« July 2004 | トップページ | September 2004 »
August 29, 2004山本ニッポンの「組織」2
その後も山本監督はこの路線を堅持していた。
しかし、例えば2003年7月のvs韓国戦でも、プレスがかからず、ディフェンスラインが後退してしまい、前方での動き出しが乏しく前へボールを送れないという状態は続き、シュート数にして12対5で圧倒された(試合自体は1-1の引き分け)。確かに韓国は「アテネのメダルに近い(山本監督)」チームではあったが、釜山での課題がそのまま出ていたことを見ても、チームとしての組織の問題が未解決であったと言わざるを得ないだろう。
この路線は1年半かけて続けられたが、結局うまく機能させることはなかなかできなかった。そして9月の韓国五輪代表との再戦でも、後半はいくらかは改善されたものの、試合全体はやはり圧倒されていた。その後、闘莉王の帰化やワールドユース終了などの諸条件の変化を受けて、04年2月のイラン戦から山本監督は、DFセンターに闘莉王、左アウトサイドに森崎(浩)、大型FW平山、中盤に今野と鈴木(啓太)という布陣を基本とし始める。特にセンターラインの闘莉王、今野、平山は合流直後に、一気に中心としての地位を占めるようになった。
ここから、闘莉王の攻め上がりによって回りの選手が強制的に(笑)動かされること、今野の参加によるプレッシングの強化、平山による前線の基点、森崎によるサイドの基点などによって、それまでの問題のいくつかが解決したように見え、最終予選は何とか戦い抜くことができ、アテネ五輪出場権を獲得した。
とはいえ、バーレーン、レバノン、UAEという組み分けは、韓国、イラン、中国が同居するA組、サウジアラビア、オマーン、イラクのC組と比べると、客観的にはむしろ楽な組み合わせと見るべきであった。にもかかわらず、非常に苦戦し、ぎりぎりでの通過になった原因はなんだったのか。
五輪出場決定の祝賀ムード、アウェーでの大量選手の体調不良の問題などで、山本監督の指導の問題は省みられることがなく、苦戦の原因の追求がおろそかになったことは、返す返すも悔やまれるところである。
五輪予選は通過できたが、それは、少数の選手の能力によって、それまでのプレスの連動性のなさ、ラインの下がりすぎ、起点の作れなさ、前線の動き出しのなさなどをなんとか応急処置をしていたためであって、それらを指導によって向上できていないという問題点はそのままになっていたと私は思う。それが一部選手の「代えのきかなさ」につながってしまったのである。そういった部分が(体調不良などをおいておいても)最終予選の試合全体の低内容に現れていたと言えるだろう。
また、DFラインの指導もあいまいなままであり、アジア最終予選レバノン戦では、ふたたび選手同士の連携のイージーミスから失点している。さらに闘莉王の怪我によりセンターが阿部になった試合では、急にDFラインの上下動が増えてコンパクトフィールドを実現しようという志向が現れた。選手の個性がある程度反映されるのは当然だが、DFラインの枢要な行動原理までが変化する山本ニッポンのそれは極端すぎたと思われる。
このように、山本五輪代表は、チームにおける戦い方の原理原則が指導によってしっかりとできないまま、起用する選手によってそれががらりと変わる、「選手依存」のチーム作りに、結果としてなってしまっていた。パラグアイ戦後に私は
新しい選手が入るたびに、その選手頼みになるという、山本監督のチーム作りのつけ
と書いたのだが、それはこのことを意味している。山本監督のチーム作りが(結果としてだが)このようなものであるのだから、OAを使えば、OAが中心のチーム作りになってしまうのは理の当然というべきであろう。そもそも、OAは現五輪世代の選手よりも能力が上だから起用するわけであるからだ。
であるからこそ、山本監督は曽ケ端、小野、高原という、センターラインの、起用すれば中心の中心になるだろう選手をOAに選んだのだ。それは明らかに「彼ら中心の代表を作る」という意思の表明でもあったのだが、同時に「それしかできない」ということでもあったわけである。
したがって、OAの彼らが何らかの理由で参加できなかった場合のために、山本監督が他の選手を選んでいないのも、仕方がないことでもあろう。かつてのフランス代表がジダンの代わりを用意できなかったように、こういうチーム作りは「○○というタイプの選手が必要だから、何人かいるそのタイプの選手たちの中で起用できる選手を選ぶ」ということにはなっていないのだ。
あれだけのテストを繰り返しながらも、「一部の選手に合わせて/頼ってチームを作る」になってしまっていたのである。それは五輪本大会前の、苦戦したvsオーストラリア戦後に山本監督が「小野が入ることによって、かなり中盤の構成は変わってくる。期待しています」と発言していることでも良く分かる。
私は小野を入れる場合でも、他のOAにFWを使う場合でも、あらかじめチームの戦い方をしっかりと決め、それを作り上げた上で、その中にOAを組み込めるようなやり方をするべきであると考えていた。
しかし、山本監督はやはり、「使えるOAにあわせてチームを変える」ということをしてしまったわけだが、それは彼のこれまでを見ていると、予想がついたことでもあるのである。
したがって、小野は「これまでの五輪代表のある一つのポジションを強化した」のではなくて、「小野中心のチームを作ろうとした」ところへ組み入れられてしまったことになる。しかし、いうまでもなくそれには時間がなさ過ぎた。そして、もともと選手の動き出しや、プレスの連動性を指導することに長けていない山本監督は、小野をトップ下に置いた場合のそれを機能させることにもやはり失敗したのである。
それはパラグアイ戦で見事に現れた。負けているのに前方で選手が動き出さない、小野が何をするのかをじっと見ている、小野も小野でボールを引き出すための動きが全然できない。プレスが効かずDFラインがずるずると下がってしまう。それはイタリア戦でも同様で、1失点目の日本の右サイドの破られ方は、中盤での守備の仕方が整備されていれば、あそこまでやすやすとは突破されない類のものであっただろう。
サッカーマガジン8月31日号では、巻頭で「日本はなぜ敗れたのか」と題して特集が組まれ、中で税所真紀子氏は
日本は『組織力』を武器としていた。しかし、この2試合では結果的には『個の強さ』を『組織力』で封じることはできなかった。
としている。私はこれは間違っていると思う。そもそも山本五輪代表は組織をきちんと機能させることは少なく、さらに、合流間もない一人の選手を中心に据えようとしたことで組織的なプレスができなくなり、機能不全に陥った。それがまさに五輪本大会で私たちが見たことである。そして、そういう状態は、山本監督の指導能力、チーム作りの方針から来る必然的なものだったのだと、私には思えるのだ。
大変長くなったが、山本ニッポンの検証は次回で終わりとしたい。
それではまた。
10:14 PM [アテネ五輪代表] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1) |
山本ニッポンの「組織」
山本ニッポンの問題について、前回は「大きな大会の初戦」に臨むモチベーション作り、戦い方の準備の不備について指摘した。
しかし、そのようなピンポイントなタイミングの問題ではなく、そもそも山本監督の戦術指導、組織作りの指導に潜む問題についても書いておかなくてはならないだろう。いうまでもなく、それがもっとも大きな問題であろうからだ。
山本監督のコンセプトの特徴は、「基点を高い位置に置かないダイレクトプレー」であると考えられる。
それをやや細かく見ていこう。
山本監督のチームが私たちの前に形を現したのは、まず釜山アジア大会であった。U-21年代(当時)の選手たちで編成されたそのチームにおいて特徴的なのは、3バックのセンターにパス能力の高いボランチの選手である青木(鹿島アントラーズ)を配置しておいたことであろう。この狙いについて、山本監督が「サッカークリニック」誌2003年4月号で(釜山アジア大会終了後)自ら解説している。長くなるが引用してみたい。
U-22代表は3バックを基本にしている。3人の守り方は、まず両ストッパーが相手をスペースのないコーナーに追い込む。リベロは高い位置に上がってクサビ役の選手をマークし、バイタルエリア(ラストパスの基点となるエリア。ボランチとDFラインの間など)をしっかりと抑える。
これでボールが取れて、少し前に出ているリベロに渡れば、ダイレクトプレーにつながるビッグチャンスが生まれる。このとき、リベロは半身でボールを受けて振り向くことになる。
ストッパーが本職の選手は前には強いが、ターンはあまり得意ではない。しかし、ボランチの選手は日常的にターンを繰り返しており、ボールさばきも長けている。前線への長いフィードも出せる。こうした理由から、青木や阿部をリベロに抜擢した。
「DFラインで奪って、やや高めに位置するリベロに預け、前線へのダイレクトプレーを志向する」・・・これが彼の方針の一つの特徴といえるだろう。また、ボランチの一人としてかならず森崎和、阿部、青木といったパスに長けた選手を起用していた。これもそこを基点としようという意図であると考えられる。ボール奪取後の起点を、リベロ、ボランチに置こうという考え方だ。
この方針を同じく3バックを基本としていたトルシェ日本と比べると
・トルシェほどは3バックの上下動、特に押上げを厳密に大胆にはしないこと
・左右のアウトサイドにサイドバックタイプを選んでいること
が異なっていることが見て取れる。
つまり、トルシェ日本では、
ラインコントロールによってコンパクトフィールドを作り、
その中での高密度のプレスにより高い位置でボールを奪取、
攻撃の基点を左アウトサイドに置き、
ダイレクトプレーを中心に攻める
であったのが、山本ニッポンでは
あまりラインコントロールを重視せず、
DFラインで奪ったボールを上がった位置にいるリベロ(青木)か
一人のボランチに預け、そこを基点として
ダイレクトプレーを中心に攻める
ということになる。
(注:トルシェ日本は2000アジアカップで見せたような組織的なボールポゼッションからの攻撃も持っていたのだが、ここでは簡素化のためにダイレクトプレーに話を絞ろう)
しかし、アジア大会では奪って青木や一人のボランチに預けたはいいものの、そこで起点を作った後の、前線の動き出しが未整備に過ぎ、基点からうまく攻撃につなげることができていなかった。また、基点となるべきボランチの選手のポジショニング、動き出し、動きなおしも指導できておらず、ボールを受けることもなかなかできない状態が続いていた。
同時に、左右のアウトサイドをサイドバックに近いタイプの選手とし、絞込みに関する指導もうまくできなかったことで、(もちろんラインコントロールを重視しないためフィールドがコンパクトでなくなることもその一因であったが)、中盤のプレスもうまく効いてはいなかった。これは鶏と卵で、プレスがうまく行かないために、ラインがずるずると下がる、ということでもあるのだが。
釜山アジア大会、山本U-21は結局、「カバーを重視し、低い位置でのライン設定となり、その周辺に多くの選手が集まって人数をかけて何とか守る」という戦いぶりとなっていた。コンセプトである「低い位置からのダイレクトプレー」も、前線でのボールの収まりどころを構築できず、機能しない試合のほうが多かった。準々決勝以降の中国、タイ、イラン戦のすべてにおいて、シュート数で上回られているのである(この数字自体はその証左とは言い切れないが、参考にはなるであろう。具体的には各試合での機能具合をつぶさに検証しなければならない。が、今は先を急ぐ)。
年上の年代に混じってのアジア大会準優勝は評価されるべきであるけれども、このときの山本監督の選手に対する指導能力は、けして高いものを見せていなかったと私は思う。私はパラグアイ戦終了後に、
ディフェンスラインが安定しない、中盤が間延びしてしまう、攻撃時のビルドアップがスムースでないという、山本日本の悪癖が全部出た、実に残念な試合だった。
とこちらに書いたのだが、その悪癖はすでにこのアジア大会で現れていたのである。
(続く)
10:07 PM [アテネ五輪代表] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) |
August 22, 2004「大きな大会の初戦」
山本ニッポンについて、さらに考察をしてみたい。
私の先日の書き方だと、「育成を選択したことが悪いのであって、山本監督の能力の問題じゃない」とも読めるよ、と指摘のメールをいただいた。これはまったく不本意なことである(笑)。私はやはり(ユースレベルでしか)監督経験のなかった山本氏の監督としての能力は、かなり低いものであると思っている。
そのことからくる、アテネ五輪(あるいはそれ以前)における山本ニッポンの問題は、いくつもある。一つ一つ見ていこう。
山本監督はガーナ戦後の会見において、五輪敗退の大きな原因として
この大会に関していえば、一番最初の試合の入り方に悔いが残るのと、やはりこれは運命ですけれども、試合会場で練習ができなかった。
と述べている。試合会場で練習の件に関しては、おそらく芝の問題を言っているのだろうが、それは一回横においておこう。
山本監督の言うとおり、このようなタイトルのかかった大きな大会の初戦での「試合の入り方」、これが大きな大きな問題であるということは、もはや常識と言っていいことだろう。EUROでは開催国ポルトガルがギリシャに負け、先日のアジアカップでも日本は、初戦ではメンタルをうまく作れず、漫然と試合に臨みオマーンに圧倒されてしまっていた。2001年アルゼンチンワールドユースの初戦もそうである。
このような例は枚挙に暇がない。山本監督はそれぐらい知っているはずであろうと思う。そしてそれを避けるために何らかの手段はとったのだろうと思う。いや、思いたい。しかし、監督としての経験が非常に浅い彼は、それに失敗したのだ。そして代表監督には、「モチベーション・コントロール」の能力が非常に重要であることの、逆説的なひとつの証明になってしまった。
監督の本当の仕事は、選手たちの「人間的な弱さとの闘い」・・だからこそ、「瞬間的」に選手たちから恨まれたり憎まれたりすることに「も」余裕をもって耐えられなければならない・・そんな人間心理のダークサイドパワーまでも最大限に活用することができなければ、決してギリギリの勝負に勝つことはできない・・
と書かれている。まさにそういうことなのだと思う。
先に例に述べた、2001ワールドユースであるが、この時のロッカールームについての記述が、中鉢信一氏「進化する日本サッカー」の中にあった。
01年の世界ユース選手権(20歳以下)で、日本ユース代表に同行した日本サッカー協会の幹部は、約3年ぶりとなる「トルシエのいない代表チーム」の雰囲気を敏感に感じていた。帰国後、「トルシエのチームと比べると、ロッカールームにはピリピリとした緊張感が足りなかった。勝つにはトルシエのようなやり方も必要だ」と報告している。トルシエの手腕に対する新しい視点も芽生えている。
もちろん、彼のような「ピリピリさせること」だけがモチベーションコントロール唯一の手法ではない。この場合に必要なのは、初戦の過緊張をいかに軽減できるか、軽減できなくても、それを持ちながらパフォーマンスを発揮できるような手段を講じることができるか、ということだ。それはそういう手段を学び(たとえばオランダの指導者育成コースには「心理学」の項目もある)、経験していかないと向上しない能力であることは言うまでもないだろう。
またそれは、モチベーション、メンタルだけの問題ではない。その例として、もう一つ興味深い事例を紹介しておきたい。「大きな大会の初戦」といえば、直近ではもっとも大きな大会の初戦は「2002年韓日W杯ベルギー戦」であろう。さて、ではあの試合の戦い方はどうだったか?
トルシェ監督は、2002年になってからの親善試合で、「DFラインからのロングボール」を徹底してシミュレーションしていた。それはそれまでの日本のやり方の中にも入ってはいたが、それにしてもその頻度が多くなっていた。左の中田浩二選手や中央の森岡選手からのロングフィードは、もともと日本の武器のひとつであったけれども、2002年になってからは右の松田選手にもそれを重視して求めているように見えた。
そしてそれは、ベルギー戦の前半に顕著に現れた。それは「初戦の過緊張」を織り込んで、
「ベルギーは、日本の中盤のパス回しを狙ってくるだろう」
「そこからお家芸のカウンターを狙ってくるだろう」
「それに対し、大会に慣れていない、過緊張したままで対応すると、失点の可能性が高い」
「それは絶対に避けなければならない」
「前半はDFラインからのロングボールに徹しよう」
「それによって、暑さ、湿気に慣れないベルギーのDFの疲労を誘う」
「ベルギーDFの足が止まった時点で、攻撃的選手を入れて攻勢に出よう」
というゲームプランを数ヶ月前から立案し、それをシミュレーションしておいたものなのだ。
注目の集まる大会の最初の試合で、「まずはロングボールから」という戦い方を選択したことで、「トルシェ日本は最後はロングボール頼りのつまらないサッカーになった」という声があるが、それはこの「大きな大会の初戦の入り方」として、あえてそれを選択したのだ、ということを見落としている意見である。「大きな大会」そのものをまだ少ししか経験していない国の、ナイーブな見方であるといわざるを得ない。「大きな大会での初戦の難しさ」を知っていれば、あの戦い方にも合点がいくはずである。
あの戦い方は、大きな大会の初戦の入りかたとして、ミスが許されない時のためのものだったのだ。そしてそのためにじっくりとシミュレーションし、実践したものでもあった。「大きな大会の初戦」がいかに難しいか、しかも、ホームであり(後押しも受けるが)プレッシャーもさらに強いということをよく知り、それに対処するメソッドを持った「プロの代表監督」だからこそ、それができたのである。
■注記
もちろん、このように書いたからと言って、あのベルギー戦のやり方が唯一絶対の正しいものである、とか、あれを今回のパラグアイ戦で採るべきだった、とか主張しているわけではない、言うまでもないが。それぞれの試合に採るべきゲームプランは異なり、今回の試合では山本監督がそれを読み違え、または指導が十分でなく、あるいは準備が足りなかった、ということに過ぎないのだ。
また、イタリア戦では「開始20分はセーフティーに」という指示も出したようだ。しかし、いつも言うことであるが「口で言うだけでできるならそんな簡単なことはない」のであって、そのやり方の準備、指導、シミュレーションが(これほどの時間を与えられながら)できていなかったということなのだ。またこの部分は、彼の戦術コンセプトからくるものでもあると思う。この部分については後述する。
こんなことは、何世代にもわたって代表のロッカールームを経験してきた山本監督には、十分承知のはずのことだろう。しかし彼はそれに失敗した。そのためのメソッドを持っていなかったか、未経験でもありできなかった。対応したゲームプランも立てていなく、あるいは立てていても、事前に徹底することができなかった。
グループリーグ敗退は、初戦の最初の失点ですべてが狂ってしまったことによる部分が大きい。それは、きつい言い方だが、山本監督の能力の問題なのだ。
「五輪敗退」・・・この苦いテーマについては、もう少し考察してみたい。
それではまた。
12:35 PM [アテネ五輪代表] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1) |
August 21, 2004なでしこ敗退
なでしこジャパンは、アメリカ相手に1-2で負けてしまいましたね。
やはりアメリカはひとり一人の能力が高かったですね。しかし、以前はかなわなかった日本ですが、それに臆さず向かっていき、五分に近いところまで戦えるようになっていたのですから、この2年の進歩はすばらしいです。
アメリカは、体が強いだけじゃなくて、倒れそうになった後のプレーする意志がすごかったですね。普通なら取れているボールが、何度も持ち直されて、アメリカボールになってしまう。1失点目もそれによるものですね。なでしこたちには、これを体に刻んで、Lリーグでも忘れないで欲しいですね。
2失点目は、ボックスはオフサイドじゃないけど、ワンバックはボールが蹴られた瞬間にはオフサイドポジションにいた。その後のプレーは「オフサイドポジションにいたことで利益を得たプレー」であると思うので、あれは本当はオフサイドなのではないでしょうかね。まあ判定は、大局的に見ればこちらにもあちらにも平等に「下手さの被害」を与えているはずだし、「オフサイドポジションにいたことで利益を得たプレー」かどうかは審判が判断することなので、文句は言わないけれど。
前半はちょっと守備的過ぎたけど、失点してからはなでしこらしいプレーも随所に見られました。攻撃では、時として押している瞬間もあるくらい?日本の選手のテクニックは、けして負けていない。それを生かして組織的に戦うサッカーは、十分に「世界ランク2位」に通用していました。だからこそ、惜しい、悔しい、残念ですね。
でも、メダルという目標は果たせなかったけど、五輪初勝利、初決勝トーナメント、という歴史は刻んできた。そしてなにより、なでしこジャパンがこれまでにないほど、世間の注目を集めた。これはすごいことですよ。選手たちは、自分たちの力で大きなことを成し遂げました。
Lリーグが、これまで以上に盛り上がりますように。そこでまた力を蓄えて、次のなでしこジャパンでは、もっと強くなった姿を見せてくれるでしょう。
現在のJFAのトップページは、涙ぐむなでしこジャパンですね。今は涙が止まらないかもしれないけど、胸を張って日本に帰ってきてください。
お疲れさま、そしてありがとう。
それではまた。
10:16 PM [なでしこジャパン] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (2) |
August 19, 2004もう「次」はないのだ
アテネ五輪代表の最後の試合が終わった。
選手たちは素晴らしく集中し、これまでにないほど最終ラインも「クリアはクリア」とはっきりとしていた。攻撃陣も、ボールがないときの動き出し、ボールを持ってからの勝負の姿勢、どちらもこれまでで最高のものだったと思う。
彼らは、自分自身に対して「自分は何ものか」を証明することができた。最後の最後で。それはよいことだった。
すぐまたJがはじまる。サッカーは終わらない。各人がこの大会のことを、昨日の試合のことを胸に刻んで、大人になって行って欲しい。
おつかれさま。選手も、監督も、スタッフ、関係者のみなさまも。
■3試合を総括して
「アテネ経由ドイツ行き」・・・この言葉が、すべてをごまかしてしまったのじゃないかと思う。
もちろん一人一人の選手としてはそういう考えでいいだろう。アテネは終着点ではない、そこで終わるようなところでまとまってはいけない。フル代表へ、ドイツへ、あるいはその先へ、選手は目線を高く持つべきだ。それはその通りだろう。
しかし、監督という一つのチームを任された人間が、そのようなことを口にする時、そこに起こることはなんだったのか。私たちはそれをこの2週間で見せられたのではなかったか。
プロの代表監督にとって、一つのチームを任されれば、そのチームを強化し、最上の結果を出すことが最大の、そして唯一のミッションとなる。指揮官はすべてのリソースを使ってそれを目指す。それが当然であり、それがあってこそチームは成長し、機能していくのだ。
「アテネ経由ドイツ行き」・・・アテネ五輪代表の指揮官は、プロの代表監督ではなかった。自分に課されたミッションを、「チームとしての強化」ではなく、「選手の育成」としてしまった。それはプロの監督としてというよりも、まるで「協会の育成担当者」としてのふるまいかただった。そして実際「そう」だったのだと思う。
監督経験がない人物、協会内で「仲間」だから起用される人物、結果を出さなくても「仲間」だから協会から「かばわれる」人物、これまでの各年代の代表監督には、そういう人物が多くはなかったか(もちろんいくつかの例外はある)。それは、日本のサッカーがまだまだ仲間内の「日本サッカームラ」の中で、持ち回りのようにして運営されるものだから、という体質があるのではないか。
話がそれた。
そのチームを預かる監督が、「チームとしての強化」よりも、育成を重視する。五輪年代において、それは必ずしも間違いではない、というのがこれまでの日本での認識かもしれない。まだフル代表ではなく、成長途中の選手たちであるから。オーバーコーチングは避けるべきであるから。そのような議論は多くなされた。実際に私も、五輪年代においては「選手育成」と「チーム強化」は両輪である、と思う。
しかし、日本におけるそれは、現状かなりバランスを欠いたものであると私には思われてならない。U-23とは言え、もはやほとんどの選手がJリーグ各チームにおける中核選手である。対戦相手に目をやれば、セリエAをはじめ、ビッグクラブのメンバーも多い。そのような年代のチームに対しては、「育成」ばかりを重視するのではなく、もはやフル年代と同等程度に「チーム作り」の方に比重を移してよいはずだ。
日本人選手が海外に行って一番に言われることは、フィジカルでも、テクニックでもなく、「戦術理解が足りない」であるという。この「戦術理解」とは、特定のチーム戦術の理解ではなく、一般的な各ポジションの役割理解、その実践、さまざまな戦術的要求に対する対応力、などなどであると思う。よく言われる「個人戦術」よりももっと踏み込んだものだ。
なぜこれが足りなくなってしまうのか。それは、日本のサッカー界がいつまでも選手を「子ども扱い」するからではないか。いわく「まだ育成の年代だ」「選手を戦術で縛るのは早い」「自由にやらせて自主性を育むべきだ」そのような言葉が、各国リーグでも主力となるはずのU-23年代でもまかり通っている。そしてその結果「戦術理解の足りない」選手を作り上げ、送り出してしまうのではないか。
パラグアイ戦でも、イタリア戦でも、一人一人がボールを持った時の動き出しが整備されていなかった。守備でも、誰が寄せ、誰がカバーに入るのか、プレスをどのように連動して行うのか、その動きもばらばらだった。2年の時間を与えられながら、チーム組織としての完成度が非常に低い状態で五輪を迎えてしまった。選手に対するコンセプトの徹底をおろそかにし、「選手に自分で考えさせる」などとうそぶき、どのような試合をしても「いい経験になった」と言い続け、「チームとしての強化」よりも、選手の育成を目的にしてきたことが、それを生んだのだ。
例えばイタリア戦の1失点目、サイドのモレッティへのプレス、スクッリの走り込みへのケア、それらがはっきりとしない間に、崩され、点を取られている。「あんなオーバーヘッド、Jじゃ見たことない」から取られたわけではないのである。日本サッカーは組織にこだわりすぎるという意見をよく耳にする。少なくとも、このアテネ五輪代表は、初戦はチームに合流して間もない選手のために、イタリア戦ではこれまで試したことの少なかった4バックにしてしまったため、まったくといっていいほど組織だったサッカーを見せることができなかった。
この年代では、もう「プロの代表監督」が、正面から「チーム強化」をしようという姿勢でいい。そうであるべきだ。そのためにしっかりとトレーニングをし、チーム組織を作っていく。それがあってこそ、世界大会で結果を出せる、より高いレベルで経験を積めるのであるし、そのための選手に対する要求、トレーニングの過程があってこそ、「戦術理解を高める」ことができるのだ。例えばであるが、「各ポジションの役割理解」について、漫然と試合をこなすだけで向上できるわけがないではないか。
「アテネ経由ドイツ行き」・・・この言葉の功罪について、また五輪代表の戦いぶり、強化については、またいずれ検証してみたいと思う。
それではまた。
12:52 PM [アテネ五輪代表] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (5) |
August 16, 2004残念だ
-----高松-----
大久保-------松井
-----小野-----
------------
---阿部--今野---
------------
駒野-闘莉王-茂庭-徳永
------------
-----曽ヶ端----
4バックか。駒野と徳永がいればやれるだろうけど、やったことあったんだっけ?おお、北京アジア大会以来の大久保と松井の2シャドー?気持ちはわかる。小野トップ下は難しかった。かといってボランチにしてしまうのも連携を作る時間がない。それじゃあ、というところかな。
実際、パラグアイ戦よりは悪くない立ち上がり。松井も大久保も中に入ってくる、ボール欲しくて下がってくる、小野も自由に動く、高松も左右に流れたり、下がってきたり。そうやって選手たちが動いているので、まあまあボールもまわせる。
1失点目は仕方ない。モレッティがポイントを作ったときにつぶせなかったか、とか、スクッリの走り込みをケアできなかったか、とかあるけれども、なんといってもあのオーバーヘッド。あれは止められないだろう。
2失点目は、ハンドをアピールしてる暇があったらクリア。あたりまえだろう。ジャッジに助けを求めるな。
徳永アウト、那須イン。徳永の怪我?駒野が右に回る。駒野は両方できます。
-----高松-----
大久保-------松井
-----小野-----
------------
---阿部--今野---
------------
那須-闘莉王-茂庭-駒野
------------
-----曽ヶ端----
この辺からの攻撃は悪くない。阿部のリズムを作るパス、松井のドリブルでポイントを作り、小野、駒野、大久保と絡んでいく攻めは、次第にイタリアからチャンスを作っていけるようになる。「あの」イタリアから。松井のミドルは惜しかった。
阿部のFKはすごかったですね。ファンホーイドンクかと思いましたよ。イタリアキーパー一歩も動けず。
3失点目はどうかなあ。今度はモレッティが走りこんでクロス。ジラルディーノの前に闘莉王、後ろに茂庭(だよね)、闘莉王がかぶったとみるか、茂庭が体を寄せるべきと見るか。うまく真ん中に入ったジラルディーノを褒めるべきか。
左サイド那須のクロスから、大久保のヘッド、キーパーダイビングしてはじく。大久保ワントラップで前を向いてシュート。小野がちょこんと出して阿部がまたミドルシュート。こういういい攻撃もできてるんだけどな。
後半、駒野アウト、田中達也イン。NHK地上波デジタルでは「田中は合宿中に軽い怪我をした」と報じられていたが。
-----高松-----
大久保--松井--田中達
------------
---小野--今野---
------------
那須-闘莉王-茂庭-阿部
------------
-----曽ヶ端----
前線はポジションチェンジしすぎでどうなってるのかわからない(笑)。阿部の右サイドバック!このチームでやったことあったのか?いや、クロスがいいから、ここにおく意味はあるけどね。大久保と松井と田中の共存というのも、なかなかなかったんじゃないか、これまで。
イタリアはスタミナ切れか、カテナチオ発動か、あまり上がってこなくなる。日本は後半序盤から攻勢に出、ペースを握る。いきなり田中達のスルーパスから松井がキーパーと一対一。これ決めてればなあ。
ここから、攻撃陣の顔ぶれを見れば予想のつくとおり、日本の攻撃が中央へ偏り始め、なかなかスムースに機能しない。パス回しの際の動き出しの整備もしていないうえに、初めてやる面子に近いわけで、無理もないのだけど。何度かチャンスを作るも、ボール保持の割りに攻められない、無意味にボールまわしてるだけの時間が長い。
松井アウト、森崎イン。うまくボールが回っていないことで、つなぎ役に森崎がなるのを期待したのだろう。しかし、そういう意思が伝わっていなかったか、森崎も運動量が少なく、相変わらずノッキングが多い。
しかしそれでも、後半は全体を通して日本の攻勢。田中達の左サイドからのシュート、高松のヘッド、大久保のドリブルから田中達のシュート、高松の振り向きざまシュート。日本は何とかしようと攻撃を続ける。しかし、ゴールは遠い。
ロスタイム。左サイドから阿部がFK、ファーサイドで高松が押し込んでゴール!3-2と詰め寄る。ボールを取りに行く高松、大久保。敵GKと小競り合い。その意気やよし。
そのままタイムアップ。日本は2連敗でグループリーグ敗退が決まった。
残念だ。残念でしかたがない。
結局、新しい選手が入るたびに、その選手頼みになるという、山本監督のチーム作りのつけが、ここに来て出たということだろう。
小野が加わって、最後になにか化学変化が起こるかと思われたが、いかにも時間がなさ過ぎ、指導も不十分過ぎだった。攻撃時に、誰が持ったら走り出すという共通意識もない、ちょっとした動きでフリーになってもボールホルダーがそれを見てもいない、そういう状態では、いかに小野でも攻撃のタクトを存分に振るうのは難しい。
DFラインで凡ミスが出るのもこのチームの特徴だ。しかも本番では2試合続けてだ。さすがにパラグアイ戦の後では「ペナルティエリア付近ではシンプルに」という指示くらいは徹底しただろうと思ったのだが、それさえもしていないのか。2失点目、ハンドのアピールなどしている暇があったらクリアだろう。
それでも、「あの」イタリア相手にこれだけ攻撃できていたのだから、戦い方によってはもっとやれたはずだ。田中、大久保のスピード、シュート力、松井のドリブル、ボールキープ、阿部のFK、もちろん小野のパス、使い場所さえ間違えなければ、どれもぜんぜん通用していた。あとは戦い方、個人能力の使い場所なのだ。「個を生かす組織」ができているかいないか、そういうことなのだ。
イタリアは攻撃時に、次々にオーバーラップしてくるスムースな攻撃を身につけていた。パラグアイもしかり。プレスから質の高い15秒攻撃をしていたのは、敵のほうだった。ああいうものが「個を生かす組織」だ。それを指導できなかった監督、それを指導できる監督を与えてやれなかった協会。そんな協会を容認している私たち。残念だ。残念で仕方がない。
こうなったら、ガーナ戦は、日本の持てる実力をすべて示してほしい。この選手たちの力はこんなものではない。最後になってしまうが、ここでこそ「自分たちのサッカー」を世界に見せつけて、そして驚かせて欲しい。アテネ戦士たちよ、君たちはもっとできるはずだ。そうだろう?
悔しいです。それではまた。
06:03 AM [アテネ五輪代表] | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック (16) |
August 15, 2004次だ、次 2!
惜っしい~!!!!!
序盤は確かにちょっと押されていましたよ。油断、とまではいかないけれど、ほんのちょっとだけ試合の入り方がうまくいかなかったかもしれない。ナイジェリアの予想以上の速さ、強さに戸惑ったこともあるかもしれない。
さらには、ナイジェリアは意外と個人能力勝負じゃなくて、後ろから次々と忠実にフリーランしてくる。ボールホルダーの速さを警戒して、一瞬間を空けてディフェンスしてしまうと、追い越してくる敵に簡単にパスを出されてしまう。それやこれやがあいまって、序盤は後手後手に回ってしまいました。
しかし、10分過ぎから日本もペースを取り戻します。前戦でも見られた、2人、3人と連動し、体を張っていくしっかりとしたプレス、そこから技術を生かしてすばやく展開、小林の個人技からの突破、クロス、次第にゲームの主導権を握るようになります。ところがチームの(文字通り)中心にいた宮本が敵のスパイクでふともも裏をえぐられ、途中で交代を余儀なくされます。
しかし、流れは大きくは変わらず、荒川のフェイントから澤がニアに、スローインからの川上のクロスに再び澤がフリーでヘッド(GK正面)など、得点はないものの、日本ペースで前半を終えました。
後半は開始から、おそらくロッカールームで入り方を意思統一した日本が積極的に攻め立てます。前半はあまり攻めあがらなかった右サイドバック川上が高い位置に出るようになり、そこからチャンスメーク。右から左から、サイド攻撃で何度もチャンスを迎えます。
そういう時にえてして意識のエアポケットができやすいもの。ナイジェリアから見て右サイド、序盤と同じように走りながらスルーパスをヌクウォチャが受け、スピードにのったドリブルから対面の柳田をかわしてペナルティーエリア内にパス、するすると上がってきたオコロがシュート!被先制!
けして個人技だけのゴリゴリドリブルじゃない。そういう攻撃はスウェーデンのほうが多かった。数人が連動してスペースへ走りながらパスをつないでいく、パスも走りこんだ選手にぴたりと合わせる。日本の選手もそのほかの時間は周りが見えているんだけど、このときのプレーの連鎖のスピードには一瞬ついていけなくなった。走りこむオコロはフリーだった。日本の意識が攻撃に向いていたからかもしれない。
日本は攻めるしかない。直後、小林弥生アウト、スーパーサブ丸山イン。3トップに。
23分:カウンターから川上がクロス、クリアーを澤がミドルシュート!GKがセーブ。
35分:FKから澤がヘディングでシュート!GKこぼして下子鶴がつめるもクリアされる。
攻めるしかないのだが、何か攻撃のリズムが合わない。山岸アウト山本イン。ディフェンスを減らして攻撃的選手を投入。総攻撃の構え。山本、ロナウジーニョばりのドリブルを見せてくれ!
43分:右サイドから荒川DFをかわしてクロス、大谷フリーでヘディング!惜しくも外れる。
46分:右サイドからのクロスをエリア内で大谷、荒川とつないで、澤が強烈ミドルシュート!
山本は一回ロナウジーニョドリブルみたいなのを見せますが、全体に引き気味となったナイジェリアの守備網をこじ開けられません。チーム全体が中央へ、中央へ、という攻めになり、ナイジェリアの人垣に阻まれる状態に。確かにナイジェリア守備陣の足元は強くなさそうでしたから、そういう攻撃は「あり」だと思いますが、リードされた後の後半では敵も守りを固めます。そこへ突っ込んでいっても効果は薄い。
選手交代も、宮本の不運な交代もあり、間違いではないでしょうが、結果的に攻撃を単調にしてしまいました。また交替した選手は、入ってからしばらくはナイジェリアの足の長さに戸惑う時間があり、機能するまでに時間がかかりました。しかし、それにしても日本も決定的チャンスを前後半通じて、実に多く作っています。しっかりとしたプレスから、すばやい攻撃という「自分たちのサッカー」もできていました。
だからこそ、「惜っしい~!!!!!」ですよね。決定力不足という言葉を使いたくありませんが、今日は敵のキーパーのバネがすばらしかったですね。後は反省点としては、試合の入り方、攻めているときの一瞬の守備の集中、そして最後の攻撃が中央にかたより単調になってしまったこと。いずれも経験で解決できることでもあります。今日の失敗をいい教訓として、次に生かそうではないですか。
そうです、このチーム、次があるのです。負けはしましたが、グループリーグで勝ち点3。中国vsメキシコが引き分けたため、準々決勝へ行けるのです。次はドイツかアメリカでしょうか。中国から8点取ったドイツも、アメリカも、すばらしい相手です。今日の教訓を生かせる機会を与えられたことを神に感謝して、しっかりと準備、ぶつかっていきましょう。
大事なのは、次だ、次!
それではまた。
追記:宮本、無理はしないで、でもガンバレ!
11:30 AM [なでしこジャパン] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (4) |
August 13, 2004動け、ちょっとでいいから
そーたさんのブログから。「なぜ前半動脈硬化に陥ったのか?」
興味深い問題提起がなされています。問題点をほとんど言い尽くしていると思うのですが、今回気になったのは特に4.
このチームの課題は、前でボールがおさまらないこと。
つまり欠落したままの中盤での落ち着きとその展開に対し、小野をあてはめることで解決しようとしていたのではないか。
慧眼ですね。まったくそのとおりだと思います。結局、新しい選手が入るとサッカーががらっと変わってしまう、その選手頼みになる、そういうサッカーなんですね。
引用されているガゼッタさんのご意見を孫引きさせていただきますと、
小野だけじゃなくて中田や中村もそうなんですが、トップ下にスペースが無いのが当たり前の現代サッカーでは、彼らのようなスピードとフィジカルとテクニックが両立していない選手がトップ下をやる場合、よっぽど戦術を緻密に構築しないとほとんどうまく行かないです。
特に今回は、パラグアイがガンガンと前からプレスをかけてきましたからね。
前半、小野、阿部、今野の、マイボール時の「動かなさ過ぎ」が目につきました。湯浅さんの言うような「爆発的ダッシュ」でなくていいから、後ろがボールを持ったら、自分がフリーになるためにスッ、スッと、10メートルほど動く。何人かが連動してスペースを作り、そこを利用するように。それができているからパラグアイはパスが回るんですね。逆にできていないから、プレスをかけられると日本はロングボールを蹴るしかなくなる。
試合前にずいぶんと私は「小野と森崎が試合中にぐるぐるとポジションチェンジするといいかも」と書いたのですが、それをするためには、言うまでもなく移動しなくてはなりません。その移動で、敵のマークの混乱を引き起こし、フリーでボールを受ける機会を作れるわけです。2000アジアカップの名波と中村のイメージですね。そういう風にできればよかったのですが・・・。
この辺は監督がトレーニングで意識付けしておくことができることです。しかし、小野入りのいろいろな布陣を試している間に、もっと重要なそういう「チームとしての動き方」の熟成ができていなかったかもしれません。
だったら、小野はボランチに置いて、ある程度慣れている選手で前方を構成するか、いっそトップ下なしの3トップにするか、というほうが、チームが機能するでしょう。パラグアイ戦はそれに気づくためのレッスンだったというところでしょうか。
また、フィールドがコンパクトではなくなってしまっていたのも問題でした。コンパクトであれば、選手同士の距離も近いですから、フォローやサポートもすぐにできる。小野は特にボールの近くでプレーさせたほうがいいですし、森崎とポジションチェンジするのでも、距離が遠いとままなりません。山本監督もラインコントロールに問題があったと発言されていますし、次戦からは改善されることを期待しましょう。
それではまた。
12:51 PM [アテネ五輪代表] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (1) |
次だ、次!
あと二つ勝てばいいんです。下向くな、顎を上げろ、お前らならきっとできる!
--大久保--高松---
------------
森崎---小野---徳永
------------
---阿部--今野---
------------
--那須-闘莉王-茂庭-
------------
-----曽ヶ端----
試合直後の山本監督のインタビューでは、(私の聞き間違いでなければ)「この試合会場で練習をさせてもらえなかった」「ピッチコンディションに不安があった」というようなことを言っていた。
君が代の演奏途中、選手の表情が硬いな、と思っていた。明らかに試合の入り方が悪い日本U-23。プレスに行かず、守備でも体を当てず、ずるずる下がり、攻撃でも誰も動き出さない。悪いときの山本日本の悪癖だ。
対照的によく動き、プレスをかけ、ボールを引き出す動き出しの豊富なパラグアイ。日本は翻弄され、ゴール前での那須のミスによって、先制されてしまう。
トップ下に小野が入った新布陣は、どうにも機能しない。小野にマークがついていることもあるが、それをフォローする動きもなく、小野自身もマークをはずす動きがない。やはり現代のトップ下はシャドータイプのほうが適役なのだろうか。
攻撃はどうしてもロングボールからのものになる。高松は競り勝てるものの、大久保とあわない、小野もこぼれを拾える位置にいない。ゲームプランどおりの攻撃なら、もう少し機能してくれないと。
そうこうするうちに、ガマラが高松をペナルティエリア内で引っ掛けてくれ、PK。小野が落ち着いて決めた。小野のキックは素晴らしくコントロールされたもの。この辺は格の違いを感じさせる。
ところが直後、パラグアイのFKが壁にあたり、ゴール。再びリードを許す。
パラグアイは日本の左サイド、那須のあたりをヒメネスが執拗に狙い始める。こういうことは外からはわからないことだから推測に過ぎないが、那須が動揺しているのを見て取られたか?結局左サイドからヒメネスがグラウンダーのクロス、カルドソに決められてしまう。2点差に。
後半、那須アウト、松井イン。
--大久保--高松---
------------
森崎---松井---徳永
------------
---小野--今野---
------------
-茂庭-闘莉王-阿部--
------------
-----曽ヶ端----
阿部のグラウンダーの起点となるパス、小野が前を向いてボールを散らせるようになったこと、松井が前方でフリーになってボールを受けられるようになったことで、日本もリズムを取り戻す。高松にボールを入れると、高松が進もうとしたところをパラグアイDFが体で阻んでしまい、PK。再び小野が決める。
前日の韓国が取られたPKといい、女子のドイツvs中国で中国が取られたのといい、今大会はPKの判定が厳しめであるように思う。今後は日本も注意したほうがいい。
日本の攻勢が続くが、パラグアイも1点差に詰め寄られたことで、反撃の手を強める。すばやい攻撃で数的不利になりそうになったところ、阿部が一発でタックルに行ってしまい、かわされてそのままミドルを決められてしまう。
森崎アウト、田中達イン。
-大久保-高松-田中達-
------------
松井--------徳永
------------
---小野--今野---
------------
-茂庭-闘莉王-阿部--
------------
-----曽ヶ端----
このあと、日本は田中達のスピードを生かして次第に効果的な攻撃を繰り出せるようになる。パラグアイは前半の飛ばしすぎか、動けなくなってきていて、このあたりからの日本の攻勢は山本監督が「やれているところもたくさんある」と発言した部分だろう。
高松アウト、平山イン。
-大久保-平山-田中達-
------------
松井--------徳永
------------
---小野--今野---
------------
-茂庭-闘莉王-阿部--
------------
-----曽ヶ端----
この流れの中で、右サイドで田中達が抜け出しグラウンダーのクロス、大久保が入り込みワントラップからディフェンダーのまた抜きシュート!GKはディフェンスが邪魔でボールが見えなかったね。1点差まで詰め寄る!
その後も松井のクロスから平山とか、CKから闘莉王、平山とか、何度もチャンスを迎える。最後は闘莉王を上げて、パワープレーに出たが、必死の反撃も実らず試合終了。
ディフェンスラインが安定しない、中盤が間延びしてしまう、攻撃時のビルドアップがスムースでないという、山本日本の悪癖が全部出た、実に残念な試合だった。さらには、メンタル的な試合の入り方にも失敗したが、それと同時に相当大きな問題が、選手が「ピッチに慣れていないこと」であったように思う。攻撃に移ってここぞというところで選手がころころと転んでいた。あれがなければもっと拮抗した試合にすることもできたはずだが・・・。この会場で練習できなかったというのが本当なら、その点は実に不運だったといわねばならないだろう。
しかし、小野を基点として、松井のキープや、田中達のスピード、森崎の抜け出しなど、通用するものも多くあったわけで、自分たちの力を信じて、もう一度切り換えて、残り2WINを目指して欲しい。それには、中盤での体を張ったプレス、DFラインの再整備、特にミスをなくすことが必要だ。短い期間だが、選手、監督にはがんばって修正して欲しい(失点がミスがらみということは、減らせるということでもある)。
経験のある選手でも、大きな大会の初戦は難しいものです。大事なのは引きずらないこと。今夜はじっくりとカラダを休めて、あした目覚めたら、開き直って、次戦の勝利を目指してください。大丈夫、君たちなら、きっとできる!
それではまた。
05:29 AM [アテネ五輪代表] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (6) |
August 12, 2004これが日本のサッカーだね
アジアカップ総括の途中ですが(笑)、あまりにうれしいものを見てしまったので、別の話題を。
日本女子代表が五輪の舞台で、強豪スウェーデンを1-0で下した。日本の先発メンバーは↓こんな感じ。
---11大谷---9 荒川----
-------10澤-------
----------------
-16 小林--8 宮本-- 6 酒井-
----------------
12山岸-13下小鶴-3磯崎-5川上
----------------
------1 山郷-------
序盤はスウェーデンにやや押され気味だったが、5分ころのFKをトリックプレーで、敵の壁に入っていた大谷に流し、大谷が厳しい体制からもシュートを放ったあたりから流れが変わる。
日本女子代表は動きが素晴らしい。速く、強く、テクニックもあるスウェーデン攻撃陣に対し、常に二人、三人と連動して囲い込み、体をぶつけ、押し合いながらもボールに足を出していく。ぶったおされながら味方につなごうと足を出す。そうして奪ったボールをシンプルに、スペースへ運んでいく。それができるということは、ボールを奪った瞬間に二人、三人と動き出しているということだ。
荒川の体を張ったキープ力、酒井、宮本の気の利いたプレイ、澤のゲームメーク、そこから展開されて個人技を存分に発揮する小林弥生(なぜかフルネームで呼んでしまう・笑)、川上、常に自分で勝負を仕掛けていく2トップ。特に川上は雨あられと(大げさか)素晴らしいクロスをゴール前に送る。17分の小林の2度のクロス、31分の右サイドへ進出した荒川からの中央へのグラウンダーのパスを大谷が落として澤がシュート、41分の川上のクロスがフリーの澤へどんぴしゃ、42分の小林から澤へのロングスルーパスからGKと一対一などなど、連動した攻撃から多彩な超決定機を量産する。
前半は個人の力で勝るスウェーデンを、完全に「組織プラス個人」の力で上回った、素晴らしい試合内容だった。
後半になると、息を吹き返したスウェーデンに押され気味になる。前方へのフィードやセットプレーからのロングボールが、体を当てるとファウルを取られることを学習したスウェーデンがやり方を変え、敵に渡るようになってしまう。11分には小林に代えて安藤。普段は澤のポジションで起用されるキープ力、攻撃力のある選手だが、小林のポジションは慣れていなかったか。スウェーデンが日本の左サイドを狙い始めたこともあり、守備に追われなかなか持ち味を発揮できない。
全体に中盤での球際の競り合いでは日本もガツガツと行くのだが、奪った瞬間にどうするか一瞬考えてしまい、そこをまた奪われる、という流れに。そうした奪われたボールを、個人のスピード、あたり強さ、テクニックを生かして前へ前へ運ぶスウェーデンの攻撃に、何度かピンチを作られる。しかし、最後のところで体を張って守る日本。後半15分には、荒川が澤に預けると、敵を背負った澤からいいリターンパスが走りこんだ荒川へ、荒川のループシュートはわずかに外れる。21分荒川アウト、スーパーサブ丸山イン。
その後もスウェーデンの攻撃は続くが、日本も攻撃への意識は捨てず、プレスが機能し始めて攻撃の起点もできてくる。36分には右サイド深くで大谷がまた抜き、ペナルティエリア内に侵入するが、ラストパス?シュート?は、GKが押さえる。40分安藤アウト、柳田イン。終了間際には、敵陣サイド深くでじっくりボールキープ、時間をつぶすこともできる女子代表。スウェーデンも必死の攻撃をしかけるが、オークビストのシュートがキーパーの真正面をついたところで、試合終了!
日本女子代表は、オリンピックの舞台で歴史的な初勝利を、ワールドカップ準優勝の強豪スウェーデンから上げた。真っ向からプレスを掛け合い、攻撃的姿勢を貫いてあげた勝利である。奪ったボールを、奪った地点を発射台として、複数の選手が連動して動き、ダイレクトに敵ゴールへ向かう。「15秒攻撃」などと名づけられる前から(笑)、日本が目指してきた、日本のサッカーがここにある。
スウェーデンを研究して、「勝つためにできることはすべてやった」上田監督も、それをしっかりと、クールに、しかし熱くやりとげた選手たちも、素晴らしい!
よくやった!初勝利、おめでとう!
じっくりと休んで、次のナイジェリア戦に備えてください。
目指すはメダルだよ!
それではまた。
追記:いまいち選手の名前と顔がまだ一致しない方はこちら、選手の詳しい楽しい紹介はこちらを。
それと、この試合はやっぱり湯浅さんも絶賛でした。あんな気持ちのいい試合を見せられちゃうとね、当然でしょう(笑)。
03:48 AM [なでしこジャパン] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (13) |
August 11, 2004アジアカップ総括(2)
湘南蹴鞠屋さんや武藤さんが、「ジーコジャパンの強さ」について検証しようとしておられる。これは非常に重要なことであるし、私もそこに加わりたいと思うのだが、一足飛びにそこに行く前に、まずは日本代表の6試合を、駆け足であるけれども振り返ってみたい。
■オマーン戦
オマーンは組織的にプレスをかけて来て日本を高い位置から自由にさせず、さらに連動した第3の動きでパスをまわしていく攻撃を仕掛けてきた。結果、シュート数で16対8と、ほぼ圧倒された試合展開となった。
苦戦の原因はまず何よりも選手が動けなかったことであろう。次にオマーンが守ってくるのではないかという予断があったこと。そして、もちろん、オマーンの連動した攻撃に対抗するプレスの組織力を持っていなかったことでもある。
これは意図した大人の戦い方なのだ、という意見もあったが、選手の反省の弁を聞いているとそうは思われない。もちろん大人の戦い方をしようとした部分はあったが、それ以上にやられてしまったという感が強い。オマーンの最後の詰めの甘さに助けられた部分は大きいと思う。
この試合での中村の得点は敵のクリアミスから。そこから素晴らしい切り返しでペナルティエリアに侵入、アウトにかけた素晴らしいシュートを敵ゴールに流し込んだ。圧倒されながらも勝利したこの試合の勝因は、敵のミスを見逃さない、そこできっちり決めることのできる中村選手の存在であるということができるだろう。以前は日本代表は、「ミスに漬け込まれ」「敵はミスからのチャンスをきっちりと決めてくる」「それが世界との壁なのだ」と言われていたものだが、オマーンとの間ではそれが逆転していたわけである。
■タイ戦
試合は先制されて始まった。オマーン戦でも同様だったが、プレスがかかっていない時には、カバーを重視する3バックはどうしても押し上げられない。ボランチとの連携が取れていないとバイタルエリアを明け渡してしまうことになる。そこを突かれスティーにミドルシュートを決められてしまう。
その直後、中村選手のFKで同点。さらに試合を優勢に進め、FKやCKがらみで中澤、福西、中澤と点を追加、実力差どおりの危なげない勝利と言えた。勝因は、セットプレーからの4得点。日本のセットプレーは大きな武器となった。
■イラン戦
一進一退の攻防ながら、イランも無理せずとも決勝トーナメントに進めるわけで、注文どおりの引き分けとなる。この試合、決勝トーナメント進出は決まっていたにもかかわらず、先発メンバーは変更がなかった。
■ヨルダン戦
そのつけは決勝トーナメント一回戦のヨルダン戦で出たのではないか。韓国との試合では雨あられとシュートを打たれながらGKのセーブで引き分けに持ち込んだヨルダンだったが、日本との試合では開始から攻勢に出た。中盤の高い位置からのプレスも精力的だった。運動量で大きく劣る日本はそれを打開できなかった。先制はヨルダン。日本も直後にFKからゴール。
その後はヨルダンペースとなり、日本はボールポゼッションを確保できない。単発のチャンスはあったが、全体としては圧倒されたといっていい出来だった。この試合もプレスがかからず、中盤は間延びし、2トップは孤立し、フォローや押し上げも少なく、前線にボールが納まらないために波状攻撃を受けるという悪循環だった。川口のセーブをはじめ守備陣の奮闘で、何とか失点を最小限に抑えていたが、得点もできず、120分間戦い抜いた後のPK戦で、二人はずした後の驚異的な巻き返しは記憶に新しい。
PKはかなりが運であるともいう。この試合の勝因をあげれば、なんとか失点を抑えたこと、PK戦で圧倒的不利になっても選手が落ち着いて決めることができたことがあげられるだろう。ひるがえって、PKを2本先に決めた後のヨルダンの選手は精神的に緩んでしまったように感じられる。この辺は若さが出たか。
■バーレーン戦
これまでに比べると(選手が「入り方を考えよう」と話し合ったという)試合の入り方はよかったと思われるが、ここでも先制される。取り立ててすごいパス、スーパーシュートというわけではない。中盤でパスを出されたMF、ペナルティエリア内でマークしていながらシュートを許したDF、どちらも疲労から来るミスではないかと思う。
その後は日本も当然攻勢に出る。バーレーンはオマーンやヨルダンに比べるとプレスもゆるく、守備陣もバランスを崩しており、攻略が難しいチームではなかったが、前半は得点できないうちに、遠藤が退場になってしまう。
10人になったことで、選手たちが一人一人より「走る」ようになり、後半には小笠原を入れて起点を増やす。後半開始直後、FKから中田浩二選手のヘディングシュート、同点。さらに中田から玉田へのスルーパス、玉田の素晴らしいシュートで逆転。このあたりは内容もよくなってきていたのだが、リードしたことで気が緩んだか、再びバーレーンにチャンスを多く作られ、そのうちのひとつ、Aフバイルのスライディングシュートを決められてしまう。ここで同点なのだが、日本はカウンターの掛け合いに応じてしまい、やはり見事なカウンターで逆転されてしまう。この被カウンターの際も、DF陣の足が疲労からよれているように見える。
後半終了間際の逆転弾に、もう巻き返すことは難しいかと思われたのだが、日本は三都主のクロスにセンターバックの中澤が思い切った攻め上がりを見せ、終了ぎりぎりに同点弾!さらに延長開始後、玉田がロングボールにうまく体を入れ、そのまま敵陣裏に抜け出しGKと1対1になり、ゴール。その後はバーレーンも最後の攻勢に出て、延長だけで7本のシュートを(日本は2本)打つが、日本は何とか逃げ切った。
バーレーンは、少なくともこの試合ではプレスもかけず、最終ラインも不安定なチームであった。ただ、日本のDF陣も疲労からか機能性を低下させており、もちろん10人になってしまったことの不利はあろうが、先制点をはじめ3点を奪われたことで苦戦してしまった。日本の勝因としては「最後まであきらめない気持ち」と言われる。確かに中澤の同点弾はそのたまものであろう。
■決勝中国戦
中国のレベルは、この大会では韓国、イランに比べると一段落ちるという印象だ。組織的ではあるが、攻撃に怖さがない。ホームであることから決勝に進出したという部分は否めないだろう。
日本は序盤から攻勢をかける。再びFKから、鈴木が折り返し福西がゴール。サイド攻撃から1点を失うが、やはりセットプレーから中田浩二選手が押し込んでゴール。中国は次第に焦りからかバランスを崩して行き、サイド攻撃も遅くなり、どんどん怖さがなくなった。守備も集中力を失い、終了間際にはラインコントロールを忘れたラインの裏へ玉田が抜け出し、そこへ中村が見事なパス、とどめの3点目を奪った。
以上、簡単にアジアカップの各試合を振り返ってみた。これまで書いてきたことの繰り返しになった部分もあるが、こうしてみてみると2004年アジアカップにおける日本代表の戦いぶりのキーワードが浮かび上がってくるのではないだろうか。それはカバーを重視した守備、セットプレー、個人能力、そして落ち着き、である。
(続く)
03:39 AM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック (0) |
August 09, 2004アジアカップ総括(1)
アジアカップ2004は、日本の優勝で幕を閉じた。
この大会を終えて、「アジアのレベルは下がったのか、上がったのか」という議論が見られる。確かに4年前と比べて、この優勝はどのように考えるべきなのか、という視点に立つと、そういう疑問がわいて来るのも当然というべきだろう。
結論からいうと、私は「2000年大会とレベルは変わらない」と考えている。
個別に見ていくと、かつて中間レベルだった国は真摯に努力をし、レベルアップをはたしているが、かつての「強豪国」はさまざまな理由により停滞し、レベルを向上しえていない、という状態であるように私には見えた。つまり「底上げ」はあったが、「総合してのレベルアップ」があるわけではない、ということになる。そういう意味では「グループリーグ突破がより厳しくなった大会である」という事が出来るだろう。
日本と対戦した中間層の国でもそのレベルアップは見られ、オマーンとヨルダンでそれが顕著であった。ただしヨルダンは、日本との対戦以前は守備をしっかり固めるタイプであり、韓国との試合ではシュートを多く受けながらGKのセーブで切りぬける、という戦い方だった(参考:韓国0-0ヨルダン、ヨルダン2-0クウェート、ヨルダン0-0UAE)。日本との対戦時にそのよさがさらに発揮された(日本の調子の悪さが彼らをよく見せた)という部分は忘れてはならないが。
どちらの国も、守備においても攻撃においても組織的に行ない、守備では前線から精力的なプレッシングをかけ、攻撃でも何人もが連動して動きながら、ボールを動かしていくサッカーを実現していた。オマーン戦後に選手が「日本のやりたいサッカーをやられてしまった」と言ったとおりである。どちらの国とも日本はほぼ互角、オマーンにはシュート数で倍を打たれ、ヨルダンとは120分で決着がつかなかった(PK戦で勝利)。
逆に、日本やイラン、韓国、サウジアラビアといった「アジア4強」は、それぞれさまざまな理由により停滞しているようだ。どの国も組織よりも個人で打開を図るチームになっていた。もちろんそれがもともとのアジアのサッカーであり、4年前の日本をはじめ、今回のオマーンやヨルダンのサッカーの方が新風であるということも言えるのだが。そういう「個に頼った」やり方では、レベルアップのためには新しい強力な「個」が出てこないとはじまらないわけで、何人かの「個」は素晴らしかったが、全盛期を凌駕するまでにはいたらなかったということだろう。
ここで特に一つ記しておきたいのが、2002年の韓国の躍進についてである。「コンディションのワールドカップ」(2002年W杯総括)にも書いたのだが、2002年W杯前、韓国は半年間自国リーグを休止し、数ヶ月に及ぶ特別強化合宿を行なった、という事に注目したい。
コンディション作りの重要性や、連携を作るための合宿の期間が大事であることなどは、この2年で(ジーコジャパンの不振の原因を追求する中で)日本のサポの間でも強調されるようになって来たことである。その現在の認識から考えると、高音多湿のアジアで、チャンピオンズリーグ終結からまもなく行なわれたW杯において、そのような特殊強化を行ったチームが躍進するのは、これは非常にロジカルなことと言えないだろうか?
私は韓国のベスト4の背景には、この長期間の特殊合宿、そこで行なわれた集中フィジカルコンディション・トレーニングが、かなり影響していたと考えている。それがなければ、あそこまでの躍進は難しかったのではないだろうか。韓国の「W杯ベスト4」は、そのような強化法による瞬間最大風速なのであって(それが悪いと言うわけではない・笑)、韓国のサッカー全体がそこまでレベルアップしたわけではないのである。
このように考えると、「2000年レバノンアジアカップで3位に入賞した時に比べ、2002年W杯ベスト4を通過したあとでも、韓国の実力はそれほど変わらない」、ということが言えるだろう。今回のアジアカップでのベスト8敗退は、韓国の人々にとっては不満だろうが、監督後退直後でもあり、不思議なことではないのである。もちろん、W杯で得た自信、海外で活躍する選手たちを輩出する選手層のレベルアップというものはあるが、それは強化策をおろそかにすれば、打ち消されてしまう可能性もある、ということだろう。
さて、本題にもどると、
「アジアカップ2004は、2000に比べて同程度のレベルである」
「中間層のレベルアップはあったが、強豪国は停滞していた」
と私は考える。
日本のグループリーグ突破は中間層のレベルアップにより難しくなった。サウジアラビアはウズベキスタンに行く手を阻まれ、クウェート、UAEはヨルダンの後塵を配した。ベスト4はそれでも日本、中国、イラン、バーレーンであり、やはり選手層の厚い、経験豊富な強国がからんで来ることになったが、これは中間層のレベルアップも、まだその壁を突破するにはもう一歩ということだろうか。
今回の結果を受けて、オマーン、ヨルダン、ウズベキスタン、バーレーンといった国々が合理的な強化策の効用を再認識し、それに力を入れ続けると、アジアの底上げはさらに進むであろう。また、今回はさまざまな理由により停滞したかつての強国たちが、やはり合理的な強化プログラムの必要性に気づき、それに邁進すれば全体としてのレベルアップも進むことになろう。しかし、後者については、日本を筆頭に、なかなかそのような合理的強化に専念できない事情もあり、向上できない可能性も高いと考えられる。
このように、「底上げはあったが全体としてのレベルは変わらない」という2004アジアカップであった。では、そこでの日本代表の戦いぶりはどのように考えられるべきだろうか。
(続く)
09:46 PM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (1) |
優勝おめでとう!
まずは優勝おめでとうございます、ジーコジャパン!
昨夜は喜びのあまり痛飲、今日はそのまま出かけてしまい、更新が遅くなってしまいました。どうもすみません。
中国戦は、ようやくいい試合ができましたね。優勝は最高の結果です。あれだけの大アウェーで堂々と勝ち抜いた選手たち、素晴らしい戦いぶりでした。ジーコ監督もよく選手たちをまとめてくれました。スタッフ、関係者も素晴らしい働きを示してくれたと思います。おめでとう、そしてありがとうございました。
昨日の追記部分にも書いたように、ジーコの人間性、周囲が完全アウェーであったこと、サブのメンバーの尽力などにより、このチームは完全に一つの家族のようなチームになったように思えます。2月のオマーン戦では、時間もなく、海外組みも急遽合流するだけという条件下で、このようなチームにはできていませんでしたが、ついにさまざまな条件が一つに重なり、なんとも一体感のあるチームになりました。それがなければ今回は優勝できなかったでしょう。この部分に関してはジーコ監督に大きな賛辞を送りたいと思います。
中国は、「トルシェ日本の夢を見る」かのようなチームでしたね(笑)。トルシェ日本と違うのは、組織サッカーを目指しながら、それに適合した選手の数が少ないというジレンマを抱えているところでした。
最終ラインは4人のDFをフラットに並べた形。どんどん押し上げて、コンパクトフィールドで戦おうとしていましたね。ただこの場合、中盤でプレスがかかっていない状態になったらいち早く敵FWのポジショニングやプレー意図を確認しながら後退しはじめなければならないのですが、DFたちの「プレスがかかっている/いない」を見て取る能力が低いという問題がありました。また、バックミラーも真ん中の選手がかろうじてできている程度。一言でいえば、「中国には宮本や森岡がいなかった」というところでしょうか(笑)。
中盤低めででぽんぽんとダイレクトパスをつなぎ、サイドへ展開する組み立ては悪くありませんでしたが、後半日本がサイドへのケアに人数をかけるようになると、とたんに突破の回数が減りました。本当はインサイドへいったん入れてパスアンドゴーなどをしたほうがいい場面でも、ルックアップができていない上に、ボールを受けたときの体勢が悪いから、前方へ突っかけていくしかなくなる。前半はまだしも、後半の中国の攻撃にはほとんど怖さがありませんでしたね。また、コンパクトにしている割にプレスもゆるい。あれではラインを上げている意味がありません。
対して日本は、散発的に攻撃はしているんだけれども、中国がプレスをかけてこない割には攻め手が少ないな、という印象でした。3-5-2でノンコンパクトでは、中村選手が下がってボールを受け、FWへのパス供給にこだわっていると、高い位置でのFWのフォローをする選手が足りなくなります。特に今大会では全体が下がってDFをすることが多く、そこからではボランチの上がりも時間がかかる。高い位置に起点を作りやすいやり方のほうがいいのではないかな、と思いました。
とはいえ、セットプレーという絶対の武器を持っているのは強い!流れ全体では、試合は互角の展開かなと思いましたが、セットプレーのたびにほとんど点になりそうな予感がするというのは素晴らしいものです(笑)。そういう意味では私は意外と中村選手のMVPにも納得気味だったりします。
中国戦は、レベルの高い選手たちが、(アウェーで)現実的にラインを下げつつ守り抜き、セットプレーという自らの強みを生かして勝利するという、ある種理想的な展開でした。アジアカップのこれまでの試合と比べても、特にメンタル面で成長の感じられる、よい試合でした。こういう試合で優勝できたことがなお素晴らしいですね。
大会全体、日本代表の戦い全体の検証はまた後日じっくりとしなければならないと思いますが、いまはとりあえず、優勝という最大の結果を残した日本代表の選手、ジーコ監督、スタッフ、そしてこれらの選手を生んだ日本サッカーに携わるかたがたすべてに、感謝と賛辞を送りたいと思います。ありがとう、おつかれさまでした。しばらくゆっくりと休んでくださいね。
それではまた。
12:40 AM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) |
August 07, 2004前夜
いよいよ決勝ですね。
多くの方が言われているように、コンフェデはアジアの日本にとって、欧州南米と公式戦で戦える数少ない機会、その出場権は非常に重要です。また、ここまで苦しい戦いを勝ち抜いてきた選手たちも、優勝してこそ自信と一体感をつかめるでしょう。アウェーの環境、審判と問題はありますが、それを実力で跳ね返して、是非是非優勝して欲しいと思います。
ところで私は、すでに書きましたように、アジアカップの日本代表については楽観的に考えていました。実際はかなり苦労しながらも、ついに決勝までたどりつきましたね。決勝の相手は中国ということになりましたが、この戦いもやはりある程度は楽観できる状況であろうと思います。
1)チーム作りのための時間が取れたこと。特にメンバー固定により、連携の熟成のための時間がたっぷりと取れている(メンバー固定には私は賛成しないけど、熟成の役に立つと言うポジティブ面は否定しない)。
2)個人の能力において、日本はすでにアジアの強豪であること。この大会でも中村の左足、玉田のスピード、三都主の切り返し、そして中澤のヘッドなどなどアジアの水準を凌駕し、大きな武器となっている。
3)北京が涼しい気候であるようであること。コンディショニングはあと一試合は持つのではないか。中国も、準決勝で120分間戦ったあとでもあることだし。
4)ブーイングや、2試合続けての激しい戦いにより、チームのモチベーションが高まっているようであること。特にヨルダン戦のPK戦以降は、一体感が強まっているように見える。
5)中国は、これまでの試合を見る限り、特に攻撃面での恐さを持っていない。韓国やイランの方が恐かった。
といったところでしょうか。
心配は選手の怪我、疲労だけですね。これは「かわいそう」ということではなくて(笑)、例えばDF陣の疲労が抜け切れていないと、集中力や、1対1の攻防に際しても身体の切れに問題がでて、失点してしまう、という危険性がある、ということです。それさえなければ、アジアカップ連覇も相当近いところまで来ていると思います。
ところで4)モチベーションについて少し補足をしておきたいと思います。
ルイスアントニオ高崎氏(ブラジルスポーツ庁長官時代のジーコのアシスタントだった方)の手になる「ジーコ 終わりなき挑戦」という文献があります。その中には、98年大会直前にブラジル代表のテクニカルコーディネーター(当時の監督はザガロ)に就任したジーコの活動について、詳しく書かれています。
ジーコが日本代表監督になった直後にそれを読んだ私は、「ジーコのモチベーション作りの能力は高いはずだ」と当初、思っていました。というのは、本書中でジーコは自分の役割について、
大きくは、選手とスタッフ、CBF会長などの役員との間にいい関係を作ることだ。
私は誰に対しても同じ姿勢であたることを自分のモットーにしているから、その自分の哲学にのっとってチームをまとめたい。チームをひとつのマインドを持った大きな体にしたいのだ
と語っており、テクニカルコーディネーター(以下TC)のひとつの大きな役割が、まさのその点、モチベーションを盛り上げ、維持していくことにあるように読めたからです。そしてまた、「ジーコは代表チームの潤滑油」という章があり、ジーコが合流後、代表チームで会話が増えた、明るい性格で誰ともふざけあえるジーコが、チーム全体にいい雰囲気を与えた、とも書かれています。
おそらくはジーコは、自分の性格を生かして、チーム全体をファミリーのようにすることで一体感を作り、モチベーションとしていくようなやり方をブラジル代表TC時代にはとっていたのでしょう。それならば、それは日本代表でもできるはずではないか。ジーコ就任当初、戦略や戦術、組織作りの手腕などに疑問を呈しながらも、この点に関してはジーコの能力は高いはずだ、と私は思っていたのです。
しかし、皆さんご存知のとおり、今年のイラク戦からオマーン戦、そしてシンガポール戦と、さまざまなマネジメント上の「悪手」によって、チームは戦う集団とは言えないような状態に陥りました(と私は思っています)。私はその点をずいぶんと糾弾しましたし、今でも、「チームのモチベーションの状態を的確に見て取って、必要な手を打つ」という意味での「モチベーション・コントロール」に関しては、ジーコ監督の能力はけして高くないようだ、と考えています。
このアジアカップ、オマーン戦からヨルダン戦に至る過程では、試合の入り方をうまくできていないような状態が続いていました。西部氏がオマーン戦の苦戦の原因を「予断ではないか」としたように、モチベーションの作り方が、ここでもうまくいっていないように見えました。しかし、この厳しいアウェーでの長い戦い、合宿の期間中、ジーコ監督の「一体感を作る能力」は徐々に徐々に発揮され、見えないところでチームをひとつにして行っていたようですね。それはヨルダン戦の延長開始前、スタッフまで一体になった円陣でついにカタチになって現れたように思います。
それはさらにアウェーの過激なブーイング、不可解なジャッジによる退場、さらにもう一度の延長戦、などなどによって、より強化されたのではないか。それがまさに逆転に次ぐ逆転劇につながって行ったのではないか、とジーコ監督に批判的な私にも思えます(注:そもそもあのような失点を招いた組織作りの手腕や、チームマネジメントについては横におきます)。遠回りはしましたが、ジーコ監督はついにそのよさを一つ日本代表にもたらした。今の代表チームは、そういう状態なのではないでしょうか。
それがあれば今回のアジアカップ決勝、日本は中国よりもずっとずっと優勝に近いでしょう。
優勝まであと一歩ですね。今日だけは監督込みで、日本代表全体を応援します。連覇を目指して、ガンバレガンバレ、日本代表!
それではまた。
01:25 AM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (2) |
August 02, 2004というわけで
さて、この件ですが、どのような内容でも、PK戦でも、ベスト4には到達したので、私は「解任を唱えることを止める」ことにしたいと思います。
「解任」という二文字は、J-NETでも「何か悪いことをした場合に懲罰的に行われるもの」などと思っている方もおり、非常に扇情的な、人のネガティブな気持ちを煽り立てるものであると思います。そこで私は「私的基準」を定め、ベスト4を達成したら「解任を唱えることを止める」ことにしました。
ただ、以前にもJ-NETには書きましたように
ただ、申し訳ないのですが、アジアカップベスト4をクリアしたとしても、私が「支持派」に鞍替えすることはありません。ジーコ監督の手法の問題点、また、現在はさまざまな外的要因により解消されている、春先の「とんでもない悪手」が、時間のないときに復活してしまう可能性などが、色濃く残るからです(この問題に対する対処は「時間のたっぷり取れる」アジアカップで見ることはできないのです)。
このようにも思っています。今回のアジアカップではもう既に、「悪手」@重慶バージョンが復活しているようですが・・・。
いずれにせよ、私は主体的に「解任」を求めることは、今後はしないつもりです。日本サッカー協会がジーコ監督に就任を要請し、それをメディアも一部のサポも歓迎し、これまで容認してきたのですから、今後もジーコ監督でいくことを見守らざるを得ないのでしょう。私は、これからは「解任要求」ではなく、ジーコ監督の方針や手法、ピッチの上のサッカーに問題があったらそれを指摘することに留めたいと思います。
多くの方から、それでは甘すぎるのではないか、という問題提起をいただきましたが、やはり一度口に出してしまったことですので、そのままにしたいと思います。ただ、この監督の下で戦わなくてはならない選手の体が、本当に心配ですが・・・。
それではまた。
01:42 AM [ジーコジャパン] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック (5) |
August 01, 2004アジア諸国はトルシェ日本の夢を見るか
PK戦には感動しましたね。久しぶりに鳥肌が立ちました。酷暑の重慶で120分間戦い抜いた選手たち、そしてPK戦での川口の頑張りには、心からお疲れさまといいたいです。
さて、試合内容ですが、「韓国の猛攻をしのいだ」感のある韓国vsヨルダンを見ると、とても昨日のような試合展開は予想できませんでした。ヨルダンは組織的なプレスに、組織的なパスワークで相手を崩していく、いいサッカーを構築していましたね。ヨルダンもオマーンも、いい監督に出会ってレベルアップをしているようです。
思い起こせば、2月のオマーン戦で私は心底落ち込んだのですが、それはそのときに書いたように、20歳そこそこのオマーンに、「組織力で負けていた」からなのです。
その後、欧州遠征で持ち直したかに見えたのですが、それはやはり敵がこちらを研究してこない親善試合だからであり、また、ある程度時間が取れたことで「選手が話し合ってチームを作る」ことができたからでもありました。
さて、このアジアカップではどうでしょう。
初戦のオマーン戦、やはりオマーンに組織で、今度はさらに「完敗」をしていましたね。日本が動けていなかったのは、暑さだけが問題だと言う人もいましたが、私はそうは思えません。オマーンはよい監督に出会い、組織力のレベルアップを果たしています。ソースは忘れてしまったんですが、オマーン戦後に中村選手が
本当は自分たちで動いてボールを取りに行けばよかったんだけど、取りにいけなくて、後手後手になってしまった。自分たちから動くのではなくて、敵のボールをあとから追っかけて動かされてしまった。それでかえって消耗してしまった。
という趣旨のことを語っていました。これはまさにそれを意味していると思います。日本は組織的なプレスのレベルで負け、ボールを動かして相手を走らせる、組織的なボールポゼッションのレベルでも負けていたのです。
ヨルダン戦でも同じことが起こりましたね。アジアカップ予選や、W杯1次予選の結果を見れば、ヨルダンは急成長している弱くない国だと言うことはわかりますが、vs韓国戦では、韓国の猛攻にGKを中心に必死に耐え、そこからのカウンターで勝機を伺うチームに見えました。しかし日本代表は、そのヨルダン代表にもやはり、組織力で負けてしまい、プレスでボールを奪われ、複数の選手の意識の連動したパス回しで中盤を支配されてしまいました。
ボールポゼッションは日本49%vsヨルダン51%だったそうです。しかし、ヨルダンの攻撃はスピーディで、スムースに前にボールを運んでいた印象がありませんでしたか?逆に日本のボール保持は、DFラインやボランチレベルでの、横へ横へのパスが多くなかったでしょうか?数字はこうでも、全体としてはさらに差があり、試合を支配され波状攻撃を受けていたというべきではないかと思います。
それは、ヨルダンの選手が、必要なときに必要なところへ、共通理解のもと、ススッと走ることができていたからです。スペースへ走る選手へパス、その選手がパスを出せる位置へススッと動く。そこへまたパス。その繰り返しによって、ヨルダンは日本ゴールに近づき、そこからはスピードやテクニックを生かして、シュートまで持ち込んでいきました。
日本は逆に、一人がボールを持っても周りが連動して動き出さない、「いつ動き出すかが自由なサッカー」であり、パスは足元へ、足元へ、という単調なものになります。それはヨルダンのプレスの格好の餌食でしたね。囲んで奪うこともできますし、パスコースがわかりやすければインターセプトもできます。そして、ヨルダンはこの環境下でも120分間、プレスサッカーをやり通しました。
(ちなみに、ヨルダンは湿度の低い国らしく、さらに暑い重慶には移動の後入ったばかり。「日本はヨルダンよりも暑さに慣れていないから走れなかったのだ」とはさすがにいうべきではないと思います。)
「サッカー批評」2002isuue16「ワールドカップ最終出口」巻頭対談で、
「組織のサッカーだと個が埋没するというイメージではいけない」
「組織が個を光り輝かせるんです」
と小野剛氏は言っておられますが、オマーンやヨルダンはまさにそれを実現しようとしていますね。あと足りないのは経験だけではないかと思います。いい監督に出会えてよかったですね。
トルシェ日本・2000アジアカップ・インパクト
私は「アジア諸国はトルシェ日本の夢を見るか」と題し、レバノン2000での日本代表の躍進を見て「日本だけがヨーロッパのサッカーをしているようだ」と思った国々が、組織サッカーをしっかりと強化しよう、と考え始めているのではないか、と書いたことがありました。
当時は中国やサウジなどの国を念頭において書いていたのですが、むしろこういった中東の中堅国においてそれが実際のものになっているのをみると、複雑な気分ですね(笑)。逆に、韓国やイランなどのもともとの強豪国は、アジアカップのほかの試合を見ると、やや停滞している感がありました(その筆頭は日本なのですが・泣)。やはり個人で何とかできると思ってしまっているからでしょうか。
日本はもともとアジアでも突出した存在ではない。だからこのぐらいの苦戦は当たり前なのだ、という意見があるようです。前半の意見には私は同意します。日本のクラブは、ACLでも苦戦続き、なかなか優勝することができません。ベースの部分では、日本はけしてアジアで突出した力を持つ国ではないと私も思います。
そして、だからこそ日本の強みの源泉であった組織力を捨て去るべきではない、と強く強く思っていました。組織的なプレッシングで相手を追い込む連動した守備。そこから共通理解の下、ボールも人も連動して動く展開の大きなパスサッカーによる攻撃。それは前回アジア杯を制した、あるいはコンフェデ杯で準優勝した時の、日本の誇るべきところでした。しかし、それは現在では消え去って、すくなくとも、今回のアジアカップにおいてそれをしているのは、あきらかに対戦相手のほうですね。
日本はもともとアジアでも突出した存在ではない。だから「自らの強みを捨て去れば」このぐらいの苦戦は当たり前なのだ。そういうことではないでしょうか。ほかにも大会を勝ち抜くためのチームマネジメントや、選手の疲労は大丈夫なのか、など、いろいろと問題もあると思います。同時に、今の日本代表が「PKで上には上がれるが、内容では圧倒された」という状態にあるのはなぜなのか、その原因もはっきりしてきたのではないかと私は思うのです。
さて、移動込みなか二日でバーレーン戦ですね。難しいでしょうけれども、選手たちにはしっかりと休養をとって欲しいです。
それではまた。
04:56 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (4) |