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July 21, 2006

「個のチカラ教」の欺瞞

Image015エル・ゴラッソ272号に、「選手個々の成長という大前提」と題して、飯塚健司氏がコラムを書いています。日本サッカー再建計画シリーズと銘打たれたそれは、しかし恐ろしいほどの欺瞞に満ち、むしろ日本サッカーの再建の妨げにさえなるものだと私には思えました。その間違いを一つ一つ見ていきたいのですが、文章全体に疑問が満ちているので、非常に長文となってしまいました。休み休みでも(笑)、お読みいただければ幸いです。

敗退の理由は本当にジーコ監督の采配か

まず飯塚氏はこのように問題設定をする。そしてそれに対し「NO」と答える。私はここにすでに一つの詭弁が混じっていると思う。あるいは、故意の詭弁でないのならば、サッカーの監督という職業に対する根本的な無理解だ。彼はこのように書く。

ドイツW杯での日本代表は、結果はもちろん、内容でも不本意な戦いを演じた。なぜこの結果を招いたのか。(中略)なかでも、ジーコ前監督の手腕を敗因とする意見をよく聞く。長年、サッカーを取材してきたジャーナリストのなかにも、やはり監督の采配ミスを指摘する声がある。

ちょっと待って欲しいのだ。問題はここだ。

○ジーコ前監督の手腕を敗因とする意見
○やはり監督の采配ミスを指摘する声

この二つは言うまでも無いが同一ではない。サッカー監督の仕事は、試合中の選手交代をはじめとするいわゆる「采配」が総てではないのだ。そこに大きな欺瞞がまずある。

チームの方針を定め、それを練習で選手に染み込ませ、「組織」をつくりあげる。大会へ向けて戦い方の準備をし、方針を理解した23人をバランスを考慮して選び、先発の11人をコンディションやモチベーションに留意して送り出す。選手のコンディションを管理し、モチベーションを高め、戦う意識を持たせ、「チーム」にする。試合途中で起こりえることを想定し、そのための戦い方を伝授し、それに対応した途中投入選手を選んでおき、必要に応じて投入する。

これらすべてが「チーム作り」であり、「試合中の選手交代」よりも、「それ以前」がずっとずっと大事なのだ。日本では野球の文化が根強いからか、「誰を投入した」ということのみが「采配」とされ、それが監督の手腕とされることが多いが、私の意見ではそれは監督の仕事の10%程度に過ぎない。飯塚氏はそれを理解してか、しないでか、

何度も指摘するが、今回の敗因をジーコの采配ミスに求めるのは、もっとも簡単なことで、問題の本質をついてはいない。

このように言うのだが、「敗因をジーコの采配ミスに求める」のは、まさしくものごとの本質をついていないだろう。問題は飯塚氏がオミットしたそれ以外の90%のチーム作りのほうにあるからだ。もちろん、ドイツW杯では、ジーコ監督の「采配」のつたなさも大きな敗因となったが、そちらにばかりスポットがあたるのは確かにおかしい。

しかし、飯塚氏のように「監督の手腕」を「采配」にのみ矮小化し、そこを否定することで、あたかも「ジーコ監督の能力は敗北の原因ではない」かのような書き方をするのは、間違っている。最も重要な問題から目をそらせようとする、まったくの欺瞞と言うべきだろう。


■本来の課題?

私は、ジーコ監督のチーム作り、チームマネジメントの問題が最も大きな敗因と考えるものだが、それについては別項で論じよう(チーム作りの一部チームマネジメントについては考察済み)。ここでは飯塚氏が「本来の課題」とするものの方を見ていくことにする。

飯塚氏は言う。

しかし、この4年間の日本サッカー協会の強化方針、ジーコに日本代表を任せていた理由を考えれば、ドイツW杯の敗戦を指揮官に押し付けることはできない。むしろ、采配ミスばかりがことさらに強調されて、本来の課題が表面化しないほうが怖い。

ではその、「本来の課題」とは何なのか?彼はここから一般論に目を移す。

ピッチで実際に戦うのは、ベンチに座っている監督ではない。どんな名将を招いても、プレーする選手たちが“自分自身”に責任を持ち、役割をしっかりと果たさなければ、よい結果は得られない。逆に、個々の選手がそれぞれに納得のいくプレーができたなら、チームとして満足のいく戦いができたなら、たとえ結果がともなわなくても、素直に敗戦を受け入れることができる。

なるほどなるほど。ここまではちょっと疑問はあっても「まあそういう考え方をする人はいるだろう」と思えなくは無い議論である。さてその先はどのように展開するのか。

ドイツW杯での日本代表はどうだったか?残念ながら本来の実力を発揮することなく、大会を去っている。

私もまったくそう思う。日本人選手のポテンシャルはもっと高い。この大会では日本は、持てる美点をまったく見せられなかった。グループリーグ敗退という「結果」はともかく、そのあまりの低内容に、われわれサッカーファンは大きく失望し、日本のサッカー界全体の勢い、エネルギーが下がる懸念さえあるほどだ。しかし、この先で飯塚氏は驚くような論理展開を見せる。

その原因はジーコにあったのか。決して、そうではない。ピッチの上の選手たちは、普段よりも運動量が少なく、技術的なミスを犯し、局面局面においての判断力も鈍っていた。

なんと。この男は何を言っているのか。日本代表がドイツW杯の舞台で本来の実力を発揮できなかったのは、ジーコが原因ではなく、すべて選手の問題だと言うのか。どのような論理を持ってすればそのように言うことができるのか。

言うまでもないことだが、選手は出場選手を選ぶことはできない。風邪で高熱を出した選手を送り込んでいれば、「普段よりも運動量が少なく、技術的なミスを犯し、局面局面においての判断力も鈍っていた」のは道理ではないか。選手は練習メニューを選ぶことはできない。「7試合戦うつもりでコンディションを作った」のであれば、初戦では体が重く、「普段よりも運動量が少なく、技術的なミスを犯し、局面局面においての判断力も鈍っていた」のも当然ではないのか。

W杯、特に初戦は極限の緊張が襲ってくるものである。だからこそあらゆる監督は、どのようにしてそれを取り除き、選手のメンタルを戦える状態に持っていくかについて研究し、それを実現しようと努力するのである。多くの選手が、名監督について「あの監督はモチベーションの上げ方がうまかった」と語るのは、それこそがサッカー監督の重要な、最も重要かもしれない仕事だからだ。それを失敗したドイツW杯、その敗北が監督の責任でなくてなんだというのだ。

「どんな状況でも頭をクリアに、勝利を得るためにどん欲にゴールを狙わなければならない」とはジーコが常々語っていた言葉だが、ドイツW杯での日本代表は、特にオーストラリア戦、クロアチア戦では、頭がクリアになっていなかった。

口で言うだけならば赤ん坊でもできる!プロの家庭教師が「成績を上げろ」「試験に受かれ」と口で言うだけで具体的な方策を示さなかったら、それは仕事をしたうちに入るのか?企業のある部門の責任者が部下に「業績を上げろ」と口で言うだけで、具体的な方策を示さなかったらどうなのか?口で言うだけで、本番で選手の頭をクリアにさせることができなかったのでは、仕事をしていないか、それに失敗したということだ。当たり前のことではないか。

■出発点の間違い

この4年間で日本サッカー協会が目指し、ジーコが説いてきたのは、選手個々が『自分が置かれた立場』に責任と自覚を持ち、自問自答すること、あるいは他者とのコミュニケーションによって成長を遂げることだった。教えられたことをオートマティックに遂行するだけでは、世界では勝てない。02年W杯でそのことを学んだゆえの、ジーコの監督就任であり、選手個々の成長を即した4年間だった。

この根本方針が間違っているのだ。完全に間違っているのだ。出発点から間違っているのだ。

まずは簡単なことだ。

教えられたことをオートマティックに遂行するだけでは、世界では勝てない。02年W杯でそのことを学んだ

1)2002代表は「教えられたことをオートマティックに遂行する」だけの代表ではなかった。監督の定めた60%のベースがあり、その上に個性を40%発揮することを求められた。現代表には選ばれなかった戸田や松田のような異能の個性が活かされ、稲本は「僕はジーコジャパンよりも自由だった」と述懐する。飯塚は一回この戸田の話をじっくりと読むべきだ。「そもそもそんなに言われてなかったしね

2)そもそも守備戦術において、監督が役割をしっかりと教え、構築しないチームなど、クラブであれ代表であれ、どこにあるのか。チェルシーの守備戦術は監督が教えたことを遂行しているのではないのか。フランス代表の守備戦術はオートマティックではないのか。「教えられたことをオートマティックに遂行する」ことを悪であるかのように言う、この出発点そのものが完全な欺瞞なのだ。まったくばかばかしいことと言わなければならない。

3)「世界では勝てない」?2002年W杯では2勝しているのだが?3戦全敗だった98年から見ると、5得点3失点、2勝1分1敗は大きな前進ではないか。そもそもW杯は優勝チーム以外はどこかで負けるのである。決勝トーナメントに入れば1点差試合が多くなり、1点が非常に重い試合になるのはドイツW杯を見てもわかっただろう。

どんな強豪チームも非常に慎重に試合にはいる、決勝トーナメントという極限の舞台でセットプレーから1点を失った。それにより、日本よりも格上の相手が守りに入ってしまい、攻め崩せなかった。それは「戦術の限界」などではない。ドイツの決勝トーナメントでも、先制されて反攻しきれなかったチームはあまたある。日本ははじめてその舞台に立ち、戦い方をわかっておらず、敗北したということに過ぎないのだ。

それは苦い経験だが、けして「このやり方では世界で勝てない」ということではない。グループリーグを勝ち抜く力はあったが、強豪同士が持ち味をつぶしあう、決勝トーナメントのシビアな戦いに、日本が、チームとしても、国としても、慣れていなかっただけだ。W杯出場2回目の経験の浅い国、ということが出ただけなのだ。なぜこれまでの方針を全否定しなくてはならないのか。


■A代表で「選手個々の成長を促す」

以上のように、出発点たる

教えられたことをオートマティックに遂行するだけでは、世界では勝てない。02年W杯でそのことを学んだ

が完全に間違っている。その先の論理も誤った道に入るのも自明のことだろう。続けて見てみよう。

教えられたことをオートマティックに遂行するだけでは、世界では勝てない。02年W杯でそのことを学んだゆえの、ジーコの監督就任であり、選手個々の成長を即した4年間だった。

ジーコ監督は、言うまでもないがA代表の監督である。したがってここで書かれているのは、「A代表の選手個々の成長を即した」ということだ(即した、は促した、ではないだろうか?)。私は、時間の限られる代表チームで、ユースでもない大人の選手たちに、「選手個々の成長を促がす」ことを主目的とするチーム運営は間違っていると思う。他に犠牲になるものがあまりにも大きく、非効率的に過ぎるからだ。

しかし、ここではジーコ監督がそれを主目的にしていたという前提で話を進めよう。ではそれは、どのようにしてなされたのだろうか。

この4年間で日本サッカー協会が目指し、ジーコが説いてきたのは、選手個々が『自分が置かれた立場』に責任と自覚を持ち、自問自答すること、あるいは他者とのコミュニケーションによって成長を遂げることだった。

ジーコ監督は、プロの監督としての経験をほとんど持たない。専門教育を受けたこともない。心理学や、集団の行動理論を学んだわけでもない。したがって飯塚氏が書くように、「成長を促す」のも、そういった目的の練習メニューを組むことではなく、「選手個々が『自分が置かれた立場』に責任と自覚を持ち、自問自答すること、あるいは他者とのコミュニケーションによって成長を遂げる」ことを「説く」ことでしかできないのだ。

飯塚氏は続ける。

だが、ドイツW杯はその集大成とはならなかった。(中略)なぜ、もっとも大事な大会で、本来の力を発揮することなく、不本意な戦いをしてしまったのか。

これはまったくそのとおりだ。選手個々の成長を目的としたチームが、選手個々の力ではW杯で勝てなかった。結果が出なかったのみならず、持ち味もほとんど発揮できなかった。飯塚氏はしかし、その原因がどこにあるのかをはっきりとさせていない。代わりに、次の川口の談話を紹介するのみだ。

「ボクたちは戦っているわけで、生半可な気持ちでプレーしてはいけない。代表に選ばれなかった選手もいるわけで、その気持ちも考えてプレーしないと」(クロアチア戦後の川口)

この、自分の論で語らず川口の談話に語らせている論理展開は、「ドイツW杯が『個々の成長を促す』チームとしての集大成にならなかったのは、選手たちが生半可な気持ちでプレーしていたからだ」ということだろうか?

噴飯ものである。

飯塚氏は自分の論が自家撞着に陥っていることがわからないのだろうか?


■「個のチカラ教」の伝道師ではない

・選手の「個」を伸ばすことを強化の手段とする。
・それは責任感、自覚、コミュニケーションを強調することで行う。
・4年間をそれにあてた。
・ドイツでは責任感が足りなくて勝てなかった。

ここから実に簡単に分かるのは、非常に多くのことを犠牲にしながら、4年かけてそれができなかったのであれば、時間の限られる代表チームでそのようなことを目的にすること事態が間違っている、ということだ。あるいは、ジーコ監督の能力が、それを目的とするチーム運営にあたり、致命的なまでに低かった、ということだ。どちらであれ、根本方針の誤りがドイツでの敗戦を招いたのは明らかだろう。

言うまでもないが、ジーコ監督はA代表の監督である。プロの代表監督のミッションとは何か。「与えられた時間で、結果を求められる大会で、結果を出す」ことだ。ジーコ監督が「個を伸ばす」という方針を採るのならば、そしてそれに4年間を費やしてきたのならば、さらに言えば非常に限られた少人数のチームにのみそれを施してきたのであれば、その方針によってドイツW杯で結果を出す、ことが当然、とうぜん必要である。ジーコは代表監督であって、「個のチカラ教」の伝道師ではないのだから。

日本サッカー界が何よりも取り組まなければならないのは、引き続き選手個々の成長を即すことだ。単に技術レベルをあげるのではなく、戦ううえで最も重要な要素、プロサッカー選手として、代表としての心の持ち方、精神面の成長を図らなければならない。

ここでまた一つ欺瞞が入り込んでいるのにお気づきだろうか。ジーコ監督の議論をしていたはずが、唐突に「日本サッカー界が」と言い出している。もちろん、日本サッカーが全体として「選手個々の成長を促がす」ことが必要であり、重要であることは論を待たない。しかし、それは代表監督が「主目的」とするようなことではない。ユース年代の育成や、時間の取れるクラブで行うことが第一だ。時間の限られる代表チームでそれを行うのは、非効率的であるばかりでなく、他の重要なことがおろそかになるという点で、敗北の可能性を増すことでしかないのだ。

もしそれを行うなら、プロの監督がしっかりとした守備や組織を構築した上でするべきである。トルシェ監督は、60%の組織を構築した先に、赤信号のたとえ話にあるように、「自分を表現すること」を求め続けた。2002年のチームのほうが、2006年のチームよりもリスクチャレンジが多かった、あるいは戸田や松田のような個性を活かせていたのは、偶然ではないのだ。


■オシム監督に失礼だ

幸い、次期監督であるオシムは、この流れをしっかりと引き継げる人物だ。しかも、選手への厳しさはジーコの比ではない。

これはこれから、川淵キャプテンや協会の意を組んだ評論家からよく出てくる意見だろう。このような欺瞞はジェレミーさんのコメントで粉砕できる(笑)。

それから、ジーコ氏の哲学の継承者としてオシム氏が最適であるという川淵キャプテンのコメントを聞くのには、もううんざりしている。 これは、何の経験もなく、4年という長期間に何も結果を残せなかったジーコ氏と違い、名将として尊敬され、実績も残しているオシム氏に対する侮辱だろう。

「次もジーコ路線で?」というエントリーで書いたように、オシム監督はジーコ監督と違い、放任して「選手のやりたいこと」を優先する監督ではない。チームとして進むべき指針をはっきりと定めた上で、それを実現するためにどうするべきか、を考えさせる監督である。しかも、「考えさせる練習メニュー」も非常に豊富だ。メソッドをしっかり持った、実績のある監督なのだ。監督をしたことがなかったジーコ監督と比べるべくもないのは、当然のことではないか。

選手個々の成長なくして、日本代表の成長、日本サッカー界の発展は有りえない。ジーコからオシムへの引き継ぎは、『選手個々の成長を即す』というコンセプトのもとになされたものだ(まだ正式契約前だが・・・)。ピッチに立ち、考え、判断し、実際に戦うのは、選手だということを忘れてはならない。

まだ欺瞞は続いている。重要なのは「選手個々の成長を代表の主目的にして、守備組織の構築その他をおろそかにしたために、ドイツW杯で勝てなかった」ということだ。あれほどの低い組織的完成度のチームは、W杯を見回しても他にはない。「選手個々の成長が必要だ」ということだけを強弁しても、何の意味もない。それは全サッカー界的に、当然のことだからだ。しかしA代表の監督論を考えるためには、その「空虚な正論」だけを唱え続けていても空しいだけだ。

この4年間、「個々の成長」を主目的にした代表チームが何を失ってきたのか。そしてメソッドを持たない監督によって、その個々の成長さえも4年では成し遂げられなかったという事実。「強化方針の間違い」「監督の失敗」こそが、ドイツのピッチのうえに大きく書かれていたことだ。飯塚氏よ、それから目を逸らすな、直視するのだ。そうしなくては、この焼け跡からの日本サッカーの強化はできないと知るべきだ。

目を逸らそう、逸らそうとしているのは飯塚氏ばかりではない。ジーコが失敗だったと認めると、自分の責任問題になる川淵キャプテンこそがその元凶だ。しかし、もう欺瞞は通用しない。多くの国民がドイツのピッチの上に書いてあるものを見てしまったのだ。それを覆い隠そう、嘘で塗りつぶそう、としても、もはや無理なのだ。これから川淵氏に注がれる視線は、どんどん厳しいものになるだろう。もはや、失敗を失敗と認めたほうがずっと楽になれますよ、川淵さん。

それではまた。

02:27 PM [2006総括] | 固定リンク

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