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May 08, 2004
こんな時代になったねと
次期監督についてから始まった一連の議論ですが、掲示板の方でもTENさんから問題提起をいただき、やり取りしている中で議論が深化していきました。TENさんのほうはそれをBLOGにまとめられておられますが、私も私なりの考えをここにまとめておきたいと思います。
TENさんの主張は、以下のようなものだと思います。
1)これからは、2002以前のような強化日程は取れない。
2)そのような場合、戦術を浸透させるタイプのやり方はできないだろう。
2´)そうではなく、「連携を取る能力が高い」選手を集めて代表を作るやり方を採るべきである。
3)そのやり方が上手いのは、ブラジル出身の監督である。
4)ジーコを選んだ川淵氏は、上記のように考えていただろう。
5)ジーコはマネージメント能力が低いため、日本代表監督としては不適格かもしれないが、「日本のサッカー界の位置取り、方向性」の確立という事で考えた場合、2)の「方針」自体は正しいと考えるべきではないか。
6)監督を交代するにしても、「連携を取る能力が高い」選手を集めて代表を作るやり方は継承するべきだし、その方針で監督を選ぶべきだ。
(この観点を視野に入れない解任論はダメなのではないか)
やり取りを通して、私は「これは西部さんが主張されていた『セレクター論』に近いな」と思いました。
西部さんは「ジーコはセレクター型の監督だ。つまり、その時点でベストの選手を招集し、短期間で理解しやすい最低限の約束事だけを与えて、オーソドックスな戦い方を指向する。」と書かれていて、そこでの選手の基準をたんに「ベストの選手」としていますが、これに補足して、「選手の連携をとる能力」が重要だ、としたのがTENさんの論であるという事ではないか、ということです。
これに対しさらに「ジーコ監督は、日本サッカーが中途半端な移行期にあるときに就任した、中途半端なセレクターなのかもしれない。」という判断を示しているのが西部さんです。そして、私はTENさんとの議論を通して、やはりそれに近い考えを持ちました。
仮に(仮にですが)ジーコが「連携を取る能力が高い選手を集めて代表を作る」やり方を採ろうと考えていたとしても、それには、「どういう選手が連携を取る能力が高いのか」「どのように組み合わせるべきなのか」を見極める能力が必要ですし、「与えるべき最小限の約束事は適当なのか」という監督の問題もありますね。
そしてその点を考えると、ジーコ監督の「セレクター」としての能力も高いものではない、と私は考えているわけです。この部分はある程度TENさんも同意していただいていますが、「連携を取る能力が高い選手を選ばなくてはならないのに、現状ではそれがあまりできていない」ということですね。
したがって、単に「マネージメント能力が低い」ことだけで解任を叫んでいるのではなく、「セレクターとしての能力不足」も問題視しているのです。この点では「中途半端なセレクター」とした西部さんとも評価の一致を見ているとも言えるかもしれません。
西部さんは(TENさんも?)セレクター型監督は少し時期尚早だったか、と書かれていますが、私は、ジーコ体制の問題点はその部分にはなく、ジーコ監督が「セレクターとしても」能力不足であったのだ、ということであろうと思っています。同じタイプの(?)セレクター型監督でも、経験豊富で能力の高いプロの代表監督であれば、より的確に「連携を採る能力が高い」選手を見極めることができるでしょう。
特に「今後の方針」に関してはTENさんの考えに完全に同意するわけではありませんが、「仮に」その路線「連携を取る能力が高い選手を集めて代表を作る」を継続する事にした場合も、ブラジル人だけではなく、さまざまなタイプの「セレクター」型監督が存在し、彼らも日本代表を率いる資格がある、と言って良い、と私は思います(もちろん、日本を知っているか、日本に合うか、などなど、多くのチェックポイントはありますけどね)。
それではまた。
09:50 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク
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