「次のステージ」も
よく言われる考え方に、以下のようなものがあります。
「戦術を徹底して戦うやり方は、トルコ戦で限界を見せた」
「その先のステージに行くには、戦術を徹底しないで、自由に戦うやり方が必要だ」
「今、ジーコ監督はそれをやっている、それは正しい」
私はこれは間違っていると思います。というのは、日本よりも強い国(その先のステージにいる国?)も、「戦術を徹底すること」を止めているわけではないからです。
アルゼンチンのビエルサ監督は戦術徹底の緻密さで有名ですし、チェコも、オランダ(アヤックスシステム)も、イングランド、フランスだって、「戦術を徹底せずに、自由に戦うやり方」などは採っていません。あたりまえでしょう。共通したピクチャーを監督が定めることなく、選手の自由に任せるサッカーで、高いレベルの戦いで結果が出るとは思えません。
先にも書きましたが、「戦術を徹底して戦うやり方では、研究されたら終わり」と言われていました。しかし、実際に研究され、戦い方にバリエーションがなく、連動しない行き当たりバッタリの攻撃がマンマークで抑えられてしまったのは、「自由」を標榜する攻撃の方でしたね。
2002年W杯の後、日本が進むべきだった方向とは、トルシェ日本程度の戦術徹底は前提として、その上で個人能力を(育成やクラブで)高めていく、という方向でした。しかし、トルコ戦の敗戦のショックが大きかったためか、それ以前の方針を全否定して、「これからは個のサッカーだ」などと、世界のどこの強豪国もやっていないことを、求めてしまいました。それは大きな誤りであった、日本サッカー界のナイーブさの現れであった、と私は思います。
今でも、朝日の中小路氏のように、「方針は正しい」という方を良く見かけますが、以上のように、「方針も別に正しくない」「W杯でベスト4以上に進む、優勝を争うような強豪国も『戦術を徹底せず、自由に戦って』などいない」と言い切ってよいと思います。また、中小路氏は
http://www.asahi.com/sports/soccer-japan/TKY200402230119.html
において、「ジーコ監督はもともと時間がかかることをしようとしているのだ。」と書かれています。同じようなことをここで主張される方もいましたが、中小路氏に問いたいのは、
「ジーコ監督のやり方をしているチームを他に知っているか」
「そのチームでは、時間はかかったが結果が出たのか」
ということですね。一言でいえば「なぜ時間がかかることを知っているのか?」ということになりますか。もしかして「時間はかかるけどきっと(根拠はないけど)結果が出る」と思っているだけなのではないか?私には、今のジーコのやり方は「時間もかかり、かつ結果が出ない」ものだと思えてならないのです。
(ちなみに、鹿島ではジョアン・カルロス監督がいての結果ですから、現在のように「戦術を徹底せず、自由に戦っていた」わけではないですね)
もう一度言いますが、「次のステージ」でも、世界の強豪国は「戦術を徹底せず、自由に戦うやり方」などを取っていません。そちらにいく方針が、あたかも日本の問題を解決してくれるかのような期待は、トルコ戦ショックの生み出した幻想だと考えるべきでしょう。
日本代表は、きちんとしたチーム作り、戦術徹底、チームマネジメント、モチベーションコントロール、メンタルマネジメントのできる、プロの代表監督に率いられるべきです。現状はそれらの能力が低い監督に率いられることによって、どんどん弱くなっているとしか、私には思えません。
私は、ジーコ監督の解任を求めます。
それではまた。
07:23 PM [ジーコジャパン・考察] | 固定リンク | トラックバック (0) |
February 28, 2004オマーン戦 現地観戦記
オマーン戦をスタジアムで見た後、落ち込んでいる時にJ-NET(本家)を見ていたら、「シュート数も多いし、オマーン戦の内容は悪くなかった」と言う書き込みを見かけました。あまりに私の認識と違うので、ビデオ見直してみました。
そして、「ああ、この中継ではそういう人が出るのも無理はない」と思いました。
中継ではボールのあるところしか映さないので、いかに日本選手が動いていないか、いかに日本のバイタルエリアに危険なスペースが開いているか、それが見えないのです。あれをTVで見たとしたら、「それほど悪くない」と思ったとしても、仕方ないかもしれません。
しかし、実際にはあのTVでみるよりも、ずっと悪いのです、今の日本のサッカーは。
TVで見ていると、一応パスを、走り出したFWや三都主にあわせているように見えます。しかし、「いつ動き出すかが自由なサッカー」ですから、他の選手はそれをまったく感じておらず、どこにも第3の動きがない。A選手がパスを要求し、B選手がパスする、それだけなのです。これでは敵にマンマークで付かれてしまうのもしかたがない。
さらに、B選手がワンタッチでパスできるところに顔を出す選手もいない。だから、しばらく彼はボールを保持しなくてはならず、2人目、3人目が寄って来て、1vs2、1vs3にさらされてしまうのです。私はオマーン選手一人一人の1vs1は、日本代表の平均よりも下手だと思いますが、それでも1vs2で掛かられれば奪われてしまう。まさに、ボールを持ってから考える遅い攻撃は、マチャラ監督のマンマーク戦術に見事にはまってしまったわけです。
TVでは、ボールを受けた選手を中心に映すので、周りの動き出しは分からないのですが、ボールホルダーがルックアップして遠くを見て、あきらめて隣の選手にボールを渡すシーンが何度もありましたね。あれは、前線が動き出さず、一人が動き出したとしても連動していないため、パスを出すところがないからです。それが本当に、何度も何度もありました。
この試合前、ジーコ監督は一応「カウンターの練習」をしたと報道にありました。私は、それではさすがに守備から攻撃への切り替え時に、多少は動き方を整備して、スムースに一番得点の可能性の高いダイレクトプレーを行えるようにしたのかな、と思ったのですが、「出しどころがない」シーンが頻発するところを見ると、それはまったくできていないと言わざるを得ません。逆に、オマーンの方がそういう点ではるかにスムースに、スペースを開け、開いたスペースを使うボールの運び方ができていました。敵の2トップにもう少し決定力があったら、と想像すると、本当に恐ろしいですね。
また、遠藤が三都主の裏のケアに引っ張り出され、稲本が組み立てに参加してしまうことにより、ボールを奪われた瞬間には恐ろしいほど広大なスペースが、日本のDFラインの前に開いてしまっていました。しかし、オマーンのボールの動かし方を中心に中継が追っていくため、またアナウンサーもオマーンの攻撃の時は世間話などをしているため(笑)、それがいかに危険な状態か、TVではわかりにくいのです。
そうしてオマーンボールが日本ゴールに近づいた時にはじめて、アナウンサーは「危険です!」などというのですが、あの映し方ではなぜ危険になったのか分からない。それはオマーンがスーパープレーを見せたからではなく、日本が布陣のアンバランス、ぽっかり開けたスペースにより、自ら招いてしまった危機だったのです。まあそれでも、オマーンの攻撃における個人技が低いので、失点はしないですみましたが。
半は、久保選手を入れ、ターゲットができたことでヘッドからのチャンスがいくつか生まれ、また小笠原のミドルシュートなどもありました。しかしどれも、連動した動きから生まれたものと言うよりは、選手が個人能力でオマーンを上回ったから生まれたチャンスです。久保のヘッドの高さなどはその典型といえます。25分の久保のミドルシュートもそうでしょう。しかし、個人能力のごり押しでは点になりませんでした。
私が特に悲しかったのは、25分過ぎからの日本の攻撃の迫力のなさです。実際、後半15分から30分の間にはいくつかのチャンスを作っていますが、ごり押しで点にならないということが明らかになった後、30分から45分の間には、シュートはロスタイムの久保のそれを含め、2本しかありませんでした。
この時間帯、日本は「どうしていいかわからない」状態に突入してしまったようで、DFラインでボールをまわしていても、みごとに誰も動き出しません。仕方がないからゆっくりと、「隣の人へパス」を繰り返して、あるいは鈴木へのロングボールで、何とかボールを運びますが、あれほど「読みやすい」パスでは、点につながるわけがありません。この、「どうしても1点が欲しい」というシチュエーションで、なぜ走りださないのか。
監督がピクチャーを与えない、選手が一人一人ボールを持ってからどうしようか考える、回りがいつ動き出すかが自由なサッカー。それは必然的に遅い攻めとなり、連動した動きがなく、マンマークで1vs2、1vs3を作られやすく、攻撃が機能しません。チャンスはいくつか作れましたが、それはほとんどが個人能力で相手を上回った結果できたもの。久保のヘッドもそうですし、前半43分、スローインから高原がマーカーを吹っ飛ばして反転し(技術とフィジカルの強さ!)、キーパー正面のシュート、などなどもそうですね。
しかし、オマーンに対しては優位に立てた個人技も、2次予選ではどうでしょうか?世界と戦うときにはどうでしょうか?今の遅い攻めを続けていて、世界相手に点が取れるのでしょうか?世界は、DFラインの前にぽっかり空いたスペースを見逃してくれるのでしょうか?
日本は、弱くなっている。遅い攻めしか作れない監督、ディフェンスの問題点を修正できない監督によって、これほどまでに弱くなっている。選手のコンディションを考慮した戦いができないチーム・マネジメント、稚拙なモチベーション・コントロール、メンタルマネジメント能力しか持っていない監督によって、弱くなっている。私はそう思います。
2002年のワールドカップ、サウジアラビアはドイツに8-0で敗れました。私は当時、「同じアジアとして恥ずかしい」などと、他人事のような気持ちでそのニュースを聞きました。しかし、そのサウジアラビアはガルフカップで優勝しています。オマーンは同大会で4位です。かつ、日本との対戦では、その時のレギュラーFW2人を怪我で欠いていました。オマーン戦のような試合をしていては、8-0は全然他人事ではありません。
そして、オマーン戦の内容はジーコ監督の指導の特性から来るもので、いつでも再現の可能性があると私は思います。
私はジーコ監督の解任を求めます。それではまた。
07:16 PM [ジーコジャパン・1次予選] | 固定リンク | トラックバック (0) |
February 23, 2004高熱選手の先発について
「その時点で高熱のある選手を出場させた」ということに関する責任は、ジーコだけではなくてドクター含め、日本代表チーム全体で対策を考えていって欲しい問題ですね。
しかし、代表監督の能力として問題なのは、「コンディションを重視して起用する選手を考えない」というところでしょう。
コンフェデ杯では、中1日という強行スケジュールだったため、多くの国がターンオーバーをさせて来ました。日本がそれをしないことに対して「生命の危険があるわけじゃないから問題ない」という議論がありますが、そういう問題ではなく、各国は「連戦させると勝てない」という点からも、連戦を避けているのだということに思いをいたるべきです。
「過酷な日程でのグループリーグ突破のための戦略」ということですね。いうまでもなく、怪我やカードで選手が欠けることはいくらもありますし、それに対応した選手層を作っておかなくてはならないわけです。それができていれば、連戦で疲労の溜まった選手よりも、フレッシュな選手のほうを起用できたはずで、そういう選手層がなかったから、3戦連続スタメンがほぼ同じ、という結果になりました。
試合を見ると分かりますが、コロンビア戦後半などは選手全員の足が止まり、1点を返さなくてはいけない状態でこぼれだまさえ拾えない始末でした。目標を達成するためにも連戦は避けるべきだったのです。
なぜジーコ監督はこのようなことをしたのでしょうか?
それは、「選手を固定し固定された選手間での話し合いに依存する」という強化方針だからです。最初は「連携を作るためには固定しなくては」となり、そのあとは「連携が出来ているのはこいつらだけだから固定しなくては」となる。監督が提示するピクチャーが先にあって、誰もがそれを実践できるように練習するわけでは「ない」のですから、しかたがないことなのです。
今回の予選ではどうでしょう。
ジーコ監督は、予選が始まる前に、「予選では海外組といえどもコンディションを見て起用する」と発言していました。私は、いくらなんでも(笑)「本番」であるW杯予選では、「連携をつくるための固定」は止めて、今までに出来上がっている連携のなかから、コンディションを重視して起用を決めていくのだと思っていました。
しかし、実際にピッチに立ったのは、直前に合流した中田、高原と、怪我からまだクラブでのフル出場もなかった中村、試合から長いこと離れていた稲本、そして39度の熱があった柳沢でした。山田と宮本も、それ以前には熱があったようです。
なぜこのような起用になってしまったのか?
それはジーコ監督が「戦術を理解した選手のプールを用意し、コンディションのいいほうから起用していく」ということを考えない監督だからです。実際に、選手が怪我やカードで欠けた時のバックアップは十分に育っているとはいえません。DFラインのチュニジアセットは、一人一人では現レギュラーと組み合わさって試合に出たことがありませんね。山田の代わりに加地を入れることに躊躇するのは理解できます。しかし、問題なのは、その程度の選手層しか、1年半かけて作れなかったジーコ監督の方針なのです。
熱がある選手が複数でたにもかかわらず、キックオフ時にピッチに立ったのはジーコ監督が前日に発表(?)したのと同じメンバーでした。風邪を引いている柳沢は、コンディション万全の久保に優るのでしょうか?そんなことはあるはずがありません。実際の試合でも柳沢は、効果的な働きが出来ませんでした(柳沢選手個人はいい選手です。この日はコンディションが最悪だったのです。その後入院しなくてはならないほどに)。
ジーコ監督は、コンディションを見極めて選手起用をするということをしない。それよりも、優先されるのは「ジーコ監督のなかの理想のメンバー」です。そしてその中で話し合いでできた連携に頼る。それが今回あらためて明らかになりました。そのやり方で、ぱっと集まって試合をしなくてはならない予選や、数試合戦い抜かなくてはならないW杯のグループリーグで、結果が出るのでしょうか?
39度の熱がある選手を先発させたのは、ドクターの判断の責任も大きいでしょう。しかし問題はそこだけでなく、そういう選手を先発させざるを得ない選手層の薄さ、それを招いた固定方針にあるのです。それは明らかに、ジーコ監督の問題です。
オマーン戦にいたるチーム・マネージメントは壊滅的でした。それがあの試合内容を招いてしまったのです。幸運がなければ、引き分けだったでしょう。そうなっていたら、1次予選突破が危機に陥ったことを意味したのです。
私はジーコ監督の解任を求めます。
それではまた。
06:28 PM [ジーコジャパン・1次予選] | 固定リンク | トラックバック (0) |
February 20, 2004オマーン戦の再現可能性
今回のオマーン戦で苦戦した最大の原因は、「ヒデが合流して時間がなかったこと」でしょう。
ジーコ監督のチーム作りは「選手を固定し、固定された選手間での話し合いで約束事をつくる」です。
それ以外の方法を持っていません。
そしてそれは、
>「今回のようにみんなで話合う時間があればいい。でも、そうでない場合や新しいメンバーが入ってきた時に、意見のすリ合わせが十分にできない恐れがある。ディフェンスだけは感覚でできないから」
という選手の談話(コンフェデ後のサッカーマガジン誌)で既に問題点がはっきり分かっていたことでした。(オマーン戦では「ディフェンスだけ」ではなかったことが明らかになりましたが)
しかし、実際に「選手を固定し、固定された選手間での話し合いで約束事をつくる」は、どのように機能するでしょうか?結局それは、選手のサッカー戦術理解のレベルに左右される、ということになります。そして、その点において突出しているヒデの言うことに、みんながついていく、というカタチにならざるをえなかったのではないかと思われます。彼の経験、実績、戦術理解、サッカーに関する言葉の豊富さ、推進力、それらに比肩しうるのは、わずかに宮本のみでしょう。
コンフェデの時のように時間があり、選手を固定して何試合もして、その都度修正していければ、次第にいいサッカーが出来るようになります。コンフェデフランス戦はその集大成でした。
それは、その後すべての試合でベストメンバーを組もうとしてきた方針により、その後もだいたい維持できて来たのだと考えられます。ナイジェリア戦、セネガル戦、チュニジア戦、ルーマニア戦、カメルーン戦、多くの時間こそ取れなかったからかもしれませんが、コンフェデ・ベストメンバーがほぼそろい(遠藤が欠けたり宮本が欠けたりしましたが)、その時の連携が結構残っていたのでしょう。
しかし、問題が生じました。東アジア選手権です。海外組が藤田を除いてほとんど使えなかったこの大会。大会での試合自体は、だれがリーダーシップを取ったか分かりませんが、国内組の中での話し合いによって、そこそこ機能しました。それほど長い合宿は出来なかったものの、何度かの紅白戦と3バックの採用があり、そこであるていどは「選手を固定し、固定された選手間での話し合いで約束事をつくる」ができたからでしょう。
さらに今年になって、また国内組の中で話し合いが続けられます。約束事がいくらか出来ていきます。小笠原が「裏へ走れと今までさんざん言って来た」と三都主に関して語り、イラク戦で(少ないとは言え)いいカタチを見せたのはその現れでしょう。
問題というのは、それによってチームの中に「コンフェデ時の話し合いで出来たもの」とは別のものが育ってきてしまっていた、ということです。DFラインと遠藤は、その両方に適応しなくてはいけなかった。ああ大変そう(笑)。まあ基本的には、コンフェデ時の話し合いを伝えていく、という作業だったかもしれないけれど、それにしても、アレンジが加わり、試合をこなすうちに(5試合ですからね)違うものになって行ってしまった。
そこに海外組が帰って来ました。ヤナギ、俊輔、稲本…しかし彼らではコンフェデ時の約束事を強力に復活させるチカラはない。中田が帰って来たのは、試合の2日前でした。
おそらくチームは、中田がまた新しい話し合いをもたらすだろうと身構えたのではないでしょうか。しかしヒデは、今回はその影響力を発揮する時間がさすがになかった。といいつつ少なくとも、チームの中に、昨日までに培ったものと、それを良く知らない中田ヒデ、ただし影響力は絶大、という二つの、なんと言えばいいのかな、「コンセプト」が存在してしまった、ということなのだと思います。
ヤナギ 遠藤 三都主 山田 宮本 坪井 楢崎(東アジア→2004親善試合組)
高原 俊輔 ヒデ 稲本(コンフェデ→2003親善試合組)
おそらくピッチの上で、この二つの「話し合いで生まれた約束事の理解」が、まるで刷り合わせる時間なく、存在してしまった。それが、オマーン戦の試合内容が、同じ選手をそろえながらコンフェデフランス戦とまるで違うものになってしまった原因ではないかと思います。
これは、今後も何度でも起こり得ることです。
そう考えると、ジーコ監督の「2週間」発言は以外と的を射て/得ているということが分かります。2週間あれば、誰かがリーダーシップを取ったりして、一つの「話し合いの結果」が出来あがってくる。そうすれば、まずまずな試合が出来る。
しかし、その時間がないと、難しい。特に今回は間に、別のものを育てる時間/機会があってしまったからなおさらです。おそろしいことに、ジーコ監督の場合、ベストメンバーがそろわない試合機会は意味がないばかりでなく、有害でさえあるのかもしれない、ということになります。あはは。そんな馬鹿な強化法があっていいものでしょうか。
ジーコ監督のやり方は、時間がたてば立つほど選手どうしが慣れてきてうまく行くようになる、と私は思っていました。しかしそれはどうやら間違いであったようです。
そこには、合宿単位での「慣れ」はあっても、1年かけても2年かけても「向上」はない。だって、彼らが習得すべきなにものもそこにはないのですから、当然のことです。彼らがすべきなのは、その時その時のすり合わせ、それだけなのです。
そういうわけで、ジーコ監督の次の危機はシンガポール戦になるでしょう。海外組がいつ合流できるか。特に、ヒデが何時?それが最大の焦点になります。もちろん他の選手もなるべく早く合流した方がいいけど、仮にヒデの合流が今回と同じ前前日だったら…ピッチの上にはまた同じことが再現されるでしょう。もちろん、オマーンとシンガポールの戦力差はありますけどね。
ポイントになるのが「クラブで有用な選手は帰してもらえない」というところでしょうか。今回早期召集可能だった選手たちは、実はクラブでは評価されていないということですから、所属チームの方でも発奮しないといけないはずですね。逆にヒデは、移籍したあと急にボローニャで重要な選手になってしまいましたから、直前まで返してもらえないかもしれません。最も重要なピースが、もっとも使いにくい。これは非常に難しいところですね。
仮に1時予選を突破したとしても、アジア最終予選は今回と同じ、とびとびのインターナショナルマッチデーに行なうことになります。そして、その中の、拘束時間の短いフレンドリーマッチデーにも当然行なわれることになるでしょう。そうした場合は、ジーコ監督のチーム作りの特性上、今回とまったく同じ、なにも向上していないチームがピッチの上に出現するわけです。
そしてもうひとつ、ヒデが怪我でも、カードの累積でもピッチ上からいなくなったら?東アジア選手権や2004の親善試合はヒデがいなかったじゃないか、という人もいるでしょう。それはもともとヒデがいないことが全選手にも分かっていた試合です。そうではなく、いると思って無意識に頼っていたら、急にいなくなった…そう言うことはサッカーでは常にあることです。
ジーコ監督は解任するべきです。それは早ければ早いほどいい。こんなことは言いたくない。でもあのサッカーを見て、そして日本代表チームを、あるいはサッカーを愛している人ならだれもがそう思ったはずだと、私は思います。
それではまた。
ふうう。
05:57 PM [ジーコジャパン・1次予選] | 固定リンク | トラックバック (0) |
February 02, 2004苦い味を噛みしめながら
いつまでも落ち込んでいてすみません。
私が心底打ちのめされたのは、オマーンの方が日本よりも、組織的なサッカーで上を行っていたことです。
02年ワールドカップベスト16、98ワールドユース準優勝の選手たちが、今ピークを迎えつつあるところの日本チームが、
平均年齢20歳の、五輪かユースかというオマーン、しかもレギュラーFW2人が怪我で欠けているチームに、
組織で負けていた、ということです。
******
DFレベルからボランチへパスが入る。
そこでボランチが、ほぼワンタッチでスペースへパスを出す。
そこへまさにそのタイミングで他の選手が走りこんでいる。
その選手にボールが渡るタイミングで、前方の選手が動いてスペースを作る。
そのスペースへパスを出すと、また他の選手がそのタイミングでそこに走りこんでいる。
オマーンは、これをスピーディーに繰り返していました。
きちんと組織のできた、パスサッカー。
オートマティックでした。
なぜこれができるのか?
監督がきちんとトレーニングをしているからでしょう。
同じように日本で、DFからボランチへパスが入る。
あるいは低い位置にボールをもらいに来た中村選手へパスが入る。
彼が前を向く。
凄いのは、その瞬間、周りが誰一人、本当に誰一人、パスコースを作ろうという動きをしないことです。
ゼロフリーランニング。
凄い。
凄い。
凄すぎる。
ボールを持った日本の選手は数秒前をうかがい、パスコースがないので仕方なくバックパス。
日本はのろのろと、それを繰り返していました。
バックパスでないときは、前方の止まった選手の足元にパス、ということになります。
さて、何が起こるでしょうか?
何年も前、日本のサッカーは外国人記者から“too predictive”(あまりにも予測可能)と評されていました。
止まった選手から止まった選手へのパスは、まさにそれです。
素人にも、完全に軌道が読める。
当然のように、オマーンは日本のゆるいパスを、後ろから出て行ってインターセプトしていきました。
組織がないと、こういうことになる。その典型例でした。
これほどの悪い内容のサッカーを見たのは、日本代表を応援しはじめて以来、初めてです。
私はそう思っています。
誰かが、パスコースがないので仕方なくドリブルを始める。
オマーン選手が、2人、3人と集まってくる。囲まれる。
さすがに抜けるわけはない。
しかし、また誰一人、フォローにも行かず、パスコースを作る動きもない。
誰一人ですよ。
凄いんですよ。
これは。
逆にオマーンボールになると、本当にひやひやしました。
日本のDFラインの前に、ぽっかりと円形の空間が、いつもいつも×10、空いていたからです。
まるでどうぞここをお使いください、とでも言うかのように。
なぜだ?
一人のボランチは攻撃しに行ってしまい、もう一人はDFラインに入ってしまっている。
バイタルエリアががらんがらん、まるあき。
なんだこりゃ。オールスターでももう少しましですよ、組織が。
********
私は、ジーコ監督は不支持でしたが、解任派ではありませんでした。
「解任」はあまりに大きな、ネガティブなエネルギーをサッカー界に残すと思ったからです。
しかし、昨日の試合を見て、ついに考えを変えました。
解任するべきだ、と思います。
ジーコ監督は日本を弱くしているからです。
世界トップ10を目指すためには、とか、「個」を強化するために、とか、
そういうことがあったとしても、それは最低限オマーンやイラクと
同等レベルの組織があってのこと。最低限。最低限です。
ここまで組織を崩壊させては、トルコ戦と比較など出来るはずもない。
こんなことは書きたくなかった。まだ落ち込んでいるので、文面が荒れていると思います。どうもすみません>ALL
それではまた。
12:22 AM [ジーコジャパン・1次予選] | 固定リンク | トラックバック (0) |