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January 15, 2007

事前プランあっての総括では

本題に入る前に一言書評 「6月の軌跡」増島みどり著

ネット上では評判がイマイチの増島さんですが、98年フランスワールドカップの後、選手はほぼ全員、さらにスタッフもシェフや栄養士の方まで網羅してインタビューしたこの本は、実に良質な仕事といえると思います。私は最近、ドイツW杯の日本代表のビデオを見直して悲しい気持ちになったときにこれを読み返したのですが、なんだか癒されてしまいました。例えば、

小野剛氏 「戦術練習は22回、徹底してプログラムを作りました」
名波浩 「このチームの一員だったことを俺は感謝している」
岡野雅行 「レギュラーとサブの間の大きなギャップというのはあったと思います。でもそれを態度に出したり、嫌な方向へ持っていくメンバーはいなかったと思う。自分はこの代表が大好きですし、すごく誇りを持って来ました」

なぜでしょうね。3戦全敗で06年以上に結果が残らなかったにもかかわらず、選手やスタッフの談話が、やけに心に響くんです。6月の勝利の歌を忘れないもそうですが、一つの集団としてのバランスがいいということなのでしょうか。もう昔のことではありますが、温故知新が癒しになる、という意味で、お奨めできる一冊です。


ちょっとした誤解

さて、dorogubaさんとのトラックバックでのやりとりですが、大体議論は収斂したように思います。お互いの立場の違いもわかってきましたし、双方の意見も明確になったでしょう。後は少しだけ、補足ということではないですが、お返事をしておきたいと思います。

dorogubaさん: オシム日本代表の方向性については「アジアカップ」以降に考えたほうがいいのかもしれませんが、そもそも気になるのは「正常化」「正常な方向」というのを、誰が何をもって定義するのかということですね。

この文章以下の部分では、「私が高い位置で奪うサッカーが『正常』であると考えている」と読まれていると思うのですが(コメント欄のKINDさんもそうですね)、厳密には私は「正常化」とは、「ハードワークと戦う姿勢」に対して使っています。ドイツ大会では、日本代表は「「ハードワークと戦う姿勢」において強豪に比べて劣っていた。私はこの部分を「正常化」してくれることを望んでいる、ということです(ちなみに、「正常化」という言葉は、私の感想であり、協会のテクニカルレポートの言葉ではありません)。


それは制限になっているのか

守備では、システマティックな「プレッシング」が目立ったという指摘がありました。とはいっても、ラインをどんどん上げるというのではなく、どちらかといったら下がり気味のラインをベースに組織的なプレッシング守備を仕掛けていく傾向が強かったということです。フムフム・・http://www.yuasakenji-soccer.com/yuasa/html/topics_3.folder/06_itk_2.html

dorogubaさん: これはエーリッヒ・ルーテメラーの(ドイツ協会が組織したアナライズチームの)分析内容の一部とのことですが、この分析では日本サッカー協会のテクニカルレポートと比べて「高い位置」へのこだわりはないように読めます。

JFAテクニカルレポートでも、「オフサイドルールの解釈の変更により、ハイラインのチームは減った」ことは明確に記述されていますね。頻繁なオフサイドトラップによるハイラインの維持は、以前よりも減り、スペイン、ドイツ、ガーナなど少数派になりました。「下がり気味のラインを引いたチームが多かった」ということは、共通の認識といえましょう。違いは、「そこからの組織的なプレス」についてどのように記述するか、という点でしょうか。

私が「高い位置でのフィジカル・コンタクト数」に注目したのは、テクニカルレポート中の次のような記述によります。

1)今大会では受動的に守備をしていたら守り切れない。前線から相手に限定を加え、自チームが主導的にボールを奪っていくことが重要。
2)上位に進出したチームはボールに対して寄るだけでなく、-ボールを奪いに行くために体をしっかり寄せにいく守備を行っている。

特に2)には、「日本の感覚で『寄せている、プレスしている』と思っても、国際レベルではそれは制限にはならない」(ケット・シーの意見)ということも付け加えておいたほうがよいと思います。これはブラジル戦で、ブラジルの選手と中盤で距離を置いて対面した日本の選手が、まるでそこに「いない」かのようにパスで抜かれていくシーン(頻出していましたね・・・)でよくわかることではないでしょうか。見返したくもないのですが、例えば試合序盤だけでも、

7分: ロナウジーニョに対して中盤で制限が効かず、ロナウドへパスをされて枠内シュートを打たれたシーン。
11分: 同じくロナウジーニョに中盤で自由にパスをはたかれ、左サイドからロビーニョが持ち込んで枠内シュート。
15分: 中盤でロナウジーニョと日本選手二人が距離を置いて相対しているが、制限にならず、ロビーニョにパスを出されカカとのワンツーで枠内シュートを打たれたシーン。

というシーンが見られました。いずれも川口のファインセーブに救われたとは言え、ほぼ1点ものの崩され方です。どれもミドルサードで日本の選手がプレスに行って、ややルーズに距離を置いて相対し、「制限」ができなかったことからスタートしています。しかも、けしてロナウジーニョがすばらしいテクニックで中盤の日本人選手を「抜いた」のでは「ない」ことに注目したいですね。まさに、「日本の感覚で『寄せている、プレスしている』と思っても、国際レベルではそれは制限にはならない」ことの見本のような事例でした。

15分のシュートの直後には、スカパーでの解説の原さんが「ここら辺(DFライン)で対応するのはやっぱり難しいので、もう少し前でボールにアタックに行かないといけない」と言っていますが、現地で見ていた私も同感だったのです。

テクニカルレポートでは1)2)のような流れがあるため、(特にDVDのほうで)強豪が行った敵陣や高い位置での守備、攻撃の選手から奪いに行く姿勢、体の寄せなどについて、詳述しているのでしょう。それがないと守りきれない時代、というのは、理解できますね。私がカウントした高い位置でのコンタクト数も、それを裏付けていると思います。


ラインの高さとプレス

ところで、J-KET・BBSのほうにプリメーラさんから質問をいただきました。

「ラインが低くても高い位置から奪いに行くプレス」というと、どんなイメージなんでしょうか?高い位置から行こうとすると、ドイツのようにラインを上げるほうが普通のような気がするんですが?

確かにここは少し、はしょり過ぎた(笑)かもしれません。

オフサイドルールの解釈の変更により、頻繁なオフサイドトラップでハイラインを維持することのリスクは大きくなりました。その結果、そういうチームはドイツ、スペイン、ガーナなど、少数派になっていったと思います。テクニカルレポートにもありましたが、「低いラインをベースにするチームが多かった」ということになります。

しかしでは、低いラインでいわゆる「引いて守ってカウンター」をするかというと、高いレベルではもうそういう「受動的守備」では守りきれない、ということがあります。そこで

リスクが増えたハイラインの維持はしないけれども、引き過ぎることはせず、ある程度の高さにラインを維持して、ミドルサードからプレスを始めるチームが多かった

ということになるのだと思います。

Press「最終ラインは低くても」という書き方では、いわゆるべたべたに引いて守ることを書いているように読めてしまいますね。もちろんそれでは、高いレベルで勝ち上がっていくことはできませんから、どちらかというと「プレスの位置、状況が最終ラインの高さを決める」という記述が正しいかと思います。逆に言えば、プレスがかかっていないチームはラインをどんどん下げざるを得ないということでもあります。この辺は鶏と卵ですね。

左の図は、ポルトガルvsオランダ戦において、フィーゴが相手陣内で激しくプレッシャーをかけに行っている時のポルトガルDFラインの位置を図示したものです(1/17/15時追加)。エンジがポルトガル、白がオランダ選手の配置を示しています。DFラインは下がりすぎず、ほぼミドルサードの下限くらいに位置していますね。これは一例ですが、やはり「コンパクト」であることは基本的にはどのチームも志向していて、プレスがかかっていれば下がりすぎず、中間くらいの高さのラインを取っていました。

また、「高い位置から」というのは「ミドルサード以上から」ということでもあるのですが(例えばポルトガル、メキシコはディフェンディングサードよりもミドルサードのほうがコンタクトが多いですね)、同時に「FWから」プレスに行く、ということでもあります。それも、ただ方向を限定するだけの守備ではなく、しっかりと体を寄せて奪いにいく守備も多くしている(ちなみになぜポルトガル、メキシコを選んだかというと、日本と体格的にかけ離れているわけではないので、日本の参考になると思ったからです)。そうでないと、高いレベルでは守りきれなくなっているのだ、ということですね。


協会のPDCA

ここから再びdorogubaさんへのお返事に戻ります。

dorogubaさん: もちろん監督を選ぶのは協会の仕事ですし、その監督の人選に置いて協会は「サッカースタイルや戦術」を考慮することになるんでしょうけど、「サッカーのスタイルや戦術」を決定するのはあくまで監督で、それをサポートするのが協会の役目であると思うんですよね。

個人的には、これまでもなされてきたように、技術委員会がテクニカルレポートなどで、日本代表の方針(≒スタイル)を定めていくことが正しいと私は思っています。そして、それが育成の場にまで下りて行き、世界大会での課題がフィードバックされていく。これまでの日本の発展はそのようにしてできたことでしょう。また例えばフランスなどの強化も、大まかに言うと似たような形で進んできたのではないかと思います。

そのような強化の方針があれば、それに沿って監督の人選をしていくのがノーマルでしょう。そうしてこそ、PDCA(Plan-Do-Check-Act)ができていくのだし、4年間が一回きりの経験に終わらず、螺旋形に発展していける「礎」となるのだと思うのですね。方針がなく、スタイルについてまで監督に丸投げであっては、それができなくなってしまいます。

余談ですが、だからこそこの4年間がおかしな状態だったと思っています。会長の独断によって、Planなしに就任してしまった監督は、そのためにCheckもActもできない状態になっていた。評価する機関もなくし、メディアにも評価をさせない圧力をかけた。そしてそれがドイツ大会の敗退(の一因)につながっていったのではないか、と私は思いますね。またそれが故に、協会は事後のCheckもActも放棄している/せざるをえない、のかもしれません。

dorogubaさん: もちろん、雇った監督の仕事を分析して評価して次に生かすというは必要なことであると思いますが、その分析や評価を「1つの戦術(たとえば、高い位置とかプレス)」からのみ行うのは間違いである気がする次第です。

誤解のないようにお話しておきますが、協会はテクニカルレポートにおいて「一つの戦術」によってジーコジャパンを評価することはしていません。小野剛氏が「大会の趨勢」を語り、小野、田嶋両氏が「日本代表のパフォーマンス」を語っている。私がそれを読んで、「なぜその両者をリンクさせないのか?」という疑問を書いたのが、「2006大会の趨勢と日本」というエントリーでした。むしろ、協会は「ジーコジャパンを評価する」ことを、とことん避けているように私には見えます。

dorogubaさん: だって、そもそもKETSEEさんが正常だったとおっしゃる「98年、02年のスタイル」って、協会のスタイルというよりも加茂&トルシエのスタイルだったわけで、「高い位置&プレスサッカーだから」彼らを監督にしたわけではないと思うんで。

トルシェ監督就任時には、その時の強化方針にそった監督ということでフランス協会と相談し、選定したという経緯があったようです(いわゆるベンゲル推薦は、その「後」のことらしいですね)。日韓大会後、ジーコ監督に決める前に技術委員会がリストアップしていた候補者たちも、強化方針に基づいて選ばれた監督だったと思います。鶴の一声でジーコ監督になる前は、けっこう協会は(PDCAの視点から見て)まともなことをやっていたようですよ。

テクニカルレポートにある通りなら、1年前に日本の課題を分析し、方針を定めていたからオシム監督に決定することができた、とのことです。個人的には、またいくらかはまともな方針になり、それに基づいた選定になったように思います。つくづく、「鶴の一声」がなかったらなあ、と思えてなりませんが、今の協会はその問題を隠蔽しようと必死になっていますね(おっと、以上の文脈にある「まともなこと」は、ケット・シーの考えるまともな(PDCAのある)路線、ということですので、違う考え方も尊重いたします)。

個人的には、西部さんあたりが小野剛氏にインタビューすると、多少はまともな日本代表のドイツ大会の総括が聞けるのではないかと思います。サッカー批評あたりでやってくれないかなあ。

そろそろこのお話もまとめでしょうか。それではまた。

07:39 PM [2006総括] | 固定リンク

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