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April 17, 2005副官発見!
やはり最終予選は日本サッカー界全体が非常に盛り上がるイベントのようで、さまざまなメディアに選手、監督のインタビューが雨後の竹の子のように(笑)出てきていますね。私は、以前に書いたように「ジーコ監督に(守備担当の)副官をつけるべき」という「要副官論者」になったのですが、最近の記事群、インタビュー群を読んでみて、考えを改めようかな、という気になりました。以下にその理由を書いてみたいと思います(堅い話になるのでコラム文体で書かせていただきます)。
■ジーコジャパンの守備戦術(中澤インタビュー)
まず気になるのが、J-KETでも話題になった、北朝鮮戦後の季刊サッカー批評26号での中澤インタビューである。中で中澤は次のようなことを述べている(私の要約なので、漏れがあったらお許し願いたい。興味のある方は原本にぜひ当たって欲しい)。
1:チームとして組織的にディフェンスするベースがない。だから海外組が帰ってくるとバラバラになってしまう。 2:国内組だけなら、時間をかけているので連携ができてくる。 3:時間がないのをカバーするのが戦術だと思う。 4:選手主体で、選手が固定されているから、新しく誰かが入るとまた一から作り上げなければならない。 5:戦術というのは困ったときに戻る場所。強い相手と戦うときや苦しい場面では戻る場所が必要になる。 6:チームとしての意思統一という部分では、北朝鮮のほうが明確だったのは認めざるをえない。 7:最低限のルールは必要。日本代表選手はその最低限のルールでもできるレベルの選手じゃないといけない。 |
その他にも、オフェンスや「自由」に関してなど、興味深い発言もあるのだが、とりあえずDF戦術に関するものだけを抜き出してみると以上のようなところだろうか。これらは、私も以前に同じように書いている(2003コンフェデ後)(2003東アジア選手権後)が、つぶさに日本代表を見てきたものにとっては、特段目新しいことではない。現在の日本代表のディフェンス組織に、あるいはその作り上げ方に、いくらかの問題があること、それを選手も感じ取っていることは、いまさらながら認めざるを得ないだろう。
■時間がないのをカバーするのが戦術
余談だが、(3)の「時間がないのをカバーするのが戦術」という見解は興味深い。全文を引用すると
インタビュアー:国内組だけなら解決できているということですか?中澤:合宿、紅白戦、練習試合と、ずっと(一緒に)やりますからね。だから国内組では誰かがボールにアタックしたら、後ろはこういうふうにカバーする、といったことがわかってくる。でも海外組の場合は(試合の)2日前くらいに合流して、そこでコミュニケーションとって、いきなり試合をすることになるわけで、それではやはり伝えきれない部分も絶対出てきます。だから『どうするんだっけ?』という部分がたくさん出てくる。
時間がないからしょうがないですけど、そこを埋めるのが戦術だと思う。時間がないことをカバーするのが戦術だと思う。これだけ長い時間やっているのだから、10のうち5くらいはみんなが共通認識を持ってやってなきゃいけないと思うんですけど……。
これが興味深いのは、以前から巷間よく耳にした「今の日本代表は海外組が増えて時間がないのだから、ジーコのような戦術を整備しないやり方でも仕方がない(戦術整備は時間がかかるから)」という意見に対する有効な反論となりうるからである。私も以前に、「戦術整備型とセレクト型の監督がいるとして、戦術整備型のほうが時間がかかるというのは本当だろうか?」という問題を提起したことがあるのだが、またぞろ同じ疑問がわきあがってきた。
考えてみれば、トレーニングによって全員に戦術の徹底をしてあれば、それは「一回作り上げれば、次からはそこへ戻ればいい」ものとなるだろう。新しいメンバーが入っても、同様のトレーニングである程度同じ戦術を理解できることになる。いわば基準点ができるわけだ。例えば、2003コンフェデでいい試合展開をできたのであれば、後はそれをベースにして再現/向上していけばいい。しかし、選手が話し合ってその都度連携を作り上げる場合は、それとは違い、新しい選手が一人入るたびに話し合いの時間が必要になる。それがまさに今回のイラン戦で起こったことではないだろうか。
お断りしておきたいのだが、これは別段ジーコ批判ではない(笑)。純粋に「トレーナー(戦術整備)型は時間がかかるというのは本当か?」という知的興味である。一般論としては正しいように見えるその考えも、代表監督という仕事の特性を考えると、また違う見方もできるのではないか、と思うのだ。次の代表監督を選ぶ時には(笑)、中澤の発言も是非参考にするといいのではないだろうか。
閑話休題。日本代表の守備組織の問題点に話を戻そう。
■アジアカップ・スタイルか、否か(イルレタ・インタビュー)
次に興味を引かれたのは、SPORTS Yeah!誌114号の、ハビエル・イルレタ氏(デポルティボ・ラコルーニャ監督)のインタビューである。まず彼は小笠原のプレーを絶賛した後、
W杯予選のような試合で、無闇にラインを上げるのは難しい。私はミヤモトのプレーは気に入った。彼のフィードはいい。ラインコントロールも上手い。よく声が出ているし、自信を持ってプレーしている。彼のようなDFがいるからこそ、ジーコは3バックを選択しているんだと思う。システムというのは選手ありき。確かに3バックは欧州では主流じゃないが、だから4バックがいいというのは間違っている。
と語っている。これは私も非常に同感だ。私はもともと「アジア最終予選もアジアカップのやり方でいいのだ」と思っていた。プレスの整備ができない状態で、不用意にラインを上げる必要はまったくない。また、宮本がほめられたのもとてもうれしい(私は宮本ファン・笑)。そして、3-4バックの問題については、杉山茂樹氏にイルレタ氏の意見を聞いてもらいたいぐらいである(笑)。
その後、北朝鮮の攻勢が強まり日本がずるずる下がったあたり、記者が「あるいはジーコが何らかの手を打つべきだったのではないか」と質問したのを受けて、イルレタ氏は
フットボールにはルールがある。 相手が総攻撃を仕掛けてきた時に、流れを変えるのは難しい。北朝鮮は負けないためには攻めるしかなかった。日本は勝つために、守らなければならなかった。メンタルの差が出た。おそらく、ハーフタイムで北朝鮮の選手は軍隊長にケツを叩かれたんじゃないのかな(笑)。
と冗談めかして言った後、
確かにゴール前に張り付くだけでは、いつか失点する。それもフットボールの定石だ。あるいは日本は押し上げるべきだったかもしれない。だが、プレスの意識を根付かせるためには訓練が必要になるし、まずはその仕事をできる選手がいなければならないんだ。フィジカル的に非常に強靭な選手が必要になるね。前からボールを奪いにいくのもいいが、疲労は激しい。(中略)
だから、ジーコはあえて深く守り、カウンターを狙ったのではないか。彼の決断は極めて論理的だった。
としている。これも私はいちいち同感なのだ。
「プレスの意識を根付かせるためには訓練が必要になる」―――まさにそう思う。しかし、ジーコ監督はこの3年間でそれができなかった。そういう訓練をするメソッドを持った副官が欲しいな、と私が思うゆえんである。
「まずはその仕事をできる選手がいなければならないんだ。フィジカル的に非常に強靭な選手が必要になるね。」―――Jリーグにはそういう選手もいるのだが。ジーコジャパンにはあまり選ばれていないのだ。
「だから、ジーコはあえて深く守り、カウンターを狙ったのではないか。彼の決断は極めて論理的だった。」―――これも同感。あの状況では、アジアカップ・スタイル「カバーを重視する守備、個人能力、セットプレー、そして落ち着き」で行くことで間違いではなかった。ただ問題は、そういう状況でありながら、アジアカップとは違い、中盤から前がプレスのために前進しすぎ、後退するDFラインとの間のスペースを明け渡してしまっていたことなのだ。
この後イルレタ氏は、ジーコ監督の采配を賞賛し(私もあの試合の選手交代策はロジカルなものだと思った)、「きっとW杯には行けるさ」と記者の肩をぽんとたたいたそうである(笑)。
以上のように、このインタビューは、私の意見「アジア最終予選では、無理してプレスを狙ったりせず、アジアカップ・スタイルで慎重に戦えばいい」からみても、「まったく同感」と言えるようなものだった。しかし、カザフ戦、北朝鮮戦の序盤と、中盤から前線の選手たちは「前からの守備」の傾向を強めていき、それは中田選手が入ったイラン戦やバーレーン戦でも続いていた。プレスに行く前線と、引いてしまう最終ライン。最終予選を戦いながら浮上してきたこの問題は、今後解決できるのだろうか。そのためには、副官が必要なのではないだろうか。
そういう意味では、問題視された中田ヒデと福西の話し合い(口論?)も、私はポジティブに捉えている。ヒデは、より前線からのチェックを要求するだろうが、現状の下がるDFラインでそれをやりすぎると、どこかで大穴が空いてしまう(ヒデとプレス)。ボランチの一人は、バイタルエリアを空けないことを優先する方が合理的だと思う。それをDFラインと福西で確認できているのは心強い。そしてまた、それをヒデにもきちんと伝えられたこともポジティブだろう。ただ、本当は監督がそれをしっかりと指導するべきだと思うのだが、話し合いの場からジーコ監督が去ってしまったというのは少し残念ではある。
■副官発見!(中澤インタビューその2)
さて最後に、サッカーマガジン1022号における、福西と中澤のインタビューがある。その中では、イラン戦とバーレーン戦に臨む選手たち、チームに起こったことが、しっかりと描写されている。気になるのが、練習試合で渡されたビブスではじめて4バックでやることがわかった、という状況の問題である。
福西:不安はありませんでした。ただ、ドイツでの練習試合(3月20日、対マインツ05アマ)でいきなり4バックになったことで、戸惑った選手はいたかもしれません。
インタビュアー:ビブスを渡された先発組の顔ぶれで4バックでいくということがわかっただけで、4バックでどう戦うのかの説明があったわけではない。
福西:はい。
私は、イランに対して4バックをひいたことには問題視するつもりはない。イランとの相性の問題もあるし、ジーコ監督が「これまでも4バックでうまく行っているから」と考えるのも、(私と意見は違うが)かまわないと思う。しかし、久しぶりの4バックスタートである。やはりそこに、意図や狙い、敵に対する対処法などに関して、簡単でも説明があってしかるべきではないだろうか?それがなかったことで、選手たちがやはりやや戸惑った部分があるのは否めないだろう。中澤は言う。
中澤:別にシステムとして4バックというのはいいと思います。それでやることに問題はない。でも、いきなりだったですからね。これまで長い間3バックでやってきたし、結果も出してきた。慣れということもある。いきなりだから、約束事といっても二つか三つしかできないよ、みたいな感じだった。
冒頭のインタビューと合わせて読むと(まあ本当は読まなくても)、ここでいう約束事とは、「選手同士が、プレーしながら、顔を合わせて話し合っていくうちにできてくるもの」のことであるとわかる。とすれば、それを作るのにある程度の時間がかかるのは当然であろう。そして、新しい選手(中田ヒデ)が入り、フォーメーションもやや変わったイラン戦では、その時間が絶対的に足りなかったのだ。そして中澤は、
中澤:真ん中に二人しかいないから、前に当たりに出て行くわけにはいかない。だからサイドはサイドで止めてくれということになった。アツさん(三浦)とか俊輔(中村)とかと話をしたけど苦しかったですね。4バックでやるならやるでもっと戦術の練習をやりたかった。シュート練習の時間を割いてでも。
と自分の考えを話している。ここを読んで私は「あっ」と思ったのだ。
「4バックでやるならもっと戦術の練習をやらせて欲しい。シュート練習の時間を割いてでも。」
それをジーコに言えばいいじゃないか、中澤!
ジーコ監督は選手を最大限に尊重する。細かいことは言わず、それは選手同士の話し合いに任せている。そこで自主的に出てくる約束事に任せている。ならば、選手はそれをやりやすい環境を、いっそ練習メニューさえ、練習時間の使い方さえ、監督に要求してしまえばいいじゃないか。いや、するべきなのじゃないか、ジーコジャパンでは。
「シュート練習よりも、守備の戦術練習をしたいですよ、監督」
「今日は紅白戦でいいけど、AチームとBチームで同じ戦い方でやってください、監督」
「プレスの練習メニューはこうしましょう、監督」
2003年コンフェデ杯ごろは、話し合いのリーダーシップを中田ヒデや宮本がとっていたことで、「中田監督」「宮本監督」という揶揄の言葉がサポの口に上っていた。しかし、むしろ「そのほうがよい」「そうであるべき」なのではないだろうか、ジーコジャパンは。それが代表監督として適切なのか、効率的なのか、それで日本代表が強くなるのか、それはもうここでは問わない。最終予選の最中にそんなことを問うている時間はない。それはそれとして、現状のやり方で行く以上、選手一人ひとりが監督、コーチの領分まで食い込んで、自分たちのやりやすいやり方を主張していくべきなのじゃないか。
私は「要副官論者」になろうかと思っていた。ヒデの復帰によるプレスの再構築と、これまでの経験を生かした下がっていくDFラインの関係、これをうまく止揚していくには、プレスの訓練に長けたジーコ以外の指揮官がどうしても必要ではないかと思えたからである。しかし、なかなか適任者がいない、またジーコがそれを受け入れるとは思えない、という問題があった。実際、協会も動いていないように見えるし、アウェーのバーレーン戦までの短い期間で副官就任を実現するのはほとんど無理だろう。では、どうするか。その答えが、ここにあるのではないだろうか。
「選手たちよ、君たちこそが『副官』だ!」
自分たちでどんどん話し合い、考えをまとめ(もちろん選手一人ひとりばらばらじゃダメだが・笑)、それをジーコ監督にぶつけていけ。フォーメーションも、守備の、プレスの連携も、自分たちで決め、作り上げていけ。そのための時間をジーコが取ってくれないなら、練習メニューの変更さえ要求してかまわないはずだ。場合によっては、君たちがクラブでやっている守備の練習のメニューを導入したっていい。そうやって、選手たちみんなが「副官」になる。それが正しいはずだ。「選手がやりやすい形を最大限尊重する」・・・それがジーコ監督のやり方なのだから。
あとは選手ががんばるしかない。そういう趣旨の文章を最近よく目にするように思う。私も同じことを書いているようだが、しかし、少し違う。それこそがジーコの望んだ形であったはずだ。イラン戦からバーレーン戦へ、フォーメーションの変更について、選手からの要求を出すことはできた(ジーコ監督は選手からの要求がなくても戻すつもりだったと言っているが)。それよりも、もっと先へ行け。選手全員が副官たれ。それがジーコジャパンが、あと一段進化するために必要なことなのだと思う。
それではまた。
09:08 PM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (3) |