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September 02, 2005
BLOG文化の嚆矢?
さて、総選挙ですね。近来まれに見る関心を集めている今回の衆議院選挙ですが、今回はもしかするとBLOGが選挙結果に影響を与える初の総選挙になるかもしれないといわれているようです。その可能性はあると私も思います。というのは、この選挙にいたる、あるいはその前後の大手メディアの政治報道を見ていて、なんとも「相変わらずだな」と思わされたからです。
といっても、突然ここが政治関係BLOGになるというわけではないので、ご安心ください(笑)。この選挙に関する報道に関する問題点と、私たちが従来サッカーメディアに関して持っていた不満がリンクしている、さらには同根である、ということを問題にしたいということです。これは、一部分は、やや思い出話になりますし、またこちらで紹介していただいた、季刊サッカー批評27号での宇都宮徹壱さんの書かれた記事とも関連しています。
■「サッカー選手報道≠サッカー報道」
私が従来から報道に対して持っていた不満は、「従人的すぎる」とでも言うようなものでした。これを政治に当てはめると、「政策報道ではなく、政治家報道が多すぎる」ということになります。別の言葉で言えば、「政局報道が多すぎる」ということでもあります。もちろん実際に政治を行っている人の動向が重要なことは確かですが、あまりにそれに重点をおかれ過ぎていないか。
本当は、郵政民営化を行うとどういうメリットがある、デメリットがあるということを過不足なく伝えるのがまず第一だと思うのですが、「首相は『殺されたっていい』と言った!」とか「干からびたチーズ」とか(笑)、誰が何といった、とか、政局はどう動きそうだ、とかいうことがあまりにも中心であり過ぎないか。これは、よく言われる、いわゆる記者クラブ制度や、政治家に密着する番記者制度、「大衆は政策を詳しく報道されることなんか望んでいないんだ」とでもいうような予断など、さまざまな問題によるものでしょう。
そして、それと同じようなことが、1996年ごろ、日本代表のサッカーが商売になると理解されだされた頃から、サッカーメディアの間でも起こっていたように私には思えていました。それが、「サッカー報道ではなく、サッカー選手報道」とでもいうべき、一時の異常な煽り報道でした。現在でもそれは色濃く残っていますが、代表でちょっと若い選手が活躍すると異常に持ち上げ、もてはやし、「スター」を作り上げ、その選手のひと言ひと言、一挙手一投足を大々的に報道する。ピッチの上のサッカーなど見もせず、報道せず、ただひたすら、ストーリーを作りやすい選手の発言を追っかけ続ける。
それはまた、逆に作用することもありました。中田ヒデ選手は、自分が不用意に漏らした「(試合の流れから)わざとボールを追わなかった」という発言を曲解して報道されたことから、いわゆるメディア嫌いになったわけですが、そのように「これは叩ける!」「部数が伸ばせる!」という発言を虎視眈々と狙っているのが、スポーツ新聞をはじめとする多くのメディアだったのです。自分で際限なく持ち上げ虚像を作っておいて、時が来れば叩き落すマッチポンプでした。
■黒船来襲(笑)!
私は以前からそのような報道姿勢に疑問を抱いていましたが、1998年のフランスワールドカップの頃の中田英寿選手を巡る報道で、この問題は一気に顕在化しました。実際のサッカーを報道せずに、発言を曲解して騒ぎ立てるメディアに嫌気が指していた彼は、自分のHPを持ち、メディアに対して発言しなくなっていきます。それによって、ますますメディアはバッシングを加速させていく。私は、サッカー選手はまずピッチの上のサッカーで評価されるべきだと思っていましたから、それがどうにも我慢できず、J-NETという掲示板上で擁護をし始めました。
その後、虎視眈々と次の餌を狙うメディアにとって、格好の獲物(笑)が海を越えてやってきました。発言で毎日のように物議をかもし出すフィリップ・トルシェ監督です。彼は、最初からメディアに対しての態度が悪く、早速バッシングを受けるようになりました。葉に衣を着せぬ彼の発言はいかにも切り取りやすく、恣意的に利用してのでっちあげにも似た報道が相次ぎました。彼が持ち込もうとしたサッカーが、日本ではあまりなじみのないものだったこと、理解されにくかったことも、それに輪をかけました。
しかし、スポーツ新聞をはじめとするメディアが盛んにバッシングをする中、急速に広がりを見せ始めていたネット上のコミュニティ、先述のJ-NET、サッカーカフェ、Yahoo!など、いわゆるサッカー系掲示板では、「ピッチの上のサッカーを見ると、悪い監督ではないのではないか」「彼がやっていることは、欧州ではそれほど特別なことではないのではないか」という意見が提出されるようになってきました(その中身の是非は今は置いておきましょう・笑)。
■第4の権力 vs ブロガー
メディアは、「第4の権力」とも呼ばれます。本来は公権力に対するチェック機能を持つものとして、外部から監視する役割を担っていたのですが、近年ではメディア自体の権力性、それに伴う弊害が目立ってきたのではないか、と私は思います。先にあげたような、中田ヒデ選手のほとんど報道被害のような例もそうですし、メディアも商売ですから、「これは売れる」と彼らが思ったものしか取り上げない。あるいは、彼らが間違いを犯した場合には、それを隠蔽する方向へその「権力」が作用してしまう。
これに対して、去年から一斉にブレイクしてきたBLOGが、さらにその外側からのチェック機能を持ち始めています。メディアが自分に都合のいいことしか報道しない中、いくつもの新聞を比較してさらに深く調べ、書いているBLOGも多くなってきています。これまでの選挙では、大手メディアがある一方の勢力をよく見せようという、いわゆる印象操作が行われたのではないか、という疑いがありますが、今回の選挙ではそれは通用しなくなりつつあるでしょう。また、メディアが(あえて?)詳しく報道しない郵政民営化の諸相についても、BLOGではかなり詳しいものを読むことができるようになってきました。
海外ではすでに、BLOGが実際の世の中を動かしたという実績もあるようですし、今回の選挙でどこまで行くかはともかくとして、その流れは途絶えることなく続いていくのではないかと思います。ネットが新聞を殺すかどうかはわかりません。しかし、大手メディアが大手であるからこそ取りこぼしている部分、またその構造上、どうしても偏って報道してしまう部分に対し、「参加型ジャーナリズム」たるBLOGが補完、あるいは監視していくようになるとすると、個人的にはよい方向のように思います。
■ピッチの上のサッカーを見よう
サッカーに話を戻しましょう(笑)。2000年、トルシェ監督が就任してから1年半ほどたち、いわゆるトルシェ解任騒動が持ち上がります。「ニッポンサッカー村」にたてつき、協会に対してもメディアに対しても噛みついたトルシェ監督は、当然のようにバッシングを受け続けていました。しかしそれは、ほとんどが発言や行動を曲解して行われるものであって、実際にピッチで行われるサッカーについての報道は非常に少なかったのです。
それは、大手メディアにとっては「サッカーの中身なんか報道しても、そんなものを求めている読者は少数なんだ」という理屈から来るものでした。それよりも、監督の行動を面白おかしく報道した方が、あるいは選手の談話に「激白!」とタイトルをつけた方が、「売れる」んだよ。それがメディアにとっての正義なんだ。彼らの理解はそういうものでした。
しかし、ピッチの上のサッカーの中身の方が大事であると考える層は、彼らが思ったよりもずっと多かったと言えるでしょう。先述した掲示板などでもそうですし、ついにはPixi10氏による"Le monde de Troussier"という専門の掲示板も設置され、トルシェ日本の実際のサッカーを考える層、そして擁護する層は次第に多くなっていきました。そして結局、キリンカップでのサポーターの「トルシェ、ニッポン!」コールもあってトルシェ監督は解任されず、2002年までの契約を結びなおし、それを全うすることになったわけです。
大手メディアの報道に飽き足らず、ネット上の「参加型ジャーナリズム」「草の根ジャーナリズム」が、現実に影響を与えるというBLOG現象。日本においては、BLOGという形態ができるより以前に、それはサッカー掲示板の中ですでに発生していたのではないかと思います。まさに、BLOG文化の嚆矢(最初)と言えるのではないか、と。そして、当時の流れが、ピッチの上を見ない「サッカー煽り報道」にのみ血道をあげていたメディアを少しでも変えることに役立ったのなら、その末席を汚したものとしてとてもうれしいのですが。
■さらにその先へ
今は、かのNumberでも試合内容をまっとうに書こうとする書き手が(当事よりは)大目に起用されるようになってきたようですし、選手との仲のよさを売りにした記事も減ってきたように思います。そして、当時の掲示板群とも似た、ピッチの上のサッカーをしっかりと記事にしようというポリシーを持つ専門新聞、「エル・ゴラッソ」もできた。これなどは、堀江氏のやりたがっているBLOG+既存メディアを先に「作ってしまった」、というカタチに近いものです。サッカーネット界ってもしかして、進んでる?
というわけで経験的に言って、BLOG(的なもの)が現実に影響を与えることは日本でも十分にできるでしょう。特に、大手メディアの発信するものが見落としていたり、偏りがあったりする場合には、それをニュートラルに戻す方向へ、欠落を埋める方向へ働くと思います。見たところ、政治報道も欠落や偏りがいろいろとありそうですから、BLOGが非常に役立つのではないでしょうか。時としてオーバーシュート(やりすぎ)の危険性もあるとは思いますが、それもまた是正されうるのが、「草の根」のいいところです。
今回の選挙報道、それに対するBLOGのエントリーを見ていて、この問題と非常にリンクしたものを感じたので、書いておこうと思いました。いつもとはちょっと毛色の違うものとなりましたが、この辺はまあLmdtのBBS2みたいな感じということで。
それではまた。
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