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February 17, 2005
アジアカップ・スタイルと今後
どうにも更新が滞って申し訳ありません。本業の方の仕事が増えてきて、時間が取れなくなって来てしまったもので・・・。もうサッカー雑誌も発売になり、そちらで詳しい分析もされているようなので、いまさら私が書くこともないのですが、まあぼちぼちビデオを見直して気がついたことを書いていきたいと思います。
私は北朝鮮戦のジーコ監督のチーム・マネージメントはかなりロジカルなものだったと思っています。合宿で連携を作れ、コンディションも整えることのできた選手たちでチームを作り、それをピッチに送り込む。練習試合で好調を維持していた大黒をメンバーに入れておく。継続性重視のマネージメントでした。そして、長いこと試合に出ていない選手や、病気でコンディションを崩した選手、長時間移動の上に前日合流でコンディションや連携の整わない選手たちを、試合開始から無理して起用するということはありませんでした。1年前に比べると、実にまっとうになったと思います。
これを変化と捉えるか、「ジーコ監督は昔から同じことをしていたのだ」と捉えるかは、人によって違うでしょう。いずれにせよ、私は昨年2月のチーム・マネージメント上の「悪手」について、「ジーコ監督の『哲学』に起因するものであり、繰り返される可能性が高い」と、「オマーン戦の再現可能性」を指摘していたのですが、北朝鮮戦はマネジメント上はそうではありませんでした。私の不明であったと思います。願わくは、このような合理性が今後も続きますように。
また、ジーコ監督の「采配」も、今回はロジカルであり、かつ効果的であったと思います。スターティングメンバーの決定もそうでしたし、同点に追いつかれてから中村や高原といった「違い」を作り出せる選手を投入することもよかった。また、敵陣に押し込み、スペースがなくなったところで、技術が高く細かい局面で仕事のできる大黒が投入されたのも、効果的だったと思います。ロスタイムの得点は「運」の要素もありましたが、このような采配、メンタル面の刺激の妙によるものでもあったでしょう。
そうそう、もう一つ私の不明を恥じておかなければならないのは、「永井さん、おっしゃるとおりでした」というところですね。北朝鮮は、単独チームがベースなだけあって、よく連携の練られたチームでした。トップに入れるパス、それをダイレクトで落とす、それを受けて展開できる角度でMFがサポート、という動きが、かなり訓練されていて、前半の途中から後半同点にされるまで、日本は翻弄されてしまいましたね。確かに北朝鮮は組織的なチームであり、最後に個人能力に勝る日本が勝利を収めるという構図は、予言(笑)の通りでした。これも、今後、続くことを祈りたいと思います。
さて、私は、「アジア最終予選もアジアカップのやり方でいいのだ」と思っていました。具体的には、「カバーを重視する守備、個人能力、セットプレー、そして落ち着き」といったアジアカップを制した武器のことですね。それらがあれば、アジアの(少なくとも)トップ4に入ることは、確実に可能だと思っていたのです。
しかし、興味深いことに、ドイツ戦の反省から小笠原を中心とした選手たちは、プレスの再整備、守備の再整備といったものを始めたように見えました。それがカザフ戦、シリア戦と効果を上げ、そのままの勢いで北朝鮮戦もスタートすることができ、ピッチの上に見て取れたように、前線から敵DFに対してプレッシャーをかけていきましたね。それが、敵DFのパスミスを誘い、三都主へのファウル、そこからの小笠原のFKで得点へとつながっていきます。これは「ニューバージョンの日本代表」になっていくのかな、とそのときは思いました。
しかし、1点取ったことで日本選手がセーフティ志向になったこと、ボランチがしっかりと当たるタイプの選手ではなく、ボールホルダーを「見て」しまうタイプの選手(特に福西)だったこと、北朝鮮のダイレクトを織り交ぜたパス回しが予想以上によかったこと、またガツガツとした北朝鮮の削りに、精神的にも受身に回ってしまったこと、それらによって、特にボランチが小笠原を追い越していくような(シリア戦ではできていた)動きが激減したこと、そうなるとパスの選択肢が減り、敵にパスコースを読まれてインターセプトされてしまったこと、などなどによって、前半の途中から日本は敵にペースを握られてしまいます(前半15分目以降30分まで、日本はシュートゼロなんですね)。
カザフ戦、シリア戦のような「敵がこちらを研究してこない」親善試合ではできることも、このようにみっちりと研究される真剣勝負の舞台ではできなくなってしまう。さらには、重要な最終予選だという意識も動きの重さに影響していましたね。残念ながら「ニューバージョン」は姿を消し、下がっていくDFラインと、それに同調するようにしてどんどん下がり、ほとんどDFラインに吸収されるようなボランチ、という状態になってしまいました。まるでアジアカップ・ヨルダン戦の再現フィルムを見ているようでした。
やはり、1stプレスとセカンドプレスの役割分担、ポジショニングがしっかりとできていないこと、DFラインとボランチが「アプローチ&カバー」の関係を築けず、どんどん下がって敵にスペースを明け渡してしまっていること、前線は前からプレスしようとして、フィールドがなんとも間延びしてしまっていること、など、ジーコジャパンで常に指摘されてきた問題点が、かなり長期の合宿で連携を高めた後でも、メンタル面の不備もあり、表面化してしまったわけですね。
ジーコジャパンで一番大切なのは、「そういうときでもあわてないメンタリティ」であるかもしれません。現チームは今年の親善試合を通じて、「いいサッカー」を構築しようとしてきたわけですが、北朝鮮戦でその流れがうまく行かなくなると、ややあせりが生まれていたように見えました。しかし、失点後投入された中村と高原は(敵が1点取った後それまでの激しいチェックをしなくなったこともあり)、流れを変えることに成功しました。そこから個人技を生かして落ち着いて攻撃を再構築し、最後の得点につなげたのですね。
このような「苦戦」は、これからも続くのではないかと思います。小野や稲本が復帰すれば、チェコ戦やイングランド戦のような試合をできるかもしれませんが、中盤の守備組織の未整備、下がっていくDFラインなどの点はなかなか変わらないでしょう。そうすると敵に中盤を支配されやすくなる。もちろん最後の局面では、中澤や宮本がいますからそうやすやすとは失点しないでしょうが、試合全体としては「苦戦」の印象が強いものになるのではないか、と思います。
そういう状態でも勝って行くためには、やはりアジアカップでの強み、「カバーを重視する守備、個人能力、セットプレー、そして落ち着き」を重視し、それを十分に発揮していくように考えた方が、ドイツへの道を考えた時には、よりロジカルといえるのかもしれません。そして、「それでW杯での結果を期待できるのか」ということに関しては、これは日本サッカー界全体がよく注視し、見極めていく必要があるのでしょうね。
私は、ジーコ監督の美点、ジーコジャパンのよいところもあることを認めつつ、もう少し中盤での守備や攻撃の連動性を高めるためには、実は「要副官論」を唱えた方がよいのではないかな、という気がしてきています。
それではまた。
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