、これは一つポジティブな要素だと言えるのではないだろうか。
中村俊輔の覚醒を促す大会
SoccerCastの方でも話したのだが、オシム監督にとってアジアカップは、「中村俊輔の覚醒を促す大会」だったのではないか、と思う。言うまでもなく中村俊輔は、個の能力では日本有数の選手だろう。FKはもとより、技術、アイデア面でも、諸条件がそろえば、日本代表の中心になってしかるべき人材だ。しかし、オシム監督が常々語るようにややクセのある選手でもある。有効に機能させればこの上ない武器となるが、それにはいくらか工夫と慣れが必要になってくる。
オシム日本においての中村(俊)は、普段の彼とは違うことにトライしていた。会見で彼はこう語っている。
中村(俊): ポジションも違うし、走る質が変わってきている。基本的に距離は変わっていないと思うが、タイミングとか、自分がもらうだけではなく(スペースを)空ける動きとかを増やそうとしている。距離の問題ではなく走る質。(パスを)出す側からもらう側の意識を持つようにしている。
今は自分に一番足りない、ランニングすることとかを、勉強ではないけど、やっている最中。それをやりつつ大会も勝っていく。そんな感じです。
もちろん、「守備の意識やボールのないところでの動きは、セルティックでも考えていた」というコメントもついているのだが、それにしても大分変わってきているのは確かだろう。あの年齢になって、自分のプレースタイルも確立し、それで結果も出している選手が、このように発言し、実際にそれをピッチで実践しようとしているのは、ちょっと凄いことだと思う。わたしはそれを歓迎したい。
ジーコ監督も退任後の雑誌のインタビューで「中村(俊)には前に出るように再三言ったのだが出なかった」という趣旨のことを語っており、やはり中村(俊)選手の技巧、アイデアはペナルティエリア付近で発揮するべきだと考えていたようだ。そのための一つの方策として、受け手としてのフリーランニングを増やしていくのは理にかなっている。本人もオシム監督の元、意識してそれに取り組み、このアジアカップを通しては、大分それができるようになったと言っていいだろう。
オシム監督にとっては「中村俊輔の覚醒を促す大会」だったと考えると、この大会でのいくつかの方針に納得がいく。例えば、私はなぜ遠藤と中村(俊)を並べるのだろうと疑問に思っていた。これまでのオシムサッカーを考えても、どちらかはもっと分かりやすく「走る」タイプの方がいいのではないかと思ったからだ。しかし、オシム監督の考える「中村(俊)を起用するならば必要になる5人の選手」のことを思い起こすと、「中村(俊)というスペシャリストを生かすための、遠藤というゼネラリスト」がどうしても必要なのだ(とオシムが考えているだろう)ということがわかってくる。
1) サイドを駆け上がるスペシャリスト 2) クロスにあわせるセンターフォワード 3) 逆サイドでサイドチェンジのボールを受けるフォワード 4) 中村の背後をカバーするフィジカルの強い選手(鈴木や阿部) 5) サッカーゲームをよく知っている選手(遠藤や憲剛) |
カタール戦と韓国戦では4-2-3-1で戦ったわけだが、スタートポジションとしてはオシム監督は、中村(俊)を「3」の右サイドとしているように思う。「3」の真ん中で司令塔としてタクトを振れ、ということではなく、あくまでも「受け手」として、サイドでボールを引き出し、そこから技巧を発揮するように、という意図なのだろう。実際中村(俊)が走ってロングボールを引き出しているシーン、ボールを持つ加地の外をオーバーラップしていくシーンなどもあり、その意図はかなりピッチ上に現れていた。
これは個人的な意見なのだが、「代表選手は、所属クラブでのプレーを代表でもそのままやればよい」とは私は考えていない。Jリーグ勢でいえば、戦う相手がJのクラブではなくなっているわけだし、自分のチームにいるブラジル人FWも、代表にはいない。中村俊輔で言えば、セルティックのような「スコットランドリーグでナンバーワンの選手層を誇る」チームと同じプレーでは、世界的に見てナンバーワンの選手層を持っていない日本代表では、問題が生じるだろう。日本代表には日本にあったスタイルを、協会、監督の方針に基づいて導入すべきだし、代表選手もそれに合わせ、所属クラブでのプレーとは違ったものを発揮していかなくてはならない。そう考えると、この中村(俊)選手への要求、それに応えようという中村(俊)選手、ともに私には歓迎すべきことだと思えるのだ。
また、選手交代の画一性もこの大会では言われたが、それもこの考えに当てはめると理解ができてくる。いわゆるドリブラー、特に水野は「中村(俊)に代えて」でないと使われないのではないか。巷間よく「なぜドリブラーを使わない?」という意見があるのだが、オシムに言わせれば「中村(俊)がいるではないか」ということになるのではないだろうか?水野や太田は、オシムの中では「エキストラキッカーの代替選手」なのであって、リズムチェンジ要員ではないのかもしれない。ただ、だからオシムは正しい、ということではなく、理解ができてくる、ということに過ぎないが。
この方針に関しては、暑さの中の対アジアの戦いでは一定の成果が出たが、この先は分からない、というところだろうか。もちろん言うまでもなく、中村(俊)選手も常に招集できるわけではなく、コンディションも変動するだろう。3年後まで彼がずっとトップフォームであるという保障も、残念ながら、ない。また、これからチームを作って備えるべき相手は、アジアばかりではない。そう考えると、このやり方はオシム日本の「バージョンB」であって、次に何を採択するかはまた諸条件で変化していくのだろう。そしてこの大会の成否は、それらの過程を経た後、振り返ってみた時に始めて明らかになるものなのかもしれない、と思う。
中村(俊): 今の代表に必要な動きはしている。自分の出来うんぬんというよりは、一つの部品として…。
あの時(2004年アジアカップ)は個人の力で打開した。オレが出してタマ(玉田)が一人でドリブルとか。
でも、ああいうの(個の力)だけでは強いチーム相手に戦えない。逆に今はボールと人を動かす作業(連動性)を先にやっている分、前の時よりは先が見えやすい感じがする。
今回はここまで。守備や攻撃の詳細については、次回に触れたい。
それではまた。
02:22 PM [オシム日本] | 固定リンク | トラックバック (1) |