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July 22, 2007オシムへの反論
私はオシム監督のことを現時点では支持しているし、その方針や手腕にも信頼を置いている。また、きわめて聡明な人物であるとも思っている。しかし、そういうオシム監督でも間違えることはある。100%常に正しい人というのは存在しない。私がオシム監督に絶対に賛成できない点について、今回は一つ反論しておきたいと思う。
具体的には、オシムの次の談話に関してである。
Q:昨年のワールドカップでのオーストラリア戦は衝撃的な負け方だったが、そのショックが今回の試合にどう影響するのか?
(オシム監督)「1年もの長い間、ショックが続いているということの方がショックですね。そういうショックを乗り越えて生き残ってください。
その時のショックは、ショックとして感じた方がご自分自身に責任があると思った方がいい。対戦相手の情報をきちんと入手していなかったということだから。昨年も今日も情報の種類は変わりない。どんな選手がどんなクラブでプレーしているかを知っていれば、昨年のワールドカップでも簡単な相手でないと分かったはず。昨年のワールドカップでもショックを受ける必要はなかったのです」
私はこの言葉に対して強い違和感を持つ。オシムがはっきりと「間違っている」数少ないポイントだと思う。というのは、この言葉は、日本人が「敗戦という結果」にショックを受けた、としてしか理解していないものだからだ。この点で、オシム監督は大きな誤解をしている。まったく誤った理解であると思う。
同じ負けるにしても、「負け方」というものがある。8分間で3点を失ったという事実だけではない。また、ボールを支配され、攻撃され続けた(シュート数6:20)という試合内容の問題だけでもない。それでもなお、日本チームのサッカーから伝わってくる「何か」があれば、日本人はあれほど失望はしなかったのだ。その点で、日本チームの戦いぶりが、その中に潜む「何か」が、日本全体をあれほど打ちのめしたのだ。
オシムはそこを理解していない。仕方がないかもしれない。オシムは日本人ではないのだから。日本にしばらく住んでいたとは言っても、ドーハでのあの中山雅史のスライディングゴールは見ていないのだ。フランスW杯で足を骨折しながらも走り続け、ゴールを上げた男のことは知らないのだ。2002年大会での、誰もが絶望に包まれそうになった瞬間の、鈴木隆行の伸ばしたつま先を見ていないのだ。それらを共有していないオシムが、私たちがドイツW杯で感じた絶望を理解できないのは、当然のことなのかもしれない。
オシムが言うように、欧州の有名クラブで活躍する選手を多く擁するオーストラリアは、個人の能力では「格上」と見てよい存在だろう。メディアの狂躁的な煽り立てに乗らないサッカーファン、サポーターはそれを理解し、W杯での最大の山場は初戦にあると考えていた。そういう意味では、敗北はある程度「織り込み済み」だったファンも多いだろう。私個人的には、ヒディンク監督が指揮する肉弾戦には、日本の相性は悪いと思っていた(逆に、勝てるならクロアチア戦だとも思っていたのだが)。しかし、もう一度言うが、私たちを打ちのめしたのは「敗北」という「結果」でもなく、試合の「内容」でもなく、さらにその外にあるものなのだ。
某有名少年コミック誌のテーマは、「友情、努力、勝利」だという。少年向けらしいものではあるが、しかしそこには人生の心理の一片が含まれているようにも思う。少なくとも、私たちがスポーツを見て、そして求めるものがそこには表されているとはいえないだろうか?また、個人能力が(現時点では)劣る日本が、世界に伍して戦っていくために必要なものが、そこには表れていると言えないだろうか?「勝利」は水物だ。結果が常についてくるとは限らない。しかし、絶対に忘れてはならないものは、「友情」と「努力」ではないのだろうか?
オーストラリアは個人の能力では「格上」だろう。では日本がしなければならないことは何か。それはチーム全体が一つになって、そして少なくとも相手よりもずっとずっとハードワークをすることではないのか。自分を信じて、チームメートを信じて、勝利を信じて、最後の瞬間まで顔を上げて走り続けることではないのか。格上の相手がこちらをみっちり研究し、しっかりとプレスをかけて来たのだから、日本のよいところ、パスワークを見せられないのは仕方がない。内容の良い悪いは、横においておける。しかし。
しかし。
誇り
ジーコも自分の著書で明らかにしているように、この時の日本チームは一つになっていなかった。それはTVの画面からでも、あるいはスタジアムで生で観戦していても、伝わって来てしまうものなのだ。そして自国の国際審判にも「32カ国で一番戦っていなかった」と言われてしまう、その姿勢。個人能力で劣るチームが、ひとつにもならず、相手よりも走り回っていないのでは、勝てる道理がないではないか?
そして、オーストラリア戦の失点後、さらにチームはバラバラになってしまった。完全に崩壊していた。ボールを奪っても、全力で走り出す選手が見当たらなかった。最後まであきらめずに体を投げ出す選手が見当たらなかった。顔を上げて、戦う覇気を見せる選手がいなかった。この時のうつろな選手の顔、顔、顔。私たちを心底打ちのめしたのは、それなのだ。結果でもない、内容でもない、あの時選手たちの心が折れたのが聞こえたのだ。ただの敗北ではない、あの時日本サッカーは本当に「負けた」のだ。
これはオシムには分からないことだろう。だから冒頭のような発言をしてしまうのだろう。いや?もしかするとオシムにも分かっているのかもしれない。だからこそ、わざと問題を勝敗の結果だけに単純化し、「強い相手に負けただけじゃないか」と言っているのかもしれない。心に傷を負った人間には、何を言っても無駄だ。その傷に理解を示しても、それが癒されるわけではない。他者は客観的なことを指摘できるだけ。後は自ら立ち直るのを持つしかない。オシムはそうしていたのかもしれない。いや、さすがにそれはうがちすぎか(笑)。
この1年、オシム日本が粛々と強化を進めているのを好ましく見つつ、どうも日本代表のサポーターが性急になってきているのを私は感じていた。チーム立ち上げ1年にしかならないオシムに、いきなりアジアカップ優勝を「ノルマ」としようとする。一体これはどういうことかと思いながら、しかし私にも内心それは理解できなくはなかったのだ。日本のサポーターも心が折れてしまったのだ。あのドイツの代表は、胸を張ってサポートできない、誇りをもてない、そういう代表に見えてしまったからだ。心にぽっかり穴が空いてしまった。それを埋める何かを、とても切実に求めてしまうのだ。
心に傷を持った人間が、「荒れて」しまうこと。それまでとは人が変わったようになってしまうことは、残念だがしばしば見られることだ。私たちはこの1年、ずっとそれを抱えてきた。2006年以前と同じ気持ちでサポートできた人はどれだけいるのだろうか?何かわざと白けてしまったり、心理的に距離を置いたり、忘れようと努力してみたり、やけに人に突っかかってみたり。しかしそれはむしろ正常なことだと思う。「あの」後では。あの後の1年間がそうであるのは、あたりまえのことだろう。
私はこのアジアカップで、オーストラリアと対戦できたことを、本当に本当に感謝している。
私事になるが、私は昨日の試合を、1年ぶりに日本代表のユニフォームを着て観戦した。1年前と日本チームは同じだろうか?変わっていただろうか?一つになれていただろうか?相手よりも走っていただろうか?
「誇り」を持てる、私たちの、代表だっただろうか?
あの大きな円陣を見たとき、中澤が手を叩いて叫んでいる姿を見たとき、高原の得点後のほえる姿を見たとき、最後のPKの後の中澤を見たとき、私は少しだけ涙が出た。私は彼らにひとこと言いたいと思う。
「おかえりなさい」
それではまた。
04:18 PM [オシム日本] | 固定リンク | トラックバック (7) |
July 20, 2007脱ぎ捨てる
オシム日本は開催国ベトナムに勝利し、GL(グループリーグ)1位突破を決めた。酷暑、ものすごい湿度の中、戦い抜いた選手たち、支えたスタッフ、監督、御疲れさまでした。ただもう試合から時間もたち、オーストラリア戦も迫っているということで、今回のエントリーは「オーストラリア戦へ向けて」という視点もあわせて書いてみたい。
序盤~失点シーン
日本 | ベトナム | |
ボール支配率 | 68.5% | 31.5% |
シュート数 | 13 | 4 |
ベトナム戦は、それまでにも増して高い気温の中でのキックオフとなった。また、ホームベトナムの後押しをするべく、ベトナムサポーターの大観衆が詰め掛けており、その大声援によって、ピッチ上の選手間の指示の声も通らないほどだった。そして高温多湿に慣れたベトナム選手が、立ち上がりから飛ばして来て、非常にアグレッシブにピッチ上を走り回る。日本にとって厳しい条件がそろっていたと言えるだろう。
このような状態では、選手も平常心で試合に入ることは難しい。従って、加地が言うように、しばらくはロングボール主体にしても、リスクを負わないサッカーを行っておくことも一つの正しい選択肢となる。
加地: 最初は高さのない相手に対して放り込んで、間延びさせるのがゲームプランだった。(中略)相手がへばってきたら、パスを回して戦おうという約束事があった。
にもかかわらず、高原が開始早々の4分に敵陣の密集に下がってボールを受けて振り向こうとしてミス、そこからカウンターを食らっている。敵のカウンターが失敗したからいい、最終的に勝ったからいい、ですましていては、オーストラリア戦に勝つことはできないだろう。しかも高原はこのチームでは堂々の柱、年長でもあり、最も「世界の厳しさ」を知っていなければならない選手だ。はっきり言ってリーダーの一人たるべき選手だろう。それがあのようなミスをしていてどうするのだ!
失点はCKから。おそらくは中澤がブラインドになってボールの軌道が見えなかった鈴木啓太が、オウンゴールしてしまった。オウンゴール自体は運の要素もあるだろう。が、このCKは、攻め込まれて中澤がクリアしたボールが敵選手に入りそうになったところを俊輔がカット、そのこぼれが巻の方へ転がり、俊輔と巻が「お見合い」のようになってベトナム選手に拾われて、そこから与えてしまったもの。推測だが、この「お見合い」は、ベトナムサポーターの大歓声に、お互いの声が聞こえなかったために起こったのではないだろうか。
ただ、そのような状況に慣れている、また味方が浮き足立ちかねない序盤であることも理解している「べき」なのはやはりこの場合、経験豊富な中村俊輔の方であろう。このシーンは半分は無理もないとは思うのだが、オーストラリアに備えるためにあえて言えば、中村が泥臭くてもこぼしたボールを追い、大きくクリヤーなどしていれば、このCK、失点はなかったのではないか。ベトナムだからこのあと取り返せた。オーストラリアだったらどうなっていたか。
吼えろ俊輔、叫べ遠藤、怒れ中澤!
そして失点の後も、怒る選手、あるいは手を叩いて鼓舞する選手が、TVに映っていないだけかもしれないが、見当たらなかった。さらには、18分、19分、とミスも続いている。オーストラリアだったらそれらを確実に決めてくるぞ!西部謙司氏が言うように、こういうミスをなくすためには、ピッチ上に「怒る」選手がいる必要もある。98年W杯で優勝したブラジル代表でも、ドゥンガに周りの選手が「怒ってくれ」と頼んだほどだ。しかし今の代表には見当たらない。
オーストラリア戦に向けて、私はここで選手たちに要求をしたい。吼えろ俊輔!叫べ遠藤!怒れ中澤!君たちは今、もうチームを引っ張っていくべき選手たちのはずだ。自分はそういうキャラクターじゃない?そんなことを言っている場合じゃないだろう!あのカイザースラウテルンの惨めさをもう一度味わいたいのか?今のままで、オーストラリアに勝てると思っているのか?誰かがやらなくてはならない。「誰か」じゃない、君がやるんだよ!
オシム監督にも本当は望むことがある。キャプテンマークを、上記3人か、鈴木啓太か、阿部に託して欲しいのだ。川口をキャプテンにするのは、本来は問題ない。しかし、今回はフィールドプレーヤーにそれを託した方がいいと思えるのだ。というのは、川口はキャプテンマークがなくても怒るときは怒るが、上記3人はそうではない。また啓太や、阿部は年長組に対しての遠慮もあろう。キャプテンマークなんてただの布切れだ?普段はそうなのだ。しかし、この試合は違う。彼ら5人の誰かに渡せば、変わるのだ。たった一枚の布切れが人を変える事もある。私はぜひ、彼ら5人のうち誰かに、そう、「がらじゃない」と一番言いそうな中村俊輔にこそ、あの腕章を渡して欲しいと思うのだ。オシム、頼む!
「使い、使われる」俊輔
先制されたあと、日本は当初のプランどおり、中盤を飛ばしてロングボールを前線に入れるようになる。失点直後、啓太がボールを持つと、憲剛と加地が左斜め前方を指差している。啓太はその通り、(日本から見て)ペナルティエリアの左カドのあたりへボールを入れる。そこには巻と遠藤が走りこんでいる。この同じプレーを、日本は9分、10分、11分と繰り返している。このあたりは、失点してさらに浮き足立ってしまいかねない日本の取る策としては論理的であったろう。
そして、中村(俊)がはじめてその左斜めへのロングボールの「受け手」に入ったのが11分、そこからあの鮮やかな切り返し、クロスによって、巻の胸ゴールを導き出す。前回も書いたが、中村(俊)が「組み立て」ではなく、受け手として「使われて、最後を決める」役割を相当意識するようになったことを、私は歓迎したい。この試合でも、その意識がかなり高まっていると言えると思う。
もちろん、いったん下がってボランチレベルでボールに触りたがる癖は残っているのだが、それでも13分、20分、34分と、UAE戦と比べてもさらに、「受け手」としてのプレー、第3の動きが増加している。まあ私の持論に固執するわけではないが(笑)、特定の中心、ゲームメーカーを決めないオシムの「多中心サッカー」に、中村(俊)もかなりなじんできたと言ってもいいだろうか?ジーコもドイツ大会後、雑誌のインタビューで「中村(俊)になるべく前に出るように言っていた、が、なかなか出ようとしなかった」という趣旨の述懐をしていたが、この大会では、ついにそれが可能になりつつあるように見える。
今のチームには、遠藤、憲剛とゲームを組み立てられる選手はいる。中村(俊)は、もちろんある程度はビルドアップに参加してもいいが、なるべく前方で、ペナルティエリア付近でその技巧を発揮して欲しいものだと思う。使い、使われる、その両者を中村(俊)がこなすことで、オーストラリアにしても(あるいはこれからの対戦者にしても)、狙いが絞れなくなり、そして結果、中村(俊)がフリーで技巧を発揮できるシーンも増えるはずだ。私はオシムの方針と、それを消化しつつある今の中村(俊)の姿を歓迎したいと思う。
カウンター対策~前から「掴む」サッカー
同点弾後、興味深いことにこのロングボールは頻度を減らしていく。そして落ち着きを取り戻した日本は、パスをつないで攻め始める。ただし、まだ時間はたっぷりあるし、無理をする必要はない。ボールを走らせ、ベトナム選手の疲労を待とうという作戦を取るべきだ。日本チームは基本的にはそうしていた。これはまったく論理的な試合運びだったと言えるだろう。
ただこの時間帯、いただけないのは、かなり敵のカウンターにさらされる機会があったことだ。ベトナムが引いてカウンターを狙っていることは分かっているのに、敵陣のカウンターの起点になりそうなところで無理をする。そして、ボールを失ってしまい、さらにはカウンターの芽を摘むことができなく、長い距離をドリブルで持ち上がられ、そこからパスで崩されそうになる。
このカウンター対策の問題は、以前にもオシム日本の守備時の問題点の一つとして指摘した。ただ、当時は中盤でも厳密なマンマークが課せられていたからか、この試合の前半よりは、前線の選手にも敵を「掴む」意識が強かった。キリンカップのあたりからオシム日本は守備時のゾーン志向の度合いを増していったのだが、それとともに前線での守備も、一部の選手を除き、パスコースを切ったり、待ち受けて守ったりということが増えてきた。それがこの試合の前半に出たというところだろうか。
最終ラインに人数がそろっていると、前線や中盤の選手は自分の目の前にボールホルダーがいても、あまり激しくチェックしなくなってしまう。もちろんそれはサボっているのではなくて、そこで抜かれるよりもディレイを仕掛けた方が有効だ、という判断から来ているものだ。しかしそれは同時に、きちんとディレイできないと、敵のカウンターをスピードに乗せてしまう危険も伴っているのだ。「飛び込まない、距離を置いて守る」前線の守備が、この試合でのベトナムのカウンターを鋭く見せていたことも確かだろう。
ただしこれは、ベトナム戦の後半になってやや改善されていた。ハーフタイムのオシム監督の「前線からからもっとしっかり守備を」という指示もあり、またおそらくは選手同士の話し合いもあったのだろう。前線や中盤の選手たちが守備時に、よりしっかりと体を寄せる、厳しく体を張ってチェックするようになっていった。そう、自分より後ろに人数がそろっているからこそ、そこで厳しく行って抜かれても、敵の体制を崩してしまえば、後方の選手が有利になる、楽に守備ができるようになるのだ。
もちろん、後半はベトナム選手の運動量が落ちた影響も大きい。ただ、この守り方の変化が、後半急に増えた日本DFが前に出てのインターセプトにつながっているのだと思う。前線の守備が厳しくなれば、敵は苦し紛れにボールを離さなくてはならなくなる。パスの精度が落ちる。それを阿部や中澤が前に出てカットし、そこからスピードに乗って逆にカウンターを仕掛けた。中澤のそれの迫力に、私は感嘆したものだ(笑)。
オーストラリア戦も、基本的には日本の方のボール保持が長くなるのではないか、と個人的には予想している。必然的に、オーストラリアのカウンターも増えるだろう。この試合の後半に見せたよりも、もっと激しく、もっと強く、深く腰を入れて、前線の選手が敵を「掴んで」いって欲しい。それは暑い中苦しいだろうが、そうしたほうが試合全体で見ればよりラクになるはずだと私は思う。2000年大会の名波は、今の誰よりも激しく、厳しく、前線でチャージをしていたぞ!
昨日とは違う明日へ
さて試合は、美しいパス回しから中村(俊)が右足で、そして遠藤のFKから巻がヘッドで追加点を上げ、後半14分にはほぼ終わってしまったと言っていいだろう。この後日本は、羽生、水野、寿人を入れて、試合を「殺し」にかかる。本来なら2試合目までにGL突破を決めて主力選手を休めさせることができたらよかったのだが、初戦の引き分けでそれはかなわなくなった。しかし、早々に試合を決めた結果、後半には中村(俊)、高原、遠藤を休ませることができた。これは今後に向けてポジティブだと思う。また、頼れる選手がいなくなってからのシミュレーションにも(少しは)なったかもしれない。
ただ私は、中村(俊)が交替を告げられる時に「ええ~、もう下げちゃうの?」と嘆きの声を上げていたことを告白しておかなくてはならない。というのは、私にはこの試合で中村(俊)が、さらにまたもう一皮向けそうな気配を漂わせていたような気がしていたのだ。表情や、プレーに、「言葉や態度でもこのチームを引っ張る」という意思が見え始めていたように思ったからだ。オーストラリアに勝とうと思ったら、クールに淡々と、サッカー的に正しいことをしているだけではダメだ。血の熱さが必要だ。それを表に出すことが必要だ。この試合では、中村(俊)の中のそれが、少しだけ見え始めたように思う。
あとはそれを表に出すだけだ。思えば2000年アジアカップも、それまではクールな技巧派と思われていた名波が、完全にチームリーダーとして覚醒した大会だった。この大会もそうなることを祈ろう。もう一度言う、吼えろ俊輔、叫べ遠藤、怒れ中澤!チームはあとちょっとで、さらに一皮向ける。ただ、この一歩が本当に踏み出すのが大変な一歩なのだ。ただこれさえ踏み出せれば、日本はもっと、凄く先にいける。オーストラリアとの対戦は、そのまたとないチャンスではないか。
「波高かれ」と私は書いた。最高の波が来た。これを乗り越えなければ、先には進めないのだ。今とは違う明日へ行こうではないか。日本はまだまだチャレンジャーだろう?日本はまだまだ成長できるんだろう?日本はまだまだ強くなれるんだろう?明日はそれを証明する日だ。そのためにこそ、選手たちよ、殻を破れ!
それではまた。
03:56 PM [オシム日本] | 固定リンク | トラックバック (1) |
July 16, 2007軌道に乗った「ベース+アルファ」
UAE戦は、コロンビア戦でも見え始めていた「ベース+アルファ」のチーム作りが、軌道に乗りはじめ、一つの形を見せた試合だったと思う。
オシムサッカーの「ベース」は、攻撃に関しては以下のようなものだと思われる。
・すばやい守→攻の切り替え ・数多いフリーランニング・追い越し ・数的有利を作ってのサイドアタック ・DFラインからの攻撃参加 |
これらについては、昨年のホームでのサウジ戦において、国内組だけの中でならほぼ理解ができつつある状態だった。私は「難解」といわれるビブス練習を鑑みても、もっと時間がかかると思っていたので、代表レベルの選手の習得力にそのときやや驚いたものだった。
今年になって、ペルー戦、モンテネグロ戦、コロンビア戦と、いわゆる海外組が、特に中村俊輔、高原の両名が起用され、チームに組み込まれ始めた。オシム監督はこの数試合で、「ベース」の上に海外組の高い「個」の能力を融合する、「ベース+アルファ」こそがこれからのオシム日本の路線となるということを、はっきりと示し始めたのだと私は思う。
ペルー戦はまだ顔合わせ程度だったが、SoccerCastでも語ったように、コロンビア戦では中村俊輔選手も「数的有利を作ってのサイドアタック」に参加しようと、ボールを持った加地選手の外をオーバーラップしていた。それがデコイラン(おとりの動き)となってもかまわない。そういう動きを、俊輔であっても、遠藤であっても精力的にやっていかなくてはならない。海外組も次第にオシムサッカーに習熟していく。そしてその中で高い「個」の能力を発揮していく、そういう道筋が見えたのが、このUAE戦だった。
「帰って来た」遠藤
開始序盤は、初戦で敗北し、勝たなくては後がないUAEが飛ばして来た。フランス人メツ監督のチームらしく、4バックを高く押上げ、サイドからの攻撃を分厚くしようとする。1分、8分と、密集してプレスしようというところを抜け出され、クロスやあわやシュートまで持っていかれている。しかし日本もうまく対応し、その後は中盤ではきちんとプレスできるようになっていく。12分には巻と啓太が左右からはさみ、パスコースがなくなったところで後ろから阿部が抑え、3人で囲い込んで奪った。こういうシーンがこの試合ではずいぶんと増えた。この辺も進化の跡が見えると思う。
日本はペースを落ち着けると、ボールをまわしながら攻勢に出る。ここで目立ったのが、相手の高いラインの裏を取ろうという遠藤の動き出しだった。カタール戦でのフィニッシュ意欲への批判が聞こえたのか(笑)、この試合ではずいぶんとそれを増やしていた。序盤だけでも6分には遠藤がドリブルでペナルティエリア内へ、10分には俊輔からラインの裏へ走る遠藤へ、15分には加地からのクロスにペナルティエリア内に遠藤も入り込んでいる。16分には遠藤のシュート。カタール戦の遠藤はもういない。「数多いフリーランニング・追い越し」・・・遠藤がオシムの「ベース」に帰ってきた。
また、高原のパートナーに巻が入ったのも試合をスムースにしていた。高原はいったん下がってボールにさわり、そこから戻りながらプレーすることを好むのだが、その際も巻が前方で張り、裏を狙い続けていることで、UAEのDFラインは押し上げられない。それによって敵陣にスペースができ、パスがよく回ったという効果もあった。高原としても1トップでポストも担わなくてはならない場合よりも、負担が軽減されたのではないか。この辺はホームサウジ戦での巻-我那覇という2トップでの役割分担と同じ形だ。
「水を運ぶ人」と・・・?
しかし、カタール戦から疑問なのだが、なぜオシム監督はセットプレーを素直に蹴らせないのだろうか?非常に多くのショートコーナーや「スリープ」を使って、普通に上げてヘッドで競らせるということをあまりしない。高原、中澤、阿部、巻というヘッダーがそろっているのに、解せないことだ。
と思っていたら、そのショートコーナーから俊輔がクロス、中央で高原が素晴らしいヘッドで決める。試合後に俊輔も語ったように「練習どおり」の形ではあるのだろうが、このかたちを多用するわけはなんだろうか。一つ想像できるのは、ワンクッションを入れることで、クロスに対してボールウォッチャーになりがちな中東の選手たちの目を引きつけ、中央でのマークをルーズにしようという意図なのかもしれない。だとしたら、このシーンは確かに奏功したと言えるだろう。
「ところでこの試合、俊輔は右サイドをスタートポジションとしているが、次第に中へ入っていくことが多かった。これに対し、憲剛と遠藤が右を意識し、加地を生かすパスを出していた。ここ数試合、加地があまり輝かないと見ていた人も多いかもしれないが、UAE戦では中盤の選手もそれを消化し、加地が再び輝きだしたと思う。追加点はその憲剛の加地へのパス、「ベース」通りの「数的有利を作ってのサイドアタック」で、加地の横を啓太がすごい勢いでフリーラン、加地につめようとしていたUAE選手がそれに釣られ、加地はフリーでクロスをあげることができ、中央で高原が見事なトラップから反転、シュート、ゴール!
「ベース」+「アルファ」とはこういうことだろう。オシム監督は「エキストラキッカーは一人か二人」といつも言っているが、逆に言えば、オシム監督のサッカーでも一人か二人は、そういう選手を起用できる/すべきだということでもある。トルシェ監督が言っていた「7人の明神と3人のクレイジー」という言葉とも妙に(笑)符合する。コンセプトに基づいて、しっかりと動き、お膳立てをする選手と、そして最後に仕上げのスパイスを一振りする選手。この組み合わせがかなりうまくいき、生まれたのがこの得点だと思う。
Number誌682号では、オシム監督の友人ゼムノビッチ氏(元清水エスパルス監督)が、オシムサッカーについて語っている。少し長くなるが引用しよう。
ゼムノビッチ: オシムさんは、よく、「水を運ぶ人」という表現を使っていますけど、では運んだ水をどうするのでしょう?(中略)正解は「家を建てる」なんです。
ヨーロッパで家を建てるのはマイスターです。(中略)しかし、優秀なマイスターだけでも家は建たないんですね。彼が煉瓦を積むために水を運んできたり、材料をそろえたりする人がいないと仕事が進まない。ですから「マイスター」と「水を運ぶ人」の両方がいて、はじめて家が建つわけです。
世間ではオシム監督は少し誤解されていると思う。以前にも、必ずしもコンセプトどおりの動きをするとはいえない三都主を重用していたことからもわかるように、おそらくは「水を運ぶ人」だけではなく、「煉瓦を積む人」も必ずチームに組み込んでいくのだろう。この得点は、そういうことを改めて考えさせてくれるものだった。
3点目は、解説が「練習でよくやっていた」という細かいつなぎから憲剛が遠藤へ、右から左大外へのサイドチェンジ気味のクロス。この試合では憲剛や遠藤からのサイドチェンジもよく目立っていた。カタール戦ではほとんどなかったそれが改善されているのも、チームの進歩を感じさせて興味深い。遠藤はペナルティエリア内でトラップ、シュートしようとしてキーパーにファウルを受け、PKをゲット。実は6分にも遠藤がペナルティエリア内にドリブルで侵入し倒されており、「あわせ技」的に審判が取ったのではないか、と私はちょっと疑っている。これを中村がしっかりと決めて3点目。日本は前半で3点を決めて折り返した。
攻め続けたのはなぜか
後半になると、日本もリスクを負う必要はなくなり、巻の頭をめがけたボールも増える。これを巻がしっかりと落とし、周りの選手に拾わせるというのも、オシム日本のパターンの一つだ。後半開始早々に巻のヘッドから高原がフリーでキープ、クロスから遠藤の逆サイドでのシュートにつながっている。後半4分にも、また終盤、UAEが酷いチャージを繰り返すようになったあたり、後半34分、37分、38分でも同様のプレーが見られる。終盤にはUAEの足も止まっており、ボールを拾った水野や羽生はフリーだったことも多く、得点につなげたかったところではあるが。
日本 | UAE | |
ボール支配率 | 64.0% | 36.0% |
シュート数 | 13 | 8 |
しかし興味深いのが、3点をリードしたこの試合の後半でも、日本はあまり「時間稼ぎ」らしいプレ-を選択しなかったところだ。これだけの暑さ、湿気でもあるから、セーフティーにセーフティーにやっても良いだろうに、そうしない。中村は後半5分には加地の外をフリーランしているし、13分には憲剛が、14分には駒野が、スピーディーなパス&ゴーを敢行している。16分には憲剛と遠藤の2回のサイドチェンジから、右に大きく開いた中村俊輔にボールが渡り、深い切り返しからシュート!この辺、俊輔が「使われて、最後を決める」役割にも顔を出すようになったことは、個人的には歓迎したい。
ところが、20分には同じようなプレーがカウンターの基点になってしまう。左に位置する遠藤から、右サイドの開いた俊輔へ大きなサイドチェンジのパス。俊輔はこれをフリーで受けている。この動きは良いと思う。これをもっと繰り返して欲しいところだ。
しかし、そこから俊輔は左大外に上がってきた駒野へ大きなクロス。こぼれ玉を後半から入ったA・モハメドに拾われ、憲剛がそれに相対するが、突破されカウンターを食らってしまう。阿部は左へ開いて行くマタルを見ている。鈴木が走りこむアルガスについていくのだが、あと追いになって体勢が苦しい。中澤は中央にいるがやや躊躇したか。いずれにしろ、A・モハマドからアルガスにパスを通され、アルガスに突破され、シュートを浴び、1失点。
この失点について、基点となってしまった俊輔のプレーを責める必要はあまりないだろうと思う。それまでも、あるいはそれからも、同様のプレーは多くの選手が行っており、「中がマークされていたら大外を上がってくる選手に合わせろ」というのはむしろ約束事ではないかと思えるからだ。PKを得た遠藤へのクロスもそうだし、後半27分の遠藤、37分の水野なども同様のプレイを選択している。この辺、アジアカップでの日本はサイドからシンプルに上げずに、小技を使っていく、あるいは目先を変えていくことが多い。これも中東勢のボールウォッチャー癖を利用しようということだろうか。いずれにしろ、チームとしての共通意識ではないかと思う。
これらのプレーや、終盤に投入された羽生や水野が精力的にパス&ゴーや、オーバーラップを仕掛け、「3得点しているのに攻撃し続けた」ことを、TVの松木解説はずっと批判していた。「時間稼ぎをしろ」というのだろう。この試合だけのことを考えれば、そのこと自体は間違ってはいないが、私は少し違った考えを持っている。
Jリーグが直前まであり、非常に準備期間が短く、大会前の親善試合もなかった日本。この大会では、いわば「走りながらマシンを仕上げる」に近いことが必要とされているのではないかと思う。そのためには、一試合のことだけを考えるのではなく、大会全体のことを考えて、なるべお互いの考えをすり合わせるように、パス回しや攻撃の慣熟を行っていくことも必要だろう。
さらにもっと先を見れば、オシム監督が言うように、4年後へ向けてのチーム作りの一環と考えることもできる。そういう意味では、羽生や水野が入ってよりシンプルにボールがまわせるようになった終盤の試合内容も、そしてそれをしようとした選手たちの意図も、ポジティブなものだと思うのだ。
巻のプレッシャーとロングボール
終盤にややUAEペースに見えた理由は、GKやDFからのロングボールがマタルに合い、そこでキープされシュートまで持っていかれたりしたからでもある。これにはいくつかの興味深い点が隠されている。まず、そういったプレーが増えたのは、試合開始から精力的に敵DFにプレッシャーをかけていた巻が、ガス欠のため動けなくなったことによるものだろう。22分、ロングボールを日本の右に開いたマタルに入れられ、H・アリがオーバーラップしてきたため加地はそちらに付き、俊輔がマタルに応対したがクロスを入れられている。このとき巻は動けていない。
同じようなロングフィードが24分、25分、26分と続いていく。ヘッドで競るのは加地なのだが、5分5分の勝負で、競り負けるといきなりシュートまで持っていかれる。その辺が劣勢に見えた原因だろう。しかし、ここで水野が投入されると、28分、羽生とともにGK、DFへプレッシャーをかけ、それによってロングフィードを防いでいる。
ところが、鈴木が痛んで外に出ると、羽生は中盤左サイドでの守備をせざるを得ず、再び31分、マタルへのフィードが入っている。35分には巻が復活、羽生も水野もプレッシャーをかけにいく。この辺、「ロングボールを防ぐには前線でのプレッシャーが有効だ」というテーゼのはっきりした証左になっていて興味深かった。
鈴木が傷んで今野が投入されると、今野は阿部、中澤とともに3バックを形成し、中澤がマタルを見るようになる。こうなると、マタルへのロングボールを入れても、中澤と競ってはモノにできる可能性が減ったと見たのだろう。UAEのフィードは狙いが定まらなくなり、急速に脅威を減じていった。この辺の選手の対応力もまた、興味深いものであった。もちろん、この前後の日本のボールキープも、シンプルで少しずつパス&ゴーを織り交ぜた、有効に時間を使いつつ、オシム日本の完熟走行らしいものだったと思う。
ベトナム戦へ向けて
さて、総体としては、必要だった勝ち点3も得られたし、チームの慣熟もしだいにこなれてきた。悪くない試合振りだったと言えるだろうが、唯一心配な点が、いまひとつカウンター対策に冴えが見られないところだ。どの選手が、というわけではないが、中央の2CBバックにプラスしてアンカー役が啓太一枚という問題か、この試合の失点シーンも含め、カウンターに対して磐石とはいえない感が漂う。ベトナムはおそらく相当カウンターの鋭いチーム。しかもホームでもあり、何がファウルにとられるかわからない。慎重の上にも慎重を重ねる対応が要求されるだろう。
それもまた、新たな試練だ。前回に引き続き、波は高い方がいい、と言っておこう。しっかりとそれを乗り越え、選手たちには大会が終わった時、一回り大きな戦士になっていて欲しいと思う。おっと言い忘れていた。酷暑の中で戦った選手たち、そして彼らを支えたスタッフ、監督、本当にお疲れさまでした。しかし、あまりにも短い休息の後、もうベトナム戦は迫っている。集中して、気を抜かず、是非とも勝ち点3を勝ち取って欲しい。殻はもうほとんど破れている。あと少しだ!
それではまた。
02:03 AM [オシム日本] | 固定リンク | トラックバック (1) |
July 11, 2007Maiden voyage
オシム日本代表のアジアカップ初戦、vsカタール戦は1−1の引き分けに終わった。第3戦で地元ベトナムと戦う日本としては、早めにGL(グループリーグ)突破を決めておきたかったところで、勝ち点3を逃したのは悔やまれる。しかし、残り2試合で勝ち点を取ればGL突破は確実になるわけで、悲観することなく、次へつなげていって欲しいと思う。
試合自体は、中村俊輔が冷静に語るように、それほど悪い内容だったというわけではない。
中村俊輔: 「試合自体は悪くない。形は見えてきた。あとはフィニッシュだけ」
「今までよりボールは回せている。あとは、最後だけ」
「攻め込まれて、どうこうというわけじゃない。次につなげやすい。」
カタールはご存知のようにアジア大会優勝国だが、そういうチームを相手にしても日本はボールを支配し、形を作っていった。もちろんオシム監督の目指すサッカーは完全にはできていなかっただろうから「良い内容」とは言わないものの、合宿開始から1週間目のチームとしては、それほど悪くない内容だった、と私は思う。数字はあくまでも参考にしかならないが、この試合のスタッツを参照しておこう。
日本 | カタール | |
ボール支配率 | 62.9% | 37.1% |
シュート数 | 10 | 3 |
さらにさらに参考までに、同じように酷暑の中の試合だった3年前の中国アジアカップ初戦、オマーン戦のスタッツも置いておく。
日本 | オマーン | |
ボール支配率 | 50% | 50% |
シュート数 | 8 | 16 |
横パスの嵐
カタールは、おそらくは長い合宿で相当にトレーニングを積んできたのだろう、組織立ったきれいなゾーンディフェンスを形成していた。それも自陣の相当低い位置で。この辺は、マンマークが多かったこれまでのアジアとはやや様相を異にしている。そして日本がDFライン〜ボランチでパスをまわしていてもチェックに来ず、ハーフウェーラインを越えてから今度は一転ハードなあたりでガツガツと削りに来る。選手間の統一された意識が感じられた。
対して日本は、中盤で持っても前線の動き出しが少なく、パスの出しどころがなくて躊躇してしまう展開が続く。仕方なしに横パス、横パスの連続になる。横パスの嵐だった。これではまったくオシム監督のサッカーとはいえないだろう。原因としてはやはり前線に、高原、中村俊輔、遠藤という、走り込みよりもテクニックに特徴があるような選手を3人起用したことによる部分が大きそうだ。
また、暑さの中、大きな大会の緒戦ということで、普段は前線への飛び出しを熱心に行う鈴木啓太もかなり自重していた。さらには、深い芝で中盤の選手の足にボールがつかなかったこと、そして、経験の浅い選手たちが、初めての大きな大会の初戦という緊張から、カチンコチンになっていたこともその大きな要因としてあげられるだろう。
ただ、この前半の選手の「動かなさ」に関しては、選手の「意図的なもの」だったという可能性もある。前述した鈴木啓太もそういうコメントを残しているし、また遠藤も、Number誌682号「オシムはアジアを制するか」の中のインタビューで次のように語っている。
遠藤: ビルドアップのところで簡単にボールを奪われないことが、後半のための一番の体力温存だと思います。だから、そんなに走りすぎないでもう少しまわしてもいいのでは、といつも思っています。ボールが入ってくれば、僕やシュンが変化をつけられる。
もちろん、この前後に基本的にはオシム監督の方針を支持していることを言明した上でのコメントだが、それにしてもこの試合はまさに彼の言葉通りになったと言えないだろうか。
さらには、この展開については、オシム監督もある程度は仕方ないと思っていたのではないかと思う。いつもなら意に沿わない展開の時にはかなり早くから立ち上がり、大声で指示を出すオシム監督が、前半ずっと座って見ていたのも、ある程度はこの展開が「織り込み済み」だったせいもあるのではないだろうか。それにしてもなんともじりじりとする、イライラの募る展開の前半だった。
疑問の残る選手起用
カタールはゾーン守備だと書いたが、高原がいうように、それはポジションチェンジしても敵があまり混乱しないタイプの守備でもある。
高原: 自分がどう動いても相手は動いてこないし、スペースが作れない
一般的にこういう時は、敵の一人の受け持ちのゾーンに二人、三人と入っていくことで敵を混乱させることができるのだが、この試合ではカタールの1トップを除く全員が敵陣深くに位置取っているため、それも難しい。ボールを奪った後の守→攻の切り替えの速さを旨とするオシムサッカーにとっても、最初から敵が全員引いているのでは突くべきスペースがなく、攻撃が非常に難しくなってしまう。この辺、相手の守備を見るのも、私には少し興味深かった。
しかしそれにしても、遠藤、俊輔を2列目で並べる必要はあるのだろうか?と疑問に思ったのも事実だ。サイドからクロスが上がった時にペナルティエリア内にいるのが高原だけということもしばしば。山岸はまだシュートシーンに顔を出すが、中村と遠藤のフィニッシュへの意識のなさはどうしたことだろうと思わされてしまう(遠藤は以前はできていたのだが)。彼らは、ペナルティエリア付近や角でボールを受けても、シュートではなく、誰かへのお膳立てのようなちょっとした小さなパスを選択することが多い。彼らが積極的にシュートを打てば、敵の守備ももっと混乱しただろうにと思う。
敵がゾーンでもあるため、一瞬だけなら中でボールを受け、前を向くこともできているのだ。そういう時に強引でもシュートを打つか、あるいはドリブルで突っかけていけば、敵はペナルティエリア付近でシビアな守備をせざるを得なくなる。結果、敵陣のバランスを崩したり、あるいはファウルを得たりということができるようになるはずなのだが、俊輔、遠藤、それに憲剛あたりはきれいに崩すことにこだわりすぎているように見えた。
この辺は選手起用の問題、つまり監督の問題でもあるだろう。やはり遠藤に代えて水野や太田あたりを前半から起用しておいた方が、攻撃はよりスムースになったのではないかと思う。あるいは山岸ではなく、よりフィニッシャーとしての適正のある佐藤寿人を起用するか。もちろん「山岸だからあそこに顔を出せた」という面はあるのだが、このままではいかにもである。
オシム監督の意図は、カタールをある程度研究した上での守備面での安定性を考えて、1トップを選択したのだと思う。また以前に語っていた「中村を起用するなら必要となる5人の選手」にも合致した起用ではある。しかし、カタールの攻撃がそれほど怖くないとわかった後半には、あるいは1失点後点を取りに行きたい場面では、もう少し変化をつけても良かったのではないかと思う。
今後、日本はぜひとも勝ち点3が欲しい戦いに突入する。そういう場面でのオシム監督の選手起用、選手交代、そしてもちろんメンタル面での「引き締め」「ハッパかけ」に期待したい。
できたこと、できなかったこと
さて、前半我慢してボールを動かし続けたことで、後半になってカタールの動きも落ちてきた。日本選手もようやく緊張がほぐれ、また芝にも慣れ、連動した攻撃、オシム日本らしい攻撃が機能するようになっていく。7分にも山岸がシュート。さらにビッグチャンスは後半12分、今野のアーリークロスを高原が頭で落とし、走りこんだ山岸がシュート!ボールは枠外へ。しかし、外れはしたものの、この辺から日本に得点の匂いが漂い始める。
そして後半16分、中盤からのスルーパスに今野が走りこみ、ダイレクトでクロス、これを中央で高原があわせてゴール!このときやや内側では山岸もスルーパスを受けようと反応しており、カタールのディフェンスラインがこれに高さを合わせようか、今野に反応しようか一瞬バラバラになっている。山岸も意図的ではないだろうが、この前の2つのフィニッシュでカタールDFが彼を意識していたことが、期せずしてのアシストになっていたのかもしれない。
この後も日本はボールを支配し攻撃を続ける。相変わらず細かなパス回しにこだわりすぎる嫌いはあったが、それでもフィニッシュまでいける展開も多い。そして後半29分、羽生が投入される。1点取られて敵が前に出て来る&疲れてきたところへスピードのある選手を投入して、裏を突いたり、かき回したりを狙おうというところで、定石でもあるだろう。しかし、個人的にはこれが裏目に出たのではないか、と思う。
というのは、この時間帯からむしろ、チームのやろうとしていることがバラバラになって行ったような感があったからだ。俊輔や遠藤のやろうとしている「つなぐサッカー」に、羽生があまりフィットしていないように見えた。もっと単純に羽生を使うボールを増やすかと思いきや、どうもそうはならない。羽生の動き出しにボールがあわない、逆に遠藤や俊輔の近くに羽生がいない(スペースへ走りこもうとしている)ため、小技が使えない。羽生を入れるならば。周りの選手に彼を入れたときの戦い方をしっかり伝授しておかなくてはならなかっただろう。
そして後半37分橋本の投入。動きの落ちた中村憲剛に代えて、守備のできる選手を入れようという意図はわからなくはない。しかし橋本もまた、初戦の緊張によってカチンコチンになっていた。ボールが足につかない。ここからまた流れが悪くなっていく。そして、中盤での浮き球に誰も競りに行かず、次のボールへの寄せも甘く、セバスチャンへいい状態でパスを出させてしまう。阿部のプレーがファウルに取られたのは不運もあるだろうし、失点はFKに対する壁の作り方の甘さが直接の原因だ。しかし、そのすべては少し前からの「流れ」の問題、そしてそれを生み出した「集中力」の問題に帰すると私は思う。
経験の浅い選手たち
私がなんとも残念だったのは、失点直前の緩んだ時間帯、あるいは失点後の時間帯のどちらにも、手を叩くなどして回りを鼓舞する声を出す選手が見えなかったことだ。前代表の宮本や中田ヒデならば絶対にそうしていただろうし、闘莉王もそれをしただろう。しかしこのチームでは、年長の川口も、中澤も、中村俊輔も、遠藤も、そうしていたようには見えなかった。
そういうものがあれば、あのような「緩み」はおきなかったかもしれない。あるいはまた、特定の選手頼りでなくても、そのようなチーム状態を全員が感じ取って、気を引き締めあうか。それには、そういうことができるだけの「経験」が必要なのだろう。今J−KET掲示板でミケロットさんと議論しているのが、まさにその点でもある。このチームは2002〜2006チームの「経験」を、継承していない。
それは言うまでもなく、オシム監督の責任だ。経験を継承できる選手を選んでいない。経験があっても伝えられない選手が多い。経験が浅く、カチンコチンになる選手を起用してしまい、緊張を取り除くメンタルマネジメントもできなかった。この点はオシム監督が指弾されても仕方がないところだろう。選手選考に全権を持つ監督は、同時にそのすべての責任も負わなくてはならないのだ。
しかしそれはもちろん、このアジアカップが最終目的であった場合、である。アジアカップを取ることだけを考えれば、この大会に経験の多い選手がいないことは問題となるだろう。しかし、オシムのミッションはアジアカップを獲ることではない。だから協会はノルマを設けないと明言しているのだし、オシムも不十分な準備状況をしぶしぶながらも(笑)受け入れたのだ。オシムが(その言動とは裏腹に)まだ先を見据えているとしたならば、「今」経験の継承をできる選手を多く入れていないことも理解ができるのではないか。
ニッポンよ、ニッポン
闘莉王(怪我で選ばれていないが)、阿部、啓太、今野、憲剛、駒野、寿人、彼らは本来は2002〜2006でもっと経験を積んでおくべき選手たちだった。しかし、その4年間は特殊な固定方針により、経験値が一部の選手にしか蓄積しなかった。この大会は、それを取り戻す第一歩なのだ。ドイツ大会以後、本当に痺れるような経験を、彼らはまだ積めていない。この大会が、ドイツの悲劇の後の、日本サッカー丸の最初の航海なのだ。
Maiden voyage.航海は始まった。船出は、手放しで褒められたものではないが、最悪のものでもなかった。出航した以上、船の行く先は自分たちで決めるしかない。頼るものは何もない。しかしだからこそ、掴み取れた時にはその果実が大きなものになるのではないか。むしろ順風満帆などではない方が良い。その行く先に波高かれと、そしてその先に幸多かれと、願ってやまない。
選手たちは、いまこそ自分たちの真価が試されると思って欲しい。そして経験がないからこそ、がむしゃらに、ひたむきに戦って欲しい。「日本はチャレンジャーだ」と言葉では言いながら、やはりどこかで王者のサッカーをしてしまっていたのではないか。今度こそ、日本ははっきりとチャレンジャーになった。後がない?素晴らしい!もうやることは、ひとつしかないではないか。選手たちよ、殻を破れ!
それではまた。
02:26 PM [オシム日本] | 固定リンク | トラックバック (0) |