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August 22, 2004

「大きな大会の初戦」

山本ニッポンについて、さらに考察をしてみたい。

私の先日の書き方だと、「育成を選択したことが悪いのであって、山本監督の能力の問題じゃない」とも読めるよ、と指摘のメールをいただいた。これはまったく不本意なことである(笑)。私はやはり(ユースレベルでしか)監督経験のなかった山本氏の監督としての能力は、かなり低いものであると思っている。

そのことからくる、アテネ五輪(あるいはそれ以前)における山本ニッポンの問題は、いくつもある。一つ一つ見ていこう。

山本監督はガーナ戦後の会見において、五輪敗退の大きな原因として

この大会に関していえば、一番最初の試合の入り方に悔いが残るのと、やはりこれは運命ですけれども、試合会場で練習ができなかった。

と述べている。試合会場で練習の件に関しては、おそらく芝の問題を言っているのだろうが、それは一回横においておこう。

山本監督の言うとおり、このようなタイトルのかかった大きな大会の初戦での「試合の入り方」、これが大きな大きな問題であるということは、もはや常識と言っていいことだろう。EUROでは開催国ポルトガルがギリシャに負け、先日のアジアカップでも日本は、初戦ではメンタルをうまく作れず、漫然と試合に臨みオマーンに圧倒されてしまっていた。2001年アルゼンチンワールドユースの初戦もそうである。

このような例は枚挙に暇がない。山本監督はそれぐらい知っているはずであろうと思う。そしてそれを避けるために何らかの手段はとったのだろうと思う。いや、思いたい。しかし、監督としての経験が非常に浅い彼は、それに失敗したのだ。そして代表監督には、「モチベーション・コントロール」の能力が非常に重要であることの、逆説的なひとつの証明になってしまった。

湯浅さんは

 監督の本当の仕事は、選手たちの「人間的な弱さとの闘い」・・だからこそ、「瞬間的」に選手たちから恨まれたり憎まれたりすることに「も」余裕をもって耐えられなければならない・・そんな人間心理のダークサイドパワーまでも最大限に活用することができなければ、決してギリギリの勝負に勝つことはできない・・

と書かれている。まさにそういうことなのだと思う。

先に例に述べた、2001ワールドユースであるが、この時のロッカールームについての記述が、中鉢信一氏「進化する日本サッカー」の中にあった。

01年の世界ユース選手権(20歳以下)で、日本ユース代表に同行した日本サッカー協会の幹部は、約3年ぶりとなる「トルシエのいない代表チーム」の雰囲気を敏感に感じていた。帰国後、「トルシエのチームと比べると、ロッカールームにはピリピリとした緊張感が足りなかった。勝つにはトルシエのようなやり方も必要だ」と報告している。トルシエの手腕に対する新しい視点も芽生えている。

もちろん、彼のような「ピリピリさせること」だけがモチベーションコントロール唯一の手法ではない。この場合に必要なのは、初戦の過緊張をいかに軽減できるか、軽減できなくても、それを持ちながらパフォーマンスを発揮できるような手段を講じることができるか、ということだ。それはそういう手段を学び(たとえばオランダの指導者育成コースには「心理学」の項目もある)、経験していかないと向上しない能力であることは言うまでもないだろう。

またそれは、モチベーション、メンタルだけの問題ではない。その例として、もう一つ興味深い事例を紹介しておきたい。「大きな大会の初戦」といえば、直近ではもっとも大きな大会の初戦は「2002年韓日W杯ベルギー戦」であろう。さて、ではあの試合の戦い方はどうだったか?

トルシェ監督は、2002年になってからの親善試合で、「DFラインからのロングボール」を徹底してシミュレーションしていた。それはそれまでの日本のやり方の中にも入ってはいたが、それにしてもその頻度が多くなっていた。左の中田浩二選手や中央の森岡選手からのロングフィードは、もともと日本の武器のひとつであったけれども、2002年になってからは右の松田選手にもそれを重視して求めているように見えた。

そしてそれは、ベルギー戦の前半に顕著に現れた。それは「初戦の過緊張」を織り込んで、

「ベルギーは、日本の中盤のパス回しを狙ってくるだろう」
「そこからお家芸のカウンターを狙ってくるだろう」
「それに対し、大会に慣れていない、過緊張したままで対応すると、失点の可能性が高い」
「それは絶対に避けなければならない」
「前半はDFラインからのロングボールに徹しよう」
「それによって、暑さ、湿気に慣れないベルギーのDFの疲労を誘う」
「ベルギーDFの足が止まった時点で、攻撃的選手を入れて攻勢に出よう」

というゲームプランを数ヶ月前から立案し、それをシミュレーションしておいたものなのだ。

注目の集まる大会の最初の試合で、「まずはロングボールから」という戦い方を選択したことで、「トルシェ日本は最後はロングボール頼りのつまらないサッカーになった」という声があるが、それはこの「大きな大会の初戦の入り方」として、あえてそれを選択したのだ、ということを見落としている意見である。「大きな大会」そのものをまだ少ししか経験していない国の、ナイーブな見方であるといわざるを得ない。「大きな大会での初戦の難しさ」を知っていれば、あの戦い方にも合点がいくはずである。

あの戦い方は、大きな大会の初戦の入りかたとして、ミスが許されない時のためのものだったのだ。そしてそのためにじっくりとシミュレーションし、実践したものでもあった。「大きな大会の初戦」がいかに難しいか、しかも、ホームであり(後押しも受けるが)プレッシャーもさらに強いということをよく知り、それに対処するメソッドを持った「プロの代表監督」だからこそ、それができたのである。

■注記

もちろん、このように書いたからと言って、あのベルギー戦のやり方が唯一絶対の正しいものである、とか、あれを今回のパラグアイ戦で採るべきだった、とか主張しているわけではない、言うまでもないが。それぞれの試合に採るべきゲームプランは異なり、今回の試合では山本監督がそれを読み違え、または指導が十分でなく、あるいは準備が足りなかった、ということに過ぎないのだ。

また、イタリア戦では「開始20分はセーフティーに」という指示も出したようだ。しかし、いつも言うことであるが「口で言うだけでできるならそんな簡単なことはない」のであって、そのやり方の準備、指導、シミュレーションが(これほどの時間を与えられながら)できていなかったということなのだ。またこの部分は、彼の戦術コンセプトからくるものでもあると思う。この部分については後述する。

こんなことは、何世代にもわたって代表のロッカールームを経験してきた山本監督には、十分承知のはずのことだろう。しかし彼はそれに失敗した。そのためのメソッドを持っていなかったか、未経験でもありできなかった。対応したゲームプランも立てていなく、あるいは立てていても、事前に徹底することができなかった。

グループリーグ敗退は、初戦の最初の失点ですべてが狂ってしまったことによる部分が大きい。それは、きつい言い方だが、山本監督の能力の問題なのだ。

「五輪敗退」・・・この苦いテーマについては、もう少し考察してみたい。

それではまた。

12:35 PM [アテネ五輪代表] | 固定リンク

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