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December 20, 2004
目を向ける高さ
ドイツ戦において大変残念だったのが、日本が中盤で完全に劣勢に立っていたことです。そして、格上と戦うときの日本の生命線と考えられたプレッシングも、機能していませんでした。なぜこのようなことが起こったのでしょう。
それを考えようとした時、脳裏に一つの言葉が浮かびました。
若い、技術のある選手を、戦う戦士にしたこと
これは、日本サッカー協会の岡野前会長が、当時のトルシェ監督のどこを評価するか、と言われて答えたことです。てっきり戦術とかコンセプトとかモダンサッカーとか、そういう言葉が出てくるものと思っていた自分は少し意外に思い、そしてしばらくしてから深く得心したものでした。
就任当初から、前監督はメンタル面の強さの必要を説いていましたが、同時に「フィジカル・コンタクトを避けるな」ということも言い続けていましたね。練習では監督自らが選手に体当たりし、まるで格闘のようにフィジカル・コンタクトへの耐性、積極的な姿勢を身につけさせていきました。
フィジカル・コンタクトというと、日本人には苦手なものという意識が強く、体格差があってはそれは仕方がないものと受け止められてきました。しかし、中田英寿選手が欧州に渡ってセリエAにいるオランダやスウェーデンの大男(笑)たちと互角に遣り合っているのを見て、少し認識を改める必要が出てきました。それは「フィジカル・コンタクトも技術」なのだということ、そしてそれは意識やトレーニング、慣れなどによって改善できることだ、ということです。
実際、(トルシェ監督自身が敗因をフィジカルに求めてしまった)サンドニの後、その反省もあって、日本はフィジカル・コンタクトを避けない、深く体を入れ、最後の瞬間まで体を張るプレスを身につけました。そして迎えたコンフェデレーションズカップ、日本は以前よりもコンパクトを徹底したDFラインに加え、ハードなフィジカルコンタクトを含むプレスで、あの身体能力の高いカメルーンにも互角に戦い、決勝以外無失点で終わることができましたね。
それはW杯でも続き、体格面では先日のドイツとほぼ同等のベルギー、ロシアにも、フィジカル・コンタクトで負けず、ハードなプレスでボールを奪うことに成功していました。それは体格の問題ではなく、「苦手」という問題でもなく、プレスの連動性を体に染みこませておくことと、そして選手が「戦う」姿勢をどれだけ持っているか、ということによるものだと思います。
先日のドイツ戦、実は試合内容はシンガポール戦よりもよかった、と私は思います。これまでよりも、選手が前方へプレスをかけ、何とか高い位置で奪おうという意識は出ていました。しかし、この1年、高い位置でのプレスをあまり実行してきていない現代表は、それを上手く機能させることができず、プレスをかいくぐられ、ボールを動かされていってしまいましたね。
これには二つの原因があると思います。一つは、やはり全体の連動性、そして小笠原が言うように、最終ラインの押上げなどが足りなかったこと。それによってコンパクトにできず、選手間の距離が離れ、プレスの密度が低下して行ってしまったことが、一つ目の原因でしょう。「プレスの連動性」とは、プレスにかかる2、3人だけのことではありません。1stプレスがかわされてしまったらどうするか、次へのパスコースは誰が切るか、次に展開されたら今度は誰がプレスに行くか、そのためにポジショニングはどうあるべきか、それをチーム全体で意識として共有していなくてはなりません。
しかし、それは選手間の話し合いではなかなか形にすることはさすがに難しく、ジーコ監督の指導下ではプレスの効いていた試合はあまり見られませんでしたね。
もう一つの原因は、やはり最初に書いたような「ハードなフィジカル・コンタクトへの意識」そしてその際の「戦う気持ち」という点でしょう。プレスに行くなら、体を張る。深く差し込み、ファウルになってもいいから相手を止める。それによって、少しでも相手を不自由にさせれば、一緒に囲んでいる仲間がボールを奪える。そういう意識、「不退転の決意(デターミネーション)」とでもいうようなもの。それがドイツ戦の、特に後半の日本代表には欠けていたのではないか、と思います。
加茂監督の頃の日本代表も「プレッシングサッカー」を標榜していましたが、確かイングランドでのアンブロカップ(イングランド、ブラジル、スウェーデンと対戦)の後あたりに、「プレスにいったらファウルを取られてもいいから体を張る」、そうすれば、「日本のプレスはブラジル以外には通用した」と選手が語っていたことがあります。かつての日本代表も、そういう教訓から学んでいたし、そしてそれをできていたのです。あの激しいサッカーをいつもやっているイングランド、大男ぞろいのスウェーデン相手にですね。その頃よりも能力の向上した今の代表選手に、できないわけはありません。
サンドニの後の2001年FIFAコンフェデレーションズカップ、日本はフル代表レベルのFIFA主催大会では初めて、準優勝という結果を残しました。その時に、服部選手が、実にいいことを言ってくれています。
(コンフェデ杯での結果のことを)少しでも気持ちのどこかで『良かった』なんて思うなら、本当に痛い目にあうだろうね。
残り一年は、修羅場を自分たちの心の中に、それとチームに、小さなワンプレーごとに刻んでいかないとならないんじゃないかな。チームとして。個人として。ここでボールを止めとけばよかった、思い切り体を張っておけば、シュートしておけば。そういう小さな、見ている人にも、もしかすると他の選手にもわかんないことが目前で起きたとき、どれに対しても、やりきらないといけない。
これを、心に持っていることができるかできないか。「いつもこころにサンドニを」あるいは、「いつもこころに2004・12・16を」持っていられるかどうか。それができれば、ドイツやベルギー、ロシアやカメルーンのフィジカルも恐れることはないはずです。
ドイツ戦では、そうした意識が希薄なように感じ、私はややさびしい思いをしました。そして、試合後の会見でも、
どれだけミスを少なくして、強い相手と戦うか、というのが今日の収穫だった。(三都主)
口々に「ミス」が問題だと口にする選手たち・・・。もちろん、それは大事なことと思いますが、同時に積極的なプレス、相手を恐れずにぶつかって行く「戦う気持ち」も、今よりももっともっと、持って欲しい。それをこそ、ドイツ戦の教訓として欲しい、と私は思うのです。まだまだ日本はチャレンジャー、何かを恐れて戦うよりも、前を向いて上を向いて進んでいって欲しいではありませんか。
それではまた。
03:46 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク
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