ゲーム評: サッカー好きのための・・・


今回は少し毛色を変えて、TVゲームの話をしてみよう。本ブログの読者の方の中には、ゲームをされる方はどのくらいおられるだろうか?私はあまりしないのだが、世間のサッカーファンの中には、KONAMIのWinning Eleven、いわゆるウイイレというゲームにはまっている方も多いようだ。そういうゲームによって、世界のサッカー選手を覚えたり、フォーメーションに詳しくなったりという効果もありそうだが、私はこれまでどうもそこに入っていけなかった。私のサッカー好きの友人の中には、ウイイレに詳しくて上手いヤツも、もちろんいる。しかし、今から覚えるということは相当に後発になり、最初はまったく「かなわない」ことが目に見えている(笑)のも、始められない理由の一つだったりした。

しかし今回、任天堂のWiiで、リモコンで選手を指差して自由に動かすという、新しい操作感を持ったWinning Eleven PLAYMAKERが出た。私はなんとなくそのゲームのサイトを見に行って、衝撃に打たれた(大げさではなく)。「これはおもしろそうだ!」たまたま、Wii FitのためにすでにWiiは我が家にあった。私はさっそくアマゾンでWiiのウイイレをクリックしてしまったのだった。

いわゆるウイイレを傍で見ていると、事前にフォーメーションや戦術を徹底的に組み上げ、後はその時その時、ボールを持っている一人の選手をいかに上手く操作するか、という点で勝負が決まるように見える。詳しい友人に聞いてみてもそうなのだという。しかし、リンク先のサイトのトレーニングムービーを見ればわかるように、Wiiのウイイレはまったく違う。ボールを持っている選手もある程度は操作するが、それ以外の、ボールを持っていない選手をWiiのコントローラーでポイントし、動かしていくことが非常に需要になってくる。

Dsc_0020と書くと、なんだか難しそうに感じると思うのだが、これがまったくそんなことはなく、ほぼ直感的に、やりたいようにプレーできる。なぜこんな風にできるのか、と考えていたら、答えを教えてくれた人がいた。SoccerCastでも話したのだが、先日KONAMIさんに行って、広報の方に少しお話を聞いてきた。そのときに出た言葉が、まさになるほど、と思えることだったのだ。それは、「これまでのウイイレは、実際にサッカーをしている人、あるいはよく見ている人が、必ずしも上手いというゲームではなかった。が、このゲームは、そういう人の方が上手くプレーできるゲームだろう」という言葉だった。「なるほど!」

プレーしてみると、あるいは他人がプレーしているのを見てもよくわかるのだが、まさに本当のサッカーを「スタジアムで」見ている感覚と同じなのだ。スタジアムでは、多くの人が「そこでなんで走らないかな!」とか、「いま右空いてたじゃんか!」とか、「ピッチ上の選手よりも広く見えているがゆえにたまる不満」をぶちまけつつ見ているものだ。このゲームは、まさにそういう時に、自分の思うとおりに選手を動かせたら、という感覚とものすごく近いのだ。

これは、TVで試合を見る感覚とは相当に違う。スタジアムで、チーム全体を俯瞰してみる癖がついている時の見方とかなり近い。そして、そういう経験を積んでいる人ほど、このゲームになじむのは早そうだ。ポイントして動かすこと自体にはちょっとしたコツがいるが、それも大したことではない。自転車に乗るよりも簡単なコツだ。そして慣れてしまえば、試合を見ていて感じるあの不満を、ピッチ上で解消することができるのだ。これはサッカー好きの人こそが、本当に楽しめるゲームだと思う。

少し前だが、サポティスタで、「Wiiイレで変わるサッカーの見方」という記事があり、2ちゃんねるのスレッドの紹介があった(Wiiイレ=Winning Eleven PLAYMAKERのこと)。そこには、「しかしWiiイレやって、サッカー中継の見方が変わったな。無意識にボール以外のところを見てしまうw」というものに代表される意見が書き込まれている。私もこれにはまったく同感なのだ。Wiiイレをしていると、ボールを持った選手から目を離し、前線やサイドの敵選手の配置を見て、そこのスペースを見出すように、自然となってしまう。スタジアムに行っても、その癖が抜けない。

そしてさらには、敵がこういう配置の時にはこうパスをまわすとここが空いてくる、とか、この選手とこの選手がこうフリーランすると空いてくる、とかも、次第にわかるようになってくる。もちろん実際にはゲームのようにうまくは行かないのだろうが、それでもやはり、いかにスペースを作ることが大切か、そのためにはいかにフリーランが大切かが、身にしみてわかってくる。もともとオシム監督のサッカーを信奉し、「ボールのないところでの動き」が好きな私などにとっては、まさに格好のゲームとの出会いということができた。

サッカーは本来的に、本当の意味での「チームゲーム」なのだと思う。野球はやはり、9人でやるとは言え「1対1」の連続なのだろうが、サッカーは違う。1対1が、2対1にも3対1にも、またその逆にもできる。それがサッカーにおいて「連動すること」が本当に大事な理由なのだろう。このゲームは、そういうサッカーを表現するための手法に、大きな大きな一石を投じた、価値のあるゲームだと思う。サッカー好きの人、そしてオシム監督のサッカーが好きな人に、ぜひやってみて欲しいゲームである。

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さて、私も参加しているSoccerCastでは、KONAMIさんの好意をえて、このゲームを3名の方にプレゼントする企画を実施中です。以下のメールアドレスまで、お名前(ハンドルネームで可です)を書いて、お申し込みください。

soccercastwii@gmail.com

締め切りは4月末日までということです。この機会に「サッカーファンのためのサッカーゲーム」Wiiのウイイレを体験してみませんか?

それではまた。

| April 23, 2008 07:20 PM | [サッカー] | 固定リンク | コメント | トラックバック (1) |


 混乱の代償


Bahrain南アフリカW杯へ向けての、アジア3次予選vsバーレーン戦が終了した。結果は0-1の敗北。3次予選(かつての1次予選)レベルで敗北をしたのは19年ぶりだそうだが、内容もそれにふさわしく酷いもので、代表を応援しているサッカーファンをとんでもなくがっかりさせた。なぜこんなことになってしまったのだろうか?

簡単に内容を振り返ろう。日本は岡田監督になってから初めての3バックを採用、これは相手の強力な2トップに対抗しようとしたものだろう。それにともない布陣は3-5-2となり、中盤からは戦術的理由で遠藤が外された。また、アウェーでもあり序盤は敵が飛ばしてくるだろうとの予想から、日本は前半、ロングボールを多用していく。ここまで、日本の戦略は徹底して「相手に合わせた」ものだった。

この試合はW杯本大会ではない。相手は欧州や南米のチームではない。アジアの、2位までが先に進める3次予選であり、相手はバーレーンである。もちろん、取りこぼしが許されない真剣勝負の予選ではある。慎重になるのは間違いとは言い切れないだろう。が、現実路線とは言え、ここまでする必要があったのか。そして、そのような「相手ありきの戦術選択」、弱気とも取れるそのメンタリティは、選手にどのような影響を与えただろうか

岡田監督の戦略としては、序盤をセーフティーにロングボールでしのいだ後、徐々にポゼッションを回復し、日本のサッカーを取り戻していこうというものだったようだ。しかし、前回までも見たように、岡田監督になってからは、それまでのオシムサッカーの特徴はどんどん減り、雲散霧消している。頻繁なサイドチェンジによる大きな展開もなく、数多いオーバーラップによる数的優位の創出もない。そういう「自分たちのサッカー」があいまいになっていた中で、途中からそれに戻って行こうなどということは、はたして可能だっただろうか。

その答えは、試合内容に如実に現れていた。前線にロングボールを入れ、そのこぼれを拾って突破型の選手が個人勝負を仕掛けていくというのは、東アジア選手権韓国戦の後半と同じようなやり方だ。大久保や山瀬、安田の起用はそれを狙ってのことでもあるだろう。しかし人選をそのようにしてしまえば、途中からやり方を変更しようとしても、なかなかできることではなかった。ただ遠藤が外れたからできなくなった、などという単純なことではない。

バーレーンは、ジーコ監督時代の予選ではホームでオウンゴールの1点によって辛くも勝ったという経験からも、甘い相手ではないだろうし、さらにアフリカ人選手の帰化によって戦力も強化されてもいる。強敵かと思われたが、試合が始まってみれば、前線に目的の定まらないロングボールを入れるという、昔ながらの中東の戦い方をするのみで、それほどレベルアップしているとは言えなかった。しかし、日本もそれにあわせ、ほとんど同じ戦い方になってしまっていた。その内容の貧困さが、日本中のサッカーファンにこれほどの脱力を味あわせているのだろう。

もう一度言う。なぜこんなことになってしまったのだろうか?

日本人のよさを発揮すると言うこと?

結論から言えば、現状の問題点は監督選びの際の混乱、大方針の誤りから生まれているものだと、私は思う。以前から書いているように、オシム前監督が倒れた後の、協会技術委員会とその上層部がなした後任監督の選定は、経緯にも疑問があり、かつ考え方もおかしなものだったと、私は思っている。その疑問点を引きずったまま、ここまで強化がなされてきたわけだが、やはり厳しい予選になると、そこが露呈してきてしまうということだろう。

小野技術委員長があげた岡田監督の選定理由は以下の三つである。

(1)オシム監督が築いてきた土台の上に新しい色、個性を積み上げられる
(2)強烈なリーダーシップ、求心力を持っている
(3)(来年)2月6日(の予選まで)与えられた時間が少ない中でコミュニケーション能力がある

当時からさまざまな疑問が投げかけられてきたこの選考理由だが、現在発売中の「サッカー批評」ISSUE38に、まさにこの点について答えた小野技術委員長のインタビューがある。バーレーン戦までの問題点を整理する助けになると思われるものであり、ここで参照しながら考察してみたい。まずは最も大きな問題点とも言える「土台」についてである。

小野委員長: 土台とは何かと言ったら、トレーニング法でもハウツーでもない。唯一残したかったのは私とオシムさんが一緒にやる中で、オシムさんがいつも言っていたことなんです。それは『小野さん、皆さん気づいていないだけなんですよ。日本人はこんなに素晴らしいって言うことを』と。私はこれだけを土台に残したかった。

(中略) 監督が変われば絶対にサッカーも変わります。トレーニング法も変わる。だから、練習法などを重視していたら、そっち(昇格人事)の可能性のほうが高かったかもしれません。私が土台と言ったのは、日本人の誇りを持って、日本人のよさを発揮するということ。

最後の一行が、一番わかりやすいだろう。私はこれを一読して、かなり驚いたものである。誇り云々は置くとしても、「日本人のよさを発揮するサッカー」というのは、強化方針、監督選定の方針としてはあいまいに過ぎる。言ってしまえばオフトも、加茂も、岡田(第一期)も、トルシェも、ジーコも、そしてオシムも、それぞれがそれぞれの考える「日本人のよさを発揮するサッカー」を追及してきたのではなかったのか。「それはどういうものなのか」ということこそ、技術委員会が研究し、監督選定の条件としなければならないものではないのか。小野氏はまたこう語る。

インタビュアー: では、具体的に、日本の航海の先、目指すところはどのように考えているのでしょうか。

小野委員長: こういうサッカーをしなさいというのは私が言うところではなく、それは託す部分なのですが、岡田監督と私は発想的にはかなり近いものがあります。

また後段では

インタビュアー: 日本人監督のもと、日本人のサッカーをする。図式としてはわかりやすいですが、そもそも日本のサッカーをどのように定義しているのですか。

小野委員長: 私の立場で言えば、誇りを持とうということ。具体的にサッカーに落とし込めるところは、私がいろいろと口出しすることではなく、現場でいろいろと考えて実践してくれるでしょう。

これらを読んでわかるのは、小野氏が「土台」と言うのは、「誇りを持とう」「日本人のよさを発揮するサッカー」という精神的な部分であり、それがどのようなものであるかは、「監督(=現場?)に託すものだ」と考えているということだ。私はこの部分を読んで、驚愕したものである。

私がありうべきと考える代表監督選定のプロセスは以下のようなものだ。

1: 世界のサッカーの潮流、日本の現在位置、選手の特性などの分析、現状認識。
2: それに基づいて、日本代表の取るべきサッカースタイルの立案
3: そのサッカースタイルを実現した実績のある監督のリストアップ
4: リストの中から最適任者を選定

ところが今回はこのようになっているというのだ。

1: 日本人のよさを発揮するサッカーをすると言う監督にする
2: それがどのようなものかは、選んだ監督に託す

はたしてこれが合理的な監督選定と言えるだろうか!

私は小野氏をはじめとした技術委員会の面々は、オシム監督と「どのようなサッカースタイルが日本人のよさを発揮するサッカーなのか」について議論を重ね、何がなしのコンセンサスを積み上げてきたと思ってきた。それがあれば、「オシム流の継承」ではなく、「コンセンサスとなったサッカースタイルを過去に実現した監督」を選定するのが合理的だと考えてきた。しかしこれでは、そういったものはまったくなかったのではないかと疑いたくなってしまう。

しかし、おかしいのはこの部分だけではないのだ。

破壊者はイヤだ?

インタビュアーが、「外国籍監督の中でも、日本を知った上で、コミュニケーション能力の高い人も少なくないのでは?」と質問したのに答えて、小野氏はこう返答した。

小野委員長: それは確かにいるでしょう。ただ、海外の監督さんで、日本のことを見下しているような人にはしたくなかった。それに、残された時間も考慮しました。というのは、新監督というのは多かれ少なかれ『破壊者』の要素を持たざるを得ないんです。破壊した上で自分の色をつけくわえていく。

(中略)先程、悪い時よりもいい時の方が難しいと言いました。今回のケースでは、破壊者の要素が強すぎ土台まで壊してしまうようだと、色をつける前に終わってしまうんですね。どんどんやりすぎて違う方向に行ってしまう。それはリスクが大きすぎる。日本人のよさを引き出してくれる人がベストであろうと思いました。

先程の答えでは、「土台」とは、「日本人のよさを発揮するサッカー」の部分「だけ」であると小野氏は言っているのだが、ここの部分では、「破壊者であってはならない」ということだ。これは、「昨年出来上がっていた(オシムの)チームを破壊しないでくれ」と言っているように私には聞こえる。もし新監督が「日本人のよさを発揮するサッカーはこっちだ」と言って、オシム監督の残したチームとは違うチームを作り始めたならば、それは完全な破壊者ということになるではないか。それではいけないと小野氏は考えたようだ。

小野氏が監督選定の際に「破壊しないこと」を念頭に置いた結果、岡田監督のチームマネジメントが制約を受けたのは、バーレーン戦後の岡田監督の発言でもかいま見られることである。

岡田監督: オレになってすぐ公式戦の予選(2月6日、タイ戦)だったから、いろんなことを変えるのはリスクが大きかった。今までを踏襲してやってきた部分が多い。我慢してきたこともあるけど、これからはオレのやり方でやっていく。戦術を含めてトレーニングの組み立てとか、口で説明すれば2時間はかかるから言わないけどね。

出来上がったチームを破壊せず、オシム監督が組み上げた「チーム」を継承する。のみならず、「戦術を含めトレーニングの組み立てとか」まで、岡田監督は「我慢して」引き継ごうとしてきたようだ。プロの監督が、他人のやり方で戦ってきた?なんとも不合理なことだが、小野技術委員長が「破壊者ではない監督を」と求めた結果、岡田監督が選定されたのだから、その意味では当然ともいえるだろう。戦術面では、例えば

岡田監督: 今まで人に付くディフェンスをやってきたが、自分のやり方ではなかった。

いわゆる「マンマーク」=人につくディフェンスを、前期オシム日本では採用していたが、岡田監督は「自分のやり方ではない」それを持って、ここまで戦ってきたのだということだ。なんということだろうか。

最初の最初に、オシム監督が倒れられた時、私は「オシム流の継承などを求めるな」と書いた。小野氏も、「監督が変われば絶対にサッカーも変わります」と言い、岡田監督自身、「オシムさん以外にオシムさんのサッカーはできない」と語っていた。これは当たり前の上にも当たり前、当然過ぎるほど当然のことなのだ。にもかかわらず、岡田監督は戦術やトレーニング法に関して、自分のやり方ではないものを「我慢して」行ってきたというのである。それは小野剛氏の「破壊するな」というリクエストに答えたものなのか、岡田監督自身が「変えることによるリスクを避けるため」に、そういう判断を下したのか。おそらくはその両方だろう。

上段では、「オシム監督の土台」とは、「トレーニング法でもハウツーでもない」と言いながら、監督選定の条件としては「破壊しないこと」を求める技術委員会。それにそって、「自分のやり方ではない」ものを、我慢して行い続けた岡田監督。しかしそれは強化の本道と言えるだろうか?本来ならば、「ボールも人も動くサッカー」を過去に実践したことがある監督が選ばれるべきだ。もちろんそこには再スタートのリスクがある。しかしそれは、前を向いた、強化の本道を行くためのリスクである。

逆に、「破壊はしないが、これまでのサッカーとスタイルの違う監督」にも、実はリスクがあるのではないか?そういう監督に、スタイルの大きく違う前任者の築いたチームを任せて、しかもそれを引き継ぎ、「あまり変えるな」という方針。そのようなリスクは、後ろ向きのリスクである。現状が維持できれば御の字、という弱気、日本代表の向かうべき大方針と乖離した「後ろ向き」な姿勢。監督をはじめとした首脳陣が、そのような態度を取っていて、選手が「考えて走る」わけがあるだろうか?その結果が、如実にバーレーン戦のピッチの上に現れていたのだ。

「空費」された4ヶ月間

岡田監督は、「これからオレのやり方でやる」という。最終ラインをマンマークからゾーンにし、約束事を増やすという。横浜Fマリノス時代からの仲である、小山氏を代表GMとして招くという(スポーツ紙の記事であり、どこまで信憑性があるかはわからないが)。私はこのどれもが、岡田監督である以上当たり前のことであると思う。むしろ今まで、他人の靴下で戦っていたことのほうが問題であり、うまくいくはずが無いことだったのだ。表面上はオシム監督の練習メニューを継承したとしても、それを駆使する人間が変わってしまえば、効果はまったく違うだろう。オシムサッカーを継承したようでいて、これまで見たようにサイドチェンジも、追い越しも無いサッカーになってしまったのは、その故である。

ただ問題なのは、そのこれからの「俺のやり方」なるものが、日本の大方針と合致するものなのか、否かということだ。本来ならば「あなたがリーグ戦で見せたあのやり方が、これからの日本代表の取るべきコンセプトだと思いました。ぜひあれを代表で実現していただきたい!」と言える監督を招聘するべきだった。最初に書いた「岡田監督にするなら岡田流を代表の大方針として選ぶと言うことだ」というのはそういう意味だ。はたして、今回の人事はそう言いえるものだったのか。それとも単に、「非破壊という小野氏のお願いを聞いてくれる監督=(我々と)コミュニケーションの取れる監督」という条件でなされた人事だったのか。

そしてつくづく残念なのは、そのオリエンテーション・ミスによって12月からバーレーン戦までの4ヶ月間が、「空費」されてしまったことである。岡田監督が「これから」開始する「オレのやり方」への転換は、結局のところ最初に小野氏が忌避しようとした「破壊」に他ならない。であれば、本来ならば4ヶ月前にそれを開始することができたのではないか?そうしながら、優秀な監督が「破壊→再構築」を時間をかけて行っていたら、シーズン前の長期の合宿や東アジア選手権、バーレーン戦前の10日に及ぶ合宿が、はるかに有効に使えたのではないか?

協会技術委員会の選択の不合理、その後のオリエンテーション・ミスと、受諾してしまった岡田監督によって空費されたこの4ヶ月間。そもそも使える時間が少ないうえに、アジア予選も始まっている日本代表にとって、この期間は時間が比較的豊富に取れたとも言える、非常に貴重な強化日程だったはずだ。それが完全に「無駄」になってしまったのだ。日本の予選突破にとって、この遅れが致命的でないことを、今は心より祈りたいと思う。

それではまた。

| April 10, 2008 03:19 PM | [サッカー日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック (0) |


 そして、ゼロ地点へ


東アジア選手権が終わった。韓国戦が引き分けに終わり、優勝がなくなったあとの岡田監督の、怒ったような表情のインタビューには私も共感した。「岡田監督、勝ちたかったんだなあ」と感じさせる表情、声だった。ただ、しっかりとこの大会を勝ちに行く、という選手起用ではなかったのも確かだろう。北朝鮮戦も「テスト」での起用が多すぎてうまくいくはずがない編成だったし、韓国戦でもこれまで試したことがない橋本の2列め起用を行っている。これはどうも、「連れて行った選手、全員を起用する」という発言(スポーツ紙の記事だが)の通りにしたと推測するしかない。

怪我や不調で主力級の選手を欠いているためにそうしたのか、オシム監督から引き継いだチームの選手を、出場機会の少なかった選手まで試合で試してみたいという意向が、もともと岡田監督にあったのかどうかは、わからないところだ。しかし終わってみると、この大会はあくまで「テスト」の大会だったと位置づけられていたということになるだろう。

もちろん、就任時期、状況から考えても、この大会の優勝は岡田監督のミッション(果たすべき使命)ではないのだから、そのように大会を「使う」こと自体はなんら問題ではない。オシム監督がアジアカップをチーム強化のために「使った」ように、果たすべきミッションのために、中長期的にどのように計画、マネジメントしていくかは、代表監督が自らの権限、責任において行っていくことだ。オシム監督のアジアカップもそうだが、岡田監督の今回のマネジメントも、そしてそこでの結果も、そういう意味ではなんら問題のないものだと、私は思う。

「テスト」は行う、そのために機能しないかもしれない組み合わせでもあえて試す、しかし、優勝がかかる試合終盤では、FWを3人投入し、パワープレイを敢行する。この、中期計画と、眼前の勝利へのこだわりは、岡田監督らしく、興味深い。ただ、そうすることで本来の「コンセプト」が薄れていった、見られる機会が減っていたように思えることが、大丈夫なのかと少し心配になる。まあ、阿部や高原、巻、大久保といった、タイ戦での先発メンバーが帰ってくれば、また本来のコンセプトが戻ってくるのかもしれないが・・・。

いや、この大会でのサッカーこそが、岡田監督のコンセプトにかなり近いものだという可能性はないだろうか?


シンプルな韓国~韓国戦前半

Korea韓国戦は、4-2-3-1の「3」の一角で、慣れない橋本を初先発させた影響もあっただろうか、なんともまずい立ち上がりとなってしまった。韓国がバランスを取って待ち構えているところへ、選手の動きだしがなく、スペースを作り、使う動きも無いために、なかなかボールが前に運べない。後藤健生氏が7分(正確には6分だと思う)と12分の日本のパス回しを取り上げて褒めているのだが、見直してみるとパスをまわせたのはその2回だけといっても良いほど、雑な中距離のパスを前線に送っては跳ね返される、という繰り返しだった。

前半打てたシュートは、憲剛と内田のミドル、セットプレイから憲剛と山瀬が連続して、そして43分の唯一といっていい流れの中からの崩しで内田、という5本のみ。本来の形を崩して3-5-2で守る韓国の堅陣を崩せなかった。もちろん、敵は韓国であり、バランスをとって守っている状態では、そうそう崩せなくても仕方が無いが、それでもサッカーの「カタチ」、「やろうとしているサッカー」がほとんど見えなかったのでは、心配になってくる。「テスト」起用の故と思いたいところだが。

失点は、憲剛と内田のサイドに一本でパスを通され、内田がケアに出て行くがほとんどフリーであげさせてしまい、中央でクロスする敵FWに今野がつききれず、シュートを浴びて喫したもの。今野のマークミスではあるが、サイドがあまりにフリーで上げさせすぎてしまったという側面もある。ジーコジャパンのボスニア・ヘルツェゴビナ戦でもそうだったが、ボランチとサイドバックの連携が問題になるシーンだ。また、このシーン以外にも、韓国はシンプルで手数をかけない攻めで、数多くのチャンスを作っていた。中澤の鬼気迫る奮闘が光った。


個人勝負、パワープレー~韓国戦後半

後半になって、憲剛がポジションを一つあげる。遠藤、山瀬、憲剛、橋本が1直線にならぶ、啓太の1ボランチのように見える布陣になった。日本は前がかりになり、プレスも高い位置から、早く、速く、そして球際が激しくなった。この辺はハーフタイムの指示でもあろう。1点を取り返さなくてはならないのだから、当然のことでもある。前半にはほとんどなかった、憲剛から内田、加地への大きな展開のパスが、序盤に2本通っている。大きなアーリークロスも入れるようになり、そして、各所で個人個人が勝負を挑むようになっていく。

韓国は中盤の中心であったキャプテン5番を下げ、若い21番に代える。この辺から韓国は展開がやや雑になっていく。日本は憲剛に代えて安田を投入。「展開」ができる憲剛を下げるのは合点がいかなかったが、高い位置での個人勝負を優先させたということだろうか。20分には狙い通りか、ロングボールに田代が競り勝ち、遠藤を経由して安田へ。安田の個人勝負からクロスを入れている(クリアされる)。そして内田が仕掛けてコーナーキックを得、そこから山瀬が目の覚めるようなミドルシュート、ゴール!

33分には橋本に代えて長身の矢野、41分には山瀬に代えて播戸と、終盤はFW3人のパワープレーでなりふり構わず勝負に出たが、得点はならず、タイムアップ。この辺、「テスト」からスタートしつつも勝負に出る岡田監督のバランスが垣間見られて、興味深い。後半になるとほとんどパス回しらしいパス回しはなくなり、奪ってから早く前線に入れて、後は個人勝負という内容になる。結局後半は、セットプレー以外からのシュートはゼロ。アジアでもトップレベルの韓国との試合であり、しかも岡田日本は発足して間もない上に、「テスト」中なのだから、悲観することはない。が・・・。


雲散霧消するオシム・コンセプト

この試合、驚くべきは有効なサイドチェンジがほとんどなかったことだ。私のカウントが正しければ、韓国のプレッシャーが緩んだ後半の37分と39分に計2本あるのみ。オシム時代にあれほど見られたサイドチェンジが、これほどに激減しているのはやはり有意と思えてしまう。あるいはまたオシム日本の特徴であった数多い追い越し、フリーランニング、そして数的優位を作ってのサイドアタックもしかり。アジアの国と戦っていても、大きく特徴が変わっている。現状ではオシム時代から受け継がれた部分は、ほとんど見られなくなった、と言っていいだろう。

岡田サッカーではオシムサッカーの特徴は雲散霧消している。問題は、何故そうなったのか、ということである。岡田監督は、「誰がやってもやることは変わらない。ボールも人も動くサッカー」と就任会見では語っていたが、その後、もと甲府の監督だった大木氏をコーチに招き、「接近、展開、連続」をコンセプトに掲げた。まあ実際は、そういう言葉は重視していないかもしれないが、練習内容も、狭いコートでのパス回しを重視したものに変わっていった。選手間の距離も修正されていった。

その練習で培われたものはまだピッチの上にはあまり見られないが、最も重要なのは、そこで(おそらくは)出された指示に選手が大きく影響されたことだろう。それが、上記の「オシム日本の特徴であったプレー」が激減していることに現れているのだと私は思う。代わりに選手は「接近」=狭いスペースでのパス回しをしようとした、が、韓国人選手の一人ひとりの守備力に、それがかなわなくなった。そして後半は、奪ってからの個人勝負が重視されたサッカーになっていく。つまりもしかすると、今回のサッカーが「岡田監督がやろうとしたことが、それなりにプレスをかけてくる敵と出会うとこうなる」という例であったのかもしれない、ということだ。

ところで、私は岡田監督のサッカーがオシムサッカーの特徴を失っていることを、悪いといっているわけではない。そのような意図で岡田サッカーとオシムサッカーを比較しているのではない。ただ単純に、ここまでを見てくれば違うことは明らかであると言っているのみだ。そして、それは当然でもあると私は思っている。仮にコンセプトが多少近かったとしても、監督が変われば、練習法、指導法、チームマネジメントなど、すべてが変わっていくのであり、前任者のそれを引き継ぐことなど不可能だからだ。監督を選ぶということは、サッカースタイルを選ぶということと同義なのだ。

したがって、ここでわかることは、協会が岡田監督選考の理由の第1としてあげた、

(1)オシム監督が築いてきた土台の上に新しい色、個性を積み上げられる。

が案の定、虚構であったということではないだろうか。もしオシム監督が築いてきたサッカーを継承するのであれば、そういうサッカーを過去に実現したことがある監督を招聘するべきだ。今回協会はそうしなかった。現在受け継がれているのは、単にオシム監督が選考していたメンバーであり、コンセプトではない。その結果が、ピッチの上に色濃く現れている。協会は自らが言及した選考理由の欺瞞に、そろそろ自覚的になるべきではないだろうか。しかしもちろんのことだが、選考経緯に対して岡田監督は責を負うべき立場にはない。岡田監督は、ひとりの代表監督として、単純に是々非々で評価されていくべきだろう。


オシム・コンセプトと日本人選手の特徴

ここで岡田監督の、まず「接近」があるコンセプトについて少しだけ考えておこう。岡田監督はこれを、「日本人選手の特徴である、俊敏さや器用さ、持久力」を生かすためのもの、と考えているようだ。そういった特徴がある日本人選手は、狭いスペースでのパス回しによって相手を引きつけ、打開できる、ということらしい。はたして、岡田監督の考える日本人選手の特徴は正しいのだろうか?そして本当にそれは世界と戦いうるコンセプトになるのだろうか?

私は、「俊敏さや器用さ、持久力」は確かに日本人選手の特徴ではあるものの、もう少し詳しく見ないといけないと思う。オシム前監督や、海外のサッカー指導者が、「日本人選手は、敵がいない時のボール扱いはうまいが、試合になるとそれができなくなる」という趣旨のことを言っていることをご存知の方も多いだろう。日本人選手は器用であるとは言っても、世界レベルで見れば、クローズドスキルは高いが、オープンスキルに問題がある、ということだ。それを加味して考えると、どういうことになるか。

オシム監督のサッカーの特徴は、以下の通りである。

1)すばやい守→攻の切り替え
2)数多いフリーランニング・追い越し
3)数的有利を作ってのサイドアタック
4)DFラインからの攻撃参加
5)ピッチを広く使うこと、頻繁なサイドチェンジ

5)は、アジアカップや欧州遠征を通して見えてきた特徴であるので、今回加えておきたいと思う。さて、上記オープンスキルの問題点を意識した上でこれを見ると、オシム監督は「選手にいかにフリーでボールを扱わせるか」を非常に重視しているのだということがわかるのではないだろうか。サイドチェンジによって逆サイドのフリーな選手に渡し、詰められればバックパスし、あるいは追い越していく選手によって数的優位を作り出す。1vs2の状況が作れれば、それは一人はフリーになれるということでもある。フリーランニングも、数多い「追い越し」も狙いはそこだろう。

それは、岡田監督の「接近、展開、連続」という文脈に当てはめて考えると、まず「展開」を重視するということになる。無理な体勢でシュートを打つよりも、展開をしてフリーな状態の選手を作るほうが有益だ、という考え方。そうして展開に展開を重ね、敵陣に近づいたところで、技術のある選手が「接近」、最後の一刺しを添える。日本人選手の「クローズドスキルは高いが、オープンスキルに問題がある」という点を考えると、これは一つの理にかなったやり方ではないだろうか。

そして、時系列で考えると、まずは国内の選手で時間のかかる「連動した展開」を完成させる。そこに高原や中村俊輔という、最後の「接近」要員を組み込んでいくために、アジアカップを「使う」。それができあがれば、さらに大久保や山瀬、松井や稲本を組み合わせていく。上記の日本選手の特徴を考え合わせると、そのような行程がはっきりと見えてくる。山岸や羽生は、その「連動した展開」の受け手としてオシム監督に起用されたのであり、「接近」を強要するのは、役割とミスマッチであることは、普通わかるだろう。この人以外は


そして、ゼロ地点へ

私は、オープンスキルに問題のある日本人選手の特徴を考えると、「接近」を重視するよりも、まずは全員での連動した「展開」から入って、最後に「接近」を行う方が、ロジカルであると思えてならない。であるからこそ07アジアカップでは、実力的には日本とほぼ互角であろうサウジやオーストラリア、韓国に対して、ポゼッション率で大きく上回ることができたのだと思う(敵が10人になる前から、ポゼッションしていたのは日本であった)。そしてそこでの連動性ができていれば、2、3人の「接近」要員は、入れ替え可能で組み合わせることができるということだろう。

しかし、岡田監督のサッカーは「展開」重視のオシムサッカーとは相当に様変わりしているものである(すくなくとも、現時点までは)。そう考えると、オシム時代のメンバーを基本的に引き継いでいるのが、むしろ問題となってくる。岡田監督のサッカーと、オシム監督のサッカーでは、必要とする選手が違うのだ。本当はもっと、入れ替えていくべきではないか。いや、これから岡田監督はおそらくそうするだろう、と私は予測する。そういう意味では東アジア選手権は、岡田日本代表がそのコンセプトと、必要な選手を見定めた、ゼロ地点の確認のための大会となった、と言えるのではないだろうか。

まず守備面においての「接近」がより可能な、中盤でのしっかりした守備力を持った選手が必要になってくるだろう。すぐにイメージできるのが、アントラーズの小笠原だ。もともとCMF的に、ガツンと奪いに行ってそこからのダイレクトプレー(ゴールを一直線に目指すプレー)が得意な選手だったが、イタリアに行って磨きがかかった。代表経験も十分で、クラブではリーダーでもある。おそらく、岡田監督はすぐにでも彼を必要とするのではないか、と思う。

また、日本人選手の中でも細かい局面でのプレーがうまい選手を入れていくことも考えられる。筆頭は小野だが、他にも松井や水野、そして日本に帰ってくる三都主あたりも、その仲間に入ってくるだろう。岡田日本になって以来右サイドを任されている内田や、大活躍の山瀬、安田と同じようなプレーができる選手たちだ。狭いスペースでパスをまわし、彼らが個人で勝負していくサッカー。岡田監督は、これからそういった選手たちを選考していかざるをえなくなるのではないだろうか。

そのこと自体には是も非もない。代表監督が自分の考えるコンセプトに即した選手と入れ替えていくのは、当然のことだろう。ただ、岡田監督の採ろうとするコンセプトが、本当に日本にあっているものなのか。そしてそれが世界と戦いうるものなのかどうか。これから予選を戦いながらも、本当の目標である「2010年大会でのインパクト」を考えるならば、そこが注視されていかなければならないだろう。

なにはともあれ、異常に性急なスケジュール、シーズン前の苦しい時期、そしてあの過酷なアウェーで戦いぬいた選手、監督、関係者の皆さんには、本当に御疲れさまと言いたい。そして、ゼロ地点からの航路が順調なものであり、実りが多からんことを祈りたいと思う。

それではまた。

| February 28, 2008 04:58 PM | [岡田日本代表] | 固定リンク | コメント | トラックバック (0) |