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September 06, 2005

門は閉じられていない

9月7日に行われる親善試合ホンジュラス戦にむけた日本代表のメンバーが発表になりましたね。先日の東アジア選手権、最終予選イラン戦(ホーム)などを通して起用された、いわゆる「新戦力」がどの程度含まれるかが期待されましたが、それほど多くはありませんでした。今回は国際Aマッチデーであるために召集できる「欧州組」が多く含まれる、ジーコジャパンにおけるベーシックな陣容となったと言えると思います。

基本的に私は、選手選考は代表監督の専権事項であるし、強化試合においてどのような計画を立てて起用していくかも監督の自由だと思っています。ただ問題となるのは、強化試合ではなく真剣勝負の舞台において、「連携を十分に取れるバックアップ」が維持されているか、ということや、起用法によってチームを闘う集団とすることを損ねていないか、などの点でしょう。この辺はこれからジーコ監督に上手くやってほしいと願うしかない部分ですね。


固定方針と「30人枠」

ジーコ監督は今回の発表では、これからの選手選考の基準や起用の考え方をかなり語ったとのことです。今後予定される強化試合ではなるべく欧州組も召集していきたいということが、その第一となっているようですね。これは、選手間の話し合いや連携が非常に重要な位置を占めるジーコジャパンでは、十分に理解できる考えであると思います。是非なるべく時間をとって、その部分を向上して行ってほしいですね。

ジーコ監督
自分の考えでは、今回のように欧州からも試合毎にメンバーを呼んで、できるだけベストなチームでやりたい。というのも、マッチメークにも苦労するが、選んでもらった相手はかなり強い。今まで以上に自分たちの中での連係も含めた準備として、これからの試合を使っていきたい。

また、今回ジーコ監督は「30人程度」という枠について口にしましたが、これが来年6月のドイツW杯でのメンバーを想像するにあたり、非常に示唆に富んだものとなっています。今回の招集メンバーを基本とし、怪我で休んでいるメンバーがそれに加わり、また巻も今回は実績のあるメンバーが多いために召集を見送ったこと、そして

ジーコ監督
きっかり30人ということではなく、状況において28人であったり、32人あるいは33人という枠。名前で言えば、ここに入っていない鈴木、阿部、今野、田中(達)、茶野、大久保、松井、村井などを含めての枠と考えていただければいいと思う。(中略)左なら村井、右なら駒野など新しい選手も見た。そのすべてがベースとなっている。

と、しばらく代表から離れている松井や大久保のアテネ→欧州組も「30人枠」に入れていることに言及しました。これを総合して現状の「30人(程度)枠」を見てみると、

GK:土肥、楢崎、曽ケ端 + 川口(今回は怪我)

CB:田中誠、宮本、坪井、中澤、茂庭 + 茶野

アウトサイド:三浦淳宏、三都主、加地、駒野 + 村井

ボランチ:福西、中田英(?)、中田浩、稲本、遠藤 + 阿部、今野、小野(今回は怪我)

OMF:中田英(?)、中村、小笠原、本山 + 松井(?)

FW:柳沢、高原、玉田、大黒 + 巻、鈴木、田中達、大久保、久保(今回は怪我)

ということになるでしょうか。ポジションについては、中田英選手はボランチかトップ下か、ジーコ監督も会見でまだ固定していないことを話していたため、松井もジーコ監督が「三都主の代わりとして」と言っているらしく、(?)としています。

攻撃陣では、コンフェデ杯で存在感をあらためて示した欧州組が中心となってくることは間違いないでしょうが、田中達や大黒、巻といった「国内好調組」が彼らとどう響きあうか、これから非常に楽しみです。大久保や松井の新(?)海外組がそこにどう新しい力を加えてくれるかも是非見てみたいですね。そういう意味では「30人で固定」と言っても、まだ最近試されていない復帰組もいるわけで、「門戸が閉ざされた」というようなものではないでしょう。

ただ少しだけ気になるのは、守備陣の陣容、連携の熟成度がやや足りないように見受けられる点です。攻撃は自由でよいし、感性が響き合えば時間がなくても上手く行くこともあるかもしれません。しかし、守備はやはり、中澤が言うように、話し合いによる約束事の積み重ねや、連携が重要なポジションです。この点においては、陣容、熟成において、もっと向上させておく必要があるのではないかと思います。


「ニューヒーロー枠」?

さて、今回の会見でもう一つ注目なのは、ジーコ監督の次の言葉でしょうね。

ジーコ監督
これからとんでもなくいい選手が台頭してほしいと願っている。ブラジルのロビーニョみたいに、とんでもなくいい選手が出てくれば23人の中に入れることもある。心の底からロビーニョのような日本人が出てきてほしいと思っている。

これがいわゆる「ニューヒーロー枠」と世間で騒がれ始めているものですが、別にそういう「枠」があるというわけではなく、そういう選手に出てきてほしい、という望みであって、これには私もまったく同感です。何かもう一つ、枠を壊す、序列を壊すような存在に、是非出て来てほしいという気がします。

この候補になるのは、すでに「30人枠」に入っている松井や大久保、田中達也や巻といったあたりが第一でしょう。また、欧州に渡っている平山も、向こうで大活躍すれば、抜擢も大いにありえるでしょうね。大黒という先例もあるし、Jリーグで実績を積み上げている選手ももちろんその候補になります。あと290日程度、時間はあるようでない、ないようである(笑)。選手たちには是非狭き門を突破するよう、頑張って欲しいですね。


岡田監督と「フランス98後」

ところで、日本がW杯に出るのはこれで3回目になります。参考までに、過去2回の大会出場決定後、どの程度メンバーを「固定」したのかを見てみましょうか。

一度目はもちろんあのジョホールバル、イランとの激戦を制して出場を決めたのは1997年11月16日でした。今回よりもずいぶん遅い決定だったことになります。それまでは、今回と違い集中した日程での予選となるため、基本的にはいったん編成したチームで戦い抜きました。もちろん、途中からゴン中山選手が参加したり、北沢選手がトップ下に、コマネズミ的に起用されてチームの潤滑油になったりと、多少の変化はありましたが。

さてその後、年が変わっての98年、2月8日から、本大会に向けてのチーム作りがスタートします。この時はGK岡中、MF増田、中村俊輔、FW柳沢の5人が初代表に選ばれました。すでに川口、鈴木秀、服部、ヒデ、城といった「アトランタ組」は代表入りしていましたが、中村俊、柳沢は「これからシドニー五輪を戦う世代」でした。今で言う「北京世代」ですね。これを見ると岡田監督も若返りにある程度は意を砕いていたようです。出場決定後にいったん枠を広げる、という意味では、ちょうど今年の東アジア選手権のような位置づけでしょうか。

(これより前に代表入りし、最終予選で大活躍した中田ヒデも、あまりの貫禄に(笑)誰も気づきませんでしたが、非常に若い選手でした。アトランタ五輪(96年)に出場していたとは言え、その世代よりも一つ若い世代で、武藤さんがおっしゃっている通り、現在で言えば「ジュビロの成岡がジーコジャパン入りして中心になるようなもの」でしたから、いかに若かったか想像がつくでしょう。)

さらにその後、4月1日に行われた2002W杯日韓共催記念試合には、当時17歳だった市川、18歳だった小野伸二が招集され、初出場を果たします。何という若さ(笑)!二人ともこれからナイジェリアユースに挑もうという世代でした。ご存知のように、2人はそのままワールドカップキャンプの25人に残り、小野選手はフランスワールドカップ・ジャマイカ戦で出場も果たしました。今で言えば誰だろう、本田君(グランパス)あたりが出場するような感じでしょうか。若い!まさにニューヒーロー枠、あるいは「フランス98後を見通して」の起用と言うのが適当ですね。


トルシェ監督と「生きているチーム」

さて、2002年はトルシェ監督です。トルシェ監督は、まあご存知のように非常に多くの選手を呼び、出場させていましたし、母体がシドニーオリンピックのものであるなど、そもそもが実に若いチームでしたね。というわけで、予選のあった岡田監督時代とは直接の比較は難しいのですが、時期が近いところでは10月4日、7日の欧州遠征があるでしょうか。ここでは、広山や藤本、福西、といったこれまであまり起用されてこなかった選手を「ラボ」に送り込み、久しぶりの宮本のセンターや奥のサイド起用など、いくつかのテストも行われていました。

続いて、11月7日にはイタリア戦があるわけですが、それに先立つ10月22日からの候補キャンプでは、「そろそろ絞込みが必要」という指揮官の言葉とは裏腹に、阿部(ジェフ)や前田(ジュビロ)が召集され、またトルシェフル代表では出場暦のない市川がメンバーに入っていました。しかし、試合自体は基本的には「このイタリア戦がワールドカップの開幕」という言葉どおり、これまで中心と目されてきたメンバーで戦い、いったんチームのベースをしっかりさせようという意図が見えるものでした。やはりこの時期にいったんそうするのは、論理的なことと言えるでしょう。

この時のフル代表は、最初からシドニー五輪世代を中心に若い選手でチームを作ってきたこともあって、そのまま2002年以降も編成できるようなチームでした。しかし逆に、それもあって2002年には「ニューヒーロー枠」は結局活用されなかったように見えます。特に攻撃陣には、「急に輝き始めて現メンバーをしのぐほどの選手」は、若手にはあらわれませんでした。とはいえ2002年になると、三都主選手が帰化を果たし、また市川選手がついにトップフォームを取り戻し、「2001イタリア戦バージョン」に加えて彼らがメンバーに名を連ねることになります。やはり、イタリア戦でいったん完成させたチームも、それからの230日で、進化、発展して行ったわけですね。チームは生きているもの、一つところには、ずっと留まることはできないものなのでしょう。

2006年に実際に「ニューヒーロー枠」(笑)が使われるかどうかはまだまだわかりませんが、今いったんベースをしっかりさせようというジーコ監督も、これからの290日、まだまだチームを進化させることに貪欲でしょう。これからの準備期間、その間のJリーガー、海外リーガーの切磋琢磨が本当に楽しみですね。

それではまた。

06:32 PM [ジーコジャパン] | 固定リンク

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