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February 26, 2005ジーコ監督に副官を!
やっと、北朝鮮戦を埼玉スタジアムでホームビデオに友人が取ってきてくれたものを借りて、見ることができました。
TV観戦も選手の表情などが見えて好きなのですが、やはりボールのあるところを中心に映すので、DFラインの動きや、ボールが中盤にある時のFWの動き出しなどが、わかりづらい部分があります。こうやってスタジアムの高いところから見ると、それらがよく分かりますね。
そうして見ると、TV観戦での感想を補強するようなことがけっこう分かりました。まず、宮本の指揮するDFラインが、昨年のドイツ戦での反省を受けてか、試合スタート時にはかなり高目に位置するようになっていたこと。これによって、序盤の日本の前線からのプレスは「後押し」をされていたんですね。そうでないと、前線が追いまわしてもその後ろが間延びしてしまい、上手くいかなくなってしまうのです。
これが意味するのは、宮本がジーコに進言したというアウェーオマーン戦での「引いて守るやり方」は、中澤が「この試合だけだから」というように、かならずしも選手たちも本意とするものではなかったということでしょう。アウェーオマーン戦直前での市原ユースとの練習試合で高めからプレスをかけようとして上手くいかなかったこと、引き分けでも通過できるという状況だったこと、などから「現実的」に1次予選通過のために採用したものだった。しかし、日本のサッカーとしては前線からプレスをかけ、高めでコンパクトを形成するものだと、彼らも思っているということの顕われでしょうね。
しかし、前半に何回か、北朝鮮にダイレクトでパスをまわされ、遠藤、福西のボランチ陣がそれを捕まえられず、日本のDFラインが脅かされるシーンが出てくると、3バックはかなり早めに下がってしまうようになります。具体的には、敵がボールを奪った瞬間ぐらいに下がってしまう。アジアカップ・スタイルそのままに回帰したわけですね。そしてボランチも、敵のダイレクトのパス交換を捕まえられないために、DFラインと同調して下がってしまい、さらに敵のパスまわしを楽にするという悪循環がうまれていました。1次予選やアジアカップではボランチの後ろにできていたスペース(図1)、この試合ではボランチの「前」にできていたということですね(図2)。これが、前半の途中から日本の失点まで、北朝鮮にペースを明け渡す原因の一つとなっていました。
これは一つには、遠藤と福西の「タイプ」によるところがあるでしょう。どちらも、バランスを取る能力はあるものの、「ボールを持ってから仕事をする」という、ボールプレイヤーの側面を多く持つ選手です。ジーコ監督は基本的にそういう選手を重用しますね。運動量が多く、目立たないところできっちりを仕事をできるタイプや、中盤でのボール奪取能力の高い選手はJリーグにもいるのですが、あまり代表には選ばれていない。ボールプレイヤータイプを重ねて、さらにDFラインに「セーフティーに」という指示がずうっと出ていて、その上に初戦の重圧があり、敵がなかなか連携を練っていると、どうなるのか。
北朝鮮戦の分析をしたNumber622号、戸塚啓氏の文章に興味深い一節があります。
ハーフタイムを迎えて、宮本恒靖は遠藤に「ラインがちょっと低いか?」と確認している。「そういうときもある」という答えを受け、宮本は前半よりも高めにラインを設定しようとした。受身ではない前向きな姿勢の表れである。
やはり、前半に何度かラインが低くなってしまったこと。それによって中盤との連携に難を生んでいたことは、選手たちにも自覚されていたのですね。
しかし、ジーコジャパンでラインを高くするためには、遠藤、福西の部分が、「一人が当たり、一人がカバーする」などのプレーができていないと難しいです。敵のパス交換が中盤をスイスイ通り過ぎて行くような状態でDFラインだけをあげても、試合のペースを取り戻すことにはならない。後半は上げようと意図が生まれながら、それがなかなか機能しないうちに、さらにアグレッシブに、ファウルすれすれのラフチャージを仕掛けてくるようになった北朝鮮に精神的にも押され、完全に流れを持っていかれてしまいます。
これは、いわゆる「初戦の重圧」によるものであり、かつ、日本代表特有の「ホーム・ディスアドバンテージ(ホームの不利益)」によるものでもあったでしょう。「大きな戦いの初戦」は常に最も緊張するもの、監督、選手は十分な自覚を持ち、準備することが必要です。アテネ五輪、2002年のベルギー戦を見てもそれはわかるでしょう。そして、宮本とジェレミーさんの言うように、日本代表はホームでは「勝たなくては」「点を取らなくては」「いい試合をしなくては」という意識からか、むしろ固くなり、よくない試合をしてしまうことが多い。この両者が、北朝鮮戦の試合内容に影を濃く落としていたのは間違いないと思います。
しかし、それだけでもない。やはり中盤でのプレスが整備されていないこと、ファーストプレスとセカンドプレスの関係、それぞれのポジショニング、攻めている時の守備のバランス、ポジショニング、それらを後ろからささえるDFラインの位置、安定性など、ジーコジャパンでまだ問題を残している点は多々あります。「ボールの取りどころが定まっていない」「日本らしい高い位置で奪うサッカーができていない」・・・これらを選手たちが反省点として口にする状況は、ずうーーっと変わっていません。そして合宿を重ねたあとの北朝鮮戦を見ても同じような問題が噴出する点を見ると、これらに関しては、ジーコ監督ではこれ以上の向上は難しいのではないかと思えます。
昨年、私はジーコ監督を解任して、新しい監督に日本代表を指揮して欲しいと思っていました。それはその時なら「まだ間に合った」からです。しかし今はもう、仮にイラン戦やバーレーン戦によい結果が得られなかったとして(もちろん、そうはならないことを信じていますが)、ジーコ監督を解任しても、後任の監督がチーム作りをする時間はない。それはあまりにもリスキーです。ですから私は今では、ジーコ監督を解任せねばならないような状況になることをまったく望んでいませんし、仮に何かが上手く行かなくなったとしても、これから監督を交代することのリスクを考えると、可能な限りそうするべきではないと思います。
と同時に、このように中盤の守備に問題がある状況は、やはり改善するべきと思います。前回も書いたように、アジア予選を通過するだけなら、もっとラインを下げて守るやり方でもいいでしょう。私は半分くらいそれで行くべきだと思っています。しかし、選手たちの意識は、今はその方向で統一できてはいない。前線はプレスしようとし、DFラインやボランチは上げようという意図を持ちながら、「本能的に」(?)リスクをおそれ下がってしまう。これはあまりよい事ではありません。
もうジーコ監督で行くしかない。しかし、ジーコ監督(およびそのスタッフ)には、長所もあれば欠点もある。欠点を補うためには、協会もそろそろ本格的に「副官」を置くことを考えるべきだと思います。もともと山本氏がおり、アテネ後は復帰が基本路線だったわけですし、そもそもコーチのいない代表というもの自体、ここしばらくでは珍しいことなのですから。オフト氏に清雲コーチ、加茂氏に岡田コーチ、トルシェにサミア、山本コーチがいたように。そしてそのコーチは、ジーコ監督の考え方を理解でき、その上でプレッシングやDFラインの指導が上手くできる人であるべきですね。
そう考えると、ジーコを理解する知性、代表監督の難しさを知っていること、そしてプレッシングやDFラインの指導については現在Jリーグ一であると思われることなどなど、一番いいのは岡田さんですねえ。もちろんマリノスに悪いので、「岡ちゃんを副官に!」とは私は言いませんよ(笑)。言いませんが、彼が理想に近いことも確かですね。誰かいないでしょうか、「岡田さんみたいな人」(笑)。
ジーコ監督に副官を!J-NETでずっと出ていた議論で、私は反対だったのですが、現状から考えるとそれがベストのように思います。
それではまた。
09:25 PM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (2) |
February 17, 2005アジアカップ・スタイルと今後
どうにも更新が滞って申し訳ありません。本業の方の仕事が増えてきて、時間が取れなくなって来てしまったもので・・・。もうサッカー雑誌も発売になり、そちらで詳しい分析もされているようなので、いまさら私が書くこともないのですが、まあぼちぼちビデオを見直して気がついたことを書いていきたいと思います。
私は北朝鮮戦のジーコ監督のチーム・マネージメントはかなりロジカルなものだったと思っています。合宿で連携を作れ、コンディションも整えることのできた選手たちでチームを作り、それをピッチに送り込む。練習試合で好調を維持していた大黒をメンバーに入れておく。継続性重視のマネージメントでした。そして、長いこと試合に出ていない選手や、病気でコンディションを崩した選手、長時間移動の上に前日合流でコンディションや連携の整わない選手たちを、試合開始から無理して起用するということはありませんでした。1年前に比べると、実にまっとうになったと思います。
これを変化と捉えるか、「ジーコ監督は昔から同じことをしていたのだ」と捉えるかは、人によって違うでしょう。いずれにせよ、私は昨年2月のチーム・マネージメント上の「悪手」について、「ジーコ監督の『哲学』に起因するものであり、繰り返される可能性が高い」と、「オマーン戦の再現可能性」を指摘していたのですが、北朝鮮戦はマネジメント上はそうではありませんでした。私の不明であったと思います。願わくは、このような合理性が今後も続きますように。
また、ジーコ監督の「采配」も、今回はロジカルであり、かつ効果的であったと思います。スターティングメンバーの決定もそうでしたし、同点に追いつかれてから中村や高原といった「違い」を作り出せる選手を投入することもよかった。また、敵陣に押し込み、スペースがなくなったところで、技術が高く細かい局面で仕事のできる大黒が投入されたのも、効果的だったと思います。ロスタイムの得点は「運」の要素もありましたが、このような采配、メンタル面の刺激の妙によるものでもあったでしょう。
そうそう、もう一つ私の不明を恥じておかなければならないのは、「永井さん、おっしゃるとおりでした」というところですね。北朝鮮は、単独チームがベースなだけあって、よく連携の練られたチームでした。トップに入れるパス、それをダイレクトで落とす、それを受けて展開できる角度でMFがサポート、という動きが、かなり訓練されていて、前半の途中から後半同点にされるまで、日本は翻弄されてしまいましたね。確かに北朝鮮は組織的なチームであり、最後に個人能力に勝る日本が勝利を収めるという構図は、予言(笑)の通りでした。これも、今後、続くことを祈りたいと思います。
さて、私は、「アジア最終予選もアジアカップのやり方でいいのだ」と思っていました。具体的には、「カバーを重視する守備、個人能力、セットプレー、そして落ち着き」といったアジアカップを制した武器のことですね。それらがあれば、アジアの(少なくとも)トップ4に入ることは、確実に可能だと思っていたのです。
しかし、興味深いことに、ドイツ戦の反省から小笠原を中心とした選手たちは、プレスの再整備、守備の再整備といったものを始めたように見えました。それがカザフ戦、シリア戦と効果を上げ、そのままの勢いで北朝鮮戦もスタートすることができ、ピッチの上に見て取れたように、前線から敵DFに対してプレッシャーをかけていきましたね。それが、敵DFのパスミスを誘い、三都主へのファウル、そこからの小笠原のFKで得点へとつながっていきます。これは「ニューバージョンの日本代表」になっていくのかな、とそのときは思いました。
しかし、1点取ったことで日本選手がセーフティ志向になったこと、ボランチがしっかりと当たるタイプの選手ではなく、ボールホルダーを「見て」しまうタイプの選手(特に福西)だったこと、北朝鮮のダイレクトを織り交ぜたパス回しが予想以上によかったこと、またガツガツとした北朝鮮の削りに、精神的にも受身に回ってしまったこと、それらによって、特にボランチが小笠原を追い越していくような(シリア戦ではできていた)動きが激減したこと、そうなるとパスの選択肢が減り、敵にパスコースを読まれてインターセプトされてしまったこと、などなどによって、前半の途中から日本は敵にペースを握られてしまいます(前半15分目以降30分まで、日本はシュートゼロなんですね)。
カザフ戦、シリア戦のような「敵がこちらを研究してこない」親善試合ではできることも、このようにみっちりと研究される真剣勝負の舞台ではできなくなってしまう。さらには、重要な最終予選だという意識も動きの重さに影響していましたね。残念ながら「ニューバージョン」は姿を消し、下がっていくDFラインと、それに同調するようにしてどんどん下がり、ほとんどDFラインに吸収されるようなボランチ、という状態になってしまいました。まるでアジアカップ・ヨルダン戦の再現フィルムを見ているようでした。
やはり、1stプレスとセカンドプレスの役割分担、ポジショニングがしっかりとできていないこと、DFラインとボランチが「アプローチ&カバー」の関係を築けず、どんどん下がって敵にスペースを明け渡してしまっていること、前線は前からプレスしようとして、フィールドがなんとも間延びしてしまっていること、など、ジーコジャパンで常に指摘されてきた問題点が、かなり長期の合宿で連携を高めた後でも、メンタル面の不備もあり、表面化してしまったわけですね。
ジーコジャパンで一番大切なのは、「そういうときでもあわてないメンタリティ」であるかもしれません。現チームは今年の親善試合を通じて、「いいサッカー」を構築しようとしてきたわけですが、北朝鮮戦でその流れがうまく行かなくなると、ややあせりが生まれていたように見えました。しかし、失点後投入された中村と高原は(敵が1点取った後それまでの激しいチェックをしなくなったこともあり)、流れを変えることに成功しました。そこから個人技を生かして落ち着いて攻撃を再構築し、最後の得点につなげたのですね。
このような「苦戦」は、これからも続くのではないかと思います。小野や稲本が復帰すれば、チェコ戦やイングランド戦のような試合をできるかもしれませんが、中盤の守備組織の未整備、下がっていくDFラインなどの点はなかなか変わらないでしょう。そうすると敵に中盤を支配されやすくなる。もちろん最後の局面では、中澤や宮本がいますからそうやすやすとは失点しないでしょうが、試合全体としては「苦戦」の印象が強いものになるのではないか、と思います。
そういう状態でも勝って行くためには、やはりアジアカップでの強み、「カバーを重視する守備、個人能力、セットプレー、そして落ち着き」を重視し、それを十分に発揮していくように考えた方が、ドイツへの道を考えた時には、よりロジカルといえるのかもしれません。そして、「それでW杯での結果を期待できるのか」ということに関しては、これは日本サッカー界全体がよく注視し、見極めていく必要があるのでしょうね。
私は、ジーコ監督の美点、ジーコジャパンのよいところもあることを認めつつ、もう少し中盤での守備や攻撃の連動性を高めるためには、実は「要副官論」を唱えた方がよいのではないかな、という気がしてきています。
それではまた。
02:53 AM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) |
February 10, 2005大黒、ありがとう!
いやー・・・・・・。
もう、勝ち点3とれたことがとにかくうれしいです。TVの前で叫んでしばらくは仕事になりませんでした。大黒、ありがとう。大黒に落とした福西、ありがとう。クロスをあげた小笠原、ありがとう!
今日の問題は両ボランチにありましたね。下がって行く3バックの前のバイタルエリアを埋めようという意識が強過ぎ、ボランチ二人もどんどん下がって行ってしまう。以前はボランチと3バックの間にできていたスペースが、今度はボランチの前に出来てしまう。そこを北朝鮮に自由に使われていました。
攻撃面では、フリーランニングのなさがまた際立ってしまいました。特に前半の先制後は酷く、リスクチャレンジがないためにパスの出しどころがなく、停滞したパスまわしから奪われるという悪循環。かなり長く北朝鮮の時間帯を作られてしまいましたね。
これは北朝鮮の非常に激しい球際のプレー、あるいはアフターチャージといったものに気押された部分、それをとってくれない(日本に不利な判定が多すぎませんでしたか・怒!)審判に不信感を持った部分、そしてやはり、最終予選初戦の緊張感に動けなくなってしまった部分、などなどからくるものでしょう。もちろん、共通意識の分での問題が根深いこともその一因ではありますが。
とは言え、同点に追いつかれてからは攻撃にかかるようになって、かつ北朝鮮のスタミナも切れてからは、日本がボールを支配して攻勢を強めました。4バックにしたこと、中村と小笠原が共存したこともよく作用しましたね。そして、最後は大黒!彼の素晴らしいボールのない時の動き、動いている時の体勢の良さ、そして高いシュート技術が、あの瞬間に凝縮されていました。昨年の日本人得点王は伊達じゃないですね。
ともかく、これで最終予選突破に、ものすごく大きく前進したと思います。イランvsバーレーンは0-0の引き分け。日本は現時点グループ首位です。これは本当に良い結果でしょう。今日は全力を尽くして戦った選手、スタッフたちに、お疲れさまと言いたいです。ゆっくりと休んでください。
本当によかった。まだ安堵で半分壊れています(笑)。はああああ。
ちょっと感情的なエントリーですみません。またビデオを見なおして詳しく書きますね。
それではまた。
04:40 AM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (11) |
February 08, 2005決戦前夜2005
もう明日はドイツワールドカップアジア最終予選初戦、北朝鮮戦ですね。エルゲラさんも書かれていますが、またあの、腹が底から沁み透るような、決戦の日々が始まるのですね。
昨年の2月、埼玉スタジアムへ向かう道すがら、私は足の裏がふわふわしたような、腹の底当たりに何か冷たいものが沸いてきているような、そんな感覚にとらわれて驚きました。それが97年の最終予選の試合のたびに、あるいは02W杯ベルギー戦のスタジアムで、あるいは98W杯アルゼンチン戦のスタジアムで感じたものと同じだったと気がついたのは、試合が終わってしばらくしてからのことでした。
あれが、某テレビ局ではありませんが「負けることが絶対許されない、真剣勝負の大舞台」での緊張感というものだったのですね。特に初戦は、どんなにそういう舞台に慣れている選手でも緊張するといいます。観戦者が緊張してもどうにもならないのですが(笑)、それでもそういったゲームでは、サポ席も普段と違い、堅くなっていたような、またはそれを振り払うかのように声を張り上げてるような、そういう状態でしたね。
あの日々がまた始まるのですね。私は今回のワールドカップ予選はきっと突破できるものと、固く信じていますが、それでも対戦相手が日本を研究し、必死に立ちふさがってくる予選は、何があるかわかりません。今回は外せない仕事でスタジアムに行かれないのですが、スタジアムに集う、サポーターの皆さんには、97年の予選の時のような一体感のある応援をして欲しいですね。そして私たちも、TVの前から選手に魂を届けたいと思います。
ところで、何しろ相手が北朝鮮ということで、もういろいろな記事(1)・(2)が出ていますが、私は、
「スポーツとナショナリズムが密接に関係するのは仕方がない部分もある」
「しかし、政治問題をスポーツに持ち込むのは、止めて欲しい」
「また、世界的に敬意を払うことが一般的である国旗、国歌に対しては、北朝鮮のそれであっても敬意を払おう」
「それ以外の時間は、一つ一つのプレーに全力で、日本を勝たせるためのブーイングをしよう」
と思っています。もう時間がないので一つ一つ詳しくは掘り下げませんが、いちばんのポイントは
「国歌が流れている時のブーイングは止めよう」
「政治問題に絡めたダンマクや野次は止めよう」
「プレーに対しては、盛大なブーイングをしよう」
ということですね。特に最後のものが、対戦国に対する最大の敬意だと私は思います。まあ日本のゴール裏サポーターのことですから、そんなことは私なんかが言わなくても重々承知の方ばかりだと思いますけど・・・。
さて、ジーコ監督が中村、高原選手の先発起用がないことを言明した件についてですが、私は特に問題とは思いません。まあ、本当は練習を見てコンディションをチェックしてから起用を考えればいいのにとは思わなくもありませんが、ジーコ監督はもともとそういうことをするタイプではない。
あらかじめ自分の中で先発メンバーを決めて、彼らに対する信頼を全力で表明する。それによって彼らの「信頼にこたえよう」というパワーを最大限引き出す、というやり方。「家族観マネージメント」。したがって、この時期に先発を考えていてもなにも不思議はないです。そしてそういう状態ですから、聞かれれば答えてしまう。これもいつもどおりですね。
ちなみに高原選手の「先発でなければ帰りたくない」は、ジーコ監督のこの発言を受けてのことでは「ない」ですね。2得点した試合の後のことですから「それぐらい状態はいい、意気込みもある」と言っているだけだと思います。それをジーコ発言を「受けて」のもののように書くやり方がいやらしい(笑)。
「これでは海外組のモチベーションが下がる」という声もありますが、それは1年前(の国内組)もアジアカップでも同じことですね。サブに回る選手は、事前にサブと決まっている。それでも腐らずにチームに貢献しなくてはならない、と言うのがジーコジャパンです。2月のオマーン戦ではそれに失敗した。そして、雰囲気のいい「家族」になってきた今ならば、国内組がサブの場合は、それができているわけです。
今回は中村や高原もまた「家族」の一員になっているはず。彼らの発言がまた大きく取り上げられていますが、それもスポーツ新聞が騒いでいるだけで、ジーコ監督と目を見て話せば問題なく納得できることと思いますよ。そして、これは結果的には、スタメン予定の選手たちを振るい立たせる強烈な「信頼の証」になったはずです。彼らのパフォーマンスに期待したいですね。
最後に、いつも前向きな中澤選手の発言。
(ジーコが国内組をスタメンにすると言ったが)うれしいです。国内組はみんなモチベーションが高い。宮崎合宿からみな頑張っている。昨年から見ても気持ちの上でとても充実している。今のチームの状況は、みんないつもリラックスしている。特に力が入っている選手はいない。明日からどう変わるか分からないが、うまくコントロールしていきたい。自分自身もあまり深刻になるのは好きじゃないので、ワイワイやろうと努めている。国内組で作った雰囲気を海外組に違和感なく伝えられればいい。
今の国内組はアジアカップやキリンカップで苦しい戦いをこなしているので、プレッシャーには負けないと思う。このメンバーでやれる期待が大きい。相手がどこだろうと、勝ち点3を取る。
ものすごく雰囲気がよさそうですね。とても頼もしいです。この「家族」としての力を結晶し、油断せず、引き締めて、明日は是非勝ち点3を上げて欲しいと思います。
それではまた。
12:00 AM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (6) |
February 04, 2005北朝鮮戦のメンバーと「家族」
シリア戦については、友人とわいわい観戦モードでしたので、感想はまた後日に書きます。まあ、シリアはカザフスタンよりも、細かいところが少しずつ上手く、北朝鮮戦に向けて負荷をかけていてコンディションが底である日本は、序盤ちょっと苦労しましたね。しかし、サイドからのクロスというパターンを徹底し、そこから点が取れたのがポジティブです。後はこれを北朝鮮戦に向けて微調整して行ってほしいですね。
さて、それを受けて北朝鮮戦に向けてのメンバー24名が発表になりました。ここからさらに6人が絞られ、実際の1次予選には18人で臨むことになります。いよいよ最終予選の実感がわいてきましたね。
ここでなんといっても興味深い、話題を呼ぶのは、海外在籍選手からは今回は2人しか召集を受けていない、ということでしょう。ジーコ監督は、カザフスタンとの試合後に
ただ、昨年と違って、帰国した選手のコンディションや、実際に試合に出て貢献できるのか、活躍できるのかという部分をよりシビアに判断したい。試合勘などの問題も含めて、パフォーマンスに影響がないと思われる選手を選んでいきたい。
シリア戦後には、
海外組から誰を呼ぶかについては、もう少し考えるが、基本的にいえることは、今のこのグループを次の試合にもう少し残したいと考えている。それにプラスして、誰が来るかということだが、できれば今日のスタメン+ベンチを最初の試合(北朝鮮戦)にぶつけてみたいという気持ちはある。
と語っていて、この言葉を有言実行した形になったわけです。よいことだと思います。
「ジーコ監督の強化法は、選手間の話し合いや、試合でできるコンビネーションに負うところ大であり、集まってから機能するまで、ある程度の期間を必要とする」と私は思っています。従って、「合宿で連携を作れる国内在籍選手」に、どうしても直前合流となってしまう海外在籍選手のうち、コンディションのよい選手を「全員ではなく」何人か組み合わせる程度で試合をすべきだ、というのが私の昨年のオマーン戦以来の主張でした。当初は、おそらくジーコ監督も国内組のプレーに不満があったのでしょう。どうしても戻ってきたての海外組を主軸に据えていましたが、チェコ戦あたりからそれが変わり、アジアカップで大きく信頼を増し、そしてここに来て、ついにこのような変化が起こったわけです。
小野は怪我からようやく練習を始めた程度、ヒデはプレーを始めましたが調子は上がっていない状態です。しかし、大久保も(怪我があるとはいえ)、ヤナギも、稲本も試合に出ていて、出れば活躍しています。去年のオマーン戦でも、怪我で長いこと試合から離れていた選手や、ベンチを暖めることの多かった選手がいましたが、全員が招集され、ピッチに立ったのと比べると、かなりの変化を感じます。
ところで、尊敬する宇都宮徹壱さんが、「絶対的な父性」としてのジーコというコラムを書かれています。この中には、北朝鮮戦のスターティングメンバーに稲本を書き入れていたり、ジーコのシリア戦後のコメントを「リップサービス」としたり、「外した」(笑)ところもあるのですが、そんな枝葉末節はともかくとして、全体の趣旨は大いに同感できるものでした。
宇都宮さんはジーコジャパンの特徴を
意外にも今の代表は、日本の伝統的な家制度における「ファミリー」に近い、というのが私の分析である。そして、その「ファミリー」を支えているのが、ジーコの絶対的な父性、なのである。
とします。このような「家族観マネージメント」は、J-NETやJ-KETでも何度か話題になっていたことですが、私も当を得ていると思います。ジーコは昨年の終わりになってよく「サブの選手は列の後ろに並ばなくてはならない」という趣旨のことをインタビューで語っていましたが、そのようなヒエラルキーを作ること、それによって選手起用を決めていくことが、ジーコジャパンの大きな特徴でした。そして、その列の順番は当然、「家父長」であるジーコ監督が決めるものであるわけですね。
思えば、2004年とは、私たちサポや、メディア、そして選手たち自身もその「家族観マネージメント」に慣れていく過程だったのではないでしょうか。
ジーコ監督はその独自のヒエラルキーによって、昨年は海外所属の選手たちを直前合流にもかかわらず強硬に起用、それがチーム全体を戦う集団とはいえないものにしているような状態が発生しました(オマーン戦、シンガポール戦)。(いわゆるキャバクラ事件はそれとは関係ないもの、単なる規律違反事件と私は捉えていますが)
またかよ、っていうのは正直なところみんな感じてる。なにをか作ろうと思っても、次にはまたイチからやり直しってこともある。でも与えられた中で最大限やるしかないし、それが代表選手ってもんでしょ、下を向いていても仕方ないから。(サッカーダイジェスト5・25日号「ある選手の弁」)
今の代表チームでは、サブの選手に厳しいことを言うのは良くないと思うんです。ジーコはレギュラー以外のことをほとんど考えていないように見える。控えは完全な紅白戦要員で、チャンスがないんです。で、そこにコンディションの悪い海外組がやってきて、厳しいことを言われるとそれはちょっと違うんじゃないかと感じる。自分も最初はサブ要員だったから良くわかる。(NUMBER2005年1・13日号、中澤談話)
これがオマーン戦、シンガポール戦の苦戦のひとつの原因であったことは、間違いないものと私には思われます。
それが変質した(ように見えた)のが、4-5月の東欧遠征でした。ハンガリー戦で久保と玉田の組み合わせで試合内容が良かったことを受けて、海外組が合流しても彼ら二人の組み合わせが紅白戦のレギュラー組に入る。ジーコ監督のこのようなアクションにより、宿舎では国内組が率先して動き回り、選手間で話し合い、約束事を作っていったといいます(前出サッカーダイジェスト5・25日号)。
しかし、アジアカップでは、再びジーコ監督の「ヒエラルキーによるスタメン固定」がクローズアップして表面化したように見えました。グループリーグ突破が決まったにもかかわらず、イラン戦でも同じメンバーをピッチに送り込む。連戦の疲労を考慮しないそのやり方は、いかにも不合理であるように思われました。
しかし、アジアカップでは2月の試合とは条件が変わっていました。それは
1)サブの選手の心構えの変化 2)ジーコ監督が選手を大事にしていることが浸透してきた 3)中国という超アウェーの環境 |
という要因によるものだったと思います。選手は口々に「藤田や三浦淳に助けられた」「サブの選手が気配りをしてくれた」と語ります。彼らの行動で、チームは次第に一つとなり、2月のオマーン戦時とは違ったものを見せ始めていました。中田浩二選手は
メンバーを固定して戦うのがジーコのやり方だから、選手はそれに慣れなければならない。(Sportiva 2005年2月号)
と、「家族観マネージメント」「ヒエラルキー主義」を選手が理解し、それに慣れていく必要があると語っています。また、同誌では
選手全員に気を使っているんです。一人一人に声をかける、ということはしないけど、選手を大切にしているな、ということはすごく伝わってくる。だからこそ、選手は結果を出して、ジーコに返さなければいけない。(藤田)
というような、2)のジーコ監督のマネジメントスタイルも選手に理解されてきたことを示す談話も多く紹介されています。この辺は、ブラジル代表テクニカルコーディネーター時代にも発揮された、ジーコ監督のはっきりとした美点でしょうね。
そして、ここからは想像なのですが、このような「家族観マネージメント」が最も力を発揮するのは、実は「家族が危機に瀕したとき」なのではないでしょうか。「家族」は、普段はそれほどでもないですが、その集団が脅かされた時には団結し、自らを守るために非常に強い力を出す。それが現れたのが、あの超アウェーのアジアカップであり、その中で何度も見せた底力、そして現在に至る勝負強さなのではないかと思います。
日本に対する風当たりが強かったから、それを全員で吹き飛ばしてやろうという気持ち、それがチームのまとまりにつながったのかもしれません。(前出Sportiva 楢崎)
さて、今回さらに「次男坊」や「三男坊」に対する信頼も高まってきたことが示されました。家族としてもまとまりも出てきて、もはや昨年のようなことはないでしょう。最終予選はけして楽な道ではないでしょうけれども、「家族」としてのジーコジャパンなら、逆境でこそ真価を発揮してくれることと期待したいと思います。
それではまた。
12:04 AM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (2) |