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August 29, 2004

山本ニッポンの「組織」2

その後も山本監督はこの路線を堅持していた。

しかし、例えば2003年7月のvs韓国戦でも、プレスがかからず、ディフェンスラインが後退してしまい、前方での動き出しが乏しく前へボールを送れないという状態は続き、シュート数にして12対5で圧倒された(試合自体は1-1の引き分け)。確かに韓国は「アテネのメダルに近い(山本監督)」チームではあったが、釜山での課題がそのまま出ていたことを見ても、チームとしての組織の問題が未解決であったと言わざるを得ないだろう。

この路線は1年半かけて続けられたが、結局うまく機能させることはなかなかできなかった。そして9月の韓国五輪代表との再戦でも、後半はいくらかは改善されたものの、試合全体はやはり圧倒されていた。その後、闘莉王の帰化やワールドユース終了などの諸条件の変化を受けて、04年2月のイラン戦から山本監督は、DFセンターに闘莉王、左アウトサイドに森崎(浩)、大型FW平山、中盤に今野と鈴木(啓太)という布陣を基本とし始める。特にセンターラインの闘莉王、今野、平山は合流直後に、一気に中心としての地位を占めるようになった。

ここから、闘莉王の攻め上がりによって回りの選手が強制的に(笑)動かされること、今野の参加によるプレッシングの強化、平山による前線の基点、森崎によるサイドの基点などによって、それまでの問題のいくつかが解決したように見え、最終予選は何とか戦い抜くことができ、アテネ五輪出場権を獲得した。

とはいえ、バーレーン、レバノン、UAEという組み分けは、韓国、イラン、中国が同居するA組、サウジアラビア、オマーン、イラクのC組と比べると、客観的にはむしろ楽な組み合わせと見るべきであった。にもかかわらず、非常に苦戦し、ぎりぎりでの通過になった原因はなんだったのか。

五輪出場決定の祝賀ムード、アウェーでの大量選手の体調不良の問題などで、山本監督の指導の問題は省みられることがなく、苦戦の原因の追求がおろそかになったことは、返す返すも悔やまれるところである。

五輪予選は通過できたが、それは、少数の選手の能力によって、それまでのプレスの連動性のなさ、ラインの下がりすぎ、起点の作れなさ、前線の動き出しのなさなどをなんとか応急処置をしていたためであって、それらを指導によって向上できていないという問題点はそのままになっていたと私は思う。それが一部選手の「代えのきかなさ」につながってしまったのである。そういった部分が(体調不良などをおいておいても)最終予選の試合全体の低内容に現れていたと言えるだろう。

また、DFラインの指導もあいまいなままであり、アジア最終予選レバノン戦では、ふたたび選手同士の連携のイージーミスから失点している。さらに闘莉王の怪我によりセンターが阿部になった試合では、急にDFラインの上下動が増えてコンパクトフィールドを実現しようという志向が現れた。選手の個性がある程度反映されるのは当然だが、DFラインの枢要な行動原理までが変化する山本ニッポンのそれは極端すぎたと思われる。

このように、山本五輪代表は、チームにおける戦い方の原理原則が指導によってしっかりとできないまま、起用する選手によってそれががらりと変わる、「選手依存」のチーム作りに、結果としてなってしまっていた。パラグアイ戦後に私は

新しい選手が入るたびに、その選手頼みになるという、山本監督のチーム作りのつけ

と書いたのだが、それはこのことを意味している。山本監督のチーム作りが(結果としてだが)このようなものであるのだから、OAを使えば、OAが中心のチーム作りになってしまうのは理の当然というべきであろう。そもそも、OAは現五輪世代の選手よりも能力が上だから起用するわけであるからだ。

であるからこそ、山本監督は曽ケ端、小野、高原という、センターラインの、起用すれば中心の中心になるだろう選手をOAに選んだのだ。それは明らかに「彼ら中心の代表を作る」という意思の表明でもあったのだが、同時に「それしかできない」ということでもあったわけである。

したがって、OAの彼らが何らかの理由で参加できなかった場合のために、山本監督が他の選手を選んでいないのも、仕方がないことでもあろう。かつてのフランス代表がジダンの代わりを用意できなかったように、こういうチーム作りは「○○というタイプの選手が必要だから、何人かいるそのタイプの選手たちの中で起用できる選手を選ぶ」ということにはなっていないのだ。

あれだけのテストを繰り返しながらも、「一部の選手に合わせて/頼ってチームを作る」になってしまっていたのである。それは五輪本大会前の、苦戦したvsオーストラリア戦後に山本監督が「小野が入ることによって、かなり中盤の構成は変わってくる。期待しています」と発言していることでも良く分かる。

私は小野を入れる場合でも、他のOAにFWを使う場合でも、あらかじめチームの戦い方をしっかりと決め、それを作り上げた上で、その中にOAを組み込めるようなやり方をするべきであると考えていた

しかし、山本監督はやはり、「使えるOAにあわせてチームを変える」ということをしてしまったわけだが、それは彼のこれまでを見ていると、予想がついたことでもあるのである。

したがって、小野は「これまでの五輪代表のある一つのポジションを強化した」のではなくて、「小野中心のチームを作ろうとした」ところへ組み入れられてしまったことになる。しかし、いうまでもなくそれには時間がなさ過ぎた。そして、もともと選手の動き出しや、プレスの連動性を指導することに長けていない山本監督は、小野をトップ下に置いた場合のそれを機能させることにもやはり失敗したのである。

それはパラグアイ戦で見事に現れた。負けているのに前方で選手が動き出さない、小野が何をするのかをじっと見ている、小野も小野でボールを引き出すための動きが全然できない。プレスが効かずDFラインがずるずると下がってしまう。それはイタリア戦でも同様で、1失点目の日本の右サイドの破られ方は、中盤での守備の仕方が整備されていれば、あそこまでやすやすとは突破されない類のものであっただろう。

サッカーマガジン8月31日号では、巻頭で「日本はなぜ敗れたのか」と題して特集が組まれ、中で税所真紀子氏は

日本は『組織力』を武器としていた。しかし、この2試合では結果的には『個の強さ』を『組織力』で封じることはできなかった。

としている。私はこれは間違っていると思う。そもそも山本五輪代表は組織をきちんと機能させることは少なく、さらに、合流間もない一人の選手を中心に据えようとしたことで組織的なプレスができなくなり、機能不全に陥った。それがまさに五輪本大会で私たちが見たことである。そして、そういう状態は、山本監督の指導能力、チーム作りの方針から来る必然的なものだったのだと、私には思えるのだ。

大変長くなったが、山本ニッポンの検証は次回で終わりとしたい。

それではまた。

10:14 PM [アテネ五輪代表] | 固定リンク

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