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June 28, 2005
いつか来た道
■各所でのコンフェデ杯評価
コンフェデ杯3試合が終了した。日本代表は1勝1敗1分けで、GL突破はならなかった。ジーコ監督がこの大会やW杯での目標をどこにおいているのか、いろいろと発言が取りざたされているが、個人的にはGL突破を目標にするぐらいでちょうどいいと思っている。しかしそれはできなかった。
ブラジル戦、日本代表は非常にいいサッカーを展開した。それはまさに、ジーコジャパン史上最高のゲームだったと言えるだろう。私も見ていて本当に感動した。しかし、それと同時に、目標であるGL突破はできなかったのだから、プロジェクトとしては成功とは言えない・・・のかどうか?(笑)
今また各所でジーコ監督についての議論が花盛りなようだが、おそらくこの「目標は達成できなかったが、いい試合をした」という微妙な状況に対して、日本サッカー界全体が評価をしかねている、あるいはそれぞれがばらばらな評価をしている、ということがこの侃々諤々の原因なのだろうと思う。今回のコンフェデ杯を「力試しの場」と見るか、「勝ち取るべき目標のあるプロジェクト」と見るかで、その評価が分かれるのだろう。
ジーコ監督は、前回の2003コンフェデも、今回の2005コンフェデも、「力試しの場」と捉えているように私には見える。それぞれに際し、それなりの目標は掲げるのだが、それを達成するための合理的、合目的準備をしているようには、どうも見えないのだ。もちろん、前回は就任後1年、あの「アルゼンチン戦後総とっかえ」の後でもあり、チーム形成途中であったこと、今回はアジアモードからワールドモードへの切り替えの最中であること、という、「GL勝ち抜きを目標としたプロジェクト」とするには難しい条件があることも確かなのだが。
■「勝ち取るべき目標のあるプロジェクト」?
私は前回のコンフェデ杯における、さまざまな「GL勝ち抜きに向けたチーム・マネジメント」の不備からジーコ監督の不支持を決めたのだが、その部分は今回のコンフェデ杯でも特に変わっていないと思う。ただ、もう支持だ不支持だと言っている場合ではないので(笑)、その点については置いておこう。ここから先は、別にジーコ批判ではない、純粋に知的興味による論考である。
前回も今回も、ジーコ監督がコンフェデ杯を「勝ち取るべき目標のあるプロジェクト」としてではなく、「力試しの場」と捉えていた場合は、「目標達成のためのマネジメントの不備」を指弾しても仕方がないことになる。そもそもの前提が違うのだ。そして、「力試し」としては前回も、今回も、フランスやブラジルに内容のある試合をしたのだから、十分合格ということになるだろう。
と同時に、ここで興味深いのは、ではジーコ監督は来年の2006ドイツW杯を、「勝ち取るべき目標のあるプロジェクト」として捉えるかどうか?ということになってくる。そしてまた、そう捉えたとして、それを実際に成功させる能力があるのかどうか?
■プロジェクト完遂を目的とした、チーム・マネジメント
アジア1次予選初戦でも、取り立ててオマーンを研究したそぶりも見せず、自分の理想たる4バックに、「ファミリー」の中のヒエラルキー上位者をあてはめ、熱があるなどの体調不備にもかかわらず先発させる。それは今からは「家族観マネジメント」としてよい部分(結束など)もあることがわかっているのだが、「勝ち抜き」を目的としたマネジメントとしては、なんとも不合理なものに思えたものだ。重要な大会において、「初戦」は非常に難しく、大事であるということはよく知られているのだが。
アジアカップ初戦でも同じようであり、またGL勝ちぬけが決まったあとのイラン戦でも選手を休ませることなく、その理由としては「選手に失礼だから」というものだった。その徹底した選手目線、「出たがる選手を抑えることはできない」とでもいうような、「選手の気持ちになったやり方」には、よい面もある。選手が信頼にこたえようと、普通ではない力を出したりする。しかしこれもなかなかに不合理にも見えるものだ。実際、イラン戦後のヨルダン戦では、非常に苦戦したのだが、その原因のひとつに選手の疲労があったことは間違いないと私は思う。
2003、2005コンフェデ杯は力試しだった。それとは違い、W杯では真剣勝負だから、相手のよさを消すことや、疲労を考えて選手を休ませること、怪我やカードのためにバックアップを充実させておくこと、などなどの「目標達成のためのチーム・マネジメント」を、突然ジーコ監督が始めるはずだ、とは私には、どうも、どうにも思えないのだ。もちろん、私の予想がはずれ、そうしてくれるならそれはありがたいことなのだが、それよりも、ジーコは「ファミリー」の結束、「選手の気持ち」を大事にした「家族観マネジメント」を続けるのではないか、と思えてならない。
敵を研究しよさを消すことを、W杯において、ジーコ監督はするだろうか。例えば、98年W杯のジャマイカ。日本の左サイドが攻撃的であるということを見て、その裏へのボールを徹底し、日本に勝利した。02年大会、セットプレーの際の放り込みを徹底したベルギー、04年アジアカップ、日本の3バックへのプレッシャーを徹底したヨルダン。また「プロジェクト完遂を目的とする」場合には、GLの組み合わせを見て、「この試合では、いい内容よりも負けないことを優先するべきだ」とか、「この試合では、終盤に選手を休ませておくべきだ」など、家族観と相容れないマネジメントを取らなくてはならない場合も多い。
さらに、もう言われつくしたことだが、いわゆるバックアップの問題もそれに含まれるだろう。現在に至るまで、両サイドのバックアップが経験を積んでいない状態は変わっていない。今回のコンフェデ、ブラジル戦まででイエローを2枚累積させた両サイドは、もしGLを勝ち抜いていたら(もし、だが)、バックアッパーの質が問われることになった。おそらく中田浩、三浦淳選手が起用されただろうが、開催国ドイツと相対する時に、彼らの代表のサイドでの経験が十分だとは、さすがに言えない状態だったのではないか。同様なことはセンターバック陣にも言える。
これまでの3年を見てきて、ジーコ監督はやはり「プロジェクト完遂のためのチーム・マネジメント」を重視しないのではないか、と私には思えてならない。あるいは必要性を認めていないか、そのプライオリティを「ファミリーの維持、結束の重視」よりも下に置いているように、どうにも見えるのだ。
■W杯とは、どのような場なのか。
それは・・・代表とは、「勝ち取るべき目標のあるプロジェクト・チーム」、ではなく、「選ばれた選手によるファミリー」であるべきだ、とジーコ監督が捉えるからだ・・・と考えると、実に合点がいく。そう、コンフェデ杯も、アジアカップも、そしてW杯も、「ファミリー」が結束して目の前の一試合一試合、「自分たちのサッカー」で戦っていくものだ、と考えているのではないか。「力試し」は言い過ぎにしても、ただただ自分たちの「ファミリー」のサッカーをぶつける、それを世界に披露する、W杯はそういう場なのだ、と。
もしそうだったとしても(ジーコがそうは考えていない可能性もある)、私はその考え方を完全に否定しようとは思わない。
2002年韓日W杯、自国開催の大会は、決勝トーナメント進出が「絶対の絶対条件」だったと私は思う。「史上初の開催国GL敗退」という汚名は絶対に避けなければならなかった。「金で誘致したW杯」と言われてはならなかった。そのためには、プロジェクト完遂のための合理的なチーム・マネジメントが必要だったし、緊張がこの上ないほど高まるW杯の初戦はリスクを減らす戦いにすることも重要だった。「ホーム・ディスアドバンテージ」のある代表チームには、モチベーション・コントロールも必要だった。しかし、2006年はどうだろうか?
私は個人的には、やはり日本代表は「GL勝ちぬけを目的とするプロジェクト・チーム」であってしかるべきだし、そのためのチーム・マネジメントの能力の高い監督に日本を率いて欲しい、と思っている。とは言え、そうではない考え方も否定しない。「結果は最大化されないかもしれないが、全力は尽くした」・・・これは、妙に、なんとも日本人的な、われわれの心をくすぐるシチュエーションではないか。日本のサッカーファン、代表サポ、そして広く国民一般が、そちらがいいというのなら、それが「日本サッカーの姿」だということだ。それでもよいと思う。
日本は、どちらを選ぶのか。その答えは、結局2006年も終わり、かなり後にならないと出ないものであるかもしれない。
それではまた。
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「フーーーーーーーーッ」はブーイングでなくて応援チャントなハズ今回、ドイツの試合を取材していて一番気になったのが、フートくんがボールを持つたびにスタンドから一斉に「フート!」とか「フッ! フッ!」といった妙な掛け声が聞かれたことである。どうもその声は、応援しているというよりも「危なっかしいから、早く誰かにパスしろ!」と促しているようである。確かにフートくんは、身体能力は抜群なのだが、所属するチェルシーではほとんど出番がないためか、今ひとつボールさばきに信頼が置けないところがある。今日もア...... 続きを読む
受信: Jun 28, 2005, 11:03:56 PM