« 一喜一憂しない | トップページ | 一安心2(バーレーン戦) »
March 29, 2005
もうワールドカップは始まっている
4バックが問題だったのか
中田ヒデや中村、宮本らの直訴もあって、バーレーン戦では3バックに戻すらしいですね。私も、ヒデやジーコの言う通り「システムがサッカーをやるわけではない」と思っていますから、3でも4でもどっちでもいいのですが、人がサッカーをやるからこそ、意思疎通、共通意識、連携、慣れ、などが重要だと思っています。そして、イラン戦で問題だったのは「4バックである」ことではなく、「慣れない布陣である」ことであったと思います。もしこの1年連携を深めてきたのが4バックの方であったのなら、「急に3バックにすること」の方がリスキーだったでしょう。この辺をごっちゃにしている議論が多いのではないでしょうか。
今回は田中が出られなかったこと、中田ら欧州組が合流したことで、前をうまく使う形、この2点から考えたことで私は練習を見ている限り、不安もなかったし、これまでも4バックで練習し、試合の流れの中で3から4に変えたこともある。選手と話したが、4だとバランスが大きく崩れるからどうしてもできないということは出てこなかった。
と、4バックに不安も問題もなかったと認識しているようです。確かにこれまでも3から4への変更などもしてきていますが、あれはあくまでも「敵が疲れはじめ、スペースができ始めた時に前方に起点を増やす」という「シフトチェンジ」に選手が慣れて来ていたのであって、それらの時も4バックにした後にDF陣が混乱している様子は見うけられました。そしてさらに、「スタートからの4バック」は、それとは勝手が違い、中村が言うように「自分たちのサッカーを探している」状態になっていました。失点シーンは、特に2点目は「運」の要素が強いと思いますが、それを差し置いても、前回も紹介した選手の談話のように、「慣れない布陣」がチームをギクシャクさせたことは確かだと言えるでしょう。
3バックへの変更
そして、選手の意見「も」あり、3バックに戻すことをジーコ監督は選択したようです。これはこれで一つの選択であり、とりたてて非難することはしませんが、個人的には「えっ、戻しちゃうの?」という感じがあります(笑)。
私はこのニュースを聞く前、個人的には「イラン戦は内容は良かった、4バックは失敗ではなかった」と選手に信じさせ、それを継続することが監督としては重要ではないか、と考えていました。そうでないと、「やっぱりあれは失敗だったんだ」「あの時のあのプレーがダメだったんだ」「なんであんなこと(慣れない布陣の採用)をしたんだろう」「あの選手の起用が間違っているんだ」などという、「負のサイクル」に陥ってしまうような気がしたからです。
この辺はやはり非常に微妙な問題であり、どの監督でもナーバスになるところでしょう。実際ジーコ監督も、記者にそのあたりを聞かれ、
──3バックにしているが
ジーコ よく言われるがシステムで試合に勝てるなら、監督なんていらないのだ。今回は田中が出られなかったこと、中田ら欧州組が合流したことで、前をうまく使う形、この2点から考えたことで私は練習を見ている限り、不安もなかったし、これまでも4バックで練習し、試合の流れの中で3から4に変えたこともある。選手と話したが、4だとバランスが大きく崩れるからどうしてもできないということは出てこなかった。システムありきではない、あくまでも選手ありきだ。
とかなり熱を込めて答えています。ちなみに、この「田中が使えなかったから4バックにした」という発言について、ちょっと論議を読んでいるようですが、私はこれは、「選手に言われたから3バックにしたのではないか?」という批判をかわすための方便ではないかな、と感じています。こういう方便は多くの監督が弄するもの、あまり騒ぐにはあたらないでしょう。
確かに、次のホームバーレーン戦は本当に「負けられない戦い」となったわけで、ここで選手がやりやすい、慣れた布陣で戦うことは合理的でもあります。選手もそれを希望している以上、そちらを選ぶことは間違っていないでしょう。そして、そうすることで逆に、「この間の試合は、悪かったのは4バックであって、それはもう切り捨てた、忘れよう」と考えること、いわゆる「気持ちを切りかえる」ことが、そのフォーメーションの変更によってできる可能性もありますね。今はそちらに作用することを信じて、そして今まで自分たちが培って来たものを信じて、前に向かうしかないでしょう。
W杯予選は「メディアとの戦い」
もうすでにW杯は始まっています。1997年の予選の時も、まだまだ自力での突破がある時でも、その後、他力とは言え十分な突破の可能性が残っている時にも、「クビの皮いちまい!」とか「赤信号!」とか「絶望!」などなどと大騒ぎになり、それが選手たちのメンタルに悪影響を与え、自分たちで困難な戦いにしてしまった部分がありました。また1998年大会、2002年大会のどちらのワールドカップ期間中も、メディアの狂躁状態は凄いものであり、それがまた選手たちを試合に集中させられなくした部分もありました。ちょっといい過ぎであることを承知で言えば、W杯という事を考えた場合、「メディアは敵である」と言っても良いほどであると思います。
前任者は、W杯であるかどうかを問わず(笑)、メディアを敵に回してしまうタイプの監督でした。まあ欧州を見まわして見れば、そういうタイプの監督はけっこういますね。木村さんが書かれているように、スペインにおいても、「監督vsジャーナリスト」という対立は、常態であるようです。しかし、ジーコ監督はああいう人格者でもあり、平時はなんとかメディアと良好な関係を保とうと努力をしていましたね。そのこと自体は良いことと思います。
しかし、ワールドカップ予選が始まれば、別かもしれません。予選は国民の大きな大きな関心ごとであり、ちょっともらした選手や監督の何気ない一言が、スポーツ新聞の一面をでかでかと飾ってしまうような状態になります。彼らからすれば極めて「おいしい」この時期、選手や監督の一挙手一投足を、メディアは「騒ごう」「持ちあげよう」「叩こう」と虎視坦々と狙っています。この時期にあまりに不用意にメディアと付き合うのは、避けるべきでしょう。
ジーコ監督は、練習後の取材において、先発メンバーを聞き出そうとした記者に対して、非常に怒ったようすを見せたと言います。
ジーコ (非常に怒った様子で)それを聞かれるのは非常に心外だ。私は就任以来、一度も練習を非公開にしたことはない。みなさんは練習を見て、誰が先発なのか、いつでも判断できるはずだ。私は敵をあざむくには、まず味方から、そういったことをしたこともなければ、みなさん報道陣をあざむこうなんて思ったこともない。見た通り書いてもらえば、それがスタメンだということを、一度も変えたことはないだろう。
これは、「真剣勝負でわざわざスタメンを事前発表するような監督」というバッシングを受けることが予想されての答えではないでしょうか?しかし、実際にはジーコ監督は練習試合や紅白戦でのスタメンを隠しもせず、そのまま起用する監督です(そしてそのこと自体は間違いではない)。したがって「予想メンバー」を立てるのはたやすいはずです。しかし、メディアはそれでは満足しない。「ジーコ、先発メンバー明言!」という見出しが欲しいからです。
ジーコ監督が怒ったように、私たちはこの時期のメディアに躍らされないようにしなくてはなりません。イラン戦の敗戦で私は本当に落ちこみましたし、そのやり場を求めてしまいそうな衝動を押し留めるのに苦労しました(笑)。それにつけこもうとしているのがメディアです。加茂監督の時も、岡田監督の時も、トルシェ監督の時も、ジーコ監督の時も、ワールドカップ予選、本大会においては「メディアは敵」なのだと、サポーターであるわれわれももう一度肝に銘じておいた方が良いのではないでしょうか。
(報道陣への)監督のコメントを、選手はあまり聞かない方がいい。選手は選手のリズムでやればいい
というのは、以上のような文脈で聞くべき言葉であると、私は信じたいと思います。
イラン戦の反省、追加いくつか(フィジカルコンタクトと審判)
イラン戦について、私は「またあの主審が日本に不利な笛を吹いている!」という印象を持っていたのですが、何度かビデオを見なおして行くうちに、「これは彼なりに統一された基準があるのではないか」と思えて来ました。それは「足でのぶつかりあいは、ものすごく激しくてもノーファウル」逆に「手を使ったり、肩で後ろから押したりすると、どんなに小さくてもファウル、場合によってはイエロー」という基準です。考えて見ると、そういうジャッジが多かったと思いませんか?
思えばオフト監督、加茂監督の昔から、「日本選手はアジア基準のフィジカルコンタクトに弱く、それによってナーバスになり、試合を支配されてしまう」という弱点がありました。イラン戦では、ナーバスになることはなく、試合でも逞しくボール支配をして行くことはできていましたが、やはりコンタクトには「なんでファウルじゃないの?」という不満を審判に表明する選手もいましたし、また「これはファウルだろう」と選手が勝手に判断し足を止めてしまったことが、危機に結びついていた部分もありました(失点シーンで前線にいた選手たちもそうですね)。
これからもアジアとの厳しい戦いは続きます。対戦相手はもちろん、審判もアジア人、アジア基準でジャッジがなされます。アウェーの試合もあり、また、審判はどうも、「アジア最強の日本」に対して辛目に取ることが多いように感じます(これは私の主観ですが・笑)。
それでも、予選は絶対負けられない戦い(笑)です。もうこのコンタクト、それに対する審判基準を折り込んで戦うべきではないでしょうか。具体的には、こちらも足でのコンタクトはハードに、ゴール前では手は使わない、不利なジャッジにもいらだたない、そして、「これはファウルをもらえるだろう」という自己判断をしない(笛がなるまでプレーを続ける)ということですね。
同点後の意識のズレ
前回も書いた、同点後の「攻めるのか、守るのか」という点での意識のズレですが、これが失点シーンにも微妙に影を落としているな、と思えてきました。前回も書いたように、失点シーンの流れは「前方の柳沢にボールが入ったところ」から始まっています。この前、中村と小野が高い位置から敵に対してプレッシャーをかけに行き、奪えたボールを柳沢が拾おうとしていたのですね。この柳沢のポストに対して敵DFがファウルまがいにつぶして、それをマハダビキアにつないで、そこからカリミにスルーパス、というカタチが失点に至る流れです。
この時、小野は自分の奪ったボールが柳沢に納まり、そこから展開されると信じて前方に走り出しています。中村も同様ですね。二人の「攻めへの意識」がうかがえますね。それによって、マハダビキアと対峙した福西は、ハードにあたりに行くことができなくなっています。一発勝負に行って抜かれたらゴール前中央で数的不利になってしまいますからね。福西は距離を置いてディレイをすることしかできなかったわけです。小野が上がっていなければ、という点が一つあります。
また、この時に中央が数的不利になっていなければ、マハダビキアと対峙したのは小野であった可能性もあります。(その直前にマハダビキアからボールを奪ったのも小野)であれば、福西はもう少し下がり目にいることができ、カリミからクロスが上がった時点で中央加地のフォローに入っていることができました。実際にジーコジャパンでそういうシーンは何度か見たことがあります。ヘッドの強い福西があそこにいれば・・・。
以上のように、この失点シーンの前の段階での、中盤の選手の「前へ」の意識と、その割りに上がり切れず、コンパクトを維持できなかったDF陣の意識のズレが、マハダビキアから自由にパスをださせ、中澤の足に当たったボールがカリミの前に転がるという一つの不運で失点してしまう遠因になっていたということが言えるでしょう。今後は、監督の指示の出し方も、それを受けた選手の意識も、もっと試合の流れをよく見て、的確であることが望まれますね。
さあ、バーレーン戦!
バーレーン戦はホームですし、実力的にもこちらが上、さらにバーレーンは主力を3人欠いています。日本と違い人口67万人の小国で、選手層も薄いバーレーンにとって、この3人の欠場は痛いようです。敵の武器はカウンター、右サイドのM・フバイルの突破、クロスから、中央のアリが決める、というカタチですが、三都主とのマッチアップ、中央でのCB陣のしっかりしたポジショニングがポイントになるでしょうね。もちろん、敵は引き分け狙い、守ってからカウンターで来るでしょう。こちらは慣れた布陣に変えたことですし、3バックはアジアカップでカウンターともずいぶんと戦っています。十分に勝てるでしょう。是非いい準備をして、しっかりと結果を出して欲しいですね。
それではまた。
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
この記事へのトラックバック一覧です: もうワールドカップは始まっている:
» 【サッカーW杯予選】ジーコが作った「烏合の衆」の行方 from すちゃらかな日常 松岡美樹
イラン戦で引き分けられる試合を落とし、先が思いやられる我が日本代表である。私の感想をひとことでいえば、このチームの体質は以前と何ら変わってない。そして何年かけ... 続きを読む
受信: Mar 29, 2005, 11:19:47 PM
» 《 絶対に負けられないバーレーン戦は明日!》 from ★☆どんちゃんのプチギャンブラー☆★@WebryBlog
いよいよ明日となりました。
絶対に負けられない戦いが、明日埼玉スタジアムで行われます。 続きを読む
受信: Mar 30, 2005, 12:10:01 AM