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July 08, 2004

協会の一貫性

さて、ヤナギのケースには追加で考えておかなくてはならないことがある、と思います。

先に書いたように「協会の対応」という部分です。

だが、広島合宿初日の練習後、ジーコ監督は柳沢について「アジア杯が終わった後なら問題ない。アジア杯は参加させる。話し合い? それは協会の方の問題」

これはジーコ監督の談話ですが、これを聞いて私には疑問がわきました。

「協会の方の問題?」
「だって、久保とは直接話したじゃないか」
「以前に辞退した高原とだって、直接話したじゃないか」
「そして、彼らの場合は、直接の会話で不召集を認めてあげたんじゃないか」
「なぜヤナギの時だけ、そうしないのか?」

?????

結論から言えば、私は先にあげたジーコ監督の言葉は、基本的には正しいものと、今では思うようになりました。

それは、「招集をするのは原則的には協会である」ということに気づいたからでした。

 

さかのぼってみましょう。今回のヤナギの件と似たような事例がありましたね。そうです、いうまでもなく、中田ヒデ選手の例です。

1999 コパアメリカ 休養のため欠場
2000 アジアカップ セリエAローマに参加するため欠場
2001 コンフェデ杯決勝 ローマでの優勝の瞬間に立ち会うために欠場

このように、ヒデは「日本代表の公式戦を、個人的理由のために欠場する」ということを、けっこうコンスタントに行ってきました。さて、これはなぜ許されたのでしょうか?これを許した「主体」はどこでしょう?

私はそれは「協会」であると思います。

コパアメリカはともかく、アジアカップでも、コンフェデ杯決勝でも、当時のトルシェ監督はヒデに、代表に参加して欲しいと希望していました。また実際、FIFAルールにのっとれば、AFCの公式戦であるアジアカップなどには、クラブに対して強制力のある召集権を行使することもできたのです。

しかしヒデは、彼個人の意志を通し、招集を拒みました。それを「認めた」のは、実際に招集の主体となる「日本サッカー協会」であると私は思います。トルシェは、協会がそのように決定したので、しぶしぶ、おそろしくしぶしぶ(笑)それに従ったのに過ぎないのでしょう。コンフェデ杯決勝の事例などは、その「彼は承服していない」ことを如実に表しているのではないでしょうか。

これは当時、海外組がヒデ一人であり、また彼が日本代表の中で実力的、実績的に突出した存在であったから起こったことだと思います。協会も、関係者も、マスコミも、サッカー専門誌も、ほとんどのファンも、サポも、「ヒデが経験を積むことのほうがアジアカップよりも大事」だと感じていたように、私には思えます。

当時、「ヒデは重みのあるアジアカップに出場すべきだ。それをしないのは、代表軽視であり、けしからん」という論調は、私の知る限り、ほとんど見られませんでした。

協会は、この日本サッカー界の暗黙の総意を受け、いかにトルシェが要望しようとも、ヒデの意思を尊重した形で不出場を認める決定をし、トルシェに対し「協会の決定だから」と伝えたのではないでしょうか。


今回、ジーコ監督は、柳沢の招集を熱望しているように見うけられます。それは、「自分のあずかるチームを最上の状態に持って行くこと」を使命とする代表監督としては、当然のことともいえるでしょう。これは、トルシェ監督がアジアカップ前に、ヒデの合流を熱望していたのと符合します。

しかし、当時は協会は、ヒデの意志を尊重し、アジアカップの欠場を認めています。協会というオフィシャルな意思決定機関は、その対応において、継続性、首尾一貫性、インテグリティを持っていてしかるべきだと私は思います。また、そういう哲学チックなことでなくても(笑)、私たちは日々、特にアナウンスがない限り、ものごとは昨日と同じルールで動いていくはず、と考えて過ごしているはずです。

(そうでなくては、昨日までなかったルールで、しかもそれが周知されていないのに、いきなり裁かれるようなことがあっては、困ってしまうでしょう)

柳沢のケースは、これまでに数回あったヒデのケースと、カタチとしては変わらないものです。これについては、特別な理由がない限り、これまでと首尾一貫した対応を、協会は取るべきだと思います。

つまり、柳沢の個人的要望を受け入れ不出場を認め、ジーコ監督に対し「協会の決定だ」と伝えるべきだ、ということです。これまでとの継続性を考えるならば、当然のことでしょう。またそういう一貫性を期待するヤナギの考えは、まったく正当なものであり、責められるたぐいのものではないと考えられます。

(監督の要求、ということに関しては、ジーコもトルシェも、ヤナギ(ヒデ)に参加して欲しい、と要求している点は変わりません)

もし、これまでと「協会の対応」が変わるのならば、その理由、変わった基準などを明確にアナウンスするべきです。

本来ならば「事前に」それはなされるべきでした。それがない状態で、辞退の意思を受けてから「えーっと、これからはそれは認めないことにした。いいね」というのでは、あまりに場当たり的であり、恣意的であり、信頼することのできない対応といわねばなりません。

私が想像するに、柳沢選手から辞退の意思を最初に受け付けた担当レベルでは、彼らも「ヒデの例もあるし、辞退で問題ないだろう」「ジーコ監督は、そういう選手の意思を受け入れる人だし」という予断があったのだと思います。しかし、ジーコ監督のヤナギ招集の考えは予想外に硬かった(私はその要望を責めているわけではありません)。

現場担当レベルは、相当今困っていると思います。トルシェの時は、ある意味彼の要求を突っぱねるのは楽だった(笑)。彼は協会内で孤立していましたからね。しかし、ジーコ監督の場合はそうではない。かんしゃく持ち(ケット・シー私見)の会長のお気に入りですから、その要求を無碍にすると自分の立場がどうなるかわからない。しかし、ここでいきなりこれまでと方針を変えるには、上手い言い訳が考えつかない・・・(笑)。

これは私たちファンの側にとっても同様です。

今回の件で、「ヤナギの考えは甘い」「アジアカップは重要な大会なのだから、辞退などするべきではない」という考えを表明する方がいらっしゃいますが、それならば4年前にも、あるいは01年コンフェデ決勝の時にも同じことを考えているべきです。しかし、そのように考えていた方は、世間を見ても、掲示板を見ても、当時から多くいたとは思えません。

もし当時からずっと、「ヒデはアジアカップにもコンフェデ決勝にも参加して当然だ」という論陣を張っておられたのならともかく、そうでないのなら、「考えが変わった」ことに対して合理的な説明をして、「これまでの流れからするとヤナギの考えはもっともだけれど、これからは選手の考え方も変えていって欲しい」という要望を表明する程度にとどめておくべきではないでしょうか。

確かにアジアカップは、本来はEUROと匹敵するような大会であるはずです。私たちはこれまで、少し軽視しすぎていたという部分はあると思います。ヤナギがどうか、ということとは関係なく、(今回のEUROの興奮も冷めやらぬところですから・笑)、今度はアジアカップをなるべく盛り上げて行きたいところですね。

それではまた。

12:42 AM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク

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コメント

僕は前々からジーコの鹿島贔屓には疑問を持っていて、
最初の頃の秋田・名良橋の招集とその切り方、
小笠原への過度な期待と酷使、本山の扱いなどを見ていても、
鹿島の選手に対しては甘えというか、なあなあから来る
結果的に厳しい取り扱いが多いような気がするんですが……。

どう考えても一番不利益を受けているのは、鹿島アントラーズ
だという気がして仕方ありません。

投稿者: おりた (Jul 8, 2004 12:58:41 AM)

ちっと本論の趣旨とは違うレスだけれど・・・(笑)。

その可能性は否定できないですよね。
J-KETのほうの「ファミリーであると言うことは、隷属的関係を意味する」という意見が、けっこう気になってきましたよ。

投稿者: ケット・シー (Jul 9, 2004 2:17:46 AM)

柳沢の召集問題を中田のそれとリンクさせて、
>>もし、これまでと「協会の対応」が変わるのならば、その理由、変わった基準などを明確にアナウンスするべきです。
と、しているので一言。

確かに協会は中田の海外経験のフィードバックを目先の勝利より重視したと思いますが、仮に、柳沢にそこまでの役割を期待していなかったら、どうなのでしょう。 協会はそれを明確にアナウンスすべきなのでしょうか?
ご指摘の通り、当時の中田が一人で日本を背負っていた存在
であったことは大多数が認めるところですし、だからこそ中田本人の意思が尊重されたのだと思います。
個人的に、召集問題は様々な状況を複合的に考慮すべきで、画一的なルールは必要ないと思っています。 
むしろ必要なのは、代表監督の明確なノルマでしょう。

投稿者: なかた (Jul 9, 2004 11:47:27 AM)

つまり、中田のケースは「特別扱い」であったということですよね。
であれば、私は「あれは特別だった」ということを公にするべきだと思うわけです。
協会も、そのほかの「大多数」の人間も。

今後再び混乱する可能性を避けるためにも、ですが。

投稿者: ケット・シー (Jul 9, 2004 1:48:15 PM)

>なかいさん

コメント中に、選手への敬意を欠いた表現がありましたので、削除させていただきました。
当BLOGのコメント欄は、掲示板と同様のルールに基づいて管理しますので、ご承知ください。

ルールはこちら↓

http://www.geocities.co.jp/Athlete-Acropolis/6591/rule.html

投稿者: ケット・シー (Jul 10, 2004 2:29:31 PM)

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