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February 28, 2004

オマーン戦 現地観戦記

オマーン戦をスタジアムで見た後、落ち込んでいる時にJ-NET(本家)を見ていたら、「シュート数も多いし、オマーン戦の内容は悪くなかった」と言う書き込みを見かけました。あまりに私の認識と違うので、ビデオ見直してみました。

そして、「ああ、この中継ではそういう人が出るのも無理はない」と思いました。

中継ではボールのあるところしか映さないので、いかに日本選手が動いていないか、いかに日本のバイタルエリアに危険なスペースが開いているか、それが見えないのです。あれをTVで見たとしたら、「それほど悪くない」と思ったとしても、仕方ないかもしれません。

しかし、実際にはあのTVでみるよりも、ずっと悪いのです、今の日本のサッカーは。

TVで見ていると、一応パスを、走り出したFWや三都主にあわせているように見えます。しかし、「いつ動き出すかが自由なサッカー」ですから、他の選手はそれをまったく感じておらず、どこにも第3の動きがない。A選手がパスを要求し、B選手がパスする、それだけなのです。これでは敵にマンマークで付かれてしまうのもしかたがない。

さらに、B選手がワンタッチでパスできるところに顔を出す選手もいない。だから、しばらく彼はボールを保持しなくてはならず、2人目、3人目が寄って来て、1vs2、1vs3にさらされてしまうのです。私はオマーン選手一人一人の1vs1は、日本代表の平均よりも下手だと思いますが、それでも1vs2で掛かられれば奪われてしまう。まさに、ボールを持ってから考える遅い攻撃は、マチャラ監督のマンマーク戦術に見事にはまってしまったわけです。

TVでは、ボールを受けた選手を中心に映すので、周りの動き出しは分からないのですが、ボールホルダーがルックアップして遠くを見て、あきらめて隣の選手にボールを渡すシーンが何度もありましたね。あれは、前線が動き出さず、一人が動き出したとしても連動していないため、パスを出すところがないからです。それが本当に、何度も何度もありました。

この試合前、ジーコ監督は一応「カウンターの練習」をしたと報道にありました。私は、それではさすがに守備から攻撃への切り替え時に、多少は動き方を整備して、スムースに一番得点の可能性の高いダイレクトプレーを行えるようにしたのかな、と思ったのですが、「出しどころがない」シーンが頻発するところを見ると、それはまったくできていないと言わざるを得ません。逆に、オマーンの方がそういう点ではるかにスムースに、スペースを開け、開いたスペースを使うボールの運び方ができていました。敵の2トップにもう少し決定力があったら、と想像すると、本当に恐ろしいですね。

また、遠藤が三都主の裏のケアに引っ張り出され、稲本が組み立てに参加してしまうことにより、ボールを奪われた瞬間には恐ろしいほど広大なスペースが、日本のDFラインの前に開いてしまっていました。しかし、オマーンのボールの動かし方を中心に中継が追っていくため、またアナウンサーもオマーンの攻撃の時は世間話などをしているため(笑)、それがいかに危険な状態か、TVではわかりにくいのです。

そうしてオマーンボールが日本ゴールに近づいた時にはじめて、アナウンサーは「危険です!」などというのですが、あの映し方ではなぜ危険になったのか分からない。それはオマーンがスーパープレーを見せたからではなく、日本が布陣のアンバランス、ぽっかり開けたスペースにより、自ら招いてしまった危機だったのです。まあそれでも、オマーンの攻撃における個人技が低いので、失点はしないですみましたが。

半は、久保選手を入れ、ターゲットができたことでヘッドからのチャンスがいくつか生まれ、また小笠原のミドルシュートなどもありました。しかしどれも、連動した動きから生まれたものと言うよりは、選手が個人能力でオマーンを上回ったから生まれたチャンスです。久保のヘッドの高さなどはその典型といえます。25分の久保のミドルシュートもそうでしょう。しかし、個人能力のごり押しでは点になりませんでした。

私が特に悲しかったのは、25分過ぎからの日本の攻撃の迫力のなさです。実際、後半15分から30分の間にはいくつかのチャンスを作っていますが、ごり押しで点にならないということが明らかになった後、30分から45分の間には、シュートはロスタイムの久保のそれを含め、2本しかありませんでした。

この時間帯、日本は「どうしていいかわからない」状態に突入してしまったようで、DFラインでボールをまわしていても、みごとに誰も動き出しません。仕方がないからゆっくりと、「隣の人へパス」を繰り返して、あるいは鈴木へのロングボールで、何とかボールを運びますが、あれほど「読みやすい」パスでは、点につながるわけがありません。この、「どうしても1点が欲しい」というシチュエーションで、なぜ走りださないのか。

監督がピクチャーを与えない、選手が一人一人ボールを持ってからどうしようか考える、回りがいつ動き出すかが自由なサッカー。それは必然的に遅い攻めとなり、連動した動きがなく、マンマークで1vs2、1vs3を作られやすく、攻撃が機能しません。チャンスはいくつか作れましたが、それはほとんどが個人能力で相手を上回った結果できたもの。久保のヘッドもそうですし、前半43分、スローインから高原がマーカーを吹っ飛ばして反転し(技術とフィジカルの強さ!)、キーパー正面のシュート、などなどもそうですね。

しかし、オマーンに対しては優位に立てた個人技も、2次予選ではどうでしょうか?世界と戦うときにはどうでしょうか?今の遅い攻めを続けていて、世界相手に点が取れるのでしょうか?世界は、DFラインの前にぽっかり空いたスペースを見逃してくれるのでしょうか?

日本は、弱くなっている。遅い攻めしか作れない監督、ディフェンスの問題点を修正できない監督によって、これほどまでに弱くなっている。選手のコンディションを考慮した戦いができないチーム・マネジメント、稚拙なモチベーション・コントロール、メンタルマネジメント能力しか持っていない監督によって、弱くなっている。私はそう思います。

2002年のワールドカップ、サウジアラビアはドイツに8-0で敗れました。私は当時、「同じアジアとして恥ずかしい」などと、他人事のような気持ちでそのニュースを聞きました。しかし、そのサウジアラビアはガルフカップで優勝しています。オマーンは同大会で4位です。かつ、日本との対戦では、その時のレギュラーFW2人を怪我で欠いていました。オマーン戦のような試合をしていては、8-0は全然他人事ではありません。

そして、オマーン戦の内容はジーコ監督の指導の特性から来るもので、いつでも再現の可能性があると私は思います。

私はジーコ監督の解任を求めます。それではまた。

07:16 PM [ジーコジャパン・1次予選] | 固定リンク

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