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October 29, 2006

U-21中国戦の観客動員は問題なのか?

Chaina先日のU-21vs中国戦は最終的には21,190人という観客を集めましたが、前売り券の売り上げは不調だったようです。これは一般にも話題になり、敬愛する武藤さんもこの件で講釈をされています。この問題提起、問題意識は世間一般とも共通するものでしょう。武藤さんの考察に準拠しつつ、私も少しこの問題について考えてみたいと思います。

 ワールドカップ直後の年の五輪代表と言う事を考えると、類似的な試合としては8年前、98年11月のアルゼンチン戦が思い出される。

いい試合でしたね、これは(遠い目)。最近知り合ったサッカーファンにも、「あの試合でトルシェを決定的にプラスに評価した」という人が多かったです。それはさておき、あの試合は観客動員としては47,374人入ったようです(ソース:FOOTBALL ASCII)。ただこれは、11月23日という、休日の試合だったことも考えなくてはならないでしょうね。

また、今回の対中国戦を98年との比較で言えば、「対アルゼンチン」という「代表ファンでないサッカーファン」の興味も引くカードだったことも考慮に入れなくてはならないでしょう。残念ながら「対中国」というのは、対戦相手の「ブランド価値」で相当劣るのは仕方のないところです。

例えばトルシェ時代、あのナイジェリアワールドユース準優勝後の1999年5月12日(水曜日)に駒場で行われたU-21対オーストラリア戦は「平日夜、駒場、ブランド相手でない」ということから、観客は12,392人(収容人数は21,500人)に過ぎませんでした。

 このように整理してみると「アテネ五輪以降のあるタイミングで、五輪代表に対する『漠然とした期待』が全く小さくなってしまった」と考えざるを得ないではないか。

私は、アルゼンチン戦47,374と今回21,190の差は、「平日か休日か」「対アルゼンチンか対中国か」で大半の説明がついてしまうように思います。しかし同時に、武藤さんのおっしゃる「アテネ五輪以降のあるタイミングで、五輪代表に対する『漠然とした期待』が全く小さくなってしまった」ということもまた、肌感覚では同意なのです。これはどういうことでしょうか。

 元々、各方面で「ドイツワールドカップに向けて、広告代理店は完全に浮動層のファンをメインターゲットにマーケティングを実施、それに日本協会(と言うか川淵会長)も乗ってしまい、結果として適切な強化ができずドイツでは完敗、さらにドイツでの日本の不甲斐なさに浮動層もサッカーからサヨナラ」と言う懸念が語られていたが、それが現実化してしまったのだろうか。もし、そうだとしたら危機的状況である。

「ドイツでの不甲斐なさ」だけが原因とは思いませんが、いわゆるマーケティングの手法が「一部の選手人気」に依存しすぎたものであって、そういった選手がいなくなればこのような状況になるのは、理の当然といえましょう。

 「代表人気にあぐらをかいて適切な営業活動をしなかったから」と言う批判も多く見受けられるが、上記のトルシェ氏時代や山本氏時代だって、適切な営業活動が行われていたとは思えない。

おっしゃるとおり、「営業活動」というのを例えば「事前の広告、宣伝活動」などと捉えれば、8年前も今回もそんなに差があるとは思えません。8年前にそんなにたくさんCMを打っていたという記憶はありませんね。

とすれば「10年以上継続していた代表バブルがはじけた」と言う事なのか。これまた、そうだとしたら危機的状況である。

1999年のU-21オーストラリア戦(12,392人)、同じく99年のフル代表対イラン戦(35,860人@横浜国際競技場)と見比べると、「代表バブルが10年以上継続していた」ということはないのではないか、と私には思えます。やはりW杯直後、五輪予選も始まっていない時というのはこんなものなのでしょう。


日本特有だった、五輪代表人気

 一方で、「欧州や南米では、U23代表への注目度は低いからこんなもの」と言う意見もあろうが、そうだとすればアテネ前の大観衆はどこに行ってしまったのか。

日本はもともと、「オリンピック」というものへの関心がとても高い国です。サッカーというカテゴリーでは、フル代表年代の代表の大会が、世界的にはほとんど唯一の関心ごとであるにもかかわらず、日本ではサッカーでも五輪代表の人気が非常に高かった。トルシェが「五輪年代の予選にこんなに客が入るとは!」と驚愕していたというエピソードを私は記憶しています。

そして、トルシェ率いる五輪代表が親善試合(例:vsU-21韓国4-1!)で、予選で、よい戦いぶりを見せたこと、そこで攻撃陣が活躍したことで、彼ら個人個人が「スター」になって行き(バーモントカレーのCMに起用された選手もいましたね)、「五輪そのものの人気」×「スター人気」で、トルシェ五輪代表人気は爆発していきました(それが02-06のフル代表の特定選手人気にもつながっていくわけですね)。これはこの間、フル代表のアジア予選がなく、五輪代表の予選のみが「真剣勝負」だったということも影響していると思われます。

しかし、状況は変わりました。もっとも大きかったのは、「02年に日本でワールドカップを開催したこと」だと私は思います。これによって、日本でも多くの、本当に多くの人がフル代表の真剣勝負の魅力を知り、「世界には五輪を上回るワールドカップという舞台があるのだ」「五輪のサッカーは明らかにそれよりも下なのだ」ということを理解してしまった。それがもっとも大きかったのではないでしょうか。

次に、「日本代表の試合」というものが、U-21であれフル代表であれ、本当に珍しかった頃と、今とでは、もう状況が違いすぎる、ということがあるでしょう。98-02にはなかった、ホーム&アウェーでのフル代表のアジア予選という真剣勝負。まがりなりにもFIFA主催のタイトルのかかったコンフェデ杯。そしてもちろん、W杯本大会。日本のお客さんはもう「真剣勝負」の味をふんだんに知ってしまっています。

そうなるとやはり、五輪年代のたかが親善試合にお客さんが入らなくなっていくのも当然のことといえるでしょう。そういう認識に立てば、平日夜の2万人超というのは、U-21としては十分な数字だと私には思われます。日本も欧州、南米なみに、「フル代表の、真剣勝負、ないし価値の高い試合にしかお客さんは注目しない」という状況が現出しつつあるのだと考えるべきでしょう。


マーケティングではなく、強化の本道へ

Image121_1これは私は「不可避的変化」だと思います。「正常化しつつあるだけ」とも言えましょう。例えば洋酒業界では、日本では、世間一般の理解の浅さと(時代的に仕方がありませんでしたが)、おかしな酒税法によって、正確にはウィスキーではない洋酒が「ウィスキー」としてまかり通ってきたという過去があります(左写真は本物のウィスキーですが)。その後、理解が進むにつれて、また酒税法の改正により、それらは「ウィスキー風スピリッツ」として売らねばならなくなり、当然、そこにあったビジネスは縮小していきました。

この場合は、「そういった誤解に基づいた市場にビジネスの本拠を置き続けること」が間違っているのであって、「誤解を継続する」努力をしてもまったくの無駄です。そこでビジネスをしていた企業は、別のところにきちんとビジネスの本拠を見つける、作る努力をするべきです。まあこれまでの五輪代表人気をすべて「誤解」と決め付けるつもりはありません(私だって熱狂した一人です)が、JFAが今後ともそこをビジネスのひとつの主戦場とするのは、無理があると思えてなりません。

したがって私は、JFAは観客減に対し、「それを解決するためだけの」具体的な対策はとりたてて打たなくてよい、と思います。それは「怪物!平山!」(笑)とかになりかねない要素をふんだんに持っているからです。川淵氏が会長の座に居座り続けるならなおさらです。今週のサカマガがその一環だという噂はありませんか?なんでしょう、「フィールドのステルス迷彩」ってのは(笑)。もちろん、普通にU-21を取り上げてくれる、候補になった選手の特徴を書いてくれる記事は歓迎ですけどね。

もっとも重要視するべきは、「対戦相手が本当に中国、韓国でいいのか」「それが最もよい強化と言いきれるのか」「招集、合宿、試合を含めた強化のスケジュールは妥当なのか」というところでしょう。重要なのは今回の五輪代表によい強化環境を用意してあげること。Jリーグとの日程の整合性、強化試合の対戦相手、強化合宿の日程、などすべてを含めてです。それによって、北京を目指す五輪代表が強くなり、魅力的な試合を続けていくようになれば、自然ともっとお客さんは集まるようになりますよ。

マーケティングの基本は、よい商品を作ることです。これか古今東西、変わりません。JFAにはその部分を間違えないで欲しいと思います。

それではまた。

02:35 AM [北京五輪代表] | 固定リンク | トラックバック (1) |

October 23, 2006

オシムの「多中心」サッカー

IpodBLOGではちょっと遅いご報告になりますが、盟友の発汗さん(「発汗」)、エルゲラさん(「サッカーのある幸せ」)とともに、SoccerCastと題したポッドキャスティングを始めています。どうぞよろしくお願いします。

http://soccercast.cocolog-nifty.com/blog/

3人で対談すると、意見がシャッフルされて、思った以上に話していておもしろかったですね。第1回目の内容はガーナ戦の感想、その成果と課題についてでした。「ガーナのプレースピード」「オールコートでのマンマーク?」「フォーメーション談義は?」「アレックスってどういう存在なんだろう?」「どの辺が気になった、どの辺がよかった?」「トラップミスは?」「両ストッパーは」「インサイドの顔出し」「新加入選手の評価は?」「中村憲剛のプレー」「播戸に見たもの」「海外組は誰が欲しい?」などなどについて語っています。

先日UPした第2回目は、アジアカップ最終予選インド戦(アウェー)の感想についての前半、「概観と成果、課題」についてのものです。全体に評判の悪いインド戦ですが、私はライブでは試合を見れなくて、後日HDDに録っていたのを見たものですから、もしかするとネット界随一?というくらいポジティブな内容かもしれません。まあ一つくらいそういうのがあってもいいじゃないですか(笑)。後編は「中村憲剛選手について」と「次戦サウジアラビア戦へ向けて」になります。もうしばらくしたらアップできると思います。

それにしても公開を前提に話すのは緊張するものですね。もしよければ、ダウンロードして私の緊張ぶりをお聞きいただけるとうれしいです。


インド戦の二つのポジティブ

その SoccerCast に語ったことですが、インド戦には二つのポジティブなポイントがあると思いました。一つは、DFラインからの大きなサイドチェンジ気味のパスが、逆のサイドに開いた選手に何度も入っていたこと。これはこちらの記事にもあるように、前のガーナ戦での反省点をはっきりと認識、チームとしてテーマに設定して、それを解決するべく練習した成果です。こういうものがピッチ上に現れてくると「着実に前進しているな」と思えますね。

加藤GKコーチ: (ガーナ戦では)日本もボールに近い選手は良く走り、良く連動していた。でもボールから遠く離れていた選手は休んでしまった
インド戦前・練習メニュー: 命じた変則ルールは、攻撃側が両サイドとピッチ中央に設けられた3つのゴールの、どこに攻めてもいいというもの。FWだけでなく、MFやDFも、動き次第で簡単にゴールに迫れた。ボールから遠く離れたサイドでも、選手たちはスペースに走り、おいしいロングパスを求めた。

スタッフ会議では、問題を明確にするべく、ガーナ戦を30分に縮めたビデオも上映された。

この日最初のメニューだった6対4のボール回しでも、ボールから一番遠い選手のパスの受け方が重要視された。

インドは、わかりやすい4-4-2中盤フラットを引いてきましたが、近代的な監督に率いられると4バックもほぼラインを形成し、押し上げてコンパクトフィールドを作ろうと狙ってきます。この際、4人のバックがかなり「左右にもコンパクト」になることが多いんですね。これを日本は、最終ラインのパス回しで左右に振っておいて、その逆サイドへ、阿部、鈴木、今野、水本あたりからズバッと意図のあるロングフィードを通していました。

DFラインとボランチでパスをまわしてインドの4バックを片方にひきつけておいて、その逆サイドに開いた選手へしっかりとしたフィードを蹴る。ああ、これがやりたいから「(大型で)足技のしっかりしたCBが足りない」と言っていたんだなあ、と理解できました。

チームとして動きが整備され、受け手の意思と出し手の意思がしっかりと一致していれば、ロングボールでも「放り込み」とは呼ばない。

トルシェのときの中田浩二や森岡も出していたような、こういうダイナミックなパスを、日本代表はもっと使うべきだと私は思っていましたので、この変化は歓迎です。そればっかりにならなくてもよいですが、これをオプションとして持つと、攻撃のスピードが上がるでしょう。そして、前戦の戦いをしっかりと反省して次につなげていけるスタッフ、指導陣、私はこういう「歩みの見える代表」は好きですね。


左サイドの連携と課題

また、山岸と三都主の役割、連携もだいぶ整備されてきたように思いました。これまでは、羽生も山岸も、どちらもサイドへ流れるタイミングが三都主と共有されていなく、彼の上がりを阻害するようなところがちょっとありましたね。この試合では、山岸がうまいタイミングで中へに切れ込んで三都主の上がりを引き出したり、逆に山岸がポイントになって三都主を動かしたり、といいところが出てきたと思います。

まさに先制点は山岸が受けて、三都主に落とし、そのまま反転してサイドへ流れたことで、三都主がフリーになってきれいな斜めのスルーパスを巻→播戸と通したもの。このような動きがあると、三都主も「低目のサイドの司令塔」としての役割をもっともっと果たせるようになっていくかもしれません。この試合ではなんだか、持ちすぎて取られる三都主のドリブルは減っていたように思いませんか?山岸がずっと起用されるかはわからないですが、こういう風に三都主の個性が生かせるのは良いことと思います。

課題はもちろん、ちょっとミスが多かったことですが、その一番大きな原因は経験不足によるものでしょう。技術のある選手でも、海外経験が浅い頃はミスが多く代表でも叱責されていましたから、それはこれから解決されていくものと信じたいですね。ただ、普通は20代も前半の頃にそういう経験をしている選手が増えていくはずですが、この数年の日本は、五輪世代とフル代表世代の強化の連携が取れていなかったこともあり、これからの短期間で経験を急速に血肉にしていく必要があります。今選ばれている選手には、がんばって欲しいものです。


エレガント?

ところで、インド戦のもう一つの(共通する?)改善点として、オシム監督の以下の談話がありますね。

オシム: 改善点で一番重要なのは、落ち着いて冷静でいられること。それから効果的なプレーをすること。スキルをもっと正確にすること。これらをひとまとめにしてひとつの単語にするなら「エレガント」ということになる。私の考えだが。

以前は「あまりにもエレガントなプレーヤーは難しいかもしれない」と言っていましたから、「これは心境の変化か?」とスポーツ新聞が騒ぐのはわかるのですが、この真意はどこにあるのでしょうか。あるいは、これを受けて、オシム日本にはなにか変化が訪れるのでしょうか?

まず素直に考えられるのは、中村憲剛選手や長谷部、山岸といったあたりの選手が、もっと「落ち着いて、冷静に、効果的なプレーを」アウェーの地でも行えるようにすることが求められる、ということでしょう。また彼らには、試合展開を見て、あるいは相手のサッカーを見て、わざといったんスピードを緩めるようなプレーもしていって欲しいと思います。今はまだ、「早く前へ」の意識が強すぎて、かえって自分で苦しくしてしまっているように見えますね。

そして、もう一つ考えられるのはオシム監督がこれまで以上に「エレガントなプレーヤーを呼ぶ」という可能性です。

私は個人的に、オシム監督はいずれは海外組を呼ぶだろう、と思っています。松井、小笠原、中田浩二、そして中村俊輔、高原、稲本といった選手は、タイプの差こそあれ、みんなオシムサッカーに適合すると考えられるからです。ダイナミックな守備力、展開力、そして怒涛の攻撃参加の稲本は、まさにうってつけですし、中田浩二の守備と、左足の精度もオシムサッカーに向いていますね。その他の選手も、誰もが呼ばれておかしくないと思います。

今呼ばないのは、国内組でのベース作りをまずするべき、という意図があってのことだろうと思います。また、海外組みには当面自分のチームでの地歩がために専念してもらうために、親善試合やアジアカップ予選ごときでは呼ばない。また「いずれ呼ぶ」と言ってしまうと、今のチームのメンタルにいい影響があまりないから、それは当面は言わない。これはサッカー的には、きわめて論理的な態度だと思います。さて、これからはどうなるのか。


仮説: オシムの「多中心」サッカー

先に「いったんボールを落ち着けるプレー」を、中村憲剛選手、長谷部選手、中盤にいるならば鈴木選手、山岸選手といったあたりに「して欲しい」と私は書きましたが、オシム監督がそれを望むかどうか、と言うのは正直わかりません。今の日本のスピードも、例えばプレミアなどと見比べると別段それほど「早い!」と言うほどではありません。ここでいったんスピードを落とすプレーを今後の日本代表が求めるのかどうなのか、興味深いところですね。

実はそういう意味で、現行オシム日本の「エキストラキッカー」枠は三都主であろうと思っています。先に触れたような「エレガントな」プレー、いったんボールを落ち着けるプレーは、主に彼に担わせるようにチームが設計されているのではないか。常々言われるように、サイドはもっとも敵のプレッシャーがかかりにくいところ。そこに三都主というボールを持てる選手を置くことで、困った時の預けどころとしているのではないか、という仮説です。

これは前々トルシェ代表監督も採っていた手法ですね。トップ下はプレッシャーがきついために、中田ヒデ選手のような強さか、森島選手のような運動量がないと起用しない。左アウトサイドを高めにおいて、「エレガント」なプレーはそこの選手に担わせ、ゲームを作っていく。名波選手、中村選手、小野選手といった、ゲームを作れる選手をそこに置いたのは、そういう意味があったわけです。

当時、ポリバレンスを重視するトルシェ日本のサッカーを「リゾーム」的なのではないか、とする議論がなされていたようですが、私はその中に深くは参加しなかったのでよくは知りません。ただ、もしリゾームの定義を「脱中心化」とするのなら、私はトルシェのサッカーは意外と「左サイドという中心」をはっきりと持っていたチームだったと、今では捉えています。「左サイドにゲームメーカーがいる」というのは比喩でも煽りでもなく、そのままの意味だったのですね。

さて、オシム監督は今後「ゲームメーカー」を置くかどうか、というのが非常に興味深い点だと思います。トルシェ時代の「左サイドのゲームメーカー」に比べると、三都主は明らかにゲームメーカー「然」としていない。彼を中心にゲームを組み立てていく、というようではない。中心というよりは、チームの一部としての「エキストラキッカー」という方がしっくりきます。ポジションとしてではなく、役割として、今後オシム日本は「ゲームメーカー」を求めていくのかどうなのか。

すくなくとも、これまでのオシム監督は「こいつにボールが渡ったら攻撃の合図だ」的な、中心となる選手を決めていないように見えます。トルシェ時代に比べてもさらに、「多中心」とでも呼ぶべきサッカーを展開している。しようとしている。中心となる選手なんかいない。そういうプレーができる選手も、ちょっとボールが動いたらそれに反応してアウトサイドの選手の外を大きく走って上がらないと、それはオシムサッカーではない。

これまでは、オシム監督はそういうメッセージを発していたように思います。さて、これからはどうなるでしょうか。あるいはサウジ戦までは国内組でベースを作るとして、その後、海外組が合流してきた時、彼らは一つの「中心」となることを求められるのでしょうか、それとも、「多中心サッカー」の一部となることを求められるのでしょうか。

なんとも興味深いことですね。それではまた。

02:19 AM [オシム日本] | 固定リンク | トラックバック (0) |

October 08, 2006

オシム「総」監督

Image140私は、こちらのエントリーでも書いたように、「日本サッカーの日本化」を提言したオシム監督に期待している。これは、「代表監督」として、でもあるが、同時に「日本サッカーの先導役」としてのことでもある。「ジェフのサッカーが日本人が一番生きる」と考えているU-17の城福監督や、「オシムの練習は金を払ってでも見たい」とかつて言っていた五輪代表の反町監督ら、日本人スタッフもその主体となって、「日本サッカーの日本化」に取り組むべきだと思っている。そして、彼らに哲学やメソッドを伝えていくことも、オシム監督に大いに期待したいことなのだ。

ところで海賊ひでさんの「どうやってオシムを評価するの?」こちらはまさにその点に問題提起をされている。

海賊ひでさん: 代表監督がここまで長期的視点を持つことは正しい姿なのでしょうか?代表監督には試合ごとの結果のみを求めるべきで、長期的視点はテクニカルディレクターが持てば良いのではないでしょうか。

この問題意識は正しいし、指摘は興味深いことと思う。またこれは、金子達仁氏の「協会はオシム監督に何を望むのか」とも共通することだろう。

金子達仁氏: 日本らしいサッカーを構築しようとしているから、負けてもいい――では本末転倒である。オシム監督に何を望むのか。日本サッカー協会の考える具体的な目標をわたしは知りたい。

私は協会にそういう期待はしても仕方がないと(笑)思っているが、金子達仁氏の協会に対するこの要求は正しい。協会はもっときちんとこの点に関してアナウンスしていくべきだろう。それも川淵氏のくだらない囲み取材発言などではなく、小野剛技術委員長の公式なプレスリリースとしてだ。しかし、私は協会のそれを待つよりも、私個人がオシム監督に何を望むのかを、もう一度はっきりさせておきたいと思う。


4年後を睨んで

先の海賊ひでさんの問題提起「代表監督がここまで長期的視点を持つことは正しい姿なのでしょうか?」に対して、私は個人的には、「正しい」と言いたいと思う。

日本はアジアの所属であり、コパアメリカやEUROに比べると、アジアカップはややその趣を異にすると私は思っている。コパやEUROは、「そこで勝つためのチーム作り」と、「W杯で勝つためのチーム作り」が基本的にはシンクロしているのだが、日本がアジアカップで勝つためのチーム作りと、W杯で勝つためのそれはかなり違っていると考えられるからだ。それは先の4年が図らずも証明していることではないか。

もちろん、W杯に出るためにはアジア予選を通過しなくてはならないから、そのためのチーム作りは必要だ。しかし、欧州の国がW杯直後に厳しいEURO予選を戦わなくてはならないのに比べると、2年後、3年後にW杯予選をひかえる日本は、時間的な余裕はあるほうだろう。まだまだレベルの高いとはいえないこの国は、「4年かけて強化、W杯の準備をする」くらいでないと、W杯での成功は望めないのではないだろうか。

予選のなかったトルシェ監督はもちろん、あのドーハの悲劇のあと就任したファルカン監督も、ある意味「勝手に」4年後を睨んで強化をし始めた、と私は見ている。二人とも、契約期間は短く、4年後を睨む必要はまったくなかったのにもかかわらず、である。ただの雇われ監督ならば、自分の契約期間内での成績だけを考えればよさそうなものだが(当初のトルシェ監督の契約は2000年10月まで)、二人はそうしなかった。

Trhikakuこれは、彼らが日本の当時の状況を見て「日本はしっかりした方針の下、時間をかければ強くなる」と考えたからではないだろうか。私は、この二人の「見立て」は正しかった、と今では思っている。1998-2002の間に仮にW杯アジア予選があったとしても、あの理想家のフランス人は同じやり方をしたのではないか、とも思うのだ。欧州や南米の強国では、「代表監督の仕事は勝つこと」であるのかもしれないが、日本では「目先の試合に勝つこと」以上に「4年後に勝つこと」と設定するべきだと思う。

オシム監督は再び「勝手に」(笑)、自分の目標を4年後に(少なくとも3年後に)おいているように見える。上記理由から、私はそれは歓迎なのである。


ユース年代から一貫しようとする強化方針

さて金子達仁氏の問題提起であるが、重要なのは次の部分であると思う。

金子達仁氏: 何度も書いてきたが、代表チームの監督はまず「選抜する者」であって、「強化する者」ではない。クラブチームの監督に求められるものとは、まったく違った資質が必要になってくる。

これは一面では正しい。時間のない中での代表監督の仕事は「トレイナー」よりも「セレクター」の役割が大きくなるとも言える。しかし、そうではない可能性もあるのではないか。もちろん協会はオシム監督と「代表監督」としての契約を結んでいる。しかし、先にもあげた城福監督や反町監督の志向性を見ていると、それだけでは「もったいない」(笑)と私には思えてくるのだ。

西部謙司氏がサッカー批評22号で書かれていた、「日本代表強化計画<私案>」では、「ユース年代で代表の『ひな形』をつくってしまい、~五輪~フル代表と同じやり方で強化をしていく」という方法の提言がなされていた。これは私は勝手に「チェコ・フランス型」と呼んでいるのだが、今回のW杯のペケルマン・ボーイズ・アルゼンチンもそれに近いものだったと言えるだろう。時間の取れないフル代表で「スタイル」を作るのではなく、下の年代から一貫した方針でそれを作り上げて行こうというのである。

ジーコ監督時代は、五輪以下の強化方針と、フル代表の方針とが乖離していた、とはよく言われるところである。まあ五輪以下の田嶋氏が主導する強化方針もいかがなものかであったから、その乖離自体を大きく問題視するつもりは、私にはいまやない。しかし、本来はそれは共通するものであったほうがよいことは、論を待たないだろう。下の年代で経験を積んでいく選手が、フル代表に上がったとたんまったく別のことを要求されるのでは、非効率的だ(もちろん、大括りな方針=ベクトルがそろっていれば、中での多少の違いは監督の個性であり、あって当然だが)。


集団指導体制の長として

オシム監督の就任で、偶然だが日本には西部氏の<試案>、私の言うチェコ・フランス型強化に近い強化体制が出来上がろうとしている。私が期待するのは、この「一貫した強化方針で指導していく集団指導陣の長」としてのオシム監督なのだ。これは、もちろん本来は小野剛技術委員長や、田嶋幸三専務理事の仕事であるとは言える。しかし、彼らとオシム監督を比較した時、オシムのほうがよりその任にふさわしいと思うのは私だけだろうか?もう一度、城福監督や反町監督の言葉を反芻していただきたい。

オシム監督は現在までのところ、実に精力的にスタッフミーティングを繰り返している。3時間、4時間におよぶそれのなかでは、時にはコーチ陣に試合の反省を述べさせるなど、「指導者への指導」にも見えることを行っているようだ。

 「みんなピリピリしていました。監督は意見を聞きながらやるので、準備不足であの席に座っていられませんね」と苦笑いしたのは小野技術委員長。内容こそ明かされなかったが、試合を振り返っての意見を求められ、そのたびにオシム監督が皮肉まじりにチクリ。プロ野球・楽天の野村克也監督の下でのスタッフ会議を彷彿とさせる内容で、終わったときには約3時間半が経過していた。日本協会・田嶋幸三専務理事も「みんな緊張して疲れてた」と話す。

私は、これを強く歓迎したいと思う。振り返れば、トルシェ監督時は彼自身がユース~五輪~フル代表と一貫した指導を行った。しかし、そのエッセンスは山本氏の中には何も残らなかったのではないか、と私は思っている。今回はそのようなことになってはならない。オシム監督に「頼り切り」にならないためにも、彼の方針に日本人スタッフが喰らいついていって、それを身につけ、自分たち自身で「一貫した指導体制」を作っていかなくてはならないのだ。そう考えると、意欲のある若手指導者たちと、それを導こうとする経験のある代表監督、理想に近い体制ができているのではないか、と私には思える。

金子達仁氏: 日本らしいサッカーを構築しようとしているから、負けてもいい――では本末転倒である。

別に親善試合に全部勝たなくてもいいだろう(笑)。また「日本らしいサッカー」という言葉に引っ張られる必要もない。上述したような、一貫した強化方針を担える集団指導体制を構築、運営しようとしている現状、それこそが「日本らしいサッカー」を作り上げる道なのだ。私の考える「本末」は金子氏のそれとは違う。目先の試合全てに勝たなくてもいい。もっと重要なことを貫いて、そして4年後にこそ勝って欲しい。私はそう思っている。

それではまた。

01:42 PM [オシム日本] | 固定リンク | トラックバック (3) |

October 05, 2006

おかえりなさい♪

Ghanaキリンチャレンジカップ2006/10/04 日本0-1ガーナ 

ドイツW杯16強、決勝トーナメントでブラジルに敗れながらもあの印象的な戦いを見せてくれたガーナが、実にいいメンバーをそろえてくれて来日。オシム日本にとって、ほぼはじめて迎える世界レベルの相手との対戦は、0-1での敗戦となりました。さて、この試合は皆さんどうごらんになりましたでしょうか?ニッサンスタジアムのスタンドで、選手がパスミスやトラップミスをするたびに頭を抱えながらも、私は個人的には非常に楽しみました。

ポリバレント!

Ghana352前半の布陣はこのような感じでしょうか。








Ghana361いやそれともこう言うべきか。

私が見ていて楽しかったのは、この布陣図がまったく役に立たない場面がほとんどだったということです(笑)。三都主が右で突破していたり、鈴木が左アウトサイドに入れば三都主がバイタルエリアで守備をし、今野がサイドを駆け上がれば、その時は駒野がセンターバックに入っている。ポゼッション時にも誰もがくるくるとポジションチェンジしながら、奪われればそこを最初のDFの起点とし、ファーストプレッシャーをかけにいく。幾分まだぎこちないですが、こういう形こそオシム監督がやりたいものでしょう。就任以来初めて守備が問題になる試合で、急ごしらえのDFラインながら、全体でかなりそれができていたのは、個人的にはとてもよいことと思います。

私は以前の、中村、中田、稲本、小笠原、小野などがいる中盤について「奪えば、中盤の誰もが攻めの起点になれる」という点で、日本の数多いCMF(セントラルミッドフィールダー)を生かせるものだ、と思っていました。ガーナ戦の選手たちは、あれほどの精度はないものの、代わりにと言っては何ですが(笑)、「フィールド全域で『全員が』攻めの起点になるべき」というサッカーを展開していたわけです。もちろん、まだ完全にこなせていたというわけではないですが、「この方向に行くのだ」という指針は、これまでの4試合に比べても、さらに色濃くピッチ上に描かれていたといえます。

私はその指針がはっきりと見えたのが、観戦していてとてもうれしかったのです。

新しい息吹

もう一つ、楽しかったのが後半途中から次々と投入された、フレッシュな選手たちです。佐藤寿人に代えて羽生、山岸に代えて播戸、巻に代えて我那覇、遠藤に代えて中村憲剛、鈴木啓太に代えて長谷部、そして三都主に代えて二川。先制点を取られて、逆に精神的に「吹っ切れるしかない」状況に置かれた彼らは、実にはつらつとピッチを駆け回っていましたね。羽生の動き出し、播戸の飛び込み、アグレッシブさ、我那覇のポストプレー、憲剛のリスクチャレンジ・パス、ミドルシュート、そして長谷部のドリブル、二川のワンタッチ・パス・・・。

攻撃は、機能したところと、敵の守備能力に戸惑ったところと両方がありますね。Jリーグなら個人でキープできるところも、Jリーグなら通るパスも、ガーナ相手では伸びてきた脚にからめとられてしまう。しかし、今日はそれを選手たちが経験するための強化試合です。チャレンジしてみたのはよかったのではないでしょうか。機能した部分は、いくつか作った非常に惜しいシュートシーンを数えていけばわかるでしょう。個人的には、後半10分ぐらいの巻(ヘッド)→寿人(折り返し)→山岸(軸足シュート)と、40分あたりの播戸の倒れながらのシュートが非常に印象に残っています。

それぞれのプレー

スターティングメンバーの選手の個人評を少し。

水本: 守備のベーシックな能力と、パススピードの速いグラウンダーのクサビパスに感心しました。失点時にピンポンに振り切られたのは彼ですが、これをいい経験にして欲しいですね。

駒野: これまでの批判を振り払うような活躍(特に前半)ではなかったでしょうか?戦術理解も高いし、これからも試される権利を得たと言えるでしょう。

鈴木と阿部、遠藤はこのぐらいはできて当然、というところ(遠藤はイエメン戦よりもよかったと思いますが)。ただ、押し込まれた時間が続いたあたりで、落ち着かせることは彼らの役目ですし、もっとできないといけませんね。

川口: こういう試合では生き生きとしますね(笑)。グッドセーブ連発!

今野: 守備面では運動量も多く「何人いる?」状態でよかったのですが、ビルドアップ時に「狭い方」へパスを出してしまうのがいただけない。いったん奪われて危機に陥ったことがありました。この辺は精進して欲しいところです。

寿人: 守備面でがんばっていました。現代サッカーでは、FWにも守備を期待する戦術を取る監督が多くなってきています(バルサでさえ!)。そのあとの攻撃に持ち味を出したシーンもありますが、もっとできる選手でしょう。なるべくストライカーとして起用してあげたいですけどね。

巻: 寿人と一緒に「裏」を狙いすぎだったような気がします。我那覇のように下がってのポスト、散らしをもっと意識してもよかったのでは、と思います。ただ、みんな気づいてくれませんが(笑)、ロングボールをしっかり収めて地味に貢献していましたね。

山岸: ちょっと緊張していたのでしょうか。前半は動きが固く、いつもなら走り出すところで躊躇している場面がありました。次第に動けるようになっていきましたが、その辺は経験のなさが出た、というところ。今後に期待ですね。

三都主: どう評するべきか本当に難しい選手です。今日も一人で静止して持って、DFラインにフェイントでチャレンジして奪われるというプレーを繰り返していました。技術は疑いないのですから、「抜ききらなくてもまわりを使い、使われるプレー」を覚えてくれるともっと連動性が高まるのですが・・・。

マンマークと「帰ってきたもの」

守備に関しては、基本はマンマーク。中盤でもボールが入った選手に一人が必ずつき、前を向かせないようにする、という方針だと思いますが、このやり方はよく選手が一箇所に固まってしまうんですよね。そこからサイドのオープンスペースに展開され、ピンチとなることが何度か。オシム監督のサッカーは、ここでも「走る」ことが要求されます。守備面でポジションバランスよりもマークを優先する結果、空いたスペースのカバーは運動量で行わなくてはならなくなるわけです。そして奪えば、全員がまたぱっと散って動き出していく。前者も、後者もまだそれほどできていません。ここは向上が必要な部分でしょう。

それと、失点後、ちょっとだけ守備に「びびり」が入りませんでしたか?そう言って悪ければ、「これは当たりに行くとかわされるぞ」というような感覚になっていませんでしたか?敵の脚の長さを警戒しすぎたのでしょうか?その時間帯はマークに行っても少しルーズに過ぎ、簡単に前を向かれ、パスを回されていましたね。もちろん疲労もあったと思うのですが、あれではいけません。ただその後、「1点取り返しに行くぞ!」という気合が全員に出てきた時には、再び当たりに行くことができ出したので、非常によかったと思います。あれを続けないとね。

そして最後、全員が鬼気迫る動きで敵のDFラインのボール回しを追い回す。播戸がボールに頭から飛び込んで、怪我をする。それを見ていて私はちょっとだけ目頭が熱くなりました。ちょっとだけ、ちょっとだけですけどね。「ああ、『これ』をドイツで見れていたら・・・。」皆さんは違う感じ方かもしれませんが、私はそこに「魂」を見ました。なぜでしょうか。私は「おかえりなさい」と言いたい気持ちでいっぱいです。

それではまた。

04:42 AM [オシム日本] | 固定リンク | トラックバック (6) |