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September 07, 2005いい時期の大苦戦(ホンジュラス戦)
いやー勝ちましたね!TVではさんざん煽っていましたが(笑)、確かに中南米にはここのところ勝っていないので、ここで勝っておいたことは非常によかったと思います。というか、単純にすごくうれしい試合でしたね。4失点かつ5得点という、なかなか見れないスリリングな試合で、もう心臓が疲れました(笑)。以下簡単に感想を。
■「テスト」なのだから
同じホンジュラスが相手ということで、どうしても2002年のホンジュラス戦(3-3で引き分け)と比較する意見が出ると思うが、確かにまるでタイムスリップしたかのように、同じような試合展開だった。ホンジュラスは、全員が三都主かと思うほどに(いい意味で)ボールをキープ、また三都主と同等か、それ以上にボールテクニックがある選手が多く、日本はプレスのかけどころがつかめない。突っ込んでいけばかわされ、ボールを展開されてしまう。これは、3年前も今回も同じだった。
試合序盤のDFラインは、おそらくはコンフェデ杯やイラン戦のイメージで、「アジアカップ仕様の引いて守るスタイル」から、より押上げを積極的にしていくものにトライしていたと思う。私は地上波デジタル放送で見ていたのだが、16:9のワイド画面だと、通常では見えないDFラインまで映ってくるのだ。序盤から確かにそれは高く維持されていた。というか、そうしようという姿勢が見て取れた。しかしそれはやはり「トライ」である以上、機能しない可能性もあり、そこが出てしまったといえるだろう。
1失点目は、ラインを押し上げた中澤と残った選手、引いてくる選手の意識のズレを突かれ、18マルティネスに突破され、折り返しを10ベラスケスに蹴りこまれたもの。この辺は、押し上げ型DFラインをやるなら必ず意識統一をしておかなければならないところだ。宮本はもっと他の選手と密に話し合うべきだろう。2失点目は、14ガルシアが三都主と1vs1を仕掛け、今度はラインが凸の字になったギャップにベラスケスに走りこまれ、そこをパスを通され決められたもの。ベラスケスのマークを誰がするのか、ここではあいまいになってしまっていた。
これは、コンフェデ以来の4バックと、久しぶりの先発となる稲本、中田浩の連携が練れていないことが最大の原因だろう。しかし別に問題視するには当たらない。そもそも親善試合、強化試合というのは何らかのテーマを持ち、それを見極めたり、習熟したりするために使うものでもある。稲本と中田浩二の起用テストを行って、機能のし具合のチェックもできたし、連携も試合中にある程度に詰められただろう。これでいいのだ。
■世界はミスを許してくれない
日本は徐々に試合に入りなおし、ポゼッションを回復、中盤で稲本が強烈なミドルシュートを放つと、それがホンジュラスDFの足に当たってこぼれ、高原の前に。高原はそれを冷静に蹴りこむ。ゴール!1点差に詰め寄る。敵のミスからの得点だが、それを見逃さないのも強いチームの証拠。ジーコ監督が「世界と戦う時は一つのミスが命取りになる」と語っていたが、その逆を行ったカタチだ。よいことだと思う。
しかし、前半ロスタイム、今度は日本がミスを犯してしまう。DFラインから中田ヒデ選手がパスを受け、ビルドアップの第一歩目のパスを出そうとしたところ、ホンジュラス選手に奪われ、今度はマルティネスに決められてしまう。3-1。まさに警戒していたはず、意識付けをしたはずの、選手のミスで失点してしまう。これはいうまでもなく、W杯本大会では絶対にあってはならないシーンだ。そのためのよい教訓となったと思う。世界は、ミスを許してくれない。言われつくしたことだが、もう一度肝に銘じよう。
■時期とコンディションという問題
やはり試合に出ていなかったり、シーズン開幕直後だったりすると、選手も人間であるわけで、コンディションが本調子とは言えず、カラダの切れが悪くなるものだ。今回は海外組を総じて試合に出したわけだが、やはり稲本や中田ヒデは、まだ体が重そうに思えた。やはり長いこと試合に出ていない選手が、試合でいきなりトップパフォーマンスを見せるのは難しいのだろう。この問題は、昨年の1次予選の初期に大きくクローズアップされたことでもある。
しかし、この試合はあくまでも強化試合。ヒデや稲本を試合に出し、テストする、コンビネーションを詰めていくのが目的なのだ。彼らのコンディションが悪くても、出場させる意味は大いにある。試合全体の低内容は、それから来ている部分はあるわけで、そういう目的のために使われたこの試合なのだから、確かに彼らのプレー内容はそれほどよくなかったが、責めるには当たらないだろう。
■オープンな打ち合い
後半開始直後、日本はFKを中村が蹴り、フリーの柳沢がヘディングシュート。ゴール!3-2!ホンジュラスは前半からセットプレーの守備にもろさを見せていた。ここを突いていけば、もっと点が取れる!ところが、その直後、日本の右サイドに長いパスが送られ、加地は一瞬ボールの落下点を見誤ったか、後ろから走りこんできたマルティネスに追い越されてしまう。中央にラストパスが送られると、ベラスケスが走りこんでおり、また失点してしまう。4-2。
その後ふたたび日本が得たFK、中村が蹴ると、ファーサイドにいた宮本の前に。宮本は後から倒されてPKを得る。やはりセットプレー時の守備が、おそらくトレーニング不足だろう、つめ切れていない印象を受けた。日本の得意なカタチが活きて、得点を取れたことは、今後に向けてポジティブだろう。PKキッカーは中村。これで4-3と追いつめる。
ここで稲本に代えて小笠原投入、ヒデがボランチに下がる。私は彼のベストポジションはここじゃないかと思っているのだが、急にチームに芯が入ったように見えたのは私だけだろうか(笑)?彼のビシッとした縦パスが、「縦へのパスが欲しいですね~」と堀池さんが言っている時に通ったのには笑ってしまった。チーム全体が、まあホンジュラスの時差ぼけから来る失速にも助けられたのだろうが、次第にダイレクトプレー、前への推進力を取り戻し、25分には柳沢が自分で前を向き中へ流れてシュートコースを作り、4点目!4-4!
最後には、完全に足の止まった(にもかかわらず中途半端にラインの高い)ホンジュラスDFの裏へのボールに三都主が抜け出し、折り返しを小笠原がゴール!前半やられた形をやり返してやったようなゴールで、気分よく試合を終えることができた。しかし、ジェットコースターのような、ハラハラとドキドキ、失点の悔しさと得点の歓喜がたっぷり詰まったゲームで、観戦していて本当に疲れましたね(笑)。
■ホンジュラス戦の、その先へ
ブラジルと対戦するジーコジャパンを見ていても感じたのだが、確かに今の日本代表は南米風味になりつつあるように思える。このホンジュラスも、一人一人の細かいところでの技術、フェイントを織り交ぜて、ボールを丁寧につないでくるサッカーをしていた。前半は特に、コネるばかりではなく、周りの選手たちが動き回って、そこをパススピードの速いパスをつないでくる、かなり質のいいサッカーをしていたと思う。こういうチームでも、W杯に出れないのだから、中南米は奥が深い、と思ってしまった。
今回もホンジュラスは、日本のDFラインに対してやや反省点を教えてくれたのだが、同時に「こっちへ行こう」という方向性も見せてくれたような気がする。技術、アイデア、ボール回しに関しては、中南米とかなり近いか、あるいはそれ以上に来つつあるジーコジャパンだが、縦へいれるパスのスピード、選手の動き出し、技術の使いどころ、ペナルティエリアの質、などなどでは、「ポゼッションサッカーの先輩」として、ホンジュラスにも見習うべきところもかなりあったと思う。コンフェデではいい試合をしたジーコジャパン、しかし、まだまだ先へ行ける、発展できる。この時期にこういう苦戦をしたのはいいことだったと、2006年には、きっと思えるだろう。
取り急ぎ、簡単な(そうでもない?笑)雑感でした。それではまた。
10:47 PM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (4) |
September 06, 2005門は閉じられていない
9月7日に行われる親善試合ホンジュラス戦にむけた日本代表のメンバーが発表になりましたね。先日の東アジア選手権、最終予選イラン戦(ホーム)などを通して起用された、いわゆる「新戦力」がどの程度含まれるかが期待されましたが、それほど多くはありませんでした。今回は国際Aマッチデーであるために召集できる「欧州組」が多く含まれる、ジーコジャパンにおけるベーシックな陣容となったと言えると思います。
基本的に私は、選手選考は代表監督の専権事項であるし、強化試合においてどのような計画を立てて起用していくかも監督の自由だと思っています。ただ問題となるのは、強化試合ではなく真剣勝負の舞台において、「連携を十分に取れるバックアップ」が維持されているか、ということや、起用法によってチームを闘う集団とすることを損ねていないか、などの点でしょう。この辺はこれからジーコ監督に上手くやってほしいと願うしかない部分ですね。
固定方針と「30人枠」
ジーコ監督は今回の発表では、これからの選手選考の基準や起用の考え方をかなり語ったとのことです。今後予定される強化試合ではなるべく欧州組も召集していきたいということが、その第一となっているようですね。これは、選手間の話し合いや連携が非常に重要な位置を占めるジーコジャパンでは、十分に理解できる考えであると思います。是非なるべく時間をとって、その部分を向上して行ってほしいですね。
ジーコ監督
自分の考えでは、今回のように欧州からも試合毎にメンバーを呼んで、できるだけベストなチームでやりたい。というのも、マッチメークにも苦労するが、選んでもらった相手はかなり強い。今まで以上に自分たちの中での連係も含めた準備として、これからの試合を使っていきたい。
また、今回ジーコ監督は「30人程度」という枠について口にしましたが、これが来年6月のドイツW杯でのメンバーを想像するにあたり、非常に示唆に富んだものとなっています。今回の招集メンバーを基本とし、怪我で休んでいるメンバーがそれに加わり、また巻も今回は実績のあるメンバーが多いために召集を見送ったこと、そして
ジーコ監督
きっかり30人ということではなく、状況において28人であったり、32人あるいは33人という枠。名前で言えば、ここに入っていない鈴木、阿部、今野、田中(達)、茶野、大久保、松井、村井などを含めての枠と考えていただければいいと思う。(中略)左なら村井、右なら駒野など新しい選手も見た。そのすべてがベースとなっている。
と、しばらく代表から離れている松井や大久保のアテネ→欧州組も「30人枠」に入れていることに言及しました。これを総合して現状の「30人(程度)枠」を見てみると、
GK:土肥、楢崎、曽ケ端 + 川口(今回は怪我)
CB:田中誠、宮本、坪井、中澤、茂庭 + 茶野
アウトサイド:三浦淳宏、三都主、加地、駒野 + 村井
ボランチ:福西、中田英(?)、中田浩、稲本、遠藤 + 阿部、今野、小野(今回は怪我)
OMF:中田英(?)、中村、小笠原、本山 + 松井(?)
FW:柳沢、高原、玉田、大黒 + 巻、鈴木、田中達、大久保、久保(今回は怪我)
ということになるでしょうか。ポジションについては、中田英選手はボランチかトップ下か、ジーコ監督も会見でまだ固定していないことを話していたため、松井もジーコ監督が「三都主の代わりとして」と言っているらしく、(?)としています。
攻撃陣では、コンフェデ杯で存在感をあらためて示した欧州組が中心となってくることは間違いないでしょうが、田中達や大黒、巻といった「国内好調組」が彼らとどう響きあうか、これから非常に楽しみです。大久保や松井の新(?)海外組がそこにどう新しい力を加えてくれるかも是非見てみたいですね。そういう意味では「30人で固定」と言っても、まだ最近試されていない復帰組もいるわけで、「門戸が閉ざされた」というようなものではないでしょう。
ただ少しだけ気になるのは、守備陣の陣容、連携の熟成度がやや足りないように見受けられる点です。攻撃は自由でよいし、感性が響き合えば時間がなくても上手く行くこともあるかもしれません。しかし、守備はやはり、中澤が言うように、話し合いによる約束事の積み重ねや、連携が重要なポジションです。この点においては、陣容、熟成において、もっと向上させておく必要があるのではないかと思います。
「ニューヒーロー枠」?
さて、今回の会見でもう一つ注目なのは、ジーコ監督の次の言葉でしょうね。
ジーコ監督
これからとんでもなくいい選手が台頭してほしいと願っている。ブラジルのロビーニョみたいに、とんでもなくいい選手が出てくれば23人の中に入れることもある。心の底からロビーニョのような日本人が出てきてほしいと思っている。
これがいわゆる「ニューヒーロー枠」と世間で騒がれ始めているものですが、別にそういう「枠」があるというわけではなく、そういう選手に出てきてほしい、という望みであって、これには私もまったく同感です。何かもう一つ、枠を壊す、序列を壊すような存在に、是非出て来てほしいという気がします。
この候補になるのは、すでに「30人枠」に入っている松井や大久保、田中達也や巻といったあたりが第一でしょう。また、欧州に渡っている平山も、向こうで大活躍すれば、抜擢も大いにありえるでしょうね。大黒という先例もあるし、Jリーグで実績を積み上げている選手ももちろんその候補になります。あと290日程度、時間はあるようでない、ないようである(笑)。選手たちには是非狭き門を突破するよう、頑張って欲しいですね。
岡田監督と「フランス98後」
ところで、日本がW杯に出るのはこれで3回目になります。参考までに、過去2回の大会出場決定後、どの程度メンバーを「固定」したのかを見てみましょうか。
一度目はもちろんあのジョホールバル、イランとの激戦を制して出場を決めたのは1997年11月16日でした。今回よりもずいぶん遅い決定だったことになります。それまでは、今回と違い集中した日程での予選となるため、基本的にはいったん編成したチームで戦い抜きました。もちろん、途中からゴン中山選手が参加したり、北沢選手がトップ下に、コマネズミ的に起用されてチームの潤滑油になったりと、多少の変化はありましたが。
さてその後、年が変わっての98年、2月8日から、本大会に向けてのチーム作りがスタートします。この時はGK岡中、MF増田、中村俊輔、FW柳沢の5人が初代表に選ばれました。すでに川口、鈴木秀、服部、ヒデ、城といった「アトランタ組」は代表入りしていましたが、中村俊、柳沢は「これからシドニー五輪を戦う世代」でした。今で言う「北京世代」ですね。これを見ると岡田監督も若返りにある程度は意を砕いていたようです。出場決定後にいったん枠を広げる、という意味では、ちょうど今年の東アジア選手権のような位置づけでしょうか。
(これより前に代表入りし、最終予選で大活躍した中田ヒデも、あまりの貫禄に(笑)誰も気づきませんでしたが、非常に若い選手でした。アトランタ五輪(96年)に出場していたとは言え、その世代よりも一つ若い世代で、武藤さんがおっしゃっている通り、現在で言えば「ジュビロの成岡がジーコジャパン入りして中心になるようなもの」でしたから、いかに若かったか想像がつくでしょう。)
さらにその後、4月1日に行われた2002W杯日韓共催記念試合には、当時17歳だった市川、18歳だった小野伸二が招集され、初出場を果たします。何という若さ(笑)!二人ともこれからナイジェリアユースに挑もうという世代でした。ご存知のように、2人はそのままワールドカップキャンプの25人に残り、小野選手はフランスワールドカップ・ジャマイカ戦で出場も果たしました。今で言えば誰だろう、本田君(グランパス)あたりが出場するような感じでしょうか。若い!まさにニューヒーロー枠、あるいは「フランス98後を見通して」の起用と言うのが適当ですね。
トルシェ監督と「生きているチーム」
さて、2002年はトルシェ監督です。トルシェ監督は、まあご存知のように非常に多くの選手を呼び、出場させていましたし、母体がシドニーオリンピックのものであるなど、そもそもが実に若いチームでしたね。というわけで、予選のあった岡田監督時代とは直接の比較は難しいのですが、時期が近いところでは10月4日、7日の欧州遠征があるでしょうか。ここでは、広山や藤本、福西、といったこれまであまり起用されてこなかった選手を「ラボ」に送り込み、久しぶりの宮本のセンターや奥のサイド起用など、いくつかのテストも行われていました。
続いて、11月7日にはイタリア戦があるわけですが、それに先立つ10月22日からの候補キャンプでは、「そろそろ絞込みが必要」という指揮官の言葉とは裏腹に、阿部(ジェフ)や前田(ジュビロ)が召集され、またトルシェフル代表では出場暦のない市川がメンバーに入っていました。しかし、試合自体は基本的には「このイタリア戦がワールドカップの開幕」という言葉どおり、これまで中心と目されてきたメンバーで戦い、いったんチームのベースをしっかりさせようという意図が見えるものでした。やはりこの時期にいったんそうするのは、論理的なことと言えるでしょう。
この時のフル代表は、最初からシドニー五輪世代を中心に若い選手でチームを作ってきたこともあって、そのまま2002年以降も編成できるようなチームでした。しかし逆に、それもあって2002年には「ニューヒーロー枠」は結局活用されなかったように見えます。特に攻撃陣には、「急に輝き始めて現メンバーをしのぐほどの選手」は、若手にはあらわれませんでした。とはいえ2002年になると、三都主選手が帰化を果たし、また市川選手がついにトップフォームを取り戻し、「2001イタリア戦バージョン」に加えて彼らがメンバーに名を連ねることになります。やはり、イタリア戦でいったん完成させたチームも、それからの230日で、進化、発展して行ったわけですね。チームは生きているもの、一つところには、ずっと留まることはできないものなのでしょう。
2006年に実際に「ニューヒーロー枠」(笑)が使われるかどうかはまだまだわかりませんが、今いったんベースをしっかりさせようというジーコ監督も、これからの290日、まだまだチームを進化させることに貪欲でしょう。これからの準備期間、その間のJリーガー、海外リーガーの切磋琢磨が本当に楽しみですね。
それではまた。
06:32 PM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) |
September 02, 2005BLOG文化の嚆矢?
さて、総選挙ですね。近来まれに見る関心を集めている今回の衆議院選挙ですが、今回はもしかするとBLOGが選挙結果に影響を与える初の総選挙になるかもしれないといわれているようです。その可能性はあると私も思います。というのは、この選挙にいたる、あるいはその前後の大手メディアの政治報道を見ていて、なんとも「相変わらずだな」と思わされたからです。
といっても、突然ここが政治関係BLOGになるというわけではないので、ご安心ください(笑)。この選挙に関する報道に関する問題点と、私たちが従来サッカーメディアに関して持っていた不満がリンクしている、さらには同根である、ということを問題にしたいということです。これは、一部分は、やや思い出話になりますし、またこちらで紹介していただいた、季刊サッカー批評27号での宇都宮徹壱さんの書かれた記事とも関連しています。
■「サッカー選手報道≠サッカー報道」
私が従来から報道に対して持っていた不満は、「従人的すぎる」とでも言うようなものでした。これを政治に当てはめると、「政策報道ではなく、政治家報道が多すぎる」ということになります。別の言葉で言えば、「政局報道が多すぎる」ということでもあります。もちろん実際に政治を行っている人の動向が重要なことは確かですが、あまりにそれに重点をおかれ過ぎていないか。
本当は、郵政民営化を行うとどういうメリットがある、デメリットがあるということを過不足なく伝えるのがまず第一だと思うのですが、「首相は『殺されたっていい』と言った!」とか「干からびたチーズ」とか(笑)、誰が何といった、とか、政局はどう動きそうだ、とかいうことがあまりにも中心であり過ぎないか。これは、よく言われる、いわゆる記者クラブ制度や、政治家に密着する番記者制度、「大衆は政策を詳しく報道されることなんか望んでいないんだ」とでもいうような予断など、さまざまな問題によるものでしょう。
そして、それと同じようなことが、1996年ごろ、日本代表のサッカーが商売になると理解されだされた頃から、サッカーメディアの間でも起こっていたように私には思えていました。それが、「サッカー報道ではなく、サッカー選手報道」とでもいうべき、一時の異常な煽り報道でした。現在でもそれは色濃く残っていますが、代表でちょっと若い選手が活躍すると異常に持ち上げ、もてはやし、「スター」を作り上げ、その選手のひと言ひと言、一挙手一投足を大々的に報道する。ピッチの上のサッカーなど見もせず、報道せず、ただひたすら、ストーリーを作りやすい選手の発言を追っかけ続ける。
それはまた、逆に作用することもありました。中田ヒデ選手は、自分が不用意に漏らした「(試合の流れから)わざとボールを追わなかった」という発言を曲解して報道されたことから、いわゆるメディア嫌いになったわけですが、そのように「これは叩ける!」「部数が伸ばせる!」という発言を虎視眈々と狙っているのが、スポーツ新聞をはじめとする多くのメディアだったのです。自分で際限なく持ち上げ虚像を作っておいて、時が来れば叩き落すマッチポンプでした。
■黒船来襲(笑)!
私は以前からそのような報道姿勢に疑問を抱いていましたが、1998年のフランスワールドカップの頃の中田英寿選手を巡る報道で、この問題は一気に顕在化しました。実際のサッカーを報道せずに、発言を曲解して騒ぎ立てるメディアに嫌気が指していた彼は、自分のHPを持ち、メディアに対して発言しなくなっていきます。それによって、ますますメディアはバッシングを加速させていく。私は、サッカー選手はまずピッチの上のサッカーで評価されるべきだと思っていましたから、それがどうにも我慢できず、J-NETという掲示板上で擁護をし始めました。
その後、虎視眈々と次の餌を狙うメディアにとって、格好の獲物(笑)が海を越えてやってきました。発言で毎日のように物議をかもし出すフィリップ・トルシェ監督です。彼は、最初からメディアに対しての態度が悪く、早速バッシングを受けるようになりました。葉に衣を着せぬ彼の発言はいかにも切り取りやすく、恣意的に利用してのでっちあげにも似た報道が相次ぎました。彼が持ち込もうとしたサッカーが、日本ではあまりなじみのないものだったこと、理解されにくかったことも、それに輪をかけました。
しかし、スポーツ新聞をはじめとするメディアが盛んにバッシングをする中、急速に広がりを見せ始めていたネット上のコミュニティ、先述のJ-NET、サッカーカフェ、Yahoo!など、いわゆるサッカー系掲示板では、「ピッチの上のサッカーを見ると、悪い監督ではないのではないか」「彼がやっていることは、欧州ではそれほど特別なことではないのではないか」という意見が提出されるようになってきました(その中身の是非は今は置いておきましょう・笑)。
■第4の権力 vs ブロガー
メディアは、「第4の権力」とも呼ばれます。本来は公権力に対するチェック機能を持つものとして、外部から監視する役割を担っていたのですが、近年ではメディア自体の権力性、それに伴う弊害が目立ってきたのではないか、と私は思います。先にあげたような、中田ヒデ選手のほとんど報道被害のような例もそうですし、メディアも商売ですから、「これは売れる」と彼らが思ったものしか取り上げない。あるいは、彼らが間違いを犯した場合には、それを隠蔽する方向へその「権力」が作用してしまう。
これに対して、去年から一斉にブレイクしてきたBLOGが、さらにその外側からのチェック機能を持ち始めています。メディアが自分に都合のいいことしか報道しない中、いくつもの新聞を比較してさらに深く調べ、書いているBLOGも多くなってきています。これまでの選挙では、大手メディアがある一方の勢力をよく見せようという、いわゆる印象操作が行われたのではないか、という疑いがありますが、今回の選挙ではそれは通用しなくなりつつあるでしょう。また、メディアが(あえて?)詳しく報道しない郵政民営化の諸相についても、BLOGではかなり詳しいものを読むことができるようになってきました。
海外ではすでに、BLOGが実際の世の中を動かしたという実績もあるようですし、今回の選挙でどこまで行くかはともかくとして、その流れは途絶えることなく続いていくのではないかと思います。ネットが新聞を殺すかどうかはわかりません。しかし、大手メディアが大手であるからこそ取りこぼしている部分、またその構造上、どうしても偏って報道してしまう部分に対し、「参加型ジャーナリズム」たるBLOGが補完、あるいは監視していくようになるとすると、個人的にはよい方向のように思います。
■ピッチの上のサッカーを見よう
サッカーに話を戻しましょう(笑)。2000年、トルシェ監督が就任してから1年半ほどたち、いわゆるトルシェ解任騒動が持ち上がります。「ニッポンサッカー村」にたてつき、協会に対してもメディアに対しても噛みついたトルシェ監督は、当然のようにバッシングを受け続けていました。しかしそれは、ほとんどが発言や行動を曲解して行われるものであって、実際にピッチで行われるサッカーについての報道は非常に少なかったのです。
それは、大手メディアにとっては「サッカーの中身なんか報道しても、そんなものを求めている読者は少数なんだ」という理屈から来るものでした。それよりも、監督の行動を面白おかしく報道した方が、あるいは選手の談話に「激白!」とタイトルをつけた方が、「売れる」んだよ。それがメディアにとっての正義なんだ。彼らの理解はそういうものでした。
しかし、ピッチの上のサッカーの中身の方が大事であると考える層は、彼らが思ったよりもずっと多かったと言えるでしょう。先述した掲示板などでもそうですし、ついにはPixi10氏による"Le monde de Troussier"という専門の掲示板も設置され、トルシェ日本の実際のサッカーを考える層、そして擁護する層は次第に多くなっていきました。そして結局、キリンカップでのサポーターの「トルシェ、ニッポン!」コールもあってトルシェ監督は解任されず、2002年までの契約を結びなおし、それを全うすることになったわけです。
大手メディアの報道に飽き足らず、ネット上の「参加型ジャーナリズム」「草の根ジャーナリズム」が、現実に影響を与えるというBLOG現象。日本においては、BLOGという形態ができるより以前に、それはサッカー掲示板の中ですでに発生していたのではないかと思います。まさに、BLOG文化の嚆矢(最初)と言えるのではないか、と。そして、当時の流れが、ピッチの上を見ない「サッカー煽り報道」にのみ血道をあげていたメディアを少しでも変えることに役立ったのなら、その末席を汚したものとしてとてもうれしいのですが。
■さらにその先へ
今は、かのNumberでも試合内容をまっとうに書こうとする書き手が(当事よりは)大目に起用されるようになってきたようですし、選手との仲のよさを売りにした記事も減ってきたように思います。そして、当時の掲示板群とも似た、ピッチの上のサッカーをしっかりと記事にしようというポリシーを持つ専門新聞、「エル・ゴラッソ」もできた。これなどは、堀江氏のやりたがっているBLOG+既存メディアを先に「作ってしまった」、というカタチに近いものです。サッカーネット界ってもしかして、進んでる?
というわけで経験的に言って、BLOG(的なもの)が現実に影響を与えることは日本でも十分にできるでしょう。特に、大手メディアの発信するものが見落としていたり、偏りがあったりする場合には、それをニュートラルに戻す方向へ、欠落を埋める方向へ働くと思います。見たところ、政治報道も欠落や偏りがいろいろとありそうですから、BLOGが非常に役立つのではないでしょうか。時としてオーバーシュート(やりすぎ)の危険性もあるとは思いますが、それもまた是正されうるのが、「草の根」のいいところです。
今回の選挙報道、それに対するBLOGのエントリーを見ていて、この問題と非常にリンクしたものを感じたので、書いておこうと思いました。いつもとはちょっと毛色の違うものとなりましたが、この辺はまあLmdtのBBS2みたいな感じということで。
それではまた。
03:10 PM [インターネット・ブログ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (4) |