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May 03, 2004

本題♪

KINDさんへのレスの続き。こちらが本題かもしれない。

そういうことで、非常に丁寧にレスを返していただいたケットさんに感謝しつつも、ケット氏の「解任後のグランドデザイン」については非常に疑問を抱いた次第。

そうだろうね。そして私は「それはサロン的会話にしかならない」と考えているのだよ。オシム監督の健康状態について、私たちは本当の情報をどれぐらい知っている?メツ氏がセネガルでどれだけの合宿数で結果を出したかをどれぐらい知っている?ギュネス氏が協会と折り合いをつけられる人柄かどうか、本当のことをどのぐらい知っている?そういうことを総合的に判断するのは協会の役目なのだ。

さらには、私は「協会も変わるべき」と考えていることも付け加えておきたい。

「ネルシ-ニョは協会ともめたからダメだ」というテーマは意味がないと思う。本当に呼ぶべきであれば協会は猛省し、頭を深く下げて彼のドアを叩くべきだし、そうできるように変わるべきだ。トルシェも同様。「川淵氏が嫌っているからトルシェはダメだ」これも無意味な話。逆に言えば、川淵氏の気持ち次第で招聘は可能と言うことだ。本当に必要ならそれぐらい変えてくれなくては困る。

また「招聘可能性」については、私は「協会が全力で当たるべき」と書いた。これについても補足しておこう。

私事になるが、私は「タレントとの出演交渉」もしなくてはならない仕事をしている。これは実は困難を極める(笑)。大物になると、たいていは契約金の額で門前払いである。しかし、どうしてもこの役者が欲しい、という場合には、「絶対にやらない」といわれるまでは私は交渉を粘り強く行う。そうすると、「額ではない」ということがある。時には直接会いに行き、いかにこの企画がよいか、話を聞いてもらう。時には熱情(?)をしたためた手紙を書く。それによって、「よっしゃ!」となることが、まれにだが、あるのである。

オシム監督を市原の監督に動かしたのは、祖母井氏が何度も頼みに行ったのが決めてであったという。そういうことなのだ。そういう努力をしないで「あんなビッグネームが来てくれるわけないじゃないか」「契約があるからムリに決まってるじゃないか」「日本協会と合うわけがないじゃないか」などと考える必要はどこにもないと私は思う。むろん、むこう(監督)にも事情はあり、「絶対にムリ」である監督もいよう。しかし、それはぎりぎりまで交渉をしなくてはわからないことなのだ。そして私は、「ぎりぎりまで交渉を、全力で、誠意を持って」行うように協会は変わるべきだと思っているのである。祖母井氏のように。

解任論を主張するのは必要だと思うけども、「じゃあ誰が監督やるの?」と問われたとき、それなりの現状に即した人材を想定しておくのは「言いっぱなし」にならないための一種の義務ではないか、と思うのだが如何だろうか?

それは一つの考え方だろう。しかし、私は
「どういうサッカーをする監督を選ぶべきかは、協会の日本サッカーに関するビジョンによる」
「監督の就任可能性(健康状態を含む)、協会とうまくやっていける可能性については、協会が全力で当たるべき、としか言う必要を感じない」
「戦術徹底タイプだから時間がかかる、というのが本当かどうかは疑問」
「時間がどれぐらいかかるかは、監督によって違うだろう。それはこれまでの実績を精査しないと判明しない」
「現在のチームでの成績だけで手腕を判断するべきではない」
と考えており、従って現時点での監督候補は以上に述べたようなものになる。

もちろん、「どういうサッカーをする監督を選んで欲しいか」という私なりの考えは、ある。しかしそれはサロン的会話にしかならないと思うし、解任論の文脈でそれを話すのは、百家争鳴議論百出しても得るものは少ないと私は考える。それを避けるには上記のような考えになり、それに基づけば、現時点では先に述べたような候補を挙げるにとどめることで、「義務」の範疇としての次期監督論としては十分だと思うのだ(アジアカップ後ならばまた人数は絞り込まれるだろうが)。

ところで、KINDさんのところのコメント欄での対話の中で出てきた、

やっぱり「代案なくして批判なし」は原則だと思いますから。(KINDさん)

についても少し考えておきたい。(おそらくこれがKINDさんのもともと言いたかったこと)

これについては私は、「ジャーナリストは政府について、つねに代案を持って批判するだろうか」と反論した。確かにケット・シーはジャーナリストではないが(笑)、こうやって発表する場を持っているということでは、その差異はもはや本質的なものではなくなってきていると思う(これはネットの間ではもはや共通認識となっていたのではないかと思うのだが)。

また、協会は政府と置き換えられるようなものかどうか、という点では、広義には「サッカーファンは国民、協会は政府のようなものである」ということができるだろう。彼らは私たちには到底持つことのできない絶大な権力を持っているのだから、いうまでもなくその責任は負うべきだ。また狭義には「観戦料や登録料を払っているのだからそれは税金と同じで、協会は責任を負うべき」とも言える。

さらに言えば、「ジャーナリストは代案を用意してから企業を批判するか?」と置き換えてもよい。ジャーナリストではなくても、消費者も問題があると思えば企業を批判するし、不買運動などを起こす人もいるだろう。問題があれば、批判される、それは当然のことなのだ

繰り返して言うが、代案を作ることは可能だし、それを我々のできる範囲で精度を高めていくこともできるだろう。しかし、それはサロン的会話にしかならないし、その議論をすることによって、「悪政を改めるべき」という基本が薄れていくことは避けなければならない。したがって私はこれ以上その話に深入りすることはしないつもりなのだ。

それではまた。

01:00 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク

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コメント

KINDさんに便乗です
>オシム監督を市原の監督に動かしたのは、祖母井氏が何度も頼みに言ったのが決めてであったという。そういうことなのだ。そういう努力をしないで「あんなビッグネームが来てくれるわけないじゃないか」と考える必要はどこにもないと私は思う。むろん、むこう(監督)にも事情はあり、「絶対にムリ」である監督もいよう。しかし、それはぎりぎりまで交渉をしなくてはわからないことなのだ。そして私は、「ぎりぎりまで交渉を、全力で、誠意を持って」行うように協会は変わるべきだと思っているのである。祖母井氏のように。

 言えるのは祖母井氏のような人が現実的に協会にはいないのだから、そのことを考える必要はあるということ。なにしろ今の監督が決まった経緯を思い出して欲しい。次の選択を間違う可能性のほうが高いのでは?僕はそこを危惧しています。

ケットシーさんが考えるようにどんな監督でも不可能はないでしょう、手間、きちんとしたプラン、お金、情熱などを注げば。

でも問題は今の協会がそれをできるのか?後任人事の際にどういう行動をとってしまうのか?実際あんななさけない協会をもってしまうとそこまで危惧せざるえないファンも少なくないでしょう。

では協会がとりそうな行動を三つ上げて見ます。

1、トルシエを見つけてきたときのようにフランス協会にお勧めを打診してもらう

この策は今の協会にしては、随分マシな選択といえるのではないかと思う。

2、 何を残して、何を変えて、何を新しく加えていくかをしっかり協会が全体で考えた上で、次の監督を決め、監督の情報もしっかり集めること。

これが理想ですね

3、前回同様、よっしゃ俺が決めてやる的なワンマン意見で、川渕氏のコネがある所に話が転がる展開。

これが最悪な展開ですね。そして案外3の最悪の展開がおきないとは言い切れないのが今の協会の怖いところ。http://gazfootball.com/books/daihyou-kantokuron.html
これを読んで、次こそ協会が監督人事を間違えない!なんて期待できるわけがない。

 ジーコに決まった前回は、記述委員会で誰がいいかという話はあったみたいですが、単なるネームバリューのかき集めで、その候補が本当に日本にあっていたかは定かではない。前述した2とは程遠い。

僕が言いたいのはジーコが辞めた後は一体どういう結果になりうるだろうかという事。ベンゲルだって、ルメールだってそりゃ0%だなんていいませんが、現実協会がどういう行動をとるかということ。協会に変わって欲しいのは僕も一緒です。ただ監督を変えるよりはるかに協会を変えるほうが難しいことです。それこそW杯予選敗退くらいの衝撃がないと変わらないだろうと思います。

ケットシーさんは、協会がジーコを解任した後いどういう風に後任を探すと予想されますか?祖母井氏のように探せると思ってらっしゃるのですか?できる、できないではなくて、協会がそこまで熱意を持てるか持てないかと、言う質問です。


>繰り返して言うが、代案を作ることは可能だし、それを我々のできる範囲で精度を高めていくこともできるだろう。しかし、それはサロン的会話にしかならないし、その議論をすることによって、「悪政を改めるべき」という点が薄れていくことは避けたい。したがって私はこれ以上その話に深入りすることはしないつもりなのだ。(ケットシーさん)

 精度を高めていくことができるのなら、それはサロン的会話に留まるものといえないんじゃないですか?ぜひその精度ある案を聞かして欲しいです。

投稿者: パルミ (May 3, 2004 2:23:17 PM)

>言えるのは祖母井氏のような人が現実的に協会にはいないのだから、そのことを考える必要はあるということ。

私が言っているのは「協会よ、祖母井になれ!」(比喩ですよ、もちろん)という「要求をすることが大事」、ということ。

>ただ監督を変えるよりはるかに協会を変えるほうが難しいことです。

だからこそ、変にサポが物分りよくならないで、しっかりと要求をするべきだと思うわけです。

>できる、できないではなくて、協会がそこまで熱意を持てるか持てないかと、言う質問です。

実際にジーコを解任した場合は、それは相当危機意識を持つでしょうね、彼らも。熱意も持てるのではないかと思いますよ。我々が要求していけばね。

>精度を高めていくことができるのなら、それはサロン的会話に留まるものといえないんじゃないですか?ぜひその精度ある案を聞かして欲しいです。

その後、「その精度が高いか低いか」という議論になるでしょう(笑)。それでは、最も重要な「悪政をあらためる」論点が薄れていってしまうと私は思うのですよ。

投稿者: ケット・シー (May 3, 2004 2:53:17 PM)

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