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July 10, 2006

日本は「戦えて」いたか?

上川主審が、「日本は一番戦っていなかった」と発言したようです。

2試合で笛を吹いた上川徹主審(43)と広嶋禎数副審(44)。世界レベルの戦いを直接目にする2人は、日本代表について「(出場チームで)一番、戦っていなかった」と辛口に評価した。

 上川主審は「強いチームは汗をかいている」ときっぱり。日本は、地道にボールを追い掛ける泥臭い部分が欠けていると、映った。広嶋副審は「相手ボールにプレスをかけることをさぼったら、幾ら技術のある選手がいても勝てない」と指摘した。

Image099これは私も非常に同感です。今回のW杯で私たちがなんともガッカリしてしまったのは、日本代表からそういう「戦う姿勢」があまりにも見られなかったことが大きいのではないでしょうか。

この記事では二人の主審は「汗をかく」「プレスをさぼらずにかける」ということを「戦う」ことの定義(の一部)としているようですが、私はそれらに加えて「からだを張る」ということもあるように思います。そして、「戦っている」試合ではそれはやはり我々の眼にも見えてくる。「魂」の感じられる試合になってくる。

例えば、ドイツW杯イングランドvsポルトガル戦でも、恐ろしいほど必死にプレスをかけ、身体をブチあてて行き、シュートモーションに入った敵の足元に自分の身を省みずに飛び込んで行き、ラインから出そうになるボールを必死に追っていく、そんな選手の姿を見ることができます。あれほどの有名選手、能力の高い選手たちなのに、そのときの彼らは「勝つためには己などどうなってもよい」というような姿勢を見せている。「ああ、彼らは本当に『戦っている』んだな」と、理屈抜きに思えます。


■植民地の外国人(笑)?

ここで一つ、興味深い記事がありました。今回のワールドカップ後の、サッカーマガジン元編集長千野圭一氏のコラムです。「ジーコの失敗と本質を分析し、正しく次に繋げなければ進歩はない」タイトルには誰もが共感すると思うのですが、中の記事にはあまりジーコの失敗や本質の分析はなく、ちょっと「看板に偽りあり」になってしまっていますね(笑)。

この中に、今回の件と関連すると思われる記述があるのです。

 トルシエ監督は、選手たちを遠隔操作のロボットのように扱った。練習でうまくいかないと、映像では選手の胸をつかんだり、小突いたり、時には頭を叩いたりすることもあった。まるで優越感に浸る欧州人が、植民地の奴隷に接するように横柄な態度で選手たちに接したのには感情的ではあったが、腹が立った。

「ロボットなのかどうか」とか、「植民地のようなのかどうか」という点は、千野氏の主観的な部分だからどうでもいいのですが(笑)、この中の「映像では選手の胸をつかんだり、小突いたり、時には頭を叩いたり」というのは、確かにトルシェ監督がよくやっていたことでしょう。しかし、それは彼が単に横柄だったり、優越感に浸る欧州人が、植民地の奴隷に接するような気持ちだったりするから、行っていたことなのでしょうか?

田村修一氏の「トルシエ革命」の中で、トルシェ監督自身がその指導について語っていました。

私の指導方法は他の監督とは少し変わっている。選手には常に100パーセントを要求し、集中力やモチベーションを欠く選手にはときに非常にアグレッシブになる。サッカーはプレーであると同時に戦いでもあることを、彼らに常に意識させたいからだ。戦う気持ちをもてない選手は、私のチームにはいらない。

トルシェ監督は、そうすることで選手たちに「戦う姿勢」を植えつけることができると考えて、そのような指導を行っていたようです。確かに、いわゆる「練習でできないことは試合でもできない」と考えると、練習から100%ファイトする、全力を尽くす、練習から「戦う」ことが、必要なのかもしれません。そしてトルシェ監督はそれを、自らも態度で示し、強く要求しました。さて、それは奏功したのでしょうか。


■岡野元会長と財徳さん

2000年6月19日、あの解任狂躁曲を廃し、岡野会長(当時)がトルシェ監督の続投を決めた時、記者に「トルシェ監督のどこを評価したのか」と聞かれた岡野会長は、次のように答えています(当時のJFAニュースより)。

:戦う意思を選手に植え付けてくれたこと。環境の変化に対応できる力を付けてくれたこと。そして、厳しさを日本代表チームに植え付けてくれたことを評価しています。 

ここでも「戦う意思」ということがあげられています。実際、2002年の試合を見直すと、多くの選手が身体を張り、走り回り、倒されそうになりながらも最後の瞬間まで足を出し、ボールに、敵に食らいついていく姿を見ることができます。これはもちろん主観になるのですが、少なくとも私と岡野元会長とに共通する見方として、当時の日本代表チームは「戦う姿勢」のあるチームだった、ということが言えると思います。

ではそれはどのように培われたものなのでしょうか。こちらに、財徳賢健治さんの2001年の終わりごろの興味深いインタビューがあります。ちょっと長くなりますが引用します。

財徳 指導するときに、本当に小さいことまで言うでしょ。外国人の当たりはこんなに強いんだぞと、体をぶつけたり、手をひっぱったり、ときには胸ぐらをつかまえたりね。そんなことをした監督はいままでいなかったでしょ。最初は選手も「なんなんだ」と思っただろうけど、実際の試合に生かされているよね。やはり、自分の意志をはっきり伝えた成果だと思います。(略)

財徳 デットマール・クラマーさんが、「ドイツ人にゲルマン魂があるように、日本人にも大和魂がある」と言っていたのと同じようなことですよね。戦うにはそれが必要なんだということを、気づかせてくれた。「根性」て言葉を使うと、みんな拒否反応を起こすでしょ。私は大好きなんだけどね。ファイティング・スピリットって言えばいいの? ちょっと違うんだよね。魂なんだよ。

どうでしょうか。この大会で日本代表が忘れていたことが、ここには凝縮されているように思わないでしょうか。続きも引用しておきます。

-- (2001年当時の代表は)魂という点ではどうですか。いまの若者はそれを表に出すことを良しとしないのではないですか。

財徳 (略)魂を前面に出すチームじゃなきゃ勝てないって。そういう意味じゃ、代表として2001年最後の試合だったイタリア戦は立派だった。(略)

財徳 ぶつかって倒れた後、相手をかーっとにらみ返してたでしょう。あのにらみ返す目だよ。あれをもっていなきゃだめ。にらみ返して、あとはすーっと我に返る。(略)国際試合ではメンタル面でもタフな戦いを要求されているんだ。選手個々の局面でね。この間のイタリア戦では、こういうところがいちばん好きだった。後半、がんがんやり返されていたけど、全然ひるんでなかった。そこがよかった。

ここで言われている、「ぶつかって倒れた後、相手をかーっとにらみ返してたでしょう。あのにらみ返す目だよ。あれをもっていなきゃだめ。にらみ返して、あとはすーっと我に返る」この風景は、確かに2002年W杯のピッチ上でも見られましたね。ひたむきに全力を尽くす、倒れそうになっても走る、最後までカラダを張る、ということの他にも、メンタル面で相手に負けないということ、そしてそれを「表に出す」ということ、それも2002年には日本が手にしていた「戦う姿勢」の一つなのだとわかります。


■ドイツではどうだったのか?

2006年の日本代表が「戦っていたか、いなかったか」。これは最終的には個人の主観によるものです。すごく戦っていたと考える方もいるでしょう。また、戦えていなかったとして、その原因が何であるのかも、もっと選手の談話など、情報が増えてこないとわからないところです。ただ一つだけ言えるのは、サッカーマガジンの千野さんのコラムにあるトルシェ元監督の練習中の態度には、きちんと日本代表強化のための意図があるということ。そしてそれがある程度効果をあげていて、それがゆえに2002年の結果がある、ということです。

秋田 豊 今日のミニゲームはリラックスしていた。ここ何年か試合前日にこれほどリラックスしたことはなかった。

これはジーコ監督就任直後の練習についての、秋田の談話です。その時から3年半、練習中の雰囲気については「和気あいあい」「楽しそう」「笑顔があふれる」などということが多くもれ聞こえてきました。私はそのやり方をすべて否定するものではありません。選手を「大人扱い」するジーコ監督は、リラックスした中でもそういう「戦う姿勢」を「自分から、自然に」出せる選手を選んだつもりだったでしょうし、それを練習や指導で引き出すつもりはなかったのでしょう(そのためのメソッドの引き出しもほとんどなかったとは思いますが)。ただ、それであれば最後に「爆発」したのはどういうことなのか・・・。

さて、「選手が自分でメンタル面を管理できるように自立を促した」「選手が自分で戦う集団になれるように、自立を促した」はずの、ジーコ監督のやり方の、その結果は?日本の選手は戦えていたのか、いなかったのか?そういう視点で私はもう一度、「もう二度と見たくない」あの3試合のビデオを、見直してみたいと思います。

それではまた。

06:30 AM [2006総括] | 固定リンク

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