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December 29, 2006

テクニカルレポートを考える

日本代表テクニカルレポート(DVD&ブックレット)を購入して読了した。先日紹介した「敗因と」でも、「今後の羅針盤たりえない」と評され、大住良之氏には、「失望以外の何ものでもない」、牛木素吉郎氏には「安直で無責任な敗因分析」」と切って捨てられるこのレポートだが、田嶋氏の「日本代表報告」以外のところには興味深い部分もある。小野剛氏が、大会の趨勢を読み、考察している部分の分量のほうがずっと多いのだ。

今回は「書評」というわけではないが、このテクニカルレポートの「失望」と「興味深いところ」を両方見てみたいと思う。 
 
 

「失望」に関しては、大住氏はこう書いている。

田嶋幸三専務理事(前技術委員長)によるその第5章「日本代表報告」は、無責任極まる、すり替えと自己弁護にほかなりません。

私もこれには同意する。ドイツW杯での日本代表の、自分たちの問題に関する真摯な分析や反省がなく、あのような敗北を繰り返さないための提言にまったくなっていないからだ。これは、「自分たちの責任を認めたくない」という以上に、「川淵氏が独断で任命したジーコの問題点について言及できない」ことが原因だろうと私は想像する。組織人というものだ。同情を禁じえない。

第5章「日本代表報告」 田嶋幸三

「日本代表報告」の要点を以下にまとめてみよう。

1)日本の実力はオーストラリアより劣り4番目と分析していた
2)大会前の独特の雰囲気の中で、日本の実力を客観的に分析できなかった
3)ドイツ戦にピークが来てしまった
4)ドイツ戦の手応えで「受けて立つ」ようになってしまった

5)コンフェデ杯で課題は「フィニッシュの精度、高さ、1対1の玉際の強さ、コミュニケーション」と分析
6)オーストラリア戦を2-0にできなかったのが一番の敗因(フィニッシュ)
7)コンフェデ杯では「連動したボールへのプレス」ができていなかった
8)ブラジル戦の前半はできていた
9)90分持たなかった(チェルシーやアーセナルはできている)
10)高さがボディーブローのように効いてやられた
11)玉際の体のぶつかり合いも弱い

12)コンフェデ杯で分析した課題はすぐには解決できない
13)長期的に、ユース育成などで解決していかなくてはならない
14)守備をしっかりし、連動したプレッシャーをかけることは日本ができていたことで、今後徹底してやりたい
(西野、山本、田中、トルシェ、岡田)

15)ジーコが初戦が大事だといっていたのに、負けたのでダメージが大きかった

16)あらかじめこういう分析をやり続けていたからこそ、1年前にオシム監督に決めることができた

いかがだろうか、読んでうんうんと納得できるものになっているだろうか?すでに大住氏や牛木氏が突っ込みを入れているが、私もこの中にはいくつものすりかえ、責任逃れが含まれているように思う。次から簡単に見ていこう。

大きな疑問の残る考察

3)ドイツ戦にピークが来てしまった

「来てしまった」ってあなた、台風みたいな自然現象か何かのようにいわれても(笑)。もともとジーコジャパンのコンディショニングは、アジア1次予選初戦のオマーン戦や、暑熱馴化が不十分だったシンガポール戦でも、多くの人に問題視されていたことなのだから、そこは予測できたことのはずだ。

6)オーストラリア戦を2-0にできなかったのが一番の敗因(フィニッシュのことだろう)

これはおかしい。オーストラリア戦を見れば日本の3倍以上のシュートを放っているのはオーストラリアであり、「決定力不足」を嘆きたいのは彼らのほうだろう。日本はそもそも「決定不足」だったのであって、それを作り出すチームとしての戦いで負けていたというべきだ。確かにフィニッシュの精度は十分ではないが、それが最大の敗因というのは無理がある。

同じテクニカルレポートのP.59に、今大会の統計が載っている。それによると、「ペナルティエリア内のシュート」は大会全体の平均が一試合6.86本であるのに対し、日本代表は平均2.67本でしかないのだ。半分以下である。まあデータはあくまでもひとつの参考でしかないが、これを見ても「ペナルティエリアに入れていない」「決定機不足」なのがはっきりと現れている。


 ペナルティエリア内ペナルティエリア外
日本代表2.6710
グループステージ7.187.94
決勝トーナメント5.917.5
合計6.86 7.83

ただでさえシュート精度が低いといわれている日本が、ペナルティエリアに入れてさえいないのだ。これで点が取れる可能性はどれほどあったのだろうか?

守備に関する7)8)9)および14)の問題は非常に興味深いところだが、これは次回に送ろう。

10)高さがボディーブローのように効いてやられた

これは主にオーストラリア戦のことだろうが、その側面は否定できない。ただ、失点そのものは高さで競り負けたのではなく、こぼれ玉をぽっかり空いたバイタルエリアで拾われて決められたものだ。バイタルエリアがぽっかり空くのはジーコジャパンの宿痾(しゅくあ=前々からかかっていて、治らない病気)であって、1次予選初戦のオマーン戦から修正されない課題だった。また、ロングボールには動けるFWで「出所つぶし」をするのもセオリーなのだが、それもなかった。そういう部分の言及がないのはフェアではないだろう。

11)玉際の体のぶつかり合いも弱い

まあこれはその通りなのだが、それ以前に「ぶつかり合い」自体も少なかった。この点については次回に詳述するとして、ここでは「唯一うまくやっているのは中田ヒデと今野」と分析されているのが興味深い。

12)コンフェデ杯で分析した課題はすぐには解決できない
13)長期的に、ユース育成などで解決していかなくてはならない

ここが私が感じた「すりかえ」「責任逃れ」の最たる部分だ。さまざまな点において、ジーコジャパンに存在した問題を見ないようにしているか、見ていても、「それは日本人選手全体の課題」としてしまう。その間にある、今大会での戦術、指導、チーム作りに問題はなかったのか。そこをいっさい分析、反省しないで、果たして日本は先に進めるのか。別にジーコ監督を責めろと言っているのではない。この4年間取ってきた方針、やり方が正しいのか、修正するのか、そのためにも真摯な敗因分析(戦術面、運営面)が必要なのではないのか。なぜそれを放棄するのか。

まったく困ったものだ。それもこれも、ジーコを独断で選んだ川淵氏が居座り続けているから起こることだ。このゆがんだ言論空間を協会内に作っていることだけでも、彼の害はいまや非常に大きくなっているといわねばならないだろう。いい加減にして欲しいものだ。

しかし、前半の小野剛氏の「大会全般」「技術・戦術分析」「総括 日本代表の闘い」は、それなりに興味深いところもある。次回はその部分を見ていきたいと思う。

それではまた。

07:21 PM [2006総括] | 固定リンク | トラックバック (0) |

December 27, 2006

ちょっといい一里塚(サウジ戦回顧)

Saudihomeもう時機を逸しているのは明らかなのですが、オシム日本の今年最後の試合だったアジアカップ予選サウジ戦(ホーム)について、思うところを書いておきたいと思います。とてもよい内容で、アジアの難敵を3-1とねじ伏せたこの試合、個人的には「Jリーグの選手の力もしっかりまとめ上げれば、ここまで(あるいはもっと)いけるのだ」という指標となりうる試合だと思いました。まあ、SoccerCastで語ってしまっていることでもありますが、年末でもありますし、重なるところも含めて、文字で残しておきますね。

 
 
 
 
 


半年分の集大成

この試合、オシム日本の攻撃の方向性がついにはっきりとし、また守備の問題点が再び明らかになった試合だったと思う。

オシム日本の攻撃の特徴は、
 

・すばやい守→攻の切り替え
・数多いフリーランニング・追い越し
・数的有利を作ってのサイドアタック
・DFラインからの攻撃参加

といったところだろう。これらを総じて「考えて走るサッカー」と言われるわけだ。

しかし、この試合までのオシム日本には、「技術のない選手を走らせてもダメなんじゃないか」といった批判が幾分出ていた。ジェフサポでもある西部謙司氏でさえ、次のように書いている。

 40メートルの距離を正確に蹴る技術がない選手は、40メートル先の状況を精緻に観察しようとはしない。左足で蹴れなければ、左足を使ったプレーをイメージできない。アイデアには技術の精度と不可分なところもある。

おっしゃっていることはまったく正しいのだが、私は少し違う考えを持っている。SoccerCastのほうでは英会話になぞらえて話をさせてもらったが、「その技術が必要な環境がないと、その技術の必要性に気づかないし、伸びない」のではないかと思っているのだ。JFAのテクニカルレポートでは日本の課題として、「ボールと人が動きながら正確にコントロールする技術は不足している」ということをあげている。走りながらボールをコントロールする技術の必要性に気づく、伸ばすためには、走っていなくては不可能だ。そのためにも、まずは「走ること」を要求していくのは、理にかなっていることではないだろうか。

サウジ戦(ホーム)では、これまで蓄積されたものがついに少し実を結び始めた、という印象だった。もちろんまだまだ端緒についた程度だろうが、これからだんだん果実が大きくなりそうな道が、かなりはっきり見えてきたと思う。アウェイの試合ではよい試合をしながら敗北してしまった日本だが、4ムンタシャリ、20カフタニら主力メンバーが戻ってきたサウジを攻撃面で大幅に上回り、3-1で勝利した。サウジは2006年ワールドカップ出場国であり、アジア5強の一角を占めると言っていいだろう。そういう敵に対して、この内容は立派なものだ。想像していたよりも、チームの仕上がり、コンセプトの浸透が早いという印象だった。


2トップの組み合わせ

この試合で興味深かったのは、4バックのサウジに対してオシム監督が、巻と我那覇の2トップをピッチに送り込んだことだ。同じ4バックのガーナとは、山岸-巻-佐藤寿人というほぼ3トップのような布陣で戦ったが、この試合ではそれとは違い、2トップの後ろに三都主、中村憲剛を並べるというやり方を取った。ガーナ戦では、SBの上がりに対する佐藤寿人の守備面での頑張りが目を引いた。あの3トップはオシム監督の中では4バックに対する守備の対応の色合いが濃いものだったのかもしれない。逆にこの試合では、アウェイの戦い方をしてきたサウジアラビアの4バックに対して、2トップが攻撃面でうまく機能していた。

巻は運動量豊富に動き回ってスペースを作り、またハイボールに競り勝って我那覇に確実につなぐ。我那覇はできたスペースで足元でやわらかくポストプレーをし、フォローに来た中村憲剛に落とす。ダブルポストのこの組み合わせはお互いがお互いをよく生かしていたと思う。そうして前を向いてボールを持った憲剛は、長短のパスを操ってポゼッションを高め、攻撃をリードしていった。こうなると、オシム日本のいいところである、豊富な動き出し、追い越し、数的有利を作ってのサイドアタックなどがうまく機能し始める。

余談だが、今年の2月に日本代表はUSAと親善試合を行った。このときジーコ監督は久保の1トップを試している。しかし怪我を抱え調子の上がりきらない久保は1トップの役割をこなしきれず、ハーフタイムで巻、佐藤寿人の2トップに変更された。それを見ていて私は、ポストというよりもストライカーである久保のようなタイプには、巻や柳沢のような「スペースを作り、他の選手に使わせることのできるタイプ」と組み合わせたほうが、より効果が上がるだろうと思った。USA戦でも、ちょっとでいいから久保と巻の組み合わせが見たかったものだ(もちろんコンディションの問題もあったのだろうが)。サウジ戦での生かしあう二人のFWを見て、私は当時のことを懐かしく思い起こした。


コンセプトの具現した攻撃

閑話休題。サウジ戦の先制点は、CKを巻がヘディングシュート、GKがはじいてこぼれたところを闘莉王が押し込んだもの。その後も闘莉王はしばしば上がって中盤の構成に参加していく。DFラインからのロングパスを含め、阿部、今野、闘莉王と、この日のDF陣は攻撃面でも非常に目立っていた。やはりオシム監督はCBにもポリバレンスというか、「ピッチのどこでもチカラを発揮できること」を求めている、特に足元の技術を重視しているのだろうな、とこの試合で改めて理解できたところでもある。

追加点はその象徴のような形。右サイドを追い越した今野(豊富な追い越し、CBの攻撃参加、数的有利をサイドで作る)が、中に切り込んでクロス、それを我那覇がヘディングシュート!非常にきれいな、コンセプトの具現された得点だった。しかし思い起こせば、アウェーイエメン戦での得点もアシストは坪井ではなかったか。それも同じようなアーリー気味のクロスからの得点。「これからは代表ではこういうことが必要とされるのだ」ということの見事なメッセージになっているだろう。よいことだと思う。

しかし、鈴木啓太のパスミスから、一気にカウンターを食らって今野がペナルティエリア内でファウル、PKを与えてしまう。ちょっと厳しい判定だと思わなくもなかった(笑)。ただ、この試合は攻撃面、構成面でいいところが多くなってきたとはいえ、実はこういうミスもまだ多かった。動き回る周りの選手の前方のスペースにパスを出すことを、多くの選手が狙っているのだが、そのパスがやや「えいやっ」とでもいうような、チャレンジパスになっていることがままあったのだ。もちろん、リスクを負わなくては勝負できないのだが、それを「していいところ」と「するべきではないところ」をきちんと判断しなくてはならない。鈴木にはこれを教訓としてほしい。また、問題はパスミスの後に高い位置で攻撃の芽を摘めなかったところでもあるだろう。その辺は後述したい。

3点目は、今野と駒野のコンビネーション。今野の左サイドへのパスを駒野が受け、ダイレクトでクロス、ニアに走りこんでいたのは逆サイドにいるはずの加地で、彼がスルーしたボールを我那覇が決める。ここでもオシム日本のいいところが出ている。全員の守→攻の切り替えが早く、また運動量も多く、チャンスに参加する人数が非常に多いのだ。このシーンでもペナルティエリア内にサイドの加地が入り込んでいるが、そのほかのシーンでもクロスに3人、場合によっては4人以上がペナルティエリアに入っていることが多い。加地からのクロスに大外で駒野が受けてシュートしたシーンもある。「走るサッカー」の面目躍如たるところだろう。


積み残した守備面の課題

ところがこの後日本はややサウジにペースを握られてしまう。世間一般では「疲労が出た」と評されるシーンだと思う。が、私はそれと同時に、「守備面での走るサッカー」ができていなかったという問題も指摘しておきたい。それは前半から存在していた問題なのだ。PKを与えてしまったシーンもその範疇に入る。オシム日本のサッカーの守備面の特徴は
 

・全員守備
・ほぼ全員がマンマーク
・高い位置から(FWから)奪いに行く
・DFラインは敵の人数+1

などで表現されるだろう。しかし、攻撃戦術とあわせると、そこに乖離があるのは誰にもわかるところではないだろうか。

オシムのチームでは、攻撃時には誰もがポジションを崩して攻撃参加することが奨励されている。しかしいったん奪われれば、マンマークにつかなくてはならない。ポジションを崩しているのだから、試合前に決められたマーカーがフリーになってしまっている可能性もある。また、最終ラインが受動的な守備だと、大きくスペースが空いてしまうこともある。そうなると、「誰かが」急いでケアにいかなくてはならない。それらの点で、オシム日本は守備面でも「考えて走ること」が要求されるサッカーなのだ。

サウジ戦では、敵の中盤の右7ハイダルと左24スリマニが脅威となった。それに対しては加地と駒野がケアをするという考えだったとオシム監督は会見で話している。それも、マークすることよりも攻撃面で上回ることで、敵陣に押し込めてしまおうということだ。これは常道でもあり、実際機能している時間もあった。

しかし、ハイダルやスリマニがいったん自陣を出、ドリブルでするすると持ち上がってくると、日本の選手たちの頭には一瞬の空白ができてしまう。加地や駒野が下がっていると「彼らがケアするだろうからいいだろう」とでもいうような一瞬の間ができてしまっていたのだ。また、加地や駒野も最終ラインが数的有利でも、前からドリブルで向かってくる相手をケアしに「出て行く」のが少し遅れていた。これによって、1ボランチ鈴木啓太の両側のスペースを使われることが多くなってしまっていたのだ。

これは前半からあった問題であり、日本が3点目を入れてから顕著になったのは、日本の疲労と「3点入ったから」という意識もあるが、サウジが「もう攻めるしかない」状態になってどんどん仕掛けてくるようになったことも大きい。このような場合は、現在のやり方で戦うかぎり、三都主や憲剛、加地、駒野にもっともっと「敵を高い位置でつかむ」意識を持ってもらいたいところだ。「後ろに人が足りているからいい」ではなく、自分で当たりにいく。その後のスペースはまた誰かが「考えて」埋める、というようにしたほうがよいと思う。

この守備面での「考えて走る」サッカーは、実は攻撃面よりも完成させるのが難しいのではないかと私は思っている。ここを世界レベルまで引き上げることがオシム監督の重要なミッションになるだろう。今私はJFAのテクニカルレポートを読んでいるのだが、この「守備面でも考えて走るサッカー」は少なくともレポートに指摘された課題に沿った、正しい(少なくとも間違っていない)方向への進歩だとも言える。この点については次回に詳しく見てみよう。

2007年は、形を見せてきたオシムのチームらしい攻撃の上に、この守備面での課題をはっきりとした形で改善する年にしてほしいと思う。

それではまた。

01:02 AM [オシム日本] | 固定リンク | トラックバック (0) |

December 20, 2006

書評 「敗因と」

年の瀬も押し詰まり、ワールドカップイヤー2006年も終わりが近づいているが、あの6月の惨敗の整理がついた人はどのくらいいるだろうか?

誰もがその「敗因」について考え、語り、しかしその本当のところは、チームの内部を覗くことができない我々にはうかがい知ることができないままだ。待ち望まれたJFAドイツW杯テクニカルレポートの日本代表分析も、おそろしく消化不良なものだった。そんな中、この年末にそろそろあの「敗因」について振り返ろうという向きには、本書は格好のテキストとなりうるだろう。

金子達仁、戸塚啓、木崎伸也の三名が、50人以上の関係者に取材、2006年ドイツワールドカップでの日本の「敗因」を描き出そうとする。タイトルが「敗因と 」となっているのは、その後の「 」の部分は読者が各自で考えよ、ということか。

さすがに多くの関係者、識者の話を聞いただけあって、読み応えはある。私は「最近、金子達仁氏の書くものが以前よりもずいぶんまっとうになってきているのではないか」という感を受けていたのだが、「それはこのように取材をし、サッカーの『現場』に近い空気に触れ続けていたからではないか」と本書を読んで思ったくらいだ。

取材対象は実に多岐におよんでいる。ジーコ、ヒディンク、日本代表の選手、鈴木國弘通訳、オーストラリア代表の選手、ブランキーニ(中田の代理人)、レオナルド、リティ、クロアチア代表選手、ゲルシャコビッチ(元ロシア代表コーチ)、ドイツ人記者、ボンの日本食レストランの主人、ブラジル代表の選手、小島伸幸、城、小倉、前園らアトランタ組の選手・・・。これだけの話を聞いているのだから、重要な証言も含まれている。実際読んでいて「おっ」とか「やはり」と思わされる発言も少なくなかった。どの部分が「おっ」なのかはネタバレになるので伏せておこう。

三人はそれらの取材から、「ドイツでの日本代表の内部がどうなっていたのか」を解き明かそうとしていくのだが、案の定その一部はNumber誌お得意のセンセーショナルな「内幕モノ」になっている。特に「ある選手は・・・と語る」が多用される第3章や第6章はその傾向が強い。もちろん選手がお互いや監督を批判しているような言葉を、発言者名を特定して書くのははばかられるのだろう。だがそれにしても、もっと冷静な、あまり脚色しない書き方もあったのではないか、と思わされるところもある。ぽん、と事実だけをそこに放り出しておいても、十分だろう、この内容なら。

それ以外の部分では、多方面へ取材した成果が出て、2006年ワールドカップでの日本代表を描いたものとしては、一定の評価を与えられるものになっていると思う。また、一つの見方に対して反対の意見を持つものの言葉も取り上げているのは、ある程度の公平さを感じさせる。全体として美文調が過ぎるところは好みが分かれるだろうが(私は一部に辟易とした)、それが故に最後まで一気に読ませるとも言える。ヒディンク監督の談話の中身などは、サッカーの話としても非常に明快で、一読しておく価値は十分にあるだろう。

中で触れられる「敗因」はもちろん一つではない。コンディションの問題。戦術面の問題。戦術を選手が討議して、結論が出なかったという問題。モチベーション・コントロール。采配。23人の人選を含む、チーム・マネジメント。選手の技術。ゲーム運びの未成熟さ。暑さの中で2試合したこと。チームがひとつになっていなかったこと。「戦う姿勢」がなかったこと・・・。どの「敗因」が最も重大なのか、金子氏も言うとおり、それは読む側それぞれによって違ってかまわないことだ。本書はそれに対して、回答ではなく、考える材料を与えていると受け止めるのが正しいのかもしれない。

最後の章では、金子達仁氏の考える「 」の部分が語られている。それはある一つの問いに答える形で説き起こされる。そこで示される金子氏の解答は、間違ってはいないと思うが、私はもっと掘り下げることが出来ると感じる。金子氏の問題提起は、「私たちが2002年のアイルランドチームと、アイルランドサポの姿にあれほど心打たれたのはなぜか」「そして今回、そのような戦いぶりを日本チームが示すことができず、また私たちもアイルランドサポのようになれなかったのはなぜか」という問いと同質だ。それは、これからの日本が、サッカー界だけではない日本全体が、問い続けていかなくてはならない問題なのだと思う。その点に関する私の考えはまたいずれ(笑)。

一言でいうと: そろそろドイツでの日本の敗因を考えたいと思う方には、それなりにお薦めできる。

今回から、気になる本の書評などを始めてみることにしました。書きなれていないのでつたないと思いますが、それぞれの本の魅力なり、読後感などが伝わるといいのですが・・・。

それではまた。

01:44 PM [書籍・雑誌] | 固定リンク | トラックバック (2) |

December 18, 2006

クラブW杯は「ワールドカップ」なのか?

Image166クラブワールドカップ決勝に行ってきました。会場には多くのバルサファンが詰め掛けていましたが、そこかしこに本国からの遠征組みとおぼしきインテルナシオナルサポが集団でいて、大きな声での応援を繰り広げていました。会場の雰囲気だけで言えば、インテルナシオナルホームのような試合でしたね。

試合はモチベーションも高く、しっかり準備したインテルナシオナルが勝利、多くの「ロナウジーニョの妙技を味わいに来た」ファンには残念な結果となりました。しかし、インテルナシオナルの選手たちの頑張りに、会場のかなりのファンもちょっとほだされたのか、得点のシーンでは相当な歓声が上がっていましたよ。ブラジル王者の、あれだけの技術を持った選手たちがあれだけハードワークする。そうでないと勝てないのですね。日本も見習いたいものだと思います。

クラブW杯の権威を上げる方法

さて、KINDさん、dorogubaさん、缶詰にしんさんが、「クラブW杯の権威を上げる方法」について非常に興味深い議論をされています。きっかけは、KINDさんの同名のエントリーから。KINDさんはこのように書かれています。

さて表題の件ですが、どうしたもんでしょうかね。「Jリーグから世界へ」を考えたとき、この大会のプレステージが上がってくれないと困るわけですよ。現状はどうでもいいわけですが、将来的にどうでもいいままでは困るわけです。

これに対して、缶詰にしんさん

けれど、なんとか盛り上がって欲しいって気分はあります。 開催国のメンツって言うよりかは、頂点の大会が盛り上がることで その予選も兼ねるACLが盛り上がってほしいってことでもあり ACLが盛り上がって欲しいのは、やっぱりJリーグが、クラブが アジアと世界とつながってる感覚の上に盛り上がって欲しいからです。

このように書かれています。私もこれにはおおぐくりで賛成です。

現状でJクラブがどうしてもACL(アジアチャンピオンズリーグ)に本腰を入れているように見えないのは、それを勝ち抜いた先のCWC(クラブワールドカップ)が、「どうしても参加したい」「そこで戦いたい、勝ちたい」大会とは目されていないからでもあると思います。それを変えることで、Jクラブが「世界で勝つために」という視線を現状よりも強くもつことになれば、それは日本サッカーのレベルをさらに引き上げていくことに資するでしょう。私はそうなって欲しいと思うものです。

さて、dorogubaさんは少し違う意見をお持ちのようです。

dorugubaさんは、現状FIFAがとろうとしている施策を「世界クラブ選手権に戻るだけじゃないか」として、「世界クラブ選手権は、成功しなかった」とお考えのようです。そして、私の読解が正しければ、その理由は主に「欧州チャンピオンの側の意欲不足」であると書かれていると思います。

私はこれにも賛成です。

ボスマン判決以降、欧州CLが実質世界最高峰の大会となり、そこで勝つほうがCWCで勝つよりもはるかに権威が高くなってしまっています。その状況において、欧州側がどこまで本気でこのカップを獲りに来てくれるのか。あるいは、本気で獲りに来る価値のある大会にできるのか。それは非常に難しいところでしょう。今回の大会でも、バルサのライカールト監督は次のように語っています。

今回は欧州チームがタイトルを取るには複雑な状況があったと思う。相手の方が(タイトルへの)飢餓感が強かった。

しかし、先にも書いたようにCWCが「Jリーグと世界をつなぐ」糸であり、門であると考えると、もっと発展していってもらわないと困る、とも思います。ではどうしたらよいのでしょうか?


日本開催と開催国枠

FIFAのCWC組織委員会は、再び開催国枠を設けたい意向を持っているようです。前回も一回は「開催国枠」が、組織委員会によって上申され、FIFAの理事会によって却下されていますので、まだ予断は許しませんが、一応その方向へ向けて前進を見そうです。

しかし、その時も書いたのですが、「開催国枠があるなら、日本継続開催はおかしい」と私は強く主張したいと思います。

現状日本で続けて開催されているのは、一つは旧トヨタカップ以来の慣性(欧州vs南米の旧トヨタカップが何故日本開催になったかはこちらに詳しい・・・開催地のフーリガンの問題が大きいようです)、もう一つは、主としてお金の問題で「どこも引き受ける国がないから」ということが原因でしょう。つまり、もし「開催国枠ありで日本恒久開催」ということになれば、「日本はお金の力でCWC出場の権利を買い取った」ことになります。これほどCWCの権威を引き下げる行為が他にあるでしょうか!

「もし開催国枠が認められるのなら、日本は継続開催を要求しない」これを日本は(川淵さんは)はっきりと宣言するべきです。そうでなければ、開催国が自らの手で(お金のために!)、大会の権威、価値を引きずり落とそうとしているのだ、ということになります。日本は、そろそろ「サッカー的に正しいこと」を世界に向けて発信するようにするべきでしょう。

参考:当面は日本継続開催の意向 FIFAブラッター会長

参考:メキシコ、08年大会名乗り=クラブW杯サッカー


クラブW杯の権威とは?

話を戻しましょう。私は「クラブW杯の権威を上げる」とは、「日本での視聴率、観客動員」が向上することだけではないと思います。「世界が大会の価値を認め、欧州からの参加国もクラブW杯を獲ろうと本気を出してくるような大会にする」ということが、その本当の意味になるでしょう。それがdorogubaさんとKINDさんのエントリーを止揚した考え方になるのではないでしょうか?

そう考えると、逆に現状「世界(特に欧州)が何故CWCの権威をそれほど認めないか」ということが問題になってきます。その原因はいくつか考えられますね。

1)欧州CLの方がレベル・権威ともに高い。
2)極東の地、日本で続けて開催されている。
3)毎年開催されている。

1)の問題が最も大きいことは確かですが、これは仕方がありません。CWCがレベル・権威を上げていくことで、それに対抗、凌駕していくことを目指すのが正しいでしょう。

2)3)の問題はどちらも、考えてみれば「ワールドカップ」と名がつく大会としては異例のことであると気がつきます。成人年代のフル代表のワールドカップはもちろん、U-20ワールドカップや、あるいはU-23年代の世界大会であるオリンピックも、各国(ないし各都市)持ち回り開催であり、また2年、ないし4年おきに開催されるものです。この形から大きく逸脱しているのが唯一、CWCであるということになるのです。

この逸脱はもちろん、前身たる旧トヨタカップからの受け継ぎでもあり、また開催にあたり運営面の問題をクリアすることが現状の形でしかできない、ということからきているわけです。さらには、欧州CLやリベルタドーレス杯が毎年チャンピオンを生み出す(したがってクラブ世界一も毎年決める必要がある)ということも毎年開催の原因でしょう。これらの諸条件による「逸脱」が、大会の価値、権威を世界が認めないことにつながっていると私は思います。「各年代のワールドカップは少なくともFIFAオフィシャルな大会だが、CWCはそうではない」・・・世界にはそのように見えてしまっているのではないでしょうか?


解決策?~「当たり前」への回帰

私は解決策として、「世界持ち回り開催」と「開催国枠の導入」をあげたいと思います。

CWCの特殊性、「ワールドカップの常識」からの逸脱のうち、大きな一つを解決するのが、「世界持ち回り開催」の導入です。それであれば、ようやく「開催国枠」が意味を持ちます。「日本以外では、金銭面、観客動員の問題で成立が危ぶまれる」という問題は、開催国枠を導入することで、いくぶん改善に向かうのではないでしょうか?もちろん現行のチケット料金が維持できるかはわかりませんが、開催国が出場しない場合よりは「まし」になることでしょう。

持ち回り開催には副次的効果もあると思います。それは、「欧州では、欧州のクラブは恥をかけない」ということ、「南米では、南米のクラブは恥をかけない」ということになるでしょうか。例えば次回開催がイタリアということになれば、開催国枠とあわせて2カ国、欧州の国が入ってくることになるわけです。おそらく世界レベルと言える試合はそれに加えて南米代表くらいになりますか。そうなれば、欧州代表も気が抜けない、大会のレベルがやや上がる、本気度がやや上がる効果があるでしょう。

(もちろん、旧トヨタカップが日本開催になった理由の一つ、フーリガンの問題は解決しなくてはなりませんが、欧州CLやワールドカップで経験が積みあがっていることに期待したいと思います)

缶詰にしんさんのおっしゃる王道=「スタジアムから盛り上げる」に関しては、まずこの「世界持ち回り開催」「開催国枠設置」によって行われるのがよいのではないかと思います。欧州開催なら、開催国に加えて欧州王者のサポーター、南米なら南米王者のサポーターが自然と来場するようになると、スタジアムが熱くなるでしょう。そして、そういう場ならホームチームは自然と本気にならざるを得ない。そのようになっていって欲しいものだと思います。

(お分かりのように、私は次回を欧州、その次を南米で開催して欲しいと思っています。本来なら立候補国から選ぶのがよいのでしょうが、ここしばらくは「権威向上のため」、「開催するべき(とFIFAが判断する)ところで開催する」でいいのではないでしょうか)

これによって、欧州では欧州の、南米では南米のファンにも、CWCを認知していってもらう。1994年に「サッカー未開の地」であるUSAでワールドカップを開催したのと同じ狙いです。身近でやっていれば、一応は興味を持つ。「あれ、こんなことやってるんだ」「まあわが国で開催されるのはこれっきりだろうから、見に行ってみるか」・・・後者が「希少性」による価値の向上です。そうして「知っている人」「見たことがある人」が増えてくれば、価値を認める人も自然と増えていくでしょう。

何かを考えるときに「目の前の諸問題の解決よりも、それを引き起こしている原因を探してしまう」のが、私の癖のようです。そして「改善」よりも「改革」を求めてしまう。「各大陸持ち回り開催」と、「開催国枠の設置」。当たり前の案ですが、この「当たり前」に回帰することが、最終的にはもっとも正しく、かつ効果的であるように私には思えます。それに付随する各種問題は、「当たり前」への回帰を前提に、努力して解決していくべきではないか、と思うのですね。


それではまた。

05:30 PM [サッカー] | 固定リンク | トラックバック (5) |

December 16, 2006

SoccerCast 2006総括

皆さまご無沙汰しております。本業がどうにもバタバタしていて、ホームサウジ戦や反町U-21代表の試合がありながら更新できませんでした。申し訳ありません。U-21はともかく、フル代表のサウジ戦はいい試合でしたね。2006年がひとまずいいイメージで終わることができてよかったです。

さて、早いものでもう12月も半ばを過ぎました。あのドイツでのワールドカップから、半年が経とうとしています。皆さまにとっての2006年はどのような年でしたでしょうか?

私にとっては、やはりワールドカップイヤー、ドイツに行って日本代表の戦いを見てきたのが最大の事件です。それは、ピッチの上だけを見ると悲しい思い出なのですが、ワールドカップはその外でも続き、やはりそれに「参加」すると「世界最大のお祭り」である意味を体で理解できます。

今回現地に身を投じ、ドイツの人々との、対戦国のサポーターたちとの、そして日本からのサポーター同士での、さらにまた世界各国から集まるサポーター間での、さまざまな交流を(反目も含む!)することができ、「それもまたサッカーの一部」なのだと体で感じることができました。私にそういう体験を授けてくれた幸運に、心から感謝したいと思います。

さて、日本サッカー全体にとっては、今年は一つの大きな「転機」の年になったのではないかと思います。実はこれは、ゲストに宇都宮徹一さんをお招きして収録した SoccerCast の「年末特別企画」の中で語ったことなのですが、その時に宇都宮さんと意見が一致、「わが意を得たり」と思った部分でもあります。詳しくは SoccerCast の方でお楽しみください(←宣伝です・笑)。

今回は4人での対談ということもあり、いつもとちょっと違ったくだけたトーク(?)になっている部分もあります。宇都宮さん(さすがプロ!)や発汗さんの語りはおもしろいですよ。私の話は相変わらず聞き取りにくいですね。まだまだです。

サッカーキャスト 第5回 前半 「2006年サッカー界の10大ニュース(表編)」

サッカーキャスト 第5回 ハーフタイム 「【裏】10大ニュース」

しばらくしたら「年末特別企画」後半~2006のしめくくり~もアップされるはずです。お楽しみに。

それではまた。

07:06 PM [SoccerCast] | 固定リンク | トラックバック (2) |