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November 30, 2004

totoとサッカーファンライフ

totoの売り上げが減少し、危機的な状況にあるようです。これについては、以前J-KETのほうで活発な議論が行われていて、さまざまな意見に触れることができ、私の理解も深まりました。低迷の原因としては、当時も言われていたように、やはり「あたりにくさ」が大きな部分を占めると思われ、今回はそれを視野に入れた改革を考えているようですね。

今年9月の中央教育審議会のスポーツ・青少年分科会は、当たりやすいくじの販売などを了承し、文部科学省令で100万通り以上となっている組み合わせ総数も改正される見通し。13試合の結果をあてる現行方式は約160万通りの組み合わせだが、センターは243通りとなる5試合まで対象試合数を減らすなど当選確率が上がる新くじの導入を検討している。

243通りってのは当たり易過ぎるのでは・・・(笑)?それはともかく、その他に当時J-KETで議論されていた問題点としては、

P1)プロサッカーそのものの体力
P2)日程のわかりにくさ←代表戦、2ステージ制、J1とJ2が混在していること、などに起因。
P3)売り場数の少なさ、買い方の手間(スタジアムでは売れないのか?)
P4)予想の難しさ←試合数の多さ、J1とJ2の混在に起因
P5)金曜までに買わなければならないこと
P6)予想屋のレベルの低さ

などといったところがあるようです。一つ一つ見てみましょう。

A1)プロサッカーそのものの体力

これは、アルビレックス新潟その他の盛り上がりや、来期からの通年リーグ制、浦和の優勝(笑)、などなどによって、次第しだいに改善されてきているようにも思います。Jリーグの観客数も毎年増えていますよね。楽観のし過ぎはいけませんが、J参加希望クラブの増加などを見ても、よい方向へ向いてきていると感じます。

A2)日程のわかりにくさ←代表戦、2ステージ制、J1とJ2が混在していること、などに起因。

来年は通年リーグになりますね。それで改善される部分もあるでしょうし、またくじ対象試合数の減少が行われるなら、J1対象ならJ1だけ、J2対象ならJ2だけのスケジュールを気にすればよくなります。

ただ、それですべてが改善されるのではなく、重要なのは「その認知を徹底して図る」ということだと思います。totoの低迷が叫ばれだしてから、totoを「盛り上げよう」という対策、具体的にはTVCFなどはいくらかありました。しかし私は、一番大事なのは元気を出すことではなく、「今回のtotoは明日締め切り!」というような「告知」を、徹底して、購入締め切りの前には必ず行うことだと考えていました。もちろんTVCFでなくてもかまいません(TVは一番お金がかかるのです)。それよりも新聞の突き出し(小スペース広告)、あるいはラジオの時報、ネットのバナー広告、などなどに必ず告知を出すこと、そして「告知を見たら買いに行く」という習慣をつけてもらうことが必要だと思います。

また、もちろんシーズン当初に通年のスケジュールを網羅した小冊子(システム手帳に組み込めるものとか)を配ったり、携帯からのスケジュールへのアクセスを容易にしたり(登録すると締め切り前日にディスプレイに告知が届く、とか)といったことも有効でしょう。

さらには、P5「金曜までに買わなければならないこと」もこれに関係してきます。金曜までは、仕事のある人はなかなか今週のtotoのスケジュールをチェックできません。それも、土曜、Jリーグキックオフの例えば1時間前まで買えるようにしたりすることで(システム上難しいかもしれませんが)、かなり改善されるはずだと思います。

A3)売り場数の少なさ、買い方の手間(スタジアムでは売れないのか?)

コンビニでの販売も、「会員のみ」というとっつきにくさで起爆剤にはなりえませんでした。以前議論されていたスタジアム販売も実現していますが、「来週(よりも先)の予想をする」という点が気が長すぎる(笑)のか、またスタジアムに来たら「totoよりも応援」となるのか(それは当然でもあります)、これも大きな改善にはつながらなかったようです。この点も、できればキックオフ1時間前まで買えるようにしておくと(さらに予想試合数の減少も可能ならば)、「目の前の試合の予想をする」ということにもなり、かなり「身近」なものとできますね。「連れ立ってきたサポ仲間と、わいわいがやがや予想しながら買う」ということがサッカーファンの楽しみになるためには、そういう「距離感の短縮」が重要なのではないかと思います。

ついでながら書いておくと、できればスタジアムでの売り場はもうちょっと「ゆったり」と作れないかなあ。今はまさに単なる「toto売り場」なんですが、できればコーヒーや軽い飲み物を楽しみながら、わいわいやりつつ予想して買う、というカタチにできないものかなあ、と思うのですが。また同じことで、いわゆるサッカーバーはもちろん、ファーストフード店やカフェ、普通のバーなどでも買えるようにして、待ち合わせで手持ち無沙汰なときにはtoto予想とかできると、これも楽しそうですね。スターバックスにtotoマシーンを!(笑)

(そのためには、今のあの大変目立つ黄色に白黒というアイデンティティを、もうちょっとシックなものにしたほうが、バーやカフェの店頭などには置きやすいかもしれませんね)

P4)予想の難しさ←試合数の多さ、J1とJ2の混在に起因
P5)金曜までに買わなければならないこと
P6)予想屋のレベルの低さ

この三つは、一つながりにリンクさせて解消、ないし軽減できるのではないかと思います。対象試合数を減少させることで予想の難しさは軽減できそうです。そうすれば「予想屋」もそれほどレベルが高くなくても(笑)何とかなるかもしれません。また、土曜発売が可能になれば、金曜夕方発行の、そう!エル・ゴラッソがあるじゃないですか(笑)。直前にかなり充実したプレビューが載せられるサッカー専門紙がすでにあるわけで、あれを予想に使えるといいのになあ、と私はずっと思っています。

もちろん、ここで私の書いた一つ一つのテーマは、諸条件により無理である可能性もあるでしょう。ただ、例えば・・・

金曜の夜、友人と待ち合わせしたバーでエル・ゴラッソ片手にtotoを予想。マスターから購入した頃、友人と合流して、友人の予想を聞きながら、さらにサッカーの話で盛り上がって、次の日のスタジアムへ向かう。スタジアムで友人に影響されて(笑)、昨日とちょっと違った予想のくじも買ってしまう

・・・とか、そういう「サッカーファンライフはどんな風であるといいか」という視点もあったほうが、「totoをどう救うか!」とまなじりを決して気合を入れるよりも、より楽しいし、成功へも近いように、私には思えるのです。

それではまた。

03:37 AM [サッカー] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック (0) |

November 26, 2004

思い出雲(笑)

solbalou footballさんからコメント欄で質問をいただきました。以下のようなものです。

>>98年の就任時点でトルシェが日本代表にもたらそうとしていたコンセプトは、先進的に過ぎるものだと思っていました。
>>当時の日本代表の実力から離れた高度なコンセプトを実現するには、練習のための合宿がやはり必要でした。
>>「トルシェに引き上げられた日本代表」

など、トルシェ前代表監督が行っていたことが高度で、ジーコ現代表監督が行っていることがあまり高度ではない、代表は後退しているのではないか?という主旨のケット・シーさんの文章を目にすることがあります。このことに関して

1.フラット3は高度なのか(数年来流行っている4-2-3-1と相性も良くないとの印象もあります)?
2.高度ならなぜW杯やチャンピオンズリーグやユーロで見ることが未だにないのか?
3.なぜ自己主張していいのにフラット3の申し子的な宮本が高いライン設定を望まないのか?
と僕が疑問に思っていることを質問します。

コメント欄で書くと長くなりすぎると思いますので、こちらでお返事したいと思います。こちらでも長すぎるかも(笑)?

まずはじめに申し上げておきたいのですが、私は、ジーコ監督がやっていることと引き比べて、「トルシェのやっていたことのほうが高度だ」という趣旨のことは書いた覚えがありません(ありましたら申し訳ないですが)。ジーコ監督の、選手の判断力に期待するというやり方も、方向性こそ違え十分に「高度」なものだとは思っていますよ。

さて、それを前提にして、私の書いた「98年の就任時点でトルシェが日本代表にもたらそうとしていたコンセプトは、先進的に過ぎるものだと思っていました。」ですが、これは「最終ラインが3人のフラットディフェンス」だけを指しているのではないのです。私はそれはあくまでも「手段」に過ぎなかったと思っています。全体のコンセプトについては、「トルシエ革命」の中でトルシェ自身が説明しています。長くなりますが引用してみましょう。

私のコンセプトはいわゆるフラット3をベースにした、組織的なサッカーだ。それは同時に、攻撃的なスタイルでもある。というのも前線から組織的にプレスをかけ、積極的にボールを奪いに行くのも、奪ってからの攻撃を前提としているからだ。守備のための守備ではない、あくまでも攻撃のための守備。それがわれわれのディフェンスだ。

そして攻撃では、フィールドをいっぱいに使ったボール回しから、大きな波を作り出す。大きな波を作るのはリズムで、リズムに乗ったパス回しができれば、例えば楔を入れ損なうなど波が途切れそうになっても、いったん後ろに下げて再び波を作りなおすことができる。動きの質が高ければ高いほど、ボールが効率よく回れば回るほど、作りだす波も大きくなる。(49ページ)

前半は、いわゆるプレッシングサッカーの、そして後半は、ややボールポゼッションからの攻撃を指しているように聞こえますね。最終ラインの上下動は、これを実現するための手段に過ぎないと私は思っています。そして、この全体が「98年当時の日本には先進的過ぎる」と私は感じたのです。

しかし、ユース代表から五輪、A代表へと、技術の高い選手を中心にして戦術を浸透させて行くことで、「先進的過ぎて実現できない」ことはなくなっていきましたね。もちろん、このようなコンセプトが全試合で実現できたわけではありませんが、それが浸透し、実現できていた試合も多かったと私は思っています。

では質問に一つひとつお答えしたいと思います。

1.フラット3は高度なのか(数年来流行っている4-2-3-1と相性も良くないとの印象もあります)?

「フラット3をベースにした上記のようなコンセプト全体」は、「98年当時の日本から見ると」高度なものであったと思います。西野監督は当時、「ラインを上げて戦うのは強者の戦術だ。日本はもっと弱者の戦術を磨くべきだ」という趣旨のことを語っていたと私は記憶しています(ソースは失念しました。すみません)。また、例えば秋田も「ワンランク、ツーランク上のサッカーを目指しているのが良くわかるので、凄く刺激になります」(田村修一「戦地へ」63ページ)と当時語っていたようです。

4-2-3-1の流行はそろそろ終わったのではないかという気もしますが、それはおいておいて(笑)、サイドアタックを重視するここ数年の傾向の中では、3バックは全般によりうまく運用することが必要でしょうね。ただそれは「フラット3」だけのことでもないとは思います。

2.高度ならなぜW杯やチャンピオンズリーグやユーロで見ることが未だにないのか?

「フラット3」の部分に関してはそうですね。かなりオリジナルなようです。まあ前回のコメント欄でレバンテさんの書かれたように、「フラット気味の高い位置の3バック」がないわけではないようですが。

しかし、上記したようなコンセプト全体、「高いラインでの攻撃的な守備」に関しては、けして珍しいものではなく、昨年のポルトやデルネリ・キエーボ、木村さんのコラムによれば最近のバルセロナもそうしたサッカーであると言われているようですね。もちろん、このコンセプトも最終ラインのやり方で、ラインコントロール重視か、押し上げながらもカバーを重視するか、などに分かれているとは思います。

3.なぜ自己主張していいのにフラット3の申し子的な宮本が高いライン設定を望まないのか?

まず、ジーコ監督の要求する「一人余るディフェンス」では、主体的なラインコントロールが難しいということがあるでしょうね。それでも宮本は、なるべく高い位置で奪うのが日本のサッカーだと思っているようで、アジアカップ、バーレーン戦前のコメント

日本としては、高い位置からボールを奪って、本来のサッカーをしたい。プレスがボールに行けていないので、それを意識したい。

と語っています。また、SPORTS Yeah!105号に田中誠選手のインタビューが載っており、1次予選アウェイのオマーン戦についての話題が出ています。

インタビュアー(三好えみ子):ディフェンス陣にとっては失点はある意味、厳禁の戦いでした。合宿ではラインを上げてコンパクトに、と話していましたが、実際試合では深めをキープしていましたね。

田中誠:本当はコンパクトな日本のサッカーを目指していきたかったんですけどね。前半はオマーンが勢いよくきていたので、防戦一方でラインを下げさせられてしまったという部分は確かにあります。ただ、今回の代表はけが人が多くてコンディションに差があったし、実際合宿に入ってから、選手個々が考えていることにズレがあることに気がついて。練習試合では市原ユース相手に2失点してしまった。それでジーコとツネ(宮本)が話し合って、オマーンの攻撃を止めるために多少ラインを下げざるを得ないということになったようです。

とのことです。私は「現在の宮本が高いライン設定を望まない」というほどのことではなく、本当は高くした方がいい場合もあるのだが、アウェイのオマーン戦では諸条件により低く設定した、という程度のことであると思います。

注記:上掲SPORTS Yeah!のインタビューでは、田中誠選手は引用部分後に「連携もスムーズにできるようになった」他、現代表を肯定する意見も多く語っています、念のため(笑)。

僕はジーコのやっていることは多くの選手に共有されていないのは残念ですが自分たちでしっかり判断してサッカーをするというしごくセオリー通りのことを代表に持ち込んでいるので、それはフラット3を身体に身につけてオフサイドの主張をする練習を繰り返すより意味があるのではないかと考えています。(solbalou footballさん)

ちなみに、代表の練習をよく取材する、あるジャーナリストさんと話をしたときには、「トルシェの場合でもラインの上下動の練習は10%程度だったよ」と言っていました。そこばかり強調して報道されているけど、それよりずっとスクエアパスの練習や、プレスのかけ方の練習の方が多かったそうです。日本のジャーナリストには「ただのパス回し(ウォームアップ)じゃん」とか、「ただのおっかけっこじゃん」としか見えないらしいですが(笑)。

それはともかく、ジーコ監督の「自分たちでしっかり判断してサッカーをするということを持ち込んでいる」ことはよいと私も思いますよ。しかし、あるコンセプトをしっかり持った監督が、それを身につけさせる練習をするということも、別に問題ではないと思います。例えばモウリーニョさんが来ても、ビエルサさんが来ても、そういう練習をするでしょうね。それは監督のタイプの違いに過ぎず、別に優劣があることではないでしょう。

ジーコへの不満とトルシェ時代への回顧が多くの場所で一緒くたに語られていることが多い気がするのでまずフラット3についてあらためて質問してみました。失礼します。(solbalou footballさん)

そうですね。その辺が一緒くたに語られることは多いですが、論点をぼやかしてしまう可能性も高いですね。同時にトルシェ時代への不満と、ジーコへの評価を一緒くたに語ることも避けた方が賢明かもしれません。川淵さんなんかには言ってあげたいですね(笑)。

トルシェの就職先が話題になっているところ、ちょっとタイムリーな話でしたね。それではまた。

09:30 AM [トルシェ・考察] | 固定リンク | コメント (19) | トラックバック (1) |

November 18, 2004

消化試合ですから

会社では会議中で見れず、そのまま徹夜(笑)、帰ってきてようやく試合を見ました。結果を知っていたからかもしれませんが「まあ、こんなものでしょう」というところですね。

実戦でコンビネーションを作っていくこのチームが、実戦でほとんど組んだことがない選手たちの組み合わせで戦ったのですから、スムーズに行かなくても当然です。宇都宮さんも、同様の指摘をしていますね。まあ、アジアカップでやっていた3-5-2ならまだましだったかもしれませんが、ここへ来ていきなりスタートから4バックですしね。選手たちも戸惑いが大きかったように見えました。

また、功労者召集の件で妙に注目されましたが、あくまでも消化試合ということで、選手のモチベーションの保ち方も難しいものがあったでしょう。逆に、騒がれたことで、サブの選手たちが「アピールしなきゃ!」と気が入りすぎた可能性もあります。たまにしかアピールの機会がないですからね。

さらには、リーグ戦終盤というのはコンディション的にそうとうきつい時期でもあります。前監督時代も、アジアカップ制覇後、韓国相手にピリッとしない試合をしてしまったことがありましたよね。

もともと私は、ジーコ監督の方針下では、サブ組にとって「現レギュラー組とのコンビネーション」を向上させるのでなければ、「テスト」としての意義もあまりない、と考えていました。だって、今日の試合で藤田と小笠原の、あるいは中田浩二と三浦淳の連携がやや向上したからと言って、それが最終予選で実現する可能性はどれほどあるでしょうか?実現したとして、今日得たコンビネーション(そもそも得られたのかどうか)が、そこに役立つ可能性は?

サブの、あるいは新戦力の「テスト」ならば、現在できているチームとフィットするかどうか、という観点で図られなくてはならないはずです。しかし、今回の試合は諸事情により、そうはならない。ただ個人の能力をどう発揮するか、という部分が大きくなってしまうでしょう。しかも、それを十分に見せるための練習期間(話し合いの時間)もしっかり与えられたわけではない。

今日の収穫と言えば、宮本と松田が、そして鈴木(たぶんレギュラー候補)と大久保がコンビネーションをつくれたことくらいでしょうか。三都主の久々のサイドハーフ起用が、ひさびさに(初めて?)機能したこともありますか。それ以外は、普段サブの選手たちが出場経験を積めたという、そのことだけでしょう。いや、別に現行方針を責めているのではなく(笑)、1次予選の消化試合というのは、「そんなもの」だと私は思う、と言うことです。

試合の方は、序盤はやっぱりシンガポールが妙にラインを上げて、プレスを狙ってきてくれたおかげで裏へのパスが狙いどころになり、よく崩せていたのですが、途中からマークの意識がはっきりしだして、日本は苦しんだ、というところでしょうか。あの「妙にラインを上げる」「妙にゾーンで守る」「意外とプレスを頑張る」というのは、宇都宮さんもレポートされているように、彼らにとって10年後にワールドカップ出場を目指すための、地道な努力なのですね。シンガポールとしては、着実に進歩している自分たちを感じられたことでしょう。国としてのサッカーの「若さ」が感じられて、ちょっとうらやましいです(笑)。

今時間がないので細かいことはまた後日書きますが、あと目立ったのはマツの上がりくらいですか(笑)。しかし、1次予選全勝は文句のない状態ではあります。最終予選へ向けて、いろいろとある課題を一つ一つ解決して行って欲しいですね。

それではまた。

04:53 PM [ジーコジャパン・1次予選] | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック (2) |

November 16, 2004

どちらが時間がかかるのか

TENさんとの議論の続きです。(TENさんお返事ありがとうございます)

ジーコと、トルシェと、正反対にも見える二人。一般には「戦術優先型」のトルシェの方が時間がかかるに決まってると思われている。でも本当なのかな?などと、いろいろと興味深い方へも話が発展しつつ。

まずはクラブの首脳陣のお話から。

で、クラブ関係がどう思ってるか、という部分はボクも明確に各クラブの反応を見ているわけじゃないですが、反町監督にしても、浦和の中村チームマネージャーにしても、代表というモノの存在意義に対して考え方の違いを批判として出してると思うんですよね。代表の招集とか、現状に不満があるなら、すでにレイソルやマリノスが異議申し立てしている前例もあるので、クラブとして苦情を出すでしょう。今回の批判が「現状の不満の発露」と読むのはどうかな、と思ったわけです。

なんていうのかな、「クラブとして現状(の代表の招集の仕方)に不満がある」ということを言ったわけじゃないのですよ、私は。その場合は、召集の問題に対してきちんと異議申し立てをするでしょう。それはこれまでも行われてきたこと。ただし、それは「うちの選手の扱いはこうしてくれ」というものになるはずなんですね。その点において代表とクラブが意見を言い合うのは普通です。

しかし、今回の批判は、本当は彼らが言うべきでは「ない」ことだと思うんです。選手選考は代表監督の専権事項ですから、それが代表のためになると思えば功労者でも若手でも呼べばいい。それに対して、クラブ関係者が意見を言うのは、「利害関係者として当然言うべき意見」ではなくて、突然彼らが評論家になっちゃった、というのが私の感じた印象なのですよ。で、彼らをそのように振舞わせた原因は何かな、ということを考えたときに私は、「もっと向上すべき」と考えている人たちと、「このままでいい」と考えている人たちのスタンスの差だろうな、と思ったわけです。

もちろんそうでなくて、「代表というものはそういう捉え方をするべきものじゃない」という、「代表の存在意義に対しての考え方の違い」を、彼らが口にする可能性もあるでしょう。で、私はそっちではなくて、現状に対するスタンスの差のほうが背景にあるだろう、と考えた、ということですね。まあ彼らの頭の中を完全に暴く(笑)ことはできませんから(仮にインタビューしてもできないですよね)、これは別の意見が二つある、ということで終わりにしていいのじゃないかなと思いますが。

代表監督が、「代表チームそのもの」を強化するっていう感覚がボクにはあまりないです。いい選手を呼んで、いい組み合わせを試行錯誤して、自分の期待するパフォーマンスが最終的にチームとして反映されていれば、とりあえず問題はないのではないかな、と。

いや、そのうちの「いい組み合わせを試行錯誤して、自分の期待するパフォーマンスを最終的にチームとして反映されるためにするいろいろなこと」を私は「チーム強化」って呼んでいるんですけどね。だから、ここ

世間的な比較を用いるなら、トルシエのように自分に強烈な戦術論があるなら、それは代表向きじゃない、とすら思うわけです。

から後の比較は、あんまり私の言う「代表監督がするべきチーム強化」とは関係ないんです。強固な戦術論がなければ「チーム強化」ができないわけじゃないし、逆に言えばジーコだって彼なりのやり方で「チーム強化」をしようとしている、ある程度はできている、わけです。

で、それを前提にして、興味深いので閑話に参加しちゃいますが、

トルシエが成功できたのは、(少なくともジーコ以上に)クラブに近い感覚で代表と付き合えた部分ってのが大きいと思う。例えば、今ジーコが30人とか40人とか招集する合宿をやりたいって言えば、相当反対が出るでしょう。逆にジーコが「2週間まとまった時間があれば」、と発言したことがありましたが、「2週間」が確保できた時(欧州遠征、アジアカップ)は、内容に差はありますが、結果は出ている。

代表の強化にはそもそも「2週間は(ほぼ)とれない」のだから、この状況で継続性を維持する事も難しいような気がします(継続性を維持するためには、「2週間」が「1週間」になるなら、話は変わってくると思う)。むしろ、継続性がもたらす弊害も出るんじゃないかな、と。ジーコがそこまで考えているかどうかは、ちょっとわからないですし、全てを肯定する気にもならないんですけど、逆にトルシエならうまくいくのか、という比較を持ち出してみると、それはどうかな、と懐疑的になります。

面白いのは、トルシェはむしろ「3、4日ずつ毎月」という強化期間を求めていたことです。(大仁委員長のインタビュー参照)オートマティズムを作る反復練習のためには、そのほうがよい、と。当時の大仁強化委員長は、最初は加茂監督の頃と同じ感覚のまま、リーグ戦が休みでまとまった時間が取れるときに、1ヵ月とかの長期強化日程を取ろうとしていたところ、トルシェに「そうではなく、月ごとに3、4日ずつにして欲しい」と言われ、驚いたようです。で、その後の代表の強化日程は、リーグ戦最中でも3、4日ずつ集まるカタチに変更されたわけです。その強化日程の取り方がトルシェ以後、2002後半、2003と続いたのはご存知の通りですね。

で、ジーコは逆に「2週間欲しい」と言っている。まとまった強化期間があったほうがよい、と。この差は何なのか。

「戦術型の監督や、継続性を求めるやり方は時間がかかる」「だから今の日本代表の状況には向いていない」と言い切ってしまうのは、まだ早いんじゃないかな、とむしろ思うわけです。もちろん私も、「だから戦術型のほうが時間はかからないんだよ」とも言い切りませんけどね。ただ、きちんと組み上げられたメソッドなら、そうやって「選手の体に動き方を染み込ませる」ことを、インターバルを置いても継続的にやっていったほうがいい、というのは、理解できることですけどね。

例えて言えば、年に一回二週間だけ自転車に乗るよりも、月に一度3、4日ずつ自転車に乗り続けていた方が、効果がある、という可能性。それは確かにあると思うのですよ。少なくとも英会話とかだったらそうかも。「触れ続けることが重要」かもしれない。・・・言っておきますけど「可能性」ですからね(笑)。そっちの方が絶対に優れているとか、時間がかからないとか言っているのじゃないので誤解なきよう。

閑話休題~。

まあ、そういう話はおいても、ジーコがシステムよりも選手のやりやすさ、感性を重視してるのは明らかだと思うんです。で、そういうのが効果的かどうか、将来的に見てどうなのか、日本の現状から見てどうなのか、その辺はまだまだ話を進める余地があると思うんですよね。でも、そういうところに戻る余裕が、今の「ジーコ批判」にはないと思うんです(って、全然返事になってないw)

うーん、これは私の持論なのだけど「風潮」に反論するのはあんまり意味はないと思うんだよね。むしろ、そういうところの話を、TENさんが進めればいいのに、と思う。いや嫌味とか苦言じゃなくて(笑)。TENさんの書いているジーコ評価は興味深いんですよ。ただいつも締めが「そういうことを考えに入れて批判しないといけない」になっているんだけど、それより先に行ったらどうなるのかな、と思って読んでいるわけで。まあここは読み流してください。軽口でした。

ケットさんが書かれていますけど、ボクも継続的な方針で強化する監督は好きです。ボクが好きなクラブも大抵はそういうクラブですし。ただ、これもケットさんが書かれていますが、そうではない監督もいる。サッカーの中心地欧州から離れたアジア、その辺境の日本ってのを考えると、ボクは今のような強化方針は欧州以上にやむなしかな、と思うんですね。で、その辺を発端にして、「ジーコどうよ」って話が出るべきじゃないかな、と。まあ、この辺はもっといろいろ話が続いたらいいと思う部分ですけど。

そうですね。で、そういう「選手優先型」の監督の中にも優秀なのとそうでないのがいるし、「戦術優先型」の監督にも優秀なのとそうでないのがいる。ジーコはどれなのか、ということ。もう一つ、「それは日本に向いているのか」ということですよね。ある戦術重視の私の好きな監督は、セリエの一つのクラブでは成功しましたが、他のクラブでは指揮をとる前におん出てしまった(笑)。それは「彼が実は無能だった」からじゃなくて、そのクラブと「あわなかった」「向いてなかった」んですよね。さて、ジーコは日本代表監督に向いているのかどうか。そういう議論もできそうですね。

でも私が考えているのはやっぱりちょっと切り口が違うかな。私はTENさんほどは代表拘束時間に関しての問題意識は大きくないんですよ。協会のやりようで今よりも上手く切り盛りできると思ってるんだな(ただ来年は難しそうですけどね)。私はむしろ、やっぱりジーコが日本代表に与えたメンタリティとかの話のほうが重要かな、と考えて、それを書きたいと思っているのだけど・・・。時間が・・・(笑)。

それではまた。

02:59 AM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント (12) | トラックバック (1) |

November 12, 2004

TENさんとのやりとり

TENさんとのトラックバックでのお話し合い。けっこう有意義な気がする。私の筆の至らなさも再発見できましたし(笑)。以下、引用部分はTENさんからのお返事です。

>私はJクラブ首脳の「先につながる選考をして欲しい」という談話だけから、
>前回の書きこみをしたわけではないということです。(ケット・シー)

「だけ」から書き込んだわけじゃないってことがむしろ否定したい部分なんですよね。つまり、WEB上の意見を、各クラブの首脳たち「も」同じように考えただろう、とリンクさせた部分に疑問を感じるんですよね。(TENさん)

なるほど。これは多分私の書いたことのうち、J関係者の談話を私が「箔付け」に使っているように感じられたんでしょうね。「ほーら、J関係者も言ってるじゃんか」みたいな(笑)。しかし私には別にそんな意図はなく、あくまでも大山(大きな騒ぎ)の一角として、私の想像する彼らの考えの背景を含めて取り上げたに過ぎないわけです。例えば、前々回の書き込みのその部分を取っても意味は変わりませんし、それがなくても「あちこちで大きな騒ぎになり、議論が巻き起こった」「反論も多かった」ということは、かなりの方が同意する事実(に近いもの)だと思うんですな。

で、Jクラブのかたがたの意見だけど、反町さんは「新たな選手発掘に利用すべきだ」と明確に言っているようです。浦和の中村チームマネージャーは、「これまでの控え選手や若手を使うチャンスでもある」とのこと。これが現状に不満があって言っているのか、現状には不満がないけど、さらなる改善を求めて言っているのか、そのどちらか、ということでしょうか。そのどちらの可能性もあると思いますが、「私は」前者と推測する、ということですね。これは私の感覚なのですが、現状に満足しているのに、「新たな選手発掘に利用すべきだ」などとは普通(しかも自分がそんなこと言う立場でない人は)言わないものですから。ただ私の感覚に同意できない方には、ここに飛躍が見られるのかもしれませんね。

(アジアカップの)グループ・リーグはかなり苦戦していたと思いますけど、トーナメントに入ってからはどうでしょう。攻撃的なサッカーを展開していたとは思わないけど、試合はかなりの時間帯で支配していたと思いますよ。

私のアジアカップの見方は簡潔にこちらに。この辺の議論は今はあまりする気がないのだけど、ヨルダン戦ではやはり押されていた、引いて守らざるを得ない状況にされていた、と私には見えましたね。バーレーン戦では、遠藤の退場後、オープンガードの殴り合いのイーブンな戦いになりましたが。中国戦の試合内容はよかったと思います。ただ、試合内容は大会全体を通して見るものだと私は思いますので、引いて守ってセットプレーで得点するという試合内容が多かったと私は思いますよ。

私の書き方の、「セットプレーにかける」というのが、もしかしたら気になるのかもしれませんね。ジーコがそれを意図してやっている、それはいかん、と私が非難しているように感じられるのかな?だとしたらそれは私の筆が滑りました。あくまでも試合内容の話なので「結果として」そう見える、というお話です。

で、最後にアプローチの部分ですけど。 まず、代表そのものの強化、というのをケット・シーさんがどう捉えているのか、がよくわかりません。ただ、

>「代表監督は日本全体の長期的育成をするべき」

という点については、ボクはそう書いたつもりはありません。代表そのものの強化を、どこまで代表監督に求めるのか、という点に疑問を感じてるわけですから。

これは興味深いですね。私は「代表チーム」の強化は、もちろん代表監督の役割だと思っていますよ。自分の構想にあう選手を選び、組み合わせ、「チーム」にすること。そのチームに組織、戦術、連携、メンタリティ、ゲームプランなどなどを与えていくこと、つまりチームを強化していくこと、それによって結果を出すことがプロの代表監督の仕事だと思っていますから。そしてこれは、やり方は独特ながら、ジーコだってやろうとしていることであると思いますけど。

ただ、それよりも広い、日本のサッカー全体の展望を見ることも、代表監督に求めたい、という意見も世の中にはあると思います。私も個人的にはそういう監督が好きです。しかし、そのときの代表監督がそういう人でなかったとしても、それを理由に非難はしないですね。

>今ある資源を使い尽くしたとき、

と書かれているので、日本代表は現在のところ収支としてマイナスだ、という認識はあるんだと思うのですけど、収支としてマイナスになった部分はいったいどこなのか、という点と、黒字の部分の計算は本当にあってますか?という部分。それと要求している結果は投資額に見合っていますか、という部分。その上で、ジーコの方針に対してアプローチはないと感じています。

それは現在書き中です(笑)。TENさんの意図に沿ったものになるかどうかはわかりませんが。ただ「収支として」という点で言えば、アジアカップに優勝しているので、プラスなんじゃないでしょうか?ただそれは企業の決算なら「今期の」収支はプラスだけどね、ということでしょう。マネジャーは「今期の」収支をプラスにすることだけがミッションだからそれでいいのだけど。

で、完全にボクの文章が書き足りない部分なのですけど、「ちょっと話を変えて」以降はケットさんに直接のレスしているつもりがなかったんです。

あ、そうなんだ。それについては私の読み違いですね。失礼しました。ただ「トラックバック先もそうだけど」ってちょっと書いているから、トラックバック先=私 はそんなこと言ってないぞ、とは思ったわけです。でも話し合えてよかったですね。

(独り言)早くまとまった時間を作って、アジアカップ以後のジーコ評価のまとめをしないといけないなあ。時間的にはそうとう難しいんですけど。むむむ(笑)。

それではまた。

03:15 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (1) |

November 11, 2004

大山とは?

V6010026.jpg

国立で行なわれた新潟vs柏の試合に、駆けつけて来ました。いつもの彼らの試合を生でたくさん見ているわけではないので、正確なところはわからないのですが、柏は結構よくなっているように見えました。コンパクトにできていたし、新潟の強力3トップに対する守備陣の集中力は素晴らしかったですね。

******************

さて、前回の書きこみにTENさんからトラックバックでご意見をいただきました。BLOGは議論に最適のツールなのだそうですが、はたしてそうなりますかどうか(笑)。いただいたご意見に考察を加えてみたいと思います。

まずはじめに言っておきたいことは、私はJクラブ首脳の「先につながる選考をして欲しい」という談話だけから、前回の書きこみをしたわけではないということです。あちこちの掲示板で、あるいはメディアで、そしてサッカー関係者の間でも賛否両論、大激論が巻き起こった。その全体が「大山鳴動して」だと私は思っています。そしてその反対派の意見を総じて眺めてみると、「新戦力を起用して、代表チームの底上げをして欲しい」というものであったと私には受け止められました。そういった意見の出てくるベースはなんなのか、そこを考察したのが前回の書き込みです。

Jリーグのクラブの首脳が「代表に功労者を呼ぶ」ことに疑問を感じているのは間違いないでしょうが、ジーコの方針、やり方に不満を持っているから口を出したわけではないでしょう。予選を突破した以上、これまでフルに戦ってきた選手を休ませたい、というのが要望としてまず出るのは当然でしょうが、だとすれば呼べるのは新戦力、あるいは控え選手なわけで(だって、代表選手以外って、このどちらかしかいないでしょ)

「これまでフルに戦ってきた戦力を休ませて欲しい」という談話がクラブ関係者から出ましたでしょうか。出てきたのは、「先につながる試合をして欲しい」ということですよね。「休み」より先に、そういう談話が出たことから私が受けたのが、前回書いたような印象なのです。ただ、もう一度言いますが、彼らの談話「だけ」から考えたことでもないですが。

クラブの首脳も日本のサッカーを愛する仲間だと私は思っていますから、ただ「自クラブの選手を休ませたい」「若手をプロモーションしたい(これはTENさんではなく、コメント欄でキンタローさんが書かれた言葉ですが)」という考えだけで、「先につながる試合をして欲しい」と言ったとは、私には思えないんですね。もちろん、この推測が的外れであり、彼らが完全に利益追求のためだけにそう言った可能性もありますよ。でも私はもう少し彼らを信じたいわけです。

確か、別のコラムで読んだ話だと、ジーコは誰を何人呼ぶのか、は一言も語ってないらしい。正直言って、ここまで批判が大きくなるなら、ジーコがどんな代表選考をするのか見てみたかったけど、まさか全員が「功労者」ってことはないでしょ。こういう批判がジーコの選手選考に自制をかけたのかもしれないけど、自分の意見が正しく広まる前にこういう批判が飛び出たことに、ジーコは不満を持っているかもしれないな。

私もそう思いますよ。まさか全員が功労者ってことはないでしょうから、功労者をこれまでのサブと組み合わせることになるだろうし、それは特に問題とするにはあたらないと思っています(そう書きました)。これまでも書いているように、そこにチーム強化の意図があれば、私は「功労者を呼ぶ」ことを批判するつもりはないのです。

むしろ、Jクラブの首脳を集めて「こういう考えで功労者を呼ぶのだ、それが私の哲学なのだ」としっかりと語って欲しかったぐらい。そこに、「チーム強化」の考えがあれば、つまり「ここで功労者を呼ぶことこそが『先につながる試合』なのだ」と説明できれば、J関係者だって納得したかもしれない。それをせずに、「これまでサブだった選手の声を聞いて」断念してしまったのが、私にはむしろ残念です。

だいたい、アジアカップの戦術を「引いて守ってセットプレーにかける」なんて、正当な評価なのかな。守備から入って、ハーフ(あるいは単なる)カウンターなんて、まさに今チェルシーがやってるサッカーで、得点力不足を批判されるあたりもそっくりなのだけど、それでもしっかり勝ち上がってるところもそっくりなのはどう評価するんだろう?

チェルシーと同じように評価しなければいけないということもないと思うのですが(笑)、アジアカップの場合はカウンター、あるいはダイレクトプレーもそれほど上手く機能できていたとは思えないんですね。得点のかなりの部分がセットプレーでした。それはさておき、あれに「ボールを支配して攻撃的なサッカーができた」という評をする人はおりますまい。しかし、「それで優勝できたのだから、それでいいのだ」「あの暑さでは、あれが最適なのだ」という考え方はあっていいと思いますよ。

「代表の存在価値」自体がずれている以上、今出ているジーコ批判にあまり意味があるとは思えないんだよね。ジーコは現場の人間で、自分の「主義・信条」を貫けばいいけど、批判する側には自分の「主義・信条」とは別に、「ジーコの主義・信条に思いを至らせる」必要があるはずだと思う。だけど、このトラックバック先もそうだけど、今のジーコ批判にはそういうアプローチがない。

あらら、「ない」と言い切られてしまった(笑)。以前からも、特にアジアカップ以後にはそういうアプローチをいくつかしているつもりなんだけどな。これとかも

代表合宿と選手選考で強化する、という発想が「代表にとって当然あるべき目的の一つ」に数えられていること自体が、そもそもちょっとズレている気がするんだよね。アジアカップ、WC予選、WC本大会と、どれも負けられない戦いが続くのに、育成や長期的な視野がそもそも絶対的なの?代表合宿とスポットである予選の試合を通じて、代表チームそのもののレベルってどこまで上がるんだろうか。強化、育成を否定するつもりはないけど、今の日本代表の置かれた環境で、そんなに重要で、A代表に求められる要素なんだろうか。

いや、私は育成や長期的な視野を「当然あるべき目標の一つ」にしてはいないですね。現代表チームの「強化」は当然必要だけど、「日本全体の底上げは代表監督のミッションではない」と私も思いますよ(先のリンク先でも書きましたが)。しかし、批判ではなく個人的な好みとしては、できればそこまで考えてくれる代表監督を望みたいとは思いますけどね。

で、その発想に違いはどこから生まれるのか。オレは、短期的なプロジェクトが3つ4つ続いた結果、4年間がすぎると思っているのだが、どうやらジーコ批判をする人は、まず4年間という育成スパンがあって、その中のターニングポイントとして3つくらいの大会が存在している、言い方を変えれば、トルシエ時代の強化方針が今、この状況でも取れるとと考えているようだ。

で、「代表監督は日本全体の長期的育成をするべき」というミッションを私は掲げていないので、この「ジーコ批判をする人」に対する反論は、私にとっては反論になっていないんだな。

もう一つは、トルシエが若手を継続的に使い続けられたのは、その時の環境による部分も大きいと思うし、「今の日本サッカー界の状況を考えれば、同じ方針は難しい」とオレは思っている。この「今ある環境」からスタートしないで、マスコミが載せた記事やコメント、試合の感想からスタートしている時点で、多分批判としては意味をなしていない。

私もトルシェのときは非常に特殊な状況だったと思っています。あれほどの若手に切り替えるべき時期は、そうそうないでしょう。なにより、今代表の主力の79年組だって、25歳、まだまだ若手ですよね。1998~2002と同じ起用法を取る必要はないし、現五輪代表がフル代表に選ばれないのも、ジーコの「成熟した選手を求める」という方針では仕方がないと思います。しかし同時に、そのやり方によって、現在失っているものがあるよなあ、というのは私の素直な感慨なのですね。

私は、ジーコ監督の「1戦必勝主義」「ヒエラルキー主義」には個人的には賛成しません。それはブラジルならともかく、日本に向いている手法ではないと思っています。しかし、少なくともジーコ監督はそれでアジアカップで結果を出しました。優勝という成果はこの上ないものです。それは非常に高く評価していますよ。ただ、「今後は」なるべく問題点を解消しておいた方がいい、あるいは、もっと上を求めてもいい。そのためには、こういうジーコ監督に対する「現状分析」と「将来への展望」を考えておく意味はある、と思っているのですね。こちらはもっと時間をかけて考えたいことですが。

この話題(召集関連)は、もう一回だけ続けます。

それではまた。

03:47 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (1) |

November 10, 2004

大山鳴動して2

私は前々回の書き込みで、功労者召集を、「単なる感謝のために行うのか、『魂の継承』のために行うのか」そこが重要だ、と書いたのですが、結局、今回の代表発表会見でも、「魂の継承」についての言葉は聞かれませんでしたね。あくまでも「感謝」のために行いたいということのようです。ジーコ監督は「お祭りではなく真剣に勝つために戦う」という趣旨の発言をしていますが、やや違和感がありますね。

「真剣に勝つために戦う」ことと、「日本代表の強化のために戦う」こととは、実はイコールではありません。卑近な例で言えば、オールスターだって「真剣に勝つために戦って」はいるのですから。「日本代表の強化のために戦う」こととは、今の日本代表に何が欠けているのか、あるいはプラスすべきところはどこなのか、そういうことを考えて、それに応じた策を講じていく、ということです。そのために試合を「使う」ということによって、このような消化試合も「強化のための試合」として行くことができるのですね。

いわゆる「功労者」がシンガポール戦へ参加することによって、何かを現日本代表チームにもたらすだろうとジーコ監督が考えて、「強化のために」このプランを発案したのではないか、と私は予想していました。さすがに本当にただの「感謝」のためだけに、代表の試合を、それも予選を、つかうことはあるまいと思ったからです。しかし、どうも私の予想は外れたようです。

以前にもご紹介したように、サカマガ997号の西部さんの意見

(ジーコ監督は)今日がなければ明日はないという1戦必勝主義者だ。前監督がすべては明日のためにと、今日を使ったのとは正反対のアプローチである。

がまさに至言だった、ということでしょうね。「今日がなければ明日はない」、目先の一勝主義の監督が、いわゆる消化試合を与えられた場合に、「明日のために」ではなく、「感謝のために」と思いついても、それはある意味当然のことともいえましょう。しかし、それでいつまで「明日があるさ」と言っていられるのかどうか。

さて、今回招集される人数は、怪我人と海外組をのぞいた18人と言うことになりました。1次予選の試合に実際にエントリーできるのは18人で、これまでは22人を選んで合宿を行い、その中から18人を選んでいたわけです。今回は最初から18人しか選ばなく、そのまま行く、というカタチになるようです(紅白戦はどうするんだ?・笑)。

ここに、アジアカップのチーム以外から新規に召集されたのは、大久保選手一人にとどまりました。大久保選手も、昨年のコンフェデ杯、東アジア選手権などではしばしば起用された準レギュラーでしたから、まったくの新顔はただの一人もいないことになります。「ジーコ監督はブラジルに帰っていて、新戦力を発掘する暇がなかったのだから当然だ」という意見もありますが、私はそれよりも、「ジーコ監督はアジアカップのチームを壊したくないのだろうな」と受け止めました。

オマーン戦でもそうでしたが、アジアカップの時のチーム、やり方で、来年のアジア最終予選も戦っていく、いける、ということなのでしょう。試合内容は「引いて守ってセットプレーにかける」というものでしたが、それでアジアナンバー1になったのだから、4.5枠あるアジア最終予選にそれで臨むことは、論理的には確かに間違っていません。

しかし多くの人が、「あの内容では今後困る」と考えたことが、「功労者ではなく新戦力の起用を!」という意見につながったのだと私は思います。本来なら代表選考に口を出す立場ではない、Jリーグクラブの首脳までが、そのような意見を表明していましたね。なぜこれほど「大山鳴動」したのか。それは、「あのままでよい」と満足している代表監督と、「あのままでは困る」と考えている日本サッカー界の、目線の高さの違いが浮き彫りになったということでしょう。

試合にはいわゆる「チームを支えてきたサブ組」を起用するにしても、合宿にはこれまでどおり22人呼んでもかまわないわけですね。そこに代表経験のない選手を(例えば4人)呼び、代表の雰囲気に慣れさせておく、ということは、今後をにらめば意味があることです。ジーコ監督はそれさえしなかった。これはそうとう強固な「あのままでよい」という意思の表明であるように思えます。

今ある資源を使い尽くしたとき、そこに私たちが直面するのは、どのような明日になるのか。エルゲラさんも考察されているように、そういう問題なのでしょうね。

この話題はもう一回続けます。

それではまた。

09:44 AM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (1) |

November 08, 2004

大山鳴動して

本業がてんてこ舞いで、どうにも話題から遅れてしまい申し訳ありません。このタイトルの言い回しも、もうみんな使ってるんだろうなあ・・・・(笑)。

シンガポール戦に向けての代表選手18人が発表になりましたね。ジーコ監督は「これまで控えだった選手の声を聞いて」、いわゆる「功労者」の召集を「しない」という決定をしたと、会見で説明をしています。

これはAFCから届いた「ベストメンバーで戦うように」というレターの影響ではないか、という意見がメディア上をにぎわせているのですが、私にはどうも違和感があります。ジーコ監督がまさに会見で言っているように、選手選考は監督の専権事項、その国の代表監督が自分のチームに選ぼうという選手に対して、何を基準にAFCが「ベストである」「ベストでない」などと判断できるのか、意見を言えるのか、まったく持っておかしな通達だと思います。

したがって私は、仮に若手を試そうと、または海外組を休ませようと、あるいは功労者を呼ぼうと、AFCは何も文句を言わないだろうと考えます。この通達はそういう趣旨のものではない可能性が高い。以前のトルシェ五輪代表監督は、五輪最終予選突破後のタイ戦で、それまでとかなり様変わりしたメンバーをピッチに送り込んでいますね。その時ももちろん何の問題にもなりませんでした。

今回このようなレターが来た背景には、J-KETでボヘミアンさんからご指摘いただいたように、グループ4の香港と中国の関係があるのではないかと思います。こちらの表をご覧ください。

順位  
試合
勝点
得失点差
1 クウェート
5
12
4
0
1
8
2 中国
5
12
4
0
1
6
3 香港
5
6
2
0
3
-3
4 マレーシア
5
0
0
0
5
-11

1次予選最終試合 2004.11.17  クウェートvsマレーシア  中国vs香港

ごらんのように、中国とクウェートは勝ち点12で並び、得失点差では2点差でクウェートがリードしていますね。最終戦、クウェートは勝ち点を一つも取れていないマレーシアと戦い、中国は香港と戦うことになります。基本的にはクウェートが有利なのではないかと思われるのですが、ここで浮上するのが、香港は中国と「同胞」関係にある、ということです。

この記事にあるように、すでに2次予選進出の望みのなくなった香港から、何らかの形で中国が大勝し、クウェートから出場権を奪う、という疑いが、今回のメールの背景にはあるのではないか、と思われるのです。香港側からすると、ただ負けるだけではなく、メンバーを落としておけば、余計な指示(点取られて来いとか?)がなくても目的を達成できるかもしれない。AFCはそれを警戒したのではないでしょうか。

日程や強化のことを考えて選手をローテーションするのならともかく、このような疑いのある状況下で選手を入れ替えることは慎むように、ということではないでしょうか?私たちにはそのレターの中身を精密に知ることはできないわけですが、そのレターが日本の功労者召集問題と関係があるようには、どうも私には思えないのです。

やはり会見でジーコ監督自らが言っているように、「これまで控えだった選手の声を聞いて」それを断念したのだと考えるべきでしょうね。いかにもジーコ監督らしい(笑)。これまでのジーコ監督のチーム作りの方法論、体質などから考えると、実に合点がいくことです。合点は行くのですが、さてそれが日本代表の強化にとってどうなのか、ということになると、なんとも疑問が大きいと言わざるをえませんね。

それはさておき、この「大山鳴動してキャプテンの尻尾出ず」(笑)騒動については、もう少し考えてみたいですね。

それではまた。

10:21 PM [ジーコジャパン・1次予選] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (1) |

November 05, 2004

「魂の継承」なのかどうなのか?

自称評論家のおおやしさんからトラックバックをいただきました。ありがとうございます。

さて、そちらで提起された問題ですが、おおやしさんは「理想型」と「中間型」という風に、物事の批評の仕方をまとめておられます。そして、おおやしさん御自身は「理想型」であり、

だから一歩進んでいいものには「いい」、ダメなものには「ダメ」と言わなければいけないと思います。見守る側が価値基準と批判精神を失っては、そこに発展はない。チームを応援する人は常に高いところを見ていなければならないと思います。サポーターが諦めてどうするんです?

とお考えだとのことです。

私もこれはまったく賛成です。「いいものにはいい、ダメなものには」ダメと言う、いわゆる是々非々の姿勢ですね。私もそうありたいと思うし、基本的にはそれを貫いてきたつもりです。

しかしながら、その中でも、今回の「功労者召集案」は、まだ「ダメなもの」の範疇には入っていないと私には思われる、ということなのです。つまり前回の文章では、「今回の件は(まだ)それほどダメじゃないのではないか」と書いたつもりです。

それ以外の部分でジーコ監督にダメな部分が多々あるのは、私としては指摘済みのつもりなんですね。ただ、これからも継続してそれに対して声を上げていく必要があるということも確かです。おおやしさんがおっしゃるように、サポは諦めてはならない、ですね。

というわけで、ここでおおやしさんの「公式戦を無駄にするな」をベースに、「それほどダメなのか?」をもう一度検証してみたいと思います。おおやしさんは、功労者召集案に「大きな問題点が4つある」とされています。

一つ目は、引退したわけでもない、もしくは代表引退を表明したわけではないのに、こうした「引退試合風」ゲームをやってしまうこと。実際に名前が挙がっている選手にとっては、勝手に幕引きがなされるようで、気分の悪い選手もいるだろう。

これはおっしゃるとおりだと思います。ただ、だからこそ、ジーコが(当該選手に)面と向かって召集の理由を説明するまで、その是非が問われるべきではないのでは?とも思うのです。一部で言われるような、「魂の継承」というような意図がジーコにあり、彼がそれを選手に説明して、選手たちが納得したとしたら、それは「引退試合風」ゲームではなくなりますよね。その点がまだグレーなので、この問題点を厳しく追求するには当たらないのではないかと思うわけです。

2つ目は公式戦をこうしたゲームに使うこと。記念試合は通常の代表活動に影響の無いところで行われるべきだ。シーズンオフ、もしくはリーグ戦の合い間の水曜日あたりにやるべきであり、インターナショナルマッチデーをつぶしてやるような試合ではない。重要なのはシンガポール戦という消化試合がつぶれること以上に、そのゲームの前に確保されている1週間以上の準備期間が無駄になることである。また、公式戦の舞台を若手から奪っての記念試合というのは、出る側も後味が悪いだろう。

準備期間の視点は私も見落としていました。17日のシンガポール戦の前の土日は、少なくともJリーグは休止して、国内組だけで考えれば、試合の前にかなり長い準備期間が取れそうですね。シンガポール戦ではほとんどろくな準備もできない、と私が思っていたことは、確かに訂正の必要があるようです。

そこが公式戦と、親善試合の違いですね。親善試合では通常はこれほどの期間が取れないものです。この準備期間があれば、例えば新戦力を召集したとして、代表になじむ時間はある程度とれそうですね。それが無駄になるのは、いかにももったいないことです。ただこれは、1つめとも3つめとも関係するのですが、ジーコ監督がその合宿こそ、「魂の継承」の場所だと考えている可能性も否定できません。

つまり、「功労者を招集しての試合」を、本当に単純に、彼らを招集してのお祭りとして、彼らに感謝するためだけに行うのか。それとも、そういう機会を設けて、「魂の継承」によって現日本代表を強化する目的があって行うのか。

そこがもっとも大きな点だと思うのです。

もし後者であるのなら、1)功労者たちも喜んで協力してくれるかもしれないし、2)準備期間も無駄にならないだろうし、3)シンガポールにも失礼に当たらないでしょう。日本が、どのような強化策をとろうとも、強化のための策である限りは、他国から文句を言われる筋合いはないように思います。

4つ目は、控え選手から出てくるであろう不満の声だ。

これについては前回も書きましたが、海外組を原則召集しない中では、これまでの控え組みはおそらく召集され、功労者の招集があったとしても、組み合わさってピッチに立つこともできるでしょう。

以上のように、1~3の問題点は、ジーコ監督の意図が「おまつり」にはなく、「強化」にあった場合には、それほど問題ではなくなると思うのです。確かに「フェスタ」という発言はありましたが、私はこういう一部の言葉を切り取って取り上げたスポーツ紙の記事はあまり信用していません(笑)ので、まだ「ジーコが強化のためにこの召集案を考えた」という可能性も捨てきれないと思っています。したがって「現時点では」騒ぐにはあたらない、と思うのです。

もちろん、ジーコが強化のことを考えていなく、本当に浮かれた、ただのお祭りのために功労者召集案を言い出しているのなら、私もそれはおかしいと思います。断固として反対です。しかし、そうではない可能性もある。よって、その真意がわかるまでは静観しておこう、というのが現在の私のスタンスなのです。

私も「ダメなものはダメと言う」姿勢に大いに賛成です。そして、これからもその姿勢で行くために、「ダメかどうかまだわからないものには、ダメと言わない」という考えでやっていこうと私は思っています。もちろん、この点は人それぞれでいいのですが。

有意義な問題提起ありがとうございました>おおやしさん。

今日いよいよ発表ですね。どのような召集があるのか、またそれに対するジーコの意図の説明はどのようになるのか。いろいろな意味で注目ですね。

それではまた。

12:46 PM [ジーコジャパン・1次予選] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (4) |