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June 28, 2005いつか来た道
■各所でのコンフェデ杯評価
コンフェデ杯3試合が終了した。日本代表は1勝1敗1分けで、GL突破はならなかった。ジーコ監督がこの大会やW杯での目標をどこにおいているのか、いろいろと発言が取りざたされているが、個人的にはGL突破を目標にするぐらいでちょうどいいと思っている。しかしそれはできなかった。
ブラジル戦、日本代表は非常にいいサッカーを展開した。それはまさに、ジーコジャパン史上最高のゲームだったと言えるだろう。私も見ていて本当に感動した。しかし、それと同時に、目標であるGL突破はできなかったのだから、プロジェクトとしては成功とは言えない・・・のかどうか?(笑)
今また各所でジーコ監督についての議論が花盛りなようだが、おそらくこの「目標は達成できなかったが、いい試合をした」という微妙な状況に対して、日本サッカー界全体が評価をしかねている、あるいはそれぞれがばらばらな評価をしている、ということがこの侃々諤々の原因なのだろうと思う。今回のコンフェデ杯を「力試しの場」と見るか、「勝ち取るべき目標のあるプロジェクト」と見るかで、その評価が分かれるのだろう。
ジーコ監督は、前回の2003コンフェデも、今回の2005コンフェデも、「力試しの場」と捉えているように私には見える。それぞれに際し、それなりの目標は掲げるのだが、それを達成するための合理的、合目的準備をしているようには、どうも見えないのだ。もちろん、前回は就任後1年、あの「アルゼンチン戦後総とっかえ」の後でもあり、チーム形成途中であったこと、今回はアジアモードからワールドモードへの切り替えの最中であること、という、「GL勝ち抜きを目標としたプロジェクト」とするには難しい条件があることも確かなのだが。
■「勝ち取るべき目標のあるプロジェクト」?
私は前回のコンフェデ杯における、さまざまな「GL勝ち抜きに向けたチーム・マネジメント」の不備からジーコ監督の不支持を決めたのだが、その部分は今回のコンフェデ杯でも特に変わっていないと思う。ただ、もう支持だ不支持だと言っている場合ではないので(笑)、その点については置いておこう。ここから先は、別にジーコ批判ではない、純粋に知的興味による論考である。
前回も今回も、ジーコ監督がコンフェデ杯を「勝ち取るべき目標のあるプロジェクト」としてではなく、「力試しの場」と捉えていた場合は、「目標達成のためのマネジメントの不備」を指弾しても仕方がないことになる。そもそもの前提が違うのだ。そして、「力試し」としては前回も、今回も、フランスやブラジルに内容のある試合をしたのだから、十分合格ということになるだろう。
と同時に、ここで興味深いのは、ではジーコ監督は来年の2006ドイツW杯を、「勝ち取るべき目標のあるプロジェクト」として捉えるかどうか?ということになってくる。そしてまた、そう捉えたとして、それを実際に成功させる能力があるのかどうか?
■プロジェクト完遂を目的とした、チーム・マネジメント
アジア1次予選初戦でも、取り立ててオマーンを研究したそぶりも見せず、自分の理想たる4バックに、「ファミリー」の中のヒエラルキー上位者をあてはめ、熱があるなどの体調不備にもかかわらず先発させる。それは今からは「家族観マネジメント」としてよい部分(結束など)もあることがわかっているのだが、「勝ち抜き」を目的としたマネジメントとしては、なんとも不合理なものに思えたものだ。重要な大会において、「初戦」は非常に難しく、大事であるということはよく知られているのだが。
アジアカップ初戦でも同じようであり、またGL勝ちぬけが決まったあとのイラン戦でも選手を休ませることなく、その理由としては「選手に失礼だから」というものだった。その徹底した選手目線、「出たがる選手を抑えることはできない」とでもいうような、「選手の気持ちになったやり方」には、よい面もある。選手が信頼にこたえようと、普通ではない力を出したりする。しかしこれもなかなかに不合理にも見えるものだ。実際、イラン戦後のヨルダン戦では、非常に苦戦したのだが、その原因のひとつに選手の疲労があったことは間違いないと私は思う。
2003、2005コンフェデ杯は力試しだった。それとは違い、W杯では真剣勝負だから、相手のよさを消すことや、疲労を考えて選手を休ませること、怪我やカードのためにバックアップを充実させておくこと、などなどの「目標達成のためのチーム・マネジメント」を、突然ジーコ監督が始めるはずだ、とは私には、どうも、どうにも思えないのだ。もちろん、私の予想がはずれ、そうしてくれるならそれはありがたいことなのだが、それよりも、ジーコは「ファミリー」の結束、「選手の気持ち」を大事にした「家族観マネジメント」を続けるのではないか、と思えてならない。
敵を研究しよさを消すことを、W杯において、ジーコ監督はするだろうか。例えば、98年W杯のジャマイカ。日本の左サイドが攻撃的であるということを見て、その裏へのボールを徹底し、日本に勝利した。02年大会、セットプレーの際の放り込みを徹底したベルギー、04年アジアカップ、日本の3バックへのプレッシャーを徹底したヨルダン。また「プロジェクト完遂を目的とする」場合には、GLの組み合わせを見て、「この試合では、いい内容よりも負けないことを優先するべきだ」とか、「この試合では、終盤に選手を休ませておくべきだ」など、家族観と相容れないマネジメントを取らなくてはならない場合も多い。
さらに、もう言われつくしたことだが、いわゆるバックアップの問題もそれに含まれるだろう。現在に至るまで、両サイドのバックアップが経験を積んでいない状態は変わっていない。今回のコンフェデ、ブラジル戦まででイエローを2枚累積させた両サイドは、もしGLを勝ち抜いていたら(もし、だが)、バックアッパーの質が問われることになった。おそらく中田浩、三浦淳選手が起用されただろうが、開催国ドイツと相対する時に、彼らの代表のサイドでの経験が十分だとは、さすがに言えない状態だったのではないか。同様なことはセンターバック陣にも言える。
これまでの3年を見てきて、ジーコ監督はやはり「プロジェクト完遂のためのチーム・マネジメント」を重視しないのではないか、と私には思えてならない。あるいは必要性を認めていないか、そのプライオリティを「ファミリーの維持、結束の重視」よりも下に置いているように、どうにも見えるのだ。
■W杯とは、どのような場なのか。
それは・・・代表とは、「勝ち取るべき目標のあるプロジェクト・チーム」、ではなく、「選ばれた選手によるファミリー」であるべきだ、とジーコ監督が捉えるからだ・・・と考えると、実に合点がいく。そう、コンフェデ杯も、アジアカップも、そしてW杯も、「ファミリー」が結束して目の前の一試合一試合、「自分たちのサッカー」で戦っていくものだ、と考えているのではないか。「力試し」は言い過ぎにしても、ただただ自分たちの「ファミリー」のサッカーをぶつける、それを世界に披露する、W杯はそういう場なのだ、と。
もしそうだったとしても(ジーコがそうは考えていない可能性もある)、私はその考え方を完全に否定しようとは思わない。
2002年韓日W杯、自国開催の大会は、決勝トーナメント進出が「絶対の絶対条件」だったと私は思う。「史上初の開催国GL敗退」という汚名は絶対に避けなければならなかった。「金で誘致したW杯」と言われてはならなかった。そのためには、プロジェクト完遂のための合理的なチーム・マネジメントが必要だったし、緊張がこの上ないほど高まるW杯の初戦はリスクを減らす戦いにすることも重要だった。「ホーム・ディスアドバンテージ」のある代表チームには、モチベーション・コントロールも必要だった。しかし、2006年はどうだろうか?
私は個人的には、やはり日本代表は「GL勝ちぬけを目的とするプロジェクト・チーム」であってしかるべきだし、そのためのチーム・マネジメントの能力の高い監督に日本を率いて欲しい、と思っている。とは言え、そうではない考え方も否定しない。「結果は最大化されないかもしれないが、全力は尽くした」・・・これは、妙に、なんとも日本人的な、われわれの心をくすぐるシチュエーションではないか。日本のサッカーファン、代表サポ、そして広く国民一般が、そちらがいいというのなら、それが「日本サッカーの姿」だということだ。それでもよいと思う。
日本は、どちらを選ぶのか。その答えは、結局2006年も終わり、かなり後にならないと出ないものであるかもしれない。
それではまた。
05:33 PM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1) |
June 24, 20052年おきのマイルストーン
惜しかったですね!後半終盤、ブラジルは明らかにガス欠に陥り、守備も半分パニックになっていましたから、あのままもう数分あれば、という思いがすごくありますね。それに前半最初の加地の得点!あれはオフサイドじゃなかったと思うんだけどなあ。世界王者相手に公式大会で勝利、というこの上ない結果が得られた筈なんですけど・・・まあ、スポーツでタラレバは禁物。なにはともあれ、キリンカップ、W杯予選からこの長い戦いを戦い抜いた選手、監督、スタッフの皆さんには、今は何よりもお疲れさまといいたいです。
■似たもの同志さ(笑)
やはりブラジル人監督ジーコが3年間率いた日本代表、ブラジル代表と戦ってみるとその類似性に驚かされた。と同時に、まだまだ追つけない部分、参考になる部分、逆にまねしない方が良い部分、などがくっきりと見えてきた試合でもあったと思う。
まず似ている点で言えば、やはりボールポゼッションを第1に考え、ショートパスをつなぎ、DFラインからのロングフィードなどを避ける傾向にあるところだろう。ブラジルの前半のポゼッションは非常に質が高いもので、一人一人の技量が高いのはもちろん、周囲の選手たちが献身的にサポートし、動き出すことで、スペースでボールを受けることができていた。この、ポゼッションサッカーでありつつ、周囲の動き出しが整備されている(監督によるものというより、選手の経験知によるものだとは思うが)サッカー、日本代表も大いに参考にするといいのではないだろうか。
もう一つ、共通点と言えば、ブラジルも中盤での組織化された、連動したプレスはあまりかけてこないチームであるということもある。もちろん日本選手がもたもたしていると、するすると囲い込んでくるのだが、それもメキシコほどのアグレッシブさはない。自分たちの得点力に自信があるからだろうが、日本がかなりパスをつなげたのはそういうブラジルの特質による部分もある。これは、あまりまねしない方がいい部分であるような気がする(笑)。
しかし、そういうサッカーでも、ブラジル人選手は一人一人の「パスの流れを読む目」が高く、どこからか出てきてすっとインターセプトして行ったりする。これは、日本人選手がまだ追いつけていない部分だろう。このような「目」や、ポジショニング、インターセプト能力などが日本人選手においてもっと向上するまでは、ブラジルよりはメキシコに近い、しっかりとしたプレスを目指したほうがよいと思う。
そして違う点といえば、実はブラジルは「速い攻撃」もたいへん得意だということだ。ロビーニョの1点目はカウンターであるし、それ以外にもカウンターやショートカウンターからチャンスを量産している。また、ロナウジーニョの2点目も自陣での早いリスタートから、ロナウジーニョ、カカ、ロビーニョと速いテンポでパスをつないで決めたものだ。これらの際の選手たちの、「難しくない、シンプルなプレーを、判断早く、正確に行う」という点は、日本代表が「まだまだ」な点であり、前線の動き出しも含めて、攻撃を「早くできる時」にはもっと速くするべきだろうと思う。大いにまねをしたいところである。
■ブラジルを「見て」しまった前半の日本
前半の日本は、「あれよあれよ」という表現をしたくなるほどに、ブラジルにやりたいプレーをさせてしまっていた。おそらく選手たちはギリシャ戦のいいイメージを持ち、ある程度高めでボールを奪おうと考えたのだろう。前の試合と同じように、最前線からプレッシャーをかけていこうとしていた。しかし、ブラジルはギリシャとは、足技のレベルが3段階か4段階くらい違う(余談だが、日本はギリシャなどの欧州中レベルの国よりも、足技は上になりつつあると思う)。あまり連動していないプレスを難なくかわされると、もう後はDFラインが裸でさらされるのみ。
そうやってプレスが何度も何度もかわされると、今度は飛び込んでいくのが怖くなる。2失点目のシーンは、ヒデと福西がロナウジーニョの前にいたのだが、距離をとって「見て」いるうちに突破され、カカへパスを出されて崩されてしまった。同じようなことは随所に起こり、日本はざざっと引いて守ってしまう、「アジアカップ仕様」のDFをするようになっていた。前半には10本のシュートを浴びたのだが、そのうち4本しか枠に飛ばなかった、ブラジルらしからぬシュート力の低さに感謝しなくてはならないような試合展開だった。
無理もないことだと思う。ブラジルのようなことができるのはブラジルだけ、それを体験できるのはこうした機会に限られる。ここで世界との距離を肌で感じて、それを体で覚えていけばいいのだ。ただ、前半終盤、ブラジルが試合を「閉じよう」と、ゆるいボール回しを始めた時に、日本もそれにつき合って追わなくなってしまっていたのは残念だった。勝たなければトーナメント進出がないのは、日本のほうだったのだが。
■いわば「リトリート・プレス」
後半、玉田に代えて大黒、小笠原に代えて中田浩二選手が投入された。これによって中田ヒデ選手は一列上がるかと思いきや、私の目には彼のオリジナルポジションはボランチのままであるように見えた。後半23分などに、DFラインが画面に映ると、その前に左から中田コ、ヒデ、福西ときれいに並んでいるのだ。これは3ボランチ、3CMF(セントラルミッドフィールダー)ということだろうか?この選手交代と同時に、選手たちは明確な動きを見せ始める。
敵ボールになると、DFライン4人が上述の3人とともに、ペナルティエリアのすぐ外くらいに陣を引くのだ。つまり、ボールを奪う位置を「ペナルティエリアやや外」と決めているわけである。そして、できる限りそこから下がらない、我慢する。何度か画面で確認できるそれは、なかなか整然としたものであった。そこから前に出ながらボールホルダーにプレッシャーをかけに行く。いったん引いて(「リトリート」)それからプレスをかけていく、言わば「リトリート・プレス」(造語)のようなやり方というわけだ。
それは、前半の序盤の、高い位置から追おうとして引いているDFラインとの間を空けてしまう守備とも、途中からの「引いて、見てしまう」「アジアカップ風」の守備とも違っていた。我慢するDFラインにより、コンパクトを実現し、「敵を制限しつつ、すきあらば奪う」ということができていた。これまで選手たちが、あのドイツ戦あたりから「世界で戦うにはもっと高い位置で奪わないと」と言っていたそれが、今ようやくそのカタチを見せ始めたのだ。
これはかなり機能し、前半よりはいいようにやられるシーンは減った。後半、この「リトリート・プレス」をひいてからは、ブラジルを「悪い時のジーコ・ジャパン」のような、足を止めて足元、足元、で止めるサッカーにさせて、日本からは対処しやすいものとなったのだ。宮本が言うように、この戦い方は今後のヒントになるだろう。これが、世界レベルである程度通用する、ということは、大きく自信になったことだと思う。
■そして「ポゼッションカウンターサッカー」
これはずいぶん前にJ-NETの方で議論していたことなのだが、ジーコ監督のサッカーは、ちょっと興味深いものだと思う。一般的には、ラインを下げてセーフティーに守る(リトリート)の場合は、そこから敵陣をスピーディに切り裂くカウンターを主たる戦い方として選ぶものだ。守→攻の切り替えが早いことが、最も得点のチャンスを広げるのだから、当然であるともいえるだろう。今回のブラジルだって再三そうしている。
ところが、ジーコ監督の場合は、ラインを下げて守りながら、スピーディなカウンターよりも、じっくりとしたポゼッションを選ぶ。ショートパスをつなぎながら、徐々にゾーンを押し上げ、自分たちの体制が十分になってから攻撃をしようとする。しかし、そうやって時間をかけるということは、敵にも守備の陣形を整える時間を与えることになり、なかなか点が入らないことになる(私は「そればっかりでは苦しい」と指摘したのだが、最近ではスピーディにゴールを目指すダイレクトプレーもジーコジャパンは織り交ぜるようになった。それは歓迎したいと思う)。
しかし、ブラジル戦を見ていて、このやり方、引いて守った後、じっくりとポゼッションしながら反攻(カウンター)していく「ポゼッションカウンターサッカー」(造語)は、実はジーコ監督の理想に近いのではないかと思ったのだ。ボール保持を長くするそれは、西部謙司氏が書かれているように、「負けにくいが、点も入りにくい」ものとなる。しかし同時に、より「勝ちに近い」ところに自分たちを置くものでもあるのだ。
ブラジル戦でも、すばやいリスタートからの中村のミドル、FKからポストの跳ね返りを大黒、という形で得点が入ったが、どちらも日本がボールを保持し、ショートパスをつなぐという「自分たちの形」でボールを前に進めていたからこそ、起こったことであるといえる。アジアカップでも、アジア予選でも、敵GKのミスやオウンゴールなど、さまざまな形で点が入ったが、それはやはり、日本が「勝ちに近い」ところにいたからだ、というのが西部氏の主張だ。
これは、中田徹氏が書かれているように、現在の世界のサッカーの潮流とは離れているものである。中盤のプレスを厳しくし、そこからのショートカウンター。あるいはポゼッションをするにしても、先日のバルサや、オランダユースを見てもわかるように、高い位置にコンパクトな布陣を引いて、そこからワイドに攻める、などが現在多くのチームが志向するところだろう。それは、攻守一体となったプレッシング戦術、サイドをワイドに使う攻撃の合理性が、広く理解され、それが有効に活用されていることによるのだ。
しかし、それとは違うやり方で、「負けにくく、得点は少ないかもしれないが、勝ちに近い」というサッカーができるのなら、日本がそれをとってもよいだろうか?それが、「意外にも攻撃的でない現実主義のブラジルに焦れたドイツのサッカーファンが、ニッポンコールをしてくれる」ほどに、攻撃的で魅力的だったらどうだろうか?ちょっと古いかもしれないが、サッカーの魅力の原点はそちらにあるように見えたらどうだろうか?
このコンフェデ杯2005は、そういう問題を私たちに提起するものになった。それは、そういうサッカーにはもちろん、現在主流になれないいくつかの欠点があるからだ。遅い攻めは、自分たちの得点の可能性を下げ、中盤でボールを保持している間に敵のプレスにかかる可能性をあげる。プレスにかかってしまえば、そこからの早い守→攻の切り替えで失点する可能性も高くなってしまう。総体として、かなりの実力差がない限り、勝つ可能性を下げるサッカーなのだ(一般的には)。
この大会では、現在の世界で水準レベルのプレスをかけてくるチームは、メキシコしかなかった。そこが、「このサッカーでいいのだ!」と言い切ることをためらわせる。しかしまた、W杯で当たる世界のチームがどこも、メキシコ並みのプレスを持っているわけでもない。緩慢なプレスならば、日本のこのやり方で切り裂いていけるかもしれない。少なくとも、予断を持ったギリシャと、「引き分けなら予選通過」のブラジル相手なら、それができたのである。
■収穫を今後に生かして
最近は中田ヒデ選手も加わり、すばやい守→攻の切り替え、そこからのダイレクトプレーも増えてきたジーコジャパン。ポゼッションとダイレクトプレーのバランスが向上してきたことで、チームとしては一段進化してきたと思う。そして、ブラジル戦では「自分たちのサッカー」を貫くことで自信を手にし、世界に日本の力をアピールした。
課題としては、高度なプレスを持った敵に対したときに、つなぐサッカーでどこまで対抗できるか、ということ。メキシコ戦、ブラジル戦のように、「試合の入り方」を間違えないこと。ブラジル戦で実現した「下がり過ぎないDFライン」を、これからもさらに磨いていくこと。などなどと言ったところだろうか。
プラス面と足りない点、両方を高い次元で日本に見せてくれたことで、本番一年前のこのコンフェデ杯は、実に有意義な大会となった。もちろん重要なのは、これから一年である。ここで垣間見た「世界水準」を自分の体に刻み付けて、1年間を過ごして欲しいと思う。
それではまた。
05:00 AM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (2) |
June 21, 2005日本代表に加わった「動き」〜ギリシャ戦
やりましたね!ギリシャ戦はジーコジャパン史上最高のゲームだったのではないでしょうか?見ていてとても楽しく、そして結果も上々でした。メキシコ戦と何がどう変わったのか、現地に行っている記者の方たちの報告が待ち遠しいですねえ(笑)。とりあえず、ピッチの上に現れた「よさの原因」を考えてみました。それは、二つの「動き」がジーコジャパンに加わったこと、それが深化したことによるものだ、と思えました。
■ムービング2トップが引き出すダイレクトプレー
ギリシャ戦においては、中盤での詰めの早さ、速さが、メキシコ戦(特に後半)に比べると大幅に上昇していた。そしてそこから、ヒデと小笠原という、守備力が高く、守→攻の切り替えの意識の高い2人が前線にパスを送り、柳沢と玉田という動き回りパスを引き出す「ムービング2トップ」が、緩慢に試合に臨んできたギリシャを切り裂いた。前半に得たチャンスの多くが、カウンターやショート・カウンターであった。このような「動き」のある攻撃、これは、以前のジーコ・ジャパンではあまり見られなかったものだ、と思った方も多いのではないか。
この流れは、アウェーバーレーン戦から継続しているものだと思う。アジアカップ当時から「もっと高めで奪いたい」と選手たちは再三繰り返していたものだが、それがヒデや小笠原の主導、フォーメーションの変更、メキシコ戦の「体感」などによって実現したのだ。そして、そこからのダイレクトプレーを、スペースへ走る2トップが確実にチャンスへつなげて行く。こうして、ポゼッションとダイレクトプレーのバランスのとれた、多彩な攻撃が実現した。これはW杯に向かう日本にとって、本当に自信になったに違いない。日本代表に加わった一つ目の「動き」、それが強プレスから発進する、スピードのあるダイレクトプレーであると言えるだろう。
■ヒデのベストポジションは4−4−2のボランチではないか?
「中田ヒデがリードする守から攻への切り替え」において、私はバーレーン戦の中田ボランチを賞賛したのだが、この試合ではさらにそのよいところが多く見えた。ヒデは、メキシコ戦に比べると(チームメートの声を聞いたのか?)自重して、攻めあがったりプレスに行ったりするのをやや控えているようだった。それが特に、この試合の好循環に結びついていたと思う。
ヒデの前方の玉田、柳沢、小笠原、中村といった選手たちも、メキシコ戦の教訓からか、これまでにないほどアグレッシブにギリシャ選手に襲い掛かった。そして、その後ろにやや自重したヒデと福西が控え、交互に(←ここが重要!)前線のプレスからこぼれてくるギリシャ選手たちにセカンドプレスをかけた。このバランス、あのメキシコ戦からたった一試合でこれができるとは、たいしたものだ。
そして、ヒデのプレーである。先述した守→攻撃の切り替えはもちろん、遅攻を余儀なくされても、ヒデから高速のグラウンダーのパスが、すっとフリーになった小笠原や中村、動き出しのいい柳沢、裏を狙っている玉田へと、ビシっと通る。その、フリーになった選手を見逃さないピッチを見渡す目、出すべきポイントを的確に見て取る戦術眼、それらがチーム全体の攻撃に、リズムを与えていた。
思えば、ヒデのパスはこれまでも、「ここへ走れ!」というような教育的パスだった。それは、彼の考える「よいサッカー」を具現化するには「正しい」ものではあったが、同時にチームメートとの息が合わないと「厳しすぎる」パスともなりうるものであった。それが、この試合では下がり目のボランチからタクトを振る役割を多くしたことで(もちろん長い合宿で意見交換ができたことも大きいだろう)、これまでにないほど機能していたと見える。
日本の中では傑出した経験値と、戦術眼、強い意志を持つ中田ヒデ選手。彼をどこに置くか、どう扱うか、は、これまでも、日本代表の懸案の一つであった。しかし、ついにそのベストポジションが見つかったように思う。あのローマのカペッロ監督(当時)が、「トッティの代役」ではなく、そこより下がり目の中盤の中央で、トッティを、ローマというビッグクラブ全体をコントロールさせようとした、CMF(セントラルミッドフィールダー)としてのヒデ。今、その時に幻想として描かれたそのプレーが、現実のものとなろうとしているのかもしれない。
■最前線のゲームメーカー、柳沢
この試合において、もう一つ特筆すべきはやはり柳沢のプレーだろう。バーレーン戦の時にも書いたが、彼は動き出しがよく、しかも動く前からも、動きながらも、周りの状況をよく見て取ってフリーの味方に確実にボールを落とし、さらにそこからのパスを受けるべくフリーランができる選手である。例えば35分のプレー。ヒデからの速いパスを受けた柳沢は弧を描くようにドリブルしながら、小笠原にボールを預け、すぐに動いてまたリターンをもらい、玉田とも同様にワンツー、ペナルティエリアに一瞬のセミフリーを作って侵入、ビッグチャンスを演出した(そこで滑ってこけてしまったのだが)。
ポゼッションサッカーでも、動き出しがなくパスが足元、足元だけでつながっていると、敵も読みやすく、結局は単発の攻めとなって、なかなか攻撃が機能しない。それを打破するため有効なことの一つが、この柳沢のプレーのように、動いて、動きながらパスをもらい、またリターンをもらうためにスペースへ動く、というような、最前線での人の「出入り」を増やすプレーなのだ。これを高いレベルでできるのが、柳沢や森島、藤田といった選手たちだ。
私は、個人的には日本のサッカーはこのような「動き」「走り」のある選手たちを、どう生かすかにかかっている、と思っている。これまでも、日本のサッカーがよい内容を見せた時、そこにはこのような「動き」のある選手がいた。森島や藤田はこれを中盤で行うわけだが、柳沢はそれを最前線で行う。そして、抜群のスペースメーク能力で、味方を楽にし、また自らもスペースに侵入してパスを受け、攻撃を活性化する。このような「動きのあるポゼッションサッカー」ができていたのが、ギリシャ戦の内容の素晴らしさを生んでいたのだと言えるだろう。
これが、日本代表に加わった二つ目の「動き」である。足元、足元につなぐばかりのポゼッションサッカーから、二つの「動き」によって脱皮した日本代表。来年へ向けて自信を持っていい試合内容だったと思う。
■メンタルゲーム
以上のような日本代表の「よさ」が、欧州王者ギリシャを切り裂き、彼らの持ち味をまったく出させず、日本の「完勝」につながった。本当に嬉しい、ジーコジャパン史上最高のゲームだった、と思う。そして、それを支えたのが、メキシコ戦で敗北したことの「悔しさ」、ここで負ければグループリーグ勝ちぬけがなくなるという「追い詰められ」、そして曲がりなりにも欧州王者という「格上」と対戦するのだという、「チャレンジャー精神」だったとも、つくづく思うのである。
思えば、メキシコ戦、日本は漫然と試合に入ってしまったのではないか。何とはなしに「力試しだ」とでもいうような、真剣勝負にかける意気込み(なかったわけではないと思うが)を、どの程度もっていいか図りかねたまま、キックオフのホイッスルを聞いてしまったのではないかと思う。そして、先制したはいいが、どんどんペースを奪われ、精神的に受身になってしまった。もちろんメキシコ戦には、さまざまな敗因が存在するのだが、そのうちの一つがメンタル面での準備不足にあったことは間違いないだろう。
それが、ギリシャ戦ではまったく逆転した。このチームは、追い詰められてからが強い、「家族」だから(笑)。冗談ではなく、それがギリシャ戦での選手たちの出足に影響していたことは確かだと思う。また、前回も見たように日本は昔から、格上と戦う時はメンタルが充実する傾向にある。しかし、メキシコやトルコのような中堅国、すなわち「サッカー・ブランド・ネイション」では「ない」国と対戦する時は、選手の間の意識がバラバラになりやすい。メキシコ戦で一敗地にまみれ、ふたたび選手たちの間に復活したチャレンジャー精神。それが日本の選手たちの「ひたむきさ」を生んでいた。
逆に、ギリシャはEURO優勝時のあの「ひたむきさ」を失っていた。それが、格上ばかりといってもいいEUROにおける、ギリシャの最大の武器だったのにもかかわらずである。ギリシャは、メキシコ戦における日本以上に漫然と向かってきた。日本はギリシャのその隙を突き、メキシコ戦とまったく逆、精神的に受身に追い込み、ポゼッションとダイレクトプレーで追い詰め、勝利した。まさに「完勝」であるといってもいいと思う。そして、その背景には、日本がチャレンジャー精神を取り戻したことがあるのだと、つくづく思うのである。そして、それを失って欲しくないと。
次は、あのブラジル。しかも、敵も「勝たないとトーナメント抜け」ができない状況。本気で、予断なく向かってきてくれるでしょう。望むところですよね!まさに「チャレンジャー精神」をしっかり保ったまま、真っ向から向かっていくには最適の相手です。中盤のプレスもメキシコほどきつくはないでしょうし、日本らしいサッカーとガップリ噛み合うと予想します。日本の力を存分に出して、世界に日本のサッカーを見せつけて欲しいですね。
それではまた。
07:08 PM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (2) |
June 16, 2005コンフェデ杯展望~二つの日本代表
ベナン戦は残念でした。しかし、まだまだというか、全然GL勝ちぬけのチャンスは残されているわけで、最後のオーストラリア戦は底力の見せ所、ぜひぜひ勝って、GLを突破して欲しいですね。
さあもうフル代表コンフェデレーションズカップ直前です。日本がその力を世界と比べる大きなチャンスですね。是非いい内容のサッカーをし、世界に日本の力を見せつけて欲しいものです。
ところで、J-KETの方でボヘミアンさんが、「アジアを勝ち抜くサッカーと、世界に伍するサッカーは違う」と書かれていました。中身は違うのですが(笑)、私もまさにそう思っています。そして、それが試されるのがこのコンフェデ杯になってくるでしょう。大会前にその点を考察しておきたいと思います。(ここからコラム文体)
■「引いて守ってくる格下相手に、いかにこじ開けるか」
この課題は、「日本が、アジアではすでにサッカー大国となった」がゆえのものである。
アジアは、日本を相手にする時は基本的には「引いて守ってカウンター」という戦略を取ってきた。これは加茂監督の昔から変わらない。彼らの武器が走る力を生かしたカウンターであること、日本はパスをつなぐわりに、引いて守ればこじ開ける力はないこと、などから、それなりに合理的に考えられた戦略であると思われるし、実際に加茂時代はそれで、アジアカップベスト8敗退(あのマチャラ監督率いるクウェートに敗れる)、W杯予選でも引き分けが続き、苦しめられた。
この場合の日本の課題は「引いて守ってくる格下相手に、いかにこじ開けるか」だったと言える。
これは2000レバノンアジアカップで見事に解決された。同じくマチャラ監督率いるサウジが守備的布陣を引いてきたのを4-1で破り、日本を警戒して8人を入れ替え、FWはおろか、名波や森島にまでマンマークをつけてきたウズベキスタン(これは当時の大住氏の記事)さえ8-1で粉砕した(この両国は必ずしも格下とは言い切れないが)。また、それ以前の日本国内での親善試合でも、UAEに3-1、五輪代表ではクウェートに6-0、モロッコに3-1と、その得点力を見せつけていた。
日本代表のサッカーが、従来のボールを保持するだけのポゼッションから、「速く、大きくボールを動かして」「スペースを作り、使う」ものへの脱皮がなされ、中東やアジア伝統のマンマークだけでは抑えきれなくなってきたことの証明だったと言えるだろう。
■「真っ向から向かってくる中堅国を、いかに上回るか」
逆に、欧州や南米相手の場合はどうだろうか。彼らは日本を少なくとも同格と見ているだろうし、ほとんどの国は格下と捉えてさえいることは間違いないと思う。そういう場合、「自分たちのサッカーをすれば普通に勝つ」という考えの基、彼らはまっすぐに、ある意味、ノーマルに(笑)向かってくる。
さかのぼれば、加茂監督時代のアンブロカップ(ブラジル、イングランド、スウェーデンと対戦)でもそうであったし、トルシェ時代のハッサン2世杯、01コンフェデ杯、ジーコ監督になってからの03コンフェデ杯も同様だった。彼らは「格下」の日本に対して、特に警戒することなく向かってきたものだ。
こういう場合、敵はまず中盤でパスをつないでくる。日本のプレスの格好の餌食であった(笑)。さらに、DFラインはもちろん引いて守ってくることもなく、マンマークなどもせず、ゾーンで守り、それで守りきれると信じているようであった。DFラインも中途半端に高く、そこをついて日本が攻撃していくことは、かなりできていたのである。
彼らに対しては「組織的なプレスで高い位置から奪う」「運動量を生かしたパス・サッカー」という加茂監督時代からの特徴を、真っ向から発揮していけば、日本はそれなりに伍していくことができていた。加茂監督時代にもスウェーデンに引き分け、トルシェ時代にもフランスに引き分け、カメルーンに勝ち、ブラジルに引き分け、ジーコ監督もフランスに善戦し、コロンビアを追い詰めた(負けはしたが)。
日本は日本の持ち味を発揮することで、こちらを警戒してこない中堅~強国相手には良いサッカーで対抗し、伍していくことができる。それはここ10年変わらないことであったと言うことができるのだ。
■二つの課題をクリアした先にあるもの
加茂監督時の問題は、対中堅~強国相手のサッカー(いわゆる「プレス」サッカー)を磨くことに意を砕くあまり、「引いて守ってくる格下相手にいかに点をとるか」がおろそかになったことだった。そのため、アジアカップで敗退し、W杯予選でも非常に苦戦したのだ。トルシェ時代には、引いて守ってくる格下をこじ開けることはできていたし、対等に向かってくる中堅国と伍していくこともできていた。ただ、02W杯本大会で日本はさらにレベルが上の問題に直面することになる。
トルコ戦で現出したそれは、「引いて守ってくる『格上』をいかにこじ開けるか」であった。
アジアレベルでは、敵DFの経験も、個人能力も戦術理解度もワールドクラスではなく、こちらが速く大きいパス回しを発揮していけば得点していくことができた。しかし、ワールドクラスのDFが、真剣勝負に向けてこちらを舐めることなくじっくりと研究し、一瞬のゆるみもなく集中して守り、さらに先制したことで引いて守るようになった場合はどうするか。これは、強豪相手の真剣勝負をめったに経験できない日本にとって、まさに未知の領域であったのだ。
ジーコジャパンはそれを受けて、その次の課題を解決するべく発足した、はずであった。
■ジーコジャパンの対アジア、対強国戦略
興味深いことに、ジーコジャパンの対アジア戦略は、これまで述べたようなものとはだいぶん違うものとなっていた。1次予選、アジアカップ、ホームのバーレーン戦、北朝鮮戦、アウェーイラン戦、対UAE戦と、一部の試合を除くとほとんどが「カバーを重視する守備、セットプレー、個人能力、そして落ち着き」で勝ち抜いてきたのだ。それは、これまでの「引いて守ってくる格下相手に、いかにこじ開けるか」とは異質なものであったように思える。
「向こうが引いて守ってくるなら、こちらも急がなければ少なくとも負けはしない」とでも言うような、いわば「守備としてのポゼッションサッカー」のような形である。これは西部謙司氏も言うように、「負けにくいが、得点も少ないサッカー」となっていた。選手たちはそれに飽き足らず、高目からボールを奪おうというような意思も見せていたが、それは散発的であり、チーム戦術として結実することは少なく、むしろ最終予選ではそのズレから危機に陥るようなこともあるほどだった。
この「守備としてのポゼッションサッカー」については、また考察できるポイントがいくらでもあるような、なんとも興味深い考え方なのだが、今はそれは置いておこう。
というのは、アウェーバーレーン戦において、日本はそれとはまたかなり違ったサッカーを繰り広げたからだ。中田ヒデと小笠原が強プレスを敢行し、そこからワントップのヤナギが作るスペースを、中村とともに突いていく。ポゼッションとダイレクトプレーのバランスの取れた、なかなか良いサッカーだった。それが、勝つためには引いてばかりはいられないバーレーン相手に、うまく「はまった」と言うことができる。
もう一つ、ヤナギのワントップにはトルシェ時代から、「パッサーをセカンドストライカーに変える」という効能がある。日本ではトップ下にパッサー(こういう単純な分類はいけないのだけど)が多いのだが、ワントップではそういうパッサーたちも「自分がフィニッシャーにならなければ」という意識が強くなり、FWと距離が近いところでプレー、追い越しも多くなる。結果ボールの持ちすぎが減り、前線でも人の「出入り」により、流動的なサッカーができるようになる。
以上の要因により、バーレーン戦は結果が出ると同時に、内容も良いサッカーができていた。これは、中田選手の復帰、小野の怪我などによる偶発的なものだが、ジーコ監督はその「流れ」を逃さないようだ。コンフェデ杯でもバーレーン戦の布陣を基準にすると報道されている。それは正しいと思う。
「ホーム・ディスアドバンテージ」から解き放たれ、選手を集めて話し合いの時間もじっくり取れているコンフェデ杯。ジーコジャパンはこれまでの対アジア用戦略とどれだけ違った内容のサッカーを見せるのか、それは世界に通用するものなのか。たまたまだが、ちょうど世界と対峙しなくてはならない時に日本はその萌芽をバーレーン戦で見せた。今夜はいよいよメキシコ戦、引いて守ってこず、ノーマルに戦いを挑んでくる敵には、良い内容のサッカーを見せてくれることを期待したいと思う。
それではまた。
04:45 PM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (2) |
June 15, 20052005後半へ向けて
多忙で北朝鮮戦後の更新ができませんでした。申し訳ない。
簡単に試合を振り返ると、日本が試合運びをうまくやり、完勝したゲームだったといえるでしょう。立ち上がりは、日本もアグレッシブに高めから(FW鈴木から!)ボールを追い回します。これはアジアカップの頃にはなく、2005年になってから時おり選手たちが試みるやり方ですが、荒いピッチに得意のグラウンダーのシュートパスが封じられていた北朝鮮にペースを握らせないためには、うまくはまりました。
前半20分を過ぎる頃から、敵がピッチにも慣れ、また日本が自らの連携ミスからみすみすペースを明け渡したこともあり、日本は前線からのプレッシャーを停止します。それとともに、立ち上がりやりもラインを深めにとる。この辺のメリハリ、使い分けがアジア相手にはできるようになったところが、このチームのよいところでしょう。
後半になると、日本、北朝鮮双方とも攻撃的に出ます。エルゴラッソでは黄慈権さんが「北朝鮮が攻撃的に出たのが残念だった」と振り返ってしていますが、これは「動き出しのいい大黒」を投入した日本にとって、思う壺でした。柳沢、大黒が2人で、あるいはスペースを使い、あるいはそこへ飛び出し、前線を大いに活性化させることができたのです。
1点目は、日本陣内のFKをすばやくスタート、稲本に渡ってそこからのロングフィードを大黒が競り合い、こぼれたところを柳沢がスライディングで決めたもの。これ以前にも後半17分の、中盤で奪ったダイレクトプレーからスペースに抜け出し、強枠内シュート!などのように、「シュートの意識の高まり」を感じさせていた柳沢。バーレーン戦での日本中からの願いが天に届いたのか、ついに「彼の日」(ヒズ・デイ)がやってきたのかもしれませんね。
2点目は田中が前に出ながら奪ったボールを、ダイレクトに前線に送ったロングパスから。北朝鮮が前がかりになったところをついて大黒が抜け出し、素晴らしいドリブルでGKまでかわして2点目!試合を、そして世界で最も早くW杯を決めた、見事なシュートでした。
この日、中田ヒデ、中村、三都主の出場停止を受けて、久しぶりの先発となったのは稲本と、中田浩二ですね。稲本はほとんどOMFのような位置に構え、敵の攻撃をすばやくチェックすることを狙いましたが、そこでの攻撃参加はそれほど機能したようには見えませんでした。まだ連携がこなれていないのですから当然でしょう。中田浩も、三都主に比べると攻撃面での貢献は物足りませんでした。ただ、彼らは前半の守備面ではそれなりに機能し、各所のサブの充実にの一助にはなったとは言えるでしょう。
まあもう、何と言っても、「W杯出場を決めた」ということだけで素晴らしい!ゲームでした。その上にこのような、「格の違い」を見せつける完勝です。日本も強くなったものだと、つくづく思わされる試合でしたね。しかし同時に、試合後に中田ヒデがいみじくも漏らしたように、「このままでは」W杯で勝ち抜いていくだけの実力があるわけでもない、ということも逆にまた見えてきた試合でもあったのではないでしょうか。
「カバーを重視する守備、セットプレー、個人能力、そして落ち着き」という現実路線でアジアカップを制し、1次予選突破を決めた2004年の日本。そこから中田ヒデという偉大な「個」を組み込みながら、4バック、1トップ、バーレーン戦のヒデボランチ、などを試み、そして前からの守備やダイレクトプレーを選手たちが模索し続けた2005年。「このままでは」は、今年前半の選手たちにとってのキーワードでもあったでしょう。
私は、バーレーン戦で見せたような、中田ヒデと小笠原が主導する高い位置での守備や、ダイレクトプレー「も」織り交ぜたジーコジャパンが発展していけば、そして、何人かの中心選手が完調であるならば、2006年にGLを勝ち抜くことも可能であると思っています。もうすぐその絶好の試金石であるコンフェデ杯がやってきますね。楽しみに待ちたいと思います。
それではまた。
06:36 AM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) |
June 04, 2005やった!リーチ!
いやー、勝ちましたね。勝ち点3を上乗せし、これで次の北朝鮮戦に引き分け以上でドイツW杯出場が決まることとなります。ただ勝っただけではなく、試合内容もこれまでの予選の中では一番よかったのではないでしょうか?もちろんまだ緩んではいけませんが、本当によかったですね。選手、監督、関係者、サポの皆さん、お疲れ様でした。
■中田ヒデがリードする攻守の切り替え
私は、ペルー戦、UAE戦の苦戦の原因として、攻めが遅いことによる敵の守備組織のセットアップをあげたが、中田ヒデのボランチ起用、および小笠原の2シャドーの一員としての起用により、その点が大きく改善されていたのが目を引いた。
中田ヒデはもともと、「よい内容のサッカーができてこそ、勝つ確率が上がる」と考え、自分の考える「よいサッカー」の実現を強力に推進するタイプの選手。そのうちの一つが、「攻守の切り替えを速くする」「その際の判断、動き出しを早くする」というものだった。フランスW杯のころ、川口が「僕がボールをキャッチしてスローしようとすると、いつもヒデが誰よりも先に動き出している」と言っていたのをみてもわかるであろう。
バーレーン戦でも、中田ヒデが誰より先に動き出し、フリーになり、そこへ奪った選手からボールが入り、彼がドリブルや、パススピードの速い長めの縦パスでボールを前線に運び、敵が組織を整えないうちにチャンスを作り出す、という光景が何度も見られた。そして、1トップの柳沢と、前線に配置された小笠原が、それに効果的に絡んでいた。小笠原も、もともとダイレクトプレー志向、奪ったら早く攻めることを考えている選手であると思う。
よかったのが、その小笠原が1トップの下に入ったことだ。彼は2トップ下だと、自分がゲームをコントロールしようとするあまり、下がりすぎてしまったり、持ちすぎてしまったりすることが多いように見える。1トップの下、2シャドー(?)に入ったことで、「FWとの距離を開けてはいけない」と意識、それが効果的に働いていた。ゴールシーンも、彼が非常にFWの近くにいたこと、中村や柳沢がおとりの動きをしたことなど、この布陣のよいところが出ていた。
■ヤナギの1トップ
厳密には、シャドーというよりは2OMFという方がより適切だろうが、バーレーン戦では、1トップ2シャドーの布陣がなかなか機能していた。特に動き出し、状況判断のよい柳沢がトップに入ったこと、またそれを近くでフォローし、時に追い越していく小笠原と中村の動き、そして後ろから中田ヒデが攻守の切り替えをつかさどることで、スピードのある攻撃ができるようになっていた。
五輪代表時代から、柳沢のプレーは、体を張って自分でボールをキープするいわゆる「ポストプレー」というものとは少し違っていた。中盤のボールホルダーの状況をよく見て、いいタイミングで敵DFから離れるように動き出し、セミフリーでボールを受け、一瞬のためを作れるプレーなのだ。これがいわゆる「ヤナギダシ」というものである(笑)。
この「動き出しのよさ」は最近、大黒の登場でよくマスコミをにぎわせるようになったが、私などは大黒を「シュートの意識の高い柳沢」みたいだなと(笑)、最近は思っていたものである(昔はもっとドリブラーだった)。また例えば、オシム監督がジェフに連れてきたFWハースも、すすっと動いてセミフリーでボールを持ち、2列目から駆け上がってくるジェフの選手たちに落とすことが抜群に上手い、ジェフのサッカーに実によくマッチしたFWだと思う。
柳沢は、この動き出しによってボールを引き出すのみならず、その際に非常によく周囲が「見えている」という、ハースとも共通する特徴を持っている。情報収集力が抜群なのだ。それによって、キープするべきか、ダイレクトではたくべきか、誰に落とすべきか、どのタイミングで落とすべきか、などの判断が的確になる。いわば「最前線のゲームメイカー」のような仕事ができる選手なのだ。
今日も柳沢は、自身の絶好のシュートチャンスにもパスを選択してしまっておそらく日本中にため息を蔓延させたと思うのだが、それもこの「周囲がよく見えすぎる」という特質の故である。その特質があるからバーレーン戦では1トップがうまく機能したのだが、しかしそれにしても、もうちょっとシュートの意識を高めてもらいたいと思えてならない・・・というのは、もう何年くらい言っているだろうか(笑)。大黒はもちろん、ハースだって、君よりはもう少し選択肢の中のシュートのプライオリティが高いぞ。柳沢よ、ハースになれ!
■バーレーンはそんなに組織的?
試合序盤は、両チームとも慎重に入り、手の内の探りあいのようにスタートした。アウェーということもあり、日本がそうなるのは当然だが、バーレーンもやはり日本を警戒、下がり目のディフェンスを引き、そこからのカウンターを狙おうという意図を見せていた。フィールドはやや間延びし、バーレーンも特にプレスをかけてくるということもなかった。
記者会見で質問が出、シドカ監督が的確に答えていたように、バーレーンの敗因はやはり欠場選手の問題、そして選手個々がバラバラにプレーしてしまったことだ。人口が六十数万しかおらず、サッカー選手の人数も少ないバーレーン。ごく少数の有力選手の能力はアジアトップレベルに伍するところまで行くが、プロリーグもなく、代わりの選手はまったくいない現状、エースのA・フバイルの怪我による欠場、主力DFフセインの出場停止、サルミーンの負傷などで開いた穴は、埋めることができなかったようだ。
また、昨年のバーレーンの躍進はユリチッチ監督の作り上げたチームのものだったが、彼は3月に辞任し、現シドカ監督が就任した。時間がそれほどなく指導が徹底できなかったこと、選手たちが自国の躍進やスター扱いにより自信を持ちすぎたこともあり、日本戦では、選手たちがそれぞれに個人プレーに走っていた。それも彼らの大きな敗因の一つだろう。1vs1で日本に挑んできてくれれば、個の能力に勝る日本にとっては願ってもない試合展開となるわけである。後半の足が止まってからをのぞけば、安心して見ていられた方も多いのではないだろうか。
■球際のぶつかり合いで負けない「気持ち」
この予選での唯一の敗戦であるイラン戦後、中田ヒデは「敗因はシステム変更ではなく、1対1で負けていたこと」と語り、物議をかもしたが、このアウェーでのバーレーン戦で、その意味を自らはっきりと大きく描き出すようなプレーを見せた。それが球際での激しさ、粘り、絶対に後に引かないこと、などなどである。それはチーム全体に伝播し、実にアグレッシブに敵にぶつかっていく日本代表が、そこに出現した。これだ、これが欲しかったのだ。
もともと中田ヒデも、小笠原も、OMFに起用してさえボランチよりも激しく当たり、ボール奪取率が高かったりする選手である。彼ら2人が中盤で並び立つこと、そしてその姿勢がチーム引っ張っていくことで、久しぶりに気持ちを前面に出して、「前から」敵にぶつかっていく日本代表を見ることができた。セーフティーを意識しすぎ、引いて「見て」しまうボールホルダー・ウォッチャーが消えた。これは非常に歓迎したい。
他のアジアとの戦いでも、イラン戦でも、どことはなしに「引いて守ればいい」と思っていたり、迷いながらプレーしていたりするように見えた日本代表だが、ここに来てついに吹っ切れたように思う。これを生むために必要だったのなら、キリンカップのあの2試合の、ちょっと情けない試合内容も、むしろよかったと言えるかもしれない(笑)。
■次は?
2位を争うライバル、バーレーンとの直接対決は、やや代償を要した。中田ヒデ、中村、三都主の3人が出場停止。小野も怪我でいないなか、これまでの中心である中村、バーレーン戦を引っ張った中田ヒデ、ジーコジャパンの左サイドで圧倒的経験値を持つ三都主の欠場はちょっと痛い。やややり方の変更を余儀なくされるかもしれない。
継続して1トップでいくのなら、このような形だろうか?中盤でつないでくる、運動量のある北朝鮮には、バーレーン戦で見せたような1トップで対抗するのは「あり」だと今のところは思える。いずれにしろ、杉山茂樹氏じゃあるまいし、大事なのはフォーメーションではない。もっとも大事なもの、この日見せた全選手の「気持ち」があれば、北朝鮮から勝ち点1以上を上げることは十分に可能だろう。移動も厳しいが、あと少し、選手たちには頑張って欲しい。
それではまた。
08:05 PM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (7) |